Garden of Southern Cross.

第11話 Sleeping Alone.
 満天の星が輝く夜空を期待して仕事に臨んだが、空模様は人の意志など軽く笑い飛ばすように土砂降りの雨が、太陽が沈んだ後に出番だと言いたげに降り始めてしまう。  窓の外を流れ落ちる雨粒−最早雨粒などでは無くバケツをひっくり返したようなと表現するのが相応しい雨を放心状態で見つめているのは、今日から取りかかる仕事の打合せのためにクライストチャーチに出張してきていたノア・クルーガーだった。  ホテルの窓に申し訳程度に引かれているカーテンを握ったあと何とも言えないため息を零し背後のシングルベッドに力なく腰を下ろすと、投げ出していたスマホにメッセージが届いたことを知らせる明滅が視界に入る。  誰からのものかを確かめるために裏返っていたそれを表に向け、出張などで自宅を離れる際には必ず待ち受けにしている同棲中の恋人の顔の上にメッセージがありますと無機質な言葉を見いだし、分かっていると誰にともなく呟きながらそれを確かめる。 「……あ」  そのメッセージを送ってきたのはたった今画面の中で再会した恋人で、こちらは晴天で恐ろしいぐらい星が良く見える、お前の望遠鏡を借りても良いかという言葉が届き、こっちは恐ろしいぐらいの雨だと八つ当たり気味に返事を送る。  こんなことならば家にいた方がよほどクライアントの望む夜空を撮影できたのでは無いかと舌打ちをして背中からベッドに倒れ込んだノアは、あー、もうと誰に腹を立てても勝ち目の無い雨にぶちぶちと文句を垂れてしまうが、程なくして着信音が流れ出したために気怠げにスピーカーをオンにする。 「ハロー」  その声に籠もる棘にノア自身は気付いておらず、沈黙の後に微苦笑混じりの声が天気が悪いのかと問いかけてきたため、スマホを片手にごろりと寝返りを打つ。 『雨が酷いのか?』 「酷いなんてもんじゃ無い……これじゃあ家にいた方が良い写真が撮れたと思う」  そうすれば今こんな殺風景なホテルでゴロゴロしなくても良かったのにと、思わず本音を零したノアの耳に流れ込んできたのは宥めるようなキスの音で、小さく鼻を啜った後のろのろと起き上がり、ベッドの端が接している壁に背中を預けて雨が流れ落ちる窓を見つめる。 「そっち、良い天気なのか?」 『ああ。望遠鏡を借りて今月を見ている』  満月でもない中途半端な太さの月だが、お前が教えてくれたクレーターもしっかりと見えると返されてやるせない溜息を一つ。 「やっぱり家にいた方が良かったなぁ」  そうすればお前と一緒に今の月を楽しめたのにと同じ国内にいながらも天候が違う夜空を見上げてもう一度溜息を吐いたノアだったが、一日の中に四季があると言われる国で三年以上暮らしている事からもしかすると一時間後には晴れているかも知れないと思い直して顔を上げる。 「テディ」 『どうした?』 「うん。望遠鏡で見ている月の写真を送って欲しい」 『は!?』  お前が今見ている月を俺も一緒に見たいとワガママを口にすると素っ頓狂な声が聞こえてくるが、スマホの画面を見つめると画面一杯にいきなりノアが二人で着けようとドイツで購入した小さな星が映し出される。  何やらもごもごと聞き取りにくい声のあと画面が切り替わったかと思うとピントが合っていなくてぼやけているが一目で月だと分かる淡い光が映し出され、たった今まで心の中に満ちていた不満が聞こえない排気音と一緒に抜けていく。 「この月を望遠鏡で見てるのか?」 『ああ。……お前のように写真は無理だからこれで我慢してくれ』  俺も庭のベンチで見ているからと苦笑されて素直にうんと頷いたノアだったが、己が今いるホテルの殺風景さに寒気を覚えて早く帰りたいと子供じみた本音を零すと、再び宥めるようなキスの音が聞こえてくる。 『今回の仕事は二週間だったか?』 「うん。……クライアントが結構癖のある人だからこれで終わりにするかも知れないけど、まあ最後までやってみる」 『ああ、頑張れ』  スマホの中の月は最初に映し出されたときに比べれば綺麗に見え、スマホをテーブルに置いたようで穏やかな波の音が小さく聞こえ、それを聞いていると眠気を覚えてしまう。 「テディ」 『どうした?』 「うん。……家に帰ったら一緒に月見したい」 『ああ、そうしよう』  お互いの職種による日常でのすれ違いなど今は関係なくただ二人で同じ空を見上げたい思いから呟くと、普段はノアの気持ちを中々酌み取ってくれない鈍いがそれすらも愛しい恋人がすぐさま返事をしてくれたことから、約360キロ離れている自宅にいる彼も同じ思いをしているのだと気付く。  そう思うといつまでも腐っているのも馬鹿らしく、また気恥ずかしさを覚えてしまい、ベッドの上で片腕を突き上げて身体を伸ばすとうんと大きく声にだす。 『……やる気が出たか?』 「うん、出た。今回の仕事、頑張ってくる」 『ああ、頑張ってこい。……そんなに心配しなくてもお前ならやれる』  お前はいつも通りに全力で目の前の仕事に集中すれば良い、今降っている雨もきっとすぐに上がると、離れていても一緒にいるときのように励ましてくれる恋人の顔を不意に見たくなってしまい、ワガママを聞いて欲しいと小さく告げる。 『何だ?』 「……顔が見たい」  月はもう十分すぎるほど見た、だから次はお前の顔を見たいと子供っぽさを装った恋人同士の甘く強請るような無意識の声で囁くと、スマホの向こうで息を呑む様な音が聞こえた後、何やらガタガタと賑やかな音が聞こえてくる。 「テディ?」 『……まさかとは思うけど、今のような声を誰にも聞かせていないだろうな?』  何だか低い声に問われて首を傾げたノアに己の声が相手に与える影響など考えられるはずもなく、何を言っているのか意味が分からないと口を尖らせてしまうが、盛大な溜息の後に画面が切り替わり、何とも言えないと言いたげな顔が映し出される。  己の希望通りに恋人の顔をスマホの中の写真では無く画面越しとはいえリアルタイムで見れた歓喜にノアの顔が綻び、今日このまま雨が降り続いてもきっとひとり寝に対して文句もないし寂しくも無いと笑いながらこてんとベッドに倒れ込み、頭を片手で抱えるようにシーツに顔を押しつける。 『気難しいクライアントの仕事を完璧に終えて早く帰ってこい』  お前がそちらでひとり寝をしている間俺も家でひとり寝をしているんだと当たり前のことを口早に告げる恋人の言葉に目を見張ったノアは、それもそうだと納得したように頷いた後、なるべく早く帰ると告げて画面の中の愛しい男の顔にキスをする。 「お土産買って帰るから待っててくれ」 『……お前が早く帰ってくるだけで良い』  同じ国内にいるのだから土産など必要ないと断言された後、表情を和らげた恋人の言葉にうんと頷いたあと、もう一度今度は小さな音を立ててキスをする。 「お休み、テディ」 『ああ』  今日はこのまま寝てしまおう、明日から仕切り直しだと気分の切り替えを図って伸びをしたノアは、名残惜しさを感じつつもそれじゃあと通話を切り、スマホを顔の傍に投げ出す。  その動きでふと窓の外へと顔を向けると、バケツをひっくり返したような雨は雨粒が見える程の弱さにまでなっていて、明日は明日の風が吹くと生来持って生まれた楽天的な気持ちが心の中で頭を擡げ始める。 「お休み、テディ」  今夜から暫くひとり寝をしなければならないがなるべく早く帰るともう一度脳裏に焼き付いている恋人の顔にお休みの言葉を告げたノアは、明日は晴天になりますようにと願いを込めて欠伸をし、明日の準備をするためにベッドから起き上がるのだった。  雨とともにやって来たひとり寝に対する不満も浴びたシャワーとともに流れ去り、ベッドに潜り込む頃には恋人がいつも望んでくれる笑顔になっているのだった。    
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  土産などいらないから、元気な姿を見せろ。
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