「――ノア、いないのか?」
今日の漁も無事に終えて帰宅したテッドが車をガレージ前に停めた時、いつもならばその時点で玄関のドアが開き、顔に安堵と不安を混ぜ込んだ表情を浮かべたノアが出迎えてくれるはずなのに、今日は出迎えが無いことに首を傾げつつドアを開けて中に入る。
家の中は静まり返っていて、作業用の部屋にもベッドルームにも人がいる気配はなく、頼まれて持って帰って来た雑魚を入れたクーラーボックスを担いだままリビングに入ると、規則正しい寝息が聞こえてくる。
リビングのドアと同じ壁を背に置いたソファにクッションを抱えて眠っている恋人の姿を発見したテッドの顔に安堵とそれ以上の幸せそうな笑みが浮かび、眠りこけているノアの髪をくしゃりと撫でると、クーラーボックスをシンク横の作業台に置くと、取り出した魚の下処理を手早く済ませるのだった。
気が付けば眠っていたノアが目を覚ました時、リビングにはキッチンから流れてきた料理のにおいが漂っていて、それにつられたように腹が盛大に音を立てる。
「起きたか?」
「うん……テディ、いつ帰って来たんだ?」
「さっきだな」
帰ってきたらお前が気持ちよさそうに眠っていた、だからランチの用意をしていたと笑うテッドにノアが顔を赤らめてソファから飛び起きると、シンクに腰を預けてビールを飲んでいるテッドの横に向かい、その頬にお帰りのキスをする。
「今日も仕事お疲れさま、ありがとう」
「……どういたしまして」
ノアと一緒に暮らすようになり生活スタイルがすれ違いを生み出そうとした頃、思い切ったノアが仕事のジャンルを大きく変更し、その結果すれ違いを生まないようになったのだが、早朝に漁に出るテッドがこうして戻って来た時には労いと感謝の言葉を口にするようになっていた。
それはテッドを感動させると同時にひどく照れさせるものでもあったが、ノアの気持ちをただ受け止めたい一心で照れを押し殺しながら礼を言い、キスも返していた。
その一連のルーティンのような作業を行った後、ノアがコトコトと煮込まれている鍋を覗き込み、アクアパッツァだと目を輝かせる。
「ああ。白ワインを飲むか?」
「良いね、ワインセラーから出してくる」
この家の地下にあるワインセラーと呼べるほど大層な場所ではないが、ワインの保管庫に行くとリビングを飛び出したノアに呆気に取られたテッドだったが、お気に入りの白ワインを手にノアが戻ってくるまでに仕上げてしまおうと鍋と向き合うのだった。
テッドが持ち帰った雑魚で作ったアクアパッツァはレストランで食べるものに比べれば味も見た目も劣るだろうが、二人で食べるには十分の量と味だった。
きれいに平らげた後、ワイングラスを片手にリビングのソファに向かったノアは、同じようにグラスを手にリビングにやってくるテッドに頼んで庭に出る掃き出し窓のブライドと窓のそれを閉めさせる。
「何か見るのか?」
「うん。今朝編集が終わったから試写会」
ノアの期待と不安の入り混じった声にテッドがソファではなく床にクッションを置いてそこに座ろうとするが、ノアが己の横を叩いて合図を送ってきた為、そこに座り直し、ついでにノアの肩を抱いて引き寄せる。
肩に顎を乗せられて重いと笑いながら非難する恋人の手からリモコンを奪い取り、言われるままに操作すると、テレビに見慣れているはずなのに初めて見た時の感動を思い出させてくれる星空が映し出され、最近主流になりつつある撮影方法を使った事を説明してくれる。
テレビの中を、二人で初めて一緒に庭で寝転がって見上げた時にテッドが教えた南十字星や天の川がゆっくりと流れ、その雄大な自然の下にぽつりぽつりと明かりが明滅する。
「キレイだな」
「キレイ?」
「ああ――今回は色がきれいだ」
「サンクス。明日クライアントに見せるから、こちらを見せることにする」
クライアントが喜んでくれるといいなと笑いながらリモコンを操作し、最も見てほしいと思っている写真をスライドさせると、ノアの腰に回されていた腕に力がこもる。
「……この写真、パネルにしないか?」
「気に入った?」
「ああ……仕事終わりのブックレットの表紙にしてリオン達に送ればどうだ?」
遠く離れたドイツでパートナーと仲良く暮らしているだろうお前の兄に送ってやればどうだと提案されて少し考えこんだノアだったが、それも良いなと頷き、振り返ってテッドの浅黒い肌に顔を寄せる。
「ベッドルームに飾りたい」
「うん、じゃあ明日パネルとか買ってくる」
だから今日はもう終わりだとリモコンを操作したノアは、己が最も気に入った作品を同じように気に入ってくれる恋人に振り返りながらキスをし、驚く顔にいたずらが成功した顔で笑いかける。
「今度テディの船に飾る用の写真を撮ろうかな」
「ああ、そうしてくれ」
船の上でもお前の存在を感じられるような写真が良いと笑うテッドにノアが上目遣いになるが、うん、考えておくと笑ってテッドの手からグラスを奪い取ってテーブルに置くと、ドラゴンと太陽が刻まれている胸板に全身を預けるように寄りかかる。
「……クライアントに褒められるのは嬉しいけど、テディに褒められたらもっと嬉しいな」
「……そうか」
さすがに羞恥から互いに顔を見合わせることなく呟いてしまうが、テッドの大きな手がノアの髪をそっと撫で、それが心地良くてつい目を閉じてしまう。
寝るのかという問いかけに返事をしたつもりのノアだったが、どうやらそれは口の中でだけ響いたもののようで、テッドが己の胸に凭れかかって再度寝息を立て始めたノアを覗き込むと、さっき以上の気持ちよさそうな顔で眠る顔を発見するのだった。
ノアの手からリモコンをそっと抜き取り、先程見せてもらった写真をスライド表示させたテッドは、ノアを起こさないように気を付けつつソファに寝そべり、小さく欠伸を零してテレビを見ているが、星々の写真はテッドにも眠れと言っているようなもので、その声と胸元から聞こえてくる寝息に釣られたようにテッドも目を閉じてしまうのだった。