Garden of Southern Cross.

第7話 A Waking Nightmare.
 真冬の夜半は寒さも暗さも厳しいが、それでも今日もいつもの時間に眠い目を擦りながら起き、己がリクエストをしたスパイスの効いた紅茶をポットに、腹にどっしりと溜まるボリュームのホットサンドをバスケットに用意し、首にはドイツで買ってきてくれた二人のお守りになっている小さな星をペンダントトップにしたそれを付け、行ってこいと恋人に送り出されたテッドだったが、本人が認識しない不調を身体か脳味噌が覚えているようで、漁港について仲間達とわいわい話す事も気怠さを感じるほどだった。  テッドの様子がおかしいことを同じ漁師仲間のエディが見抜いていたようで、出港する前にテッドの傍に駆け寄ると、少し荒れるかも知れないから気を付けろと忠告をされ、それをありがたく感じつつも薄い表情で礼を言ったテッドは、己の船に乗り込んで今日の漁場へと向かったのだ。  微細な不調を自覚しつつ漁を終えた頃、不意に強い眠気に襲われ、ノアが用意をしてくれたスパイシーな紅茶を飲むが、温かな飲み物を嚥下した熱が体内に広がるが睡魔は消えず、どうしたと頭を振りつつ海面へと目を向ける。  そして、そこにあり得ないものを発見し、辛うじて腰を抜かすのを堪えつつ今日の漁は終わりだと己に強く言い聞かせ、他の船よりは早い時間に漁港に引き上げてくると、同じようにエディも戻ってきている事を知り、恥も外聞も無い様子で漁師としての先輩でも恩師でもあるエディに事情を説明し、後のことを引き受けて貰ったのだ。  そして、漁港に停めておいたピックアップに乗り込んだテッドは、脳裏に浮かぶ恐怖をもたらす少女と親友の顔を掻き消すため、眠そうに目を瞬かせながらもキスで送り出してくれた恋人の顔を一分でも一秒でも早く見たい気持ちを抑え込み、岬の先端にある友人が神父をしている教会に向けてピックアップを走らせるのだった。  そんなテッドのピックアップを、やけに白い月が無表情に見下ろしていた。  いつもなら今から家に帰ると連絡が入るのに、己のスマホが着信もメッセージの受信もしないことに首を傾げたのは、ともに暮らす恋人が仕事に向かうのをいつものように見送り、最近はメインの仕事になりつつある天体写真の撮影をした後の仮眠から目覚めたノアだった。  何かの都合で遅くなるのなら遅くなると、口下手をフォローしているつもりなのか、それでも短い一言だけのメッセージが届くが、目を覚ましたノアの枕元にあったスマホは仮眠する前と何ら変わらない画面を見せていた。  ノア自身も定時のあるオフィスワーカーではないために予定していた時間で終わらないときなど当然のようにあった為、少し遅くなっているのかなと欠伸をしながらベッドから降り立ちドアノブに手を掛ける。  廊下に出て二度目の欠伸をしながらキッチンに向かうと、冷蔵庫を開けて水のボトルを出し冷蔵庫に寄りかかりながら水を飲む。  その時、聞き慣れたエンジン音が響き、直後に急ブレーキを行ったようにタイヤが軋む音が聞こえたあと、玄関のドアが壊れてしまうのではないかと思えるような乱暴さでドアが開く音がキッチンにまで響いてくる。  その物音から強盗にでも入られたのかと瞬時に判断したノアは、ボトルをシンクに投げ捨ててダイニングテーブルを回り込んでテレビボードの前に向かうと、いつか何かがあったときのためにここに身を守る術があることを覚えていてくれと教えられた拳銃の事を思い出す。  刑事として働いていた事もある兄で友人のリオンや、まだ帰ってこない恋人のテッドと違って拳銃を手にしたことは今まで一度もない己が護身用と教えられた拳銃を構えても発砲することが出来るのか。身を守るどころか更に危険にさらしてしまうのではないかとも瞬間的に考えるが、ベッドルームのドアを開閉する音が聞こえた後、荒々しい足音が響いて開け放っていたリビングへのドアから人影が見える。 「────っ‼」  大きな人影がぬっとドアから姿を見せた時、ノアの手はテレビボードの一番上の引き出しに添えられていて、本当に人を撃たなければならないのかという恐怖と、どうしてテッドが今ここにいないんだという不安が胸にせり上がってくる。 「……ノア?」  人影が発した声に拳銃を取り出さずに両手で頭を覆い隠してその場にしゃがみ込んでしまったノアだったが、直後に訪れてもおかしくない痛みや暴言等が降り注いでこない事に恐る恐る顔を上げ、そこに無表情で立ち尽くす恋人を発見して顔に安堵の色を広げて大きく息を吐く。 「な、んだ、テディかぁ……」  驚いたと胸を撫で下ろした顔で床に座り込んだノアだったが、無言のままテッドが近づいてきたことに気付き、様子がいつもと違う事にも気付いて顔を強張らせる。 「テディ……?」  その呼びかけに返事はなく、次にノアが気付いたときには体中が痛みを訴えてしまうほどの強さで抱きしめられていた。 「テディ……苦し、い……」  力を緩めてくれと、かろうじて動かす事の出来た指先で太腿を突いて合図を送るが、抱きしめる腕の力は緩まなかった。 「ノア……っ」 「ん、ここ、にいる……っ、から」  だから力を緩めてくれともう一度苦しい息の下で懇願すると漸く僅かに力が緩むが、己の背中を抱きしめる腕が微かに震えている事に気付き、その腕の中で何とか身動いで表情を無くしたような恋人の顔を見上げる。 「テディ、どうした? 何かあったのか……?」  連絡も無く帰ってきたかと思ったら様子がおかしい、何かがあったとしか思えないと問いかけつつテッドの背中に漸く腕を回せたノアだったが、そのまま肩に担がれるように抱き上げられ、不意打ちのそれに慌ててテッドの頭にしがみつく。 「わっ……! ちょ、急に何を……!」  するとの言葉は最後まで発することが出来ず、開け放たれていたドアから同じく開いたままのベッドルームのドアを潜ると、いつもなら考えられない乱暴さでベッドに投げ出されてしまう。 「‼」  投げ出されて咄嗟に手をついて身体を支えたノアだったが、覆い被さってくるように膝を突いてじっと見下ろしてくる深い海の色に似た双眸に思わず息を呑み怯えたように見上げてしまう。 「テディ……どうした……?」  本当に何があった、教えてくれと嫌な汗を背筋に流しながら問いかけたノアだったが、無表情に見下ろされながらも安心してしまう手に頬を撫でられ顎を捕まれて恋人の顔を真正面から見つめると、首筋に噛みつくように顔を寄せられてびくりと首を竦めてしまう。 「テディ……‼」  突然のそれに恐怖を感じつつも、己の好きな人が恐怖を覚えるような行為をすることはない、何かあるのならば必ず話してくれるはずだとの思いから身体を震わせながらもテッドの背中に腕を回し、そのまま背中がベッドに押しつけられるのをきつく目を閉じながら感じるのだった。 「……ン……ッ……」  ベッドが激しく軋む音と濡れた音と荒い息づかいの合間に苦痛を覚えているような声が混ざり、部屋の中に霧散する。  いつもとは違って苦痛を覚えざるを得ない姿勢になるノアを気遣う事も出来ないのか、己とは違う白くて細身の腰を痣が浮かびそうな強さで掴んで引き寄せ、腰をぶつけて白い背中を撓ませる。  快感よりは苦痛を覚えている顔を見たくないと思える理性はまだ残っているようで、ずるりと抜け出した後に肩で息をするノアの身体を反転させると、腰を掴んで引き上げる。 「……ッ、……ァ……っ」  抵抗することも出来ずにただされるがままに腰を持ち上げられて自然と膝と肘で身体を支えたノアだったが、再びゆっくりと進入してくる熱を堪えるように唇を噛んで腕の間に頭を垂らす。  今のようにノアが恐怖を覚えるような抱かれ方をいつかもされたことがあると、突き上げられて思考回路が正常に働かないような快感の中でぼんやりと思い出した時、一人の少女の名前が不意に思い浮かぶ。 「……ミ……リー……?」  その名前を掠れた声で口にしたノアだったが、動きが止まった安堵に胸を喘がせた直後、腕を引かれて上体を背後に引き寄せられて強制的に膝立ちにさせられてしまい、苦痛の声を上げようと開いた口を大きな掌で覆われてしまう。  テッドの掌の中にくぐもった声を零し、ぶつけられる腰の強さに身体を震わせるが、顔と腰を掴んだ手はノアの抵抗などものともしない強さで押さえ込み、快感よりも苦痛に眉を寄せる。  今思い浮かべた名前を口にした途端にその口を塞がれた事から様子がおかしくなった理由がテッドの過去に繋がる何かだと察したノアは、恐怖と苦痛と快感の下でこんな方法ではなく言葉で教えてくれと強く願いつつも、全体重を膝で受け止める苦しさに手を突いて身体を支えようとするが、口を覆っていた手がなくなり自由に息を吸えるようになった安堵に再度胸を喘がせる。 「……テディ……っ!」  肩で息を整えるノアが名を呼んで肩に口付けられたような濡れた感触を覚えた時、ぐいと両手で腰を捕まれて引き上げられ、目を見張ったと同時に中に入っていたものが更に奥へと突き進み、ノアの口から抑えることの出来なかった悲鳴が流れ出す。 「ァアアァ……ッ!」  腕で身体を支えることが出来ずにシーツに突っ伏すノアの様子にも気配りも出来ないのか、テッドがさっきよりも強く激しく腰を押しつけた為、ノアが力なく開け放った口から悲鳴じみた声を流す。  その声にテッドの動きが更に激しくなり、ただシーツを握りしめてされるがままのノアだったが、快感以外の何かを堪えるように唇を噛みしめてシーツに顔を押しつけ、この狂気のような時間が一刻も早く過ぎ去れと強く願うのだった。  さっきまでのベッドの軋み音や濡れた音などが嘘のように静まりかえったベッドルームのドアをそっと開けたのは、まるで憑き物が落ちたかのような顔に困惑と後悔とを浮かべたテッドだった。  テッドの手には湯気が少し上るタオルと水のボトルがあり、ベッドの隅で掛け布団を被って丸まっているノアの横に腰を下ろしてそっと名を呼ぶ。 「ノア、水とタオルを持って来た」  だから顔を見せてくれと、肩と思しき場所をそっと揺さ振ったテッドだったが、掛け布団の下から青い目が姿を見せるのを息を殺して待ってしまう。  永遠にも感じる時間の後、掛け布団がそっとはね除けられ、身体を丸めたノアがじろりとテッドを睨み付ける。 「……悪かった」 「……痛かった‼」  テッドが心から悪いと思っていることを教えるように軽く頭を下げた後、ノアがシーツを握りしめながら痛かったと叫ぶ。 「ああ」 「怖かった!」 「そうだな……怖い思いをさせた」  痛さの次に常に感じていた恐怖を涙目で訴えたノアは、真摯に己の行動を反省する顔のテッドを更に睨んだ後、身体を拭きたい、触っても良いかと問われ、己の丸めた身体を見下ろし、体中に汗やら何やらがこびりついたままであることに気付いていつもより小さく感じるテッドの身体にぶつかるように寝返りを打つ。 「────許す」 「ああ」  いつになくぞんざいな態度で身体を拭く許可を与えて手を突き出したノアは、己の手をさっきとは真逆の優しさで掴んで温かなタオルで拭き始めるテッドをじっと見つめ、ぽつりと口を開く。 「……苦しかった」 「……ああ。悪かった」  お前が苦痛を感じるような抱き方をまたしてしまった、許してくれとタオルの温かさと同じ温もりの声で謝罪をされたノアは、そうじゃないと返すと、身体を拭いていた手が止まる。 「お前が、口下手だって知ってる……でも、それでも、俺には話をしてくれる、そう、思ってた……!」  なのに、何を聞いても答えてくれないどころか、俺が考えた不調の理由を口にした途端に口封じをするように手で覆われた、それが苦しかったとも告げると、テッドがさっきと同じ言葉を口にしようとしたため、力を振り絞ったノアが起き上がり、恋人の胸で今は陰を帯びたような太陽を握りしめた拳で一つ殴りつける。 「教えてくれない、教えるほども信頼されてないのかって……」  だからこんな乱暴な抱き方をするのかと思ったら情けなくて泣きそうになったと、快感以外に堪えていたものを教えるように口にすると、テッドの手がタオルをベッド下に投げ捨ててノアの背中に回される。 「……信頼していない訳じゃない」  思っていることを上手く言えなかっただけだと言い訳にもとれる言葉を伝えると、ノアが同じようにテッドの背中に腕を回すが、その手で今度は背中を殴る。 「……っ!」 「誰も上手く言えなんて言ってない……! その時に思ったことを、教えて欲しかっただ、け……っ!」  ウーヴェのように言葉を上手く操り、心の中に入り込むような声で本音を教えてくれと言っている訳ではない、不器用でも拙くてもお前自身の言葉で教えて欲しかっただけだとテッドの胸のドラゴンに言い聞かせるように叫ぶと、ノアの痣だらけの背中を労るようにそっと腕に力が込められる。 「テディのバカ!」 「……ああ」 「大馬鹿‼」 「そうだな……悪かった」  肩に顔を押しつけながらそれでもノアらしい優しさの籠もった声でテッドを罵るノアをただ抱きしめ、悪かった、お前を傷付けたとただ真っ直ぐに謝罪を繰り返されて漸く気分が落ち着いたのか、不意に力を抜いたノアがテッドに寄りかかり、しっかりとそれを支えてくれる事に安堵の息を吐く。 「……下半身が痛い」 「……タオルで温めるか?」  ノアの言葉にテッドが申し訳なさそうな声でタオルを使うかと問いかけるが、そんなものはいらないからハグしろと命じられてしまい、ノアが求めている姿勢を取らせるように抱きしめると、どうやら一度で正解にたどり着けたようで、ノアの口から安堵の息が再度吐き出される。 「……何があった?」  テッドの胸に頭を預け、膝の上にまるで小さな子供のように座り込んだノアが小さな声で問いかけるとテッドの身体が揺れるが、漁をしているときに眠気が強く夢を見た気がし、 海を見たときにミリーの姿が見えたと教えられ、ノアがテッドの顔をチラリと見上げる。  幻覚を見ている自覚があったため、己の過去を良く知る友人で教会の神父でもあるアンドルーに会いに行って落ち着いたから帰ってきたと教えられてノアが後ろに手を伸ばし、指先に触れた髪を撫でてその頭を抱き寄せ、その手に分厚い手が重ねられたことに目を細める。 「そっか」  それで帰宅したときのあの様子かとノアが漸く納得した顔で頷くと、テッドが握っていたノアの手に口付けつつ悪かったと詫びる。 「うん……怖かった」  ただ怖かったのはお前の顔や態度ではなく、もしかするとあの拳銃を使うことになるのかと考えた事だと伝えると、テッドが今度はノアの額に労うようにキスをする。 「お前は使わなくて良い」 「うん。でも……万が一って思った」 「そうか……怖い思いをさせてしまったな、ノア」  ノアを抱きしめたままベッドに横臥し自然と向かい合った後、どちらからともなく小さな笑みを浮かべる。 「ノア、許してくれるか?」 「……欲しいものを買ってくれたら、許す」  己の行動を、恐怖を覚えさせるような抱き方をしたことを許してくれるかと、漸くいつものテッドに戻った顔でノアに許しを請うと、プレゼントをくれればとノアがいたずらっ子の顔で笑う。  その顔が兄そっくりなことをテッドが実感しつつ何が欲しいんだと、ほんの僅かの嫌な予感を覚えながら問い返すと、にやりと笑ったノアがテッドの胸に顔を寄せる。 「車」 「……車、か」 「そう。────車があれば、もしお前が辛くなって動けなくなっても迎えに行ける」  それに、最近増えてきた天体写真の撮影は夜間に撮影することが多い、それを思えば自由に動ける車が欲しいと笑うと、激しく悩みに悩んだらしいテッドが何かを決意したように頷き、さっきまでとは全く違う優しい手つきでノアの頬を撫でて顎を掴んで視線を重ねさせると、良さそうな車を探しに行こうと目を細める。 「うん。お前も一緒に乗れる車を探そう」  ピックアップは今の車があるから大丈夫だ、だからコンパクトな車を探そうとノアが目を閉じると、何を望んでいるのかを素早く読み取ったテッドが薄く開く唇にキスをする。 「……やっとだ」 「ん?」 「帰ってきてやっとキスした」  いつもならば帰ってきた安堵と仕事の労いをするようにハグをしてキスをするが、今日はそれもなかったと笑われ、何度目になるのか最早数えることもしなくなった謝罪をしたテッドは、ノアの背中を一つ撫でた後、掛け布団を引っ張り上げてノアの頭の下に腕を差し入れる。 「少し寝るか?」 「……うん、寝る」  目を覚ませば身体の痛みも怠さも消えているだろう、だからそれまでこうしているようにと、許しを与える条件をさらりともう一項目追加したノアは、テッドのキスを額に受けてくすぐったそうに首を竦めると小さく欠伸をして目を閉じる。 「お休み、ノア」 「……うん。テディも、お休み」  一緒に眠ってしまえばきっと船の上で見たものが単なる幻だと分かるだろうと、同じようにテッドの腰に腕を回したノアは、そうだなと同意の声を聞いた後、意識を手放すように眠りに落ちるのだった。  穏やかな寝息を立てるノアを愛おしそうに抱きしめたテッドは、車かと小さく呟いた後、友人知人のネットワークを活用してノアが望んでいる車を探そうと腹を括り、少し遅れて眠りに落ちるのだった。  その後、テッドがノアから聞き出した条件にピタリと当てはまる車が見つかり、貯金の大半を叩いてその車をノアにプレゼントしたテッドだったが、受け取ったノアはその車を何年経っても手入れをして乗り、車を必要としなくなるその時まで大切に乗り続けるのだった。  
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