Garden of Southern Cross.

第5話 First Step.
 真夏とは違って少し弱く感じられる太陽が傾き始めた昼過ぎ、1台の古いピックアップが海と山に挟まれた道をゆっくりと走っていた。  そのピックアップの運転席で煙草の煙を少し開けた窓から流しているのは、今日の漁も無事に終えて帰路についていたテッド・ハリスだった。  ピックアップの荷台には小さなクーラーバッグが積んであり、その中には売り物にはならないが家で食べるには十分な大きさと量の魚が入っていて、それは少し前に何か適当に持って帰ってきてくれとメッセージを送ってきた恋人、ノアからの希望だった。  恋人の希望はなるべく叶えたいという甘い思いから所謂雑魚をクーラーバッグに詰めて荷台に載せ、この魚でどんな料理を作ってくれるのかを楽しみにしつつステアリングを握っていたテッドは自宅前に到着しエンジンを止めて車から降り立つと、恋人が自宅にいるときには必ず行う行為である、玄関のドアを開けて両手を広げて出迎えてくれる。 「……お疲れ、テディ」 「ああ」  玄関先でしがみつくように腕を回すノアの背中を片手で抱きしめたテッドは、いつも通りの出迎えに自然と顔を綻ばせるが、少し下にある顔に何かを告白したい事を堪えているような雰囲気を読み取り、何かあったのかと問うと、結ばれた唇がじわじわと横に広がり、次いで口の端が上を向いていく。  その様子からテッドが感じ取ったのは何か嬉しい出来事があったという予想で、何かいいことがあったのかと問いかけると、年の割には幼く見られる顔に更に幼さを感じさせる満面の笑みが浮かび、頑張ったから褒めてくれと子供が自慢する顔でテッドの腕をつかんでリビングへと引っ張っていく。 「ノア?」 「前に参加したコンクールの結果が出たんだ」  それは、ジャンル的にはまだまだ初心者である星空をテーマにしたコンクールで、ニュージーランドだけではなく世界中で名の通った企業やマスメディアが主催者として名を連ねていて、コンクールとしてはまだまだ知名度は低いが名誉的なものよりも大きな仕事に繋がるようなコンクールだと判断したノアが作品を送っていたのだ。  ノアが不安と期待を込めて送った作品は、自宅の裏庭にカメラを据え、今までとは少し違う気持ちで撮影に挑んだ写真で、二人が庭で食事をするときに使うベンチテーブルに、メッキが剥げて見るものの心に懐古感を与えるランタンの明かりと、それを遥か上空から南十字星が見下ろす構図だった。  ランタンの人工物が年を経た姿と、人の営みなどほんの一瞬の出来事にしか過ぎない時の中で常に光り輝いている南十字星を同時に写すことでノアの中の言葉にできない思いを表現しているようだった。  その写真が賞を取ったとついさっきこの国ではまだ数少ない、ジャンルは違うが同じくフォトグラファーとして活躍している友人から連絡があったと、口の端を持ち上げ頬を紅潮させながら語るノアの言葉を少し呆然と聞いていたテッドだったが、告げられた言葉の意味を何度か瞬きをして理解し、一緒に喜んでくれと顔中で語るノアの顔をまじまじと見つめた後、ノアの腰に両手を回したかと思うと勢いを付けて抱きあげる。 「わっ!」  急に抱き上げられて咄嗟にテッドの肩にしがみつくように腕を回したノアは、いつもとは違って見下ろした顔に予想以上の歓喜が滲んでいることに気付き、己の胸の中のそれも増幅させてしまう。 「良く頑張ったな、ノア」  その言葉はノアが今まで生きてきて耳にした同じ言葉の中でも静かに深く胸の内に流れ込んでは溶け込み、意識することのない血流に乗って全身へと巡っていくようで、無意識に覚えた痺れる様な感覚に小さく唇を噛みながら、褐色の厳ついが愛嬌のある顔を見下ろす。 「……頑張ったよな?」 「ああ」  お前がこれと決めて挑戦したコンクールで賞を取った事は頑張った証でもあるし、これからも同じ道で頑張っていくその第一歩になると、いつもと全く変わらないがノアにとってはこれ以上ないほど背中を押してくれる落ち着いた声が頑張りを認めるだけではなく、この先何があってもきっとやっていけるという自信の種を植え付けてくれる。  その時、ふと遠く離れた第二の故郷であるドイツ南部の大都市で暮らす、実の兄であり友人でもあるリオンと、その彼の永遠の伴侶であるウーヴェの不思議と心の中に入り込んでくる声も同じ言葉を伝えてくれた気がし、テッドの額に額をこつんとぶつける。 「リオンとウーヴェも誉めてくれるかな?」  同じ空の下ではないがそれでも繋がっている、季節も時間も何もかも違う国でも己が生きている証を残そうと努力を続ける事を誉めてくれるだろうかと小さく問いかけたノアは、さっきとは違ってすぐに返事がないことに疑問を覚えて顔を上げると、そこには自慢と不満を器用に混ぜ込んだ表情の恋人の顔があった。 「テディ?」 「……二人より先に俺が誉めてやる」 「───!!」  深い海の色に似た双眸に真っ直ぐに見つめられてその眼光の強さに息を呑んだノアだったが、床にそっと降ろされたかと思うと、両頬を大きな分厚い掌で挟まれ、鼻の頭同士を触れ合わせるように顔を寄せられて鼓動を速めてしまう。 「テディ……っ!」 「───本当に良く頑張ったな、ノア」  これは最終目的地ではなく最初の一歩を踏み出したばかりだが、お前ならこの次も足を踏み出せる、やっていけると誉めるだけではなく、ノアの中にひっそりと、だが確実に存在している力を引き出すような力強い声に喉を詰まらせたような声を上げてしまったノアだったが、何かを堪えるように腿の横で拳を握ったあと、その手を広くて逞しい背中にそっと回す。 「テディ、お願いがある」 「何だ?」  全力で臨んだコンクールで結果を残せたお前の願いなら何でも叶えようと、それが例え突拍子もないことであっても受け止めると笑ったテッドの耳に流れ込んできたのは、誉めると伸びるからもっと褒めてくれという言葉で、軽く驚きつつ恋人の顔を見つめると、そこには自信と自慢とそれ以上の感情から赤く染まった顔があり、もう一度ノアを抱き上げるとはにかんだような笑みを浮かべる頬に祝福のキスをする。 「授賞式はいつだ?」 「来週の金曜日」 「そうか」  では授賞式が終わってからボブやミアを呼んで食事会をしようと笑うと、ノアの顔にまた違う嬉しそうな笑みが浮かぶ。 「良いな、それ」 「ああ」  でも今はと、ノアと同じく笑みの質を変えたテッドが目を丸くする恋人を見上げて前祝だと笑うと、それから不吉な何かを感じ取ったらしいノアが下ろせと一声叫ぶ。 「暴れると落としてしまうぞ」 「落としてくれて良いっ! 何をするつもりなんだ!?」  今のお前の顔からは嫌な予感しかしないぞとテッドの腕の中でじたばたと暴れるノアだったが、リビングのドアを苦も無く開け放ったテッドが向かう先に気付くと同時に再度下ろせと叫ぶ。 「ダメだ」 「こ、の……エロおやじ!!」  己をまるで荷物よろしく肩に担ぎなおしたテッドの広い背中を掌で叩きながら何を考えているんだ、それの何が前祝だと顔を赤くして叫んだノアの腰を同じく掌で叩いたテッドは、嬉しそうな恋人の顔を見ていると嬉しくなるだろう、それにそんな顔をされると興奮すると男の本能を隠さないでさらりと告白するとノアが言葉を失ってしまう。 「……今日持って帰ってきてくれた魚で美味い晩飯を食わせてくれるか?」 「ああ、そうだな、取っておきの白ワインを開けても良いな」 「あ、アクアパッツァが食いたい!」 「作り方を教えてくれ」  テッドの肩に担がれながらさっきまでの喧騒をどこか遠くへと追いやったノアが、テッドに頼んで持って帰ってきてもらった魚を使った料理を食べたいと浮かれた調子で伝えると、作り方を教えてくれと返されて頷くが、次の瞬間に背中からベッドの掛布団の上に落下したことに気付き、さっきは大騒ぎをしたが実は同じ気持ちだったことを伝えるように両手を恋人に向けて広げて逞しい体を受け止めると、二人分の重さにベッドを軋ませるのだった。  ノアが参加したコンクールの授賞式がウェリントンで行われ、ウェリントンという二人にとっては喜怒哀楽のすべての感情をさらけ出した場所に一人でノアを行かせる不安からテッドも同行する。  授賞式をホールの外に設置されているモニターで見学していたテッドは、己の背後や左右の壁に今回のコンクールで優秀な成績を収めた人たちの作品が飾られていることに気付き、ホールの入口すぐ横の一番目立つ場所に大きく引き伸ばされた写真の前に向かうまでは足を止めることをせずに名前すら知らない人々の写真を見ていくが、最も目立つ写真の被写体が、毎日見ている自宅の裏庭とそこに置いた二人のお気に入りのベンチテーブルという事実に不思議な感覚を覚えてしまう。  ペンキも剥がれて彼方此方が痛んでいるベンチテーブルと、同じくメッキが剥がれて地金が顔を覗かせるランタンだったが、ノアというフィルターを通すだけでまるで別物のように感じ、現物を見れば幻滅してしまうのではないかと余計な心配をしてしまう。  だが、その写真に収められている空気も含めた景色はノアがその目を通しその肌で感じたものを表しているはずで、己と同じ場所にいながら全く違う景色を見ている恋人にただただ感心してしまう。  そんなテッドの横にギャラリーとして訪れているのか、若い男女のカップルがノアの写真の前で足を止めて好意的な感想を口にするのを聞き、内心自慢してしまうのだった。  その後、ノアが受賞した事を遠く離れたドイツに暮らすリオンとウーヴェが知ったようで、お祝いのメッセージと花束とワインが自宅に届けられ、同じくノアの受賞を喜んでくれているボブとミアらと一緒にテッドが持ち帰った魚をノアが料理をし、被写体になった庭のベンチテーブルでワイワイと賑やかな時を過ごすのだった。  
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  二人より先に俺が褒めてやる。
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