海を渡る船や旅人たちから、そこに存在する安堵を覚えられる小さな教会が岬の中程にあり、地元の人たちや漁業関係者から漁や旅の安全を祈られて大事にされていた。
漁師の保護者である聖アンドルーが見守るその小さな教会だが、世界中のキリスト教徒にとってとても重要なクリスマスを翌日に控えたイブの夜、この小さいが地域の人たちから愛されている教会でもミサの準備などが、信者らの手によって行われていた。
そんな人々の助けを借りて行われているミサだったが、滞りなく行われ、ミサの後のパーティもささやかな規模ながら行われていた。
そして、生誕の日を静かに迎えるのを待っていた夜遅く、窓の外を見ていた神父が車のエンジン音が近づいた後、静かになった事に気づいて壁の時計を見る。
「……今年も、来たな」
神父の独り言は長年この夜に訪れる古い友人を心待ちにしている人のもののようにも感じ、自らの呟きに微苦笑して部屋を出るのだった。
明かりが最低限に落とされている聖堂に神父が入ると、横一列に並んだ長椅子の最前列、教会の規模に相応しい小さな祭壇と真正面のステンドグラスが良く見える席に二人の人影を発見し、おやと眼を丸くする。
毎年この夜にやってくる古い友人は、いつも一人だった。
去年と一昨年は教会に行けなくなったとの連絡だけをボランティアの信者を通じてくれたが、三年ぶりにやってきた今年は一人ではないようだった。
友人の親族か誰かだろうかと思案しつつ赤い絨毯の上を静かに歩くと、神父の足音に気付いたらしい人影が振り返り、小さな声でこんばんはと挨拶をしてくる。
その声は神父が想像していた少女や女性のものではなく、立派な成人男性のものだった事に軽く驚き、こんばんはとその驚きを隠して挨拶を返すと、その隣の大柄な影が振り返る。
「……この二年来られなかった」
「そうだな。三年ぶりに来たと思ったら一人じゃなかったから少し驚いた」
クリスマスイブの夜にしかやって来ないお前が二年間音信不通になったかと思ったら今年は連れがいたのかと、神父と信者というより距離が近い口調で笑う神父にベンチから二人が立ち上がり、祭壇の前の手摺を撫でながら大柄な男、テッドが軽く眼を伏せる。
「……今年はもう落ち着いたからな」
「……そうか、お前の中で落とし所を見つけられたのか?」
「ああ……彼が手を貸してくれた」
テッドの言葉に神父の顔がその隣で穏やかに笑みを浮かべるノアへと向けられ、初めて当教会に来られた方ですねと掌を向けると、ノアもはいと頷く。
「三年前にこちらに引っ越してきました────不敬虔な信者で申し訳ありません」
三年もここで生活をしていれば教会がある事に気付いていたが、なかなか一歩を踏み出せなかったと眼を伏せた後、今日連れて来てもらいましたと、隣に立つテッドの腕を撫でる。
その仕草から何かを読み取った神父の目が驚きに見開かれ、しばらく三人の呼吸する音しか聞こえなくなるが、安堵にも似たため息が神父の口から流れ出し、二人が顔を見合わせて同時に神父の顔を見る。
「……お前に、いつか誰かがとは思っていたが、この人なのか?」
「……ああ」
「そうか……ボブもミアも安心するだろうな」
神父のその言葉からこの二人の関係が今の立場よりも古くからあるのではと察したノアだったが、特にその先を探ることもせずに頷き、テッドが祈りたいと言っているので構わないかと問いかけ、にこりと笑みを浮かべた神父に頷かれて胸を撫で下ろす。
「もちろんです。……テッド、いつものように帰る前に声をかけてくれ」
「ああ────サンクス、ドリュー」
親しい間柄でなければ呼ばないだろう愛称で呼ばれても気にすることなく頷き、では私はあちらにいますからと二人きりにさせてくれる神父に二人で頷いた後、出ていく背中を見送る。
「……テディ、彼は友人?」
「ああ……同じ部隊にいた」
「そうか」
ならお前が抱えている悩みも知っていたんだなと安堵に胸を撫で下ろしたノアは、先ほど腰を下ろしていたベンチに再度腰を下ろし、その隣に同じように座るテッドの腿に手を乗せると、深い海の色に似た瞳が己へと向けられた事に気付いて唇の両端を持ち上げる。
「……ひとりじゃないって分かって良かった」
この三年、お前のことを少しずつ知り、また自分のことを知ってもらった時間だったが、一人ではなかったことを知れて良かったと、テッドの肩にノアが軽く頭を預けると、太くて逞しい誰よりも頼りになる腕が肩を抱き、自然と安堵の息を零す。
「……ミリーやアンシェラ、マークの為に祈ろう」
昨年のクリスマスは彼らの事でどちらも精神的に大変だったし、ドイツから来てくれた友人達を持て成すのも中途半端だったが、今年は彼らのために静かに祈ることができると笑うと、肩を抱く腕に力が込められる。
「去年の事は、きっと自分達にとって必要な試練だったんだ」
だからそれを乗り越えた今、こうして二人一緒にいられると笑ったノアの髪を大きな手が優しく撫で、言葉では感情を素直に表すことが苦手な男の本心をそこから感じ取る。
「────祈ろう」
自分自身や愛する人を救うことすら出来ない小さな自分達だが、祈ることで何かが変わることを信じてと、テッドの腰に腕を回して身を寄せたノアの言葉に隣から小さな声でありがとうと返ってくる。
その小さな声に一つ頷き、二人で目の前の祭壇に顔を向け、心の中で静かに祈り続けるのだった。
テッドが満足するまで祈った後、二人揃って聖堂を出ると、隣の小さな家の窓から明かりが漏れていて、その窓の前に神父が立っている事に気づく。
「ドリューに挨拶をしてくる」
「じゃあ車に先に戻ってる」
キーを受け取って一足先にピックアップに戻ったノアを見送り、窓をノックして開けさせたテッドは、神父の立場ではなく同じ部隊で死線をくぐり抜けた仲間として今のテッドの関係を認めてくれた友人に礼を言う。
「……良さそうな人じゃないか」
俺自身は同性に対して恋愛感情は持たないが、お前がそうである事に対しては両手を挙げて歓迎すると笑う友人に眼を伏せたテッドだったが、なかなか己の意志を曲げない頑固なところもあるが、あいつのおかげでアンシェラやマークと向き合えるようになったと小さな笑みを浮かべると、神父であり元仲間でもあるアンドルーの目が限界まで見開かれるが、ついで心の底から安心したような笑みが浮かぶ。
「そうか……!」
「ああ……ノアに力を借りる」
「ノア?」
あの事件の後、一人道を無くして彷徨っているようなお前に神が遣わした人のようだなと、ノアという名前から連想した何かから顔を輝かせると、テッドの頷く前で短く祈りを捧げる。
その祈りに面映そうに笑みを浮かべたテッドだったが、ノアを待たせているから帰る、また来年くると告げ、ああ、また来年と、一年に一度の再会を約束してテッドが踵を返す。
その広い背中を見送った神父の口から自然と吐息が溢れ、友人にとってはある意味最良のパートナーが出来た事にもう一度神に祈ると聖堂の明かりを消して部屋に戻り、明日のミサの準備が整っていることを再確認してベッドに入るのだった。
誰の上にも静かな聖なる夜が訪れるようにか、教会の先にある海も穏やかだった。