徐々に寒さが厳しくなり、太陽が昇る時間も遅くなり始めた11月のはじめ、ドイツ南部の大きな田舎とも称される街で暮らしているノア・クルーガーは、生活の基盤を己の運命が暮らす街へと完全に移すために仕事以外の理由から忙しい時間を過ごしていた。
半年近く前に友人のコーディネーターから紹介されて遠く離れたニュージーランドで仕事をしたのだが、その時、ノアの運命を大きく変える出会いを果たした。
大自然を相手にするフォトグラファーとして主にヨーロッパを中心に仕事をしていたノアだったが、縁もゆかりもなかった南半球のニュージーランドで運命の出会いをし、その結果、第二の故郷と思っているこの街から人生で二度目の国を越える引っ越しをすることになったのだ。
一度目の引っ越しの理由は、引っ越しをする前の夏、この街で行われている映画祭に招待された元女優である母が旧知の男に狙撃されるという事件に巻き込まれ、その関係者として、両親も完全に忘れ去っていた自分たちの第一子-ノアにとっては実の兄-であるリオンと出会ったからだった。
本来であればヴィルヘルム・クルーガーとハイデマリー・クルーガーの子供として何不自由なく育ち、その中で得た夢に向かって生きて行けたはずの兄、リオンだったが、その彼を妊娠中に母がある事件に巻き込まれた結果、父がただそばで見守るしかできないほど情緒不安定になった後、一人で誰の手も借りずに当時住んでいた家でリオンを生み、そんな悪魔など見たくもない、捨ててきてくれと常軌を逸した様子で叫び、粉雪が降る夜、へその緒が付いたままのリオンを父は教会の聖堂に捨てたのだ。
そしてその後、二人はリオンを忘れるようにこの街を離れ、本当にその存在を忘れながら暮らしていたのだ。
その事実を知ったノアの衝撃は大きく、その翌日からノアの世界は一変してしまったのだ。
今まで己が無条件で得ていた愛情、それはリオンに向けられるべきものだったのではないか。
仲の良い、自分を愛しているために少しだけ過保護に感じる両親の言動は、リオンが受けるべきものだったのではないのか。
何も知らないで当たり前のように広がっていた世界は、本来ならばそれを受け取る人がいたはずで、己はそこにいてはいけない人間だったのではないのか。
そんな、己の存在すら否定しかねない事実を知り、世界の色を喪ってしまったノアは、以前のように両親と顔を見ることも話をすることも出来なくなり、逃げるようにこの街へとやってきたのだ。
尊敬していた両親が罪を犯しながらも償うことなく記憶から消し去って逃げていた事実は、二人からの愛を一身に受けていた己がただ疎ましく愚かなものにも感じさせるものだった。
そんな、自己を破壊してしまいそうな危うさの中、この街で暮らすようになったノアだったが、そんな彼を何くれとなく面倒を見、物心両面で支えてくれたのは、他でもない兄のリオンとそんなリオンの最大の理解者であり永遠のパートナーであるウーヴェだった。
ノアの知る常識的な考えからすれば、己を捨てた両親とその彼らに大切に育てられたノアに対しリオンが抱く感情は憎悪や嫉妬しかないと思っていたのだが、そんなノアにリオンがいつもの笑みを浮かべつつも、お前を憎んでも捨てられた過去が変わるわけじゃない、お前のことは嫌いではない、だったら憎むのではなく仲良くしたいだろうと、少し照れ臭そうに言いながらノアの頭に手を載せて髪をくしゃくしゃにしたのだ。
どうしてそんなに簡単に許せるんだと、その時は理解できなかったノアだったが、ここまで来るには時間がかかったが、人を憎み続けて生きるのはいつまでもそれに囚われ続けることになる、そんな時間は惜しいと教えてくれた人がいると続けたリオンの視線の先には、メガネの下でターコイズ色の双眸を軽く伏せたウーヴェがいて、己の不幸の根源を、それを与えた人達を許せる心境に至ることができる、一緒にそちらへと向かってくれる人がいるというのは果てしなく人を強く優しくするのだと気付いたノアは、二人の関係が心底羨ましくもなったのだ。
そんな、強くて優しい二人に日常生活で手助けされ、贖罪をしなければならないはずのリオンに面倒を見られる事でノアの中の彼に対する申し訳なさが少しずつ溶けていったのだ。
だがそれは完全に溶け切ったわけではなく、心身の疲労を感じるといつでもノアの胸の中でリオンに対し罪悪感を忘れるなと囁きかけてくるのだ。
その囁きがノアの胸に疼痛を覚えさせ、それにもすっかり慣れてしまったノアだったが、ニュージーランドで出会った運命の相手は、そんなノアにお前が感じなければならない罪悪感じゃないと否定をし、リオンもそれを望まないはずだと教えてくれたのだ。
生まれ育ったウィーンからこの街へと引っ越してきた時、世界は無味無臭のようなものだったが、運命の相手であるテッドが待っているニュージーランドのダニーデンへと引っ越そうとしている今、世界は色を取り戻していた。
ニュージーランドから帰国したその日から胸元にぶら下がっているペンダントは、マオリの人達が大切にしているものを具現化したもので持ち主の幸運を祈るものらしかったが、それを着けて以来、ノアのもとには順調に仕事が入り、ノアもまた依頼主の期待に応えるような働きをしていたため、その人から別の人の仕事を紹介されるようになっていた。
本当にこのペンダントは幸運をもたらしてくれると、一日の終わりにはそれにキスをするようになったノアは、仕事の規模がヨーロッパを超え始め、メディアでも取り上げられる回数が増えてきて、ウィーンでよく遊んでいた友人達から仕事の成果を目にした、前より雰囲気が柔らかくなって良くなったと連絡が来るようにもなっていて、一つ一つ丁寧に仕事をした結果が表れ始めた実感を得ていた。
その結果、どこでもきっとやっていけると自信を得たノアは、今はまだスマホやモニター越しにしか顔を見ることが出来ない恋人と暮らすための準備が整いつつあると伝えたが、良く頑張ったと褒められ、その気持ちのままリオンとウーヴェに近々ダニーデンに引っ越しをすること、多分一時的なもの以外ではもうここには帰ってこない事を伝え、己の未来を手荒に祝福されたのだった。
その時の事を思い出しつつ、家財道具をニュージーランドに送ったり処分した為にがらんどうのようになっている倉庫を改装した作業場兼自宅を作業台に座りながら見回したノアは、視線の先にあるマットレスを見つめ、あと何回ここで寝れば自分は恋人が待つ国に向かえるのだろうかと苦笑し、膝を立てて顎を載せれば、自然と脳内に景色が蘇る。
町の中心部から車で海に向かって走っていくと、徐々に民家が減っていくが、目の前に広がるのは湾になっているために穏やかな水面を陽光に煌めかせる海で、その海にすぐに出られるように小さな桟橋があり、桟橋の大きさに似つかわしい小さめのボートが波に合わせてゆらりゆらりと上下している。
そのボートを繋いだ桟橋から陸地に向けて手作りの丸太を固定しただけの階段が伸び、階段の先には小さな扉が一つ。
その扉を開ければ、ごろりと寝転がれる芝生が一面に敷き詰められた庭があり、洗濯物を干す物干し台や庭で食事をするときに使うテーブルとベンチがあった。
そのベンチやテーブルも手作りで、座れば不思議と心地よく、日が沈んだ時にはオイルランプをテーブルに置けば、ジャンクフードでさえも極上の一品に思える空気を作り出してくれていた。
その空気の中にもうすぐ溶け込めるのだと改めて気づくと、胸がジワリと熱くなり、早くその時が来ないかと熱膨張したように胸を弾ませてしまう。
11月中には引っ越しができるはずだと分かっているが、早く来いと願いつつ作業台を撫でたノアの耳に着信音が流れ込み、スマホを手に取ったノアの顔に多幸感の塊のような笑みが浮かぶ。
文字を見ただけで幸せを感じられる、そんな相手はこの広い世界といえどもただ一人しかおらず、ハロウと顔のにやけを自覚しないままスピーカーで通話に応じたノアは、眠そうな声が聞こえてきたことに気付いて時計を確かめる。
時間も季節も違う国で漁師として暮らす恋人は、あちらの時間ではそろそろ起きだして仕事の準備に取り掛からなければならない頃だった。
漁に出る前には必ずメッセージをくれていたが、こうして電話をかけてきてくれる事もあり、おはようと穏やかな声で返すと、おはようとあくびを堪えたような不明瞭な声が聞こえてくるが、その向こうに一瞬驚いてしまうような轟音が響く。
「テッド?」
今の音は何だと目を丸くして問いかけたノアに、外は嵐で雨だけではなく雷まで鳴っていると答えたノアの恋人、テッド・ハリスの声に嵐とノアが返すが、その声にも雷鳴が重なり、随分酷い嵐だなと眉根を寄せる。
『ああ。だから今日は漁に出るのを辞めた』
いつものように起きたものの船を出すことは出来ない、だから二度寝をしようと思ったがそれもできないと苦笑交じりに教えられて胸を撫で下ろす。
恋人の仕事が板切れ一枚、底は地獄といわれるような過酷な状況下である事を知っている為、仕事に出かけると教えられる度、今日も無事に帰って来ますように、何事もなく日々の糧を得られますようにと、遠く離れたドイツから祈っていたのだ。
だが、さすがにこの嵐の中出ることは出来ないと教えられ、残念だけど仕方がないねと返したノアの耳に、二度寝をしたいからあの動画を見ても良いかとの許可を求める声が流れ込み、意味を理解したノアの顔が赤く染まる。
「あ、れは……っ!」
『ダメか?』
「だめじゃないけど……」
恥ずかしすぎると、テッドが口にした動画を撮影した時のことを思い出して更に顔を赤くしたノアは、生身のお前に会えるまでもう少し時間がかかる、一人で寝るのももう飽きたと続けられて無意識に唾を飲み込んでしまう。
『……ボブが新しい動画を送り付けてきた。それを見ても良いけどな』
「─────どんな動画?」
『……アジア系の女子高生のエロ動画』
「却下! 絶対に見るな!」
二度寝ができないからと言ってアダルト動画のお世話になるなと、赤い顔を少し白くしたノアが小さく叫ぶが、じゃああの動画を見てもいいかと再度許可を求められてしまえば頷くしかできなかった。
「……ぅ、ん」
ノアが顔を赤らめて躊躇う動画は、テッドがサプライズでこの街を訪れた際、一人寝の寂しさを少しでも忘れたいからとテッドが頼み、ノアが絆されて許し撮影したものだった。
それを見るときにはノアの許可を得てからと約束し、律儀なことにそれをしっかりと守っているテッドが今からそれを見てもいいかと問いかけ、結局いつものようにノアが顔を真っ赤にしつつも許可するのだ。
遠距離の恋人同士、物理的に会うことが不可能ならモニターを通して顔を見て声を聴くしかできないが、寂しい夜を埋め合わせる手段の一つとして、今はもう処分してしまって存在しないが、マットレスがある場所に置いてあったパイプベッドで抱き合いながら動画を撮影していたのだ。
それを見てもいいかと三度問われ、女子高生のアダルト動画を見られるよりはマシだと己を納得させたノアがうんと返すと、スマホの画面が切り替わって少し嬉しそうな恋人の顔が映し出される。
『……真っ赤になってるぞ、ノア』
「お前が悪いんだからな」
誰のせいで真っ赤になっていると思っているんだと頬を少し膨らませたノアに、小動物になっているとテッドが小さく笑う。
「……むー」
『……早く会いたいな』
今月中にはその膨らんだ頬にも触れることが出来るのにと、抑えきれない寂寥感を滲ませながらポツリと呟くテッドにノアが一瞬で頬袋を解消し、うんとテッドが惚れてやまない資質である素直さを出してくすんだ金髪を上下させる。
「うん。俺も会いたい」
『ああ。……荷物、届き始めたぞ』
「え、もう届いたのか? 早いな」
『ああ。お前が家に来た時に使っていた部屋に入れてある』
もし箱から出しておかなければならないものがあるのなら教えてくれと言われ、脳内で送ったものを思い浮かべながら大丈夫と頷いたノアは、カメラとひまわりの写真だけは自分で運ぶと伝え、その写真へと目を向ける。
あの日、友人のひまわり畑に立ち寄った後、持って帰れと手渡されたひまわり。
それを写真に収めたものをプリントし額にいれたものだったが、それだけは何故か自分で運びたいと思い、ニュージーランドに送る荷物に入れなかったのだ。
二人にとってというよりはノアにとって大切なものとなったひまわりの写真。それと同じようにテッドから告げられた言葉も形にして残しておきたいと最近強く思うようになり、それをテッドに伝えなければと気付いたノアは、スマホの画面の中大きな欠伸をするテッドに気付き、もう寝るかと問いかける。
『いや、まだ大丈夫だ』
「そっか。……テッド、相談がある」
『どうした?』
「うん……今度リオンの友人に頼んでタトゥーを入れようと思う」
写真をプリントしていつでも見えるようにしたひまわりと同じように、ある思いを己の体に刻みたいと伏し目がちに告げると、スマホの向こうであからさまに顔が曇る。
「ダメか……?」
『……どうしても入れたいのか?』
前に抱き合っていた時、自分もタトゥーを入れたいと言っていたことを思い出し、あの時の気紛れじゃなかったのかと溜息交じりに問いかけられて頷いたノアは、緊張気味に作業台の端をぎゅっと握りしめ、どうしても入れたい思いを真っ直ぐ口にすると、もう一度溜息が零れ落ちる。
『もったいないな』
「もったいない?」
『ああ。お前のきれいな肌にわざわざ傷をつけるのはもったいないな』
タトゥーに対しての偏見など一切ないが、お前の素肌は本当に綺麗なんだ、だからついもったいないと感じてしまうと苦笑され、己の体を気遣っての反対だと気付くと、うん、ありがとうと礼を言うが、でもどうしても入れたいんだと、上目遣いにテッドを見つめれば画面が暗くなり、小さな濡れた音が聞こえてくる。
それが意味するものをノアは理解しており、顔をくしゃくしゃにしてありがとうと告げると、もう一度濡れた音が聞こえてくる。
それに返すようにノアも画面に口付けてもう一度ありがとうと告げると、デザインは考えているのかとテッドが顔を見せながら問いかけ、うんと頷く。
「そっちに行くまでデザインとかは秘密」
『そうか……タトゥーを入れた日は酒を飲むなよ』
反対していたテッドだったが、ノアの気持ちが揺るがないものだと気付くとすぐさま気持ちを切り替えたようで、注意をしろと伝えてこれにも素直に頷いたノアだったが、タトゥーを入れてくれるのはリオンの友人でありホーム出身のアクセサリーデザイナーと店を共同経営している女性だと伝え、リオンの友人なら安心だなとテッドが安堵の溜息を零すが、それに憂いが籠っている気がし、やはりまだ気になるのかと小さく問いかけると、微苦笑とともに小さな濡れた音が三度響く。
『そうじゃない。俺に技術があれば自分の手でタトゥーを入れたのにと思っただけだ』
「テッド……」
俺にもしもタトゥーを入れる技術があれば俺がやりたかったと、いかつい肩を竦める恋人にありがとうと返したノアは、安心できるかどうかはわからないが、タトゥーを入れても極力人目には触れないようにするつもりだと続け、それを見るのは限られた人達だけでいいと笑えば、ようやく心の底からの笑みがスマホの向こうに浮かび上がる。
「だから、こっちではリオンとウーヴェ以外には見せないかな」
『そうしてくれると嬉しいな……ところで、こちらに来ることは両親には伝えたのか?』
その一言が聞こえた瞬間、ノアの腹の辺りに冷たい何かが生まれた気がし、掌を当てて細く息を吐く。
『ノア?』
「……言ってない」
俺の人生だ、言おうが言うまいが俺の勝手だと、テッドを含めて他の誰にもほとんど聞かせたことがない冷たい声で呟いたノアにテッドが目を細めるが、ああ、お前の勝手だとその言葉に同意をするように頷く。
『話をしていて気になっただけだ、それ以上でもそれ以下でもない』
お前が話したいと思えばすればいいし、話したくないのなら気にせずにこちらに来ればいいと笑う恋人の言葉から気遣いを察したノアが蒼い目を丸くした後、少し感情的になったと小さく返し、気にする必要はないと答えられて腹に当てた手を握り締める。
「……テッド」
『また俺の悪い癖が出てしまったな』
お前のプライベートの深い場所に土足で踏み込んでしまったと、己の前言を反省する言葉にノアが顔を上げてそうじゃないと否定の声を上げる。
「違う! 俺が……まだどうすればいいか迷っているだけだから」
だから俺を思って掛けてくれる言葉は本当に嬉しい、いずれちゃんと答えを出すから今は見守っていて欲しいと懇願すると、もちろんと優しい声が返ってくる。
「雷、おさまってきたみたいだな」
『ああ、そうだな……そろそろ寝るかな』
お前から動画閲覧の許可も得たことだしと、ニヤリと笑うテッドにもう一度顔を赤くしたノアは、どうせ見るのなら気持ち良くなってくれと精一杯の反論をするものの、本物のお前が来た時に最高に気持ち良くなるつもりだから今日は控えめにしようと返されて絶句してしまう。
『ノア』
「……な、んだよ」
『ああ────寝る前のキスをしてくれないか?』
テッドの声に隠しきれない寂寥感が滲み、赤面する気持ちを一瞬で忘れ去ったノアは、濡れた音を響かせながらスマホにキスをし、同じ音が聞こえて目を伏せる。
『もうすぐ本当にキスが出来るな』
こんな画面越しのものではないキスが出来るようになると囁くテッドに無言で頷いたノアは、そろそろ寝るんだろう、嵐が心配だけどゆっくり寝てくれと告げ、画面の中で頷く恋人に笑みを見せる。
『どうした?』
「今日はおはようとお休みを同時に言えて良かった」
『……』
そのノアの言葉にテッドが画面の中で体を揺らし、どうしたと小首を傾げるノアになんでもないと返すと、今日の予定を問われてウーヴェの家でウーヴェの兄貴たちと一緒の食事会だと、いつの頃からかリオンとウーヴェの中では定例になっている兄との食事会にノアも参加していたが、今夜のそれがきっと最後の食事会だと寂しそうに笑うと、最後だと思うのなら楽しんでこい、写真も満足するまで撮ってきてこちらにきた時に見せてくれと笑われて素直に頷く。
「それもそうだな。動画を撮っても良いな」
『ああ。それを見て楽しもう』
こちらに来ることで別れが訪れてしまう関係もあるが、何もそれで全てが途切れてしまうわけじゃないとテッドの言葉にノアも気分を切り替えたように頷き、出かける用意をするからそろそろ切ると伝え、作業台から飛び降りる。
『ああ。楽しんでこい』
「うん。行って来る。────テッドも良い夢を」
『ああ』
いつまでも続けたい会話をぐっと堪えて終えたノアは、不意に静まり返った室内を見回し、己の言葉通り出かける準備に取り掛かろうと伸びをするのだった。
あと半月程でこの作業所兼自宅を、大好きな兄やそのパートナー達が暮らす街を離れることになるノアだったが、テッドが何気なく問いかけた一言がずっと胸の深い場所で出番を伺っているように感じ、最後の食事会を楽しみながらも心のどこかではその問いかけに耳を貸さないようにしている己を感じているのだった。
そんなノアの様子に違和感を覚えたウーヴェだったが、ただ黙って様子を見守っているのだった。