仕事中のリオンとウーヴェより一足先に夕食の店であるゲートルートに到着したノアとテッドは、相変わらずの人気でテーブルが埋まりかけている事に気付き、ドアを開けて顔なじみのスタッフを手招きする。
「ノア? 入ってくればいいだろう?」
オーナーシェフであるベルトランと彼の良き右腕であるチーフがノアに気付いて不思議そうな顔になるが、今夜の予約はと口にすると、窓際のいつものテーブルを抑えてあると教えられ、安堵に胸を撫で下ろす。
「リオンが先に行っておけって言ってたけど、不安だった」
「大丈夫だ。さっきウーから連絡が入った」
リオンの仕事の都合で少しだけ遅くなるかもしれないから腹が減ったら先に何か食べておいてくれと、オーナーシェフのベルトランの幼馴染でもあるウーヴェから連絡が入っていたことを教えられて予約してくれてある席に先に座っていようと告げるが、その様子から何かを感じ取ったのか、ベルトランとチーフが顔を見合わせ、席に向かおうとするノアを引き止め、テッドとの関係を予想して問いかけると、ノアの頬が少し赤くなりつつもその言葉を否定しなかった為、もう一度二人が顔を見合わせる。
浮いた話の一つもなかったノアが、ニュージーランドから帰国後様子が変わったとウーヴェから聞かされていたベルトランだったが、ノアを変えた男かとテッドを見つめ、ついで今もノアの胸元で存在感を放っているペンダントを見つめ、あなたが贈ったのかと英語で問いかけると、テッドが軽く驚きながらも頷く。
「…良かったな、ノア」
この街に引っ越してきて以来、一人暮らしのノアの生活面-特に食生活-を支えてきたベルトランの顔に嬉しそうな笑みが浮かび、素直にうんと頷いたノアは、今度こそリザーブの札が置かれているテーブルへとテッドと向かうと、カウンターの奥で忙しそうに働いていたはずのスタッフがシードルやチーズを持ってきては、恋人を連れてきたノアを褒めたりからかったりしていく。
その賑やかさにノアが赤面していたが、己の恋人の素直さの由来が、家族だけではなく、友人たちからも愛されていることだと気付いたテッドが微笑ましそうに目を細め、くすんだ金髪を撫でてついでに頬も撫でる。
「テッド?」
「…みんなに愛されているな」
テッドのその言葉に嫉妬やマイナスの感情が籠っていればさすがにノアも顔色を変えただろうが、それもお前の愛すべき特性だと教えるような声にノアが無意識に拳を握って腿に押し付ける。
ここが家ならばそのまま抱き寄せて好きなだけ泣けばいいと言えるが、さすがに人を待っているレストランでそれをする訳にもいかず、だからと言ってそのままにしておくつもりもなかったテッドは、握りしめている拳に手を重ね、家に帰るまでこらえてくれと囁きかける。
「……」
テッドのその言葉にぐっと奥歯を噛みしめたノアは、シードルを飲んで感情も飲み込むと、早くリオンが来ないかなと照れ隠しのように窓の外へと顔を向けるが、そこににやにやと不気味な笑みを浮かべる己によく似た顔を発見し、驚愕のあまり椅子から転げ落ちそうになる。
「!!」
「ノア?」
突然椅子の上で飛び上がってしまったノアに目を丸くしたテッドは、ノアと同じように窓の外へと顔を向け、ピアスが嵌る耳を思いっきり引っ張られて悲鳴を上げている男の顔を発見してしまう。
「リオンか……?」
ノアと良く似た顔を痛みに歪め、口早に謝罪を繰り返している様子の男がリオンだと気付き、そんな彼の耳を引っ張っているのがウーヴェだとも気付いたテッドは、隣で顔を真っ赤にしているノアの様子から慰めていた所を見られていたと気付くと流石に気恥ずかしさを感じるが、咳払い一つでそれを振り払う。
「……賑やかな人だな」
「……あれは、うるさいって言って良いと思うな」
知り合った当初俺も賑やかだと思っていたが、実はうるさいとノアが頭痛を堪えるような顔で呟くと、ドアベルの音が響いてごめーんと謝罪の声とともに、リオンとステッキをついて呆れ返った顔のウーヴェが入ってくる。
「…何やってんだ、キング?」
いつもといえばいつものそれに呆れ返ったのはウーヴェだけではないようで、ベルトランも腕を組んで溜息を吐くが、ノアがメソメソしていたんだとリオンが囁いたため、ベルトランの顔にリオンと似たり寄ったりの表情が浮かぶ。
「……いい加減にしろ、リオン。二人を待たせているんだぞ。バート、皆が忙しそうに働いているのにお前が率先してサボって良いのか?」
ここで無駄な話をしている暇があるのならさっさと料理の一品でも仕上げろと、二人の頭上に氷の槍を降らせたウーヴェは、その槍に突き刺されて項垂れるベルトランの背中を撫でてうまい料理を食わせてくれとフォローを入れ、みるからに落ち込んでいるリオンの腰に腕を回してその頬にキスをする。
「オーヴェ……?」
「二人を待たせるのも悪いだろう? それに足が疲れた」
「ああ」
見事な飴と鞭の使い分けにそれを見ていたテッドとノアが呆気に取られてしまい、さっきの羞恥を吹き飛ばしてしまう。
「待たせたな、ノア」
ウーヴェのキスを頬に受けて気分が復活したのか、ノアの対面にリオンが座ったため、テッドが本当に良く似ていると感想をこぼし、その言葉からウーヴェも事情を察してメガネの下で目を細める。
「シードルとチーズだけか?」
先に食っておけと言っただろうと気分を切り替えるようにリオンが二人の顔を交互に見るが、さっき来たばかりだと苦笑されてそうかと頷き、スタッフに飲み物を注文する。
喉が渇いたから乾杯してから料理を頼もうと笑うリオンにウーヴェもノアも頷くが、ノアが咳払いを一つした後、テーブルの下でテッドの腿に手を載せてリオンとウーヴェを見つめる。
「どうした?」
「うん。ちゃんと紹介してなかったなぁって」
空港の駅で巡り会うなんて自分たち以上に奇跡的な出会いを果たしているリオンとテッドだったが、自分の口からちゃんと紹介していなかったと笑ったノアは、そんなこと気にするなと笑うリオンに頷き、兄であり友人のリオンとそのパートナーであるウーヴェだとテッドに紹介し、少し沈黙をした後、俺の恋人のテッドと二人に彼を紹介する。
「よろしく」
ノアの紹介に三人が同時によろしくと声をかけるが、こっちもよろしくしてくれと笑ったベルトランが皆のビールとチーズの盛り合わせを運んでくる。
「今日はシュニッツェルがオススメだけどどうする?」
「あ、俺、それが良い」
この店のオーナーシェフ自らが注文を取りに来る、その光景に周囲の客が不思議そうに見ているが、この店一番の常連客といっても過言ではないリオンとウーヴェにとっては当たり前のことで、皆同じものを頼むと、ベルトランが注文の料理を作るために戻っていく。
その背中を頬づえをついて見送ったリオンだったが、ふとノアの胸元に目をやり、今日も着けているのかと問えば、ノアの手が自然と胸元に上がって頭が上下する。
「ノアのペンダント、あんたがプレゼントしたものなんだよな」
帰国して以来、俺がみる限りでは毎日それをつけていると笑うリオンの言葉に、それは嬉しいとテッドが素直に喜びの言葉を口にする。
「大切なものだから大切にしてもらえると嬉しいな」
「そーだよなぁ」
自分が大切にしていたものを好きな人も大事にしてくれる、それは本当に嬉しいことだと笑うリオンにウーヴェも頷き、お前は何か返すのかとノアを見れば、まだ考え中だと肩を竦められるが、まあ時間はまだあるから考えておけと笑い、皆がグラスを手にしたのを確かめると、乾杯と笑顔でグラスを掲げるのだった。
ゲートルートで旨い酒と美味い料理を堪能したが、話し足りないとリオンが不満を口にし、珍しくウーヴェも同意をした為、四人揃ってリオンとウーヴェの家へと移動する。
二人が住んでいるのは小高い丘の上に立つ瀟洒なアパートの最上階で、元々はウーヴェの家だったが、安い賃貸のアパートに一人暮らしをしていたリオンが文字通り転がり込んだのだ。
その頃には二人とも全ての感情を見せ合い、それでも手を繋いで一緒に歩いていようと決めていた頃だったために何の問題もなかったが、リオンが唯一問題にしたのは、転がり込んだ家の広さだった。
アパートの階下にはいくつか部屋が当然あるのだが、最上階にはウーヴェの家の玄関が一つあるだけだった。
つまり、アパートの最上階のワンフロアが全てウーヴェの家だったのだ。
その事実に当初は頭痛を堪えたリオンだったが今ではすっかりと馴染んでいて、到着と、真鍮のドアノブを握ってドアを開ければ、何度か来ているがそれでもやはりこの広さには慣れないノアと、呆然と室内を見回すテッドの肩にリオンが腕を回し、お前の困惑はよくわかる、数年前の己を見ているようだと頷くと、長い廊下の先で何をしているんだと呆れたようにウーヴェが振り返る。
長い廊下の壁にはウーヴェに合わせたことが一目でわかる高さの位置に手摺があり、それは各部屋の入口付近までしっかりと続いていて、ステッキを使っているウーヴェの移動の手助けをしているものだと教えていた。
「明日俺もオーヴェも仕事だけど、お前たちは休みだろ?」
だから酔いつぶれても問題はない、だから徹夜で飲み明かそうと、リビングに二人を案内するが、テッドを手招きしてパントリーへと向かい、ウーヴェが先にソファに座ってノアを手招きする。
「ウーヴェ?」
「今日は送ってやれないと思うから泊まっていけ」
「良いのか?」
「もちろん。────テッドと仲良くしたいのならしても良いぞ」
「!!」
どうせリネン類は明日洗濯をするつもりだから飲んだ勢いで抱き合っても何の問題もないぞと、普段はリオンが口に出しそうな言葉をニヤリと笑み交じりに囁やかれてノアの顔が真っ赤に染まるが、次にいつ会えるかわからないんだろうと顔から笑みを消したウーヴェの言葉にノアが唇を噛み締める。
「……うん」
「良かったな、ノア」
やっと自分を好きになってくれる人と巡り会えたなと、足を組んで保護者のような顔で頷くウーヴェにノアの顔が伏せられ、震える声がうんと返したため、ウーヴェが伴侶と同じ手触りの髪をそっと撫でる。
「あー、何でノアを撫でてるんだよ、オーヴェ」
俺たちが酒の用意をしているのに何でノアの頭を撫でているんだと、パントリーにあった酒のボトルやグラスや氷を運んで来たリオンがそれを目撃し、ノアを撫でるなら俺も撫でろと子供じみた要求をすると、ノアが慌てて顔を上げるが、リオンの顔に浮かんでいる表情が全てを理解していると物語っていて、また俯いてしまう。
そんなノアの前にテッドが近づきあぐらをかいて座り込んだかと思うと、俯くノアの頭を抱き寄せ、ソファから引き摺り下ろすように抱きしめる。
「……っ!」
抱き寄せるテッドの腕の強さがあの庭で感じていたものと変わらず、なのにどうしてここにいるんだという違和感がまたノアの胸の奥に芽生え、それを解消したくてテッドの広い背中へと手を回す。
「……嬉しいのはわかったからさ、ソファに座れよ」
そこで仲良くハグされてると流石にオーヴェが窮屈そうだと、テーブルに運んで来たものを置いたリオンが肩を竦め、その言葉に二人が我に返ったように距離を取るが、今更だろうとウーヴェに笑われリオンに頷かれ、確かにと顔を少し赤くするのだった。
明日の仕事に差し支えるから後を頼むと珍しく酔いが回った顔で立ち上がろうとしたウーヴェを強引に肩に担いだリオンがベッドルームに運び、少ししてからリビングに戻ってくる。
「オーヴェが潰れるなんて珍しい」
戻って来たリオンが肩を竦めて二人を見るが、テッドはともかくノアの顔もウーヴェと似たり寄ったりだった為、もしよかったら俺の部屋のベッドに運んでやってくれと告げるものの、アルコールが回った脳みそがテッドの傍を離れることを拒否したようで、逞しい腰に腕を回して離れない意思表示をする。
ノアの行動としては珍しいが、恋人同士であれば当然のその行動にリオンが一つ口笛を吹いた後、テッドが眠くなれば一緒に俺のベッドを使えと笑い、申し訳ないが古いベッドだからあんたみたいにゴツい奴がセックスすればベッドが壊れる可能性がある、だから今夜はハグして寝るだけにしてくれとも笑うと、流石にテッドの顔に赤みがさす。
「なぁ、テッド」
そんなテッドの対面に座ったリオンは、テッドの腿を枕に今にも眠りそうなノアの顔を見つめ、今日のレストランの窓から見たものやさっきの泣きそうな顔は初めて見たが、もしかしてあんたの前ではいつも見せていたのかと、ノアの初めて見る顔を思い浮かべながらビールのボトルを手に取ると、テッドがくすんだ金髪を撫でながら無言で頷く。
「そっか」
「……ノアは家族から愛されている、だから感情表現が素直だと思った」
素直な感情表現ができるのは周囲にいつもそんな環境が溢れていて、それが当たり前だったからだと思ったとリオンと同じようにビールのボトルを手にしたテッドだったが、ボトルの底を触れ合わせて乾杯と笑うリオンに頷き、片手では手触りの良い髪を撫で続ける。
「そーだな、俺もそう思った」
素直に感情を出しても何の問題もない、周囲はそれを当たり前に受け止めてくれる、そんな恵まれた環境にいたんだろうとリオンが返すと、テッドの手の下でノアの頭がピクリと揺れる。
「そんなノアが人前で泣くなんて初めてだと言った……もしかすると泣いてはいけないと思い込んでいるのかもと思ったら我慢出来なかった」
今もそうだが、誰かの言葉に怯えるように反応するノアなど見ていたくなかったと、ボトルをテーブルに置いたかと思うと、己の足に顔を伏せているノアを力任せに抱き上げて胸に顔を埋めさせる。
「泣きたいなら泣け、我慢するな」
「────っ!!」
その強引な甘えさせ方にはリオンも驚きを隠せなかったが、ノアの丸まった背中を抱きしめる腕の強さや言葉に出されない優しさに気付き、頬杖をついて安堵の溜息を零す。
いい年をした男を子供のように甘えさせられる優しさと、またそんな己を許して素直に甘えられる、そんな二人の関係を目の当たりにしたリオンだったが、二人のように誰かの前でそれをすることはないが、今ベッドルームで酔いつぶれて眠っているウーヴェと二人きりになれば己も似たような顔でウーヴェに甘え、またウーヴェも甘えてくるのだ。
成人男子が情けないと、男は強くあらねばという固定概念に囚われている人たちからすれば唾棄したくなるような姿かも知れなかったが、幸いここにいるのはそんな姿を見せても否定する男ではない為、甘えられるのなら好きなだけ甘えろと笑い、ビールを飲む。
「あんたが一緒なら安心だな」
ビールを飲み干し満足そうに溜息をついたリオンは、驚いた顔で見つめてくるテッドに肩を竦め、友人としても兄貴としてもなどというのは烏滸がましいが、ノアが心配だったと笑い、優秀だけど気になってしまう弟とも笑ったリオンは、ニュージーランドに一緒に行きたいんだろうとノアの背中に語りかけると、丸まっていた背中がびくりと揺れる。
誰に遠慮をする必要があるんだとも笑うリオンを振り返ったノアは、そこに全てを理解し受け入れてくれる顔を見出すと、テッドの胸に額を押し当てつつ口を開く。
「ダニーデンに帰りたい……っ!」
「……帰りたい、かぁ」
ノアの心からの叫びにも似た声にリオンが天井を仰いで嘆息し、テッドがそんなノアの背中をそっと抱きしめる。
「……あの庭が、いい……っ!」
ノアが口にしたあの庭が己の家だと知っているテッドが小さく頷きつつリオンに自宅だと告げると、そんな場所があるのなら問題はないと頷き、ソファから立ち上がるとノアの俯く頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「っ!!」
「何かお前の本当の声を聞いた気分だな」
「!!」
「俺に気を使ってやりたいことをガマンして。────生意気なんだよ」
リオンのその言葉に勢いよく顔を上げて振り向いたノアだったが、そこに見出したのがさっきよりも優しく己の言動を見守ってくれる兄の顔だった為、唇の両端が震えながら下がり始める。
「弟が兄貴の心配してどうすんだ」
お前は兄にどれほど心配を掛けさせようがお前の人生を歩けばいいと、眉尻も下げた情けない顔で見上げてくるノアの髪を再度ぐしゃぐしゃにしたリオンは、じっと見つめてくるテッドに肩を竦め、あんたと一緒なら安心だ、だから頼むと小さく呟くと、オーヴェを一人で寝かせるのは嫌だからそろそろ寝る、お前らも俺の部屋で寝ろよと伸びをし、リビングはこのままで構わないとドアに手をかけるが、明日の朝はオーヴェの都合に合わせて起こすからあまり夜更かしをするなよと肩越しに振り返ってひらひらと手を振ると、あくび交じりにおやすみと告げてベッドルームに向かう。
ブラインドを閉じて暗くなっている室内で服を脱いで一足先に眠りに落ちているウーヴェの横に潜り込んだリオンだったが、寝ていると思っていたウーヴェの腕が腰に回されたことに気づき、白とも銀ともつかない髪の下に腕を突っ込んで同じように抱きしめる。
「ノアがさ、俺のこと心配してるから生意気なんだって言ってやった」
「……そうか」
「うん、そう。ニュージーランドに、ダニーデンに帰りてぇって……」
生まれ育ったウィーンを後にし、この街に拠点を移した時にもそんな言葉を聞かなかったのにと、抑えきれない寂寥感を滲ませてウーヴェの肩に顔を寄せると、よくガマンしたと伝える代わりに髪を撫でられる。
「彼がここにいる間は大丈夫だ。さすがに一緒に帰るとは言わないだろう」
ノアも立派な社会人だ、周囲の環境を整えてからニュージーランドに移住するだろうから安心しろと、ノアの今後の行動を完全に見抜いているウーヴェがそっと囁き、うんと頷くリオンの背中を撫でると、朝は寝坊できないから早く寝てしまえとも囁き、目を閉じるリオンの頬におやすみのキスをするのだった。
目の前に広がる黄色い大地を呆然と見渡したテッドは、リオンのスマホの待受や、昨日酒を飲んで満足するまで話し込んだリビングの暖炉の上に飾ってある写真はここで撮ったのかと呟き、隣で木の柵に腰を下ろすノアがうんと頷く。
二人がいるのはノアの友人が家族で営んでいる花畑の前で、出荷を終え土に還る前に精一杯花を咲かせているひまわりがあたり一面に咲いていた。
そのひまわりを見せたいからと、二日酔いの頭を抱えて出勤するリオンとウーヴェを見送ったノアがテッドを誘い、トラムに乗ってやって来たのだ。
突然訪れたにも関わらず、ぶっきらぼうな態度で歓迎してくれた友人に笑顔で礼を言ったノアは、友人かと声を潜めて囁かれ、俺の恋人と素直に返事をすると、お前にもついに春が来たかと笑われてしまう。
「……笑ってくれてもいいよ、ハール」
少し頬を赤くしながら木の柵に寄りかかったノアに友人、ハーロルトが肩を竦め、あちらで作業をしているから好きにしろといつものようにノアの好きにさせてくれたのだ。
その結果、二人肩を並べてひまわり畑を見つめていたが、ノアがテッドの腕に手を置き、黙っているのが嫌だから話をすると前置きの言葉を告げると、眩しそうにテッドが目を細めてノアを見る。
柵に座ったことでテッドを少しだけ高い場所から見下ろすことになったノアは、昨日リオンに言われたことを考えていたと告げ、何を考えたとテッドが口にする。
「来週、お前と一緒にダニーデンに帰る」
「ノア……?」
さすがにノアの告白に驚いたテッドが目を丸くするが、そんな恋人の顔に頷いたノアがひまわり畑へと目を向け、そう言えればどれほど幸せだろうかと呟くと、テッドも同じように顔を正面へと向ける。
「そんな夢みたいなことは言えない」
俺には信頼して仕事を任せてくれる人たちもいる、俺を信じてくれているリオンたちもいる。そんな人たちに後ろ足で砂をかけるような行為はしたくないと、腰を下ろしている柵をぎゅっと握りしめたノアだったが、その手を開いて太陽へと翳すと、眩しそうに目を細める。
テッドが己のことを太陽だと称してくれたが、それならば、角度こそ違えども必ず昇り沈むあの太陽のように、何があっても必ず己の傍に来ることを信じて欲しかった。
だからその決意を込めて拳を握ると、深呼吸をして愛する男へと顔を向ける。
「絶対に、いつか必ずあの庭に、お前の傍に帰る」
だからいつになるか分からないけれど待っていて欲しいと震える声で告白したノアは、テッドの手が己に向けて伸ばされたことに気付くが、無言で髪をぐしゃぐしゃと撫でられ、くすぐったさに首を竦めてしまう。
「今更何を言うんだ」
ノアの髪をぐしゃぐしゃにして気が済んだのか、もっと恐ろしいことを言われるのかと思ったと大きく息を吐いたテッドが当たり前のことをさも深刻そうな顔で言うなと笑い、ノアの額を指で突く。
「イテッ!」
「────もうお前しか考えられない」
だから、お前の周囲にいるお前を愛しお前も愛している人達が安心して送り出してくれるように仕事で成果を出せと笑ってノアの頬を指の背で撫でたテッドは、うんと頷いて再度空を見上げたノアの目尻に涙が浮かんでいない事に気付き、ああ、やはり泣き顔よりも笑顔を見ていたいと改めて感じ、ノアの胸元にキラリと陽光を浴びて光るペンダントへと目を向ける。
両親が遺してくれた大切なペンダントトップが、今己の大切な人となったノアの胸元で光っている事実にジワリと胸が温められ、ノアの手をそっと握るとやや躊躇った後嬉しそうに握り返してくれる。
今はその温もりと約束だけで十分だった。
ノアが周囲を安心させて己の元へとやってくる、そんな日を心待ちにしながら己は己のできることをしようと腹に決め、気が早いと笑いつつも己の脳裏に浮かんだ夢の光景を口にする。
「──あの庭で、一緒に星を見よう」
お前が写した星々の写真、それを何の飾りもないあの家に飾ろう、そして、それと同じようにお前の仕事の成果であるブックレットを並べていく棚を作ろうと笑うテッドにノアの目が見開かれるが、ウーヴェが見れば呆気に取られるようなリオンそっくりの笑みがノアの顔に浮かび、思わずテッドがノアを抱きしめてしまう。
「お、落ちるっ!!」
いきなり抱きつかれてバランスを崩しそうになったノアが慌てた声を出すが、楽しそうに笑っているテッドに気付き、同じようにクスクスと笑ってしまう。
「テッド、────俺を好きになってくれてありがとう」
受け入れてくれ認めてくれてありがとうと心の奥底の言葉を告白したノアは、テッドの口からも同じ言葉が聞こえて来たことに気付いて目を丸くするが、不意に芽生えた本能的なものから家に帰ろうかと笑いかける。
「……次にいつこうして会えるか分からない」
昨日ウーヴェにも言われたが、確かに次の予定は分からないのだ、一分一秒も惜しいと顔を伏せるノアにテッドも頷き、お前の世界の中心であるあのスタジオ兼自宅に戻ろうと囁くと、少し離れた場所で作業をしているハーロルトに帰ることを伝え、ひまわりの花を持って帰れと新聞に包まれた花束を受け取るのだった。
これから飛行機で旅立とうとする人たちと、そんな彼らを見送る人達が悲喜交々の言葉を交わす出発ロビーにやって来たテッドは、いつかのようにノアの顔が曇っている事に気づくと、頬を軽く抓って目を見開かせる。
「ノア、乗り換えの空港で必ず電話をする」
時間は不明だがこちらに来た時のようなことはしないと告げ、ようやくノアの顔に小さな笑みが浮かぶ。
「思い出すのが泣いている顔なのは嫌だから笑ってくれ」
また泣いているのかと思えば心配で仕方がないと笑うテッドに片頬を膨らませたノアだったが、うんと頷いてぎこちない笑みを浮かべ、必ず電話をくれと告げてテッドの腰に両手を回して甘えるように身を寄せる。
「ああ、必ず電話をする」
「……じゃあ俺も、夢を叶えるために頑張って仕事をする」
お前と一緒に過ごせた一週間を糧に仕事に励むと誓うノアの髪にテッドがキスをし、なら俺も仕事を頑張ると告げる。
「リオンが育った教会を見ることができて良かった」
「うん……皆に紹介したら驚いていたな」
リオンが育ち、自分達親子にも縁の深い教会に顔を出したが、まさかノアが恋人を連れてくるとは思っていなかったらしく、その場にいた全員に盛大に驚かれてしまったのだ。
その時のことを思い出して自然と笑みを浮かべたノアは、俺が世話になった教会も似たようなものだったと囁き、大切なことを教えられた事に気付いて息を飲む。
「……ミアにもよろしく」
「ああ」
沢山の土産をありがとう、ミアも喜ぶとニュージーランドを出発した時よりも荷物の増えた理由に微苦笑したテッドだったが、半年後にはオークランドで写真を撮らなければならないんだからと囁かれ、確かにそうだと頷くと、己の姪が発した言葉が現実のものになるようにしようと改めて決意をすると、ノアの名を呼んで視線を重ねた後、そっと口付ける。
再び遠く離れてしまうが、次の約束を叶えるためのものだと自らに言い聞かせたテッドは、物理的に離れてしまう寂しさを抑え込んで離れようとするものの、まだ離れたくないと不満を訴える腕が細い体をきつく抱きしめる。
「……ノア、愛してる」
「うん。俺も愛してる」
だから今はそれぞれの場所でできることをしよう、そして夢を叶えようとテッドの広い背中を撫でると、今度はノアからキスをする。
テッドが搭乗する飛行機への案内がボードに表示されたことに気付き、名残惜しさを隠せない顔で離れるが、互いに笑みを浮かべてノアは拳を握り、テッドも同じくジーンズのポケットに手を突っ込む。
「世話になった」
「うん。────気をつけて」
「ああ」
名残惜しさはいつまでたっても薄らぐことがなかった為、二人同時に踵を返してそれぞれの足を止めてしまわないよう、目の前に広がる己が進む道へと互いを信じて一歩を踏み出す。
そして、テッドがゲートをくぐって機上の人となったのを、しばらく会えなくなるのだから二人きりにしてやると駐車場で待っているリオンとウーヴェの元で見送ったノアは、実は密かに己を案じてくれている二人にこれ以上心配をかけたくない一心で小さな笑みを浮かべると、お前がニュージーランドに移住するときは盛大に見送ってやると笑われ、一瞬戸惑うものの、うんそうしてくれと満面の笑みで頷く。
その夢が叶えばいい、叶うように明日から働こうと内心呟いたノアは、リオンが運転席に座る車で自宅へと送ってもらい、テッドが滞在していた一週間、ほぼ毎日食事をし色々連れて行ってくれてありがとうと二人に改めて感謝の言葉を伝えると、ノアの頬へキスを残し二人は自宅へと帰って行き、ノアも静まり返ったスタジオ兼自宅のドアを閉める。
テッドがいる間は様々な音が溢れ、外界の喧騒など全く気にならなかったのだが、今はそれが全てのように感じ、珍しく苛立ちを感じてラジオのスイッチを入れる。
スピーカーから流れ出す曲はバラードで、その静かな曲にささくれ立った心が鎮まっていくことに気づき、ベッドサイドのテーブル代わりの木箱の上で、背の高いコップに突っ込んだひまわりへと目を向け、戸締りを確認してそちらへと向かう。
そろそろ枯れそうになっている黄色い大輪の花だったが、ふと何かを思い出して随分と久し振りに感じるカメラを手に、元気をなくしてしまっているひまわりの写真を何枚も撮影したノアは、これから先、ひまわりを見れば彼がここにいたことを自然と思い出せる、そんな記念となる花をくれた友人に感謝し、今までの仕事の成果の中にひまわりの花の写真があったことを思い出すと、後で探し出してそれをベッドサイドに飾っておこう、そして同じ写真をプリントしたものを、季節も時間も違うが心だけは同じである恋人に贈ろうと決め、テッドが帰ってしまった寂寥感を作業をすることで忘れようとするのだった。
その後、約束を叶えるために必死で働いたノアが、ウーヴェが予想したように周囲の環境を全て整え、愛する人たちから笑顔で見送られ、空港で出迎えてくれたテッドと古いピックアップで懐かしさすら感じる小さな家に帰って来たのは、テッドの姪があの日垣間見た未来の通り、クリスマスシーズンに街が染まる前だった。
ダニーデンに帰ると言い残して笑顔で飛び立ったノアを見送ったリオンとウーヴェだったが、サーフィンに乗ってやってくるサンタに会いたい、クリスマスイブと自分達二人の誕生日パーティをビーチで開きたいとリオンが宣ったため、彼女の予想通りにリオンとウーヴェだけではなく、ウーヴェの兄と姉夫婦も一緒にテッドの家にやってくるのだった。
その時、ミアが見た光景が現実のものになったと、互いの腰に腕を回して顔を見合わせて笑うテッドとノアにリオンが盛大に揶揄いの声をかけるのだが、それはまた別の話となるのだった。
こうして、仕事で訪れた先で運命の相手に出会ったノアは、その後、二人の仲を試すような出来事が起きても決してテッドの傍を離れず、またテッドもノアを約束通り一人にすることはなく、新しく出来た友人や知人にどこで知り合ったと問われ、飛行機で隣に座ったのがきっかけだと答えてはフィクションのようだと笑われてしまうが、事実だからと、壁に掛けられた何枚もの写真の中にある大輪のひまわりの写真を見つめつつ答えるのだった。