リオンとウーヴェが、今日はこのまま帰る、明日一緒に食事に行くからと言い残して作業場兼自宅を出て行くが、時間にすればたったひと月かふた月だが、感覚的に一年も二年も会えなかった気持ちになっていたノアは、テッドの肩から顔を挙げられずに返事も出来なかった。
目の前にテッドがいる現実がまだ信じられず、離れれば消えてしまうのではないかという不安を覚えてしまい、背中に回した手をぎゅっと握ると、同じように首筋に顔を寄せたテッドが、電話やメッセージをもらっていたのに返事ができなくて悪かった、飛行機に乗っていたと教えられ、感じていた不安が一瞬で解消された事に気づいて漸く顔を上げたノアは、驚いたし心臓に悪いと目尻に浮かぶ涙を手の甲で拭こうとするが、その手を掴まれて目尻に口付けられ、やっぱりいつも泣いている、心配だと囁かれてしまい、悔し紛れにさっきは抱きしめた背中に拳をぶつける。
「痛いな」
「……泣かせるお前が悪い!」
「ああ、悪かった」
いくらでも謝るから泣き止んでくれ、久しぶりに逢えた事を喜んでくれと囁かれて額を重ねられ、好きな男からの告白に素直に頷いたノアは、目を閉じろと促されて従うと、薄く開いていた唇に唇が重なり、再度背中を抱く手に力を込めてしまう。
どうして自分はここに、人工の音が溢れる街にいるのか、あの満天の星空の下で好きな人と一緒に他愛もない話をし、芝生に寝転がっていないのかという強烈な違和感を覚えていたこともそのキスで一時的に忘れてしまう。
「────ん……っ」
可能なら今すぐ己を曝け出しても受け入れてくれる、優しく力強いあの庭に帰りたかった。
こんな、コンクリートと鉄骨だらけの、住んでいるだけで心の中の大切な何かがポロポロと壊れていきそうな場所になど本当はいたくなかった。
ここに住み始めた時には快適に感じていた空間が、南半球の自然に溢れた国で仕事をしてからは密かに不快に感じていた事に漸く気付いたノアは、己の変心に驚きつつも結果的にそれを教えてくれたテッドから離れる事ができずにいたが、不意にあの夜のように抱き上げられて驚きに目を丸くする。
「テッド……っ!」
「……悪い」
お前の顔を見てキスをしたら我慢ができなくなった、良いかと耳元で囁かれてぞくりと背筋を震わせたノアだったが、抱き上げられて見下ろす形になった頭を抱くように腕を回し、また一緒にバスタブに入るかと笑いながら問いかける。
「バスタブがあるのか?」
「あるよ」
じゃあ一緒に入ろうと、帰国前夜のホテルの再現だと至近で顔を見合わせながら笑いあった二人だったが、どちらからともなくもう一度キスをすると、ノアがテッドの腕から降り立ち、誰にも邪魔をされないように戸締りとスマホの電源も落としてバスルームに駆け込み、そんなノアを小さく笑いながらテッドが追いかけるようにバスルームに向かうのだった。
ノアのスタジオ兼自宅は、作業用スペースと居住用スペースを背の高いパンチングボードで仕切っていて、キッチンは作業用スペース側にあったが、バスルームは居住用スペースにあった。
そのバスルームから濡れた身体をおざなりに拭き、気持ちを確認し気分を高めるようにキスを交わしつつ出てきた二人は、コンクリートの壁際にポツンと置かれたベッドに辿り着き、縺れるように寝転がる。
ノアの濡れた髪を撫で付けて見えた額にキスし顔の横に手をついたテッドは、頭を抱えるように上げられた手に気付いて首の後ろへと導くと、正解に辿り着いた安堵にも似た吐息が一つ、二人の間に零れ落ちる。
「……テッド」
「何だ?」
頬に頬を擦り寄せるように顔を寄せ、微かに震える声が囁いたのは好きとの言葉だった。
その小さな告白に自然と身体が震え、俺も好きだし逢いたかったと返しつつノアの頬にキスをしたテッドは、この間送ってくれたブックレットをミアと一緒に見たが、一人になって庭で見ていた時、お前がここで見ていた夜空が見えた気がしたと、ロイヤルブルーの双眸を見下ろしつつ告白し、この世で何よりも大切なものを扱う手付きでさっきキスをした額を撫でて今度は唇にキスをする。
「……お前の目にはこんなに綺麗な夜空が見えていたんだな」
「……それ、は、あの庭だった、から」
俺が見ていたというよりは、あの庭が見せてくれた夜空で、もう一つ加えればそこにお前がいたからだと、一緒にボートに乗って海に出た時に広がっていた世界と同じ色の瞳を見上げつつ素直な想いを告げれば、テッドが覆い被さるようにノアの頭を抱きしめ、ノアも広い背中へと手を回す。
ブリスベンの空港で一目惚れとも言える出会いをした二人だったが、あやふやな思いをしっかりと伝えられた事に感謝しつつ、ノアがあの時目を離せなくなったテッドの背中から胸へと広がるタトゥーをそっと撫でる。
太陽とドラゴンと海と空。
テッドが生きてきた世界を現すものや強さの象徴を撫でながら、最も身近にいる兄とその伴侶の互いの腰で生きているリザードとはまた違うが、何某かの意志が込められていることだけは理解出来て、俺もタトゥーを入れようかなと呟くと、テッドが少し考え込んだ後、無理にいれなくても良いがどうしてもというなら俺が彫ってやると告げつつノアの目を覗き込む。
「本当は……」
この、健康的な滑らかな肌には傷一つ付けたくないとも囁き、ノアの薄い胸板から同じく薄い腹、細い腰へと手を這わせた後、手入れがされている場所へと移動させるとノアの腰が軽く揺れる。
様子を窺うように顔を見下ろせば目元が赤く染まっていて、帰国前夜のホテルでのように拒絶されていないことに気付くと、あの時は出来なかった事をしたいと耳元で囁く。
ホテルのバスルームで口論している時間はないとキスをした後、同性とのセックスで受け入れたことがないと茹で上がったロブスターみたいな顔で告白された為、挿入はせずに済ませたのだ。
その後はシングルベッドにピタリと身を寄せて朝までただ静かに過ごしていただけだった為、今日はお前の中に挿れたいとも囁くと、さっきより強く身体が揺れるが、背中のタトゥーを撫でていた手が一度軽く握りしめられたかと思うと再度開いた手が背中をそっと撫でて先を許してくれる。
「……良いよ」
テッドなら構わないと、初めてのことへの不安を必死に押し隠すような笑顔で見つめられ、なるべく痛みを感じないようにしたいと思いながらもどうしても受け入れる側へ負担を強いてしまう関係に少しだけ罪悪感を覚えるが、ただそれ以上に先を許してくれたことが嬉しくて、額を重ねて神の前での宣誓と同じ声で想いを口にする。
「ノア、愛している」
それは勉強しているとビデオ通話で話していたドイツ語で辿々しいものだったが、今まで聞いた中で最も心の中に染み込むものだった。
だからノアもそれに答えようとしつつもやはり泣き笑いになってしまう顔で頷き、テッドの頬を両手で挟んで俺も誰よりも好きだ、愛していると返し、そのままゆっくりと重なる唇の感触に目を閉じるのだった。
テッドの分厚く大きな手が触れていく場所が火傷をしてしまうと思うほど熱く感じ、その熱から逃げるように身を捩るが、逆らえない優しさで引き寄せられ、触れた箇所から喉に上がってきたと錯覚しそうな熱い息が溢れ出してしまう。
その声が自分で認識している己の声とは思えない程甘いものに感じ、瞬間的に覚えた羞恥から赤くなった顔を背けると、やんわりと顎を掴まれて真正面から見下ろされてしまう。
今まで何人かの彼女たちと付き合ってきたが、その誰とも経験したことがないような情と欲が入り混じった不思議な感覚に囚われたノアは、見下ろしてくる双眸に溶け込めたらどれ程幸せだろうかと考えてしまうが、それを邪魔するようにしっかりと反応しているものを大きな手で握られて唇を噛み締める。
「ん……っ!」
愛していると告白してから時間の経過がわからなくなっているノアの耳に濡れた音が届き、チラリと日に焼けた顔を見れば何かを堪えているような、でも無理矢理先に進まないとノアに対する気遣いを忘れていない様子が見え、未経験の不安より好きな人を受け入れたい気持ちの方が強く、態度でも示したいとシーツを握っていた手を挙げて左胸のドラゴンの顔と背中の翼を抱きしめるように掌を重ねる。
「……テッド、良い、よ」
さっきも言ったけどお前なら構わないと小さく笑みを浮かべてテッドを見上げたノアは、感謝の言葉の代わりに、鼻の頭、頬の高い場所、そして唇にキスをされ、お返しと笑いながら右胸の太陽に口付ける。
「太陽にキスができるって凄いな」
ああ、でもそう言えばウーヴェがリオンのことを俺の太陽と呼んでいたことを思い出し、俺にとっての太陽はテッドだなと笑うと、太陽はお前だろうと小さく笑われて目を見張る。
「太陽はお前だ、ノア」
お前がいれば気持ちが明るくなるだけではなく夜の庭が明るく感じられたと、ノアがテッドの傍に居心地の良さを感じていたようにテッドも暖かさを感じていた事を知ったノアは、俺は太陽なんかじゃないと顔を背けるが、じゃあ名前の通り新しい世界へと連れて行ってくれる人だと至極真面目な顔で囁かれてキツく目を閉じる。
その言葉は何かがあると両親が必ずノアに伝えていた言葉で、私達を見知らぬ新たな世界に連れて行ってくれる、だからノアと名付けたと教えられていた。
聞かされていた時には特に感慨も抱かなかったが、両親や生まれ育った街とも距離を取っている今、愛する人から偶然にも聞かされると、同じ言葉でも全く違ったように感じてしまう。
その思いが胸を競り上がり、苦しさから逃れるように息を吐くと、方舟にしては小さいが俺のボートに一緒に乗って欲しいと掌に口付けられ、断るつもりなどないノアだったが、あのボートで朝焼けを見、陽が沈めば空に広がる満天の星を見たい、その時には傍にいて欲しいと告げ、自然と口から出てきた言葉に軽く驚いてしまう。
何故己はここで喧騒に囲まれながら暮らさなければならないのか、何故自然に囲まれたあの庭にいないのかという強烈な違和感が、帰国してからずっと胸の中で抜けない棘のように存在していたそれが呆気なく抜けた事に気づくと、最早我慢する事はできなかった。
「テッド……お願い、だ」
「ああ。何だ?」
「俺を……」
どうか何があっても離さないでくれ、ひとりにしないでくれと、今まで誰に対しても口に出すことのなかった思いをぶつけると、初めてあの庭で涙を流した時のように想いを受け止めるだけではなく、ひとりにしないという言葉で約束してくれる。
それは、どんな事があっても決して揺るがない大地に立っている事をノアに教えてくれるもので、ああ、探し続けていた新しい世界に辿り着けたと実感すると何も考える事ができなくなるのだった。
「────ァ、あぁ、あ……っ」
身体の中心から裂けるような痛みに目が見開かれ、シーツを握りしめて痛みを堪えていると、宥めるような許しを請うようなキスが何度も落とされる。
良いと言ったものの、熱と質量のあるものがゆっくりと中に推し進んでくる痛みは想像以上で、痛いと言葉にすることもできずに途切れ途切れの声を出してしまう。
だが、ただ痛みを与えるだけではない事を教えるように、何度もキスをされ、荒い息が少し落ち着くまでじっと待ってくれたりと、ノアが感じる痛みが少しでも軽くなればと気遣いをしてくれていた。
その気持ちが嬉しくて荒い息の下で名を呼ぶと、嬉しそうに目を細めて顔を寄せてくる。
何度もこうして抱き合えば痛みも快感へと変わるのだろうかと思いつつ、テッドの腰に手を回すと、ぐっと腰を押し付けられてノアが頭を仰け反らせてしまう。
「ぁあ、あ……っ!」
痛みを感じてしまうが、それ以外のものも感じたいと思いつつテッドの動きに合わせるように全てを委ねると、見上げる日に焼けた顔から気持ち良さと切羽詰まったものを感じ取る。
それが、ノア自身も自覚したことはないが手に取るように理解できるものだった為、女性のように柔らかな身体で受け入れられない己であっても気持ち良くなってくれていると気付き、小さな声で名を呼び、視線が重なったと同時に腰を抱いていた手を背中へと移動させる。
背中にあるドラゴンの翼。
その背中に乗り、どこまでも飛んでいく己と愛する男の姿がありありと浮かび上がり、新しい世界に連れて行ってくれ、見たことがない世界を見せてくれと囁くと、一瞬驚いたような気配が伝わってくるが、自信に満ちた笑みを浮かべる男の顔にどんな言葉も返せなくなる。
「水先案内人はお前だ、ノア。一緒に行くぞ」
海の上で朝を迎え、あの庭で星々を見上げる、そんな世界へ一緒に行くぞと笑われ、拒絶の言葉など誰にも教わらなかったように何度も頭を上下させたノアは、次第に早く激しくなる動きに振り落とされないように必死にしがみつき、無意識に背中のタトゥーに爪を立ててしまう。
「────っ!」
そして、しがみついていた身体に覚えのある震えが走り、経験したことのない感覚が最奥で生まれ、子供のような淡い吐息を一つ耳元に落とされてさっきは爪を立てた背中を愛おしむように撫でる。
「……気持ち良かったか?」
女性を抱いている時と同じように感じられたかと、覚えた不安から思わず問いかけたノアの耳にキスまじりの声が流れ込む。
「誰とも比べられない」
こんなに満足したのは初めてかもしれないと囁かれ、そうだったら嬉しいと笑ったノアだったが、お前はまだだろうとも囁かれて目を丸くする。
はっきり言ってテッドに対する想いだけで痛みを堪えていたようなもので、そこから快感を得ることは出来なかった。
だから素直にうんと頷いたノアだったが、そうかと小さく呟かれたかと思うと、不意に二人の身体に挟まれていた物をテッドの熱を帯びた手が軽く握った為、びくりと肩を揺らしてしまう。
「テッド……!」
「このままイけ」
「……っ!!」
徐々に手の動きが速くなり、中に入ったテッドのものはそのままだった為、覚えがあるものより強い快感を覚え、目の前の身体にしがみついてしまう。
「あ、……っあ、っ……」
強弱をつけて扱かれて自然と熱の籠った声が流れ出すが、最奥を埋めていた物が大きくなった気がし、びくりと身体を揺らしてしまう。
そして、その手の動きに合わせて荒い息を吐いていたが、程なくしてテッドの手の中に熱を吐き出してしまう。
「────っ!!」
肩で息を整え、覆い被さってくる大きな身体を抱きしめたノアだったが、意識を保っていることが難しくなり、頬へのキスを受けつつ目を閉じてしまう。
このまま寝てしまうのは避けたかったが、起きていられる気力もなく、また中から抜け出したテッドがそっと抱きしめてくれる温もりが何よりも安堵できるものに感じ、帰国前夜のホテルと同じようにシングルベッドで身を寄せて眠りに落ちそうになる。
「ノア?」
寝てしまったのかという疑問はノアの中でだけ響いたものか、それともテッドが口に出したものかの判別をノアは出来ず、瞼に濡れた感触を覚えた事すら認識できないのだった。
今まで誰にも告げたことのない、心の中でずっと蹲っていた思いを、あの日初めて涙を流した時のように受け止められた安堵から、ノアはこの夜、この街に拠点を移して以来夢を見ない深い眠りに就くのだった。