Garden of Southern Cross.

第1話 Garden of Southern Cross.
6
 テッドのPCを借りて予約をしたホテルは、クライストチャーチに初めてやってきた時と同じホテルで、フロントのスタッフもノアを覚えていたらしく、お帰りなさいと他の客に見せる笑顔とは少しだけ違ったような笑みで迎えてくれる。 「お仕事は順調ですか?」 「もうこれ以上はないってくらい順調に終わったかな」  後は家に帰って作業をするだけだと、荷物を担ぎ直しながら少しだけ疲れた笑顔で頷いたノアは、カードキーを受け取って部屋に上がるエレベーターに乗ろうと、フロントから少し奥まった場所にある古くて小さなエレベーターの前に向かう。  そんなノアの背中に騒がしい声が届くが、バスでの移動と昨日までは見えていた星空がホテルの灯りで見えないショックから意識を周囲にまで向けられずにエレベーターが到着するのを待っていた。  エレベーターが到着した合図を壁面のパネルで確かめ、ドアが開いたので何も考えずに乗り込んでボタンを押し、早くドアが閉まれと頭痛を堪えるような顔で強く願った時、その願いを力づくで却下すると言いたげにドアの隙間に誰かの手が突っ込まれ、半ば強引にこじ開けられてしまい、その暴挙にノアが珍しく苛立った思いを隠さないで顔を上げるが、視界に飛び込んできた光景が咄嗟に理解できずに呆然と目を見張ってしまう。 「……テッド?」  どうしてお前がここにいるんだと、茫然自失で呟いたノアに肩で息を整えたテッドが一つ頷いた後、エレベーターのパネルを操作してドアを閉める。 「何階だ?」 「え? あ、7階……」  部屋はここにきた時と同じ部屋で7階の角部屋だと呆然としたまま呟くと、テッドがパネルを操作する。  古いエレベーターが軋むような音を立てる中、疑問と安堵と名指しできない感情が綯い交ぜになった空気が満ちていて、フロアに到着してドアが開くと同時にそれらから解放されて思わず二人が同時に安堵の溜息を吐き、ノアの荷物を当たり前の顔でテッドが持ち上げて先に行けと促したため、慌ててノアが廊下を進んで部屋のドアを開ける。  中に入って荷物を棚に置き、聞きたいことは山ほどあるが何から話せばいいのか探るように互いの顔を見ていた二人だったが、不意にノアが小さく笑い出し、ベッドに腰を下ろして後ろ手で体を支える。 「いきなりだったから驚いた」  エレベーターのドアをこじ開けた時、テロリストか何かが来たのかと思ったと笑うノアに一つ肩を竦めたテッドだったが、テーブルの前の椅子に腰を下ろして目を泳がせてしまう。 「テッド?」  もしかして家に何か忘れ物をしていてそれを届けに来てくれたのかと、様子がおかしいことに小首を傾げて問いかけると、忘れ物とテッドが呟いて天井を見上げた後、ノアの顔を真正面から見つめる。  その視線の強さにノアが息を飲んでどうしたと震える声で問いかけると、忘れ物を思い出したんだとテッドも微かに震える声で告げ、何だと目を丸くするノアの綺麗な青い瞳を見つめつつ口を開く。 「お前が好きだ。それを伝えるのを忘れていた」 「!?」 「ミアがお前と一緒に食事をしようと誘って来た」  その後のやり取りを手短に話した後、大役を果たした者のように息を吐くと、その時に自覚したこと、自ら動かなければ何も変わらないことをミアにも教えられたとも告げたテッドは、厳つい顔に淡い笑みを浮かべ、お前のことが好きだった、多分ブリスベンの空港で初めて会った時からそうだったのだろう、だからここで再会出来て嬉しかったし、家で過ごせた事も嬉しかったと告白すると、ノアの顔が上下左右へと忙しなく動いた後に俯いてしまうが、くすんだ金髪の下に見え隠れする耳が真っ赤で、告白を拒絶されたわけではない事を知る。 「俺はお前が好きだ、ノア。……お前は?」  好きと言ってくれれば嬉しいが、男を恋愛対象として見られない、嫌だと思うのならそれでも構わない、今思っていることを教えてくれとあまり口数の多くないテッドが言葉を尽くすと、その気持ちが伝わったのか、伏せられていた顔が挙げられるが、そこに浮かんだ表情を見たテッドは、静かに立ち上がるとベッドに膝をついてノアを抱きしめてしまう。 「……テッドといると、泣いてばかり、だ」  情けないし恥ずかしい、でも一緒にいるとそれ以上に楽しいし嬉しいと、己の肩に顎を乗せてくぐもった声で告白するノアを抱きしめたテッドは、俺が好きかと問いかけながらノアの顔を両手で挟んで蒼い瞳を見つめれば、何度か涙の池を双眸が左右に泳ぐが動きを止めたかと思うと、テッドが眩しいと感じていた素直な笑みを浮かべてノアがうんと頷く。 「うん……俺も、テッドが好きだ」  情けない顔を何度も見られたけれど、恥ずかしさよりもお前で良かったという思いが強かったと笑うノアに小さくありがとうと礼を言ったテッドは、不思議そうに見つめられて微かに震える唇で鼻の頭にキスをすると、ノアがそっと瞼を下ろす。  その先を許されたと理解し緊張に震えている唇にキスをし、許すだけではなく受け入れられたことにも気付いたテッドは、そのままノアをベッドに沈めると、ノアの手が背中に回ったことに気付く。  ミアや他の友人たちとハグする時とは全く違う温もりを背中に感じ、その熱さに気持ち良さと他の何かを煽られた気がしたテッドが一度顔を離してノアを見下ろせば、頬を紅潮させて熱の篭った息を吐いていて、覚えのある熱が腹の辺りに生まれてしまう。  顔を囲うように腕をついて体を支えたテッドにノアが震えながらも唇の両端を持ち上げた為、さっきとは角度を変えて何度もキスを繰り返せば、背中を抱きしめる手が緩く上下に動き、立てた膝が挟み込むように足に絡みつく。  この先を、キスよりも先に進んでいいのかと問いかけようと再度顔を見下ろせば、さっきより赤くなった顔が背けられるものの、そこからはやはり拒絶の色を読み取ることはできなかった。  だからシャツの裾から手を差し入れたのだが、この時初めてノアが明確に拒絶の意思を現し、それに気付いたテッドが手を止めて顔を見下ろすと、茹でたロブスターのように真っ赤になった顔を腕で隠しながら、シャワーを使いたいと小さく呟く。  ダニーデンの町から6時間近くバスに揺られてやって来た事を思い出したテッドだったが、よく考えれば己もそうだと気付き、逸る気持ちをぐっとこらえてノアをシーツに押し付けるように抱きしめる。 「……ああ」 「ダンケ、テッド」  今互いに感じているものを少し堪えてくれてありがとうと礼を言われ、そんなノアの耳に口を寄せたテッドが俺も一緒に風呂に入って良いかと囁くと躊躇するように肩が揺れるが、うんという掠れた声が許可を与えてくれた為、ありがとうと礼を言ってその頬にキスをし、ノアの腕を掴んで起き上がらせる。 「……ウィルとマリーもよく一緒に入ってたなぁ」 「そうなのか?」  ノアがテッドの肩に寄りかかりながら笑み混じりに呟いた言葉に返事をしつつベッドから立ち上がったテッドは、ノアが下着一枚になるのに合わせて同じように服を脱ぐが、驚いたように見つめられていることに気付き、鏡に映る己の背中を見ているのだと気付くと、ノアにしっかりと見えるように向き合う。  テッドの日に焼けた背中、肩や二の腕を覆い肩甲骨あたりまで翼を広げているような意匠のタトゥーが鏡に写り、ノアの目の前には背中から繋がる模様が鍛えられている胸板にまで広がっていた。  服の袖から出ているものしか見たことがなかったノアが、テッドの上半身に彫られているタトゥーの全容を目の当たりにして感心したように息を細く吐くと、震える指先を胸板の上で口を開けるドラゴンの顔にそっと触れさせる。 「こっちはドラゴン?」 「ああ。右は太陽だな」  背中にあるのは月だと笑い、ノアの手を掴んで掌全体をドラゴンの顔の上に重ねさせたテッドは、触ってみてどうだと小さく問いかけると、右胸の太陽に向かって咆哮をあげるドラゴンが本当に息をしているようだと呟くが、ああ、お前の鼓動かと何かに気づいた顔でテッドを見上げる。 「……綺麗だな」  ブリスベンの空港で初めて見た時にも感じたが、本当に綺麗だなとうっとりと呟いたノアの肩に腕を回して抱きしめながら顔を寄せたテッドは、ノアからキスをされて軽く驚くものの、掛け声を一つ放ってノアを肩に担ぐように抱き上げる。 「わっ!!」 「暴れると落としてしまうぞ」  だから大人しくしてくれと笑うテッドにノアが不満未満の言葉を口の中で呟くが、落とされてしまってはたまったものじゃないと気付いたらしく、テッドの肩に腕をついて間近に見えるタトゥーを指でなぞる。 「くすぐったいぞ、ノア」 「え、くすぐったいか?」 「ああ」  お前にも後で同じ事をしてやると笑ってバスルームのドアを開けたテッドは、この手のタイプのホテルにしては大きめのバスタブがあることに気づき、ノアを下ろしてシャワーカーテンを引くと、ノアの顔がまた赤みを帯びる。  そんな素直なノアをバスタブに座らせると勢いよく湯を出して入浴剤を垂らす。  もこもこと泡が出来上がるのを楽しそうに見守るノアに合図を送り、バスタブとノアの間に身体を割り込ませたテッドは、驚いたように見上げてくる額にキスをし、背中からそっと抱きしめる。 「さすがに二人で入れば狭いな」 「……湯が溢れそうだ」  ノアの言葉に慌てて湯を止めて溢れ出すのを防止したテッドは、ノアの首筋に顔を寄せてキスをし、ピクリと揺れる体を緩く抱きしめる。 「テッド」 「どうした?」  薄い腹の前で手を組み、何度もノアの首筋にキスを繰り返していたテッドは、名を呼ばれてどうしたと顔を上げれば、言い淀んでいる顔が少し見え、顔を覗き込むように身を屈めればノアが後ろに手を伸ばしてテッドの頭に手を添える。 「うん……今まで男と付き合った事、あるのか?」 「付き合ったことはないな」  当たり前といえば当たり前の疑問にテッドが微苦笑しつつ返すと、腕の中でノアが身をよじって顔を見ようとしてくる。 「じゃあ彼女はいた?」 「いや、男も女も恋人はいなかったな」 「そうなのか!?」 「ああ。別に恋人を作らなくてもセックスはできる」 「そ、れは、そうかもしれないけど……」  テッドの明け透けな言葉にノアが思わず苦笑すると、お前はどうなんだと返されて蒼い目を瞬かせる。  「俺は、彼女はいたけど、うん、色々あって別れた」 「そうか」  じゃあチェリーボーイじゃないんだなと、ニヤリとテッドが太い笑みを浮かべると、目尻を赤くしたノアが誰がチェリーボーイだと目の前の顔を睨みつける。 「違うのなら良いだろう?」  そんな風にすぐに顔を赤くしてムキになるから可愛いと思うんだと、ボートで漁に出ていた時に可愛いと言われた事を思い出したノアは、可愛くないと否定の声を上げるが、ムキになって否定すればするほど可愛くなるからと笑われ、頬を膨らませてしまう。 「……からかいすぎた。機嫌を直せ」 「……」 「悪かった」  だから機嫌を直してくれ、何しろお前とこうしていられる時間は後半日ほどしかないのだからと、夜を越え朝を迎えればそれぞれの日常へと戻らなければならない現実をひっそりと口にするテッドにノアが短く息を飲むと、テッドの首に腕を回してしがみつく。  そうなのだ。ここで今つまらない言い合いをしている時間などないのだ。  そんな時間があるのなら少しでもテッドの事を知り、次にいつ会えるか分からない事から、五感の全てで覚えていたかった。  だからテッドの額にキスをし、軽く驚くような双眸を見下ろしたノアは、バスタブの中で向かい合うように座り込む。 「テッド……好き、だ」  その言葉はテッドの口の中に吸い込まれ、ノアは受け入れられた事に気付くと、そのまま目を閉じるのだった。  ピックアップから降り立ったノアは、荷物を当たり前の顔で運んでくれるテッドに礼を言おうと口を開くが、言葉を発しようとすると感情が先立ってしまい、何も言えなくなってしまう。  ノアがホテルを出て二人が再会したカフェで朝食を食べている時から様子がおかしいとは思っていたが、その原因が口に出すまでもない事だと分かっていても、またそれは今のテッドにはどうすることも出来ないことから、こちらもまた声をかけることができないでいた。  空港ターミナルは出発する人の見送りや到着した人を出迎える人たちが彼方此方にいて、自分たちもその中の一組だと気付いたテッドは、搭乗時間をノアに確かめようと声をかけるが、まるで死刑宣告を受けた人のように蒼白な顔を振り向けられてしまい、奥歯を噛み締めて拳を握る。 「────ノア、こっちに来い」  自身がどんな顔色をしているのかが理解できていないノアの腕を掴んで荷物をカートに載せたテッドは、大人しくついてくるノアを連れてカフェの横の観葉植物等で死角になっている場所に向かうと、壁と己の体でノアを挟み込む。 「……っ……!!」 「……ドイツに着いたら何時でも構わない、電話をくれ」  お前からの電話なら寝ていても起きるし、ボートの上でも絶対に気付くからと腕の間に囲った頭に囁くと、震える腕が上がりシャツの背中をきつく握りしめる。 「メッセージも送る。電話もする」 「……うん」 「俺もドイツ語を勉強するから、その時に教えてくれ」 「……っ、う、ん」  背後の視線が気になっていたテッドだったが、今腕の中で涙を流しているであろうノアを思えば周囲の雑音など耳に入ってこなかった。  顔を覗き込み、予想通りに涙が流れる頬を掌で拭ったテッドは、次は俺がドイツに行くと伝えるとノアが上目遣いに見つめてきて、嘘じゃないと伝える代わりに目尻にキスをする。 「必ず行く」  だから次はお前の家やスタジオを見せて欲しいと告げてノアを抱きしめると、背中を握る手に力がこもる。 「……う、ん……っ」 「リオンに会ってみたいな」  お前にそっくりな兄であり友人でもある男に会ってみたいと告げると俺以上にリオンと意気投合しそうで嫌だと涙声で拒否するノアに驚くが、昨日も言ったがそういうところが可愛いんだと囁き、不満そうに尖る唇にキスをする。 「テッド……っ!」 「ドイツまでは長旅だな」  機内で少しでも退屈を紛らわせるオーディオサービスがあれば良いと笑い、ノアが肩で目元を拭ったことに気付くと、顎を固定して濡れた唇にそっとキスをする。 「ん……っ」 「ノア……これを持っていてくれ」  本当は昨日ホテルで渡すつもりだったが、バスルームを出た後お前の意識が朦朧としていたから渡せなかったと笑ってポケットからベルベットの箱を取り出したテッドは、首を傾げるノアの前で箱を開け、昨日自宅を出てから買い求めた革紐を通した両親の形見のペンダントトップを手に取ると、驚くノアの首に回しかける。 「これ……」 「マオリのお守りだ」  この形はマナイアというものだと説明をされ、マナイアとノアが口の中で呟くと、魔除けだと思えば良いと教えられて掌にそれをそっと載せる。  深い緑の石は宝石などに詳しくないノアから見ても美しいもので、不思議な造形の由来も知りたいと思うが、テッドが何よりも己の身を案じてくれているのだと気付き、テッドの背中に再度両手を回してきつく抱きしめる。  この国で奇跡的な出会いを果たしたテッドと別れるのは辛く苦しい事だったが、逢えない寂しさはビデオチャットで乗り越え、時間ができればまた来れば良いと気付いたノアは、そのために仕事を頑張らないといけないと小さく笑うと、働きすぎには気をつけろ、倒れてしまえば元も子もないんだからなと諭され、素直にうんと頷く。 「次はドイツで逢える?」 「ああ、そうだな……必ず逢いに行く」  だからもう泣くのをやめてくれ、飛行機に乗っている時にも泣いているのかと思えば心配で仕方がないと笑うテッドにノアが息を飲んだ後、うんと頷き手の甲で目元を拭う。 「ダンケ、テッド。大切にする」 「ああ、そうしてくれ」  それは俺にとっても大切なものだからと笑うテッドを見上げたノアだったが、再度顔が寄せられたことに気づき、目を閉じて重なる唇の感触を忘れないようにと体に刻み込む。 「……いつまでもここにいたら帰れなくなる」  だから、まだ少し早いけれど出国手続きを済ませると名残惜しさを振り切って笑うノアにテッドも頷き、今回の仕事が完成したら写真を見せてくれ、ミアもきっと見たがるだろうと笑い、自信満々にサムズアップをされてテッドの笑みが深くなる。 「本当にありがとう、テッド」  ドイツに着いたら必ず電話をする、だから出てくれと告げて荷物を積んだカートを押すと、テッドがその場に立ち止まってジーンズの尻ポケットに両手を突っ込む。 「気をつけてな」 「うん。お前も気をつけて帰ってくれ」  ここから、あの毎日がピクニック気分を味わえる自宅まで長距離ドライブになるだろうが、気をつけてくれ、そしてあの可愛い少女に礼を言っておいてくれとテッドとの距離に軽く驚きつつ頷いたノアに素っ気なく頷いたテッドは、踵を返してカートを押し始めたノアを見送りながらポケットをぎゅっと握りしめる。  こうしてポケットを握りしめていないと、小さくなる背中を抱きしめて引き止めてしまいそうで。  無意識に歯を食いしばりながらノアの背中を見送り、見えなくなった事に気付くと全身から力を抜いてテッドも踵を返す。  ノアと機内で隣同士という偶然を翌日再会した事で縁につなげ、自宅に招待した事でその縁を強固なものへとすることができた。  その、人の縁の不思議と奇跡を感じられた数日間を振り返り、今までの誰とも経験したことがないほど密度の濃い時間だったと気付くと、ジワリと胸が温まった気がしたテッドは、その温まった胸のままピックアップに乗り込んで長距離になる道を安全運転に気を配りつつ帰路につくのだった。  今、空港に着いたと、迎えに来てくれる約束をしているリオンにメッセージを送ったノアは、預けていた荷物や手荷物や仕事道具をカートに載せてゆっくりと押して行く。  到着ロビーに出て周囲を見回してもブロンドと白髪という組み合わせの人物が見えなかった為、少し緊張しつつスマホを取り出してメッセージアプリを開く。  何件かメッセージが届いていたが、その中の一つがテッドのもので、今から漁に出るという短い一言を見た瞬間、ノアの脳裏にあの日見た濃紺の世界を切り裂くオレンジ色の光が溢れ、ジワリと涙が浮かびそうになる。  泣いているとテッドを心配させる、だから泣くなと己に言い聞かせ、アプリを操作して通話ボタンを押したノアだったが、程なくして少しだけ眠そうな声がノアかと呼びかけてくる。 「うん……今空港に着いた」 『そうか』 「うん……テッドは今から仕事か?」 『ああ。────お前に逢いに行くために金を貯めないといけないからな』  今までのように食っていけるだけでは心許ないから本気を出して働くと笑うテッドにノアが自然と笑みを浮かべて頷き、俺はこれから家に帰ると伝え、周囲を見回して誰も己を見ていない事に気付くとスマホの画面にキスをする。 「……また、メッセージを送る」 『ああ……ノア、好きだ』 「うん」  俺も好きと返してスマホをジャケットのポケットに戻したノアだったが、にやにやと笑うリオンと申し訳ないが見てしまったと言いたげな顔で同じく笑うウーヴェが間近にいる事に気付き、文字通り飛び上がってしまう。 「!!」 「……なーオーヴェ、あれ絶対好きな相手だよなぁ」 「……ニュージーランドで仕事をしただけじゃなく恋人も作って来たみたいだな」  己の肩に腕を乗せてにやにや笑うリオンの言葉にウーヴェも仰々しく頷くが、そんな二人の前でノアがまるで酸欠の魚のように口をパクパクとさせる。 「い、い、い……」 「いつからって? お前が俺も好きってスマホに告白してた頃かな?」  お前から聞かされていた飛行機の便名から到着時間を割り出し早めに迎えに来ていたと種明かしをするリオンに真っ赤になって何も言えなかったノアだったが、ウーヴェがおかえりと穏やかな顔でいつものように出迎えてくれた事に気付き、咳払いをしてうんと頷く。 「メシを食う元気があればゲートルートに行くけど、無理なら家に送って行くぞ」  どうだと、言葉は雑なものながらもノアの体を気遣ってくれるリオンの言葉に小さく頷いたノアだったが、流石に長時間のフライトで心身ともに疲労してしまっている為自宅に帰りたいと伝えると、ノアの手からカートを奪い取ったリオンが行くぞと歩き出してしまう。  先に歩くリオンの後をステッキをついたウーヴェがゆっくりと歩き、ノアもその動きに合わせてゆっくりと歩く。 「ニュージーランドは楽しかったか?」 「すごく楽しかった」  人生が変わる経験を初めてしたと笑うノアが無意識に胸元に目を向け、それに気付いたウーヴェがそのネックレスはどうしたと問いかける。 「あ、これは……」  不思議な縁で知り合った人から貰ったものだと答えるとさっきの電話相手かと問われ、揶揄うような気配が全くなかったことからノアも素直になってうんと頷く。 「……テッドという漁師から貰った」 「そうか。……きみが良ければ話を聞かせて欲しいな」 「俺もウーヴェに聞いて欲しい」  駐車場に停めてある二人の愛車にリオンが荷物を載せ、ようやく追いついた二人がリオンに労いの言葉をかける。 「ありがとう、リオン」 「おー」  カートを返しに行ったリオンを見送り先に車に乗り込んだ二人は、また写真を見せるけれど星空がすごく綺麗だった、彼の家の庭で食事をしたけどまるでピクニックに行っているようだったと笑うノアの目尻に涙が滲み、それに気付いたウーヴェがそうかと目を細める。 「……本当に、楽しかった」 「良かったな」  ウーヴェの言葉に無言で頷いたノアは、ルームミラーでウーヴェと視線を合わせることが出来ず、窓の外をじっと見つめることで溢れ出しそうな感情を何とか押し殺す。  運転席に乗り込んで来たリオンが車内の空気がおかしい事に気づいて口を開こうとするが、ウーヴェから送られて来た合図に気付き、帰りますかーと暢気な声をあげて駐車場から車を走らせるのだった。  まさか仕事で訪れたニュージーランドで恋人が出来るとはひと月ほど前には想像すらできなかったノアだったが、コンクリートと剥き出しの鉄骨造りの自宅に帰ってきても、今までのような安堵感を得ることが出来なかった。  自宅が落ち着かないのはどういう理由だと、疲れ切って溶けそうになっている脳味噌が導き出した答えは、決して広くも家具がたくさんある訳でもないあの家が、ノアにとってかけがえのない場所になってしまったという回答だった。  服を脱いでベッドに潜り込んだノアは、外す事を考えもしなかったペンダントトップを手に乗せ、俺の幸運を祈ってくれるのなら贈り主の幸運も祈ってくれと告げてキスをし、小さく体を丸めて意識を手放すような眠りに落ちるのだった。
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  ……本当に、楽しかった。
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