Garden of Southern Cross.

第1話 Garden of Southern Cross.
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 涙に滲むターコイズ色の双眸が、今まで生きてきた中で目にした最も美しいものに思え、それを手に入れられた錯覚に陥るが、今それがここにあるのは一時の気の迷いどころか緊急事態がもたらしたものであり、決して己のものにはならないと分かっていた。  涙の奥から真っ直ぐに見つめる視線に込められているのは、己とよく似た人への思慕で、己はただの代替品だった。  ただ、そうだとしても、こうしていると己にそれが向けられているのでは、と、ほんの僅かの錯覚を抱いてしまう。  それを認めることも受け入れることも出来ず、目尻から流れ落ちる涙を止めたくて、己では無い名を呼ぶ声を聞きたくなくてキスで口を封じる。  背中に回った手の温もりも何もかもが現実感のないものに感じつつも、体は即物的な快感を覚えて体内の熱を解放するが、それと同時に取り返しのつかない、償うことのできない傷を彼に与えてしまった現実に気付き、体の熱が解消されたはずなのに心の中に決して消えない何かを抱えてしまったことにも気付くのだった。 「……!!」  いつ頃からか自覚はなかったが、疲労がひどい時や眠りに落ちるのに時間を要するようになった頃から見るようになった夢から醒めたノアは、その度に感じてしまう罪悪感とやるせなさと、それでも失うことの出来ない思いを溜息の中に混ぜ込んで枕に吐き出す。  ベッドサイドのボードには無機質なデジタル時計が明け方の時間を教えてくれていて、もう少し眠りたい気持ちと、時差が体の中で鬩ぎ合っている感覚からもう一度ため息を吐いて起き上がると、ベッドに入る前に脱ぎ散らかした服を避けてバスルームに入り、少し熱めのシャワーを頭から浴びる。  体内に残っていた夢の残滓を洗い流し、ついでに心にも残っている彼に対する想いと罪悪感も流し去ってくれれば良いのにと願うが、たかがシャワーにそんな力があるはずもなく、仕方がないかと自嘲し、くすんだ金髪を泡まみれにする。  この髪の色も目の色も、少し前までは存在すら知らなかった実の兄と瓜二つで、鏡に映る己の顔によく似たもう一つの顔を重ね合わせて重苦しいため息を吐き、バスルームの壁を拳で軽く殴ってしまう。  考えても仕方がないこと、どうにもならないことは考えない、そう習慣づけるようにはしていたが、それが成功したとは思えず、ああ、もうと、己に対する苛立ちを口にする。 「仕方ないだろ?……あれは、あの時だけだ」  人前で涙を見せ、パートナー以外と関係を持つなんて普段の彼ならばありえないことだ、あの時はいつもの彼ではなかった、だから自分へと想いが向くことはない、忘れてしまえと苛立たしげに呟くが、納得などできない己が、ならば何故さっきのような夢を何度も見、夢の中で何度も彼を抱いているんだと返され、答えの出ないそれに口を閉ざしてしまう。  昨日、空港で見送ってくれた時もそうだが、ノアの仕事について成果が出れば兄と一緒に誰よりも喜んでくれ、祝いだといって食事に招待してくれたり自宅に招いてくれるが、その時間はノアにとってかけがえのないものだった。  それは、彼がいるからというだけではなく、己と彼の一夜限りの関係を知った上で頭突き一つで全てを許してくれた、兄だが関係は友人に近いリオンも一緒に喜んでくれる、ノアとの時間を楽しんでくれているからだった。  そんな二人の側にいて何も考えずに笑っていられる、ただそれが、それこそが幸せだと気付いたのはいつだっただろうか。  その幸せを壊したくない、大切にしたいと思う反面、全てを壊してでも彼を手に入れられればというどす黒い感情にも気付いてしまい、二人と一緒にいる時間の心地よさを鍵にして己のその思いを封じてきたのだ。  ただ、疲労が激しくなると無意識に封が解かれるようで、さっきのように夢に見てしまっていた。  そんな己を情けないと嘲笑い、もう一度頭からシャワーを浴びたノアは、初めて訪れている国での仕事を精一杯楽しもうと己に言い聞かせ、バスローブ姿で出ると少しの時間のんびりとし、今日の朝一番の打ち合わせに向かうために気持ちの入れ替えを図るのだった。  ホテルをチェックアウトし、朝食をカフェで食べようとホテルから出たノアは、命の次に大事なカメラが入ったバッグを担ぎ、今日もいい天気になりそうな空を見上げてピンとくるカフェを探して歩き出す。  人々が本格的に動き出すにはまだ少し早い時間だったようで、通りを行き交う人達の数も少なく、路面電車が走る通りを歩いていると、オープンしたばかりの居心地の良さそうなカフェを発見し、ドアを潜って中に入ると、朝から耳に優しいジャズが流れ、先客がカウンターの端に寄り掛かりながらバリスタらしき店員と談笑していた。 「モーニン、ミスター」 「あ、ああ、モーニン。……食事をしたいんだけど、何があるかな?」  店員の朝から聞くには気持ち良い元気さを含んだ声に釣られるように笑顔を浮かべたノアは、カウンターの奥の壁にあるメニューに気付き、クロワッサンサンドとカフェラテを注文し、通りが見える席へと向かう。  人がまだ少ないからかそれとも店員の性格なのか、カフェラテの準備をしながら、旅行ですか仕事ですかと朗らかに問いかけられ、仕事だとぶっきらぼうにならないように気をつけつつ返し、初めてこの街に来たけど気持ちがいいと素直な感想を伝えると、嬉しそうに頷かれる。 「お仕事、頑張って下さいね」 「うん、ありがとう」  初めての街で初めて入ったカフェの店員の対応が良かった、ただそれだけでこの街が、ひいてはこの国が好きになりそうになったノアだったが、店の前に止まった古いピックアップから車のゴツさに相応しい体格の男が降りてきたことに気付くが、クロワッサンサンドが想像以上に空腹を刺激してしまい、店に入ってきて先程の店員と一言二言言葉を交わしているのに意識を向けられなかった。  ふらりと入った店でオーダーした食事が予想外の美味さに、この後いい事がある、そんな予感を抱きながら綺麗に食べ終えたノアは、少しずつ客が入ってきた為に忙しそうにしている店員に手を挙げて美味しかった、ありがとうと礼を告げて外に出る。  荷物を担ぎ直し、高く晴れ渡る空を見上げて一歩を踏み出した時、死角から飛び出してきた何かにぶつかられてしまい、危うく転びそうになって目の前にあったピックアップのボディに手をついて体を支える。  何なんだ一体と、どちらかといえば温厚で激昂する事が少ないノアが目を釣り上げて振り向いた時、何かを手にしたまだ未成年らしき少年の背中が見え、まさかとポケットがいくつもついたベストの内ポケットに手を突っ込むと、そこにあった財布がなくなっていて。 「誰か、そいつを捕まえてくれ!」  財布を摺られたと大声を出した瞬間、カフェからテイクアウト用の袋を片手に出てきた男がそれをノアに持っていろと突きつけ、呆然としつつそれを受け取ったノアの目の前、大袈裟な表現だが黒い影としか思えないほど敏捷な動きでその男が駆け出し、ノアの財布を摺った少年に追いつきそうになる。  ピックアップの側で紙袋を片手にぽかんとそれを見送ったノアは、カフェの店員が出てきて財布を摺られたのかと親身に問いかけてくれるが、それに対しても呆然としたまま頷くことしか出来なかった。 「あー、でも、テッドが追いかけてるから大丈夫かな」  お客さん大変な目に遭ったけどあなた運がいいよと笑われ、意味が分からないと眉を寄せたノアだったが、店員が何故か自慢げにホラと信号一つ分離れた先の道路を指差し、そちらへと目を向ければ、信じられない事に少年の首根っこを文字通り掴んだ厳つい男が大股にやってきて、その顔にノアが信じられないと目と口を丸くする。 「テッド!?」 「……やっと気付いたか」  そう苦笑いしつつ少年を引き摺ってやって来たのは、昨日空港で出会い、飛行機で隣の席だった為に親しくなったテッドで、そういえばカフェの店員もテッドと言っていたことを思い出し、何故か店員と彼の顔を交互に見比べる。 「テッドと知り合いだったの、お客さん?」 「え? あ、ああ、昨日飛行機で隣の席だったんだ」 「へー、すごい偶然だね。────警察には通報したからすぐに来るよ」  店員の言葉に重なるようにパトカーのサイレンが遠くから聞こえ、早朝の街に物騒な空気が一瞬満ちるが、テッドの手から何とか逃れようと踠いていた少年がその音を聞いて無駄な抵抗を止める。 「……やっと気付いたかって……」  もしかして俺がカフェにいたのを知っていたのかと問いかけるノアの言葉にテッドが頷き、美味そうに朝飯を食っていたなと厳つさの中に愛嬌のある笑みを浮かべた為、ノアの目元が一瞬で赤く染まる。  もしかしてとんでもない顔を見られていたのではという羞恥に思わず上目遣いにテッドを睨んだノアだったが、どうしたんだと小首を傾げられて何でもないと首を振る。 「……あ! テッド、本当にありがとう! 助かった!」  クロワッサンサンドを食べている時の顔を見られた羞恥など後回しにしなければならないほど大切なことを思い出し、テッドが無造作にしか見えない手つきで動きを封じている少年を睨むと、俺の財布を返せと手を突き出す。 「……俺の財布って言っても中に大した金入ってねぇし」  こんな薄っぺらい財布をスッてサツに捕まるなんてと、諦めたようにその場に胡座をかいて座る少年の言葉にノアが半ば目を閉じた後、全財産を一つの財布に入れるバカがどこにいる、それを見抜けないのだからスリなんてやめて真っ当に働けと腕を組んで少年を見下ろすが、ふと脳裏に毎日この少年のような子供達と接していたことを思い出す。  生まれ育ったウィーンからドイツ南部の街へと生活の拠点を移転させてから何かと世話になっている教会とその付属の孤児院が第二の実家のように顔を出していたが、そこで日々過ごす子供達の中に、どうしても癒えることのない傷を埋めようと、人を困らせたり警察の世話になるようなことをしてしまう子供達もいた。  そんな彼らを思い出し、この少年もそんな事情があるのかもと少しだけ胸を痛めるが、だからと言って甘い顔を見せればつけあがることもわかっていて、悔しそうな顔で睨んで来る少年の黒い巻き毛に拳を一つ落としてグリグリと手に力を込めると、少年が痛い痛いと悲鳴を上げる。 「この後警察に行って絞られてこい」  そしてここで本気で性根を入れ替えなければお前の未来は路傍の石ころのように悪い方へと転がっていくだけだぞと、そんな未来を選択してしまった少年少女を見続けて来た優しい女性の横顔を思い浮かべつつ本気で心配し少年の前にしゃがみこんで目を合わせると、少年が反発から睨みつけて来る。 「お前のような子供がどうなるかをたくさん知っている」 「……」  路傍の石のように転がり続け、気が付けば誰にも目を掛けられずに看取られずに死んでいく、そんな将来が欲しいのなら好きにしろ、それが嫌なら真っ当に生きる道を歩けと、少年の未来が少しでも明るくなればと願いつつ呟いた時、パトカーが近くに止まって警官が二人駆け寄って来る。 「……テッド? お前が捕まえてくれたのか?」 「ああ、偶然目の前でこいつが知り合いの財布を摺ったんだ」  どうやらテッドと警官は顔見知りのようで、驚きつつも安堵を滲ませながら近づいて来た警官にテッドが手短に説明をし、知り合いと紹介されたノアへと顔を向ける。 「おはようございます、朝から災難でしたね」 「おはようございます。いえ、テッドが近くにいてくれて良かったです」  警察官と気軽にこうして話をするなど、以前なら考えられなかったが、実兄のリオンと出会った事件の際に親身になってくれた刑事達と今でも交流があり、その結果制服警官にも友人が出来るほどだった。  だから警官の姿を見ても萎縮したり恐怖したりすることはない為、バッグの底にしまってあるパスポートを警官に提示すると、ノアの身元を確かめてこの街に来た理由を確認すると、胡座をかいていた少年を引っ張り起こしてパトカーへと連行していく。  その背中を見送り、ふぅと溜息を吐いたノアだったが、警官から少し聴取に付き合ってもらう必要があると言われて目を見張り、10時から仕事の打ち合わせがあるんだと眉尻を下げる。 「……財布の中身は無事だったんだな、ノア?」 「え? ああ、うん、大丈夫だ」  それに元々大した金額を入れていない財布だったしと肩を竦めると、テッドが一つ頷いて警官に何やら説明をし始める。  ノアがぽかんとそれを見守っている前、まあお前がそういうなら俺は構わないと小さな声が流れ込み、テッドが何やら問題を解決してくれたことに気付く。 「ノア、仕事の打ち合わせはどこだ?」 「ここ、知ってるか?」  友人が仕事の打ち合わせ場所に指定した住所をスマホで表示したノアは、その場所ならここから車で30分ほど離れている、送ってやると言われて目を丸くする。 「え? 良いのか?」 「別に構わない。今日の予定は家に帰るだけだからな」  何時に帰ろうが独り暮らしなんだ問題はないと笑うテッドの言葉に甘えても良いのかと上目遣いに問いかけたノアは、少しの沈黙の後、気にするなと笑われて安堵に胸を撫で下ろしてしまう。  初めて訪れた街で仕事に入る前に遭遇してしまったスリという事件。その事件は小さなものだったがノアの心に不安を植え付けてしまっていて、昨日知り合ったばかりのテッドと少しでも一緒に居られれば安心できると、何故かこの時強烈に思い込んでしまったのだ。  その思いがどうして芽生えたのか、この先形を変えてどのような顔でノアの胸の中に居座り続けるのかも予想できず、ただ今覚えた不安を解消できるありがたさに素直に頷く。 「ありがとう、テッド、本当に助かる」  初めての街でスリに遭って警察官の世話になるなんて、良い思い出にならない事態に巻き込まれたと悲しかったが、テッドがいればそれも良い思い出になりそうだと笑うと、厳つい日に焼けた顔に読み取れない表情が浮かび、ごほんと咳払いをされた後、気にするなとぶっきらぼうに言い放たれてしまう。 「……じゃあ、ミスター・クルーガー、お仕事うまく行くことを祈ってます」 「あ、ありがとうございます」  警察官の言葉に慌てて礼を返したノアは、じゃあテッド、またなと手をあげて踵を返す警察官を見送り、パトカーが立ち去るのをその場で見送ってしまう。  何事だと少しだけ集まっていた人たちもパトカーが去ったことで事件が終わったのだと気付いて己の日常へと戻って行くが、テッドが古いピックアップに乗り込もうとするのに気付き、ノアが慌てて運転席に回り込んで車に乗り込んだテッドにどうすれば良いと、窓枠に手を掛けて問いかけるが、何かがおかしかったのか、テッドが肩を揺らして笑い出す。 「?」 「そんなに慌てなくても置いて行かない。助手席に乗れ」  それが嫌なら後ろの荷台に乗っても良いぞと笑われて今度は顔中を真っ赤にしてしまったノアは、ずっと手に持ったままだった紙袋の存在を思い出し、笑い続けるテッドにそれと己の仕事道具を納めたバッグを突き付け、カフェに行くから少しだけ待っていてくれと小さく叫んでテッドの返事を聞く前にカフェへと戻って行く。  ノアの手から荷物一式を受け取ったテッドは、興味深そうな顔で車内から見えるカフェの様子を伺うが、ラジオから聞こえる朝のニュースが全国版から地方版へと切り替わった頃、ノアが同じような紙袋を手に戻ってきたかと思うと、助手席のドアを開けて乗り込んでくる。 「────これ。コーヒーが冷めてしまっただろ?」  事件のごたごたでコーヒーが冷めてしまっただろうからと、新しいものを買ってきてくれたノアにテッドが目を丸くするが、同じものを買ったから大丈夫だと思うと自信なさげに続けられてしまい、テッドがありがとうとぶっきらぼうに礼を言ってそれを受け取れば、ノアの顔に信じられないほど幼い笑みが浮かび、これがきっとこの青年の本性なんだろうと気付く。  さっき警官が到着するまでの間にスリの少年に説教をしていた顔は随分と老けたものに思え、昨日機内で己の仕事の成果を褒められて嬉しいと笑った顔を思い出し、随分とギャップがあると思っていたが、今見せらせた顔がきっと無意識のものだろうと気付くと、こんな顔で笑える青年があのような表情を浮かべる理由はなんだと脳内で呟くが、この年まで生きてきた己にも色々な事があったが、きっとノアにも色々あるんだろうと結論づける。 「ノア、冷めても気にならないならこれを飲むか?」  ノアが新しいコーヒーを買ってくれた為に二杯になった、飲まないかと紙袋からカップを取り出したテッドの言葉に、喉が渇いていたからちょうど良かったと笑ってそれを受け取ったノアに素っ気なく頷いたテッドだったが、ホットサンドを袋から取り出して二口三口でそれを食べ終えると、呆気に取られた顔でノアが見つめてくる。 「……仕事柄、早食いが癖になってるんだ」 「喉を詰めなければ良いんじゃないか?」  ノアの視線に何故か羞恥を感じて言い訳じみたことを呟くと、ノアが微苦笑しつつその言葉を否定せずに頷き、ふぅと満足げな溜息をこぼす。 「どうした?」 「……テッドに会えて良かった」  もしもあのまま財布をスられたまま仕事に臨んでもちゃんとした仕事が出来たか分からなかった、ある意味命の恩人かもしれないと笑うノアに、たかがスリを捕まえたぐらいで大袈裟だと笑うと、ノアの目元が赤らむが、それぐらい嬉しいことだったんだからと口の中でブツブツと文句をこねくり回す。  その横顔がさっきの笑顔同様随分と幼く見え、きっと家族や友人から愛されて育ってきたんだろうと自然とノアの幼い頃を想像してしまう。  家族の誰からも愛され、得られる愛情は疑う余地もない当然のものだった、そんな幸福な子供時代。  己がどれほど望もうがついぞ得られることのなかった、無条件で愛されていたそんな時代がきっとノアにはあり、その結果が今のこの表情なんだろうと思いつつカフェラテを一口飲んだテッドが、家族に愛されていたんだなと呟いた瞬間だった。  たった今浮かべていた笑顔や羞恥からの思いが波が引くように消えたかと思うと、一瞬で無表情になってしまったのだ。  まるで別人の様に表情を変えたノアに掛ける言葉が見つからなかったテッドだったが、己の一言がその変化をもたらしたことだけは理解していて、こんな時にふさわしい言葉は何だと元々少ない口数を更に減らしつつ考えたが、導き出された答えは一つだけだった。 「……プライベートに首を突っ込みすぎたな、悪かった」 「!!」  いくら親しくなったとはいえプライベートに首をつっこむことはあまり良くないなと反省の言葉を素直に口にすると、ノアが息を飲んで運転席へと顔を向ける。 「あ……い、や、俺も……その、悪かった」 「どうして謝る?」  もしかするとお前の触れられたくない事に無遠慮に手を突っ込んだのは俺だ、お前が謝る必要はないとのあの顔を正面から見る様に顔を向けたテッドは、その言葉を聞いて安堵と不安ともう一つ理由は分からない感情を浮かべる顔を見つけ、そんな顔をするなと思わず口に出してしまう。 「お前は何も悪くない。謝る必要はないしそんな顔をするな」  テッドにとっては己の言葉が原因でノアに不愉快な思いをさせたという反省の言葉だったのだが、ノアにとっては別の意味も重なってしまったのか、手の甲でぐいと目元を拭った後テッドから顔を背けて窓枠に手をついてしまう。 「……そろそろ待ち合わせの場所に行くか?」 「……うん」  そうしてもらえると助かると、半ば開いている窓に呟いたノアの姿にテッドが小さく溜息をこぼすが、そっと伸ばした手をくすんだ金髪にポンと載せ、くしゃくしゃと髪を乱す様に撫でると、びくりと肩が竦むが拒絶されている感じは伝わってこなかった。  己がぐしゃぐしゃにした髪を撫で付ける様に撫でた後、ステアリングに手を乗せシフトレバーを操作したテッドは、目的の場所に着くまで口を開くどころか顔を見せないノアの様子が気になっていたが、己の言動の結果だから仕方がないと半ば諦めつつ車を走らせるのだった。  ノアが教えてくれた場所の前に到着した事に気づいたテッドは、着いたぞとぶっきらぼうに告げてしまい、少し反省してまだ待ち合わせの時間には早いがどうすると問いかける。 「……ダンケ、テッド」  テッドの言葉に振り向いたノアだったが、その顔に浮かんでいるのは昨日飛行機の中で仕事の説明をしていた時と同じもので、ここに来るまでの間に気持ちの整理をした事に気づいたテッドは、今のはドイツ語のありがとうだったかと問い返し、うん、そうだと頷かれて同じ様に頷く。 「もう家に帰るんだよな、テッド?」 「ん? そうだな、この街での用事は昨日のうちに終わったからな」  あとは帰るだけだと笑うとノアが笑みを浮かべた顔を少し伏せたかと思うと、仕事がどうなるかまだ分からないが落ち着いたら飲みに行かないかと誘いつつ顔を上げた為、もちろん構わないが、この街にはなかなか出てこれないぞと肩を竦める。 「うん、そうだよな。だから俺がそっちに行く」 「ダニーデンに来るか?」 「うん、行く。……何だろう、よく分からないけど、テッドと一緒にいるとすごく楽になる」  初めての街に仕事で来、その興奮と緊張に隠れていた不安が先ほどの事件で一気に顔を出したが、ここに来るまでの間にその不安は消えて今はただ仕事を楽しみたい気持ちで一杯になった、それはきっとテッドと一緒にいるからだと笑ったノアに咄嗟に何も言えなかったが、仕事が終われば絶対に連絡する、だから飲みに行こうと笑顔でもう一度誘われ、良いなと頷いたテッドは、ノアに向けて大きな手を差し出すと、少し照れた様にノアがその手を握る。 「じゃあ仕事に行って来る。うまく行く事を祈っててくれ」 「ああ。お前なら大丈夫だろうな」  だから行ってこいと、すっかり過去の様に思えるが、一昨日見送ってくれたリオンとウーヴェが頑張ってこいと背中を押してくれた時以上に力をくれるテッドの手をもう一度しっかりと握りしめた後、笑顔を浮かべて車から降りる。  そして、テッドが見守る前で待ち合わせをしていたビルに入って行くのだった。    
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  うん、行く。必ず行く。
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