「・・・ドク、申し訳ないがリオンの聴取に入りたい」
「あ、ああ、申し訳ない」
呆然と視線だけで混乱ぶりを伝え合っている二人に咳払いをしたマクシミリアンがウーヴェに申し出、それに気付いて何度も頭を縦に振ったウーヴェは、とにかく聴取を受けてこい、終わるまでここで待たせてもらっているからと、周囲の歓迎の雰囲気に背中を押されてリオンの肩を撫でたウーヴェは、何やら戸惑っている様子のリオンに首を傾げるが、背中の古傷が痛むほどの強さで抱き締められて目を白黒させてしまう。
「リオン・・・?」
「・・・・・・待っててくれ」
「ああ。この間ダニエラから依頼があった件について話をしているから大丈夫だ」
だから行ってこいと、リオンの腕を微かに震えさせる感情が何であるかを察したウーヴェが安心させる様に背中を撫で、待っているから行ってこいと再度繰り返すとようやく得心がいったのか、リオンの顔が上げられる。
「・・・・・・ん」
「一人にしないから安心しろ」
腕を震わせた感情、つまりリオンが素直にそうと見せない孤独への恐怖を、今この場所で、懐かしいお前のホームグラウンドでもあったここで感じなくて良いと、言葉に出す代わりに不安げに小さく開く唇にそっとキスをしたウーヴェが周囲の視線を黙殺し、耳朶に嵌る青いピアスごと耳を撫で、そんなウーヴェの額に額を重ねる様にリオンが顔を寄せる。
「ドク、そこでコーヒーでも飲んでいて下さい」
「ありがとう」
以前はただリオンが結婚する前のウーヴェとの関係について毎日話してうるさいぐらいだと思っていたが、結婚後の二人の様子を間近で見たのは久し振りで、変わらないことへの安堵と嫉妬に周囲にいた刑事たちの視線が険しくなる。
「ダニエラ、コールタールみたいなコーヒーをドクに出してやれよ」
「・・・お湯で薄めてくれないかな」
「ドクに反論の権利はない!」
マクシミリアンと共に取調室にリオンが入った直後、ダニエラが無言でコーヒーメーカーの前に向かい、ヴェルナーが今にも飛び掛かりそうな顔でウーヴェを睨む。
「ヒドイな」
「目の前でイチャイチャするからよ」
リアが時々愚痴る理由がわかったと、コールタールの一歩手前の様なコーヒーが出てくる覚悟のウーヴェの前、想像以上に普通のコーヒーが出され、安心して受け取って口を付けるが、ダニエラが呟いた言葉に本日二度目、液体を喉に詰めそうになってむせ返る。
「・・・ぐっ!!」
「ドク、大丈夫!?」
己の言葉がもたらした結果に慌てたダニエラがウーヴェの背中を撫でるが、大丈夫だと涙混じりの声で礼を言われて胸を撫で下ろす。
「あ、ああ、そうか、ダニエラはリアと出掛けたりするんだったな」
「そうよ。今度ライブがあるから行こうって言ってるのよ」
私服刑事が趣味に時間を取れることは本当に良いことだと、皮肉ではない本心から伝えたウーヴェは、リオンが入った取調室のドアの後、その隣のドアを見て眉を寄せる。
今、リオンと比べられないほど厳しい取り調べを受けているだろう初老の男は、何故ハイディ・クルーガーを狙撃したのか、殺すつもりだったのか、それともただ怪我をさせることが狙いだったのかなど聞かれているのだろうが、ウーヴェが今最も知りたいのは、先ほどリオンに呆然と問いかけた言葉の意味だった。
『きみはヴィルヘルムとハイデマリーの子供だろう』
その言葉の意味は額面通りに受け取ろうが額面の外を察しようが、リオンの親があの二人だと男が思っていたということだけだったが、驚いていたリオンの様子からもあの男と初対面であることは間違いがなかった。
その初対面の男が、リオンをまるで亡霊か何かを見る様な目つきで見つめた後、脳内で想像している誰かの子供ではないかと問いかけたのだろうが、何故その二人なのだろうか。
男の呟きから生まれた疑問は、荒れる川に立つ波飛沫の様に生まれては消えていくが、消えた痕跡を隠す様に次から次へと生まれてくる。
泡の様な疑問が生まれる根源はなんだと、メガネの下でターコイズ色の双眸を半ば隠し、考え事の癖で手の上で万年筆を回転させているかの様に指を動かしてしまう。
疑問の発生場所を俯瞰した時、発砲事件が起きる前に考えていた、ノアがリオンと血縁関係があればどうだという声が脳内に響き、隠していた目を全開にしてしまう。
夕方、ウーヴェがつらつらと考えていた、リオンとノアの血縁関係。もしそれが本当にあるのだとすれば、と何度目かの思考の痕跡を辿った時、カメラを構えて笑う男の顔が滑り込む様に脳内に浮かび上がる。
それは、家族写真を撮影するためにカメラを構えているヴィルヘルム・クルーガーで、カメラで目元などは隠れているが、顔全体の雰囲気などが何故か安心できると感じたことも思い出し、その理由を何となく胸の内で呟いたウーヴェの身体が雷を受けた時の様に衝撃に揺れ、咄嗟にデスクに手をついて体を支える。
「ドク?」
コーヒーを前に何やら考え込み出したウーヴェの様子を見守っていたダニエラだったが、急に痩躯がびくりと揺れ、驚愕の顔でデスクに手をついたことに彼女も驚きに目を見張ってしまう。
「・・・ダニエラ、あちらの取調室に入った彼だが・・・名前などは教えてもらえないかな?」
「・・・名前程度なら明日の新聞に出るでしょうし、ニュースでも流れるから良いかな」
ただ、情報源は秘密にしてねと肩を竦める彼女に当然と頷いたウーヴェは、慌てて用意されたらしい書類をそっと差し出し、ヴェルナーもそれを見て見ぬ振りをしてくれる。
慌てて集められた情報らしく、必要最低限のことしか書かれていないそれをウーヴェがそっと脳裏に書き記していく。
男の名前は、ベンヤミン・シュペーア。ベルリン在住の工場勤務者で、家族は老人ホームに入居している母と大学に通う娘が一人。妻とは娘が幼稚園の入園前に離婚していることが書かれていたが、身体的特徴としてまず目につく右足を引きずり、杖を使用していることについて、若い頃に秘密警察によって聴取を受けた際に痛めたと書かれてあり、目を瞬かせてダニエラを見ると、無言で肩を竦められる。
年齢から考えて当然ながらベルリンという街が東西に分断されていた時代を知っているどころか青春の真っ只中だっただろう彼が、秘密警察の取り調べを受ける様な何かをしたのかとの思いがあったが、あの当時、友人や近所の人達が中々信頼できないと、多少の誇張を含めて聞かされたことがあったが、もし彼が何らかの理由で当時幅を利かせていた秘密警察の取り調べを受ける様な事件を起こしていたのだとすればと仮定し、真っ先に思い浮かんだのは、亡命という単語だった。
「・・・彼は旧東ドイツの出身なのかな」
「どうかしら。昔からベルリンに住んでるみたいだけど・・・」
ベルリンの壁がある当時、ベルリンの西に住んでいた彼が秘密警察から拷問される可能性よりも東ベルリン在住だと考える方が自然で、一体何をしたんだろうと呟き、書類をデスクに置いて溜息を零す。
夕方から脳味噌をフル回転させ、仮説を組み立ててきた疲労感が出てきたのか、再度溜息を零して頬づえをついたウーヴェは、リオンが入っている部屋のドアに再度目をやり、あの言葉の意味はどういう意味だろうとポツリと呟く。
「・・・ドク、シュペーアだけど、リオンの両親を知ってるのかしら」
ウーヴェの呟きがダニエラの耳にも届いた様で、さっきのやりとりを見ていて感じた疑問を口にした為、ウーヴェが彼女へと顔を向ける。
「そう思うか?」
「ええ。友人、知人の子供を見たって顔してたわ」
ダニエラの疑問は当然のものだったが、確かにそうだと答えることしかウーヴェにはできず、彼の知人の中にリオンと良く似た人達がいるのかも知れないとだけ返し、コーヒーを飲み干す。
「・・・リオンの親、か」
「混乱していないと良いのだけど」
ここにいる大半はリオンが孤児院の出身である事を知っており、良くも悪くもそれがリオンの根幹を成すものである事も熟知していた。
自分の親はどんな人達だったのかという疑問を軽口という衣を纏わせて表に出すことすらしないリオンだったため、実の両親が何処の誰で何をしていた人達なのか、そして何故己を生後間もないたった一人では絶対に生きていけないのに教会に捨てていったのかの疑問は既にリオンの中で解決しているものであり、実は喉から手が出るほど希求している事であるとは意外と知られていなかった。
己の親は育ててくれたマザー・カタリーナだけで、兄弟姉妹は同じ施設で育ったあいつらだけだと何気なさを装って時折口にするリオンの横顔を脳裏に浮かべたウーヴェは、その言葉の奥底で握りしめた拳を振るわせ、真実を教えてくれと叫ぶ小さなリオンの背中も見透かしていたため、達観した笑みを見せられた時はただ抱きしめることしか出来ないでいたのだ。
リオンが常に望み、決して得られることが出来ない真実。もし彼がそれを知っているのだとすれば、ここで取り調べを受けている事実はリオンの疑問を解消しなくともそれに繋がる道を作ることになるのでは無いかと頬杖をつきながら思案してしまうと、ダニエラが申し訳なさそうに苦笑する。
「・・・踏み込み過ぎちゃったかしら」
「いや、そうじゃない。・・・彼が、ヘル・シュペーアがもしもリオンの両親について何かを知っているのなら、話を聞きたいと思っただけだ」
「聴取が終われば留置場に行くけど・・・」
その時に聞き出せないかとダニエラが提案するものの、留置場にまでさすがに足を運べないとウーヴェが苦笑し、確かにそうだと彼女も同意する。
「ヘル・シュペーアに聞けないのなら、もう一方に聞いてみるのはどうだ?」
そのウーヴェの呟きは独り言のようなものだったが、夕方から組み立てては崩していた仮説に繋がるもので、どうしてもそこに繋がってしまうのならばいっそのこと飛び込んでみようと腹を括った結果で、ダニエラがどういうことと首を傾げて見つめてくる。
「クルーガー夫妻に話を聞けばどうだろう」
「確かにそうね」
初老の男-ヘル・シュペーアが名を上げた、ヴィルヘルムとハイデマリーとは、今回の事件の被害者のハイディ・クルーガーとその伴侶のヴィルヘルムに間違い無いだろう。シュペーアに話を聞けないのならばもう一方の当事者である夫妻に話を聞けばどうだろうとウーヴェが呟き、何とかして彼らにコンタクトを取れないかと呟くと、聴取の関係でヴィルヘルム・クルーガーには署に来て貰う可能性があるが、彼女は何しろ負傷して今頃病院で手当を受けているだろうとダニエラに返されて己の思いつきが不発に終わりそうだと気付いてウーヴェが肩を落とす。
「誰か知り合いがいないかな」
肩を竦めるダニエラに同じくウーヴェが肩を竦めた時、リオンがいる部屋のドアが開き、マクシミリアンが微苦笑を浮かべつつドアを開け放ったまま出てくる。
歩く几帳面と呼ばれる男がドアを開け放ったままなのは珍しいとヴェルナーが呟き、ダニエラもそうねと目を丸くするが、中からリオンがこちらを見ていることに気付き、ウーヴェが小首を傾げると、そこにウーヴェがいる安心感から浮かれているのか調子に乗ったのか、両手を顎の下に充ててキスを送った後に片目を閉じる。
「・・・・・・」
ウーヴェに向けて投げられたキスだったが、気恥ずかしさと今まで考えていたことのギャップに一瞬にして疲労感を覚えたウーヴェが力強くそのキスを受け取った事を示すように左手を顔の前で一つ振るが、顔を輝かせるリオンに見せつけるように床に向けて手を振り下ろす。
「バカたれ」
「オーヴェのイジワル!トイフェル!!」
デスクと取調室とで交わされる無言のそれに部屋にいた者達の口からやりきれない溜息が零れ、当人は一方が泣き真似をしてデスクに突っ伏し、一方は無言で眼鏡を押し上げる。
「まったく」
「・・・ドク、リオンの聴取はもうすぐ終わる」
「ああ、そうか。ご苦労様」
その様子になんとも言えない顔で首を横に振ったマクシミリアンだったが、リオンが犯人の事を知りたいらしいと呟き、ダニエラがウーヴェに見せた資料と同じものを手に部屋に戻っていくが、ドアが閉まる寸前に見えたのは、リオンがウーヴェに向けて憎たらしそうに舌を出している顔だった。
「・・・・・・」
それを見たこちら側の刑事と最愛のパートナーはただ無言で溜息を吐き、早く聴取が終わらないものかと各々同じ思いを胸中で呟くのだった。
リオンが聴取を受け、それをウーヴェが待っていた頃、最寄りの病院に救急搬送されたハイディ・クルーガーと、その救急車に同乗した彼女の夫と息子は、ストレッチャーで手術室へと運ばれていく彼女を呆然と見送っていた。
この病院の外科医は優秀なことで名前が通っていると、安心させるためか真実かは不明ながらも救急隊員が教えてくれた事に一縷の望みを掛けてただ一心に彼女の手を握って祈っていたヴィルヘルムは、不安そうに母を見つめる息子に無意識に大丈夫だとも呟いていた。
そんな二人が手術室近くの待合室でぼんやりとベンチに座っていた時、警察関係者だと思われる厳めしい顔つきの男と、柔和な雰囲気を持った男が待合室に入ってくる。
誰が来たとしても知人ではあり得ないため、茫洋とした目を彼らに向けたヴィルヘルムだったが、その顔に見覚えがあり、目と口を見開いた後、普段虫一匹も殺すことが出来ない優しい男と友人知人から好意的にからかわれる彼が目を吊り上げて厳めしい顔つきの男の襟元を掴んで揺さぶり出す。
「何故助けてくれなかった!犯行予告が出ているから気をつけろとは言ったが、警備を万全にすると言ったのはあなた達ではないのか!?」
今日の昼頃、彼女と自分の元を訪れたあなたが言った言葉を忘れたのか、それともあれは単なる気休めなのかと、妻が負傷し、手術の結果一命を取り留めてくれると願っているものの、万が一の事があればと想像するだけで不安と怒りと恐怖に足下が覚束無くなりそうなヴィルヘルムは、父が取り乱す様に呆然としている息子の前で二人の刑事を口汚く罵り、この街の警察は昔と変わっていない、事なかれ主義だと吐き捨てる。
「・・・お言葉ですが、事なかれ主義とは思っていただきたくありません」
ヴィルヘルムの罵詈雑言をきつく目を閉じて受け止めていた男の横、柔和な顔に厳しい色を浮かべた年下の男が顔を上げ、胸ぐらを掴んでいる手に手を添えて彼の目をまっすぐに見つめる。
「何を・・・!」
「我々に非がある所は認めます。保護対象者を負傷させてしまったことはどう言い訳をしようが作戦の失敗であり我々の力不足でした。ただ、昔と変わっていない事なかれ主義という批判に対しては、反論させて貰います」
犯行予告が出ていたにもかかわらず、狙われた彼女が負傷してしまったことは紛れもない事実であり痛恨の極みだが、過去のような事なかれ主義が今も蔓延っているとは思わないで欲しいし、またその批判についての謝罪をするつもりは無いと、顔を上げて言い返す男に彼が尚も言い募ろうとするが、血に汚れたジャケットの裾を強い力で引っ張られたことに気付いて振り返る。
「ウィル、大きな声を出すなんてあんたらしくない。ここに座って落ち着いて話そう」
「・・・ノア」
「俺も言いたいことはある。でも・・・刑事さん達も出来る事はしてくれたんだろう?」
今ここで大声で刑事達を罵ってもマリーの怪我が治るわけではないと、裡に怒りを込めた顔で二人の刑事を見つめるが、父の時とは違って驚きの顔で無言で見つめられて居心地の悪さを感じてベンチから立ち上がる。
「何だ?」
「・・・いや、知人に良く似ていると思ったのです」
「・・・さっき、マリーを介抱してくれた彼のことか?」
それは今関係の無いことだと己の言葉を否定する男に首を傾げたノアだったが、その知人というのはリオンという名前で母を介抱していた男かと、ある疑念を抱きつつ問いかけ、二人の目が限界まで見開かれたことから間違っていないことを知る。
「今日は別の人にもリオンという男と間違われたな。彼はそんなに有名人なのか?」
数えるほどしか訪れたことの無いこの街で、たった一日で同一人物に二度も似ていると言われることがあるなど、一体どのくらいの確率なんだ、自分は最近確かに名前が売れ出してきているが、間違われた彼は自分を上回る有名人なのかと、己の中の疑問を打ち消すように冷めた笑みを浮かべたノアに、確かに似ているが有名人では無いと、厳しい顔つきだった男の顔に柔和な色が浮かび、彼を知っているのには理由があると教えられて先を促した彼は、先ほど彼女を介抱していたのは、以前自分たちと同じ職場で働いていた男で、今は刑事を辞めて別の仕事をしていると教えられて蒼い目を瞠る。
「元刑事?」
「Ja.なので拳銃の扱いにも慣れているし、さっきのような場面で人を落ち着かせる方法も知っていました」
ただ、現役の時ならばその行動は賛否ある程度で済むだろうが、刑事を辞めて一民間企業で働いている身であれを行えば色々な問題があると、厳めしい顔に微かな笑みを浮かべて男が溜息を吐いたため、彼の行為を口で咎めていても内心では違う思いを持っていると気付き、溜息をリノリウムの床に落とす。
「・・・確かに、彼はお前に良く似ているな」
「ウィル?」
「お前と言うよりは・・・昔の僕に似ている気がする」
隣に力なく腰を下ろしたヴィルヘルムの呟きにノアが顔を向けて父の顔を覗き込み、二人の刑事が互いの顔を見合わせる。
「・・・彼の髪の色はマリーに似ていたし、背格好も僕やノアにも似ている」
何故、こんなにも似た人がいるのかの理由は不明だが、彼女を介抱してくれた彼は本当に自分たちに良く似ていると呟き、足の間で頭を抱え込む。
「彼は元刑事だって?」
「Ja.私たちの同僚でした」
息子より少し年上の自分によく似た男がいる理由が分からずに混乱しているヴィルヘルムの肩をノアが撫で、負傷した母を挟んで対面したリオンと言う名の、己にもよく似た男の顔を思い描き、今日の午後、ハールと呼んでくれとぶっきら棒に告げた男の言葉も思い出す。
ヴィルヘルムとハイデマリーの子供であるノアは、二人の職業を思えば珍しいと感じてしまうほど親戚付き合いが無かった。だから彼が、己が今まで一度も会った事のない親戚だと紹介されても納得してしまいそうだったが、それならば何故、写真の一枚、話題の一片すらなかったのか。
誕生日会を始めクリスマスや新年のパーティなども、自宅にやってくるのはヴィルヘルムのスタジオで働くスタッフであったりハイデマリーの気心の知れた映画仲間だったりで、両親の親兄弟についての話を聞いたこともなければその影すら見たこともなかった。
幼い頃からそれが当たり前だったために何とも思わなかったが、二人が天涯孤独でも無い限りそれが一般的なものでは無いのではないかと、ようやくその疑問にたどり着くが、昨日、ランチを終えた後に母が暗い顔をして呟いた言葉を不意に思い出す。
『ウィルにベルリンの話をしてはダメよ』
その一言に何かノアが与り知らない暗い事実が隠れているのではと、憔悴している父の横顔を無言で見つめた息子は、自分が知らない両親の過去について、今まで気にしていなかったが、もしかすると何か大きな秘密でもあるのでは無いかと思案し、横にいる見慣れた父の顔が見ず知らずの疲労しきった初老の男の顔に見えてしまう。
己の妻が狙撃され女優生命にも文字通り命にも関わる負傷をしてしまって憔悴し切っているこの男は、生まれてこのかた疑う余地もなく父だったし、同じ道へと進んだ先では穏やかな顔で待ってくれている先輩でもあったが、本当にそれだけだろうか。
まだ己が知らない父の顔があるのでは無いかとも考えた時、何を馬鹿なことを考えている、ここにいるのは愛する妻の身を案じる優しいヴィルヘルムだと頭を左右に振ると、首の上で結んだくすんだ金髪が左右に揺れる。
父と母の過去に自分には言えない何かがあったとしても、自分にとって二人は最高の両親だったし今もそれは変わらないのだ。
父の過去についていずれ聞けるのであれば聞いてみようと、今すぐに追求しなければならないものでは無いと一旦己を納得させたノアは、頭を広げた足の間に落として抱え込む父の背中を撫で、マリーは大丈夫だからと、気休めにしかならないが、今もっとも必要としているだろう言葉を何度も伝える。
「もっとセキュリティがしっかりしていれば・・・」
拳銃など許可なく持ち込めるはずがないのだ、入口のセキュリティがしっかりと機能していれば、犯人が持っていた銃も没収され事件は未然に防げたはずだと、事件を起こした犯人に対するものよりも、警備を担っていた人達への怨嗟の思いを呟く父に何も言えなかった息子だったが、あの時もそうだった、被害者であるはずのマリーを犯罪者扱いし、厄介者が事件を起こすなと蔑んだ目で見つめ、事件を取り上げてくれもしなかったと、刑事を目前にして警察を詰る声にノアの蒼い目が再度見開かれる。
父の言葉に籠るのは明らかに警察への恨みだったが、警官や刑事を憎んでいると思しき言動は日頃はなく、ノアにしてみれば今回の事件でそこまで恨むようなことかと、冷静というよりは冷淡な気持ちで聞いていたが、被害者である母を犯罪者扱いしたとはどういうことだと気にかかり、父の肩を揺さぶる。
「ウィル、今の言葉、どういう意味だ?」
ノアの素朴な疑問にヴィルヘルムの顔がノロノロと上がるが、顔中に浮かぶ疑問に己が何を呟いたのかを察し、憔悴し切った顔から更に血の気が引いてしまう。
「・・・・・・何でもない」
「ウィル?」
「何でもないと言っただろう!」
激昂する父など滅多に見た事がないノアは、その剣幕にただ驚いて父の肩から手を離して悪かったと素直に詫びるが、興奮した父は諸々の感情の捌け口を見つけたのか、二人の刑事を視線で殺してしまいそうなほど睨みつける。
「この街の警察は亡命してきた僕らが事件を起こした事が気に食わなくて見て見ぬ振りをした!今もそうだ!」
だから今回も全力を尽くしますと言いながらも手を抜き、結果彼女が撃たれてしまったのだと、二人の刑事に怨嗟の声をぶつけるヴィルヘルムに誰も声を掛けることが出来なかったが、再度柔和な顔に険しい色が浮かんだ事に気付いたのか、厳めしい顔の男が制するように手を上げる。
「コニー、落ち着け」
「・・・・・・」
「ヘル・クルーガー。先ほど部下が申し上げたように、我々の至らないところについては後日正式に謝罪をさせて貰う。ただ、今回の事件、自分達は見て見ぬ振りをした訳ではない。事なかれ主義という批判には甘んじられない」
あなたが昔この街の警察によって不愉快な思いをさせられたのかも知れないが、それは自分たちにとって与り知らない事だと、己と部下の名誉を守るように断言すると、ヴィルヘルムが激情のままに吐き捨てた言葉が時を遡った己の言葉だと気付き、呆然と見つめてくる視線にも気づいてこの世の終わりのような顔で刑事を、ついでノアを見つめる。
「彼女の手術が終わるまでまだ時間が掛かるでしょう。事件の時、何があったか詳しい話を聞かせて下さい」
あなたの警察批判を自分達は甘んじて受けた、だから今度はあなたが事件についての聴取を受けてくれと、コニーと呼ばれた刑事が二人に向けて口調だけは丁寧に申し出たため、断ることも反発することも出来ずに頷いたヴィルヘルムは、己が感情に任せて今まで封印してきた過去を自ら暴露してしまった衝撃と、それを聞かされた息子の驚愕を感じ取るものの、どんな類の言葉も伝える事ができないのだった。
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2019.05.21 ヒドイな、ウーヴェ。キスを床にポイ捨てするなwww


