Die Sonnenblumen-17-

Über das glückliche Leben(UGL)-Lion & Uwe -

 いつか知りたい、知る事が出来るだろうかと願っていた、誰にも明かしたことの無い本心を抑えることが出来ずに向かい合った真実は、己が思い描いていたそれとはかけ離れた、前職の時でも思わず顔を顰めてしまいたくなるような血の臭いが溢れるものだった。
 バラ色の未来だの黒い真実だのと、色によってそれらを言い表すことがあるように、己の人生は生まれる以前からすでに血の色に染まっていたのかと、重く苦しい話を終えて少しだけ満足したように吐息を零すゲオルグをぼんやりと見つめたリオンは、俺の人生は一体何なんだと呟き、マザー・カタリーナとブラザー・アーベルの痛ましそうな視線を受けて舌打ちをする。
 「・・・結局俺が捨てられたのはそのヨハンって男にレイプされて出来た子どもだからか?」
 「いや、そうじゃ無い」
 己が流した血の海に倒れたヨハンと対面した時、呆然と座っていた彼女のお腹は一見して妊娠していることが分かる程出ていた、だからお前はヨハンの子どもではないとゲオルグがその言葉を否定するが、リオンにとってはそんなことはどうでも良い事だった。
 レイプされた結果の子どもではないが、生まれてすぐに己は捨てられたのだ。
 それだけは誰が何を言おうとも変えることの出来ない事実だった。
 「・・・妻をレイプされた時に腹にいたガキが生まれた、そりゃあ顔も見たくねぇよなぁ」
 己の立場に置き換えた時、同じことをしてもおかしくは無いと笑うリオンだったが、その言葉に誰も同調する者はいなかった。
 その理由を今更ながらに思い出して舌打ちをし、苛立ち紛れにタバコに火を付けようとするものの、手の震えからそれが出来ずに舌打ちをしてタバコを床に投げ捨てたリオンを痛ましそうに見守っていたマザー・カタリーナは、自虐に紛れ込ませた本心をしっかりと見抜いている為、そっと頭を振ることでその言葉を否定する。
 「いいえ、いいえ、リオン。あなたは絶対にそんなことはしません」
 わたくしが、神父様が、そして今もここにいるであろうあなたの姉が、あなたがそんな人だとは思っていませんと、リオンがここを巣立つまでの間見守り続けた母の顔で彼女がリオンの言葉を優しく否定すると、さすがに何かに気付いたのか、くすんだ金髪を掻きむしった後、丸椅子を両手で握りしめて表情を隠すように俯いてしまう。
 「・・・・・・でも、俺は捨てられてたんだよな」
 「どのような思いであなたをここに連れてきたのかは分かりません」
 彼らがどんな思いを持っていたのか、それは彼らにしか分かりませんと、胸の前で手を組んで短く祈る母にのろのろと顔を上げた息子は、そもそも俺は望まれていたのかと、ここにいる誰もが決して知る事の無い言葉を呟き、誰も答えをくれないことに唇を嫌な角度に持ち上げる。
 「・・・分かるわけねぇか」
 人生の出発点であるこの世に生を受けた瞬間、それが人生最後の時になるかも知れなかった己の人生とは一体何だったんだろうなと、キッチンにいる者総ての胸が軋むような言葉を、普段のリオンを知る者からすれば信じられない声で呟き、丸椅子を前後に軽く揺さぶりながら天井を見上げる。
 「そういやさぁ、ゾフィーが知らなければ良かった方がいい真実もあるって言ってたけどさぁ」
 その通りだな、お前の言葉を信じなくて悪かったと肩を揺らすリオンにまた誰も答えられず、あーあと、この世の総てを呪ってやりたいが、それをしたところでどうにもならない、またそんな方法など知らないと笑いながら右手で目元を覆い隠す。
 「ゾフィーの親はジャンキー。ゼップの親はメシが食えねぇから。カインの両親も株で失敗して地獄行き」
 周囲を見回してみれば、ガキの頃から言われ続けてきたようにロクな親がいないが、そこに妻をレイプした犯人を殴り殺した俺の親が加わったなぁと、最も身近にいた友人や姉の両親を嗤ったリオンだったが、殺人犯、しかも犯行がばれないように遺体を世話になった人に処理させるだけではなく、生まれた我が子も捨ててしまえるようなのが俺の親だったかーと、聞いた者が背筋に嫌な汗を浮かべてしまうほど陽気な声で言い放つ。
 「ずっと知りてぇって思ってたけどさーまさかそんなヤツが親とはなぁ」
 マザーらに比べればまだまだ短い人生だが、俺の人生くそみてぇなもんだなと、感情に震える手で目元を覆い隠しながら嗤うリオンを、マザー・カタリーナが椅子を倒す勢いで立ち上がると、幼い頃からずっとしてきたようにくすんだ金髪を胸に抱き寄せてリオンの言葉を再度否定する。
 「いいえ、いいえ。あなたの人生は生まれで決まるわけではありません」
 あなたが自らの意志でもってどんな道を歩くのか、そしていずれ訪れる終わりの時、振り返ったその顔が笑顔で彩られているかで決まるのだと、この孤児院を巣立っていった子ども達に同じことを何度も伝えてきた彼女は、最も手の掛かる子どもだったリオンに、今もまたその言葉を伝えると、震える左手が背中に回され、きつく握りしめられるのを感じる。
 「・・・生まれでその後の人生が決まってしまうはずがありません」
 母の言葉に素直に頷きたいが、客観的に見れば最低な親から生まれた最低な子どもになるだろうと、己の胸に低く感情をぶつける息子の髪に頬を充て、あなたの人生が最低なはずが無いと優しく断言すると、右手で覆われていた蒼い双眸が昏く光る。
 「・・・確かに、生まれた事を喜ばれなかったかも知れない。だけど・・・たとえそうであってもあなたは今までしっかり生きてきた」
 そして、その中で掛け替えのないただ一人と言い切れる人と出会い、恋をして愛を深めてきたはずだ、あなたの人生が最低ではない理由がそれだと、光を無くしつつある双眸に語りかけるように頬を両手で挟んで視線を合わせたマザー・カタリーナは、呆然と垂らされている右手を今度は両手で包み、薬指に光る指輪をそっと撫でる。
 「これはその証でしょう、リオン。何があってもあなたを信じ愛する人と交わした約束」
 ここにいる神父様もアーベルも皆その誓いの言葉を聞いていますし覚えていますよと、ささやかながらも温かく賑やかだった結婚式を思い出せと、目に見える形で表される約束を愛おしむように撫でた彼女は、リオンの双眸に一瞬だけ光が戻った様に感じて胸を撫で下ろそうとするが、疲れたとの声が聞こえてきて眉を寄せる。
 「・・・何かさ、すげーゾフィーに会いてぇ」
 「リオン・・・」
 声の調子だけはいつものように陽気なものだが、マザー・カタリーナが至近で見つめる双眸はぽっかりと穴が開いたような昏さに沈んでいて、リオンの心が危険な状態になっていると気付いた彼女が助けを求めるようにブラザー・アーベルへと顔を向けるが、その隙を突いてリオンがそっと母の腕から抜け出してしまう。
 「リオン・・・!」
 「んー?どうした、マザー?」
 疲れたから寝る、部屋を貸してくれと、今度こそタバコに火を付けながら暢気な声で母を振り返ったリオンの顔を男達は誰も直視できなかったが、唯一踏み留まってその顔を見上げたマザー・カタリーナは、食事の時間になれば起こすので少し休んでなさいと、リオンの頬を撫でてそこにキスをする。
 「今日はご飯を食べて帰りなさい」
 「・・・ダンケ」
 今はとにかく疲れたから寝たい、飯を食うかどうかは後で決めると笑うリオンが初めて見る男のように感じ、一つ身体を震わせたマザー・カタリーナは、鼻歌を歌いながらキッチンを出て行く背中を見送り、別の部屋のドアの開閉音をその場で聞くと、キッチンで項垂れる三人にも頷き、久しぶりに帰ってきたゲオルグがもたらした真実の重さに胸が酷く締め付けられたように感じるのだった。

 

 

 出て行ってしまったリオンの背中が見た事がないほどの拒絶を示していたことにマザー・カタリーナが溜息をつき、リオンがテーブルを殴った事で溢れたコーヒーをダスターで拭きつつ、リオンが座っていた椅子をじっと見つめる。
 「・・・ゲオルグ、良く話してくださいました」
 「・・・神父様、アーベル、今話をした事は俺とヤーコプがここには黙ってやった事だ。だからケーテやあんたらが死体遺棄の片棒を担いだわけでも協力した訳でもねぇ」
 だから必要以上に気に病むなと、三人の顔をじっと見つめた後にゲオルグが肩を竦め、久し振りにその名前で呼ばれましたと、マザー・カタリーナが遠い過去を懐かしむ顔で笑みを浮かべる。
 「わたくしの事をケーテと呼ぶ人はもう誰もいませんから」
 「そうだな・・・お前はもうしっかりとここの子供達のマザーになってるからな」
 リオンを見て確信したが、本当にお前はここで暮らす子供達や働くシスターらの精神的支柱なんだと笑うゲオルグに、そうであれば良いのにと苦悩を眉の皺に刻んだマザー・カタリーナだったが、リオンは本当に手のかかる子でしたが、それだけ気になってしまい、結果目も手も口も出してしまって煩がられていたと、キッチンを出て行った背中を思い出して溜め息を吐く。
 「そんな態度を取れるのもお前に甘えているからだろう?」
 「そうですよ、マザー」
 「・・・アーベルとゲオルグのいう通りだ、カタリーナ。ただ・・・・・・」
 いくら四十年以上近くのこととはいえ、一人の男が結果的に殺され、その死体を遺棄したと聞かされてしまえば、警察に届け出る必要もあると思うがどうだろうかと、今まで黙って話を聞いていた司祭が重い口を開き、それに三人が顔を見合わせて溜息をこぼす。
 殺人事件の時効が何年なのか、そもそも時効が存在するのかなどについてはリオンに聞けば分かる事だったが、今のリオンにそれを聞くのもどうかと思うと同時に、なんと言葉をかければ良いのかが分からなかった。
 クリスマスイブの夜半に泣いているリオンを発見し、教会の活動に協力してくれている医者と当時ここにいた神父と一緒に保護したが、子どもを教会に捨てて行く親は何もリオンの親だけではなかった。
 ゾフィーも親に連れられて教会にやってきたが、そのまま置き去りにされてしまったし、他の子供たちも皆教会だから子どもを育ててくれるだろうと、親にとっての最後の頼みの綱のように子供達を預けたまま音信不通になったりしているのだ。
 だからリオン一人ではないと思いつつも、だからといって親に生後間もなくの頃に捨てられたリオンに、捨てられたのはあなた一人ではないとの言葉は絶対に言わないと決めていた彼女は、いつか他の子供達の親のように名乗り出てくるかもしれない、迎えに来るかもしれないと思いつつリオンを育ててきたのだ。
 その、いつか来るかもしれないと思っていた親が、東ベルリンから亡命し、仕事を紹介する前に休ませてくれと、一夜の宿を求めてヤーコプとゲオルグが連れてきたヴィルヘルムとハイデマリーだったなどとは彼女の想像外のことで、その事実を知った今でも本当にそうなのかと疑ってしまいたくなる。
 だが、倒れたヴィルヘルムを看病していた夜、リオンとウーヴェが来てくれたときにノアと呼ばれる青年がいた事を思い出し、その風貌も思い出すと、やはりリオンの両親は彼ら以外ではあり得ないと納得してしまう。
 最も身近でリオンの成長を見て来たはずだが、何故今の今まで思い出す事も出来なかったのかと過去の己に問い質したいほど、一見するだけでも親子もしくは血縁関係があると思える風貌をしているのにと、腿の上で拳を握ったマザー・カタリーナは、どうして気付けなかったのでしょうかと、様々な思いを込めて溜息をこぼす。
 「・・・・・・仕方がない事だ」
 そもそも、ハイデマリーが妊娠していた事をヤーコプも俺もお前も知らなかった、あの二人とヨハンは、ここを出て行った後、積極的にこことは交流を持たずにいたのだからと、ゲオルグがリオンの親があの二人であると疑わなかった己を悔やむ彼女に優しい言葉を告げると、ヨハンを殺してしまった、どうにかしてくれないかと電話をかけて来た時も随分と久しぶりに顔を見たぐらいだったと、過去を思い出しながら苦笑する。
 「それにしても・・・・・・良くヨハンの遺体を人に知られずにどうにかできましたね」
 ブラザー・アーベルの疑問にゲオルグが一つ肩を竦めると、人ひとり、姿を消す事もその存在を消し去ってしまう事もお前らが考える以上に簡単に出来ることだと、当時どのような事をしていたのかを想像させる声で肩を揺らすゲオルグにブラザー・アーベルが口を閉ざして頭を一つ左右に振るが、さっきも言ったが、ここの奴らはヨハンの件には一切関与していない、俺がここを離れたのは、ニュルンベルクにいた友人の事業を手伝う為とここに居残って万が一迷惑をかけてはいけないからだったとも告げると、司祭とブラザー・アーベルの顔があからさまに安堵に染まる。
 数年前のゾフィーの事件の時、教会だけではなく孤児院の子供達も皆白い目で見られて辛い思いをして来たのだ、いくら過去の出来事だと言っても殺人事件に関与しているとなれば、ゾフィーの事件を引き合いに出して何を言われるか分かったものではなかった。
 その危惧からゲオルグを険しい顔で見つめていた司祭がひとまずはその危機を避けられたことに気づいて安堵し、それにしてもヤーコプはそんな素振りを一切見せなかったと、数年前に病で亡くなった彼を思って司祭が嘆息交じりに呟くと、彼も生まれながらの聖職者などではなく、大っぴらに人には言えない事をしながら生きて来たはずだと、ゲオルグが懐かしそうに目を細め、今頃地獄で悪魔とダンスを踊っているはずだから、いずれ自分もその輪の中に入ると笑う。
 「ケーテ、ここ連中は確かに人には言えない事をしたり警察の世話になるようなことばかりして来たかも知れないが、ここで育った子供たちはそうじゃない」
 さっきお前がリオンに言ったように、生まれ育ちで人生が決まるわけではない、そして、たとえもしも罪を犯したとしても、正しく罰を受けて反省し更生して真っ当に生きている人達が子供を育てているのだ、悪いことを教えたかもしれないが、更生し第二の人生を真っ当に歩む大切さも教えていた筈だと、苦悩に眉を寄せて顔を伏せるマザー・カタリーナに語りかけたゲオルグは、リオンが一番良い例じゃないかと笑う。
 「ガキの頃は本当に手がかかったが、刑事になって今はあのバルツァー会長の秘書をしているんだろう?」
 お前から聞かされていた子供の頃のリオンからは全く想像も出来ない道を歩んでいるなと、感心しきりに頷くゲオルグに顔を上げたマザー・カタリーナが同意するようにゆっくりと頷く。
 「ええ、そうですね・・・・・・確かに全てリオンが自分の足で歩いて来た道です」
 それは、親が誰であろうと関係がなく、己が見つけ、いつも光がそばにある様にとの願いも込めてリオン・フーベルトと名付けた乳児が、嬉しい事も悲しい事も全ての感情を噛み締め腹に収めて生きて来たのだ、それは何もリオンだけに限られた訳じゃない、ここを巣立った子供達皆に言えることで、子供たちは皆わたくし達の自慢ですと、胸の前で手を組んで短く祈ったマザー・カタリーナにブラザー・アーベルも司祭も頷き、だから子供達が助けを求めるのならば全力で応えますと、穏やかながらも静かな決意を彼女が口にすると、ゲオルグが安堵したように頷く。
 「お前と神父様やアーベルがいるからここは大丈夫だな」
 何度も頷いて安堵するゲオルグに三人も頷くが、流石にさっきのようなリオンを初めて見たので心配だとマザー・カタリーナが肩越しにキッチンのドアを振り返り、開けっ放しにしている為に見える廊下を見つめる。
 「・・・・・・後で様子を見ましょうか」
 「そうだな・・・・・・」
 いつかわかるかも知れなかった己の親について知った事実が想像以上のものだったリオンの心を思えばやはりどう声をかければいいのかが分からなかった男達は、マザー・カタリーナを見つめて頼むと口々に伝え、彼女も覚えた不安を滲ませたため息をひとつテーブルに落とすが、久しぶりに帰って来たゲオルグとの積もる話があると笑って気持ちを切り替え、ゲオルグに聞かれるままにブラザー・アーベルや司祭と共に過ごしてきた時間を旧友に語り始めるのだった。
 だから、キッチンの開け放たれたドアの側の壁に寄りかかり、タバコの煙を目で追うように天井を見上げつつもしっかりと中の様子を窺っているリオンに気付く事はないのだった。

 

 

 午後の真夏のスコールと思われた雨は夜になっても降り続き、雨脚が弱まったのは夏だからいつまでも上空で遊んでいる太陽がそろそろ寝床に向かおうかと傾き始めた頃だった。
 雨足が弱まる頃にホームから自宅に帰って来たリオンは、何が楽しいのか鼻歌交じりに自宅のドアを開け、リビングかベッドルームにいるはずのウーヴェに向けて大声で帰宅を告げる。
 「ハロ、オーヴェ!やっと帰って来たぜー」
 俺の愛しのダーリンは何処にいると、自分で手配をして設置した廊下の手すりを撫でるように手を動かし、人の気配のする方へと進んでいくと、ベッドルームのドアが開いてステッキをついたウーヴェが何とも言えない表情で出迎えてくれる。
 「・・・・・・ホームでの用事は終わったのか?」
 「ああ、全部やって来たぜ」
 マザーもアーベルも助かると、涙を流して喜んでいたと笑うと微苦笑を浮かべてそうかとだけウーヴェが返したため、その頬にキスをする。
 「どうした?」
 「・・・オーヴェ、シャワーしてくるからさ、出たらセックスしようぜ」
 頬へのキスからそのまま耳元に口を寄せて夜の色香が滲んだ声で直裁的に囁けば、ウーヴェの肩がびくりと揺れるが、今日はそんな気持ちになれないと、少しの申し訳なさと疲労の滲んだ声が流れ出す。
 「だよな。なんかスゲー疲れてるもんなぁ、オーヴェ」
 完全休養で休んでいたはずなのにその顔色の悪さはどうしたと、両手でウーヴェの頬を挟んでニヤリと笑みを浮かべたリオンは、疲れているのが分かったのなら今日は止めてくれと溜息交じりに拒否の言葉を紡ぎ出す唇を封じるようにキスをする。
 「・・・っ!」
 「────悪ぃな、オーヴェ」
 いつもならばお前が嫌だと思うタイミングではしないが、今夜だけは我慢ができない、だから付き合えと、ウーヴェでさえも一瞬怯んでしまうように眼光を強めたリオンに何を言っても無駄だと判断したのか、ウーヴェがそっと目を閉じてリオンの腰に腕を回して身を寄せる。
 「明日、朝食を作れなくても文句を言うなよ?」
 「・・・言わねぇよ」
 だから抱かせろと再度囁かれてもう一度諦めの溜息をついたウーヴェだったが、交換条件を一つ提示すると、リオンの肩が無言で竦められる。
 「好きだな、ホントに」
 「・・・飲まないとやってられないからな」
 「はいはい。じゃあシャワーしてくる」
 リオンがシャワーを浴びている間に交換条件で提示した酒を飲むため、ステッキをつきながらキッチンに向かったウーヴェは、クリニックを出る前に目を通して絶望的な気持ちに陥った検査結果の話をしなければと振り返るが、バスルームのドアを開けるリオンの背中に違和感を覚え、咄嗟に名を呼んでしまう。
 「リオン!」
 「んー?どうした、オーヴェ?」
 肩越しに振り返る顔はいつもと何ら変わらないもので、いや、何でもないと呼び止めて悪かったと肩を竦めると、嫌だと言っていたのにそんなに慌てなくてもすぐに抱いてやるから待っていろと笑われてターコイズ色の双眸を半分瞼で覆い隠す。
 「誰が慌てているんだ、バカタレ」
 「ははは」
 その軽い笑い声に呆れたように頭を左右に振っただけで何も返さなかったウーヴェだったが、背中を見て感じた違和感の元をいつもならば探ることもできたのだが、さっきリオンに告げたように疲労感が強く、何がそう感じさせたのかを探る余裕がなかった。
 それに加え、この後抱くといつにもまして強い言葉で告げられた事を思えば、些細なことに気を回す余裕もなかった。
 最後の恋人にして最愛の伴侶であるリオンだが、やはり心のうちを読むのは難しいと改めて気付き、とにかくビールやワインではなく、秘蔵の酒を飲んで気持ちを少しでも浮上させようと苦笑し、パントリーの大切な酒類を保管している棚の前でボトルを開けてグラスに注ぐと、味わうというよりは酒の力を手っ取り早く借りるために氷も水も何も入れずにストレートでそれを呷るのだった。

 

 

 ひっきりなしに声を上げ続けさせた結果の掠れた声が、おやすみを最後の力を振り絞るように伝えた後、ウーヴェの口から寝息が流れ出す。
 身体の彼方此方に跡が残る乱暴な抱き方をしたのはいつ以来だろうかと思いつつベッドヘッドに立てかけたクッションに背中を預けて天井を見上げたリオンは、死んだように眠るウーヴェを見下ろし、汗で額に張り付く前髪を指先で静かに搔き上げると、指の背で滲んだ汗を拭いていく。
 額に浮いていた汗を拭き取った指で目尻に滲んでいた涙も拭き取るが、いつもならば僅かな物音でも目を覚ますウーヴェがぴくりとも動かない事に計画通りだと安堵し、片膝を立てて頬を宛てがいながら愛おしそうに目を細めれば、母の言葉が脳裏に蘇る。
 己を愛し、また愛しているウーヴェと出会えた。ただその一事だけで己の人生は最高のものだったと常々思っていたしまたそうだったが、思いも掛けない所から知ってしまった両親のこと、父が何をしたのか、そして本当ならばしなければならない事をせずにこの街から逃げ出した事を知ってしまった今、ウーヴェに愛される資格があるのかとの疑問が胸の奥で音もなく破裂してしまったのだ。
 ガキの頃、褒められるようなことはしていないどころか、いつ警察の世話になって刑務所に入ってもおかしくない事ばかりをしていた己を、それがどうした、お前はそれでも立派に刑事として働き、日々を送ってきただろうと、滅多に見ない強い口調で否定しリオンの生き方を認めてくれたウーヴェだったが、リオンが探し続けていた親が己を妊娠中に暴行を受け、暴行したヨハンを殺して遺体を他人に処理させて自分達は生まれた子供を捨ててこの街から逃げ出したなどと知っても同じ事を言ってくれるだろうか。
 「・・・ホント、俺の人生、クソみてぇなもんだな」
 人を殺しておいて生まれたばかりの子供も捨てて逃げ出す様な親から生まれたのだから、それも当然か。
 生まれる前に血が流れ、生まれ落ちた途端に親に捨てられ、成長してからは孤児院出身という事でいじめられ、基礎学校を卒業する頃にはすっかりあいつは乱暴だ、近づくなと、不良のレッテルを貼られていた己の人生は一体何なんだ、神様は乗り越えられる試練を与えるとマザーが言っていたが、幾ら何でも試練の大安売りじゃないのか、ひとりの人間に耐えられる試練の量を遥かに超えている気がするぞとつい癖でタバコを咥えようとするが、ベッドルームではタバコを吸っていなかった事を思い出し、自嘲の溜息をこぼす。
 タバコ臭いキスはあまり好きではないと昔付き合っていた彼女に言われたことがあったが、それがどうしたとその言葉を聞き入れることはなかった。
 だが、ウーヴェと付き合い出してからは自然とそれを控えるようになり、ベッドルームでは灰皿を置いていないこともあって吸ってなかった為、覚えた口寂しさを解消するようにウーヴェの右手をそっと掴んでかすかに光るリングにキスをする。
 このリングは何があっても一緒にいる、二度と離れないとの誓いを込めたものだが、その誓いに己は相応しかったのか。
 生まれも育ちも関係がない、付き合うのは俺とお前だと、それこそ幾度となく聞かされ、その言葉を誇りに、どれほど心が軋むような事があっても一緒に乗り越えて来たが、流石に今回は駄目だろうなぁとの思いが肩を揺らし、薬指のリングを額に当ててきつく目を閉じる。
 互いのリングに誓った様に、いつまでも一緒にいたかった。互いを支え合い、何があってもそばにいて同じ道を歩んで行きたかった。
 だがそれも、己の親が殺人を犯して逃亡した事実を知った今、叶わないこととなってしまった。
 その思いにじわりと涙が浮かびそうになるが、奥歯が砕けそうなほど噛み締めてそれを堪えたリオンは、全く目を覚ます気配のないウーヴェの横顔を見下ろし、目尻のホクロ、額、薄く開く唇にそっとキスを落とすと、ずっと握り締めていたウーヴェの右手薬指からリングを抜き取り、リングの痕が残るそこに恭しいほどのキスをひとつ。
 「・・・ダンケ、オーヴェ。愛してる」
 だけどお前は俺の様な男がその愛を向けていい人では無かった、今までの時間、本当に夢の様で楽しかった、ありがとうと抑えきれない感情を一粒の涙に滲ませてそこに落としたリオンは、そっとベッドから抜け出すと極力物音を立てない様にクローゼットの中で着替えを済ませ、計画通りに疲れ果ててぐっすりと眠っているウーヴェを最後とばかりに見つめると、足音を殺してベッドルームを出て行く。
 その直前、壁際のデスクに無造作に置かれた封筒が先日の検査結果だと気付いたが、別の形でその検査結果を知った今、開封して内容を確かめる必要もないと小さく笑い、己の部屋に置きっ放しにしていた古い自転車を担いで玄関のドアを開けると、ベッドルームを出た時と同じ様に振り返る事なくドアを潜るのだった。

 

 帰宅した時にはまだ雲が残っていた空は短い夏の晴れた夜空へと姿を変え、そこで光っている夏の星達が、一人、古い自転車を漕ぎ出すリオンをただ静かに見下ろしているのだった。

 

 

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2020.03.29
ゾフィーに会いたいなぁ


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