今日も一日患者に対して誠実に向き合った結果の心地よい疲労感を、長年己の右腕となって支えてくれているリアと一緒にお茶で解していたウーヴェは、仕事が終わればリオンを迎えに行くのかと問われて肩を竦める。
「こちらに来てくれれば楽なんだけどな、患者がいれば気を遣うそうだ」
だから終わったらすぐに連絡をしなければいつまでも拗ねてそうだと笑えばリアも釣られるように笑い、先日のチョコレートに絡んだ喧嘩からはもう仲直りしたのかと問いかけてきたため、ウーヴェが微妙な顔で頷く。
「ウーヴェ?」
「仲直りはしたが・・・相変わらずチョコが食べたいとうるさいんだ」
アレはどうにかならないものかと溜息を吐きつつ問いかけると、長年掛けて培われたものだから無理だろうと返されて肩を落としてしまう。
「仕方が無いか」
「そうね、諦めが肝心よね」
リアの言葉にありがとうと多少の皮肉を込めて返せば、毎日毎日仲良くしている姿を見せつけられているのだからこれぐらいの仕返しは大目に見て欲しいと笑われて絶句する。
「・・・・・・以後、気をつける」
「そうしてもらえると嬉しいわ」
何ともいえない微妙な空気が流れ始めた直後、ウーヴェの携帯が軽快な映画音楽を流したため、咳払いをしてなるべく威厳を保ちつつ携帯を耳に宛がうと、予想外の声が聞こえてきて目を瞬かせてしまう。
『ウーヴェ?ああ、ウーヴェですね?』
「マザー?どうしたんですか?」
リオンの携帯から聞こえてきたのは落ち着きを無くしたようなマザー・カタリーナの声で、どうしたと問いかけつつチェアに座り直したウーヴェは、次いで聞こえてきた涙混じりの言葉を聞いた瞬間、一瞬で蒼白になっただけでは無く、小刻みに身体を震わせてしまう。
その様子から尋常では無い何かが起きたことを察したリアは、素早くチェアから立ち上がるとメモ帳と筆記用具をウーヴェのデスクから運んでコーヒーテーブルに置くと、震える手で何とかメモを取ろうとウーヴェの手が万年筆を掴むが、到底字を書けるような状態ではないことを悟り、リアがその手から万年筆を受け取ってウーヴェの口が震える声で零す言葉を素早く書き留めていく。
「・・・・・・はい、は、い・・・・・・すぐに、病院に向かいます・・・」
連絡をありがとうございました、あなたたちにけがが無くて良かったと告げて通話を終えたウーヴェの顔色は髪の色と同化しているように真っ白で、リアがウーヴェを強い口調で呼んで視線を重ねさせると、弾かれたように肩が上下し、慌ててチェアから立ち上がろうとする。
「リオンがけがをしたの?」
「え?あ、ああ、いや・・」
「落ち着いて、ウーヴェ。お願い。少しで良いから落ち着いて」
ここに書いた病院に運ばれたのかとリアが問いかけると、悲痛に沈むターコイズ色の瞳が左右に揺れ、救急車でその病院に運ばれたこと、リオンを負傷させた相手はその場にいた警官が逮捕したこと、リオン以外誰もけがをしていないことをぽつりぽつりと呟いたため、リアが新たにメモを取っていく。
「今、手当を受けているが・・・意識が・・・」
戻らないそうだと呟いた瞬間、リアの口から悲鳴が短く流れ、万年筆が床に転がっていく。
リアの悲鳴から僅かに落ち着きを取り戻したのか、ウーヴェがのろのろと顔を上げ、蒼白になっているリアの頬を無意識の行動で撫でると、病院に行ってくるから後を頼むと告げる。
「ウーヴェ・・・!」
「大丈夫だ、リア。大丈夫だ」
その言葉はリアに聞かせるためと言うよりは己に対するもののようで、呟くごとにウーヴェの目に力が宿り始め、とにかく病院に行ってくるから後を頼むと再度伝えると、蒼白になって頷くリアをそっと抱きしめる。
「リア、大丈夫だ。憎まれっ子世に憚ると言うだろう?」
あのリオンがそう簡単に死ぬはずが無いと、死という言葉を発するときに強い躊躇いを声に潜ませたウーヴェだったが、腕の中で頷くリアにもう一度大丈夫だと囁くと、チェアの横に立てかけてあったステッキを片手に、貴重品だけを手にクリニックを出て行くのだった。
そんなウーヴェを不安の中で見送ったリアは、自分よりも不安で仕方が無いはずのウーヴェに後を託されたのだからと気力を奮い立たせ、今日の業務の終了を伝える為に扉に診察終了の札を掲げ、明日の診察があっても無くても対応できるようにだけしておこうと、なるべく今だけはリオンの負傷について考えないように仕事に取りかかるのだった。
リアが取ってくれたメモに書かれていた病院に辿り着き、普段のウーヴェならば考えられない程乱暴に駐車場に車を止めると、ステッキをつくのももどかしいのか、思うように動かなくなった左足を引きずるように救急の処置が行われている部屋の前に向かう。
ここに来るまでの間、ずっと脳裏を占めていたのは、今朝仕事に出かける前に交わしたキスと頑張って来いとの言葉とそれを発したリオンの笑顔で、その笑顔が永遠に喪われてしまうと言う恐怖はウーヴェの心胆を冷やしきってしまっていた。
ただ、リアに告げた様にリオンが簡単に死ぬはずがないという、何故か確信めいた思いも感じていて、相反する思いを抱えつつ、制服警官と救急隊員らが集まっている廊下に辿り着くと、ウーヴェの姿に気付いた顔馴染みの制服警官が声を上げる。
「ドク!こっちです!」
「ああ。リオンの様子は?」
制服警官に聞いたところで詳しいことは答えられないと分かっていても日頃の冷静さを欠いているウーヴェにそれが分かるはずが無く、まるで彼がリオンを負傷させたかのように詰め寄るが、落ち着いてくれと言われて我に返り、横合いから聞こえてきた声によってさらに冷静さを取り戻す。
「リオンの手当は今終わったところだ」
横合いからの声にウーヴェが顔を向け、そこに大学から今でも付き合いのある悪友の顔を発見し、ここがその友人が勤務している病院であることを思い出す。
「カール・・・リオンの意識はまだ戻らないのか?」
「ああ。レンガか石か何かで殴られたようだが、頭の傷はどうしても出血が増える。傷口自体はそんなに大きなものじゃ無い」
今のところ脳波に顕著な異常も無いし血圧も正常だが、意識だけが戻らないと、さすがに医師としての険しい顔でウーヴェに手短に事情を説明したのは、この病院で次の部長と目されているカスパルだった。
「石で殴られた?」
「ようだな。詳しい話はそちらにいるシスターに聞いて貰う方がいいだろうな。手当は終わったから隣の部屋に運んだ」
「・・・・・・分かった」
「手続きは済ませてある」
「ダンケ、カール。お前がいてくれて本当に良かった」
運ばれた病院がここで、友が勤務する病院で良かったと、心底の安堵を溜息に混ぜたウーヴェは、カスパルがじっと見つめて来ることから一瞬最悪の想像をするが、聞かされた言葉に今度はウーヴェが頭を強かに殴られたような衝撃を受ける。
「リオンが殴られたとき、男が倒れ込んだのを見て手を止めたそうだ」
「何だって・・・?」
「リオンの性格からすれば相手が立ち上がれないようになるまで徹底的に叩きのめすと思ったんだがな。それをせずにシスターらの様子を見ていたそうだ」
喧嘩相手のすぐ傍で無防備にも思える姿を見せていたが、そこを起き上がった男が石かレンガでリオンを殴ったと教えられたウーヴェは、その場で立っていることが難しいほどの衝撃を受け、廊下に置かれているソファに座り込んでしまう。
「どう、して・・・だ?」
「ケンカの最中に隙を見せるなんて普通は考えられないと思うんだけどな」
リオンほどではないにしても、カスパルもその性格故にそれなりの場数を踏んできているが、殴り合い-下手をすれば命がかかってしまっているもの-をする時に隙を見せるなど、反撃してくれと言わんばかりだと溜息を吐き、蒼白な顔で考え込むウーヴェの横に腰を下ろしたカスパルは、本当に何を考えていたんだと前髪を掻き上げて天井を睨み付ける。
カスパルの言葉を脳裏で反芻しつつ今リオンが寝ているICUへと顔を向けたウーヴェは、沈痛な顔で寄ってくる男に気付き、視線が合ったのを狙って会釈する。
「ヘル・バルツァー、リオンですが、マザーとローザを庇うために男を挑発したのです」
「マザーを庇ったのですか?」
「はい。恋人の暴力から逃げ出してきたローザをマザーが保護したのですが、男が興奮していて二人に何をするか分からなかったのです」
だからリオンがわざと挑発して男の注意を引いたのだが、その最中、リオンの蹴りが膝に決まって地面に倒れ込んだ男を前に二人の様子を見ていた所、石を掴んだ男がリオンを殴ったと、己の目の前で起きた顛末を語るブラザー・アーベルの言葉にウーヴェとカスパルが頷き、何故その時隙を見せたのかと言う最大の疑問を口にする。
「理由は分かりません。リオンが意識を失う前にあなたの名前を呼んでいました」
伴侶であるあなたの名を呼ぶのは当然だと思いますが、ただ、その時の顔は殴られた苦痛よりもそれ以外の感情が出ているようでしたと返されてウーヴェが眼鏡の下で目を瞠る。
「痛みよりも不安を感じているような・・・」
「自分が置かれている状況に対する不安じゃないのか?」
「それはあるかも知れませんが・・・でも、何か満足している様な感じもありました」
「満足?」
「はい。あなたもご存じでしょうが、リオンのことなので、本心は本人にしか分かりません」
リオンと面識のある人達が抱くのは、良くも悪くも真剣な顔をあまり見たことがないという感想だったが、付き合いの長いブラザー・アーベルやマザー・カタリーナでさえもその本心を見抜くのは難しいことを痛感していた。
だから意識を失う直前にリオンが考えていたこと、感じていたものがなんであるのかは本人かもしくは本人以上にその心の動きを読み取れるあなたにしか分からないと、ブラザー・アーベルの沈痛な瞳に見つめられたウーヴェは、思い当たることがないかと思案するが、何かに気付いたのか、その瞬間体が小刻みに震えだしてしまい、カスパルがウーヴェの名を呼びつつ肩を掴む。
「おい、ウーヴェ!」
「・・・俺のせい、だ」
「どういうことだ?」
呟かれる言葉にカスパルがウーヴェの顔を覗き込むと、暴力に対する考え方の違いを二人で折に触れ話し合っていたことを訥々と語り出すが、どんな理由があろうとも暴力には反対だというウーヴェの頑なな思いが今回の悲劇を生んでしまったのだと教えられたカスパルは、それはそうかも知れないがそれこそ本人に聞いてみなければ分からないことだと返し、完全に血の気の失せた顔で呆然と目を見張るウーヴェの肩を撫でる。
「ウーヴェ、それはリオンが目を覚ましてから聞けば良い。だからあまり考え込むな」
「・・・・・・で、も・・・」
「とにかく今は考え込むな」
リオンの意識が戻らないうちはただの憶測でしか無いのだ。それを鵜呑みにしてお前まで倒れるようなことになってはならないと、友人を心配するカスパルに何かを言いたげな顔を見せたウーヴェだったが、確かに今一番辛く苦しい思いをしているのは他でもないリオンなのだと気付くと、気分を切り替えるようにきつく目を閉じた後肩の力を抜いて深呼吸を繰り返す。
「・・・・・・ダンケ、カール」
「ああ。・・・そろそろリオンがいる部屋に行ってやれ」
もしかするとお前がリオンにキスをすれば目を覚ますかも知れないぞと、半分以上本気でそう願いつつ告げたカスパルに呆気に取られたウーヴェだったが、それで目を覚ますのならばいくらでもキスをすると頷き、何とか足に力を入れて立ち上がる。
ステッキをついてようやく立ち上がることが出来るほどの衝撃を受けていたウーヴェは、いつもならば己がこうして立ち上がると同時に直ぐさま腕を出したリオンが支えていてくれたこと、それがある日突然こうして喪われてしまうものであり、当たり前ではないのだと改めて気付くと、何でも良いから早く目を覚ませと胸の内で強く呟き、リオンが運ばれた部屋のドアを震える手で開ける。
無機質なレースのカーテンが掛かる窓が一つ、その傍のベッドに頭に包帯を巻いたリオンが青白い顔で横たわっていて、胸の動きを見れば生きていることは理解出来、咄嗟に口を手で覆ったウーヴェだったが、たった今友と話をしたことを思い出し、足の痛みどころか己の肉体の感覚も喪失しながらも何とかベッドの傍に向かうと、ベッドの端に座り込んでしまう。
目を閉じているリオンの顔に気の早い夜の気配と太陽の残滓がカーテン越しに当たっているが、その顔色は当然ながら悪く、このままもう二度と目を覚まさないのではないかと言う悪い想像ばかりが次から次へと浮かんでくる。
その想像を頭を振って何とか打ち消し、包帯が巻かれ痛々しいリオンに顔を寄せたウーヴェは、先ほどカスパルが告げた言葉を脳裏に浮かべつつ、額を撫でて頬を撫で、ついで乾いた血がこびりついている唇にそっとキスをし、早く目を覚ませと囁きかける。
童話のようにそのキスで目を覚ますなどという都合の良い展開が訪れるはずもなく、リオンの腕に刺さっている透明の管に一滴ずつ落ちていく薬の力を借りて目を覚ませともう一度囁くと、ベッドサイドに椅子を運んできて腰を下ろす。
午後の残滓がリオンの横顔に作る影を見ていると、ついつい思考回路が昔へと戻っていき、今ではほとんど聞こえることが無くなっていた過去からの声が耳の奥で蘇る。
己の思いを口にした時にその相手が死んでしまうと言う思いはウーヴェの心が流し続ける血がそこに書き記すものだったが、リオンがことあるごとにそれはお前を傷付けた者達がお前を利用するために生み出した言葉であり、現実にお前の言葉によって傷を受けたものなどそうそういないのだと教え、一滴ずつ血を流す傷口を塞いでくれていたためもう大丈夫だと思っていた。
だが、本当はリオンという偉大な存在の力があるおかげで傷が塞がっているように見えていただけだと思い知らされてしまい、広げた足の間に頭を落として拳を握る。
暴力に対する頑なな思い-それはどちらかと言えば生理的嫌悪感-からリオンに対し、暴力で物事を解決するなと訴えていたが、振り返ってみればリオンが手を上げる時というのは誰かを守るためが大半であり、自身の機嫌の善し悪しで誰彼とも無く殴っていた訳では無かったのではないか。
誰かを守る為にならば暴力も厭わない、そんな顔をいつも見せてきていたはずなのに、そんな彼に対し己はただ嫌いだという理由でそれを否定してきたのでは無いのか。
その結果が今ベッドで横たわっているリオンだと過去から囁かれ、やはりお前の言葉は愛する人を傷付けるだけのものだとも嗤われてしまい、白い髪に手を突っ込んできつく握りしめる。
間違っているとは思わないし思いたくないが、己の思いが愛する人を傷付けてしまったことへの償いは一体どうすれば良いのだろうか。
リオンをこんな風にしてしまった己は一体どうやってそれを詫びれば良いのだろうか。
その思いが脳裏を過ぎり、胸の内に墜ちてきてぎしぎしと軋んだ音を立て始める。
自分の下らないこだわりでリオンを傷付けたことを謝罪し許して欲しかった。
のろのろと顔を上げてリオンの横顔を見たウーヴェは、無意識に手を伸ばして点滴が刺さっていない手を掴むと、その手の甲を額に押し当ててきつく目を閉じる。
「リーオ・・・・・・っ!」
早く目を覚ましてくれと強く願い、いつものように笑ってくれとも願って手の温もりを感じるが、このまま意識が戻らなければこの温もりが喪われてしまうと言う恐怖が芽生えた瞬間、座っていることも出来ない程身体が震えてしまう。
どうしてこんなにもここは冷たく寒いのか。何故温もりを発するものがこの手だけなのかと、歯の根が合わずにかちかちと音を立てる己の口が不愉快で噛み締めるが、身体の震えはどうしても抑えられず、両手で掴んだ手だけが縋れるものだというのか、ぎゅっと握って胸元に引き寄せる。
いつも何かあればうるさいぐらいに騒いでウーヴェを呆れさせていたはずなのに、何故今こんなにも静かに眠っているのか。同じベッドで夢を見ているときですらじっと出来ないくせにどうして今ぴくりとも動かないのか。
早く日頃の快活なリオンに戻ってくれと切に願い、震える手で再度額にその手を宛がった時、その手が微かな動きを伝えてくる。
だがその動きは小さなもので、身体の震えが酷くてそれに気づけなかったウーヴェがリオンの掌を己の頬に宛がったとき、ようやく己のものとは違う動きを感じて目を見張る。
「・・・オーヴェ・・・?」
声は掠れて聞き取りにくいし力も籠もっていなかったが、間違いなくウーヴェが強く望んでいるリオンのもので、見開いた視界で腕の先にある顔を見れば、眩しそうに目を瞬かせるリオンがいた。
「リオン・・・・・・っ!」
「ここ・・・病院、か?」
「・・・ああ」
己の手をぎゅっと握るウーヴェを見つめながら掠れた声で問いかけると、ウーヴェが何度か深呼吸を繰り返して落ち着こうとするが、リオンの意識が戻ったことに安堵と喜びの思いがわき起こり、握っていた手の甲にキスをした後、目を細めて見つめて来るリオンにキスをする。
「お前がキスしてくれたから・・・目が覚めた、んだぜ、きっと」
「・・・うん」
いつもならば羞恥や呆れから何を言っているんだと返すウーヴェだったが、今ばかりはその言葉を信じたくて、つい小さな声で同意をするとリオンの目が驚きに見開かれるが、己の負傷がウーヴェに与えた衝撃に気付き、少しだけ色を取り戻しつつあるウーヴェの頬をそっと撫でる。
「ごめんな、オーヴェ。心配掛けた」
「・・・もう、良い。気分は悪くないか?」
「ああ。傷口が痛いだけ、だな」
「そうか」
頬を撫でる手に手が重ねられ、眼鏡の下で閉じた瞼を微かに震わせるウーヴェへと可能な限り身を寄せたリオンは、ウーヴェの名を呼んで視線を合わせると心配そうに眉を寄せる。
「オーヴェ、心配掛けて悪かった」
「・・・・・・」
その言葉でもウーヴェの憂い晴れなかったようで、小さく息をついたリオンは、掠れた声でそれでもいつものような軽口で肩を竦めて懇願する。
「今さ、ちょっと調子悪ぃからお前が考えてること、マジで分かんねぇんだ」
だから今何を思っているのかを教えてくれと囁くと、ウーヴェの身体が前に傾いでリオンの胸の前辺りのシーツに額が押し当てられる。
「・・・許し、て・・・くれ、リオン・・・」
待っているのがじれったくなるが、胸の中で渦巻いている思いを自ら口にするまで待つ心積もりだったリオンだが、くぐもった声が謝罪の言葉を流したため、何度も瞬きをして言葉の意味を理解しようとするが、ようやく意識を取り戻したばかりの脳味噌は考える事をまだ放棄しているようで、何を許して欲しいんだと呟くのが精一杯だった。
「俺、が・・・俺のせいで・・・」
己の頑なな暴力への嫌悪からお前を傷つけただけではなく、生命の危機にさらしてしまったことを詰まりながらも伝えてくるウーヴェに呆然と目を瞠ったリオンだったが、そうじゃないと声に力を込めて否定をし、ウーヴェに顔を上げさせる。
「オーヴェ、こっちを見てくれ」
シーツに顔を押しつけているのではなく、いつものように俺を見てくれと告げると、それに従うようにのろのろと顔が上がる。
「お前がいつも言ってたようにさ、暴力は良くないことだよな」
「・・・」
「そう思ったから、あいつを徹底的に殴ったりしなかった」
まあ、その結果が殴り返された挙げ句の意識不明だったことはこの際忘れてくれと、もう一度肩を竦めていつもと同じ口調で告げると、ウーヴェが握った拳を口元に宛がった為、また思いを封じ込めようとしていることを察するが、昔とは違うことを信じながらウーヴェを呼ぶ。
「なぁ、オーヴェ。お前の言葉は何よりも信じられるし金よりも価値があるって俺は思ってる。だからお前の言葉に従ったことに悔いはねぇ」
「で、も・・・それでお前が、もし・・・」
死んでしまうようなことになれば、という考えたくもない言葉を飲み込んだウーヴェにリオンが一度疲れたように目を閉じるが、次いでその青い瞳を見せたとき、その顔は己の信念に従う強い男の貌になっていて、ウーヴェが咄嗟に口を手で覆ってしまう。
「お前の言葉に従って死んじまっても構わねぇ」
「死ぬ、などと・・・言う、な・・・っ!」
「ああ、悪ぃ。でもそれぐらいお前の言葉を、お前を信じてる」
だから、今回のこの傷もただの傷ではない、信念に従ったものだと、打って変わった穏やかな貌で囁くと、ウーヴェがしがみつくように覆い被さってくる。
「だからさ、お前が俺に教えてくれたように我慢した俺を褒めてくれよ。よくやったって褒めてくれ」
さっきも言ったが、信じた結果の傷は痛いものだが、お前が褒めてくれれば傷は傷でなくなるのだとささやき、震えるウーヴェの背中を片腕で抱きしめると、感情に掠れる声が何度も名を呼んでくる。
「リオン・・・、リーオ・・っ!」
「お前が褒めてくれたらさ、この傷はお前の言葉を信じた俺の誇りになる」
己の言葉がもたらした結果が愛するリオンを傷つけてしまったと言う現実に打ちのめされていたウーヴェだったが、リオンが何度も何度も褒めてくれと強請るたびに罪悪感が和らいでいくことに気付く。
「お願い、オーヴェ。よくやったって言ってくれよ」
その言葉がいつもと何ら変わらないものだったため、ウーヴェもようやく顔を上げてリオンを見下ろすと、包帯が巻かれて痛々しい頭をそっとそっと撫でて前髪を掻き上げて見えた額に口付ける。
「本当に・・・良く、我慢をしたな、リーオ。お前は本当に・・・」
強い男だとの呟きはリオンの口の中に囁かれ、かすかに血の味がするキスを交わした後、ウーヴェが何かを吹っ切ったような吐息を落とし、リオンの額に額を重ねる。
「気分が悪いとかはないな?」
「うん、平気だ」
「分かった。カールを呼んでくる」
「あ、そだ。もう帰って良いか聞いてきてくれよ」
この時になってようやくウーヴェの顔に小さな笑みが戻り、それに安堵したリオンが軽口に見せかけた本心を口にするが、湿り気を帯びているターコイズにじろりと睨まれて顔を隠すように布団を引っ張り上げる。
「・・・大人しくしているんだぞ」
さっきまでの顔などすっかりかき消したウーヴェにリオンが首を竦めるが、専門違いではあっても医者は医者だから従うと目元だけを布団から出して宣言すると、ウーヴェの優しい手が額を撫でる。
「ああ。良い子だ」
「むー。ガキ扱いすんなよ」
「だったらすぐに帰るなどと言うんじゃない」
リオンの軽口がもたらしたものはいつもの言葉のキャッチボールだったが、そこに込められている思いも一緒に受け渡しをした二人は、あからさまに嬉しそうな態度でやってきたカスパルの診察を受ける。
診察の間中、リオンの傍を離れないウーヴェに最初はカスパルも感心していたが、口を開けばもう帰りたい早く帰りたい、頭の傷はウーヴェが診てくれるから大丈夫、だから帰らせろと訴えるリオンに辟易し、そこまで言うのならばもう大丈夫だいつでも勝手に帰れと、診察が終わる頃には匙を投げたカスパルは、それでも傍を離れないウーヴェをじろりと睨み、お前が甘やかすからこうなったんだろうと指摘する。
「・・・・・・そんなことは・・・」
「ない、などと誰も信じないからな。まったく。次に集まったときに酒のアテに提供するから覚悟しておけ!」
今回の騒動を肴に酒を飲もうと誘われていることに二人が顔を見合わせるが、一方は喜んで、一方は何ともいえない微妙な顔で頷き、暫く自宅で静養しているように忠告をしたカスパルは、ほぼ同時に二人に礼を言われて鷹揚に頷くと、表情を切り替えてとにかく外傷だけで済んで良かったと笑い、それについても二人同時に頷いて世話になったと礼を言うのだった。
病室を出たとき、廊下には警察での事情聴取を終えたばかりのマザー・カタリーナが心配そうな顔で立っていて、中に入ってくれば良かったのにとリオンがばつの悪そうな顔で母の前に立つと、もう歩いても平気なのかと問われて素っ気なく頷くが、目を真っ赤にしているマザー・カタリーナにもう大丈夫だから泣くなと、ウーヴェに告げたものとは少し違うが根本は同じ思いから囁いて華奢な身体を抱きしめる。
「心配掛けたな、マザー。でももう大丈夫だ」
「ええ、ええ。心配しましたよ」
「うん。悪ぃ。・・・・・・さっきオーヴェにも言ってたんだけどさ、俺、あいつをフルボッコにしなかったぜ。それは褒めてくれよ」
「そうですね。昔のあなたならばきっともっと手酷いことをしたでしょうね」
それを止められるようになったことは本当に成長した証だと頷き、リオンの広い背中を撫でたマザー・カタリーナは、母と息子の抱擁を温かい目で見守っているウーヴェに気付くと、目尻の涙をそっと拭いて今度はウーヴェに向かって手を伸ばし、一歩前に出たウーヴェがマザー・カタリーナをそっと抱きしめる。
「あなたのおかげですよ、ウーヴェ。あなたがリオンを良き方へと導いてくれているのです」
「・・・・・・俺は・・・」
「オーヴェ、マザーは嘘もお世辞も言わねぇ。だからその通りなんだって」
お前のせいで俺が怪我をしたのではない、お前の言葉を守った証を得ただけだとウーヴェの髪に口付けたリオンが強い声で己の伴侶の自虐的な言葉を否定すると、マザー・カタリーナもその通りですとウーヴェの手を両手で包みながら優しく頷く。
「今日は家に帰るのでしょう?」
「はい。いくら退院して良いと言われても気になります」
だから今日はこのまま家に帰って明日一日ぐらいは自宅で療養させると頷くウーヴェにマザー・カタリーナも同意を示し、リオンだけが憮然とした顔でそっぽを向く。
「大丈夫だってのになー」
「何か言ったか、リオン?」
「・・・・・・早く帰ろうぜ、オーヴェ。マザーも早く帰らないとアーベルが心配してるぜ」
病院になど一分どころか一秒たりともいたくないと豪語するリオンに溜息を吐いたウーヴェは、確かにブラザー・アーベルが心配しているとマザー・カタリーナが頷いた後、送っていく旨を伝えてリオンの同意を得る。
「ですが・・・」
「ホームに寄るぐらい問題ねぇって」
だからオーヴェに送って貰えとリオンにも言われてしまえば断れるはずも無く、お願いしますと頷いたマザー・カタリーナは、とにかく怪我がこの程度で済んで良かったと何度も頷くのだった。
マザー・カタリーナを孤児院に送り届けた時、リオンの怪我が軽いものであることを知らされたブラザー・アーベルを筆頭に心配していた心優しい人たちが集まり、各々の言葉でリオンの帰宅を祝ってくれる。
それを運転席で見つめていたウーヴェは、己の伴侶がこんなにもここの人たちから大切に思われているのだと教えられ、それも偏にマザー・カタリーナのおかげだと改めて気付くと、車を降りて皆に出迎えられる彼女の背中に頭が下がってしまう。
礼を言う彼女に同じ思いをキスと言葉で届けた後、助手席に乗り込んで伸びをするリオンの頬にもキスをし、驚いた様に見つめて来る蒼い瞳に帰ることを伝えると、嬉しそうに目が細められる。
「うん。ダンケ、オーヴェ」
「・・・・・・ああ」
その言葉を合図に車をゆっくりと走らせ、自宅アパートに帰り着いた二人だったが、神と友人達の前でいついかなる時でもウーヴェの杖の代わりになることを誓ったリオンは、己の負傷をまったく気にすること無く腕を差し出すが、いつものように手が添えられることが無く、小首を傾げてウーヴェを見ると俯き加減に立ち尽くしていて、その姿に胸の深い場所が酷く痛みを覚えてしまい咄嗟に伸ばした手でウーヴェを抱きしめる。
「・・・・・・もう大丈夫だぜ、オーヴェ」
「リーオ・・・っ!」
「うん」
車にもたれ掛かりながらウーヴェの背中を抱いて支えたリオンは、以前と比べれば己の思いを口にすることが多くなってきたとはいえ、それでもまだまだ口に蓋をする癖のあるウーヴェの背中を何度も撫で、思っていることを口にしても大丈夫だ、だから言ってしまえと促すが、シャツの胸元にぶつけられる声はリオンの名前だけで、その思いが口から出てくる事は無かった。
このままここにいて他の住人の目に触れるようなことになれば、後々ウーヴェが困るとの思いからウーヴェを半ば担ぐように抱き上げて足早にエレベーターに向かう。
「ごめんな、オーヴェ」
恥ずかしいだろうが少しだけ我慢してくれと囁いて無言で頷かれたため、エレベーターの壁にもたれつつウーヴェの髪に口を寄せれば、震える声が呼びかけてくる。
「・・・・・・も、う・・・」
「大丈夫だなんて言っても信じませーん」
「ち、が・・・」
「・・・頭の傷は出血がどうしても増えるんだろ?だからそれだけで本当にもう大丈夫だ、オーヴェ。カールも言ってたけどさ、結局は脳震盪だったってことだろ」
リオンの軽口にウーヴェが何とか反論するが、それならばとさらに反論されて口を閉ざしたウーヴェにリオンが優しいお前に有りっ丈の愛と感謝の思いを込めてと笑いかけ、驚いた様にリオンを見下ろすウーヴェにキスをする。
「ダンケ、オーヴェ」
さっきも言った言葉だが何度でも言う、ありがとうと告げた時、エレベーターがフロアに到着し、ようやく下ろしてくれとウーヴェが口にしたため、二人並んでゆっくりと一つのドアに向かって行く。
ウーヴェがドアを開けてリオンを迎え入れる、その光景は昨夜もその前も当然のように成されたことだったが、それが当然では無いことを思い知らされた二人は、ほぼ同時に互いに手を伸ばして抱き合い、戻ってこられたことを滅多に祈らない神に感謝する。
「・・・・・・オーヴェ、一つだけウソ吐いた」
「何だ・・・・・・?」
廊下で抱き合いながらリオンがひっそりと呟く言葉にウーヴェが不安を感じつつ問い返すと、傷は大丈夫だと言ったし誇りになるとも言ったが、傷口が疼いて痛いんだと、何とも情けない声で返されて軽く目を見張る。
「なあ、オーヴェ、頭の傷が痛ぇ」
「縫っているから仕方が無いな」
「痛ぇよぉ」
その声は軽口にも聞こえるものだったが、リオンが怪我をしたときに苦痛の声を上げるのを聞いた事が無かったウーヴェが驚きつつその顔を覗き込むと、本音と冗談が絶妙に入り交じった顔でリオンが痛みを訴えていた。
「リーオ?」
「傷が痛いのはさ、チョコを食えば治ると思うんだけどなー」
「・・・それはただチョコが食べたいだけじゃないのか?」
「んー、そうとも言うかな」
さっきまでのしおらしい顔はどこに行ったんだとウーヴェが問えばリオンがそっぽを向いて口笛を吹き、ここでいつまでも話し込む必要は無いと笑ったため、ウーヴェも釣られて笑ってしまう。
「やっと笑ったな、オーヴェ」
今回色々と痛い目に遭ってしまったが、さっきまでのようなお前の顔は見たくない、やっぱりお前には笑って欲しいと、ウーヴェが望む笑顔で強請られて目を見開くが、ならばお前も笑っていてくれと頬を両手で挟んで額をふれあわせる。
「うん」
これからも二人こうして笑っていようと誓い合い、互いの腰に腕を回して長い廊下をゆっくりベッドルームに向けて歩いて行くのだった。
ベッドの中でリオンの腰に腕を回していたウーヴェは、意識を喪うまで何を考えていたんだと、ブラザー・アーベルが口にしていた疑問を投げかける。
「俺が手を止めたことをオーヴェは褒めてくれるかなーって思ってた」
「・・・・・・そうか」
「うん。それと・・・昔さ、マザーやゾフィーが何でそこまでするんだって、やり過ぎだって言ってたけどさ、止められるようになったのをゾフィーも褒めてくれるかなーって」
今は神の御許で自分たちを見守ってくれているゾフィーならば今日の己を褒めてくれるだろうかと思案した時、無性にゾフィーに会いたくなったが、それ以上にお前に会いたくなったと、その時咄嗟に思案したことを笑み混じりに告げたリオンは、ウーヴェが無言で頬を撫でてくれたことが嬉しくて目を細め、病院でも繰り返していたが、褒めてくれと口にする。
「オーヴェ。お前に褒められたらマジでこんな傷、傷じゃなくなる。だから褒めてくれよ」
執拗なほど褒めてくれと強請る心の奥底には不安があったのだが、リオンよりもそれを敏感に察したウーヴェは、小さく深呼吸を繰り返した後、リオンの額に口付けてそっと胸に頭を抱き寄せる。
「俺の自慢のリーオ。誰かが何かを言ったとしても、お前は俺の誇りだ」
ウーヴェの静かな声がリオンの胸に染みると同時にその顔にじわじわと誉められた事への感激、ウーヴェにそこまで言わせることが出来たことへの喜びが滲み出す。
「────俺の、リーオ」
「・・・っ・・・ダンケオーヴェ、愛してる」
「ああ」
いつもならば羞恥からあまり好きだの愛しているだのとは言ってくれないが、こうしてこちらが不安を抱えているときは何の衒いも無く今のように直接心に思いを届けてくれるお前を愛しているとリオンが笑み混じりに告げると、ウーヴェのターコイズ色の双眸が嬉しそうな形に細められる。
「今日はもう寝ろ」
「うん」
こうしてお前が抱いていてくれるのならば頭の痛みなど本当にすぐに消え去ってしまうとも告げて目を閉じたリオンの背中を抱き、今日は本当にお疲れ様だったと労ったウーヴェは、一足先に寝息を立て始めたリオンの後を追うように目を閉じ、数時間前までは考えられないほどの穏やかに眠りにつけるのだった。
翌日の診察を何とか無事に終えたウーヴェは、昨日と同じにお茶の用意で疲れを解してくれるリアに事の顛末を掻い摘まんで説明をする。
「そうだったのね。でも・・・傷が大きくなくて本当に良かった」
「ああ。リアにも心配を掛けた」
「今日は家で寝ているの?」
心底安堵した顔で胸の前で手を合わせて喜んでくれるリアに目を細め、リオンが家で大人しくしているはずが無いこと、今日と明日は念のために仕事を休む事にしたから職場に連絡をしたあとホームにいると朝ウーヴェが出勤する前に話していた事を彼女に説明すると、呆気に取られたように目を丸くするが、リオンらしいと笑って何度も頷く。
「じゃあ後で迎えに行くのね」
「ああ」
今日も無事に診察を終えた事を先程メールで伝えておいたが、ホームで待っているとの返事があったことを告げて用意してくれたお茶を飲んで溜息を零したウーヴェは、二重窓の外へと目をやり、雪が降り始めたことに気付いて無言で肩を竦める。
「そう言えば、アキが診察中に来たの。チョコレートケーキを焼いたから食べてって言ってたわ」
「そうなのか?」
「ええ。診察中だったからすぐに帰ったけど、リオンの分もって言ってたから持って帰ってあげて」
日本から音楽を学ぶために留学してきたが、紆余曲折を経た今、この街で恋人と一緒に日々笑ったり怒ったりと喜怒哀楽の表現が豊かな青年が、ドイツではあまり馴染みの無いイベントの日に焼いたケーキを持ってきてくれた事を教えられて頷いたウーヴェは、元気そうだったかと問い返してそれはそれは元気すぎるほどだったと返されて微苦笑を浮かべる。
「そうか」
「ええ。もちろんあなたの分もあるわ」
「それは嬉しいな」
年下の友人が作るケーキはウーヴェの好みに合致していて、それを持ち帰ることが出来るのは素直に嬉しいと伝えるとリアの顔にも同じような笑みが浮かび上がる。
「リオンと一緒に食べてって」
「そうしよう。・・・リア、今日も後を頼んでも良いか?」
「ええ。早くリオンを迎えに行ってあげて」
結婚もしていて立派すぎる大人であるリオンだが、日頃の言動故にかついつい子ども扱いをしてしまうきらいがあり、それを今も発揮してしまったリアにウーヴェが無言で肩を竦めるが、友人が焼いたのがチョコレートケーキだが、自分も何か買って行こうと決める。
数日前にチョコを食べたいと散々言い張って拗ねていた事を思い出し、昨日もチョコを食べれば怪我がすぐに治ると言っていたことを思い出すとウーヴェがリオンの為にチョコを買わないはずは無く、孤児院に迎えに行く前にスーパーでリオンの好物である正方形のチョコを数枚買い求めようと決めるのだった。
昨日のように頭に包帯を巻いたままのリオンを助手席に乗せて自宅に戻ったウーヴェは、荷物を総てリオンに預け、ついでに己の手と体重の何割かも預けると、リオンが嬉しそうにゆっくりと歩き出す。
「アキのケーキ早く食いたい」
「食事が終わったらな」
「え、良いのか、オーヴェ?」
「ああ」
今日は特別だと笑ったウーヴェにリオンの顔に子供じみた笑みが浮かび上がり、己の伴侶が本当に沢山の貌を持っていることを改めて実感するが、今ここでリオンの好物であるチョコを買っている事を伝えればどんな貌を見せてくれるのかと想像しながらそっと名を呼ぶ。
「リーオ」
「ん?どした、オーヴェ?」
「その袋を開けてみろ」
荷物をキッチンのテーブルに置いたリオンは、ウーヴェの言葉通りに袋を開き、そこに自分の好きなメーカーのチョコが入っている事を知ると、そのまま動かなくなってしまう。
「リオン?」
「・・・・・・オーヴェ大好き愛してる!」
感動に震える声で礼を言い、キッチンで作業をするときに使っているスツールに腰を下ろしたウーヴェに抱きついたリオンは、本当に嬉しい愛しているを連呼し、さすがにウーヴェを呆れさせてしまう。
「・・・食事の前と後に食べるのはだめだぞ?」
「食後にする!」
今日はケーキもあるしチョコもある、なんて幸せな日なんだと、何ともいえない顔で笑うリオンを目の前にしてしまえば自然と喜びが伝播してきてウーヴェの口元にも笑みが浮かび出す。
「じゃあ食事の用意をしようか」
「ん、そうしようぜ」
今日もいつものように二人で食事をし、その後友人が作ってくれたケーキを食べようと笑ってウーヴェのこめかみにキスをしたリオンは、昨日自ら宣言したように頭の傷の痛みなど一切感じていない顔でウーヴェの指示に従って夕食の用意をするのだった。
そうして、食後のケーキと特別だと何度も言い張るウーヴェにその度にキスをして謝意を表してチョコを食べていたリオンは、膝枕をしてくれているウーヴェを見上げて満足そうな溜息を吐く。
「オーヴェ、ホントにありがとうな」
「・・・もう良い」
「うん。アキのケーキ美味かったな」
「ああ」
リビングの暖炉前のソファで二人でくつろいでいると、今のこの時間が掛け替えのないものだとの思いがほぼ同時に二人に芽生え、互いの頬に手を宛がう。
「チョコを食べたら痛み無くなった」
「そうか」
「うん、そう」
医学的にそんなはずは無いがリオンがそう思っている-または思い込んでいる-のならそれで良いと目を伏せたウーヴェは、満足したのならそれで良いと告げてリオンの額にキスをする。
「うん、すげー満足した」
「ああ」
満足そうな顔を見ることが出来て本当に良かったと笑うウーヴェにリオンも笑い、チョコを食べ過ぎないようにすると約束をする。
「だからたまには食わせてくれよ、オーヴェ」
「分かった」
他愛も無い会話も自分たちにとっては掛け替えのないものだとの思いから頷き合い、ウーヴェはリオンの髪をずっとなで続けているのだった。
Back | ganzer Stolz.
2015.02.25
えーと、結局いつもの通りの仲良し話になってますが、今回はリオンが大変お疲れ様でした(..;)


