Die Überzeugung-1-

Über das glückliche Leben(UGL) -Lion & Uwe -

 年が明けてクリスマスに飾り付けをしてプレゼントを置いたツリーなども片付けられてしばらく経ったその日は、朝から粉雪が舞う一日で、さらさらと音もなく二重窓に触れては溶けていく様を目にする事が出来たが、午後の遅く、結局一日顔を出すことの無かった太陽がベッドに戻ろうという頃になると水分を多く含んだ重い雪になっていた。
 そんな雪が降る光景を肩越しに振り返って見つめているのは、街の広場を見下ろす絶好のロケーションにクリニックを構えているウーヴェ・フェリクス・バルツァーだった。
 いつものように窓枠に尻を乗せて何気なく診察室全体を見回し、壁の本棚の一冊の本の歪みが気になったり、または反対側にある一見すればドアに見えないドアの向こうに隠してある書類の整理をどうするかを考えたりと室内を見回して漫然と眺めていたが、ドアが規則正しくノックされた音で我に返り、窓枠から尻を上げながらどうぞと声を掛ける。
 「────仕事お疲れ様、ドク」
 「リオン?」
 ドアを開けながらお疲れ様と労いの声を掛けてきたのは、この街で刑事として忙しく働くウーヴェの恋人のリオンだった。
 いつもならば決してノックとは認められない激しさやリズムを付けたそれをするリオンだが、今日は誰が来たのかが分からないぐらいに控えめなノックをし、今もドアノブを掴んだまま中に入ってこようとはしなかった。
 己の恋人の珍しい様子から彼がここに来た理由を察して無言で窓際のチェアを指し示すと、リオンとその後ろからお茶の用意を手にしたリアが静かに入ってくるが、彼女の表情が患者を前にした時と同じだった為、考えたとおりに仕事の話だと気付いてウーヴェも素早く表情を引き締めて指し示したチェアに腰を下ろす。
 「今日はどうした?」
 ローテーブルを挟んで向かい合わせに座った二人の間に静かにコーヒーカップを置いたリアが目礼した為、ウーヴェも素っ気ない態度で頷いて彼女に礼を告げると一礼した後で踵を返す。
 ここでこうして恋人と向かい合わせに座るなど珍しいといつもならば隣に腰掛けている温もりが無い不思議に内心で苦笑するが、両膝の間で手を組みながら親指同士をくるくると回転させるリオンの様子に目を細め、くすんだ金髪の下ではどんな言葉が渦を巻いているのか教えてくれと言いかけてるのを堪えて彼が口を開くのを待つ。
 やがて親指のダンスが終わりを迎えたのか、小さな小さな、だが重さを感じさせる溜息がテーブルの上に静かに落ちたかと思うと、リオンがブルゾンの内ポケットから折りたたまれたコピー用紙と一葉の写真をテーブルの上を滑らせる。
 「彼に見覚えは?」
 「………先週診察をした患者だな。明日予約が入っている」
 写真の中では蒼い瞳を楽しげに細めて真夏の日差しを浴びた青年が笑いかけてきていて、この写真と先週診察をした彼が同一人物だとは断言できない程の表情の違いに軽く驚いたウーヴェは、明日の予約リストを思い出して確か午後一番の診察だったはずと告げると、リオンの顎が上がって天井に向けて重苦しい吐息が吐き出される。
 「彼に何かあったのか…?」
 「……今朝方、自宅の地下室で死亡しているのが発見された」
 「────!!」
 リオンが顔を戻すことなく呟く言葉がウーヴェの耳から脳味噌に辿り着き、言葉の意味を正しく理解した瞬間、コーヒーカップを取ろうとしていた手がびくりと揺れてローテーブルが微かに揺れる。
 「今監察医が詳しい死因を特定しているが…自殺と他殺の双方から調べている」
 「……亡くなった、のか…?」
 「母親が地下のドアが塞がれていることに気付いて父親にドアを破らせたら…シーツの上で倒れていて、もう息はなかった」
 ウーヴェの呆然とした呟きにリオンが事務的な声で返し、悲嘆に暮れる両親が語ったことを簡潔に伝え終えると二人の間に沈黙が降りかかる。
 その沈黙を破ったのは小さく椅子が軋む音と、どちらの口から出たのか分からないやるせない溜息だけだった。
 「……どうして私の患者だと気付いたんだ…?」
 「彼の傍に両親宛の手紙と、ドク宛の走り書きと診察券があった」
 「走り書き?」
 「ああ────これが、そのメモのコピー」
 リオンがポケットから取りだしたもう一枚のコピー用紙を受け取り、まるでこの用紙に総ての原因があるように睨み付けたウーヴェは、診察を受けて楽になったが、それ以上に絶望してしまった自分を許して欲しい、先生には感謝してもしきれないと震える文字で書かれているのを読み取り、その文面を何往復もして脳味噌と心に刻んでテーブルに置いて眼鏡を外し、きつく閉じた瞼に掌を被せる。
 「……私の力不足、だな」
 己の患者が取り返しの付かない手段を選択してしまったのはひとえに主治医である己の力不足だと絞り出したウーヴェにリオンはただ目を細め、前回の診察時に自殺を仄めかすような言動があったかどうかを冷静に問いかける。
 「…いや、前回の診察では見抜けなかった…」
 リオンの問いを脳内で反芻しつつ立ち上がったウーヴェは、一言断りを入れて先程何気なく見つめていたドアから小部屋に入り、一冊のファイルを広げながら戻ってくる。
 「彼は勤めていた会社で受けたプレッシャーから塞ぎがちになり、会社のカウンセラーからここの紹介を受けてやってきたが……自ら死を選ぶとは思わなかった」
 ファイルの中から警察に見せても不都合のない情報だけを抜き取ってリオンの前に提示したウーヴェは、病気が治れば仕事に復帰して以前のように働きたい、自分はこんなプレッシャーに負けるほど弱い男ではないと消え入りそうな声で囁かれたことを思い出し、病気になったのは弱いからではないしあなたが望むようにまた働く事も出来るのだから、今は治療に専念しようと告げた己の声も蘇り、結局は己の声が届かなかった現実を突きつけられて眉間に深い皺を刻む。
 「自殺の予兆は感じられなかった?」
 「そう…だな……明日の診察でどのように治療を続けるかを話し合おうと思っていた」
 己の患者が死を選ぶ可能性を見抜けなかったことへの慚愧の念が次から次へとウーヴェの胸の裡に溢れ出し、その圧力に負けて胸郭がきしきしと音を立て始め、眉間の皺に指先を押し当てて肩を揺らして呼吸を宥めようと努めるが、そんなウーヴェを痛ましげに見つめたリオンは、自身の動揺を押し殺しながら努めて平静な口調で調書作成の為に必要な情報を集めていき、満足できる物が集まると同時に深く溜息を零して椅子の背もたれにもたれ掛かって天井を見上げる。
 「ダンケ、ドク。署に戻ってボスに報告します」
 「……そうして、下さい」
 己の力不足を責める声音に気付いたリオンがゆっくりと顔を戻して白い髪に覆い隠されている瞳を覗き込もうとするが、それに気付いたウーヴェが眼鏡のフレームを押し上げながら顔を上げる。
 「ご苦労様……」
 「………オーヴェ」
 眼鏡の下の双眸には堪えきれない悲しみと自責の念が深くたゆたい、リオンが躊躇いがちに声を掛けると同時にそれが一瞬だけ瞳から溢れそうになるが、腿の上で拳が握られた直後に一切の表情が掻き消え、静かに立ち上がって眼鏡のフレームをもう一度指先で押し上げてご苦労さまでしたと一礼されてしまえば何も言えず、細めた視界で無表情になったウーヴェを見つめた後、同じように一礼をして立ち上がり、診察室を後にする。
 ドアを開けて出て行く寸前にちらりと振り返ったリオンは、窓枠に手をついて二重窓の外で降りしきる雪をじっと見つめるウーヴェの横顔を見つめ、後ろ手でドアを閉めるとリアが不安げな顔で見つめてくることに気付き、ひとつ肩を竦めて本棚の前のカウチソファに座って足を組む。
 「何があったか教えて貰えるかしら」
 「ああ、うん……」
 組んでいた足を戻して手を組んだリオンは先程と同じように親指同士を回転させ始めるが、何かを諦めたような吐息をひとつ零した後で気分を切り替えるようにもう一度肩を竦め、カウチソファの背もたれに腕を回して前髪を掻き上げる。
 「明日の診察の予約を入れていた彼が、今朝遺体で発見された」
 「……そんな…」
 驚きに目を瞠って口を手で覆う彼女に目を伏せ、両親からの通報を受けて出動したと告げてウーヴェにも見せたメモのコピーを彼女に差し出し、彼が自殺する直前に書いたもので、診察に対する感謝の言葉だけが書かれていると告げながら天井を振り仰いで吐き出した吐息を受け止める。
 刑事という立場で恋人の患者に接することになるとは思ってもいなかったリオンは、窓辺に佇んで無表情に窓の外を見下ろしていたウーヴェの横顔を思い描き、大丈夫だろうかとぽつりと言葉を零すと、リアが微かに震える手で目元を拭って頭を振る。
 「……私がここに来てから患者が亡くなるのは初めてだから…でも、ウーヴェならきっと…」
 大丈夫だという一言を飲み込んでぎゅっと握った拳をデスクに押し当てたリアは、リオンの視線に込められた疑問に気付いて首を傾げて先を促す。
 「主治医が気に入らないから変えるって良く聞くけどさ、ここに来る患者でも他の医者を紹介してくれって言ったりするのか?」
 「頻繁ではないけれど、それは当たり前にあることよ」
 「そうなのか?」
 「ええ。医者と患者と言ってもどちらも人だわ」
 「ああ……うん」
 「人と人とのやり取りなのよ。治療方針に納得がいかなければ医者を変えて納得のいく治療をしてくれる医者を探すでしょう」
 自分のボスであるウーヴェが患者に示す治療方針が気に入らないと、ある日突然医者を変えるから紹介状を書いて欲しいと言われたことを思い出しながら寂寥感とそれを少しだけ上回る割り切った感情で苦笑するリアにリオンも静かに頷き、確かにその通りだと納得するが、今回のように患者が自ら命を絶った場合の立ち直りはどうだろうかと隠しきれない不安を滲ませて彼女が呟いた為、顔を上げて広げた足の間で再び左右の親指のダンスを始める。
 「………ドクなら大丈夫だ」
 「え?」
 「ウーヴェなら少しは時間が掛かるかも知れないけど、必ず立ち直ってまた他の患者の為に診察をする」
 くるくると親指を回転させながら、今まで己が目にしてきた4歳年上の医者の横顔を思い描くと自然と大丈夫だという言葉が出てくるが、医者の貌に巧妙に隠されている横顔を想像するとどうあっても不安を感じてしまう。
 己の恋人はそんなにも柔弱な精神をしていないと分かっているが、それでもやはり己の患者が死亡した事実と向き合う顔を想像するだけで胸の奥に痛みを感じてしまうのだ。
 己の偽らざる気持ちを訥々と告げたリオンは、小さな溜息が形の良い唇から零れたことに気付いて顔を上げ、でもきっと大丈夫と本棚を見つめながら答えられて軽く目を瞠る。
 「リア?」
 「大丈夫よ────ウーヴェにはあなたがいるわ」
 以前の彼ならばともかく、今のウーヴェにはあなたという存在がいるのだから何も心配することはないと確信を持って目を伏せ笑みを浮かべる彼女の言葉に、リオンの胸の奥に掬っていた不安という衣を纏った恐怖がみるみるうちに小さくなり、大丈夫よねと笑いかけられたと同時に微かに残っていた不安を払拭させる。
 「そーだな…うん、大丈夫」
 「そうよ」
 「じゃあドクも本当に大丈夫だな」
 リアの言葉に納得したリオンが声に陽気さを秘めて頭の後ろで手を組み、目を丸くする彼女に片目を閉じる。
 「ドクにはフラウ・オルガがいるから問題ないだろ?」
 「そう……だと」
 「良いんじゃなくて、その通りなんだ、フラウ・オルガ」
 片目を閉じて茶目っ気を顔中に浮かべて囁くリオンにつられて小さな笑みを零したリアは、その小さな笑いで彼女の胸にも靄のようにたゆたっていた不安が一掃されたことに気付き、何度か深呼吸を繰り返した後でデスクに座ると、引き出しから明日の診察予定一覧を取りだして今朝遺体で発見された青年の名前と連絡先をメモ帳に書き出していく。
 「リア?」
 「ウーヴェの事だから、きっと明日の朝一番にでもご遺族に連絡を取って欲しいと言うわね。葬儀に参列できないのならば、お花とカードを送るかも知れないわ」
 己の患者に対する責任感はリアからすれば頑固すぎる程のウーヴェだった為、きっと青年の葬儀に顔を出してくると言いかねないことに気付き、連絡先を書き出しておけばすぐに対処できるだろうし、参列できない場合は彼に供える花とカードを送るだろうと告げてその準備に取りかかった彼女の頭の回転の良さにただ感心したリオンは、ジーンズの尻ポケットに突っ込んである携帯から無機質な機械音が流れ出した事に気付いて立ち上がり、耳に宛がって短く受け答えを始める。
 「…ああ、ジル?司法解剖の結果が出たのか?」
 リオンの言葉を片耳に入れながら、青年が暮らす町の近辺で葬儀などを引き受けている会社のリストアップを済ませ花屋のリストも作成したリアは、解剖の結果他殺の痕跡が見当たらなかったことと、両親から事情を聞き出したマックスからの情報では彼の両親にも不審な所は見当たらず、また外部から侵入した形跡も一切見当たらない為、自殺だとの判断が下されたとリオンが呟く言葉を断片的に脳の中に刻み込み、ラップトップのメモ帳に入力していく。
 「……分かった。一度そっちに戻るってクランプスに伝えといてくれよ」
 チャオと言い残して通話を終えたリオンは、その頃にはすっかりと作業を終えたリアが立ち上がってキッチンスペースに向かう背中を見送り、一度職場に帰ると声を掛けると、リアが顔だけを出してお疲れ様と労いの声を返してくれる。
 「ああ、うん。……後で寄るからって言っててくれよ、リア」
 「ええ、分かったわ」
 「じゃあ」
 両開きの木の扉を重々しく開いて出て行く背中を見送った彼女は、ドアが閉じると同時に溜息を零し、先程リオンに言われた言葉を反芻しながら力を分け与えられた気持ちになる。
 自分がいるのだからきっと彼は大丈夫。
 その一言を持てるだけの力でもって信じようと決めた彼女は、診察室から出てきた彼をいつものように労う為にお茶の用意だけは完璧に済ませておくのだった。

 

 すっかりと太陽が姿を隠してしまい、雲の向こうにその存在を感じることすら出来なくなると、広場やその広場に面したカフェやガストシュテッテなどの明かりが闇の中に浮かび上がり、雨交じりの雪の奥できらきらと光っていた。
 自ら命を絶った青年を初めて診察した日のことを思い浮かべながら溜息をついたウーヴェは、二重窓に額を軽く触れさせながらきつく目を閉じ、生真面目そうな青年の顔を脳裏に描いて自然と拳を握ってしまう。
 もしももっと己に力があれば、彼が自ら死を選ぶ前に何とか出来たかも知れないとの思いがわき上がっては溢れていく水のように胸の中で静かに広がり、消えることなく再びウーヴェの胸の中に吸い込まれては別の色となって溢れ出してくる。
 己の胸の中で起こっている噴水のような感情の流れを止める方法が思い浮かばず、握った拳を窓に宛って手に力を込めてみても、流れる水を遮る事が不可能なように、溢れる感情を押し止めることは出来なかった。
 胸郭の内側で血が溢れたときのような不気味な音が響き、その音の由来を確かめようと瞬きをしたウーヴェの脳裏に浮かんでいた青年の顔が予想もしていなかった別の顔に取って代わられた刹那、ウーヴェの拳が窓を殴りつける。
 今考えなければならないのは死を選んでしまった患者への対応と診察のことであって己の過去のことではないと奥歯を噛み締め、頭を擡げる切っ掛けをいつも待ち望んでいる過去を封じ込める為、青年のものと取って代わった兄の顔を脳裏に思い浮かべた頑丈な木の箱に封じ込めてしっかりと鍵を掛けたウーヴェは、そのイメージ作業を終えると同時に肩で息をつき、まるでこめかみに心臓が移動してきたかのように脈打つ己の鼓動に忌々しげに眉を寄せる。
 考えなければならないのは青年の死と遺された家族に対して何が出来るのかだと頭の片隅に押しやった木箱に向けて語りかけ、箱を意識野から追いやったウーヴェは、少しだけふらつく足でデスクに戻ると、メモ帳を引き寄せて今しなければならないことを列記していく。
 己の考えを文字に書き記す事で少しずつ脳内が整理されてきたのか、ウーヴェがようやく青年の葬儀の日程を聞き忘れた事を思い出したのは、デスクに腰を下ろしてからかなりの時間が経過してからだった。
 顔を上げて真正面の一人がけのソファを何気なく見ると、脳裏にあの日不安を抱えた顔でやって来て小さく身体を丸めて腰掛けた青年の姿が思い浮かび、力不足を心より詫びたウーヴェは、彼がここを訪れた時の話を遺された家族にするべきだとも気付いて力が抜けたように背もたれに身体を預ける。
 「……家族はご両親だけだったな…」
 まだ独身で恋人もいないと暗く笑った顔を思い出しながら受話器を手に取り、受付を任せているリアのデスクを呼び出そうとするが、何気なく見た壁の時計は既に8時を過ぎた時間を教えていて、慌てて立ち上がってドアを開ける。
 「フラウ・オルガ!」
 「……はい」
 リオンがやって来て青年の死を告げたのは夕方の遅くだったが、リオンを送り出してから彼女に今日はもう仕事を終えて良いと言っていなかった事を今更ながらに思い出し、少しだけ汗を浮かべながら彼女の名を呼び、花瓶の水を交換していた彼女を驚かせてしまう。
 「どうしました?」
 「いや……その、水を換えてくれてありがとう」
 「え?少し花に元気が無かったので水を換えましたが、来週また新しい花を買ってきます」
 ウーヴェの慌てる様子を意に介することなく花瓶を本棚の前に置き、今度はどんな花を買うか考えていて欲しいと笑ったリアだったが、差し出がましいかも知れないが調べておきましたと告げて目を伏せる。
 「フラウ・オルガ?」
 「…彼の葬儀は恐らく2,3日後になるだろうということです」
 「………そう、か」
 「はい。彼の自宅近くの教会とその墓地です」
 葬儀に参列するかどうかも分からないのに、先走って調べてしまった事を詫びる彼女に慌ててウーヴェが礼を言い、本当に助かると小さな笑みを浮かべるが、彼女の顔に安堵の色が浮かび上がってカウチソファに座り込んでしまう。
 「………心配を掛けてすまない、リア」
 「いいえ……葬儀には参列するつもりなの?」
 彼女の横にそっと腰を下ろして頭を下げたウーヴェにリアも首を横に振って顔を上げさせ、なるべく事務的な口調で問い掛けようとするがやはり悲哀と不安が声に滲んでしまうのを隠すことは出来なかった。
 葬儀に参列する事でウーヴェが遺族にどのように思われるのかがどうしても不安をかき立ててしまうのだ。
 「明日ご両親に連絡を取るつもりだ。許しが出れば参列したいが、無理ならば花とカードを送ろうと思う」
 「ええ、ええ、そうね」
 遺族が許してくれるのならばともう一度ある決意を秘めて囁いたウーヴェは、リアが不安を抱えつつも彼に手向ける為の花を配達してくれる店のリストを作っておいてくれたことを知って目を瞠り、己の秘書兼受付を任せている彼女の優秀さに舌を巻く。
 「ありがとう、リア。今日は遅くまでお疲れさま」
 「……今日はゆっくりと休んでね」
 今日は彼の死を悼んだとしても、明日もあなたを必要とする他の患者がやって来るのだからと目を伏せつつ告げたリアは、小さな声が同意の言葉を返してくれた事に安堵し、目元を指で拭ってカウチから立ち上がる。
 「お疲れさまでした」
 「フラウ・オルガもお疲れさま」
 また明日もよろしく頼むとそっと手を差し出したウーヴェにリアも小さく笑みを浮かべてその手を握り、明日の診察リストをデスクに置いてある事、後でリオンが立ち寄ると言っていた事を告げて一礼し、いつもに比べれば遙かに遅い時間になったが帰り支度をしてクリニックを出て行くのだった。
 その背中をぼんやりと見送ったウーヴェは、何気ない動作でジャケットのポケットに手を入れた事で己がまだ心身ともに仕事中であることを思い出し、のろのろとカウチから立ち上がって診察室に入るが、自然と脳味噌が青年の笑顔を引きずり出して来てしまい、一人掛けのソファの背もたれに手をついて項垂れていると、背後の開けっ放しにしたままのドアがリズムを付けて叩かれる。
 今聞く限りでは場違いに聞こえるそれに顔を振り向けると、腕を組んで片手の甲でドアをノックするように拳を作ったリオンが開いたままのドアに肩で寄り掛かっていた。
 「────ハロ、オーヴェ」
 「…………もう、終わったのか?」
 ソファの背もたれを撫でた手で肘置きも撫でたウーヴェにリオンが無言で頷き、ドアを後ろ手で閉めながら彼の横にやってきたかと思うと、今日の診察は終わったのかと問いかけた為、ウーヴェも素っ気ない態度で頷いて少し疲れたと自嘲する。
 「そっか」
 「ああ……」
 だから今夜は一人にして欲しい、そう自嘲気味に呟くウーヴェを半ば伏せた青い眼で見つめたリオンだったが、何を思ったのか口を閉ざしたままでウーヴェが着ているジャケットのボタンを静かに外し、ウーヴェの訝る視線が見守る中で前をはだけさせて肩から腕へと脱がせると、リオンにしては鄭重な手付きでそれをソファの背もたれに引っ掛ける。
 「リオン?」
 「……もう仕事は終わったんだろ?」
 「ああ……でも、今日は……」
 「お疲れ様、ドク」
 ウーヴェの言葉を遮るように労いの声を掛けたリオンが物理的に言葉を発することが出来ないように彼の唇に指を立てて宛がい、じっと至近距離で眼鏡の下の瞳を覗き込んだかと思うと、ウーヴェの白い髪を抱き寄せて胸に抱え込む。
 「な、オーヴェ、質問」
 「なんだ…?」
 不明瞭なその声にリオンが場違いな程明るい笑みを浮かべ、お前の家か俺の家のどちらが良いと問いを発してウーヴェの目を見開かせる。
 「なあ、どっちが良い?」
 その言葉の意味するところを理解し、だから今日は一人でいたいんだと告げようとしたウーヴェに念を押すように問いかけると、答えることを躊躇うようにウーヴェの瞳が左右に泳ぎ、程なくしてひとつ所に落ち着くと溜息と同時に堪えていた何かが喉元を迫り上がってきて、思わず目の前にある煙草と汗と男の匂いが染みついたシャツをきつく握りしめる。
 「────…っ…!」
 「…………オーヴェの家に帰ろうか」
 微かに震える白い髪に口付けしつつお前が心から安らげる家に二人で帰ろうと囁いたリオンは、己の服を握りしめて俯く恋人の肩を撫で背中を撫でて腕を撫で、最後に白い髪にもう一度キスをすると、ウーヴェの膝が砕けそうになった為しっかりとその身体を支える。
 「本当にお疲れ様、ドク。今日はもう遅いからゆっくり休めよ」
 そして、夜が明ければお前の診察を待っている人の為に精一杯働いてくれと、最上級の敬意を込めてウーヴェの顔を両手で挟んで視線を重ねると、眼鏡の下で悲哀に沈む双眸に頷いて額と頬にキスをする。
 「ドクにはもう休んで貰おうぜ、オーヴェ」
 「……っ、リ、オン…っ!」
 「ああ」
 患者を亡くしたことは慚愧に堪えないだろうが、そのドクには明日以降も今日と同じように診察をする日々が続くのだから休んで貰おうともう一度告げ、肩に額を押し当ててくるウーヴェの白い髪に手を差し入れて頭の形を確かめるように撫でたリオンは、肩の辺りから聞こえる声に耳を傾けてそっと頷き、ひとまず心が満足するまで髪を撫で続けるのだった。

 

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2012/01/22


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