Das Weihnachtsgeschenk-Vor-

Über das glückliche Leben(UGL) -Lion & Uwe -

 クリスマスまであと2週間近くになったある朝、最近ではすっかり当たり前になった感が拭えない恋人の家からの出勤をする為にベッドから降り立った彼は、背後で低い呻き声とともにオイルの匂いがふわりと漂ってきたことに気付いて苦笑する。
 「グリュース・ゴット、リオン」
 「…ゴット……んーっ!!」
 煙草を咥えて拳を突き上げて伸びをするリオンに朝の挨拶をした彼、ウーヴェは、朝食の支度を始めようとするのだが、中に鎮座するのが水とビールとチーズだけである事を知り、深々と溜息を吐く。
 「リオン、朝食をどうする?」
 「んー……」
 ガリガリと髪を掻きむしるリオンにもう一度溜息を吐いたウーヴェは、二人が使えばいつ壊れてもおかしくないシングルベッドに腰掛けてスプリングを軋ませる。
 「目が覚めたか?」
 「…まだ」
 額に掛かる前髪を掻き上げた手で咥えられている煙草を奪い取り、昨夜部屋の掃除を手早く済ませた時に空にした灰皿に押しつけると、まだ火を付けたばかりなのにと無言で睨まれてしまう。
 「朝から煙草臭いキスは遠慮したい」
 「そっか」
 肩を竦めながら出来れば煙草は控えてくれとも告げたウーヴェの前、もう一度伸びをしたリオンがベッドから飛び降りるとその足で冷蔵庫のドアを開け、ボトルの水を飲んで煙草の匂いを少しでも薄めようと努力をする。
 その間にぐしゃぐしゃになっているコンフォーターを手早く伸ばし、シーツの皺も手で整えると隣に下着姿のリオンが腰掛ける。
 「おはよ、オーヴェ」
 「ああ。おはよう」
 仕切り直しだと、朝一番に見るには気持ち良いような笑顔で挨拶をされ、生真面目に返したウーヴェの顎を手で支えたリオンがそっと顔を寄せてキスをする。
 「…ん」
 朝からするには少しだけ密度の濃いそれを交わした後、コツンと額を触れ合わせて互いの顎から頬に手を宛がって肌に触れる温もりと感触を確かめる。
 「朝飯どうしようか、オーヴェ」
 「カフェにしないか?」
 チェーン店のカフェでも良いがファーストフードの朝から食べるには少し胃に重いものは避けたいと苦笑し、リオンの耳に嵌っている青い石のピアスにもキスをしたウーヴェは、それならばお前のお気に入りの店に行こうと告げられて思案顔になるが、程なくして笑顔で頷く。
 「あー、そうだ。今度さぁオーヴェが家で飲むコーヒー豆を売ってる店を教えてくれよ」
 「気に入ったのか?」
 「うん。すげー気に入った。職場にコーヒーがあるんだけどさぁ…」
 それがもう劇的に不味くて不味くて仕方がないと、文字通りの苦いものを噛み潰したような顔で告げて舌を出したリオンは、それに比べれば時々出してくれるクリニックのものや家で飲むものは最高だと笑い、今度買いに行く時に一緒に連れて行ってくれとも笑う。
 「そうだな…次の休みに見に行くか?」
 「うん」
 素直な返事にウーヴェも目を細め、取り敢えずは今日の仕事にお互いが遅刻しないようにしようと呟き、ベッドから立ち上がると同時にリオンのくすんだ金髪に口を寄せて何事かを口早に囁きかける。
 「……お前もな、オーヴェ」
 「ああ」
 命に関わる仕事をしているのだから注意をしろと告げ、もしも万が一怪我をしたとしても必ず治癒する軽いものだと、言葉での守護を与えるように囁いたウーヴェの首に腕を回したリオンが同じ言葉を同じ思いを込めて囁きかける。
 「10分で出るぞ」
 「Ja!」
 その宣言後リオンがびしっと敬礼をし、飛び上がるようにバスルームへと駆け込んで手早く支度をしている事に苦笑したウーヴェは、シンクで顔を洗って身嗜みを整えた後、リオンが着替える横で帰宅した時に疲れが倍増しないようにベッド周りの整頓を終える。
 「オーヴェ、署に寄る時間はあるか?」
 「ああ、大丈夫だ」
 「じゃあ今日は乗せて貰う!」
 「……初乗り5ユーロ、その後は1キロごとに2ユーロだな」
 「高ぇ!!!」
 一般的なタクシー料金のほぼ二倍の料金設定に異常だと目を剥くリオンにくすくすと笑みを零した口を封じるように拳を宛がったウーヴェは、この野郎と睨んでくる恋人に片目を閉じ、その代わりおまけ付きだと笑った後、しっかりと歯磨きを終えた口も誉めるように小さくキスをする。
 「………ま、いっか」
 と言う訳で、俺の職場までお願いしますと元気よく手を挙げるリオンに鷹揚に頷いた後一足先に家を出ると、愛車に積もった雪を手袋を嵌めた手で払い落とし、軽快な足取りでやって来る恋人を車内で待っているのだった。

 

  そんないつもと変わらない他愛ないやり取りをした日からすぐの休日、リオンはウーヴェと一緒に街の中心近くにある老舗に来ていた。
 その店はカフェだけではなく、デリカテッセンも併設されていた為、その日に食べるハムだの何だのを二人揃って選んでいたが、そもそもの目的であるコーヒー豆を前にしたリオンは、何とか必至になって驚愕を胸の裡だけに抑え込もうとしていた。
 ずらりとコーヒー豆が陳列されているが、リオンの目にはどれもが同じというわけではないが、それでも似たり寄ったりの豆にしか見えないそれに付けられた値札に目眩を覚えそうだった。
 己の金銭感覚や価値観から言えば、言葉は悪いがバカがつくほど高いコーヒー豆が売られていたのだ。
 たかがコーヒー豆にどうしてこれだけの金を払えるのかが理解出来ず、こめかみが引きつりそうなのを何とか堪え、光すら放ちそうな豆をまじまじと見つめる。
 一つ一つのケースには流暢な文字で豆の種類と産地が書かれていて、それを見ただけでもこのコーヒーが高価なものである事に気付くが、やはり自らの価値観とは相容れないものだと冷や汗を流すリオンに気付かなかったウーヴェは、自宅のコーヒー豆もそろそろ底をつきそうだった事を思い出し、店員に気軽に声を掛けていつものものをいつもの分量でと、常連客であることを示す言葉でコーヒー豆を買い求めていた。
 自宅で飲むコーヒーに金を掛ける趣味がある人もいるし、また高価なワインやウィスキーなどを飲むことを楽しみにして日々の暮らしを慎ましく送っている人々がいる事も知っているが、リオンにとってコーヒーは所詮コーヒーであり、アウトバーンのサービスエリアで売っている一杯3ユーロのコーヒーと、ここのカフェで飲むきっと一杯5ユーロ以上するコーヒーの味の区別など付くはずもなかった。
 極論すれば職場で出される劇的に不味いコーヒーと自宅で飲むそれの味など大差ないとすら思っていたが、ウーヴェの家やクリニックで出されるものはやはり美味しくて、もしかすると自分でも気軽に買えるのではないのかと楽観的に考えていたのだ。
 だが、よくよく考えてみれば、生まれも育ちも全く正反対とすら言える自分たちなのだ、ウーヴェが日常に使うものだと言って買うものは、リオンにとっては非日常のものと同じ価値を持つ。
 その楽観ぶりを真っ向から否定し燦然と輝く-ようにすら見える-値札を見たこともない親の敵の様に睨み付けていると、コーヒー豆を好みの荒さに挽いて貰っているウーヴェがリオンの不審な行動に気付いて店員との立ち話を止める。 
 「どうした、リオン」
 気に入った豆がないのかと小首を傾げるウーヴェに、此方こそ気に入られないのではないのか、自分のようなものがここで売っているコーヒーを飲めば口が腫れるのではないのかとぼそぼそと呟き、更にウーヴェの首を傾げさせてしまう。
 「何だって?」
 「んー、いや……ううん、何でもねぇ」
 胸中の驚きと更にその奥にひっそりと芽生えた痛みを隠すようにへらりと笑みを浮かべ、今日はコーヒーを買うのは止めると肩を竦めた時、ジーンズの尻ポケットに突っ込んであった携帯が無機質な着信音を流し出す。
 「あ、ごめん、オーヴェ」
 「ああ。気にするな」
 ウーヴェに謝罪をした後そそくさと店を出たリオンは、その電話がマザー・カタリーナからだった事に自然と溜息を零し、近々此方に帰ってきなさいと穏やかに告げられて沈みがちな声で返事をする。
 『どうしたのです、リオン?』
 「んー。何でもねぇ」
 恋人と一緒に買い物に来て、まさかこんな所で育ちの違いを実感していたなどとマザー・カタリーナにだけは口が裂けても言えるはずが無く、何でもないと呟きながら煙草を銜える。
 『昨日ゾフィーがたくさんのコーヒー豆を貰ったのですが、家に少し持って帰りますか?』
 「マジ?貰っても良いのなら貰う!」
 ダンケ、マザーと先程とは打って変わった元気いっぱいの声で答え、これで当分コーヒー豆を買わずに済むと笑みを浮かべたリオンは、チャオと返しながら通話を終えて煙を一筋空へと立ち上らせる。
 「それを吸ったら帰るか?」
 「ああ、オーヴェ、もう買い物は終わったか?」
 「ああ」
 豆が入った袋を小脇に抱え、夕食時に食べるハムやチーズも一緒に買ったのか、両手に割と大きな荷物を持ったウーヴェが姿を見せた為、銜え煙草のままリオンが大きい荷物をひょいと持ち上げると、驚くウーヴェに片目を閉じて早く家に帰ろうと笑いかける。
 「コーヒー豆は良いのか?」
 「ああ、うん。マザーがコーヒー豆を家に置いて帰ったって連絡をくれたんだ」
 だから買わなくて済んだと嬉しそうに笑うリオンだが、その蒼い目には笑いの色は一切無かった。
 何よりも大切な存在である恋人のその笑いの奥に潜んでいるものをウーヴェが見逃すはずは無かったが、ここで口に出せることではない事と、きっと自ら話してくれるだろうという希望を抱いて胸に秘めると、早く帰ろうと急かすリオンの傍に駆け寄って他愛のない話題で賑やかに話しながら帰路に就くのだった。

 

 リオンが高級デリカテッセンで衝撃を受けた次の日、今夜はゲートルートで軽く食事をしてから家に帰ろうとメールをしたリオンは、待ち合わせ場所に一足も二足も早くについた為に時間に余裕があった。
 その時間を利用する訳ではないが、恋人に贈る為のクリスマスプレゼントに相応しいものがないかを探す為にウィンドウショッピングにもならない事をしながら広い歩道を歩く。
 その時リオンが歩いていたのは、有名ブランドが軒を連ねる大通りだった為、恋人に相応しいプレゼントがさり気なくディスプレイされていた。
 その一つ一つに気を取られながら進んだ先、店の角を曲がると同時に見慣れたロゴとそのブランドで取り扱っている商品を身に纏った男女の大きなポスターが目に飛び込んでくる。
 見慣れたロゴだと思っていたが、そのポスターや窓際にディスプレイされている商品から思い浮かぶ恋人の顔に笑みを浮かべ、このブランドならばお気に入りだから喜んでもらえるだろうと一人頷いた時、ディスプレイの端で化粧箱に収めて飾られている暖かそうなマフラーを発見する。
 値札などは置いていない為に金額を想像するしかなかったが、もしかすると自分の手の届くものかも知れ無いと窓の外から値踏みをしたリオンは、グレー地の格子模様と濃淡のある赤が格子模様の中を彩っているマフラーを買うことに決め、来た道を戻って背の高いドアを開けて店内に入ろうとした。
 その時だった。
 ガラス張りの向こうから店員と思しき女性に見つめられていた事に気付き、その女性の表情をガラス越しに見た瞬間、僅かに寂しそうな表情を浮かべてそっと手を引き、まるで何事もなかったかのようにブルゾンのポケットに両手を突っ込んで大通りではなく、一本裏に入った路地へと立ち去っていく。
 暫く歩いたリオンはふと窓ガラスに映る己の姿に目をやり、足を止めて頭の先から足の先までを何度も何度も見つめた後、諦めの溜息を零す。
 仕事が終わったばかりとはいえ、己の今の身形で今の店に入ったとしても、きっと店員は笑顔で対応するものの、内心では値踏みされる事は明白だった。
 裾が解れ色落ちも激しいジーンズと何年着ているのかも分からないブルゾン、伸ばし放題になっている髪は束ねている為に不快感は与えないだろうが、決して快く思われない事も理解していた。
 そんな身形で恋人にクリスマスプレゼントを買いに来たと行った所で対等に接客してくれるとは思わなかった。
 今まで何度となく経験した事のあるそれを思い出して自然と苦く笑ったリオンは、恋人にはもっと他のブランドで相応しいものを探そうと口笛を吹いて歩いていくが、青い眼には隠しきれない淋しさとやるせなさが浮かんでいるのだった。

 

 恋人に相応しいものを贈りたい。その考えで覗いた店先で受けた視線が頭から離れず、ギシギシとスプリングの煩いベッドの上で寝返りを打つが、どうしたところで視線に込められている思いが掻き消える訳でも変化する訳でもなく、知らず知らずのうちに自嘲を零す。
 己の恋人が社会的にも立派な地位である医者として働く事は秘かな自慢だったが、何よりも実家の力や威光に包まれて安穏と日々を暮らす訳ではなく、己の足でしっかりと地に立っている姿はリオンが憧れて止まない眩しいものだった。
 己の出自を卑下することなど遙か昔に止めたはずなのに、あの頃常に感じていた思いがじわじわと心の奥で頭を擡げてくる。
 生後間もなく教会に捨てられていたリオンは、マザー・カタリーナや教会にいるシスター達の手で運営されている併設の孤児院で大きくなったが、孤児院は当然ながら貧しくて、日々の食事だけが精一杯という有様だった。
 あの当時常に感じていたのは、何故という思いだった。
 何故自分はこんなにも貧しい暮らしをしているのか。
 シスターらと街に出掛けた時、同じ年頃の子供達を見れば皆笑顔で両親や祖父母、彼が思い描く家族に囲まれ、暖かな服を着て美味しそうにものを食べているのだ。
 それをじっと見ていると、子供から不審そうな目で睨まれたり、可哀想にと言いながら子供を庇うような親の姿を見せつけられたのだ。
 当時の気持ちが一気に沸き上がり、拳を握りしめてベッドを殴りつけたリオンは、もうあんな思いをしなくても済むようになったのだと、今自分が立っている場所は自らの手で掴み取った場所なのだと、誰に恥じることもない、また蔑まれることもない場所なのだと自らに言い聞かせるように呟くが、久しぶりに聞いた過去の幼い己の声はそれ以上の強さを持っていて、くそったれと一声吼えてベッドから抜け出す。
 仕方のない事なのだ。親を選んで生まれてくることは出来ない。そして、生まれ落ちたからには生きるしかないのだ。
 その当たり前のようでいて難しい生き方を彼が見出すにはそれなりの時間と紆余曲折を経なければならなかったが、自分はそれを確かに得て今まで無意識に実行してきた筈だと自嘲し、前髪を掻き上げながら煙草を咥えつつベッドに腰掛けて壁に凭れると、今にも塗装が剥がれ落ちそうな天井目掛けて紫煙を吹き付ける。
 「…あーあ」
 嫌な事を思い出してしまったと、気分を変えるように呟いてぷかりと煙で輪を作ってみるが、それが崩れる前にもう一つ輪を作る。
 何度も繰り返すうちに煙のように心の中にある蟠りも昇華してくれればいいと願うが、逆に重く降り積もっていくようだった。
 「────シャイセ」
 くそったれともう一度呟いて煙草を灰皿に押しつけた彼は、床に脱ぎ散らかしたままのジーンズに足を突っ込みながら時刻を確認すると、服の上に投げ出してあった携帯を無造作に掴んで尻ポケットに突っ込み、ブルゾンを羽織って自転車を担いで家を出る。
 雪は止んでいたが寒さはどうやら今が一番の厳しさらしく、外に出ただけで凍り付いてしまいそうだったが、その寒さを感じることなく自転車に跨った彼は、連絡もせずに目的地に向かって自転車を走らせる。
 己の力ではどうしようもない事ややるせない思いに押しつぶされそうになった時、彼が向かう先はただ一つだった。
 こんな時間に訪れると迷惑になる思いは心の中に存在したが、それよりも強く囁く声が、早くあの優しい穏やかな温もりに包まれろと彼を急き立て、心の声に従うように危なげなく自転車を走らせて高級住宅街と呼ばれる一角に差し掛かった時、ちらちらと雪が降り始めてくる。
 その雪に負けない様に足に力を込めて進めば、己が待ち望む温もりを持つ恋人の家が見えてくる。
 「…こんばんは。こんな時間にどうしたんですか?」
 すっかりと顔馴染みになった警備員が寒さに身体を震わせつつドアを開けてくれと、なるべくいつもの様に言葉を返したリオンは自転車を担いでエレベーターに乗り込むと、ただ一つのドアが迎えてくれるフロアに上がっていく。
 そっと壁に自転車を立て掛け、外の寒さが和らいでいるがそれでも冷えるそこに座り込み煙草に火を付けて煙を吐き出すと、悴む手で何とか携帯を取りだして見なくても操作できるボタンを押す。
 警備員がこんな時間にと驚くような深夜、規則正しい暮らしをしている恋人は当然ながら寝ているだろうが、この電話に気付いてくれるだろうか。
 一縷の望みを抱きつつコールを数える事5回で眠そうな、だが聞き間違えることのない声が名を呼んでくる。
 『…リオン?』
 「……オーヴェ…オーヴェ…っ」
 名を呼ぶ声を聞くだけで言葉が詰まってしまい、辛うじて恋人の名を呼んだリオンは、片膝を抱え込んで額を膝頭に押しつけ、どうしたと優しく問われて目を閉じる。
 「寝てたよな…ごめん」
 『気にするな。今は家にいるのか?』
 その疑問の声にヤーともナインとも返せなかったリオンは、沈黙の後携帯の向こうで急に動きがあったことを伝えるような物音に気付いてぽつりと名を呼ぶ。
 『リーオ。どうした?』
 「うん……雪、降ってきた」
 『そうか』
 「うん」
 他愛もない話をする為に深夜に電話をした訳でも無ければここに蹲っている訳でも無いのだが、何故か言葉が出て来なくて呆れたように自嘲をしたその時だった。
 背中を預けている壁のすぐ傍にあるたった一つのドアが静かに開いたのだ。
 「……やっぱりここにいたか」
 「オーヴェ…」
 携帯を宛がった耳とそうでない耳の両方に聞こえる声に目を瞠り、手にした携帯をそっと取り上げられると同時に外見からは想像出来ない強い力で腕を引かれて立ち上がってしまう。
 「ここにいるのならベルを鳴らせば良いだろう?」
 「…何かさ、電話したいなって…」
 そう思ったんだと、言い訳じみた事をウーヴェの肩越しに呟くと、呆れたような声が同じく肩越しに零れ落ちるが、腰と背中に宛がわれた手の温もりに自然と身を擦り寄せてしまう。
 「お前がここにいたいというのなら反対はしないが、中に入らないか?」
 なぁ、リーオと、優しく誘いかけられて無言で頷けば、冷え切った髪にキスをした後、冷たい手を暖かな手が包むように繋いで軽く引っ張られていく。
 「ごめんな、オーヴェ」
 こんな時間に叩き起こしてしまって悪いと、いつもの快活さを失った顔で告げたリオンを肩越しに振り返ったウーヴェは、茶目っ気を込めた碧の目を細めて本当だと笑う。
 「オーヴェ…?」
 「どうしてくれるんだ?」
 長い廊下を歩きベッドルームの半開きになっているドアを見たリオンは、その様から恋人が慌てて部屋を飛び出したことに気付いて軽く目を瞠ると、ウーヴェが口元に悪戯っ気を滲ませた笑みを湛えてくるりと振り返る。
 「心配になって飛び出してしまっただろう?」
 ドアも開けっ放しならばベッドの上にパジャマもガウンも脱ぎ捨てたままだと自嘲気味に肩を竦め、こんなに慌てて恥ずかしい場面を見られた責任を取れと言いながらくすんだ金髪をそっと抱え込んでそのまま胸元に引き寄せる。
 「リオン。何があったんだ?」
 この間の休日から様子が変だぞと眉を顰めて問い掛けたウーヴェは、無言のまま縋るように抱きつかれて苦しさを訴えようとするが、歯を噛みしめた事に気付いてベッドサイドに移動するとそっと腰掛ける。
 ベッドサイドに膝を折ってウーヴェの胸に頭を抱かれたリオンは、伝えたいと思いながらも伝える事の出来ない思いに歯を噛みしめるが、頭に頬を押し当てたような気配と背中に回った手の温もりに自然と奥歯にこもっていた力が抜けていく。
 幼い頃、何故自分だけがこんなにも辛い思いをしなければならないのかと世の中の総てを恨んでいた時、今感じている温もりと同じものが全身を優しく包んでくれた事を思い出した身体が自然と伸び上がり、ベッドに二人縺れるように倒れ込む。
 両手両膝を着いて白皙の相貌を見下ろせば、何もかもを受け止めてくれるようにゆっくりと瞬きをした後、両手で頬を包まれる。
 「リーオ」
 その、総てを見透かすような真っ直ぐな瞳に見つめられて小さく頷いたリオンは、慌てて着替えたらしいシャツの裾から手を差し入れ、感情の総てを受け止めてくれる肌から温もりを直接分け与えて貰おうとするが、冷たい手が触れた為に肌が一瞬にして粟立ってしまい、手を引こうとする思いを見越した手で抱き寄せられる。
 「………良いのか…?」
 「────朝になって…いつもの様にお前が笑ってくれるのなら、な」
 いつも見せてくれる笑顔を見せてくれるのならば続きを許しましょうと目を細め、コツンと額をぶつけたウーヴェにリオンがきつく目を閉じた後、そっと唇を重ねる。
 「約束を破ればどうなるか、分かっているな?」
 「うん」
 素直な返事にウーヴェが頭を僅かに仰け反らせ、限られた人にしか見せる事のない喉元を曝して目を閉じる。
 「ならば、好きにしろ」
 お前が望むままにすれば良いとリオンを想う気持ちだけを込めて囁き、噛みつくようなキスを受け止めた後、振り落とされないようにリオンの身体に腕を回してしがみつくのだった。

 朝と言っても薄暗い早朝、ウーヴェに起こされることなく一人で起きたリオンは、ぐっすりと眠っている端正な横顔を無言で見つめた後、そっとキスをしてベッドから抜け出す。
 まるでいつかの逆の様だと自嘲し、薄暗い室内で何とか手探りで着てきた服を着込んで脱ぎ捨ててあったブルゾンを拾い上げた時、背中を向けていたベッドが微かに軋んだ事に気付き、肩越しに振り返れば碧の目に怒りのような色を浮かべたウーヴェがベッドヘッドにもたれ掛かって見つめていた。
 「おはよ、オーヴェ」
 「ああ、おはよう。………俺が起きる前に出て行くつもりだったのか?」
 白い髪を掻き上げて苦笑したウーヴェに俯いて沈黙で答えたリオンにウーヴェが自嘲した直後、コンフォーターをはね除けてベッドから飛び降りると、下着姿のままでリオンの前に立ってその手を取り、あの事件以来気が付けばするようになった、互いの手を重ねて祈りの形にすると素肌の胸に引き寄せる。
 「…リオン。……リーオ」
 「……っ、うん…」
 「俺が信じられないか?」
 手を組んだことで浮き出る骨に額を押し当てて寂しそうに呟くウーヴェに軽く目を瞠ったリオンは、そんなことはないと弱いながらも断言し、逆にその手を引き寄せて素肌の背中を片手で抱き締める。
 「ごめん……いつもみたいに笑えるか…自信がなかったから」
 だからその前に家を出ようと思ったと素直に答えると、安堵の溜息がこぼれ落ちる。
 「約束を破ればどうなるかが怖かったのか?」
 「え?」
 リオンと組んでいた手を解いた後、するりと首筋を撫でてしっかりと腕を回したウーヴェは、間近にある耳に悪戯な色を込めて囁きかける。
 「アプフェルタルトと白ワインの組み合わせで良いぞ、リーオ」
 その二つで許してやろうと囁くように告げられて目を瞠るが、恋人が伝えようとしている事をその言葉で察し、伝えきれない感謝の思いを込めて痩躯を抱き締める。
 「何処の白ワインが好きなんだっけ?」
 「フランケン産だな」
 「んー。また高級なワインを強請るんだからなぁ」
 言葉とは裏腹にきつく互いの背中に回した手に力を込めて抱き締めあった二人は、軽いやり取りに秘められたものを敏感に感じ取っていたが、今はこれが精一杯かも知れないと気付いて苦笑する。
 「オーヴェ」
 「ああ。どうした?」
 「うん……もうちょっとしたら…話せると思う」
 だからその時まで待っていて欲しいとひっそりと懇願され、返事の代わりに肩に頬を押し当てて目を閉じる。
 「聞くだけしか出来ないだろうが…どんなことでも聞いてやる」
 「うん。それは疑ってねぇよ。だからもうちょっとだけ待ってて欲しい」
 お前が望む笑顔もその時には必ず浮かべられるようになるからと約束をしたリオンは、その約束は必ず果たされる事を信じて疑わない強い瞳に見つめられて一つ頷く。
 この強い瞳があれば、きっと自分は世界中の総てが羨ましかった幼い頃の思いに負けずに済む。
 その確信を胸に抱いて白い髪に頬を寄せたリオンは、同じ強さで背中を抱かれる安堵に無意識に溜息を零した後、そっとキスをして片手を上げて踵を返すのだった。
 そんなリオンの背中をウーヴェは静かに見送り、いつか話してくれる時が訪れる事だけを信じようと新たに決意をするのだった。

 二人の誕生日を間近に控えた冬の朝はすでに厳しい冷え込みで、今日も一日寒い日になりそうな空気にウーヴェは出勤の支度に取りかかり、恋人の家を飛び出したリオンは顔馴染みのインビスで朝食を食べた後、職場へと少しだけ重い足取りで向かうのだった。

 

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2011/03/18


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