彼女が知っていて自分は知らない恋人の過去、その事実が何故かやけに重くのし掛かり、二人での買い物を楽しむ余裕など無くなってしまう。
総てを教えてくれと貪欲なことを言うつもりはなかったが、先程のように自ら過去を語るときにお前にだけは知られたくないと言われてしまうと、まるでその先に足を踏み入れるとな拒絶されたような気持ちになってしまうのだ。
立ち寄ったスーパーでも車中でも、リオンは久しぶりにプレイしたスケートボードの話を振ってくるが、身振り手振りを交えて話すそれらに無言で相づちを打ったり問い返すことはしていたが、眼鏡の奥のターコイズにかかった靄は晴れることはなく、家に帰り着いた時にはいつしかどちらも沈黙してしまっていた。
買った荷物を抱えて自宅の長い廊下を一足先に進んでいくウーヴェは、微かな溜息の音と肌を叩くような小さな音が聞こえてきた事に気付くが、それが何を意味するのかを考えようとした矢先に呼び止められる。
「オーヴェ」
「どうした?」
キッチンのドアがある廊下へと足を踏み入れる直前、リオンが普段と全く変わらない明るい声で呼び、振り返ったウーヴェに満面の笑みを見せる。
「話がある」
「用意をしながらではだめか?」
「んー、どうかな。ナイフを使ってるときはなぁ…」
くすんだ金髪を指先に絡めながら笑ったリオンだったが、小首を傾げるウーヴェを見つめる目は刑事のものだった。
恋人が二人きりになったときに刑事の貌になる事など滅多になく、珍しいこともあると目を瞠った直後、キッチンへと引っ張られてしまい、手にした荷物が壁際のテーブルへと手荒く置かれて眉を寄せる。
「リオン?」
「昼飯の前と後だとどっちが良い?」
「何がだ?」
唐突な問いかけにさすがに腹を立てたウーヴェがきつい口調で問いかけるが、奇妙なほど陽気な声とは裏腹にリオンが纏う気配が一気に冷えた事に変化した目の色合いから感じ取って息を飲む。
「消化に悪い話」
「どちらも断る」
言い切ると同時に掴まれていた腕を放せと言うように振り、あっさりと自由になった反動で壁に背中をぶつけてしまう。
「残念ながらオーヴェに拒否権はないよ」
おまけに黙秘も弁護士を呼ぶ権利もありませんと底抜けに明るい声で総ての権利を否定され、さすがに鼻白んだウーヴェに顔を寄せて逃げることも出来ませんと教えるために白とも銀ともつかない頭を囲うように腕を付いてくる。
頭半分の差で見下ろされる事で感じた居心地の悪さから視線を逸らせば、顎を掴まれて無理矢理正対させられ、視線を逸らすことすらさせて貰えないと知り、諦めたように溜息を落とした時、吐息だけで名を呼ばれる。
「オーヴェ。目を逸らさないでくれ」
吐息で告げられる言葉に目を瞠ると同時にこつんと額に温もりが触れ、鼻先にも同じ熱が触れてくる。
「……話とは何だ?」
諦め混じりの吐息を再度零し、顎を掴む手に手を重ねて問えば、少しだけ強く額と額を重ねた後、いつもの見慣れたロイヤルブルーに色を変えた双眸に見つめられる。
「ゾフィーと何かあったのか?」
「何もない」
「そうか?」
「ああ。今日初めて会って話をしたんだ。何かがあるはずはないだろう」
消化に悪い話というのはそれかと苦笑し、そっと眼鏡のフレームを撫でた時、ウーヴェが未だかつて見たことのない程の強い光を浮かべてリオンが真正面から見つめてくる。
それに息を飲んで顎を引けば、誰一人として逆らうことが出来ない強さで見つめられ、その眼光の強さに意地を張るように睨み返してしまう。
「本当に何もないのか?」
「ないと言っているだろう?」
聞いていなかったのかと、つい冷たさを声に秘めて吐き捨てるように告げた瞬間、顔の左右にあった腕が軽く持ち上がったかと思うと、思わず耳を塞ぎたくなるような音を響かせて振り下ろされる。
「っ!」
「そろそろ素直になってもいいんじゃねぇの?」
素直じゃないお前も好きだが頑固すぎるのも考え物だとにやりと笑みを浮かべられるが、あの時彼女との間に存在した目には見えない思いを、嫉妬する醜い己をリオンにだけは告げたくはなかった。
家族同然の女性に嫉妬する顔など、どうしてみせられるだろうか。
ただその一心から崩れ落ちそうになる膝に力を込め、壁に預けた背中で何とか身体を支えつつ眼鏡を押し上げる。
「………別に…」
「なんて言わせねぇぜ、ウーヴェ」
言葉尻を奪われてにやりと見下ろされ、さっきとは比べられない強さで顎から頬を掴まれ、その痛みに顔を顰めてしまう。
「逃げんなよ」
リオンの日頃の陽気さはすっかりとなりを潜め、直視するのも難しい強さで睨まれるが、ターコイズに同じくらい強い光を湛えて至近で睨み合う。
「手を離せ」
「認めりゃ離してやる」
鼻で笑うように言い放たれた直後、ウーヴェが腿の横で拳を作り、奥歯を噛み締める。
「黙って聞いていれば好き勝手な事を…!」
作った拳を微かに振るわせ噛み締めた奥歯を軋ませたウーヴェの様子から、やっと恋人の胸の奥に秘められた思いが顔を出そうとしていることに気付いて内心ほくそ笑んだリオンは、挑発するように目を細めてその先はどうしたと嘲笑う。
総てはウーヴェが抱え込んだ思いを吐露させる為のリオンの作戦だったのだが、その挑発に気付かずに乗ってしまったウーヴェがリオンの胸ぐらを掴んで蟠る思いを吐き出すために口を大きく開くが、いつかとは違って明瞭な言葉は流れ出さず、喉の奥で低く籠もる呻き声にも似た音しか出て来なかった。
「────っ!!」
「オーヴェ?」
言いたいことは胸の中に溢れかえっている。今すぐ吐き出して楽になりたかったが、それと同等の力を持って抑制がなされ、感情を声に出して伝える事の出来ない苦しさの奥からぞわりと背筋を震わせる嫌な思いが頭を擡げてくるが、何とかそれを堪える様に歯を噛みしめる。
リオンにとっては家族同然の彼女に対して嫉妬している顔など到底見せられる筈もなかったし、ウーヴェの矜持がそんな醜い己を見せることを許さなかった。
だが総て吐露して楽になりたいとの願いは予想以上に強く、その苦しさに呼気の固まりのような息を吐いて掴んだシャツに額を押し当てて拳を震わせていると、笑み混じりに名を呼ばれて顔をあげようとした矢先、目を瞠るような言葉が聞こえてくる。
「情けねぇよなぁ」
「!!」
そんな風に思われたくない一心で堪えていた、そう言っても過言ではないウーヴェだったが、嘲りの色が込められた笑いを聞いてしまって呆然と目を瞠る。
誰しも格好悪い所や醜く無様な姿など見せたくはないだろう。
それが愛する人ならばなおさらだった。だがそれを見せてしまい、その結果当然のような事を言われて顔を歪めた時、頬を両手で挟まれて顔をあげさせられる。
「自分が思っていることも言えないんだ?」
真正面か見据えられるが視線を逸らすことすら億劫だったが、ぼんやりと見つめる視界ではリオンの顔に意味の分からない笑みが浮かび上がる。
「言えよ」
頬を包む温もりと言葉とは裏腹な優しい双眸が思いを堪える必要は無いのだと伝えてくれるが、二つの思いとその奥で静かに身を潜める過去からの声が同等の強さで胸の裡で渦を巻いている今、思いを口に出すことは難しいことだった。
「言えよ、ウーヴェ!!」
「……っ────ァ…ッア!!」
シャイセと吐き捨てられた瞬間、覚えたばかりの言葉を必死に話す幼子のような声が辛うじて出てくるが、いつもならばごく当たり前に出来ている事が出来ない苦痛を訴える様に口をただ開閉させる。
「何だよ、言えねぇの?」
その嘲りを受けた瞬間、胸中で同等の力を持って渦巻いていた思いの均衡が一瞬にして崩れ去ったかと思うと、リオンの胸倉を掴んで怒鳴っていた。
「お前が…っ!お前の…っ!!」
「……うん。俺の何だ?」
頬を包んでいた手が背中へと周り、頭に口を寄せたリオンの優しい声に先を促され、震える声が無意識に流れ出す。
思いを、感じたことを告げるんじゃないと制止する声が脳裏に谺するが、いつもとは違って溢れ出した思いを止めるだけの力はなかった。
「俺にだけは見せたくないと言うか…ら…っ!」
あの時、彼女が見てきただろう過去を自分にだけは知られたくないと言われ、覚えたのは寂寥感を遙かに凌駕した嫉妬だった。
彼女は知っている過去を俺は教えて貰うことも出来ないのか。
彼女に嫉妬する醜い己を、どう足掻いたとしても手にすることの出来ない過去を欲する貪欲な己を胸の奥底に閉じ込めようとしていたが、一番知られたくないと思っていた相手に今まさにさらけ出してしまった事に気付き、肩を揺らして笑ってしまう。
睨まれ怒鳴られようとも押し隠そうとした己があまりにも滑稽で、込み上げてくる笑いを押し殺すことは出来なかった。
「嫉妬…したんだ?」
「…うる…さ…っ」
改めて聞かされた言葉に唇を噛みしめ、顔を覗き込まれた気配に気付いて思い切り顔を反らせば、そっと眼鏡が奪われて目尻にあるホクロに優しいキスが降ってくる。
「オーヴェ」
再度浴びせられると思っていた嘲笑とは違う温もりが背けていた顔に吐息として掛かり、不意を突かれた驚きにゆっくりと顔を戻せば、すかさず大きな手に頬を包まれて再度額が重ね合わされる。
「情けないなんて言ってごめんな、オーヴェ」
「…リオン?」
「ランプで話してたときさ、お前が何か考えてるのは分かってた。でもどうすればそれを引き出せるのか分からなかった」
だから聞き出す為にあのような事を言ったと、浮かべられた嘲笑の理由を教えられてターコイズを限界まで見開いてしまう。
主治医として長年見守ってくれている医者の勧めに従い、感情をコントロールする術を長い時を掛けて身につけたのだが、あの時のリオンには通用しなかったのだろうか。
どういう事だと無意識に呟けば、ウーヴェの癖が出てただけだと教えられて瞬きを繰り返す。
「癖…?」
「ああ」
額に生まれていた熱が不意に消え去った代わりに腰に両腕が回されて抱き寄せられ、素直にその腕に身を委ねてみれば小さな音を立てて髪にキスが落とされる。
「ホント、ごめん」
自分にもっと力があれば、誰よりも好きなお前を嘲笑うことなく蟠っていた思いを吐き出させただろう。
己の力不足を謝罪しながら今日一番の優しさで抱き締められると、思いを吐露したことで高ぶっていた心が鎮まっていく。
「でもさ…嫉妬する事ねぇよ、オーヴェ」
「……………」
リオンの肩に額を押し当てるように身を寄せていると微苦笑交じりの声に諭されて勢い良く顔を上げ、先程のように胸倉を掴んで眉を寄せる。
「オーヴェ…?」
「俺も嫉妬などしたくはない…っ!」
だがお前が俺にだけは教えたくはないと言うからと、ウーヴェの心の最も深い場所で棘のように刺さっていた言葉をやっと真正面から告げることが出来たからか、細めながらもしっかりと見つめてくる青い眼を睨むように見上げ、お前がそう言うからと繰り返す。
同性の恋人を巡り彼の家族同然の女性に嫉妬心を抱く、そんな己など直視したくなかったし認めたくもなかったが、恋人の言葉によってそれが暴かれてしまい、隠し通すことも出来なくなったと気付けばほんの少しだけ口が軽くなった様に感じてしまう。
「お前がそう…言うから…っ」
「……オーヴェにはさ、出逢ってからの俺だけ覚えていて欲しいって思うんだよ」
出逢う以前の、特にホームで暮らしていた頃の俺の写真や話など、一片たりともウーヴェの耳には入れたくはないと再度断言され、ウーヴェはリオンの前で悔しさを隠さないで唇を噛みしめる。
「クリポとしてのお前だけで良いのか…?」
「出来れば」
「なら…今のお前に繋がる過去は要らないのか?その過去があってこその今のお前じゃないのか?」
「……………そうなんだけど、な」
ウーヴェの裡に秘めた強さが声と瞳に表れ、その強さにリオンが視線を逸らそうとするが、目を逸らすなといつもと同じようでいて何故か逆らえなくなる声に命じられたリオンが小さく溜息を吐いて再度視線をぶつけてくる。
「クリポであるリオン・フーベルトはある日突然生まれたのか?そうじゃないだろう?」
握りしめていたシャツを手放してリオンの頬を両手で挟みながら諭すように口を開くウーヴェに、リオンがそうだけどと煮え切らない態度で返そうとするが、双眸に深い悲しみの色が浮かんだことに気付いて目を瞠る。
「刑事のお前だけを愛して欲しいのか?本当にそれで良いのか…?」
心底そうなのかと、心の奥底にひっそりと眠っているもう一人の自分に問い掛けてみろと語りかけると、微かな歯軋りの音が流れ出す。
「……シャイセ。誰でもそうじゃねぇか」
「リーオ」
間近で睨むように視線を重ねながら二人の間に目には見えない何かが膨れ上がった瞬間、リオンが苛立ちを隠さないで叫び、ウーヴェがそっといつものように穏やかな声でウーヴェだけが呼べる名を呼ぶ。
「誰だって人に言えない過去なんて教えたくねぇだろ!?」
「確かにそうだな」
「なら良いじゃねぇか!今の俺で良いだろ!?」
ウーヴェが声を荒げることが少ないようにリオンも己の本心を告げる為に声を荒げる事は滅多に無かった。
いつも陽気で賑やかな反面、心の奥底に眠っている想いは滅多に表層には出て来る事は無かった。だが恋人の本質が実は根深い所で息を潜めて出番を待っているこの気性の荒さだと見抜いていたウーヴェが吐き捨てられる言葉を受け止め、やんわりと首を左右に振る。
「今までお前が付き合ってきた彼女達はそうだったのか?」
「あぁ、そうだよ」
手を振り解きながら言わなくても付き合えたと冷笑され、一瞬のうちに強い光を双眸に浮かべて嘲笑するリオンを睨んで俺もそのつもりかと問い掛ける。
「………それは…」
「どうなんだ?俺にもそのつもりだったのか?」
刑事である自分が誰かに言葉で追い詰められる、そんな経験をあまりしたことのないリオンが目を泳がせるが、どうなんだともう一度強い口調で問われて唇を噛んだ後、力なく首が左右に振られる。
「考えたこと…ねぇ…」
お前と付き合い出してからは以前の彼女達とのような気持ちには一切ならず、恋人と付き合っている時には日常茶飯事だったデートや食事、そしてキスから始まるセックスも総てがまるで初めて体験するような気分だったと告白され、労るようにゆっくり頬を撫でる。
「俺を信じてくれ、リオン」
「オーヴェ…?」
「お前の過去を知っても嫌わないし嘲ることもない。総てが今のお前に繋がっている事は知っている。だから信じてくれ」
だから自分にだけは教えたくないなどと哀しいことを言うなと、見開かれる青い眼に囁きかけ、顔を引き寄せて額を軽く触れ合わせる。
「リーオ」
「────ッ、オーヴェ…っ」
「信じてくれるな?」
見開かれた青い眼から見えない感情が零れ落ちた事に気付き、それをも受け止めるように眦に口付けると自然と閉じる瞼にも唇を寄せる。
「……でも…っ」
「どうした?」
過去の己を知っても呆れないかと、日頃の恋人を知るものからすれば信じられない程か細い声で問われ、胸が痛くなったウーヴェがそんな声を出すなと囁いて金髪を抱きしめる。
「絶対に…っ呆れる…っ」
「呆れないと言っただろう?意外にしつこいな」
さすがに軽く不満を訴えるように口調をきつくすれば、肘をぎゅっと握られて謝罪をされる。
「……これから…ちょっとずつでも話すように…する」
「────お前は本当に強い男だな、リーオ」
そんな風にいつも前を向けるお前だからこそ愛していると囁き、顔を上げようとするのを阻止する様にしっかりと頭を抱きしめれば、苦しいと不満の声が上がってくる。
「本当に…強い男だ」
そんな男だからこそ惹かれ付き合い始めた事をも思い出し、改めて誇りにすら感じたウーヴェの腕の中でもぞもぞと金髪が身動ぎし、腕の力を緩めてやると息を吐いて死ぬかと思ったと笑みを浮かべた為、大袈裟だぞと額を指先で弾いてやると浮かべられた笑みが消えて真剣な表情で見つめられる。
「オーヴェ」
「どうした?」
「………ごめん」
何に対しての謝罪なのかは口に出されなかったが、それでもしっかりと伝わってきた事を示す様に目を細め、くすんだ金髪をくしゃくしゃに掻き乱すと嬉しそうな笑みがじわじわと浮かび上がってくる。
「俺も言うけどさ…オーヴェもちょっとずつで良いから教えてくれよな」
俺にだけ言わせるなんて卑怯だぞと上目遣いで見つめられ、軽い言葉に秘められた本音もしっかりと受け止めたと目を細めるが、お前に上目遣いで見つめられてもときめかないと笑みを浮かべて目を瞠らせる。
「んな…!なんだよ、それっ!!」
「……あぁ、うるさい」
いつもの顔でいつものように騒ぎ出したリオンの前、これまたいつものように耳を両手で押さえて煩いと意思表示をしたウーヴェは、ぴたりと騒ぎを止めたリオンに気付いて首を傾げる。
「オーヴェ。腹減った」
「……はいはい」
適当にあしらうように返事をすると背後からがばっと抱きつかれ、息苦しくなった為に腕を掴んで背後を睨むと、待っているからゆっくりでも良いから、いつかお前の過去も話してくれと密やかに懇願されてしまい、掴んでいた腕を撫でるように掌を添える。
「…お前はドラッグと殺人だけはしなかったんだな」
「結果的に自分を殺すことになるからな」
ドラッグに手を出した人間の末路は嫌というほど見てきていたし、人を殺す事は畢竟自らをも殺すことになる、その事実を誰に教わるでもなく理解していたリオンだからこそ、親友にも同じようにこの二つにだけは手を出さないでいようと誓い合っていたのだ。
己の恋人が本能的に身を守る術を身に着けている事に安心すると同時に目を閉じ、背後の大きな身体に寄り掛かるように身を寄せると、ウーヴェの思いをしっかりと酌み取ったリオンが受け止めてくれる。
「俺は…その逆だ」
「え…?」
「金とドラッグのせいで何人も…」
「オーヴェ?どういう意味だ?」
「……いつかちゃんと話す。だから…頼む、待っていてくれ」
顔を見て真正面から伝える勇気すら持てない弱い自分だが、絶対にいつか自分の口から話すと微かに震える声で伝えて顎の下で交差する腕を撫でた後、そっと身を離して振り返る。
「昼食にしないか?」
「あ、ああ、うん…今日は何にするんだ?」
「何を食べたい?」
気まずい思いをしながらも二人で買い求めてきた食材をテーブルに放り出したままだった事を思い出し、これまたテーブルに放り出されていた眼鏡を掛けて袋から取り出した材料で昼食の準備をする為にエプロンを着けたウーヴェの回りをリオンがうろうろとし、お前は腹を空かせた犬か何かかと言われてワンと吼える。
その言動に呆気に取られるが次いで堪えきれずに吹き出したウーヴェは、肩を揺らしながらさながら警察犬だなと笑い、手伝ってくれとリオンに告げると敬礼をされ、鷹揚に頷いて二人で準備に取りかかるのだった。
何度キスを交わそうと身体を重ねようとも、まるで初めて経験するような気持ちすら抱いてしまう不思議な、だが密度だけは濃い時間を二人で泳ぎ切った後の心地好い疲労感にベッドの上で肩を上下させる。
漸く息が落ち着いた頃にリオンがそそくさとベッドから抜け出したかと思うと、バスルームに飛び込んで暫くしてからタオル片手に戻ってくる。
いつものように自ら後始末をする気力が無かったウーヴェは、いっそ恭しい手つきで手を取られて苦笑するが、目を閉じて身を任せていると何やら躊躇いを感じているような声で呼ばれ、リオンを見ればウーヴェの白い肌に残る情交の痕を丁寧に拭きながらじっと見つめられて首を傾げる。
「なぁ、オーヴェ」
「どうした?」
「うん………あのさ、出来れば、その…」
本当に言い出しにくいことなのか、空いた手で鼻の頭をぽりぽりと掻きながら上の空を見つめるリオンを見上げ、何だと先を促すと躊躇いを振り切ったような声で懇願される。
「……昼にゾフィーが何か言ったんだと思うんだけど…」
許してやってくれないか。
今日のそもそもの発端はおそらくは彼女が言った何かだろうと、自分がスケートボードで遊んでいた時のことを思い出したらしいリオンに苦笑し、タオルを持つ手を掴んで口元に引き寄せる。
「大丈夫だ。何も言われていない」
自分が昼に見せた醜態は彼女の言葉が原因ではなく、お前自身のそれだと告げて掌に口付ける。
「…うん」
それに、お前が愛する家族でもある彼女を許さないはずがないとも告げると、掌が頬を撫でていく。
「…ダンケ、オーヴェ」
「…ああ」
彼女を許さないことはないと告げたウーヴェだったが、今日垣間見た彼女の横顔から察した一つの思いが不意に言葉になって脳裏を過ぎり、それを紛らわせるように一度目を閉じると脳裏に昼の光景が浮かび上がる。
パイプで遊ぶリオンを見つめる彼女の横顔は、リオンを一人の男として愛する女の顔だった。
それは、あの夜ゲートルートで盗み見てしまった笑顔を裏付けるものでもあった。
気付いてしまったその思いを何とか己の腹の奥に押し戻したウーヴェは、リオンの一言だけではなく、あの時すでに本能的に察していた彼女の思いと混ざり合って今日のような情けない姿を曝したのだと気付き、つい自嘲してしまう。
「どうした?」
もしも気付いていないのなら、彼女の愛情が肉親の情に似たものだと思っているのなら、どうかそのまま気付かないでくれと胸の裡できつく願い、また嫉妬している己に気付いて緩く首を左右に振る。
「情けないな、本当に」
彼女を嫌うことはないし許さない事は無い。だが自ら進んで彼女との関係を深めることはないだろうと自嘲の中で決意すると、覗き込んでくるリオンの首筋に腕を回して抱き寄せながら上体を起こす。
例えリオンが生まれたときからの付き合いである彼女だとしても、一つしかない太陽と同じように掛け替えのない恋人を渡すつもりなど毛頭なかった。
「オーヴェ?」
どうしたと訝る声を挙げるリオンの頬に口付けた後、恋人の背後に自然と浮かび上がる彼女の横顔に宣戦布告するように唇の両端を持ち上げる。
「────リーオ。俺の太陽」
囁きながら顔を擦り寄せ、ピアス穴が開いている耳朶を舐めて息を吹きかけるとゆっくりとベッドに背中から沈んでいく。
「…足りなかったか?」
タオルを投げ捨てながら男の貌で笑われ、同じように笑い返して目を細める。
「足りないな」
「そっか」
もうやめてくれと泣いても知らないぞとも囁かれ、誰が泣くかと憎まれ口を叩きながら金髪に指を絡めて引き寄せる。
俺の中をお前で満たせと囁き、逃れられないようにまた決して逃げることは無いと教えるようにリオンの身体に足を絡めれば、満足げな吐息が首筋に降り注ぐ。
何も考えられなくなるほどの恍惚とするような中、汗を流しながらただ一つの思いだけを感じあい、再び訪れた濃密な時の終わりを迎える頃にはどちらも互いの目を覗き込みながらも思いを伝えるだけの力は無いのだった。
この日以降、リオンと一緒にホームを訪れた際、当然ながら彼女と何度と無く顔を合わせることになるウーヴェだったが、いつ均衡を崩すか分からない危うい状態をリオンにだけは悟られないように気を配りつつ彼女と顔を合わせる事になるのだった。
Back | Die Eifersucht
2010/09/14


