Can't Take My Eyes Off You -2-

Über das glückliche Leben(UGL) -Lion & Uwe -

 誰かの強い視線を感じてぼんやりと目を開けたウーヴェは、まず最初に自分の置かれている状況を把握しようとするが、その瞬間に後頭部に痛みを感じて低く呻き声を上げてしまう。
 「────っぅ!」
 「オーヴェ!?」
 頭から全身に伝わっていく痛みに顔を顰め、一体何がどうなってこの痛みになるのかを思い出そうと眉を寄せた時、先程も感じていた強い視線の主が誰であるかに気付き、痛みを忘れたような顔で目を瞠る。
 「リ…オン?」
 「ああ。気分はどうだ?痛いのは頭の傷だけか?」
 ベッドの端に腰掛けて心配そうに覗き込んでくる恋人の問い掛けにぼんやりと頷いたウーヴェだが、頭の痛みの由来を思い出したらしく、見る見るうちに眉間に皺が寄り、シーツを握りしめる。
 偶々訪れたカフェでオルガと二人昼食を終えて店を出ようとしていたその時、通りをナイフを振り回しながらやって来た男に遭遇したのだ。
 思い出した途端、感じていた痛みよりもよくぞ無事でいられたとの思いと、完全に正気を失っている様が一目で見て取れた男の横顔を思い出すと身体が小刻みに震えそうになる。
 それを悟られないように何とか身体中に力を入れようとするが、それよりも先に安堵の溜息を落としたリオンがしがみつくように腕を回し、耳元に口を寄せて今にも泣きそうな声で名を呼んでくる。
 「どうした?」
 「オーヴェ…オーヴェ」
 「ああ。────俺は平気だ。頭の傷が痛いぐらいで他は何処も痛くない」
 だからもう安心しろと伝える代わりに背中を何度も撫でれば、小さく頷かれてあからさまにホッとした顔をしつつも苦笑する。
 「心配を掛けて悪かったな、リオン」
 「……あそこまで逃がしたのは俺だから…謝るなよ」
 「そうなのか?」
 「…そう」
 ウーヴェの首筋に顔を寄せていたリオンが上体を起こした為、そっと起き上がって枕を背もたれにしてもたれ掛かれば、そっと肩を抱くように腕を回される。
 意識を失う寸前にも感じたこの温もりがもたらしたものは言葉では到底言い表せない安堵感だったが、それを再度感じたウーヴェはその温もりに無意識に身を寄せる。
 「あいつさ…ボスと後からやって来たみんなが逮捕した」
 「そうか。俺以外に怪我人はどれ程出たんだ?」
 「20人ぐらいかな。ただ、誰も殺されてない」
 「亡くなった人はいないんだな?……良かったな」
 不幸中の幸いと言えるのは、あの惨劇の最中一人の死者も出なかったことだと二人で安堵の声を零し、良かったなとウーヴェがもう一度しみじみと囁けば、リオンが鼻の頭をカリカリと引っ掻く。
 その動作に引っかかりを感じたウーヴェがどうしたと顔を見るのだが、見られた方はと言えば珍しい事に視線を逸らすように顔を背けてしまう。
 「リオン」
 「な、何だ?」
 「お前、その顔は一体どうした…?」 
 ウーヴェの鋭い問いに顔を背けたままのリオンだったが、何でもない、いつもの男前の顔だと言い張って立ち上がろうとするが、シャツを引っ張られてウーヴェの足の上に背中から倒れ込んでしまう。
 「何するんだよ、オーヴェ!」
 「………その口元の痣を説明出来るな?ん?」
 逃れようと藻掻く恋人に覆い被さるように上体を伏せたウーヴェは、視線を彷徨わせるリオンの顎をくいと持ち上げて目を細める。
 「えー、これはぁ…その……」
 リオンがしどろもどろになりながらも事情を語ろうとしたその時、ドアがノックされ、磨りガラスに人影が映っている事に気付き、二人同時に身体を引き剥がしてウーヴェは慌ててベッドに潜り込み、リオンは手早く乱れた服を整えて腕を組んで壁にもたれ掛かり、指一本触れていませんと言いたげな顔でドアが開けられるのを待ち構える。
 「どうぞ」
 ウーヴェが小さな声で返事をするとドアがスライドし、長身の見るからに高価そうなスーツの上下を僅かに乱した人物が静かに入ってくる。
 その瞬間、ベッドに肘をついて上体を起こそうとしていたウーヴェの顔が一気に強張り、その姿勢のまま動きを止めてしまう。
 「オーヴェ、どうした?」
 リオンの潜められた声に返事もせずにただ目を瞠ったウーヴェは、病室に入ってきた人物の動きを追うように眼球を動かすことしか出来なかった。
 「……どなたかな?」
 ゆったりと歩きながらウーヴェのベッドを挟んで向かい合うように立つ身形の良い男にリオンが内心で口笛を吹いて素早く観察をする。
 その人物は、金髪碧眼と表現するのが最も相応しいと思える風貌で、少しだけ赤みの掛かったブロンドは丁寧に手入れがなされて乱れないように撫で付けられ、青に近い緑の瞳を男にしては長い睫毛が縁取っていて、今よりももっと若い頃は女性の人気の的だったことを安易に想像させていた。
 リオンに問い掛けた物腰は柔らかで表情も穏やかだったが、ただ一つ、緑の双眸に浮かぶ光だけはその雰囲気を裏切るような強さで光っていた為、リオンが一瞬のうちに表情を切り替えて唇に太い笑みを浮かべる。
 「人に名前を聞く時はまず自分から名乗れって、マザーにうるっさく教えられたんだけど、マザーが特別躾けに厳しかったんだ、知らなかったな」
 初対面の相手に丁寧な口調とはいえ誰だと問われれば面白く無いリオンが、内心の不愉快さを陽気な声と口調に混ぜ込んで返せば、それは失礼をしたと目を細められる。
 「私はそこで寝ているフェリクスの兄だよ」
 「………オ…ウーヴェのお兄さん…?」
 「ああ。ギュンター・N・バルツァーだ。さぁ、私は名乗ったぞ。君は誰だ?」
 告げられた言葉にリオンが呆然と呟き返し、ウーヴェの兄と名乗る人物の顔をまじまじと見つめるが、言われてみれば確かに血を分けた兄弟と言われても通用する風貌だった。
 職業柄様々な人種の人達を見ているリオンだが、一見しただけでは兄弟と分からなかったのにはやはりウーヴェの髪と瞳の色とギュンターのそれとの違いが大きかった。
 「………あ」
 リオンが名乗る前に呟いた言葉にギュンターの顔が僅かに曇り、何かを問い掛ける為に口を開こうとしたその時、二人の間から掠れた小さな声が流れ出し、二人同時に声の主を見つめる。
 「………ノル…ベルト」
 「……知らせを受けて飛んできた。大変な目に遭ったな」
 リオンの存在がもう視界に入らない様な顔で見つめられ、真っ青を通り越した真っ白な顔で兄の名を呟いたウーヴェは、再度ベッドヘッドに枕を押し当てて背もたれにして起き上がり、ウーヴェの怪我の様子に目を細める、直接顔を合わせるのはいつぶりだろうと考えなければならないほど会っていない兄を凝視する。
 「警察の友人が教えてくれたよ。父さんも母さんも心配している」
 「ウーヴェ、ボスに連絡入れて先生呼んで来るからちょっと席を外すな」
 「あ、ああ。ご苦労様」
 「平気平気。じゃあちょっと失礼します、ウーヴェのお兄さん」
 「……………」
 片手を挙げてウーヴェに目配せをした後、ギュンターに礼儀正しく一礼し、そのまま振り返らずに病室を出て行くリオンを見送ったウーヴェは、ベッドサイドの丸椅子に腰を下ろして足を組む兄を睨むように見つめながら無意識に距離を取ろうとベッドの中で後退る。
 「頭の傷は縫っただけなのか?他に異常などは出ていないのか?」
 「……分からない」
 「そうか。とにかくお前の怪我がこうして話していられるほどの軽いもので良かったよ」
 知らせを受けた時は本当に驚いて会議を一つすっぽかしてしまったぞ。
 ウーヴェと良く似た面持ちの顔を軽く伏せて目を閉じ、嘘偽りのない思いだと言うように安堵の溜息を吐いた兄、ギュンター・ノルベルトを、恩着せがましい事を言うなと胸の裡で冷笑しつつも無言で見つめていたウーヴェは、膝の上に置かれている手が微かに震えている事に気付くが、その事で兄に何かを言うことはなかった。
 兄と父と絶縁状態になってもう何年が経過したのだろう。
 数えることもしなくなった年月が二人の間に溝のように横たわり、血を分けた家族でありながらも、今この瞬間は同じアパートに住む他人よりも遠い存在だった。
 「─────フェリクス」
 「……」
 兄の声にびくんと肩を竦めたウーヴェは、検査結果が出るまでゆっくり休みなさいと優しく言われて軽く目を瞠る。
 この怪我など足元にも及ばない、生涯癒えることのない傷を与えた本人が、時がたてば消え去る傷をいたわれと言うのかと胸の深いところで生まれた言葉を言いそうになるのを堪えるように拳を握りながら、今日にでも退院するつもりだと震える声で言い放つ。
 「無理をしない方が良いと思うがね」
 「俺の勝手だ」
 兄の顔を見ずに言い放った言葉に溜息が重なるが、確かにお前の勝手だ、好きにすればいいとも告げられて顔を背ける。
 ウーヴェは見ることは出来なかったが、その言葉を受け止めた兄の手は膝の上で何度も開いたり閉じたりを繰り返し、ウーヴェと同じく端正な横顔には何かを堪えているかのような苦痛がくっきりと浮かび上がっているのだった。
 二人の間に重苦しい沈黙が流れ、私も忙しいからそろそろ帰るよと立ち上がった兄に、顔を向けることなくわざわざ来てくれなくても良かったと言い放ったウーヴェは、マスコミ対策はしてあると告げられて顔を上げる。
 「え…?」
 「バルツァーの末っ子が通り魔事件に巻き込まれて負傷したと報道されればどんな事態になるか分からないからな。お前への取材については自粛するようにマスコミには依頼してある。だからゆっくりと怪我を治しなさい」
 「…っ!!」
 余計なお世話だと言いたかったが、兄が打った手は確かにウーヴェにとってはかなり有効なもので、内心では安堵の溜息を吐いてしまう。
 やって来た時と同じように静かに出て行こうとした兄だが、ドアの前で振り返って妹でありウーヴェにとっては姉であるアリーセに事情を説明してある事を告げ、あまり無理をしないようにと残してドアを開ける。
 その時、ちょうどタイミング良く戻ってきたリオンと兄がぶつかりそうになり、どちらも互いに身を引いてどうぞと譲り合う。
 「失礼」
 「いえ」
 目礼だけを交わし合って背中を向けて出て行った兄をベッドの上から睨むように見送ったウーヴェは、やって来たのがいつもと全く変わらない雰囲気のリオンであることに気付き、顔を背けてベッドに横になる。
 「オーヴェ」
 「……もう警部に報告は済んだのか?」
 リオンに背中を向けたウーヴェは、背後の様子を感じ取りながらもきつく目を閉じて何とか気分の切り替えを図ろうとするが、直接兄と顔を合わせた事によるある種のショック状態から中々立ち直ることが出来ず、苛立ちから唇を噛み締める。
 このままここでいつもの悪夢を待ち構えるなど、到底耐えられる事ではなかった。
 「オーヴェ」
 「……なんだ?」
 「うん─────無理、するなよ」
 やってくるかも知れない悪夢に怯える心を押し隠すように声を尖らせるが、大きな掌で肩を撫でられて目を瞠る。
 「オーヴェのお兄さんに直接会うのは初めてだな」
 直接顔を見るのは初めてだが、やっぱり兄弟だけあって良く似ている。
 リオンの言葉に勢いよく飛び上がり、似ているなどと言うなと叫びたかったが、喉の奥で籠もる呻き声になるだけだった。
 「────っ!!」
 「うん。だから無理するなって言っただろ?」
 いつかも言ったと思うが無理をするなと囁きつつ、ここが自宅ならばレオナルドも連れてきて更にオーヴェを安心させてやれるのにとも囁やかれ、シャツを握る手に力を込めると、包帯の巻かれた頭を大事そうに胸に抱えられて何も言えず、目の前に見えるシャツを思い切り握りしめる。
 リオンの顔を見ずに何とか気分を切り替えようとしていたが、こうして無理をしなくても良いと態度でも教えてくれる様に抱きしめられると、程なくして心の中に明るい色彩が浮かび上がってくる。
 自宅のリビングでいつも留守番をしている異様な大きさを誇るテディベアのレオナルドに顔を押しつけている時もそうだったのだが、何故だかリオンの温もりを直接にしろ間接にしろ感じている時には今までにないほどの短時間で過去からのしがらみや嘲笑から逃れる事が出来るのだ。
 今もまたリオンの腕が頭から肩へと移動し、そのままそっと抱かれた事に気付いた途端、全身を巡っていた強張りが一気に解き解れ、もたれ掛かればしっかりと受け止めて貰える。
 その安堵に小さく溜息を吐き、もう大丈夫だと告げると、心配しながらもその言葉を全面的に信じている事を伝えるようにそっと腕が離れていき、抱えられていた頭を上げて目を細める。
 ベッドに腰掛けて心配そうに見つめてくるリオンの口の端、一目で殴られた痕だと分かる痣が浮かび上がっていたのだ。
 「さっきも聞いたが…これはどうしたんだ?」
 紫色に変色している口の端にそっと指先を宛がえば、まだ痛みを感じているのか、顔を顰めてウーヴェの手首をそっと押さえてくる。
 「………ボスにちょっと、な」
 明言はしなかったが、きっと通り魔事件の犯人を取り押さえる時にやり過ぎたのだろうと想像し、まさか天職とも言える刑事の職と身分を喪うような事をしたんじゃないのかと、内心の不安を極力押し隠しながら問い掛ければ、伏し目がちに苦笑され、くすんだ金髪が小さく左右に揺れる。
 「そうならないように止めてくれた」
 「そうか」
 ヒンケル警部に感謝しなければならないなと同じく苦笑し、今度は逆に金髪を胸に抱き込めば、しっかりと腰に腕が回されて肩に額を押し当てられる。
 「傷以外に痛いところはないか?」
 「ああ。まだ説明を受けていないんだが…縫ったのか?」
 「10針ほど縫ったみたいだぜ」
 可哀想に、痛い目に遭ったなと額に懐いていた顔が上がり、頬とこめかみに口を寄せられて目を伏せる。
 「リアは怪我をしていなかったか?」
 あの時無意識に身体が動いて庇っていた彼女はどうしたと、やっとその事を思い出した顔でリオンに問い掛ければ、心配しなくてもウーヴェと比べれば怪我らしい怪我などしていないし、あの可愛い顔もガラスで傷付けられる事もなかったと苦笑されてあからさまに安堵の溜息を吐く。
 顔に傷がついてしまうと言う事実はやはり、顔の美醜には関係なく女性のその後の人生に大きく影を落とす事になりかねなかった。
 それが回避された安堵にもう一度リオンに凭れるように身を寄せると、腰に回されていた腕に力がこもり、更に密着するように抱き寄せられる。
 「オーヴェも…これくらいで済んで良かった…」
 「そうだな」
 ウーヴェの白っぽい髪が血に染まったのを見たオルガが絶叫にも近い悲鳴を放ったが、駆けつけたリオンは言葉を失うほどの衝撃を受け、傍目には分からなかったがかなり足元が覚束無い状態でウーヴェの前に膝を着いたのだ。
 それが本当に10針程度の傷で済んで良かったと、包帯が巻かれて痛々しい頭に口付けたリオンを安心させるようにウーヴェがぽつりと呟く。
 「…あの時、お前を見て本当に安心した」
 「オーヴェ…」
 実際は店の外でどんな様子になっていたのかも分からなかったが、お前が傍にいると分かっただけで楽観的とすら思えるような思考が脳裏を浸食し始めたと、伏し目がちに囁くと再度包帯の上から口付けられる。
 「リアもそうだろうな」
 「だから泣いたのか?俺を見た途端泣き出したから、何かしたかって不安になった」
 「許してやってくれ」
 「ちゃんと分かってる」
 リオンの顔を見てウーヴェが安堵感を得たように、あの騒ぎの中見知ったリオンを見たオルガが安堵のあまり涙を流したとしても不思議はないと告げると、それもちゃんと分かっていると頷かれて己の右腕の為に安堵の笑みを浮かべる。
 「今夜は病院に泊まってさ、明日聴取に付き合ってくれよ」
 リオンの言葉に無条件に頷こうとしたウーヴェだが、先程兄に言われた事と同じにも関わらずに今度はすんなりとその言葉が胸の奥底にまで落ちていく様を感じ取るが、今度は依怙地からではなく、リオンにだけ見せる甘えから早く帰りたいと呟く。
 「事情聴取の許可が下りたらもう大丈夫って事で帰っても良いんじゃないのか?」
 それまでは大人しくこのベッドで寝ていなさいと言われ、こんなベッドで一人寝るなんて嫌だときっぱりと言い放てば、ワガママを言うんじゃありませんと子供のように諭されてしまう。
 「俺もここに泊まるからさ」
 その言葉とこめかみに小さな音を立ててなされたキスに表立っては渋々、だが内心はかなりの安堵感を抱きながら頷いたウーヴェは、ドアがノックされて医師がやってきた事に気付き、慌てて丸椅子に落ち着かない様子で腰掛けたリオンに苦笑する。
 傷の具合はどうですかと問われ、詳しい怪我の様子や治療方法、そしてやはりリオンの言うとおり、今夜は様子を見たいので一泊して下さいと言われて僅かに肩を落とすが、そんな彼にリオンが片目を閉じて諦めろと呟くのだった。

 あの日サバイバルナイフを片手に通り魔事件を起こした犯人だが、ようやく取り調べが開始できるようになってこれから何故あのようなことをしたのかを解明していくだろうと、こちらもようやく医師からの許可が下りて抜糸を済ませたウーヴェの元に一報が入ったのは10日以上も経過してからだった。
 その一報を運んできた恋人に短く分かったとだけ答えて頷いた彼は、ソファでぼんやりと見ていたテレビで今話題になったばかりの事件の進展を伝えるニュースが始まったことに気付き、ちらりと隣の恋人の顔を窺えば、意外な程冷静な顔で画面を見つめていた。
 「お前は犯人の取り調べをしなくても良いのか?」
 視線を投げ掛けた口の端にまだ薄く痣が残っていたが、それをなぞるように親指の腹を軽く押し当てて撫でれば、寂しそうに目を細めたリオンが仕方がないと苦笑しつつ肩を竦める。
 「感情的になるってのが分かってるから…外して貰った」
 「そう…なのか?」
 「うん、そう」
 犯人への事情聴取が10日以上も経過した理由はいくつかあるのだが、その内の大きなウエイトを占めたのは、犯人に対しての行きすぎた暴力の結果の怪我だった。
 あの時、駆けつけた救急隊員にウーヴェを預けたリオンが犯人の意識が無くなる寸前まで怒りに任せて蹴り付け、やっと駆けつけたヒンケルに羽交い締めにされ、その後更に駆けつけた同僚達にも同じように取り押さえられた後、目を覚ませと殴られたのだ。
 その痛みに我に返ったリオンは、担架で運ばれる犯人を呆然と見送り、事後処理に掛かろうとしているヒンケルを捕まえて無言で頭を下げた。
 頭を下げるリオンを無表情に見下ろしていたヒンケルだったが、ふっと顔の筋肉を緩めたかと思うと、くすんだ金髪をくしゃくしゃと乱し、最後以外は良くやったと片目を閉じてくれた。
 自分を信頼してくれている事をまた思い知らされ、言葉ではなく表情で礼を告げるとコツンと頭を叩かれ、振り返った先にはコニーとヴェルナーが仕方がないと言った顔で立っていたのだった。
 だから後の事は任せて俺は病院でオーヴェが起きるのを待っていたとも言われてやっと納得がいったと苦笑すると、痛いから触っちゃダメと睨まれてしまう。
 痣はもう殆ど見えなくなっている為、本当にいたいのは別の所だろうと見当を付け、今回の事件に関連して随分と心配を掛けたし痛い目にも遭わせてしまったお詫びだと囁きかけて胸に頬を押し当てるように身を寄せると、何かを察したのかそっと腕が回されてソファに倒れ込む。
 「オーヴェ」
 「何だ?」
 見上げてくる蒼い瞳に息を呑みそうになりながらも何とか返事をし、鼻の頭にキスをされて軽く首を竦める。
 「うん────ホント、痛い目に遭ったけどさ、これだけの怪我ですんで良かった」
 「……ああ」
 通り魔事件という人生でそうそう遭遇しないだろう事件に巻き込まれたが、頭の切り傷だけで済んだ事は本当に幸運なことだったと、あの時も感じたがお互いに同時に感じたそれに感謝をする。
 死者は幸いなことに出なかったが、あの事件では何ヶ月もの間入院を余儀なくされる負傷をした人もいたのだ。
 それを思えば本当に軽微なものだと笑い、リオンの顔の横に両肘をつき、愛してやまないロイヤルブルーの瞳を見つめ、己の顔が映り込んだ事に気付いて目を細める。
 「リオン」
 病院でも言ったが、あの時お前が駆けつけてきてくれたと知った途端、オルガの様に泣きそうになったと囁くと、腰に腕が回されてしっかりとハグされる。
 「来てくれてありがとう、リーオ」
 そして病院での兄との息苦しくなるような時間の後、傍にいてくれてありがとうと万感の思いを込めて囁き、お礼は目に見える形が良いなと片目を閉じられて目を瞠り、望むものに気付いて唇の両端を持ち上げる。
 「これで良いのか?」
 「これが良い」
 本当にこれで良いのかともう一度問い掛けながらそっとリオンの唇を舐めると、久しぶりに触れ合う少しだけ乾燥している唇が優しく押し当てられる。
 「────ん…っ」
 最初は触れるだけのそれだったが、久しぶりだという理由と、直前の互いの双眸に互いの顔を映し合う距離で見つめ合った事から、次第に深く長く口付けてしまう。
 良いだけ互いの唇を貪るように求め合い、僅かに荒くなった呼気を正す為に離れるが、息が整うかどうかの素早さで再度リオンが唇を重ねてきた為、ウーヴェも目を閉じて長い長いキスを交わす。
 「……オーヴェ」
 もうガマン出来ない、このままベッドに行こうと耳に直接吹き込むように囁かれ、そのくすぐったさに首を竦めたウーヴェは、返事をする間もなく抱き起こされてしまい、自分の意見は聞いてくれないのかと上目遣いに睨むと、視線を逸らした恋人がそんな事はないと若干焦り気味の声を出す。
 「ふぅん?」
 「オーヴェ」
 「何だ」
 「うん。好き」
 満面の笑みで告げられる言葉に一瞬呆気に取られるが、次いで同じように唇に笑みを浮かべたウーヴェは、少しだけ高い位置にある頭を抱えるように腕を回して抱き寄せる。
 「ああ」
 「な、だからさ…」
 「────今日は頭が痛いからダメだ」
 「がーん」
 おそらくは見せてくれるだろう、そんな予想をしていた顔を見事に見せてくれるリオンについ吹き出してしまったウーヴェは、漂ってきた気配に息を呑み、抱えていた頭を手放して間合いを取ろうとするが、一歩早く伸ばされたリオンの手がしっかりと腕を掴んで手繰り寄せて腰を抱かれて身動きが取れなくなってしまう。
 「じゃあさ、頭が痛くない様にすれば良いだろ?」
 首筋を舐められてぞくりと震えが走り、リオンの腕の中から抜け出そうと藻掻くが、残念でしたとにやりと笑われそのままベッドルームに連行されてしまう。
 「こら、リオンっ!」
 「はいはい」
 「はいはい、じゃない!」
 「あーもー、しつこいな、オーヴェも」
 「だからそれはお前が…っ!!」
 ベッドにぽいっと荷物よろしく投げられてしまい、反論する為に身体を起こしたウーヴェの前、一瞬のうちに表情を切り替えて真剣な目で見つめてくるリオンがいて、抵抗しようとしていた意思があっという間に霧散し、次いでただ一つの言葉だけが浮かび上がる。
 それは、今目の前で真剣に見つめてくる、驚くほど澄んだ瞳が何よりも愛おしいとの思いだった。
 その思いに囚われているとリオンがそっと肩を押した為、ベッドに背中から沈んでしまい、今度は逆に見下ろされて視線を逸らす。
 「オーヴェ」
 「……何だ?」
 「これぐらいだと痛くないか?」
 ウーヴェの傷が痛まないかと問い掛けながらキスされ、覗き込まれた時、深々と溜息を吐いてこの後の事を受け入れる覚悟を示したウーヴェは、なるべく痛まないようにしてくれとリオンのピアス穴の開いた耳に口付けて強請ってみると、どんな表情を浮かべているのかを如実に物語る陽気な声が了解と返し、そのままリオンの上に乗り上げるように寝返りを打たれてしまうのだった。

 痛みを感じない様にする為か、それともウーヴェが好きだという理由からか、背中にリオンの熱い吐息と汗を受け止めていたウーヴェは、背後を振り返って短く息を呑んで背中を反らせ、名を呼ばれうなじや背骨に添ってキスをされると震えが身体中に伝播していき、自重を支える肘と膝に伝わった時には身体の中心に新たな熱と快感が生まれてしまう。
 それを煽るように動く手に翻弄されるが、時折頬に顔を寄せて来るリオンに気付いて出来るだけ顔を振り向けると、澄んだロイヤルブルーの双眸に雑多な、それでいて暖かな思いを溢れさせながら見つめられる。
 「…リーオ…っ」
 「うん。あとちょっと」
 もう限界だと伝えるように名を呼べばあと少しだと返事があるが、限界だと伝えたのは今身体を支配する快感からではなく、胸の奥底にいつもひっそりと、だが確実に存在している思いからだった。
 今この瞬間、自分にだけ向けられる、あの時暗い闇に沈んでいく寸前にも脳裏に浮かんでいた、蒼く澄んだ瞳が何よりも大好きだった。
 そんな瞳を持つリオンに、あの日からずっと恋をしている。
 思いを伝える代わりに後ろ手にリオンを手招きすれば、そっと手を掴まれて頭に導かれ、不自由な体勢でも頭を抱えるように腕を回す。
 そして訪れた絶頂の瞬間、きつく目を閉じて高い声を挙げたウーヴェの脳裏、やはりあの日と同じように惚れて止まない蒼い一対の至宝のような双眸を笑みに細める恋人の顔が浮かんでいるのだった。

 

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2010/08/08


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