ウーヴェが誘拐され、リアが負傷してから丸一日が経った頃、前夜にベルトランに送りつけられた写真から何とか場所の特定に繋がる情報を得られないかと刑事達が足を棒にして街中を聞き込み回っていたが、思う程の成果は得られていなかった。
それに苛立ちを隠せない面々だったが、表面上は普段と変わらない様子で、リアを刺したナイフの購入先を特定するために刃物を取り扱う店やミリタリーショップを駆け回っていたリオンが、いつか感情を爆発させるのではないかとの危惧を抱き不安そうに見守っていた。
そんな仲間達の視線にこもる思いに気付きつつもとにかく出来る事から一つずつと、脳味噌と身体のどちらにも刻み込むように呟いていたリオンは、今日は解散というヒンケルの言葉に頷いた後、他の仲間達に手を上げて一足先に帰宅する。
ウーヴェがいなくなった家に帰ったリオンは、いつもの静けさとは質の違うそれに立っていられない程膝が震え始めたことに気付き、ベッドルームではなく己のために用意してくれた部屋に駆け込み、古いパイプベッドを盛大に軋ませてコンフォーターに潜り込む。
一人は嫌だと常々公言しているリオンだが、その状況下におかれた時、みっともないほど足が震える情けない己に気付き、自嘲してしまう。
こんな時にウーヴェがいれば、疲れているからそんなことを考えてしまう、今は何も考えずにゆっくり休めと抱きしめてくれるのに、そのウーヴェがいない為、今震える体を抱きしめてくれる人は誰もいなかった。
「─────!!」
その事実を突きつけられて背筋を震わせた時、背中をナイフで切りつけられ、血を流して苦痛に顔を歪めるウーヴェが、何年か前にナンパしてきた男に犯されている映像が脳裏に浮かび、コンフォーターを撥ね除けて飛び起きるとその勢いのまま壁を殴りつける。
今ここでこうしている間にもウーヴェの白い肌に傷が増え、何度もレイプされているのではないかという疑問に、もしかするともう手遅れになっているかも知れないなぁという誰かの声が脳裏にこだまし、頭を抱えて苦痛の声を上げる。
「オーヴェ・・・オーヴェ・・っ!!」
事件の発覚後、レオポルドやベルトラン、そして今朝ギュンター・ノルベルトに会ってなるべく早くウーヴェを見つけて救出すると約束したが、本当を言えば今すぐここから飛び出し、街中を行き交う人にウーヴェを見なかったかと聞いて回りたかった。
そして、運良くウーヴェを発見した後、そこにいるであろうジルベルトを殴り、同じ目に遭わせてやりたかったが、それ以上に一分でも一秒でも早くウーヴェを救出したい思いが強く、それを抑えるだけで精一杯だった。
その疲労から食欲もあまりなく、正直な話マザー・カタリーナが用意してくれた好物のサンドも食べられなかったのだ。
今までどんなことがあっても食欲がなくなることはなかったため、かなりの衝撃を受けていることを自覚したが、そんな時にでもウーヴェの優しい声がちゃんと食べないとだめだと諭し、空腹の胃腸に優しいものや好物のチョコを用意してくれる姿が脳裏に浮かび、肋骨で守られているはずの胸が直接殴られた時以上の痛みを訴えてくる。
「────っ・・・ぁ!」
いつかのように過呼吸の症状を引き起こしそうになるその痛みだったが、過呼吸になどなっている場合ではないと強い意志で己の心を殴りつけたリオンは、のろのろとベッドから降りるとリビングに向かい、コーヒーテーブルに年中置いてあるチョコレートボックス-リオンはこれをお宝箱と呼んでいた-を開け、中に入っている好物のチョコを一欠片割って口にする。
口の中に広がるストロベリーとチョコの甘さに自然と身体が緊張を弱めたようで、もう一口とかけらを口にした時、ソファに丸めて無造作に置かれた魔法のブランケットを発見し、それに包まりながらホットチョコを巡ってウーヴェと攻防戦を繰り広げた数日前を思い出すと、今ここにいるのが己だけだと改めて気付かされてしまい、拳を握ってこみ上げるものを堪えるが、ソファで鎮座する異様な大きさのテディベアと目が合って思わず握った拳でその頭を軽く叩いたリオンは、痛みを訴えるように身体を傾げるレオナルドを抱き上げる。
自室ではなくベッドルームに向かい、のろのろとした動きのまま着替えを済ませると、レオナルドをソファに座らせて自らはウーヴェがいないだけで恐ろしいほど広く感じるベッドに潜り込む。
眠ることはきっと出来ないだろうが、寝る努力だけでもしてみようと決め、うたた寝のような短い眠りと長い覚醒を繰り返し、何とか朝の起きる時間-それでも外はまだ暗闇のまま-が来るまで、ベッドの中でひたすら寝返りを打っているのだった。
ウーヴェが誘拐されて眠れない夜を二度越えて迎えた朝、早朝のいつも以上に静まりかえっている家にドアベルの音が鳴り響く。
ここでウーヴェと一緒に暮らすようになってからもだが、滅多に人がやってくることはなく、誰だと訝りつつ長い廊下を進んで玄関のドアを開けたリオンは、コートを着込んで不安に顔を曇らせているアリーセ・エリザベスの姿を発見し、驚きに瞬きを繰り返す。
「おはよう、リオン」
「お、はよう・・・来てたのか?」
「ええ。父さんとノルから連絡をもらったわ」
あの子が、フェリクスが誘拐されただけではなく、リアも刺されて入院しているそうじゃないと押しのけるように中に入り、驚くリオンにキッチンに来いと伝えたアリーセ・エリザベスは、我に返ったように顔を振って後をついてくるリオンに目を細め、キッチンに入ると持参したバッグからエプロンを取り出す。
「アリーセ?」
「・・・朝ご飯、まだでしょう」
「あ、ああ、うん」
まだと言うか食う気がしないというかと口の中で不明瞭な言葉を転がすと、出来上がったら呼ぶから支度をしなさいとアリーセ・エリザベスに顎でベッドルームを示され、何が何だか分からないと呟きつつ出勤の支度をし始める。
だが、ベッドルームにあるバスルームに入ると、そこかしこにウーヴェの存在を感じ、それらから今不在であることを見せつけられると、いつも手短な支度時間が更に短くなってしまう。
洗顔し髪を一つに束ねて頬を叩いた後、どうか自分を一人きりにしないでくれとの願いからウーヴェの香水を身に纏ったリオンは、頭を振ってしっかりするんだと鏡の中の己に言い聞かせ、アリーセ・エリザベスがいるキッチンへと向かう。
「アリーセ、準備してきた」
「そう。じゃあそこに座りなさい」
いつもウーヴェと並んで座る席、その前にスクランブルエッグと少しだけ焼き目を付けたゼンメル、ソーセージが載った皿があり、アリーセ・エリザベスの顔をまじまじと見つめると、自分はコーヒーだけで良いと言いながらマグカップにコーヒーを淹れ、リオンの分も用意をする。
「どうしたの、早く食べなさい」
「あ、ああ、うん」
まさかアリーセ・エリザベスが来て朝食の用意をしてくれるとは思わなかったと素直な感想を口にしたリオンは、怒られると顔を顰めて彼女を見るが、見られた方はそれどころではないと言いたげに溜息を一つ零し、あなたにはしっかりと食べて欲しいのよとも零されてフォークが止まる。
「・・・昨日、兄貴が署に来た」
「ええ。聞いたわ。動揺していて朝一番に怒鳴り込んでしまったって。最低な事をしたと反省していたわ」
昨日のギュンター・ノルベルトとの会話を思い出しながらリオンがアリーセ・エリザベスの顔を見ると少しだけ目を細めて頷き、私はそんなみっともない姿は見せないと小さく胸を張られてしまい、リオンの口から小さな笑い声が零れ落ちる。
「なぁに?」
「何でもねぇ。────俺のための朝飯、ありがとうな、アリーセ」
スクランブルエッグを食べつつ感謝の思いを口にするリオンだが、アリーセ・エリザベスが何事かを思案するように目を泳がせた後、諦めに似た溜息を零す。
「あなたのためだけど、あなたのためだけじゃないわ」
「?」
「私たちは・・・あの子が救出されるまであなた達にすべてを任せるしかない。何も出来ないのよ」
だからあなたにはしっかりと食べていつでも動き回れるようにして欲しいのだと、あなたの事だけを思っての行動ではないと彼女なりの真摯な思いを口にすると、リオンもそれを分かっているため、ただ頷いてそれでも嬉しいと素直に礼を言う。
「昨日ノルは、あなたと付き合っていなければこんなことにならなかったって言わなかった?」
アリーセ・エリザベスの不意打ちのような言葉にリオンの肩がびくりと揺れ、ソーセージに突き刺したフォークを取り落としてしまい、その様子に本当にどうしようもないと兄の愚考に妹が溜息をつく。
「やっぱり言ったのね、ノル」
「・・・でも、さ、当たってる、からなぁ」
昨日も一昨日も言ったが、俺と付き合っていなければこんな事件に巻き込まれる事もなかったはずだと、リオンがスクランブルエッグを睨み付けながら呟くと、確かにそうかも知れないが、それ以上のことをあなたはしているのよと少し強めの口調で告げられて呆然とその顔を見ると、読み取れない感情に頬を紅潮させたアリーセ・エリザベスが、マグカップをテーブルに置きながらもう一度言うわと腕を組む。
「あなたと付き合ったおかげで、あの子は父さんやノルとまた話をするようになった。あの事件を完全に乗り越えられたのよ」
功罪を差し引きすればどちらに軍配が上がるかは火を見るよりも明らかだと、さすがにウーヴェの姉だと言いたくなるような言葉を告げたアリーセ・エリザベスだが、珍しくリオンがでもと口ごもったのを見ると、誰かがあなたをその言葉で非難するのかと問いかける。
「誰があなたを非難するの?そんな人がいるのなら、ここに、私の前に連れてきなさい」
アリーセ・エリザベスの声に潜む怒りは真冬のそれに似ていて、急に覚えた寒気にリオンが身体を震わせるが、俺を非難するのは俺だと、一昨日レオポルドに告げたが見事に否定された言葉を再度告げると、アリーセ・エリザベスが目を細めてリオンを見る。
「そう。あなたがあなたを非難するのね。分かったわ」
俯き加減に俺が悪い俺のせいだと呟くリオンに、冬の女王顔負けの冷たい声で言い放ったアリーセ・エリザベスは、そんなことを言う人は私が許さないわと声を大きくすると、リオンに向けて歯を食いしばりなさいと命令する。
レオポルドやギュンター・ノルベルトらは大きな度量から己を許してくれたが、アリーセ・エリザベスは許してくれるつもりはないと判断したリオンは、一度殴られるだけで気が済むだろうかと内心で呟くが、早く歯を食いしばって目を閉じなさいと上から命じられ、逆らう気持ちが起こらないために素直に従うと、程なくして訪れる衝撃に対して心構えをする。
「いくわよ」
目を閉じて頬に来るはずの衝撃を堪える為に背筋を伸ばしたリオンだったが、予想していた痛みではなく、どこかで感じた事のある柔らかな何かに頭部が包まれた事に気付いて、瞬きを繰り返し、視界一杯に広がるのがアリーセ・エリザベスが持参したエプロンの花柄だと気付いたのは、たっぷり30秒以上も経過してからだった。
「アリーセ・・・?」
「・・・あなたがどれほどあなたを非難したとしても、私たち家族はあなたを非難したりしないわ」
「・・・・・・」
「あなたと付き合うようになってあの子は過去と本当の意味で向き合ったのよ。あなた以外の誰にも出来なかったことだわ」
それをしてのけたあなた自身をもっと評価しなさい、自分のせいだなどと自分を悲劇の主人公にするのではなく、自分のせいだからこそ頑張ると胸を張りなさいと、言葉の強さとは裏腹な優しさで頭を抱き寄せられたリオンは、アリーセ・エリザベスの言葉の意味が耳から痛みを訴えている胸に落ちて腹の底に到着した瞬間、昨日マザー・カタリーナにした時以上の強さでアリーセ・エリザベスの身体に腕を回してしがみつく。
アリーセ・エリザベスの兄や父にも感じた事だが、本当にどうしてこの家族は己に対してここまで優しいのだろう。ウーヴェに対する愛情がそれをさせているのだとしても、どうしてここまで無条件で己を認め許し受け入れてくれるのだろうかとの疑問が芽生えるが、それを見抜いたようにアリーセ・エリザベスが己にしがみつく腕を撫で、くすんだ金髪を胸に抱き寄せて頭にキスをする。
「私たちの家族を前のように、いえ、それ以上のものにしてくれたのはあなたなのよ、リオン」
あの子が選んだ人なのだ、信頼しているし自信を無くしているのなら支えてやりたいと思うと優しく髪を撫でられ、信頼という言葉の重みに頭が下がってしまう。
無条件の愛といえばマザー・カタリーナの顔が思い浮かぶリオンだったが、今こうして己を抱きしめてくれるアリーセ・エリザベスやイングリッドもそれを与えてくれていると気付き、その二人よりももっとずっと大きくて深い愛を与えてくれていたのがウーヴェだとも気付くと、アリーセ・エリザベスの胸から顔を上げられなくなってしまう。
泣きそうになっている顔など人に見せられるはずがないという、最後の抵抗を続けるリオンの髪をただ優しく撫でたアリーセ・エリザベスは、ただ一人で己を責める弱い顔を見せることを良しとしないリオンを前に、きっとウーヴェもこんな気持ちになっていたのだろうと天井を見上げて震える呼気を吐き出す。
どうして弟ばかりが辛く苦しい目に遭わなければならないのだ。ただ愛する人と一緒に日々を笑って過ごしているだけなのに、何故こんなにも苦しい目に遭わなければならないのか。
神の試練だとしてもあまりにも酷いのではないかと、心の中で神に対して恨み言を呟いたアリーセ・エリザベスは、リオンが鼻を啜るような音を立てたことに気付き、どう、ちゃんと朝食を食べて頑張れるわねと囁くと、その頭が腕の中で上下する。
「そう。顔を洗ってらっしゃい。ソーセージとゼンメルを温め直してあげるわ」
「────ダンケ、アリーセ」
俯き加減に礼を言いキッチンを飛び出して行ったリオンに呆気に取られた彼女だったが、顔を見られたくないのかしら、気にしなくても良いのにと苦笑し、ソーセージとゼンメルを己の言葉通りに温め直す。
再びキッチンにリオンが戻って来たときには、先程顔中を覆っていた悲壮感が消え去っていて、蒼い瞳には強い光も浮かんでいた。
ただ、まだそれは淡く儚いもので、何かの拍子に消え去ってしまうものだと気付いたアリーセ・エリザベスは、今日はリアのお見舞いに行ってから家に戻っている、何かあれば連絡をしてちょうだいとコーヒーを飲み、スクランブルエッグを食べ始めたリオンが頷くが、やはり食欲があまり無く、何とかそれを食べ終えるが素直にアリーセ・エリザベスに謝罪をする。
「残して悪い」
「・・・今食べられるものは何?」
何だったら食べられると、口調はそうでもないが優しいことを聞いてくれる彼女に小さく頷いたリオンは、ウーヴェが買い置きしてくれているチョコがあるが、それなら少しは食べられる、それを持っていくと苦笑すると、栄養バランスよりも何を食べられるかが問題ねと理解してくれたため、安堵の溜息を吐く。
「今日は自転車で出勤するの?」
「電車にしようかと思ってる」
「準備が出来たら言いなさい。私も家に帰るから送っていくわ」
「ダンケ」
遅刻しないように早く準備をしなさいと、まるで小さな子どもに言い聞かせる母親のようにリオンを見たアリーセ・エリザベスは、照れくさいのかすぐにすると声を大きくしてキッチンを飛び出そうとするリオンに呆れるが、何かを思い出したのか慌てて戻って来た後、アリーセ・エリザベスを背後から抱きしめ、ありがとう、あんたが来てくれて本当に嬉しいし助かったと口早に囁くと、血の繋がりを如実に感じさせる優しい手がリオンの伏せられた頭を無言で撫でる。
「早くしなさい、リオンちゃん」
「ガキじゃねぇ!」
アリーセ・エリザベスも素直な感謝が照れくさかったのか、いつものようにリオンをからかう口調で呼び、一声吼えたリオンが今度こそキッチンを飛び出した後、完璧に身嗜みを整えて戻って来る。
「良い感じね。────リオン、あなた達だけが頼りなの。だから・・・」
あなたが公私の立場で苦しいのも分かっているがそれでもあなたを頼らなければならないのだと、この時になって初めて己の不安を口にしたアリーセ・エリザベスを抱きしめ、大丈夫、あんた達の優しさや思いは絶対に無駄にしない、だからもう少しだけ時間をくれと、昨日ギュンター・ノルベルトのも伝えた言葉を再度告げると、アリーセ・エリザベスがリオンの腕の中で何度も頭を振る。
「・・・家で母さん達と一緒に待っているわ」
「ああ。絶対にオーヴェを見つけ出す。だから時間をくれ」
「ええ」
約束と告げてアリーセ・エリザベスの頬にキスをしたリオンは、何度目になるか分からない気合いを入れるために頬を叩き、アリーセ・エリザベスがキッチンを片付け終えるのを少しだけ急かしながらも大人しく待ち、彼女の車で署まで送ってもらうのだった。
昨日に引き続き、朝からナイフを購入した店を特定するためにミリタリーショップや刃物の専門店を回っていたリオンとコニーだったが、めぼしい情報を得ることが出来ず、何軒かの店を回るが、さすがに疲れを隠せない溜息を吐く。
それを見ていたコニーは、どこかで昼食を食べようとその背中を叩くが、ゲートルートに行こうと誘われて軽く驚きつつもオンが運転する覆面パトカーに乗り込む。
タバコを咥えて運転するリオンの横顔からは感情らしきものを読み取ることが出来ず、大丈夫なのかとコニーが老婆心から心配したとき、蒼い目が横を向いて細められる。
「・・・・・・心配してくれてありがとうな、コニー」
「声、漏れていたか?」
「スゲー聞こえてきた」
肩を揺らして笑うリオンに釣られてコニーも笑うが、リオンの目だけが笑っていない事には気付けず、ゲートルート近くの路上駐車場に車を止めると、ランチを食べるためにやって来た客で混雑する店の中に躊躇なく入っていき、慌てることなく引き返してきたことに小首を傾げると顎で路地を指し示される。
その路地は店の勝手口に面していて、二人がそちらに向かうと勝手口が開いて中からチーフが顔を出す。
「リオン、こっちから入ってくれ」
「ダンケ」
ゲートルートの勝手口に初めて入ったコニーは、戦場のような厨房の端を通ってカウンターの端に置かれているパーティションの陰にあるテーブルに通され、思わずぐるりを見回してしまう。
コニーが感心したように店内をパーティション越しに見た後、このテーブルは何だとリオンに問いかけると、スタッフが使うテーブルのはずだと小声で返す。
「今オーナーが手を離せないから少し待っててくれって」
二人をこのテーブルに連れてきたチーフがリオン達の様子から水を用意し、料理はどうすると問いかけると、日替わり二つとリオンが返す。
オーダーをベルトランに伝えたチーフだったが、忙しくなく料理を運び、空いたテーブルを片付けて待っていた客を案内する間、ほとんど動きを止めることがなかった。
「ホントに良く働くよなぁ」
「・・・だからこの店が繁盛してるんだ」
「ベルトラン」
チーフの働きっぷりに感心の声を上げながら頬杖をつくリオンに横から声が掛かり、額に浮いた汗を拭きつつ申し訳なさそうに笑みを浮かべたベルトランを見つけると、この席を使っても良いのかとリオンが問いかける。
「ああ・・・この席は、俺がウーヴェの為に用意した席だ」
「え?」
その事実をリオンも初めて知った事を驚きの表情から察したコニーは、ドクが一人で突然来たくなったときに利用するのかと問うと、ベルトランの頭が無言で縦に揺れる。
「お前と付き合いだしてからは少なくなったけど、帰りが遅い時や休みのランチの時にはここで食べていた」
リオンと些細な口論をしたと、この世の終わりのような顔でやってきた時もここに来て、ビールを飲みながら愚痴っていたと笑ったベルトランだったが、その表情が一瞬で強張ったことから何を思いだしたのかに気付き、二人も同じものを思い出してしまって口を閉ざす。
「・・・昨日も言ったが、俺はメシを作ることぐらいしか出来ない。だからあんたらにはしっかりとメシを食って捜査して欲しい」
それが、幼馴染みを誘拐され傷付けられた俺に出来る精一杯だと、料理しか能がない情けない男だと自嘲するベルトランにリオンが頭を一つ振った後、いつも見ていたものと似通った笑みを浮かべ、腹が減ったから美味いメシを食わせてくれ、チーズを付けてくれたら最高と頬杖をつく。
「あ、ああ。待ってろ。メチャクチャ美味いメシを作ってくる」
「ダンケ、ベルトラン」
ウーヴェと二人だけの約束の場所に通してくれてありがとうと言葉には出さずに胸の中で頭を下げたリオンは、コニーが安堵に目を細めたことに気付き、ここにも感謝の言葉を伝えるべき相手がいると思い出すが、それは総てが終わってからにしようと決め、チーフが先に食べていろと持って来てくれたチーズをコニーに差し出して笑みを浮かべるのだった。
ベルトランの料理で腹を満たして動く気力を取り戻した二人は、まだ残っているミリタリーショップを当たろうとパトカーに乗り込むが、入ってきた時と同じように勝手口から出ていった二人を見送ったベルトランは、チーフが不安そうな声を上げたため、どうしたと顔を向ける。
「・・・オーナー、リオンが料理を残してます」
「何だって?」
この店に来るようになってから数え切れないほど食事をしているリオンだったが、ほとんど料理に手を付けていない事に二人が顔を見合わせる。
やはりウーヴェが誘拐された事はショックで、仕事だからと何とか平静さを保っているのだと見抜いたベルトランは、何とかしてリオンには食事をさせたいのにと溜息をつき、ゼンメルに挟んでサンドにすればどうだと他のスタッフに提案されて手を打ち付ける。
「これのサンドと他にチーズとサーモンのサンドも作ろう。サンドなら仕事をしながらも皆で食ってもらえるだろう。後で誰か署に届けてくれ」
「分かりました」
あの様子だとここに来たのも空腹からではなく、ベルトランが一日に一度は顔を出せと命じたからだとも気付き、義務感からではなくさっきも二人に伝えたように動き回れるだけの体力を温存して欲しいから来いと伝えたのにと頭に手を宛がうが、サンドならば食べられるだろうと頷き、夜のかき入れ時の前に署に持って行ってくれと伝えると、まだあと少し残っているランチの客を捌くために料理に取りかかるのだった。
ベルトランに不調を見抜かれていると思いもよらないリオンは、コニーと手分けをしてショッピングモールの中にある包丁などの刃物を専門に取り扱う店に入るが、携帯が無機質な音を立てたことに気付いて店の外に出る。
「ハロ」
『リオンですか?今大丈夫ですか?』
「マザー?大丈夫だけどどうした?」
電話の主はマザー・カタリーナで、モールの中央に置かれたベンチに腰を下ろして溜息をついたリオンは、耳に流れ込んできた言葉に勢いよく身体を起こす。
「何だって!?」
『フィレンツェの教会と連絡が取れました。その方が協力して下さって、少し前までドイツで働いていた教会の孤児院出身の人が何人かいると教えて下さいました』
マザー・カタリーナの声にはリオンの役に立っているのだろうかという不安が滲んでいたが、少しの沈黙の後リオンが一声吼えたため、どうしたのですかと慌てて呼びかける。
「今からホームに帰る!」
『え、ええ』
こちらに来るのなら気をつけて来るのですよと、いつもの言葉を最後まで伝えさせてもらえなかったマザー・カタリーナは、どうしたのですかとブラザー・アーベルに問われて携帯を不安そうに見つめるだけだった。
電話の向こうに不安を産み付けた事に気付かず、別の店から出てきたコニーを大声で呼ぶと、駆け寄ってくる彼に詳しいことは車の中で話すが今からホームに行くと伝え、覆面パトカーに向けて駆け出す。
さっきとは違って少し顔を紅潮させているリオンに何かあったのかと問えば、口の中で何か言葉を転がした後、昨日出勤前にホームに寄ってマザーの知り合いがイタリアにいないかを聞いたと伝え、勘の良いコニーがロスラーの傷口から発見された祈りの言葉かと横顔を見る。
「ああ。聖母マリアの祈祷文を傷口に突っ込む奴はどんな奴なんだろうなって思ってさ」
マザー・カタリーナが話したように、すらすらと祈祷文を書けると言う事は諳んじる事が出来ることであり、それは聖母マリアを深く敬愛するか同じ深さで憎んでいるかだと告げてタバコに火を付けると、コニーがやるせない溜息を吐く。
「愛憎の裏返し、か」
「ああ。で、ジルも孤児院出身だったなぁって。もしかして教会の孤児院かも知れないと思ったからマザーに知り合いがいないか聞いたら、いるって」
だからジルベルトの写真を用意して今夜ホームに寄るつもりだったが、あちらからの情報の方が先だったと笑い、これでロスラーの身体にあれほどの傷を残した奴の正体が分かるかも知れないと太い笑みを浮かべる。
「ジルじゃないのか?」
「昨日ボスにも言ったけどな、あいつが暴力を振るう相手って女ばかりなんだよ」
「え?」
二年前の事件の時、ゾフィーの髪を切って顔が変形するほど殴ったのはジルベルトだが、ゾフィーとチェコから来た女の子もレイプした男達には手を出していないと当時を思い出しながらリオンが呟き、でもその男達も結局殺されていたぞとコニーが返すと、それは不要になったから殺しただけであって拷問の末に殺したかった訳じゃないとリオンが返す。
「あいつが手を出すのは女だと思う。リアもそうだしゾフィーもそうだった。女に恨みでもあるのかな」
リオンの何気ない呟きは、今話題にしているジルベルト本人にも気付かない場所に封印された過去の出来事を見事に読み当てているのだが、そうと知らないリオンは、長い髪と白い肌がダメなんだろうともう一度呟き、ならばリアが腿を刺されただけですんだというのは奇跡的な事だなと安堵の溜息を零す。
「・・・ゾフィーみてぇに殺されなくて良かった」
その言葉に籠もる思いの一端をコニーは感じ取り、確かにそうだなぁといつものように暢気な口調で返すとリオンの目が一瞬見開かれ、次いでジルのくそったれ、早く出てこいよーといつもの軽口でコニーに返すが、マザー・カタリーナの知り合いはジルベルトを直接知っているのだろうかと問われて目を瞬かせる。
「どうだろうな。それを聞こうと思ってる。運良くジルを知る人がいれば良いんだけどな」
「何だったか、最短で七人の知人を介せば知り合いに辿り着くって考え方、その理論でいけば今は半分ぐらいまで辿っていけてるんじゃないか?」
「そーかもなぁ。そうだったら良いのになぁ。でもそんなに都合良くいくか?」
だったら後半分の知人を介してここ数週間のジルベルトの行動を知り、今どこにいるのかのヒントも得られるかも知れないのにと、観光客が迷い込みでもしない限り訪れない路地へと車を進ませたリオンは、ボロボロのフェンスの前に車を止めると、コニーを促して教会の敷地に入っていく。
コニーも何度か訪れたことのある教会だが、新聞に書かれたこと、テレビでも取り上げられたことから、教会を見る目が前日とは打って変わった冷たいものになっていることにまでは気付かなかった。
その冷たさをものともせずにマザー・カタリーナを呼びながらドアを開けたリオンは、出迎えてくれるブラザー・アーベルに手を上げ、イタリアの教会関係者と連絡がついたが、探している人の写真か何かがないかと問われ、コニーを振り返る。
「ジルの写真って署にあるかな?」
「あるんじゃないか?聞いてみよう」
マザー・カタリーナがいつも作業をしているキッチンに向かった三人だが、いつもは賑やかな孤児院が静まりかえっていることにリオンが気付いて問いかけると、何かあってからでは遅いから子ども達を協力してくれる人の家に預けた、今ここにいるのは大人達だけだと溜息混じりに教えられ、そうかと短く返す。
「リオン、写真があったそうだ。携帯に送って貰うか?」
「ああ、そうして欲しい」
キッチンに入り、リオンが来たことに気付いて立ち上がるマザー・カタリーナに黙礼をしたコニーは、リオンの携帯にジルベルトの写真を送ってくれと伝えて通話を終え、勧められた椅子に腰を下ろす。
「マザー、ドイツで働いていた孤児院出身のやつってどんなやつだ?」
待ちきれないで彼女を急かすリオンに一つ頷き、フィレンツェのある教会にシスター・テレサという方がいるが、その方の知人で孤児院の運営に関わっているシスターを紹介してくれ、その中に数名の思い当たる人がいると教えられたマザー・カタリーナがメモ書きをリオンに見せ、そこに数名の男女の名前が記されていたが、ジルベルトという文字を発見し、リオンがメモをコニーに突きつける。
「コニー、見つけたぜ!」
「リオン・・・!」
まさか本当に数人を介しただけでジルベルトを知る人にたどり着けるとは思ってもみなかったが、そんな奇跡的なことを目の当たりにしつつも冷静にコニーが別人の可能性もあると告げると、リオンの目が一瞬見開かれるが、確かにそうだと同意するように頷く。
「マザー、そのフィレンツェの方に写真を見て貰うことは出来ますか?」
マザー・カタリーナに己の携帯の画面を見せながら今連絡が取れるかと確認したコニーをメモを片手に見つめたリオンだが、携帯にヒンケルからの着信がある事に気付いて耳に宛がう。
「ハロ」
『リオンか。今BKAから組織の情報が入った』
「マジですか?」
『ああ。今どこにいる』
ヒンケルには刃物店を聞き込みに行くと伝えただけで孤児院に寄るとは伝えていなかったため、コニーと共にいる事を伝えると、少しの沈黙の後に嘆息混じりにロスラーの傷口から発見されたメモかと呟かれ、素直に頷いて何故ここに来たのかを伝えるとお前の考えは間違っていないと肯定されて目を見張る。
「ボス?」
『・・・ブライデマンだ』
「へ?ああ、組織の情報が入ったって?」
ヒンケルの溜息混じりの声の後聞こえてきたのがブライデマンのものだったために驚いてしまうが、どんな情報が入ったと問いかけると、ブロンドにブルーアイで一度目にすれば忘れられないほどの美形だと返されて素っ頓狂な声を上げる。
「は?」
『名前はルクレツィオ。数年前に組織を引き継いだらしい。拠点はフィレンツェだが今はローマを中心に活動している』
「そのサイコーに男前なルクレツィオが組織のトップ?」
『ああ。そのルクレツィオがイタリアから姿を消した。ジルベルトをオーストリアで見失った頃だそうだ』
ブライデマンの溜息混じりの言葉にリオンが目を見張り、一緒に行動していると言うことかと呟くと、組織のトップはこの1,2年は二人で行動することが多かったと報告書にもあるから間違いないだろうと返され、リオンが思わずテーブルを拳で一つ殴る。
その音にコニーとマザー・カタリーナが驚いてリオンの顔を見つめるが、今朝の写真からウーヴェを陵辱している男の面が割れたことに引き続き、ウーヴェの誘拐実行犯の名前が判明した事に知らず知らずのうちに興奮を覚え、もう一度テーブルを殴ったリオンは、そのことで会議をするから一度戻ってこいとの帰還命令に頷いて通話を終え、様子を伺うように見つめてくるコニーに署に戻ることを伝えると、マザー・カタリーナの頬にキスをし、フィレンツェの教会関係者に後から持ってくる写真も一緒に見せてくれと残して孤児院を飛び出していく。
「おい、リオン!」
取り残される形になったコニーが慌てて背中に呼びかけるが、早く来いと逆に呼ばれて苦笑し、マザー・カタリーナに捜査協力を依頼すると、ここに名前が挙がっている人物の顔写真が入手できればお願いしたいこと、こちらからも後で写真を送るので、確認をして貰って欲しいことをお願いし、ブラザー・アーベルにも一礼してリオンと同じように孤児院を飛び出すのだった。
ルクレツィオが先代から受け継ぎ、ジルベルトとともに大きくしてきた組織について、二年の間内偵を続けようやく詳細な情報を得られたと、BKAから届いた報告書を片手にブライデマンが刑事部屋のホワイトボードを囲むように集まった部下一同を見回して大きく頷く。
「今組織を仕切っているのは、ジルベルトの幼馴染みでルクレツィオ・ジネッティ。十代で組織を引き継いで大きくしてきた」
ルクレツィオ・ジネッティとコニーが口の中で呟き、配られた顔写真をリオンが穴が開くほど睨み付ける。
「確かに、一度見たら忘れられねぇほどの美形だよなぁ」
人身売買組織のトップをするのではなく、モデルか何かだったらもっと世間から騒がれるのにと率直な感想を口にすると、確かにモデルでも通用しそうだと周囲から同意の声が上がる。
「そのルクレツィオが、二週間ほど前イタリアから姿を消した」
ローマに移動したために内偵を引き継ぎながら続けていたBKAの部下から姿を消したとの連絡が入ったのは、オーストリアでジルベルトの行方を見失った頃と前後していて、二人が同時に動いている事から、新たな人身売買の取引があるかも知れないとの報告も受けていた。
東欧から少女達を誘拐同然に連れてきてはドイツ国内のFKKに売り渡していたルクレツィオ達だったが、フランクフルトの組織はロスラーが逃亡した二年前に半ば壊滅しているのだ。
その為、買い取った少女達をどこに集め振り分けるのかを調べていたBKAだったが、大きな取引が行われるような気配をどうしても感じ取ることが出来ず、焦りながら追跡した結果、ロスラーの死体を発見した事も報告され、皆が一斉に溜息を吐く。
「ロスラーを拷問したのはルクレツィオか」
ロスラーを残忍な方法で拷問した挙げ句に川で溺れさせるという非道な方法で命を奪ったのがジルベルトではなくルクレツィオだと結論づけたヒンケルは、そこまで非道なことをしたのが元の仲間でなくて良かったと言う安堵を部下の顔に見出すが、ジルベルトの本質が暴力的であることを、ゾフィーの遺体を思い出して身体を震わせる。
その暴力的でサディスティックな二人が一緒に行動している事、リアを負傷させたのがジルベルトだと判明している事から、激高する気持ちを抑えている素振りを見せないリオンの横顔を見つめるが、ベルトランの写真でウーヴェが今まさに命の危機に曝されているのだと不意に強く感じてしまう。
「ボス?」
「・・・何でも無い。ドクのクリニック前での目撃情報はなかったのか?」
「これだけの美形なら覚えていそうですが、これといって目撃情報は出ていません」
ダニエラがヴェルナーと一緒に回った結果を残念そうに報告し、車でアパートに入ったのなら目撃される可能性が低いと告げ、車の特定を急いで欲しいと鑑識にも注文を付ける。
「ジルとルクレツィオの写真を持ってナイフを扱う店を回ってみます」
もしかすると店員が覚えているかも知れないとコニーが手を上げ、リオンに同意を求めるように頷くと、リオンも賛成と首を縦に振る。
「ローマとフィレンツェの組織だが、二人がいない今のうちに現地の警察と協力して強制捜査することになった」
「遊んでいる間にお家が火事になるって気の毒だよなぁ」
ブライデマンの言葉にリオンがどういうつもりなのか、部屋の隅にあるコーヒーメーカーから決して美味くないコーヒーを紙コップに注いで飲んでいたリオンが、鼻歌を歌いながら留守宅の火の始末には注意をしなきゃいけないぜと目を細めるが、皆の視線が集中していることにどうしたと首を傾げる。
ウーヴェの誘拐が発覚以降、リオンの感情がいつ爆発するかを皆が心配しているのに、それをよそに鼻歌を歌えるなんてと、ダニエラが目を吊り上げそうになるが、それを止めたのもまたリオンの言葉だった。
「・・・分かってるよ、ダニエラの言いたいことは。でもさ、こうでもしてなきゃ・・・」
到底爆発を抑えることが出来ないと、昏い顔で笑ってコーヒーを飲むリオンに誰も声をかけることが出来ず重苦しい沈黙が室内を包むが、それを破るようにリオンの携帯が有名なピアノ曲を流し、微かに震える手で携帯を取り出すと、同じく震える声で返事をする。
「ハロ・・・オーヴェ?」
リオンの携帯から流れるピアノ曲はただ一人を示すものであり、それをここにいるブライデマン以外は知っている為、携帯に震える声で呼びかけるリオンの言動に集中し、そうと知ったリオンがスピーカーに切り替える。
『────久しぶりだなぁ、リオン』
「ジル!!」
スピーカーから聞こえてきた声は携帯の持ち主のウーヴェではなく、今まさに探し求めているジルベルトのもので、スピーカーから懐かしい声を聞いた面々はそれぞれ驚愕の表情でヒンケルを見、その後リオンを見つめて誰も言葉を発することが出来ないのだった。
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2017.06.25
今回はアリーセ・エリザベスが登場です。がんばれ、リオンっ(笑)


