『へぇ・・・お前、カインって言うんだ。お前の親ってさ、シャレの分かるヤツだったんだな』
春と言うには名ばかりの、日中でもまだまだ寒さを感じるある日の早朝、白い息を吐きながらくすんだ金髪を一つに束ね、年季の入ったブルゾンの襟を立てた少年が唇の両端を持ち上げて笑い、咥えていた煙草を投げ捨てると隣に立つ少年とも青年とも付かない彼の横顔を見上げる。
『・・・・・・うるせぇ』
『良いじゃねぇか。俺はカインってお前の名前、好きだぜ』
彼にしてみればその一言は意外としか言いようのないもので、灰色の冷たく光る双眸を見開いて隣に立つ少年の顔を見下ろせば、同年代の少年とは思えない顔で取り出した煙草に火をつけるとジッポーを向けてくる。
有り難く火を借りて煙草の煙を肺の中まで吸い込んで煙が立ち上っていくのを見上げると、立っているのが怠いのか、フェンスにもたれ掛かりながらその場に座り込み、屋上の端から足を垂らす。
『お前は誰なんだ?』
『俺はリオンだ。・・・ホームのババアが付けてくれた名前らしい』
『ホームのババア?お前の親じゃねぇのかよ』
彼のもっともな問いにすぐに返事はなかったが、遠くを見つめるように目を細めた少年が煙を吐き出し、夜と朝が同居する絶妙な空に笑いかける。
『俺は生まれてすぐに捨てられたから、親はいねぇ』
『ふぅん』
色々有るんだなと年齢よりも上に見える顔で笑うと立ち上がって伸びをし、帰って一眠りするかと欠伸混じりに呟かれ、彼もつられるように欠伸をするが、リオンと名乗った少年がホームに来いよと笑顔で手を出してくる。
その手を取るかそれともはね除けるかの選択をするように目を細めるが、そんな彼が答えるよりも先に不思議と温かさを感じさせる手が手を握って来た為、その手の温もりが心の内に滑り込み、幼い頃に喪ったものと一つになって胸郭に溢れかえる。
『────っ!!』
『来いよ、カイン』
こんな夜とも朝とも付かない時間にここにいたのだからお前も独りなんだろうと、青い眼に底の見えない闇にも似た寂寥感を漂わせ、一緒に来いと唇の端を持ち上げたリオンに彼、カインが無意識のように頷きかけるが、素直に従う心など家族が離散した夜に喪っていた為、勝手に決めるなと言い放って自分で決めると頷くと、逆にリオンの手をぐいと引き寄せる。
『ゼップっていうヤツがいてさ、そいつといつも一緒に連んでる』
お前とも仲良くなれるはずだと笑い、少しだけ明るくなった空を見上げて目を細めたリオンにカインが素っ気なく頷き、ポケットに手を突っ込んで歩き出す。
この時のこの出会いが、先の見えない闇の中にいた彼を陽の当たる場所へと導く一筋の光明となるのだが、この時の彼らにそれを理解する余裕など当然なく、ただ偶然知り合った同年代の面白そうな男だという認識しかないのだった。
日本であれば五月晴れだと笑顔で天を仰ぎたくなるような朝、いつものように恋人よりも早く起きて朝食の支度を始めていた千暁は、珍しく目覚ましの音だけで起き出してきた長身の恋人に目を瞠り、それでもやはりまだ眠いらしくぼんやりとしたまま腰を折っておはようのキスをしてきた為、照れながらも何とかそれを受け止めて広い背中を撫でることで返事にする。
「先にシャワー浴びてくる?」
「・・・ああ」
その間に朝食の用意をしておくと片目を閉じると、微かに笑みを浮かべて寝癖に乱れる赤い髪を手で押さえた彼、カインが大股にベッドルームのドアを開け、庭に直接出て行くことも出来るサンルーム内にあるシャワーブースのドアを開けると、コックを捻ってブース内を温める。
元々この家のバスルームは北側にあるものだけだったのだが、カインが千暁と二人で暮らすことに決めてこの家を購入した後、自分の思い描いた家にするために手を加えた結果、ベッドルームの南北にそれぞれバスルームが出来上がってしまったのだ。
北側のバスルームにはトイレと映画などに良く出てくるような猫足のバスタブがあり、バスルームとしては十分な広さがあったが、南側のバスルーム-正確にはサンルーム-は一見すればまるで植物園か温室に迷い込んだのかと勘違いしてしまいそうな程緑や南国の花々が溢れる空間になっていて、その片隅にガラス張りのシャワーブースと二人が入ればちょうど良い大きさのジャグジーがウッドデッキの一部に設えられ、ウッドデッキは籐の椅子の置き場所以外はほとんど見えないほどの観葉植物で埋め尽くされていた。
この家に越してきた当初、初めてここを見た千暁がぽつりと呟いたのは、ジャングル風呂という日本語だった為、どういう意味だとカインに問われて無言で溜息を零した事があったが、日々ここで暮らして風呂に入り、時にはカインと一緒にジャグジーでゆったりと湯に浸かっていると本当に気持ちが良くなり、今では千暁も何処かに出掛けたときにはこのバスルームに相応しいものを見つけては買ってくる程になり、ここの緑が溢れるバスルームと天窓から降り注ぐ日差しが気持ちよくて、晴れた日にはサンルームの折りたたみの扉を全開にし、籐の椅子に腰掛けてお気に入りのレコードを聴いたりするようになっていた。
そのミニ植物園の片隅のブースが湯気で曇り始めた為、ベッドに下着類を脱ぎ捨てて大股にガラスのドアを開けたカインは、躊躇することなく頭からシャワーを浴びて睡魔の残滓を洗い流す。
「カイン、着替え置いておくよ」
恋人が最も大切にしている朝の時間を邪魔しないように気遣いつつ、着替えとシャツとネクタイをベッドに置いた千暁は、曇っているガラス越しに呼びかけ、赤い髪を泡まみれにしたカインが振り返った為、笑みを浮かべて指でベッドを指し示すと、朝食の仕上げに掛かる為に踵を返す。
「────アキ」
「え?どうかした?」
その時、千暁の背中に声が掛けられて慌てて振り返った彼は、綺麗さっぱり泡を流した恋人が目を細めてじっと見つめてきた事に呼吸を止めそうになるが、水滴を纏った綺麗な指先が顎に宛がわれた事に気付いて大きな目を更に大きく見開くと、濡れた音を立てて唇にキスがされ、ただ呆然とグレーの切れ長の瞳を見つめてしまう。
「野菜ジュースはあるか?」
「え?あ、あ、う、うん。準備出来るっ」
朝食のリクエスト-何故だかいつもキスがおまけについてくる-に千暁が真っ赤になって応えられると返すと、くすりと楽しそうな笑みを零したカインが目を細め、千暁の頭に手を載せてセロリは抜いてくれと片目を閉じる。
「仕方ないなぁ。特別に抜いてあげましょうか」
「着替えたら行く」
「うん。じゃあパンも焼いておくから」
なるべく早く来るようにと腰に両手を宛がって上目遣いにカインを見つめた千暁は、生真面目な顔で頷く彼に目を細め、軽い足取りでベッドルームからリビングを通り抜けてキッチンに向かうのだった。
千暁が密かに見惚れる出で立ちになったカインがキッチンへとやって来た為、ちょうど焼き上がったライ麦パンにチーズを載せ、自身はソーセージとハムを取り分けてカウンターで向かい合わせに腰掛ける。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
二人で暮らすようになり、千暁が食事の度にいただきますとごちそうさまを告げる為、いつしかカインもそれをするのが当たり前になったようで、カインが手を合わせたのを見た千暁が口元に微かに笑みを浮かべてどうぞお上がりと掌を向ける。
料理をするときや一日の始まりである朝食時、許されるのならば何か音楽を聴いていたいと恐る恐る言い出した千暁にカインは素っ気ない程の呆気なさで好きにすればいいと告げた結果、二人が朝食を食べるときには耳に心地よい控えめな音量でクラシックが流されるようになったのだが、今日は珍しい事にクラシックではなくテレビから流れ出すニュース映像がBGMになっていた。
「・・・あれ?」
位置的に言えばカインの背後、壁に吊した小型のテレビを見ていた千暁だったが、ふと違和感を抱いて周囲を見回し、その違和感の元が何であるかを発見した瞬間、大きな目がこぼれ落ちそうなほど見開いてカインの名前を呼ぶ。
「ピアス外したの?」
「?」
「右耳のピアス、外れちゃったのかな?」
いついかなる時もきみの耳を飾っているクリスタルのピアスが無いと千暁が告げたその瞬間、今まで見た事もないような恐ろしい顔で己の耳に手を宛がってピアスが外れている事を確認したカインだったが、千暁が何かを告げるよりも早くにキッチンを飛び出していく。
出会った当初からそうだったのだが、カインの顔を彩っているのは皮肉な笑みか冷たい表情ばかりで、初対面の人にしてみればその表情だけで自分は歓迎されていないと思い込むが、今のような真剣さを通り越した焦燥に駆られた表情は初めて見る為、思わず千暁も椅子から飛び降りると、激しい物音が響くベッドルームへと駆け込む。
「カイン?」
「アキ、さっきシャワーを浴びていた時にはあったか覚えているか?」
「え?ごめん、はっきり覚えてない。気付いたのは今だったから…」
いつもあるものだから無くなる事など想像も付かなかった為、そこにあるとばかり思い込んでいたと肩を落とす千暁にカインが舌打ちをし、それを聞いた彼がびくんと肩を竦めて更に小さくなった為、今度は自らに短く鋭く舌打ちをしてお前に腹を立てている訳じゃないと出せる限りの優しい声で千暁の身体に腕を回す。
「・・・ごめん」
「今も言ったが、お前に対してじゃない」
「・・・うん・・・でも、どこに行ったんだろ?」
昨夜もベッドの中で互いの背中を抱き合ったが、その時は確かに暗闇の中でもきらりとピアスが光っていた事を思い出した千暁は、シャワーブースを後で探しておくと笑顔で告げるが、カインはなおもベッドの上をひっくり返したり床をじっと見つめながらうろうろとピアスを探し出す。
「カイン、本当に遅刻するよ。ぼくが後で探しておくから」
「・・・あのピアスが無いと・・・」
時折見せる恋人の癖でもある親指の爪に歯を立てながら呟かれて驚きに目を瞠った千暁はあのピアスは確かリオンに貰ったんだよねと問いかけ、素っ気ない言葉で頷かれるが、その横顔にはかなりの焦燥感が滲んでいて、本当に大切なものなのだと言葉以上に教えてくれていた。
「大切なんだね」
「・・・お前も恩師に貰ったハーモニカがあるんだろう?」
それと同じかそれ以上に大切なものだと冷笑されてぐっと言葉を飲んだ千暁だったが、そんなにも大切なものなのだから後でぼくが絶対に見つけ出すよと小さく笑い、灰色の瞳に睨まれても笑みを消すことなく頷き、心配だろうけどぼくに任せてくれないかと告げれば、不意に目の前が真っ暗になり、背中に回った温もりと髪を通して伝わる吐息から抱きすくめられたことに気付き、シャツの背中を握って絶対に見つけると断言する。
「・・・…頼む」
限られた人だけが聞くことの出来るその言葉に千暁が頷き、見つけたら会社に持っていこうかと言いかけた矢先、見つけたのなら持っていてくれと感情の籠もらない声で言われてしまい、喉元まで出掛かった言葉を呑み込んでしまう。
「行って来る」
「・・・うん。気をつけて」
いつもに比べればぎこちない行って来ますのキスを互いに交わすと、カインは慌ただしくジャケットを手に取るとリビングから廊下へ向かい、荒々しくドアを開閉させてガレージのシャッターを開けたらしく、少ししてからシャッターが自動で降りた音が微かに響く。
「せっかく持って行こうって思ったのにな…」
リオンとの思い出が籠もっている大切なピアスだし、何よりもあんなにも不安げで焦燥に満ちた表情のカインなど見たことがなかった千暁は、その事からもそのピアスがどれだけ彼にとって大切なものであるかを感じ取ったのだ。
だから見つけたのならば真っ先に会社に持っていこうと思っていたのに、まるでそれを拒絶するような声で持っていてくれと言われてしまえば何も言えず、だが己の心が取りたがっていた行動を押し止められた不満を尖った唇で表現した千暁は、気分を切り替えるようにベッドに腰掛けるがそのまま背後に倒れ込んで腕を左右に広げる。
千暁は耳や身体へのピアスを着ける事に関して興味も関心も無かった為、カインが着けているピアスがどんな種類のものかなども分からなかった。
恋人の耳には幾つかのピアス穴が開いていて、休日や旅行に出掛けるときにはそれぞれにピアスがされるが、トラガスと呼ばれる場所に着けられている、小振りながらも見栄え良くカットされているクリスタルのピアスだけは外されることがない事実しか分からなかった。
どちらかと言えば気に入ったものはすぐさま購入し、飽きると同時に捨てる様なカインが文字通り四六時中それを身に着けていて、それを外した所を千暁が見たことは本当に数えるほどだったのだ。
その事実に気付くと同時に千暁の胸にもやもやとした何かが漂い始める。
いつも笑顔で陽気で楽しい自分の友達でもあるリオンに対し、嫉妬してしまうなど自分自身に対して許せるはずがなかった。
嫌な気分を振り払うように寝返りを打ってだらりとベッドから手を垂らした千暁は、そのまま腹這いになってベッドから乗り出して絨毯が敷き詰められている床を見渡し、シーツを捲り上げてベッドの下まで覗き込んでみるが、残念ながら発見できたのは我がもの顔で居座っている小さな綿埃だけだった。
「ホント、何処に行ったんだろ?」
小さなクリスタルのピアスを探すためにベッドから飛び降り、カインが昨夜から今朝に掛けて立ち寄ったであろう場所や、クローゼットに吊してあるスーツを念入りに調べていくが小さなピアスはなかなか見つからず、少し休憩した方がもしかすると見つけやすいかも知れないと掌に拳を軽くぶつけて頷くが、心の何処かがカインの焦燥感に満ちた顔を思い出せと囁いて背中を押してくる。
その力に背中を押されるように頬を両手で軽く叩いた千暁は、今朝も使用したサンルームのシャワーブースにもしかするとあるかも知れないと考え、ドアを開けて緑と日差しを受けた水滴が光るブースのドアを開けて床を覗き込む。
カインがそれなりにきれい好きな為にタイル張りの床には泡や髪などは残っていないが、大きな目を更に大きくしながらタイルに膝を突いて掌で湿り気を帯びたそこを撫でながらももしかすると湯や泡と一緒に排水口に流れてしまったかも知れないとの思いは消えなかったが、きっと大丈夫だと己に言い聞かせながらさほど広くないブース内を見回したとき、ガラスのドアを通して差し込む光に何かがきらりと反射をする。
「─────あった!!」
排水口の蓋とタイルの目地の間に辛うじて引っかかっていたそれをそっと手に取り、歓喜に顔を輝かせた千暁は、安堵に胸を撫で下ろしつつその場に座り込んでしまう。
「冷たっ!!」
タイルがまだ湿っている事を失念していた千暁が尻に感じた冷たさに飛び上がるが、手の中できらりと光るピアスが発見できた事が嬉しくて、早くカインに伝えようと鼻歌交じりにリビングへと向かい、テーブルに置いてある子機を片手にソファに座り掛けて慌てて立ち止まると、カインに見つけたことを早く伝えたい一心で子機を耳に宛うが、残念ながら呼び出し音が途切れてカインの声が聞こえてくることはなかった。
このピアスが無いと不安だと言いたげな顔で爪を噛んでいたカインの横顔を思い出し、次いで持っていてくれと無表情に告げられた事を思い出して双方を脳内の天秤に載せてみるが、ごく自然と会社に持って行く方へと荷重が掛かり、怒られたときは怒られた時だと千暁が腹を括る理由になる。
見つけたピアスをハンカチに包んでテーブルに置くと、濡れた服を着替える為にベッドルームに駆け込み、見つけて持って来た事への感謝の言葉が聞けるかも知れないと楽天的な事も思い浮かべつつ着替えを済ませると、今ではもう乗り慣れた電車に乗る為に駅に向かうのだった。
やはりあのピアスが無いと不安で仕方がない。
千暁にははっきりと告げる事はなかったが、今まで外すことの無かったピアスを外している今、気が付けば指がピアスが無くなってぽっかりと空いている穴の周囲をまさぐってしまっていた。
思い出のピアスなどという言葉では片付けられない程の重さを持つ、そのものの価値で言えば10ユーロもするかどうかも怪しいそれが-価格をつけることが出来ないほどの思い出はこもっている-見つかったかどうかが気になり、仕事中に珍しく何度も携帯に手を伸ばして電話を掛けそうになる。
だが今いる場所がどこであるかを思い出し、拳を握って己の感情的な思いを押し止めていたカインは、同僚が随分と苛立っているわねと声を掛けた為、無言で彼女を睨み付ける。
この街に戻ってきてから就職した証券会社で知り合った彼女は、程なくしてカインと関係を持ち、公私にわたってパートナーとして彼の傍にいたが、カインが千暁と同居をはじめ、様々な出来事を乗り越えるようになった頃に私生活でのパートナーとしての関係を解消したのだ。
だが同じ会社に勤めている為にこうして言葉を交わすこともあり、時には仕事とは関係のない話をしたりもするが、今日はさすがに彼女の言葉に付き合う余裕がカインにはなく、煩いと一言言い放って席を立つ。
「…煩くて悪かったわね、失礼」
さすがにカインとパートナーを組む女性だけはあって、キツイ一言にも動じることなく冷笑で返し、書類を豊かなバストに押しつけるように抱えて立ち去ろうとするが、ロビーへと向かう長身の背中に思い出した様に声を掛ける。
「ああ、そうだわ。さっきロビーでガードマンに小学生の男の子が追い返されていたわ」
「だからどうした?」
「別に。その男の子が東洋人であなたの家にいた子に似ていたと思っただけ」
でも残念ながら私には日本人と中国人の区別など付かないわと笑い、今日の昼からの会議の資料には目を通しておいてよと言い残して足音高く立ち去っていく。
彼女の一言に息を止めてしまうほど驚いたカインは、その背中が完全に見えなくなると同時に長い足を踏み出して小走りにロビーへと向かう。
この街にあっては珍しく現代的なビルのロビーにはそれでも要所要所に落ち着ける為のスペースが用意されていて、ロビーを見回すと顔馴染みになっているガードマンがカインに会釈を送ってくる。
カインが彼の傍に駆け寄り囁かれた言葉に従う様に視線をガラス張りのドアの外に向けると、壁により掛かって空を見上げる小さな背中が目に飛び込んでくる。
もしもここに100人の東洋人がいたとしても絶対に見分けられる背中に最大限に目を瞠り、そんなカインの顔にガードマンが驚きの声を挙げそうになる。
仕事中にはほとんど表情を変える事のない彼が驚きを顔に出した事だけでも驚きだったが、直後にアキという名前を呟いてドアに向かって歩き出す。
「アキ!!」
「・・・あ、カイン!」
自動ドアが開くのも待てないのか、ドアを手で掴んでこじ開けるように肩を押し込んで外に出たカインは、振り返って顔を輝かせる千暁の腕を掴むと同時にビルの左右にある植え込みの横へと引きずっていく。
「カイン、痛いっ!!」
「・・・・・・どうして来た」
植え込みを通り抜ければベンチが二つ置かれている広場に出た為、腕を離してくれと千暁が痛みに顔を顰めながら頼むと、突き飛ばすように手を離されてしまって蹌踉けながら壁に背中をぶつけるが、背中よりも腕に走る痛みが強くて和らげるように何度も腕を撫でながら端正な顔を見上げる。
「どうしてって…見つかったから持ってきた」
大切なピアスが見つかったから持ってきたと、バッグからハンカチに包んだピアスを取り出した千暁だったが、最大限の不機嫌さを現すように煙草に火をつけたカインが自分の頭を囲うように両腕を付いた為、その腕の中で視線をぶつけると同時に背筋に嫌な汗が流れ落ちる。
「・・・見つけたのなら持っていてくれと言っただろう?」
「そう、だけど…でも…っ」
その言葉を発した時の顔を思い出せばやはり帰宅を待っている事など出来なかったと、己の思いを伝えるように拳を握ってしっかりと顔を上げた千暁だが、見下ろされる灰色の双眸が無表情に光った事に気付くと顔中から血の気が引いていく。
「帰れ」
今すぐ帰って二度とここには来るなと、千暁が初めて聞くような冷たい声で言い放つと、真っ青な顔で震える恋人をその場に残すように踵を返す。
立ち去る背中に声を掛けることも何も出来ずにただ呆然と見送った千暁は、植え込みを通り抜けていく物音だけを聞いていたが、ずるずるとその場に力なく座り込むと頭を抱え込んで蹲りそうになる。
怒られたときは怒られた時だと楽観的に考えた己の浅慮を笑い飛ばしたくなるが、あんなにも冷たい声と顔で帰れと言われた事など今までなく、ああ、やはり彼の言葉を守って家で待っていればよかったと自嘲に肩を揺らす。
自分にとって大切なものであればこうして届けて貰える事は嬉しい事だった為に飛び上がって喜んでしまいそうだが、カインは自分とは違う思いを持っている事に気付き、自分の馬鹿さ加減にいつまでも笑い続けてしまうのだった。
陽の当たる場所 | Next
2011/06/25


