Wings at Rest.

Tomorrow Will Be Better — Because of You.
 2万人近い大歓声が響いていたアリーナを背に、徒歩で帰宅できるコンドミニアムに帰ってきたスティーヴンは、今日はいつにも増して左膝の古傷が存在感を増している気がし、18階の自宅に上がる箱の中でやるせない溜息を吐く。  今頃、今夜の敗戦の弁を集めようとマスコミがロッカールームで囲み取材をしているだろうが、感情的な言葉を引き出そうとするマスコミが狙うのは、今夜、珍しく荒れたプレーをしていたディフェンスのロイだろう。  今日もゲーム前に身体を休める為、スティーヴンのコンドミニアムのソファで昼寝をしたのは、チームのディフェンスであり、プライベートではスティーヴンの恋人でもあるロイ・キャラハンだった。  ホームゲームの時には必ずスティーヴンの部屋で昼寝をして体力の回復を図るロイだったが、今日も勿論それをしたのだ。  ただ、いつもと違ったのは、目覚ましがなくても時間が来れば目を覚ますロイが、今日に限ってはスティーヴンが何度も起こさなければならないほど、寝起きがすっきりしないことだった。  もしかして体調が悪いのかと思いつつも、数時間後に始まるゲームのためにアリーナに出向く準備をしたロイは、心配そうな顔でも信じていると教えてくれるスティーヴンの後ろ髪を掴んで行ってきますのキスをした後、静かに出て行ったのだった。  それを思い出すと、もしかすると今日は身体が重かったのだろうかと思案し、辿り着いた18階の自宅ドアの前に向かう。  今日はきっと荒れた様子で帰ってくるだろう。  半年近くのレギュラーシーズンを戦い、プレーオフも近付いてきている。勝つ日もあれば、負ける日もあって当然だった。  選手達は本当に良くやってくれていると、リンクの上で一緒に戦うことは出来ないスティーヴンなどは感謝の言葉ばかりが出てくる。  だがその言葉の奥に、己がもう少し強く今日のロイの不調を考慮した方が良いと、コーチ陣に伝えれば良かったのではないかという不安が潜んでいた。  それを思うと、出てくるのは悔いというよりはロイに対する申し訳なさばかりが、枯れることのない泉のように湧き出してくる。  今頃囲み取材をされ、感情的な言葉を引き出されているであろうロイの姿が脳裏に浮かぶと、自宅玄関のドアを思わず殴ってしまう。  その音が意外と廊下に響いてしまい、誰もいないと分かっていながらも周囲を見回してしまう。  慌てて鍵を開けて中に入ると、力なくチャッカブーツを脱いで玄関と廊下の仕切り役になってくれているラグの端に並べる。  ゲームに勝ったときはバスタブに一緒に入るが、今夜それをすり気力があるだろうか。  こんな時でも覚える空腹に呆れつつ、廊下を通ってフロストガラスが納まっている引き戸を開けてリビングに入る。  ブラインドを上げているフルハイト窓からはデトロイトの夜景が見えるが、窓に息が掛かる距離にまで寄ると、徒歩5分のアリーナから出てくる人の姿が小さく見えていた。  このままその人達を見ているだけで精神上良くないと気付き、前髪を掻き上げた後にアイランドキッチンのコーナーを回り込み、冷蔵庫の前に向かう。  その時、チームジャケットのポケットに突っ込んであったスマホが着信を告げ、溜息を吐いた後にそれを取り出すと、表示されている三文字に眉が開き、心の中の靄が一瞬で晴れていく。 「ハロー」 『……もう家に帰ったか?』 「ああ」  ついさっき家に着いたと、スマホを肩と頬で押さえながら冷蔵庫を開けたスティーヴンだったが、今からそっちに行っても良いかと問われ、思わず冷蔵庫の扉に反射する男の顔を見つめてしまう。  敗戦の夜は何を話せば良いのか。  どちらかと言えば口数が少ないスティーヴンはいつも以上に悩んでしまい、少し苦手だった。  だが、マスコミの囲み取材で何か不愉快な言動を取らされたのではという不安から、思わず勿論と返してしまう。  今までの己ならば、苦手なものは苦手だからと、例えそれが恋人であっても拒絶するときはしていただろう。  だが、ロイと付き合い始めてからは、そんな己の気持ちよりもロイが何を望むのかを考えるようになっていた。  だから今も早く来いと急かすような言葉を告げると、一瞬の沈黙の後にくすりと小さな笑い声が耳に流れ込む。 『飛んで帰るから南側の窓を開けててくれ、スティ』 「……残念だな、フルハイト窓は飛んできたお前が入れるようにはなってない。だから歩いて来い」  軽口に軽口で返しつつも、スティと呼ばれたことから、ロイの周囲には誰もいないのだと気付き、冷蔵庫から開けておいてくれと頼まれた窓の前に向かい、ブラインドの紐を引いて一気に下ろす。  この部屋に来るロイは、選手としてではなく、スティーヴンより5歳年下ながらも頼りになるロイ・キャラハンという男なのだ。  選手ではないロイをスティーヴンは誰の目にも留まらせるつもりはなく、例えこの部屋を見ているのが上空で輝く星々や月であったとしても、見せるつもりはなかった。  だから、南から東へと繋がる窓の全てのブラインドを下ろした時、何か食いたいと呟く声が聞こえてきたことに気付き、ほんの少し呆れたような声を返してしまう。 「マッシュポテトとTボーンならある」 『サンクス』  その声はわざと陽気に振る舞っている時のもののように感じ、ふうと息を吐いたスティーヴンは、早く帰ってこいとの思いを込めたキスを音で届けると、疲労感の滲んだ、ああという声が返ってくる。  それを合図に通話が終わり、不意に部屋の静けさに身体を震わせたスティーヴンだったが、ロイに告げたように肉を焼く準備をしようと冷蔵庫を開け、腹が満ちれば不安も焦燥も少しは納まるだろうと気付き、気怠いはずなのに、恋人のためと思えば自然と力が出てくる己に呆れてしまうのだった。  通話を終えて程なくした頃、ドアベルが鳴らされ、インターフォンの画面を見ると同時にボタンを操作し、ドアロックを解除する。  壁のモニターから再度冷蔵庫の前に戻り、ノンアルコールビールを取り出した時、玄関のドアが開く音が小さく聞こえてくる。  いつもより重い足取りの大きな身体が入ってきたかと思うと、スティーヴンの背後に回り込んで後ろから抱きしめてくる。  自分はディフェンスだと豪語し、スティーヴンが常に抱える悩みや不安に明快な答えをくれる男が、限られた人にだけ見せる顔を、今見せている。  その事実にノンアルコールビールのボトルをシンク横に置くと、己の顎の下で交差している逞しい腕をそっと撫でて頭を傾げて軽く肩に寄せる。 「Tボーンとマッシュポテトで良いか?」 「……うん。ブロッコリーもあれば最高だな」 「ああ、勿論ある」  お前の好きな食材だろう、冷凍庫に常備してある。  ひっそりとした声は敗戦の衝撃を強く滲ませていて、肉を食べて風呂に入り、同じベッドで朝を迎えるときには消し去ってくれと願い、背後を振り返って小さく笑いかけると、碧に近い青い瞳が細められ、口ひげの下の唇が小さく持ち上がる。 「肉を焼くから何か飲んでくれ」 「……スティ」  スティーヴンの言葉に小さく愛称で呼ぶ声が重なり、どうしたと問いかける代わりに小首を傾げる。 「お前が勝つためにいつも考えてくれているのに、今日は俺のミスで負けてしまった」  悪かったとぼそりと謝罪をされ、思わずロイの腕の中でくるりと振り返ったスティーヴンは、落ち込む顔を上げさせるため、額に額を重ねて目を閉じる。 「明日、同じ失敗をしなければ良い」 「……出来る、かな」  スティーヴンの声に返ってくるのは、俄には信じられない弱々しい声だった。  思わず両手で整えられている顎髭を挟むように顔を上げさせたスティーヴンは、眼鏡の奥から強さの中に決して喪う事の無い情を込めて見つめ、ヘイと軽く呼びかける。 「ヘイ、ホッケーボーイ、今まで何度も負けてきただろう?」  今夜の一敗もその中の一つになる、何をそんなに悄気ているんだ。  スティーヴンの珍しい挑発するような言葉に、ロイの目が見開かれた後、一度ふいと逸らされるものの、すぐに戻ってきた青い目が、己よりも薄くて怜悧さを感じさせる青い瞳を見つめる。 「……だから、そんな悄気た顔をするのは、肉を食べるまでだ」  腹が満ちればきっとお前の中の箱にその気持ちを収められる。  スティーヴン自身も幾度も経験してきた感情、それを処理する方法をそっと囁き、口ひげの下の唇に小さな音を立ててキスをする。 「偉大なパパを今や追い越そうとしているホッケーボーイ、ホッケータウンの申し子のロイ。明日はお前らしいショットを打ってチームを守る姿を見せてくれ」  両頬を手で挟み、鼻の頭が触れ合う距離で笑うスティーヴンの言葉がロイの耳から心臓に届き指先へと流れていったらしく、スティーヴンの腰を両手で抱き、コツンと額を重ねてくる。 「……オニオンソースが良い」 「マッシュルームも入れようか」  ふ、と息を吐いたロイが次に告げたのは、ステーキソースのリクエストで、自然と笑みを零したスティーヴンが上目遣いに恋人を見つめると、そこには敗戦の衝撃を薄れさせ始めたいつものロイの顔があり、安堵の息を吐く。 「……サンクス、スティ」 「ああ」  落ち込んでいるお前などいつまでも見ていたくない、リベッターズの熱狂的なファンはそう思っているだろう。  そう笑って腹に拳を押し当てるスティーヴンだったが、何かを躊躇ったように視線を泳がせた後、一番それを望んでいるのは俺だと小さな声で続けてしまう。  練習時のゴーリーに、あいつのショットを受けるのは本当に痛いから練習時に本気でショットを放つなと、本気なのか冗談なのかが分からない顔で言われているが、リンクに立てば誰よりも頼りになるロイ・キャラハンを、いつまでも誰よりも見たいと思っているのは他でもない俺だ。  スティーヴンが珍しく本音を素直に吐露している様子にロイの目が見開かれるが、何かを決意するように閉ざされた後、再度見えた青い瞳には不安な色など一切浮かんでいなかった。 「スティ……ステヴィ……サンクス」  お前のその言葉がどれ程俺を励ましてくれているのか、きっとお前自身は理解出来ないだろうが、本当に感謝している。  ロイの言葉から己が呟いた言葉の意味を察したのか、目尻を赤く染めるスティーヴンのメガネをそっと取り上げたロイは、何度か目を瞬かせる恋人に一つ頷き、最後の確認をするように問いかける。 「俺は、やれるか?」 「お前ならやれる。……お前以外の誰がやれるんだ?」  その言葉はロイのホッケー選手としての基礎を固めたもので、ホッケーマニアと幼馴染みでありライバルである親友達に揶揄われる程、ロイの魂に刻まれていた。  それを受け取り、ああと頷いたときには帰宅時とは同じ男とは思えない顔になっていて。 「……サンクス、スティ」  感謝の言葉を三度告げたロイは、頷くスティーヴンの腰を抱き寄せ、目を伏せる恋人の薄く開く唇にキスをするのだった。  そして、スティーヴンが望むよう、しっかりと腹を満たし、明日の朝からの練習にも耐えうる疲労回復を図ろうと、どちらからともなくベッドに潜り込むと、ロイがスティーヴンを背中から抱きしめ、お休みのキスを頬にする。  それを受けたスティーヴンは、同じ場所には返せないからと、己の腹の前に垂らされている大きな頼りになる手を顔の傍に引き寄せ、そっと指を絡めた後に口付ける。 「お休み、ロイ」  きっと明日は、良い一日になる。  その囁きの後、穏やかな寝息が耳に届き、無意識に安堵の息を枕に落としたスティーヴンも、ロイを追いかけるように目を閉じるのだった。    
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  2026/03/09 こんな夜もきっとありますよね。スティーヴンがロイを支える時はきっとこんな感じかと。