初夏の太陽が、これから自分の季節がやってくるとばかりに地上を照らし、真冬の重苦しい空気から開放された街は、気分も明るくなったような人々の活気に満ちていた。
約1年前、この街に両親と一緒にやってきた時の事を思い出して感慨に耽りそうになるのを阻止するような日差しを避ける為木陰になったベンチに腰を下ろしたのは、あの日と似たようなポケットがいくつも付いたベストとカメラバッグを背負っているノア・クルーガーだった。
木陰で振り返った一年前、この街で二週間近く滞在したのは初めてで、ホテルを拠点に周辺の町などを散策し、向日葵が咲き誇る畑を見つけた彼は、その畑の持ち主の許可を得て納得するまで写真を撮ったのだ。
その時に写した向日葵の写真は、街の魅力を発信するポスターの写真を公募するキャンペーンがあり、そこに応募して見事最優秀賞を貰えた程彼も気に入っている一枚だった。
今年も向日葵畑で写真を撮りたいと思い、久しぶりに畑の主に連絡をしたのだが、うちの畑で良ければ好きなだけ写真を撮れば良いと、素っ気ないほどの態度で許可をくれたのだ。
その畑に近いうちに訪れようと晴れ渡る空を見上げたノアだったが、少し遠くから名を呼ばれた気がして顔を戻し、視線の先に佇む懐かしい顔に照れたように頷いて手を上げる。
そこにいたのは、約半年ぶりに直接話をする両親だった。
「ノア、久しぶりね!元気そうで安心したわ」
「久しぶりだね、ノア」
息子が腰を下ろすベンチに控え目に座る母と、そんな母に陰を作ろうとするように隣に立つ父の顔は、クリスマス休暇が終わり、世界がまた日常へと戻りつつある1月にウィーンに二人で帰るのを見送った時とほぼ変わりは無く、半年で大きな変化も無いかと自嘲すると、ちゃんと食事をしているのか、一人で大変では無いのかと母が過保護さを表しつつ問いかけてくる。
「大丈夫だ、ちゃんとやってる」
この間応募したコンペも無事に採用されてその仕事を終えたばかりだと、ウィーンにいる時も着実に一歩ずつ足元を固めるような仕事をしていたが、その仕事のスタイルはこの街に拠点を移したからといって変わるものでは無いと苦笑する息子に父が同意するように頷き、お前のことだから心配はしていないよとも穏やかに笑われると、両親に対しどうしても残っていた棘のようなものが崩れていく。
一年前、家族仲の良さで評判だった自分達親子を襲ったのは、キャストが勢揃いした、過去の出来事を精算するショーが幕を開けたぞと、姿も声も聞こえない道化師がお膳立てをしたかのような出来事だった。
事の発端は、母、ハイデマリーが映画祭という華やかな舞台で、父の旧友に狙撃されるというショッキングな出来事だった。
その時、仕事の一端として会場にいたリオンに助けられたのだが、そのリオンがノア自身存在すら知らされていなかった実の兄だったというのは、道化師が悪魔の仮面を被って用意した悪夢としか思えない事実だった。
リオンの存在が引きずり出した過去の亡霊達が踊る舞台にノアも客席から引きずり上げられ、その中で立派だと疑うこと無く過ごしてきた両親が、実は罪を償うこと無く逃げていたことを知り、密かに理想としていた夫婦像が音を立てて崩れ去ってしまったのだ。
その砕けた像を更に踏みにじり放置していた冬も終わりを迎える頃、いつまでもこのままでいるのは辛いだけだ、墓石にショールを掛けてあげる事も出来なければ、最高の一枚を見ながら話をする事も出来ませんよと、優しく己を諭してくれた人のお陰で、ノアは今こうして両親と穏やかに話が出来るようになっていたのだ。
そして、その間にフォトグラファーとしての仕事の拠点をウィーンから本格的にこの街へと移し、一足跳びに有名になるような仕事ではなく、着実にこなせる仕事をこなし、信頼を築きつつあったが、今では安定した仕事が入るようになっていたのだ。
「・・・それよりも、映画祭に特別ゲストで呼ばれてるんだろ、マリー?」
「ええ、まさかまた呼んで貰えるなんて思わなかったわ」
今年の春先、彼女にとっては以前から決めていた事だが、周囲にとっては青天の霹靂の様に夏頃に女優を引退すると発表していたハイデマリーは、その最後の花道をスタッフ達が用意してくれた事に心から感謝していると笑みを浮かべ、明日の前夜祭はまたウィルと一緒にレッドカーペットを歩くわとも笑うと、隣に立つ夫を見上げる。
「そうよね、ウィル」
「そうだね」
一年前のレッドカーペットでの出来事は思い出したくないほど辛い事だが、あれから一年が経ったんだねと、妻の髪にキスをして小さく笑みを浮かべたヴィルヘルムは、お前はどうするんだとノアに問いかけ、プレスパスを持っていないと首を振られて残念そうに頷く。
「・・・映画祭が終わればどうするんだ?」
「マザー・カタリーナに挨拶をして、彼女と一緒にこの近辺にある児童福祉施設の見学をさせて貰おうと思っているよ」
いくつもの施設の運営方法を学び、いずれ立ち上げようと思っている施設に役立てたいからと、照れたように鼻の頭を掻くヴィルヘルムにハイデマリーも満面の笑みで頷き、施設を建てる土地の用意や運営に携わってくれる人も何人かいるのと、女優とフォトグラファーを引退後、何をして生きていくつもりかと問いかけた息子に、両親はまだ明確なビジョンは無いが、マザー・カタリーナの様に子ども達を保護し安心して暮らせる場所を作るつもりと答えた事を思い出した二人の脳裏にほぼ同時に同じ顔が思い浮かぶ。
何の罪もない生まれたての命を、抱きしめるどころかその命を奪い去ろうとしたが、そんな自分達の手を離れて立派な大人として成長した、息子と呼んではいけない彼。
全てを思い出した今、脳裏に決して消える事なく浮かんでいる、本能のまま泣く子供の顔と声。
これは、何があってもこれから先は忘れてはいけないものだと心に刻み込んだのだ。
「・・・償いにはならないでしょうけど・・・それでも、やらないよりはマシだと思ったの」
一年前に明るみに出た過去の自分達が起こした一連の事件、その被害者である彼に贖罪することが不可能ならば、似た境遇の子ども達の為に自分達が何か役に立てればと、引退後は二人揃って福祉事業に乗り出すつもりだと教えられた時、息子はただ感心することしか出来なかった。
今更と思いながら警察に自首した過去の事件は取り上げて貰う事は出来ず、精算出来ると思っていた過去とまだまだ対峙しなければならないと知った時にはさぞかし絶望しただろうが、二人でそれを乗り越えるだけではなく、自分達が作ってしまった一人の孤児に許しを請えないのならば、何人もの同じ境遇の子ども達を救うことで過去の清算を行おうとしている両親の強さに息子も自然と協力すると伝え、資金や物資の援助を行っていたのだ。
その運営を円滑にする為に彼方此方の施設を見学している、実は映画祭はおまけのようなもので、本来の用事は華やかな祭りが終わった後の、人の目が行き届かないことが多い福祉事業の勉強だと笑う二人にノアも素直にうんと頷く。
「マザーも・・・彼も、変わりなく元気にしているかしら?」
「ああ、昨日も一緒にメシを食ったよ」
母が控え目に問いかける彼が誰のことかは問わずとも理解出来た為、昨日二人の行きつけのイタリアンレストランで仕事の打ち上げを兼ねた食事会を開いてくれたこと、クリスマス休暇明けに復職したが、先日元の部署である会長付の秘書に戻った事を教えられたと笑みを浮かべると、二人が顔を見合わせて安堵に頷く。
「そう、戻ったのね」
「ああ」
営業事務や企画などの部署を色々経験して面白かった、秘書以外の社員とも繋がりが出来た事も嬉しそうに教えられたと笑うノアに両親も同じ顔でただ頷くだけだった。
「・・・マリー、ウィル、ホテルは何処に取ったんだ?」
明日の前夜祭まで予定が無いのなら久しぶりにゲートルートに行かないかと、反動を付けて立ち上がったノアは、きょとんとする母に手を伸ばし、店のオーナーとも仲良くなった、忙しくても俺が電話をすれば席を空けてくれるんだと自慢げに笑みを浮かべると、母も嬉しそうにその手を取って立ち上がる。
「予約がますます取りにくいってこの間ウィーンでも紹介されていたわよ」
そこのオーナーシェフと仲良くなったなんてと、息子の交友関係に嬉しさを隠さないで喜ぶ母に苦笑した息子だったが、その横で前以上に穏やかな顔で見守る父の様子に密かに胸を撫で下ろすのだった。
一年前、このレッドカーペットを歩いている時に銃声が響いた気がしたが、彼女の記憶に残っているのは、中々沈むことのない夏の太陽の日差しと、視界の端に見える赤い何かだけだった。
あの時のことを思い出して辛くならないかと、今日の仕事が最後だからと張り切るマネージャーや、ウィーンに戻ってからも何かと世話になっているアルノーに大丈夫と笑みを浮かべ、隣で同じようにタキシードに身を包んだヴィルヘルムの腕に腕を回す。
「・・・大丈夫よね、ウィル」
「ああ、大丈夫。・・・大丈夫だとも、マリー」
ハイディ・クルーガーとしてマスコミに姿を見せるのは今日と明日が最後になるだろうが、僕がいつも傍にいると、この半年で今まで以上に絆が深くなった妻の手を撫でて髪にキスをすると、映画祭のスタッフが準備が出来ましたと声を掛けてくれ、ありがとうと女優人生でも最高の笑顔で手を上げたハイデマリーは、前回は最後まで歩ききることの出来なかったレッドカーペットを一歩ずつゆっくりと踏みしめ、そんな彼女を支えるようにヴィルヘルムも歩調を合わせて進むが、そんな二人に向けて数え切れないほどのフラッシュが光り、マイクを構えたリポーターが今回の映画祭を最後に引退するそうですが、今の心境はと問いかけてくる。
「皆に支えられて幸せな女優人生だったわ」
次は私が誰かを支える番よと、勝ち気な目でリポーターに片目を閉じたハイデマリーは、隣で苦笑する夫の腕をしっかりと掴み、綺麗に撮ってくれてありがとうと、カメラマンにキスを送る。
壇上では不幸のヒロインになってしまったハイデマリーがやってくるのをスタッフや関係者が待ち構え、夫と一緒にレッドカーペットが敷かれた階段を上り、司会者の呼びかけに優雅に一礼をし、用意されているマイクの前に立って会場をぐるりと見回す。
「・・・ウィル、そこにいてね」
「ああ」
特別に後ろにいることを許可されたヴィルヘルムが小さな妻の声にしっかりと頷き、ここで見守っているから頑張ってとその手を握ると、ハイデマリーが泣き笑いのような顔になる。
「ありがとう、ウィル」
「・・・うん」
特設会場にずらりと並ぶテーブルに座るのは、映画界に貢献があった人やスタッフ、この映画祭を主催する会社の関係者などで、数えればどのぐらいの人が招待されているのだろうかと珍しく緊張しつつ会場を見回した彼女は、ステージから最も離れている席のその後ろに息子の姿を発見し、スタッフとして入場できたのねと笑みを浮かべるが、腕を組んで立っているその姿に違和感を覚えた次の瞬間、限界まで目を見張ってしまう。
そこにいたのは息子のノアではなく、半年前、面会したいと願いつつも終ぞその願いが叶えられることの無かった彼、リオンだった。
「ハイディ?どうしたのかな?」
緊張してスピーチを忘れてしまったのかと司会者に促され、え、ええ、少し緊張しているのとぎこちない笑みを浮かべた彼女は、ごめんなさい、緊張しているわとマイクを通して詫び、まさかまたここに立てるとは思わなかった、本当に嬉しいわと笑顔で会場を見回す。
一年前の事を思えば今でも辛いが、それを乗り越えて女優として復帰する夢を叶え、今また別の夢に向けて自分の人生を支えてくれる人とともに歩き出すわと、女優の引退が巷で噂される後遺症のせいなどではないと、やりたいことができたと前向きな卒業である事を伝え、もう一度会場を見回した彼女は、同じ場所で壁に寄りかかりながらじっと見つめてくる、生まれてから一度たりとも己の腕で抱くことのなかった自分達の初めての子供−二度とそう呼ぶ事は出来ない−へと顔を向け、極上の笑みを浮かべて目を閉じる。
「・・・・・・本当に、私の女優人生は大切な人の支えがあってこそでした」
その人がそばにいるだけで支えられていたのだと、事件の後ずっと感じていたと夫への感謝の思いを口にし、少しだけ目を潤ませながら頷いた彼女だったが、三度会場を見回した時にはそこにリオンの姿はなく、言葉を交わす事は出来なくても最後に顔を見せてくれてありがとうと、会場にいる人達やテレビを通して応援してくれているファンらに感謝の思いを伝えながらもその実たった一人の人に届けと願い、目尻に滲む涙を隠さずにスピーチを終えるのだった。
ハイディ・クルーガーとしての最後のスピーチは万雷の拍手でもって終わりを迎え、彼女の第二の人生への餞の拍手となって会場を包み込む。
その拍手の中をこれからもずっと一緒にいることを誓い合った夫と腕を組んでレッドカーペットを進んだハイデマリーは、出迎えてくれるスタッフに笑顔で礼を言い、ホテルに戻りましょうと夫に少しだけ疲れた顔を見せながら関係者が使用する出入口へと向かい、外に出た瞬間、意外なほど緊張していた事に気付いて足を止めてしまう。
テントを利用して設けられた出入口の門柱に、人待ち顔でタバコを咥えたまま背中で寄りかかる男がいて、タバコの煙は好きじゃないとハイデマリーが少しだけ顔を曇らせるが、二人に気付いたらしいその男が背中を剥がして肩越しに振り返ると、タバコを靴の裏でもみ消して一つ溜息を零す。
「・・・リ、オン・・・?」
「・・・女優、引退するんだな」
勿体無い、あんたならもっと続けられるだろうにと呟いたのは、さっき会場でスピーチ中に姿を消したはずのリオンで、どうしてここにいるのかとハイデマリーが震える声で呟くと、半年前は会いたいと思わなかったし会っても何を話せば良いか分からなかった、だから会いたくないとノアに言ったと、肩を竦めて当時の心境を口にするリオンに二人が驚きつつも当然だと頷く。
「・・・ただ、俺のダーリンが、時間が経てば気持ちも変わるかもしれない、その時は素直になれと言ってくれたから」
だから今ここで待っていたと、親指の爪をカリカリと引っ掻きながら口早に呟いたリオンは、何かを決意した顔を上げて二人をゆっくりと見つめると、ノアにも言ったが俺の母親はマザーで、家族はオーヴェやホームにいるあいつらだと、その思いは変わらないと告げるものの、一度深呼吸をした後、でもそれでも、あんたが産んでくれなければ俺はこの世に生まれることがなかった、それだけは感謝してると、背後の会場の歓声に負けそうな程小さな声でリオンがずっと心の奥底に用意していた言葉を伝えると、二人が息を飲んで無意識に手を握りしめ合う。
その手へと視線を向けたリオンは、あんた達もそうだろうが俺にもそうやって支えてくれる人がいる、そんな人がいる人生というのは本当に素晴らしいものだなと小さく笑い、もう会う事はないだろうが、引退後の第二の人生が実りあるものであることを祈っていると伝え、タバコを取り出して再度火をつける。
「ありがとう。いつまでもきみの大切な人と仲良く元気に暮らしてくれ」
「ダンケ。あんたらも元気で。・・・ノアをあまり悲しませるなよ」
咥えタバコのまま手を挙げて踵を返すリオンにハイデマリーが咄嗟に手を伸ばすが、己が触れてはいけないのだと気付き、代わりに夫の腕をきつく抱きしめる。
「マリー・・・」
「・・・良いの。これで、良いのよ」
最後にこうして直接話をすることが出来た、それだけでもう十分なのよと、目尻を伝い落ちる涙を拭きもせずに笑みを浮かべるハイデマリーの頬にキスをしたヴィルヘルムは、少し離れた場所に停車している白のBMWとそれに腕を組んで背中を預けていた白とも銀ともつかない髪の身嗜みの良いメガネの男の頬にキスをしたリオンを見送っていたが、二人が車に乗り込んでその車が見えなくなった時に漸くそれが、ノアから聞かされていたリオンのパートナーのウーヴェだと気付くのだった。
どんな時も、どんなことがあっても手を離さずに支えてくれる人がいる。
その幸福を体現している二人の姿を瞼に焼き付けた彼は、腕に腕を絡めて身を寄せる妻の口からも安堵の吐息が零れ落ちた事に気付き、彼に負けない様に自分達もこれから何があっても支え合っていこうと改めて誓い、妻の顔を覗き込んで涙の跡が残る頬にキスをする。
「・・・さ、ホテルに帰りましょう」
これで本当に思い残す事はないわと、晴れ渡った夜空の様な笑みを浮かべたハイデマリーにヴィルヘルムも同意する様に頷き、取り出したハンカチで彼女の頬を軽く拭いてやると、ホテルのレストランでゆっくりと食事をしてワインを飲みましょうと、付き合いだした頃と何ら変わらない笑顔で更に身を寄せてくる。
「そうだね」
もう女優としての仕事は全て終わり明日の予定をこなすだけだから今夜はゆっくりしようと夫婦で顔を見合わせて頷きあうと、少し離れた場所に停車しているクリーム色のタクシーに合図を送って乗り込み、ホテルまでお願いと告げた後は、彼女が女優である事、ファンだと少し興奮しながら伝えてくれる運転手に心からありがとうと礼を言うのだった。
車内に流れるのは耳に心地よいピアノ曲で、ダッシュボードに足を乗せてタバコの煙を開けた窓の外へと流していたリオンは、あれで良かったのかなぁと自信なさげに呟き、ステアリングを握るウーヴェがどうしたと問いかけてきた為、タバコを投げ捨てて窓を閉め、ダッシュボードに投げ出していた足を戻して運転席へと向き直る。
「・・・産んでくれたことだけは感謝してるって・・・」
言ったけど、あれで良かったのかと呟くリオンにウーヴェが少しだけ考え込むが、良かったんじゃないのかと呟きながら車を自宅に向けて走らせる。
「何か引っ掛かるのか?」
「・・・オーヴェ、ちょっと寄り道しねぇ?」
「ん?ああ、良いぞ」
別に家に急いで帰る理由はないからと笑うウーヴェに小さく礼を言ったリオンは、アウトバーンを飛ばすかとサングラスを掛けながら問いかけられて走る気満々な事に気付き、己のパイロットサングラスを取り出して掛ける。
「何処に行こうかなー。いつもの公園に行く?」
「それもいいな」
いつもならピクニックに出掛けるアウトバーン沿いにあるお気に入りの公園だが、今日はただそこに行くだけにしようと二人がほぼ同時に頷き、ウーヴェが車を郊外に向かうアウトバーンへと走らせる。
窓を開けたいのを堪えてリオンが歌う鼻歌にウーヴェの指先がステアリングをノックし、車内に小さな心地よさが生まれ、その気持ちのままいつもの公園に到着した時、初夏の平日の夜だからか、二人が良く訪れる日曜に比べれば人は少なく、お気に入りの樹の下に腰を下ろすと、ウーヴェの肩に寄りかかるようにリオンが首を傾げる。
「どうした?」
「・・・・・・オーヴェがさ、時間が経てば気持ちが変わるかも知れないって。絶対にそんな事ねぇって思ってたのにさ、気が付いたら産んでくれたことだけは感謝するって言ってた」
母親とは思わないとか関心も興味もないとか言っておきながらなんであんな事を言ったのかと、己の言動が信じられないと苦笑するリオンの髪を撫でて頷いたウーヴェは、不思議なことでもなんでもないと告げ、不思議だろうと呟きながら己の手に手を重ねるリオンのこめかみにキスをする。
「人の気持ちは変わるものだ。それは・・・・・・どうすることもできないものだ」
だからこそ、変わらない思いを抱けること、そんな思いを向ける相手と出会えることは何にも代え難い幸運なんだとも続けると、リオンがウーヴェの手をキュッと握り締める。
「・・・・・・良いのかな」
「俺は良いと思うな」
他の人がどう思おうとも、俺はお前の選択を尊重すると、いつも己が選ぶ道を肯定し一緒に肩を並べて歩いてくれるウーヴェの言葉にリオンが目を見張るが、ダンケオーヴェと礼を言いながらその頬にキスをする。
「どういたしまして」
「・・・色々あったけど、これで良かったんだよな」
「そうだな・・・・・・本当に、色々あったな」
思い返せばノアと彼女の母親が歩いている後ろ姿を、お前と親しい女性だと俺とリアが見間違えたのが全ての始まりだったとウーヴェが繋いだ手を少しだけ持ち上げると、あれはノアと俺を見間違えたお前が悪いんだとリオンがニヤリと口の端を持ち上げる。
「・・・ハイデマリーが銃撃されて、ヴィルヘルムが倒れたのをマザーとアーベルがホームに運んで」
その時、人のことを幽霊か何かを見たような顔でヴィルヘルムが見つめた後ぶっ倒れたが、もしかするとあの時に教会に捨てた子供だって気付いたのかもなと笑うリオンにウーヴェが微苦笑する。
「そうだったな。・・・その後、DNA検査で親子関係が分かったんだったな」
「うん。俺がずっと抱えていた悩みに答えが出たな」
あの時は心底嫌だったがお前が検査を受けろと言ってくれたからこうして悩みも解決したと笑うリオンの顔に当時の翳りのようなものはなく、半年前にも言われたが、己の実の両親に対して良い意味で興味も関心もなくなっている事を再確認してしまう。
「家出をしてオーヴェや親父や兄貴に迷惑をかけて・・・・・・」
でも、家出先の教会でまさかゾフィーが個人的に訪れていた教会に通っていたクリス少年と再会できるなんて思ってもみなかったと笑うリオンに、ウーヴェがそう言えばクリスからハガキが届いていたなと思い出し、リトル・ゾフィーも元気そうだったと二人で笑い合う。
リオンの言葉通り、家出先で再開した暖かな家族との交流。それがあったお陰でリオンは今こうしてここにいるのだと、ウーヴェが後日リオンに連れられて己と同じ名前の神父がいる教会とその家を訪れた時に感謝の思いを伝えたのだが、初めてウーヴェに会った家族がぽかんとした顔で見つめてきた事を思い出して自然と笑みを浮かべてしまう。
「何笑ってんだ、オーヴェ?」
「いや、また時間を作ってリトル・ゾフィーとクリスに会いに行こうか」
「うん、行く」
世話になった礼をしたが、今ではそれを越えて友人として付き合い始めた一家の元に顔を出そうと笑うと、リオンがウーヴェの手の甲にキスをする。
本心では知りたかった実の両親。その機会が訪れたのに、拒絶されるかもしれない恐怖から避けようとした己を信じ何があっても側にいるからと、物心ついた時からの疑問を解決する一歩を踏み出せと力をくれたこの手を、己が生まれた時の秘密を知った衝撃で家出をする事で手放したのに、今もこうして手を繋いでいられるのは、リオンが必ず帰ってくると信じて待っていてくれたからだった。
そのことに改めて感謝の思いと本当にもう二度と手放さないと誓った事を思い出し、再度手の甲にキスをすると、くすぐったそうな小さな笑みがこぼれ落ちる。
「な、オーヴェ、半年前に言ってなかったかもしれねぇから聞いてくれるか?」
「何だ?」
アドヴェントを二度迎える直前のあの夜、告白してなかったことがあるとリオンが目を伏せつつ告白すると、ウーヴェが何だと緊張を覚えた声で返事をする。
「うん────Du bist mein Ein und Alles.」
俺の総てと片目を閉じつつ告白すると、ウーヴェの顔に驚きの色が滲むが、次いでリオンが絶対に忘れない、永遠に目を閉じるその瞬間まで覚えていると誓う穏やかで綺麗な笑みを浮かべて頷く。
「そう言えば聞いていなかったな。────ダンケ、俺の太陽」
俺のリオンと笑いながらの告白にリオンも笑みを浮かべ、いつもの言葉を口にしながらウーヴェを抱きしめる。
「オーヴェ大好き、愛してる」
「ああ」
その言葉を互いに交わしくすくすと笑みを零しあった二人だったが、リオンが満足したと立ち上がり、ウーヴェの腕を引っ張って立ち上がらせる。
「帰りは運転するな」
「ああ、頼む」
初夏の日はまだまだ沈まずに上空で遊んでいるようだったが、地上にいるウーヴェだけの太陽はそろそろ家に帰りたいと言い始めた為、駐車場に止めてある車に二人でゆっくりと向かうのだった。
アウトバーンを行きに比べればゆっくりと走らせていると、ノアから今ハールの畑にいるが、良かったら食事に行かないかとメッセージが届く。
リオンが前夜祭に顔を出すが最後までいるのかどうかが分からず、自分一人分なら冷蔵庫にある物を食べて晩御飯にしようと考えていたが、リオンがいる今、いつ訪れても構わないゲートルートで食事をして帰ろうと話し合っていた為、それならばノアも一緒に食事をしよう、そちらに迎えに行くと返事をする。
「・・・了解だって」
「分かった」
店で集合よりもノアがいる畑に向かった方が早いと気付いたウーヴェが道案内をし、夏になると自宅に飾られる向日葵を前に話には聞いていたハーロルトの畑へとリオンがアウトバーンを降りた車を向ける。
ウーヴェが往診の帰りに見つけて立ち寄ったハーロルトの向日葵畑。その近くに車を止めてボンネットに二人並んで軽く寄りかかりつつ目の前に広がる黄色の絨毯をリオンが呆然と見つめ、初めて己が見つけた時の感動と同じ思いを抱いている事に気付いたウーヴェが壮観だろうと呟くと、ああとだけしか言葉が返って来なかったが、言外に感動していることを伝えてくれる。
ただ呆然と、太陽へと顔を向けて咲き誇る向日葵を見つめていると、毎年向日葵の花束を抱えるウーヴェを見るたびにリオンが感じていた想いが憧憬という名前である事に気付き、ああ、と自然と感嘆の吐息を零してしまう。
さっき公園で俺の太陽とウーヴェが己を褒めてくれたが、本当の太陽は己ではなく、その言葉を告げてくれたウーヴェではないのか。
太陽に向けて手を伸ばす様に咲き誇る向日葵みたいだと、いつかウーヴェが言ってくれたことがあったが、己が向日葵だとすれば、その顔を向けているウーヴェが太陽なのだ。
「どうした?」
リオンの様子に何かを感じたウーヴェが顔を向け、当たり前の様に気遣う言葉を掛けてくれるが、それが当たり前ではなくウーヴェだからだと改めて気付き、その腰に腕を回して肩に寄りかかるだけではなく支えられる様にと身を寄せる。
「────本当の太陽はお前だ、オーヴェ」
「・・・そうか?」
「うん、そう。お前がいつも変わらずにそこにいてくれるから、俺は生きていられる」
何があろうともどれだけ道に迷おうとも、お前という太陽を目指して歩くことができる、お前は俺が生きていく上での道標だったんだなと、こんなにも穏やかな気持ちになれるのかと自らを疑うほど優しい声で告白したリオンは、何も言わずに髪を撫でて頬にキスをしてくれるウーヴェに一言ありがとうと告げ、その肩に頬をぶつける。
「オーヴェ、俺と出会ってくれてありがとうな」
「・・・こちらこそ、ありがとう」
思い返せば遠い昔の様に感じる初めての出会い。最悪な第一印象を互いに抱いたが、その後の時間をかけた交流の中で互いの存在の大きさに気付き、意識した時にはいつも考える様になっていた。
なるべくしてなった様な、不思議な心の動きがあったと振り返った今思うが、あの時出逢わなければこうしてここでひまわり畑を見つめる事もなかったと笑い合い、同じ前を見つめつつ互いの腰にしっかりと腕を回す。
そんな二人の後姿をノアとハーロルトが静かに見守っているが、つい心を動かされた時の癖でノアがカメラを構え、ただ仲が良いだけではない二人の姿をファインダー越しに目に焼き付けるのだった。
いつもの時間にいつもの様に目を覚まし、二人分の朝食の用意をする。
毎朝のルーティンを難なくこなし、最大の難関であるリオンを起こす作業に取り掛かったウーヴェは、昔に比べれば比較的まともに起きる様になったリオンを褒める様にキスをし、朝食の仕上げをするから顔を洗ってこいとバスルームに送り出す。
キッチンでオムレツを仕上げて皿に盛り付けた時、おはようという元気な声が聞こえ、おはよう、今日のカフェラテはミルクを多めにしてくれとリクエストをし、二人分の朝食を壁際のテーブルに並べる。
「オーヴェ、新聞取ってきた」
「ああ、ありがとう」
テーブルに並ぶ朝食を前に、いつも本当にありがとうとウーヴェの頬に感謝のキスをしたリオンは、食後のコーヒーは全力で用意するから楽しみにしていろとも伝えてウーヴェがテーブルに着くのを待つ。
「どうぞ召し上がれ」
「ダンケ!」
これもまた二人で食事をする時の習慣になっている言葉を交わし、リオンが持ってきた新聞を開いたウーヴェは、早く食えと不明瞭な声で促されつつ、少し焼き目をつけたゼンメルを頬張りながら新聞へと目を通す。
「────ノアがまた受賞したみたいだな」
「へー、あいつ頑張ってるなぁ」
その受賞記念のインタビュー記事だったが、掲載されている写真を見た時、いつかどこかで見た光景だとウーヴェが既視感を抱くが、カメラで顔半分を隠したヴィルヘルムの写真を思い出し、その時感じた違和感も思い出してしまう。
「オーヴェ、早く食えって」
「・・・ああ、そうか」
あの時感じた違和感や既視感は、今隣で朝食を美味そうに食べているリオンと雰囲気が似ていたからだと気付き、ヴィルヘルムとリオンの血縁関係を直感的に察していた己になんとも言えない気持ちになってしまう。
「何がそうかなんだ?」
「うん?ああ、実はな────」
新聞を乱雑に畳んでテーブルの端に起き、ノアの受賞以外で何か気になる記事があったのかと問われて微苦笑したウーヴェは、一年以上前のあの日に感じた既視感の原因に思い当たったと話し、よくそんな事を覚えているなぁと感心されてしまうのだった。
朝食を食べ終え、互いの出勤準備を終えた二人は、今日は早く帰ってこれるだろうから久しぶりに美術館に行かないかとリオンから誘い、珍しい事もあると笑うウーヴェに照れた様な笑みを浮かべる。
一足先に出勤するリオンだったが、大切な事を思い出したとベッドルームからリビングに駆け込み、暖炉の上に並んでいる大き目の写真に行ってくると挨拶をし、廊下で待つウーヴェの頬にもキスをする。
「今日も頑張って働いてくるかー」
「ああ、行ってこい、リーオ」
「うん。オーヴェも頑張ってこいよ」
そしてその頑張りが終わった後はデートをしようと笑い、もう一度ウーヴェの頬にキスを残したリオンが家を出て行く。
その背中を見送ったウーヴェは、開け放たれたままのリビングのドアに気付いて溜息を零し、閉めるついでに中を覗き込むと、暖炉の上に並べられている複数の写真を癖の様に見つめてしまう。
そこに並ぶのは、自分達にとって掛け替えのない人たちの写真ばかりで、両親の家で家族勢揃いで撮影したものを始め、少し前に教会の聖堂で、ホームで暮らす子供達やその世話をしているマザー・カタリーナらと一緒に写した写真もあり、ステッキをついて暖炉の前に向かったウーヴェは、ホームの家族写真とリオンが乱雑に記入した写真立てを手に取り、ついクスリと笑みをこぼしてしまう。
この写真はノアに頼んで撮って貰ったものだったが、現像した時に見たことのない女性が写っている気がする、これはもしかしてよくない写真ではないかと、心底心配顔でノアが相談に来たのだが、写真を一目見たウーヴェが呆気にとられ、リオンとマザー・カタリーナが呆然とした後、楽しそうに笑いだし、きょとんとするノアにこれは大丈夫だ、ゾフィーが自分も入りたいと言って出て来ただけだと、目尻に浮かぶ涙を拭きつつ真相を教えてくれたのだ。
リオンとマザー・カタリーナを中心に勢揃いしたホームの関係者、その最後列のブラザー・アーベルの肩に肘をついて頬づえをつき笑みを浮かべていたり、別の写真には彼の横から茶目っ気たっぷりに腰を屈めて長い髪を掻き上げて笑みを浮かべていたりする女性の正体はリオンやマザー・カタリーナの前には姿を見せるゾフィーだった。
こんなに陽気な心霊写真は見たことがないと笑う二人にノアがウーヴェを見つめ、何も言えないと首を横に振った事を思い出すと、ついつい笑みが溢れてしまうのだ。
久しぶりに見たゾフィーの姿にウーヴェも微笑ましさを覚え、今日も仕事を頑張って来ると呟くと、頑張ってらっしゃいと姉と同じ様な声が頭上で聞こえた気がし、行って来ますと写真に語りかける。
その写真の中、いつノアがカメラを構えていたのかがわからないほど自然な顔で、手にした向日葵の花束を勲章に満面の笑みのリオンに顔を寄せている瞬間を切り取った写真や、車のボンネットに寄りかかりながら肩を寄せている後姿の自分達の写真もあり、ノアが無意識に写したものだと後日教えられたが、他人からしか見えない自分達の背中がこうであって欲しいと願っているものに近い事に安堵し、今日も頑張るかとリオンと同じ言葉を呟いてリビングを出て行くのだった。
キッチンに残したままの新聞、ノアの記事の裏面には、ウィーンで敷地と人員の準備ができ、子供達の受け入れをはじめた児童福祉施設の前で、満足そうに笑みを浮かべるヴィルヘルムとハイデマリーの写真が掲載された記事が載っていたが、朝の時点ではウーヴェもリオンもそれに気づくことはないのだった。
暖炉の上のリオンとウーヴェの家族写真は歳を重ねるごとに増えていき、飾りきれなくなった分はアルバムに丁寧に保管され、人物を専門としないノアのライフワークともいえる写真を飾る場所になるのだった。
Back | Die Sonnenblumen |
2020.12.30
これにて、Die Sonnenblumen完結です。最後までお付き合い下さり、リオンとウーヴェを見届けて下さり、ありがとうございました・・・!!


