Die Sonnenblumen33

Über das glückliche Leben(ÜGL)-Lion & Uwe -

 あの日の様にそれぞれボストンバッグ一つだけを肩に掛け−それぞれがベルリンに持っていったスーツケースなどは全て処分した−、周囲の視線に気を払いつつベルリン発の直通電車から降り立った二人は、周囲がすっかりと夕闇ではなく夜の世界になっていることに気付き、吐く息の白さに顔を見合わせて苦笑してしまう。
 あの日と違って着ている服は暖かさをもたらしてくれる服で、ハイデマリーはお気に入りのダウンコートの前をしっかりと合わせ、ヴィルヘルムもコートの前をしっかりと合わせていた。
 同じルートを通って来たが、あの時一緒だったヨハンは当然おらず、さてどうしようかと顔を見合わせるが、プラットホームで立ち尽くしているのも迷惑になる事に気付き、ひとまずカフェに入るかそれとも目的地である教会か警察に向かうかと互いの目を見て無言で提案するが、先に警察に行きましょうとハイデマリーが頷いた時、視界の隅に制服警官の姿が見え、後ろめたさから視線を逸らしてしまう。
 警察官相手に視線をそらすなど何かやましいからだと言われてしまう様な行為だったが、思わずそれをしてしまった二人に何かを感じたのか制服警官が二人近寄ってくる。
 「・・・ヴィルヘルムですか?」
 警察官が二人に声をかける寸前、横合いから懐かしい人を見かけた時の様な声があがり、二人と警察官が同時にそちらを見ると、シスターの服を身に纏った初老の女性がニコニコと手を組んで二人を見つめていた。
 「・・・マザー・カタリーナ?」
 「はい。お久しぶりですね」
 声をかけて来たのは、二人がもうひとつの目的地と設定していた教会にいるマザー・カタリーナで、シスターの知り合いならばと、警察官がマザー・カタリーナに軽く目礼をして立ち去って行く。
 その警察官にお仕事ご苦労様ですと短く祈りを捧げた後、呆然としつつも助かったと顔中で語る二人に笑顔で頷き、今日は二人でお仕事ですかと問いかける。
 「え、いえ、ちょうど良かった。マザーにお話があったのです」
 にこにこと二人に語りかけるマザー・カタリーナに助かったと礼を言ったヴィルヘルムは、話ですかと軽く驚かれて頷き、あなたが良ければ教会に行きたいのですと告げると、ハイデマリーもその言葉に同意する様に頷く。
 「こんな時間に申し訳ないと思うのですが・・・」
 ぜひ、話を聞いていただきたいのですと、心なしか切羽詰まった顔でマザー・カタリーナにお願いしますと繰り返したヴィルヘルムは、時間は問題ありませんが、教会で構いませんかと問われて二人同時に頷く。
 「分かりました。では一緒に行きましょう」
 「ありがとうございます」
 二人の様子から何かを察したらしいマザー・カタリーナが笑顔で頷き、路面電車で帰りましょうと二人を誘って歩き出すが、そういえばノアから連絡はありましたかと問いかけられて沈黙してしまう。
 「・・・ノアは元気にしていますよ」
 まだ以前の様に仕事は出来ていないみたいですが、教会や孤児院の子供達の世話をずっとしてくれています、とても良い子ですねと、幾人もの孤児を育て上げたマザー・カタリーナの言葉にハイデマリーがグッと言葉を飲み込み、小さく吐き出した後にありがとうございますと礼を言う。
 「本当に良く似た兄弟ですね」
 ノアの何気ない仕草がリオンと同じ時があり、顔も似ていることから名前を間違えて呼んでしまいそうになりますと笑う彼女に今度は二人で言葉を失くしてしまうが、ちらりと振り返った彼女の目が全てを知っていると教えてくれた為、何も隠す必要がない安堵に二人の体から力が抜けそうになる。
 「・・・ありがとうございます」
 「いいえ」
 そのありがとうの言葉は何に誰に対するものかを告げずに、ただありがとうと繰り返したヴィルヘルムにマザー・カタリーナも何も言わずにただ頷き、停留所に止まっている路面電車に乗る為、二人に急ぎましょうと声を掛けるのだった。

 

 呼び覚まされた記憶とほとんど変わっていない小さな教会に三人何故か沈黙したまま帰って来たが、マザー・カタリーナがドアを開けて今帰りましたと告げた途端、何処からか幼い子供や成人間近の少年達がそれぞれ玄関へとやってくる。
 「お帰りなさい、マザー!」
 「お腹すいたー!」
 「アーベルが探してたぜ」
 己に向けて発せられる様々な声をどれも聞き逃さずに頷き、的確に返事をしながら廊下を進むマザー・カタリーナに二人はただ呆気にとられてしまうが、子供たちが二人のことに気付き、お客様だと顔を輝かせるものの、いつもここに来る人達とは何かが違うと察したのか、部屋から顔を出したシスターらの元に駆け寄ってしまう。
 「マザー、もしかして前に看病した・・・?」
 「そうです。少しお話がありますので、私の部屋にいますね」
 「はい」
 「神父様はまだいらっしゃいますか?」
 「はい。アーベルとアドヴェントのことで話をしていました」
 玄関でぽつんと手持ち無沙汰で待たされていることに何も異議はなかったが、ハイデマリーが以前と本当に変わらないと、廊下を見回して呟き、確かに何も変わっていないとヴィルヘルムが頷く。
 「・・・ここで、今の子供たちのように育ったのかしら」
 「・・・そうだね」
 「お待たせしました、二人とも、こちらへどうぞ」
 シスターに一言二言指示をした後、くるりと振り返った彼女が二人を手招きし、こちらにと通してくれたのは、彼女自身の部屋の様で、小さなライティングデスクと古い椅子、そして粗末なベッドがあるだけの部屋だったが、デスクの棚にはにかんだような笑みを浮かべる長い黒髪を掻き上げている女性の写真があり、自然とそちらへと目を向けると、部屋の灯りをつけてベッドに座って下さいと指し示しながらマザー・カタリーナが自慢そうに笑みを浮かべる。
 「その写真はわたくしの大切な娘です」
 数年前に事故で亡くなってしまいましたが、今もあの当時も自慢の娘ですと、事情を知らない者からすれば娘を褒めちぎっているが、少しでも事情を知る者からすればただただ胸が痛む言葉を告げて胸の前で手を組んで短く祈ったマザー・カタリーナは、すぐに神父様とゲオルグも来ますと伝えて二人の目を限界まで見開かせる。
 「・・・お話というのはそのことではないのですか?」
 にこにことしているだけだと思っていた彼女が、駅で偶然出会い一言二言言葉を交わしただけでそこまで考えていたとは思えずにただ驚いてしまうが、貴方方がわたくしや教会に話があるとすればそれしかありませんと微苦笑されて納得してしまう。
 「そうですね。隠しても驚いても仕方がないですね」
 彼女の言葉に一度深呼吸をしたヴィルヘルムがハイデマリーを先にベッドに座らせ、次いで自らも座ると同時に、ヨハンという僕たちと同年代の男を覚えているかと問いかけ、古い椅子に腰を下ろしたマザー・カタリーナの意識が過去に向かい、記憶の中から何かを持って戻ってきたことを知ると、彼の最期についてゲオルグから聞いていますかと問いかけ、今回の件でノアが来た時にウーヴェと一緒に全て話をしましたと答えられてハイデマリーの全身が小刻みに震えだす。
 そんな妻の手をしっかりと握り、もう大丈夫だからと彼女の頬にキスをした後、痛ましげに目を伏せるマザー・カタリーナを正面から見つめ、腿に片手をつきながら頭を下げる。
 「彼を、はずみとはいえ殴り殺したのは、僕です」
 本当ならばあの夜警察に出頭し、何があったのかを詳らかにしなければなりませんでしたが、動転していたことと未来のことを自己中心的な思いだけで考えた時、ゲオルグの手を借りてヨハンの死体を処分して欲しいとお願いしましたと、リオンが生まれる前の話で謝罪をするヴィルヘルムにマザー・カタリーナは何も言わずにただ静かに祈るが、神父様がまだいらっしゃいます、告解をなさいますかと静かに問い掛け、許されてもいいのでしょうかとヴィルヘルムが泣きそうな声で問いかければ、許されざる者などおりませんと静かながらも決して揺るがない声が二人に届けられ、蒼白な顔に少しだけ血色を取り戻したハイデマリーが夫の手を握り返す。
 「・・・でも、僕たちが洗礼を受けたのは、亡命直後のことです」
 「一度でも受けていれば問題はありませんよ」
 それに、悩める人を救うために存在するのがこの教会です、あなた方の告解を聞かずにいて何の役に立てるでしょう。
 ただし、洗礼を受けてから長年告解を行なっていなかったことについて神父様からお言葉があるかも知れませんと片目を閉じて悪戯っぽい表情で告げられて二人が顔を見合わせてしまうが、その時、高齢者などがよく使う歩行器を頼りにしつつも自らの足で歩くゲオルグに歩調を合わせるように神父がゆっくりとやってくる。
 二人が部屋に入ると同時にハイデマリーが懐かしさに声をあげ、ヴィルヘルムもただ黙って頭を下げる。
 「おぉ、二人とも、久しぶりだな・・・!」
 何年振りという言葉では表せないが、何十年振りだと笑うゲオルグに二人も頷き、久し振りだと立ち上がって歩行器の前に駆け寄る。
 「カタリーナ、話があるのか?」
 「神父様、告解をお願いいたします」
 「・・・ふむ。わかった」
 マザー・カタリーナの言葉に一瞬だけ考え込んだ神父だったが、当たり前のように頷き、準備が終われば告解室に来るようにと伝え、ゲオルグの肩を労わるように撫でてお前の重荷を下ろせる日が来たと囁くと、ゲオルグの目に強い光が浮かぶ。
 「・・・そうか」
 「・・・はい。あなたには世話になったのに、後ろ足で砂をかけて逃げてしまいました」
 今更ですがその罪を償うつもりですと、ハイデマリーの手をぎゅっと握りしめてゲオルグをまっすぐに見つめたヴィルヘルムだったが、もう一度そうかとだけ頷かれて同じように頷き返し、妻の頬にキスをした後、行ってくると言い残して部屋を出て行く。
 神父とヴィルヘルムが出て行った部屋は静まり返ってしまうが、ゲオルグが元気そうだなとハイデマリーに呼びかけたため、室内の空気から緊張が搔き消え、マザー・カタリーナがゲオルグに椅子を勧めて自らはベッドに腰を下ろす。
 「会えてよかった」
 今日、ウィルと二人であの時みたいにベルリンから電車でここに来たが、二人で電車に乗っている時、あなたに会えるかしらとずっと話していたと、嘘ではない事を示す顔でゲオルグを見つめたハイデマリーは、さっきウィルも言ったが、あなたに全てを押し付ける様に逃げてしまってごめんなさいと顔を伏せる。
 「・・・俺も、そろそろ地獄から迎えが来るだろうから、お前達に会えて良かった」
 この通り、老いさらばえ病に蝕まれた身体で今まで生き延びて来たのは、きっと神がお前達に会わせてくれる為だったのだろうと、マザー・カタリーナを見ながら穏やかな顔で頷くゲオルグに、ハイデマリーが口元を手で覆い隠しながらごめんなさいと繰り返す。
 「・・・告解をして神の許しを得たらどうするんだ?」
 宗教上での許しは心の平安をもたらす最大の要因にもなるが、道義的な問題としてどうすると問われ、涙を手の甲で拭った彼女は、旧知の世話になった人たちの顔を真っ直ぐに見つめ、警察に当時の事を自首すると、舞台に立っている時と同じ様に張りのある声で宣言する。
 「当時を知る人はいないかも知れないけど・・・」
 でも、訴え出た所で何があるか分からないが、責任を取る一つの方法だと思っているとも伝えると、女優としてのキャリアが終わるぞと問われ、流石に一瞬息を飲んでしまうが、吹っ切れた様な笑みを浮かべ、それで終わるのなら仕方がない、女優としてのキャリアが終わってもウィルとの人生は続けられるのだからそれでいいと頷くと、ゲオルグとマザー・カタリーナが顔を見合わせる。
 「・・・ウィルが家を出てベルリンに一人でいる間、ずっと孤独だった。そんな孤独を感じながら女優をするなんて耐えられないわ」
 ベルリンから亡命して以来、何をするにも二人一緒だった、その彼と離れてしまうことがこんなにも苦痛だったなんて初めて知ったと、少女の様に頬を染めながら告白したハイデマリーにマザー・カタリーナが彼女の意志を認める様に頷き、この先何があろうとも二人が一緒にいて乗り越えられます様にと祈り、ゲオルグも何とも言えない溜息を零した後、お前がそう決めたのならそれで良いと頷く。
 「二人とも、ありがとう」
 「いいえ」
 過去の問題についてはそれで何らかの解決が図られますね、その次は現在の問題ですねと、さらに強く祈りながらマザー・カタリーナが呟いた言葉にハイデマリーが再度顔を伏せて唇を噛み締める。
 ヨハンを殺してしまったことを警察に自首した後、死体もなければ当時の状況証拠も何一つ残っていない、いわば事件関係者の記憶の中にのみ存在する殺人事件を警察が事件化するだろうか。時効という制度は無いがあまりにも事件自体が古い上、殺人事件の最大の証拠である死体が既に喪われているのだ。
 その事で刑事達に迷惑をかけるか、そもそも門前払いされてしまう可能性が高いと気付き、重苦しい溜息を吐くが、ヴィルヘルムとハイデマリーにとってはそれよりも遥かに重大な問題が存在していることをマザー・カタリーナの言葉によって知らされてしまう。
 それは、ヨハンの事件の帰結でもある、この教会に捨ててしまった我が子へと向き合うことだった。
 昨日ベルリンでヴィルヘルムと再会した時に初めてその名を呼んだ、リオンへの謝罪。
 今、音信不通になっている愛する息子、ノアとの話し合いだった。
 「そう、ね・・・私たちの、・・・私の二人の子どもに、謝らなければならないわね・・・」
 ヴィルヘルムが昨夜初めてリオンの名を呼んだ様に、彼女も初めて自分が生んだ子供は二人いることを震える声で認め、ノアとリオンに謝らなければならないと拳をぎゅっと腿の上で握って顔を上げるが、彼女が見たのは二人の沈痛な面持ちだった。
 「マザー・カタリーナ?ゲオルグ?」
 「・・・・・・ノアは、きっと今日もここに顔を出すので話をすることは出来ますが・・・」
 リオンは、あの子は、今、この街にいません。それどころか、愛するウーヴェにも行き先を伝えずに出て行ってしまいましたと、この時初めてマザー・カタリーナの声が感情に震え、胸の前で組んでいる手もかすかに震え始める。
 「────!!」
 彼女の言葉よりも震える手や無事を祈る様にきつく閉じられた双眸から事態の深刻さを再確認したハイデマリーは、救いを求める様にゲオルグを見つめるが、返ってきたのは自分にも何も出来ないという絶望すら感じる溜息一つだった。
 「そんな・・・・・・!」
 過去の事件を警察に自首し、神に許しを乞うた後、最大の被害者でもあるリオンに許されるかどうかは別にして謝罪をする心算だったが、そのリオンが行方不明になっていると知り、言い表し難い絶望に襲われてしまう。
 やっと認めた過去の過ち、それを謝罪しようと来たが、その機会がもしかすると永遠に失われてしまったのでは無いかという、取り返しのつかない事をまた一つ積み重ねてしまった自身への絶望が呪いの様に彼女の中に生まれ、そんなと繰り返してきつく手を握りしめる。
 「・・・ウーヴェには毎週連絡が入っている様です。ただ、どこにいるのか、いつ帰ってくるのか、それを聞いても返事はないそうです」
 あれだけ独りになることを恐れていたリオンが、誰よりも何よりも愛する伴侶とも離れて一人きりになっている、それを思えば胸が張り裂けそうですと、誰よりも間近でリオンを見つめ続けて来た彼女の言葉にハイデマリーが一瞬にして血の気を失った顔を向ける。
 「・・・必ず帰ってくる、ウーヴェもわたくしも、皆そう信じています」
 今は一人で悩んでいますが、顔をあげればあの子を愛し信じる家族がいます、それを早く思い出して欲しいですと、ただ我が子の無事を祈る母の顔のマザー・カタリーナに、リオンを生んでおきながら捨ててしまった己にはその思いを抱くことすら許されないのだと、改めて己の過ちに打ちのめされてしまうのだった。
 

 

 「────神よ、私は・・・人を殺してしまいました」
 その声は、何もかもを諦めたというよりは、今までの人生の中から絞り出したような掠れた声で、直接対面することの無い場所で聞いている司祭の耳に流れ込み、脳味噌が理解し心に辿り着いたときには、やるせない思いとなっていた。
 「人を殺しただけでは無く、亡くなった彼を知人に依頼して死体の処理をしてもらいながら、何食わぬ顔でその後生活をしていました」
 「そうなのですね」
 「はい。・・・そして、その冬に、妻が産んだ私たち夫婦の、初めての子どもを・・・」
 この教会のこの場所に、捨てました。
 粉雪が降る寒さが身に沁みる夜、ただ産まれただけで何もしていないはずの小さな命が捨てられてしまう場面をごく自然と脳裏に浮かべた司祭が思わず沈黙してしまうと、己の言動を振り返り、漸く直面出来るようになった過去を強く強く悔やむ、私は何という酷いことをしてしまったのでしょうかと喉だけでは無く気力も振り絞った声が小さく響く。
 「私は、一人を殺し、一人を殺しかけました。その一人は、本当に神の導きのお陰で命を救われましたが、本来しなくても良いはずの苦労をしてきたはずです」
 本当に、なんということをしてしまったのでしょうか。神よ、私はどうすれば良いのでしょうか。
 その切実な問いかけに司祭がそっと溜息を吐き、救いを待つ罪人を木彫りの格子模様の隙間から見つめて良く告白してくれました、今まで辛かったのではないですかと問うと、彼が経験してきた苦労に比べればそんなものは辛い内に入らない、それだけではなく最近になるまでその事を忘れていたのですからと自嘲が返って来たため、人の苦労は比べるものではありませんと、どちらの苦労も理解出来る為、目を伏せて返すと沈黙が生まれてしまう。
 司祭個人の気持ちとしては、今目の前で後悔に暮れている男が、自分たちが苦労しつつも愛情を可能な限りかけて育てたリオンを捨てた事実を突きつけられて文句の一つも言いたい所だが、司祭として救いを求めて告解をする男に酷い言葉を投げかけることも出来なかった。
 私情を滲ませないように努力をするが、司祭という立場になってもやはり手も目も掛けた子どもが、張本人曰くの余計な苦労をしながら成長し、そして今まさにその過去に苦しめられている事を思えば、ついつい声に棘が出てしまうのは仕方の無いことだった。
 司祭と一個人としての心情の間で揺れながらも、結局傾いたのは司祭としての許しを与える事で、ですが、良くお話をしてくれましたと、溜息を零した後に気分を切り替えるように伝えると、仕切りの向こうで息を飲む音が聞こえてくる。
 貴方が今最も望む事は何ですか、と、感情を抑えた結果の声の震えを止められずに問いかけた司祭は、許しを乞いたいと囁かれて頷き、神はどんな人であっても許しをくれますと返すと、ありがとうございますと、一つの悩みからから解放された声に明るさが増すが、最大の悩みを解消しない限りはその声に張りが戻らないことに気付いた司祭が、ほかに許しを欲しい人はいますかと問いかけると、彼に直接謝罪をしたい、許してもらえるとは思わないが謝りたいと、後悔に沈んだ掠れた小さな声が途切れながらも本心をこぼし、司祭の口から自然と遣る瀬無い溜息が零れ落ちる。
 「・・・その願いは、今は叶えられません」
 「やはり、許してもらえないのでしょうか」
 「いいえ。貴方のいう彼は、今ここにはいません」
 それどころか、今どこにいるのか誰も知らないのですと、今度は司祭の喉が悲痛な声を絞り出し、仕切りの向こうから息を飲む音が聞こえてくる。
 「・・・・・・あなた方がウィーンに戻った次の日、出て行ってしまいました」
 彼が何よりも大切にしている人にも行き先は分からないそうで、私たちは連絡の取りようがないそうですと、どうあってもごまかすことのできない事実を伝えると、悲鳴じみた声が告解室に響き渡る。
 「そんな・・・っ」
 「・・・神がまだそのタイミングではないと、そのタイミングが来るまで待ちなさいと教えてくれているのでしょう」
 だから今は彼に対する謝罪よりも他の事をしましょうと諭すように伝えると、掠れた声がはいと答えた為、今更なのでどうなるか分かりませんが、警察に自首しようと思いますとも続け、司祭が警察ですかと呟き返す。
 「はい。今更なのですが・・・」
 あの当時警察にいた人がまだいるかどうかは分かりませんし警察がどの様に判断するかは分かりませんが、妻の事件で連絡先を聞いている刑事を頼りたいと思いますとも続けた為、確かにどうなるか分からないが、それで貴方の気が済むのならそうしましょうと同意をし、力が必要ならば私もここにいるシスターらも皆手を貸しますと、まごう事なき本心を伝えると、仕切り板の向こうから同じ様に心の底からの感謝の言葉が返って来る。
 「ありがとうございます・・・!」
 「・・・ちなみに、その刑事の名前は分かりますか?」
 ここの人達は刑事に知己が多い為、もしかすると何かの役に立てるかもしれませんと安堵に目を細めながら問いかける司祭に、確かコニーと呼ばれていましたと、記憶を探る様な声が返ってきて、ああと無意識に嘆息してしまう。
 今誰にも行き先を知らせずに一人になりたいと出て行ったリオンが以前働いていた警察、その時の同僚たちを愉快な仲間達と呼んでいたが、その中にコニーという刑事がいた事を思い出し、ウーヴェとの結婚式の時にも出席していた事を思い出した司祭は、行方不明になっていてもリオンが残した人との絆はこうして繋がっている事を教えられ、その続いている絆すら断ち切りたいと思える絶望を覚えてしまったリオンを思えばただただやるせなく、だが絆が切れていない事に、いつか必ず自ら答えを見出して帰ってくる事を確信する。
 「・・・その刑事でしたら良く知っていますよ」
 ですので、彼には迷惑かも知れませんが彼を頼ってみましょうと、未来の展望が明るい兆しを見せてきた事を伝える様に声を明るくする。
 「ありがとうございます・・・!」
 本当に、ありがとうございますと何度も礼を言う彼に頷き、今己がやりたいと思っていることの全てを伝えられたと、この時初めて安堵の溜息をこぼす彼に司祭も頷き、最後に祈りましょうと伝えて告解をする事を選んだ彼と、今一人で悩んでいる愛する子供の為にも祈りを捧げるのだった。

 

 告解が終わり心なしかすっきりとした顔で出て来たヴィルヘルムを蒼白な顔で出迎えたハイデマリーは、リオンと連絡がつかないことを伝えると、夫も司祭からそれを教えられていた様で、沈痛な面持ちで頷くだけだった。
 「・・・二人とも、今日はどこに泊まるか決めているのですか?」
 「まだ決めていません」
 二人をキッチンに案内し、少しでも落ち着いてもらおうと暖かな飲み物を差し出したマザー・カタリーナの言葉に、妻の手を握りながら俯き加減に呟くヴィルヘルムに、事情を掻い摘んで聞かされたブラザー・アーベルが痛ましげな目を向ける。
 「三人で使うのは狭いかも知れないが、俺の部屋にくるか?」
 誰もが沈痛な顔でキッチンの空気まで重苦しくなっている中、ゲオルグが咳払いをした後、良ければ家に来ないかと提案し、二人の救いを求める様な視線に苦笑する。
 「本当に久しぶりに会えたのが嬉しいだけだ」
 ただ部屋は福祉住宅並みに狭いがそれでも良ければくるかと問いかけ、ハイデマリーが一つ首を横に振り、マザー・カタリーナと話がしたいから、良ければウィルだけ泊めて欲しいとゲオルグに頭を下げる。
 「マリー?」
 「女性同士話したいことが沢山あるの。あなたは男同士でゲオルグと話をしてくればどう?」
 彼女のその提案に皆が一様に頷き、ゲオルグもそれで良いと頷いてくれた為、ヴィルヘルムが無言で頭を下げる。
 「・・・・・・よろしくお願いします、マザー・カタリーナ、ゲオルグ」
 「はい」
 ここに初めて来た夜を彷彿とさせる声でハイデマリーが皆の顔を見回して頷き、はいと頷いて彼女が受け入れてくれた為、安堵に溜息を零す。
 「明日、午前中にコニーに連絡をしてみましょう」
 「はい。そちらもよろしくお願いします」
 自分たちのことで何から何まで迷惑をかけてしまうが、よろしくお願いしますと、夫婦揃って深々と頭を下げた二人をただ痛ましげに見守ったマザー・カタリーナらだったが、彼らが本当に頭を下げたいと思っている己の息子は今どこで何をしているのかと胸中で呟き、早くウーヴェと一緒にここに顔を出してくださいとも強く祈ってしまうのだった。
 

 

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2020.11.29
やっと二人が認めた上で名前を呼びましたね。


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