11月に入り、街の街路樹も黄色に衣替えを済ませ、一日が経つごとに寒さを感じるようになってきたが、そんな街の中心から少し離れた川沿いの道を、いつものように家族にプレゼントされたステッキを頼りに、それ以上に頼りになるリオンと一緒に笑いながらウーヴェが歩いていた。
二人が揃って出歩くことは珍しくはないが、向かった先はここ最近訪れる回数が増えてきた友人の家だった。
友人の家は街の中心部から少し外れた、市内を流れる川沿いの景色などは最高だが、周囲には民家ではなく倉庫などが立ち並ぶ一角にあった。
そもそも友人が今住んでいるのは元々は倉庫だったものを、周囲の環境が良いから借り受けて仕事場兼住居にしたものだった。
その友人の自宅に、地面に落ちた黄色い葉を踏みながらゆっくりと歩いていた二人は、川に面したベランダに見えた人影がこちらに大きく手を振っていることに気付き、顔を見合わせて苦笑する。
「・・・・・・待ってられねぇのかな」
「楽しみだったんじゃないか?」
今日の日は彼にとってはおそらく初めての事かもしれないのだからと、見合わせた先に同じ感情を見出した二人は、苦笑を楽しげなそれに切り替え、リオンが片手を上げて合図を送り返し、肩に担いだ大きな箱を担ぎ直す。
友人の家に入るための短い階段を登り、リオンがクリニックのドアにするようなノックをすると、程なくしてドアが開き、両手を広げた青年が出迎えてくれる。
「ようこそ、リオン、ウーヴェ!」
「ああ、招待してくれてありがとう、ノア」
そして、ひと足お先に誕生日おめでとうと、出迎えてくれた友人、ノア・クルーガーの肩を抱いてリオンが嬉しそうに笑い、次いでウーヴェが頬にキスをして背中を抱きしめると、同じように嬉しそうにノアがウーヴェの頬にキスをする。
「リアがもう少ししたら来るって、さっきメッセージ入ってた」
「そうか。マザーとアーベルも後少しだけ用事を済ませたらこっちに来ると言っていたな」
今日は何しろお前がこの街で初めて迎える誕生日なのだからと笑うリオンにノアもはにかんだような笑みを浮かべて頷き、ウーヴェが中に入らないかと良く似た顔立ちの二人に提案する。
「あ、そうだな」
「ノア、まさかとは思うけど、前みてぇにオーヴェを床に座らせるつもりじゃねぇだろうな?」
この家にあるものといえば、仕事で撮りためた写真を加工するためのパソコンやプリンターなど、フォトグラファーの仕事に必要な機材ばかりで、プライベート部分にあるものはウィーンから運んで来たベッドと長年使っているライティングデスク、それに付属しているチェアだけだった。
ノアがこの街に引っ越して来た時は今ここでこうして笑っている三人の精神状態は今では信じられないほど落ち込んでいて、ノア自身も眠る場所さえあればどこでも良いと、当初はホームに転がり込んでいたのだが、その暗闇を抜けて両親から物心両面で独り立ちをする為、ブラザー・アーベルの紹介でこの倉庫が貸しに出されていることを知って引っ越したのだ。
それから月日は流れたが、さして物が増えている気配はなく、前回遊びにきた時にも何もない殺風景な部屋だとリオンが呆れていたが、ウーヴェの座る場所が床に置いたクッションだと知った時には流石にウーヴェのいないところでノアに忠告をしたのだ。
その時のことを思い出してニヤリと笑うリオンにノアも同じ顔で笑い返し、今日は大丈夫だ、と言ってもレディには椅子を用意したが、野郎連中は適当に座ってくれと笑い、ウーヴェにはアウトドアで使うチェアを買ってきたと、部屋に二人を案内し、小さなテーブル一杯に並ぶ料理とビールのボトルに二人が顔を見合わせ、随分と頑張ったなと笑顔でノアを褒める。
「まあな、と言いたいけど・・・」
本当に頑張ってくれたのは俺じゃないと、くすんだ金髪に手を当てて笑うノアの言葉に誘われたようにキッチンスペースからひょっこりと顔を出したのは、今日も忙しく店を切り盛りしているはずのベルトランだった。
「バート?」
「おー、来たか、ウー、リオン」
「あ、ああ・・・なんだ、ベルトランに作ってもらったのかよ」
テーブルに並ぶ料理がどう見てもどこかの店からケイタリングしたもののようだと思っていたが、料理ではなく料理人をケイタリングして来たのかと笑うリオンにノアも満面の笑みを浮かべ、その方が手っ取り早いしベルトランが来てくれると言ったからと、悪びれる様子もなく、街でも予約が取れない店のオーナーシェフを己の誕生日会に呼びつけた事を報告する。
呼ばれた方も友人の頼みだからか、嫌な顔一つせずテキパキと料理を作り、皆が揃ったら始めようと笑顔を浮かべたのだ。
幼馴染の手料理を意外なところで食べられることにウーヴェが一つ頷くことで感謝を示し、リオンも嬉しいなぁと顔と声で感情を素直に伝えると、伝えられた方もまんざらではないのか、照れたように鼻の頭を引っ掻いてノアに後誰が来るんだと口早に問いかけてしまう。
「あとは、リアとマザーとアーベルかな」
「この街に引っ越して来て初めての誕生日会だな」
ウィーンで暮らしていた時は両親の友人や自身の友人達がパーティを開いてくれたが、ここでは誕生日である自分が招待しなければならないと知り、それでも招待したい人の全てを招待したと笑うノアにそれで良いと頷いたウーヴェは、自分用だと教えられたアウトドア用のチェアに腰を下ろし、誕生日プレゼントを預けているリオンを手招きする。
「リーオ」
「ん?どうした?」
「それはいつ渡すんだ?」
「そーだな、皆が揃ってからの方が楽しいだろ?」
何しろ俺たちが選んだささやかなプレゼントなのだからと、己が担いで来た大きな箱を床に置いたリオンにノアが随分と大きなプレゼントだなぁと思いつつも、それが己へのプレゼントであると気付いているために何も言わなかったが、ドアがノックされる音が響き、やって来た客を出迎える為に部屋を出て行く。
玄関−といっても、ベッドルームも作業スペースも同じフロアの、剥き出しの鉄骨の間にパーテーションを置いて仕切っているだけの広いワンルームの為、玄関もアンティークなパーテーションを置いて区切っているだけ−から、女性と男性の声が聞こえて来て、今日ノアが招待した人達がやって来た事を知る。
「遅くなりましたね、リオン、ウーヴェ」
「平気。俺たちも今来た所だ」
やって来たのがマザー・カタリーナとブラザー・アーベルで、その後ろに大きな箱を大事そうに抱えたリアもいて、これで全員が揃ったとノアが嬉しそうに振り返る。
「みんな揃ったかー?」
ちょうど料理も出来上がりそうだ、皆ノアの誕生日祝いに食べてくれと、再度キッチンから顔を出したベルトランに、リアやマザー・カタリーナ、ブラザー・アーベルらの顔も輝き、楽しみだなと笑いながら、ビールケースにクッションを巻きつけただけの椅子にブラザー・アーベルが座り、アウトドア用のチェアにリアとマザー・カタリーナが腰を下ろす。
ノアでなければリアなどは呆れて付き合い方を考えさせてもらうと言い出しかねない家の様子だが、ノアという青年の素直な性格を知り、彼のせいではないのに血の色をした十字架を背負わされてしまった時から少し離れた場所で見守って来たリアや、彼女よりは身近にその十字架に押しつぶされそうになったノアを見守り続けてきたマザー・カタリーナやブラザー・アーベルにしてみれば、こんな事ですら元気になってくれた証だと笑顔で受け入れていた。
その二人よりもさらに間近−というよりは、ノアが背負ったものよりも重いそれを背負ってしまった−二人も、笑顔で出迎えてくれた事や今も嬉しそうにしているノアの様子にただただ安堵していた。
「ビールとワインと。さ、みんな何を飲む?」
マザーはラドラーだと勝手に飲み物を決めたリオンの言葉に母も素直に頷き、ブラザー・アーベルは白ワインのスプリッツァで良いかと片目を閉じると、眼鏡を掛けた天使像そっくりの顔に嬉しさと不満が入り混じった表情が浮かび上がる。
「乾杯の時はビールがいい」
「ん、分かった。・・・オーヴェは、はい」
テーブルに並ぶビールのボトルをアーベルのために王冠を開けるが、ウーヴェには振り返ることもなくボトルを差し出すと、自然とそれを受け取ったウーヴェがテーブルの端を使って王冠を引っ掛けてボトルを開ける。
その、ウーヴェらしからぬ乱暴に思える開け方に、初めてそれを見たノアのロイヤルブルーの双眸が見開かれるが、何かに気づいた顔でウーヴェに笑いかける。
「どうした?」
「今の開け方をしてる写真を撮りたいから後でもう一回やって欲しい、ウーヴェ」
今の横顔、ドキッとするほどカッコ良かったと、これもまた悪気も何もなく素直に己の感情を口に出したノアだったが、背後から不意に肩に腕を回されてそのままヘッドロックをされてしまい、目を白黒させてしまう。
「痛い痛い!」
「俺のダーリンを俺の目の前で口説くなんて良い度胸じゃねぇか、ノア」
「違う違う!ウーヴェがハンサムだったから!」
「それが口説いてるって言ってんだろうが」
突然始まった兄弟の諍いにウーヴェがぽかんとした顔を見せてしまうが、呆れたように肩を竦めるリアと、本気で心配し始めるマザー・カタリーナとブラザー・アーベルの様子に気付いて咳払いを一つした後、テーブルに立て掛けてあったステッキを手に取ると、軽く力を込めてコンクリートが剥きだしの床にステッキを一度打ち付ける。
コンクリートの床に意外と大きな音で響いたそれによく似た顔を同時に振り向けた兄弟は、視線の先に穏やかな顔の筈なのに何故か背筋に冷や汗が流れ落ちそうな笑みを発見し、二人同時に顔を見合わせた後、これもまたほぼ同時にウーヴェの側に駆け寄ると、右と左の頬にそれぞれキスをする。
「・・・心配かけた、オーヴェ」
「ごめん、ウーヴェ」
「・・・ほら、乾杯をするんだろう?」
料理の仕上げをしているかもしれないだろうが、ベルトランも呼んで来ようと苦笑し、ウーヴェの声に気付いたベルトランが顔を出した為、乾杯をするからこっちにこいと、幼馴染への特有の態度で手招きをする。
「おー、良いな」
料理人として呼ばれているのに乾杯に混ぜてくれるなんて嬉しいなと笑うベルトランにワイングラスを手渡しワインを注いだウーヴェは、皆の手にグラスやビールのボトルがある事を確かめ、まだ手ぶらだったリオンの為にマザー・カタリーナと同じラドラーを素早く作って手渡す。
「リーオ」
「ん、ダンケ」
ウーヴェが作ってくれたラドラーを受け取り、ノアの顔を見れば、パーティが始まることへの期待に胸を膨らませた顔でノアが口角を上げる。
「誕生日おめでとう、ノア!」
「ダンケ、みんな!」
リオンの掛け声に皆が声とグラスを掲げ、ありがとうとノアもグラスを掲げると、グラスとボトルが触れ合う澄んだ音が響く。
「・・・去年の誕生日が一人だったからさ・・・」
今年はこうして皆に祝ってもらえて本当に嬉しいと、グラスのワインを飲んだノアが照れたように小さく笑うと、リオンが空いた手でノアの頭に手を乗せ、髪をくしゃくしゃにする。
「良かったな」
「うん。────ありがとう、リオン」
お前が誘ってくれなければきっと今年も一人で過ごしていたと思うと素直な思いを口にすると、ポンと頭を一つ叩かれるが、面映さに顔を伏せたノアに今日は楽しむぞとリオンが笑いかける。
「ああ」
折角皆が集まってくれたのだ、楽しもうと笑ってベルトランがちょうど運んできたオードブルに歓声を上げる。
そんなノアをただ微笑ましそうに見守っていたウーヴェは、隣の床にリオンが座り込んだことに気付き、無意識の動作でくすんだ金髪に手を添える。
「料理美味そうだな」
「そうだな・・・誕生日ケーキはリアが作ってくれたみたいだな」
少し離れた椅子で、隣に座るマザー・カタリーナと談笑しているリアへと顔を向け、ケーキ作りありがとうと礼を言うと、それが聞こえていたように顔を振り向けられて照れたような笑みを返される。
「楽しみだなぁ」
「そうだな」
でもそれ以上に、こうしてここでノアの誕生日を皆で祝うことができることが嬉しいと、ウーヴェの手を掴んで掌にキスをした後、心より思っていることを笑顔で伝えたリオンにウーヴェが椅子から身を乗り出して頭にキスをする。
「ああ、そうだな」
一年前、ノアと初めて知り合った時に起こるべくして起きた問題と、それを解決するまでの暗くて長い時間を振り返ればゾッとするが、そのトンネルを抜けた今ならば全てが穏やかな時間に思え、もう一度リオンの頭にキスをする。
二人の前ではノアが料理を摘んでブラザー・アーベルに何やら話しかけ、期待通りの返事をもらって嬉しいのか、ニコニコと顔を笑みくずれさせていて、見ているこちらまで幸せになる笑顔だなと囁き合う。
「やっぱり良く似てるよなぁ」
未だに久し振りに会う人などにノアと間違われることがあると苦笑するリオンだったが、ウーヴェが手招きをした為に顔を寄せてノアの笑顔も好きだがお前の笑顔が一番だなといたずらっ気を込めて囁くと、リオンの口元が何やらモゴモゴとし、もぅダーリンったらぁと言う、ふざけた茶色いとしか言いようのない声を上げ、ウーヴェが呆れたようにリオンの頭に手をポンと載せるのだった。
ベルトランが腕によりをかけてくれた料理やビールにワインなどがほぼ皆の腹に収まり、リアが作ったバースデーケーキ−それはノアが食べたいとリクエストしていた巨大なティラミスだった−をテーブルに置き、ロウソクを立てて今日の主役が一息に火を吹き消す。
火が消えた後に拍手で皆がノアの誕生日を改めて祝い、プレゼントをお披露目することになったが、壁際のラタンの籠に無造作に投げ込まれているラッピングされている箱にリオンが気付き、あれは良いのかと問いかけると、ノアの顔に一瞬だけ言葉にできない感情が浮かび、それを素早く読み取ったリオンが目を細めて弟の感情を皆が望んでいる方へと向けさせる。
「・・・お前の親がくれたんだろ?開けてやれよ」
あの時も言ったしいつも言っていると思うが、本当にもう気にしていない、だからお前はお前を祝ってくれる人からのプレゼントを素直に喜んで受け取れと、ノアにしか聞こえない声で穏やかに囁くと、ノアの目が一瞬だけ潤んだようになるが、キュッと唇を結んだ後、口角を持ち上げて大きく頷く。
「プレゼントのお披露目ターイム!」
リオンがノアの肩を抱いてお楽しみの時間の始まりだと笑うと、ノアも同じように笑ってリオンの肩に腕を回す。
二人にとっては当たり前のことだが、その光景に言葉に出来ない感慨に思わずウーヴェが浸りそうになり、頭を一つ振ってマザー・カタリーナを見れば、同じ様に目元を和ませる彼女を発見し、視線が重なって互いに小さく頷き合う。
こうして二人が友人として付き合いができる、そんな関係になれたことが本当に嬉しくて、過ぎ去った辛かった時が報われたような気持ちになる。
「そう言えばリオン、あなた随分と大きなプレゼントを持ってきたのね」
ケーキを切り分けながらリアが感心した顔でリオンに問いかけるが、返ってきたのが言葉ではなくニタリと言う不気味な笑みだったため、これは聞いてはいけない事だったと気付き、訝るブラザー・アーベルとベルトランにケーキを食べましょうと話を振ってしまう。
「そうだ、大きな箱だよなぁ」
「そーだな。お前が今一番欲しいものじゃねぇかな」
笑いながらノアの腕を叩き、楽しみにしていろと片目を閉じるリオンにノアが首を傾げるが、マザー・カタリーナが誕生日プレゼントですと差し出した袋を開け、中から出てきた幅の細い手帳にノアが嬉しそうに目を細める。
「今はスマホがありますが、予定や日記を手帳に書くのも味があって良いですよ」
「ダンケ、マザー!」
「その手帳に合わせて、私からはこれかな」
そう言ってブラザー・アーベルが差し出したのは、その手帳に使ってくれと言わんばかりの万年筆で、ドイツ国内でも名の通ったブランドの箱を矯めつ眇めつした後、マザー・カタリーナに見せたものと同じ笑みを見せ、仕事の予定はこれで書き込めると嬉しそうに頷く。
「私からはこれ」
喜んでもらえると嬉しいのだけれどと、控え目な笑顔でリアが差し出したのは、革で出来たキーホルダーで、いくつか鍵を通せるように輪がついていたが、ボタンを留めることでズボンやバッグに引っ掛けることが出来るようになっている革の端に、ノアの名前が流暢な筆記体で彫られた丸いプレートがついていて、自分では選ばないデザインにノアの顔が輝く。
「ありがとう、リア!俺が選ばないデザインだから嬉しい」
「そう?良かったわ」
気に入らなければ返品しても大丈夫なように領収書もあるからと、ノアにはあまり馴染みのない誕生日プレゼントの風習に周囲も頷くが、贈られたプレゼントが気に入らなければ領収書を持って店に行けば買い取ってもらえると教えられて意外そうに目を瞬かせる。
「・・・俺からはこれだぜ、ノア」
いつもお前が欲しい欲しいと言っていたから特別に取り寄せてやったと、どう見ても不気味としか思えない笑顔でリオンが担いできた箱を開けるが、梱包材で厳重にラッピングされている大きなそれに皆の視線が集中する。
それがなんであるのかをリオン以外に知るウーヴェは何とも言えない顔でリオンを見守っているが、梱包材を破った瞬間、ノアの絶叫とベルトランの悲鳴が響き渡る。
「はぁあああ!?」
「キング!お前なんてものを・・・!」
「ほら、恋人が欲しいって言ってただろ?」
だから買ってやった、ラブドールだ、と、オフィスで働く女性をイメージした服装−より幾分かセクシーだった−な衣装を身に纏い、伏し目がちに鎮座する等身大の女性の人形がそこにあり、ノアと何故かベルトランが顔を赤くして叫ぶ側で、リアが何ともいえない顔で頭を振り、マザー・カタリーナとブラザー・アーベルが良くできた人形ですねぇと、本来の使用目的を知らない素朴な感想を口にする。
「名前はクリスティーナだって」
目と口を丸くして絶句するノアに、箱に同封されていた出生証明書−と書かれた品質証明書−を読み上げたリオンだったが、ニヤリと笑みを浮かべた後、仕事で引き受けるのが風景写真ばかりで仕事の幅が広がらないと前に話していただろう、風景写真を極めるのも悪く無いが、人物の写真の練習台に使えばどうだと、恋人がいないノアにラブドールをプレゼントする本当の意味を伝え、ノアが胸に手を当てて安堵の溜息を零したのに気付き、手招きをして耳に口を寄せる。
「大人しい良い子だから可愛がってやれよ」
「!!」
本当の目的は絶対に写真の練習台ではなく、ラブドールとしての本来の使用目的だろうとノアが真っ赤になってリオンを睨み付けると、心の底から楽しいと笑いながらリオンがノアの肩を抱く。
「・・・ノア、それはリオンの悪ふざけだ」
「え?」
流石にそれが誕生日プレゼントというのは趣味が悪すぎると、リオンの言動が悪ふざけだと証明するようにウーヴェが少し大きめの箱を差し出し、ノアがクリスティーナと言うラブドールの衣装じゃ無いだろうなと疑いつつ箱を開けると、仕事で重宝する、フードの付いたベージュ色のカメラマンベストが出てきて、ウーヴェとリオンを交互に見ると、着てみろとリオンに笑顔で促される。
ベストはこれからの寒い季節に重宝する裏起毛のもので、サイズもちょうど良く、ありがとうと素直に感謝の言葉を口にすると、喜んでもらえて良かったと二人がまるでノアの保護者のような気持ちで頷く。
「・・・ありがとう、リオン、ウーヴェ」
戸惑っているが、それでもクリスティーナをありがとうと複雑な顔で礼を言うと、後ひとつ残っているだろうとリオンがノアの背後を顎で指し示す。
「・・・うん」
ノアが壁際の籠の前に向かってもう一つ残っていた箱を持って戻ってくると、皆の視線が手の中の箱に集まり、緊張しつつ箱を開けると、そこから出て来たのはカメラを入れるためのバッグだった。
「・・・良いものなのか?」
「うん、有名なブランドじゃ無いけど、頑丈で使い勝手がいいバッグだ」
ショルダータイプではなく、野外での撮影が多いノアの為に送り主が選んでくれたのは、バックパックタイプのカメラバッグで、ジッパーを開閉すると荷物を入れるスペースが広がる便利なものだった。
その便利さに気付いている送り主の心遣いが嬉しくて、つい自然と顔を綻ばせたノアは、それでもやはり引っかかるとリオンとウーヴェを見つめるが、今まで信じていた世界が足元から崩れ去った恐怖と不安を抱きながらこの街に一人転がり込んで来て以来、何かと世話をしてくれ、必要ならば身元保証人にもなってくれる二人の顔に浮かんでいるのが、プレゼントを素直に受け取る期待だと気付き、せめて二人の期待を裏切りたく無い一心でバッグを背負うと、今は電話をしたりメッセージやメールをすることも無くなった両親の気持ちも伝わってくる。
「似合っているな」
「そーだな。便利そうだな、そのバッグ」
「うん、軽いしいい感じだ」
ウーヴェの言葉にリオンが頷き、ノアも嬉しそうに頷いた後、ベルトランが申し訳ないと断りながら、誕生日プレゼントは今日の料理と、次回店で使えるチケットだと言いながらそっと差し出した為、流石に全員の目が驚きに丸くなる。
「バート、お前、自分の料理の価値を正確に理解しているか?」
「そうだよ、ベルトラン!次回のチケットだけで十分だ!」
今日も無理を言って出張してもらっているのにと、慌てるノアにベルトランが照れた様な笑みを浮かべ、皆が喜んでくれただけで嬉しいしここにいる人達に俺の料理の対価を求めたく無いと肩を竦めた為、ウーヴェが理解を示したことを伝える様に手をひとつ打つ。
「ダンケ、バート」
「おぅ」
気にするなと幼馴染同士が話にケリをつけてしまい、置いてけぼりにされてしまったノアが困惑した顔でリオンを見るが、見られた方も気にするなとしか言わなかった為、本当に良いのかと上目遣いに見つめると、うわー、キングにおねだりされているようだと、心底恐ろしいと言いたげな顔でベルトランが体を震わせた為、リオンがノアの肩に顎を乗せてオネガイー、ベルトランーと戯けた声で呼びかける。
「やめろ、キング!」
「ははは。・・・リアのケーキまだ残ってるぜ」
気分を切り替えたようにリオンが笑みを浮かべ、皆が飲みたいと言うのならコーヒーを淹れるがどうだと一同の顔を見渡すと、高かったり顔の高さだったりそれぞれだが、皆の手が一斉に上がる。
「ノア、アーベル、コーヒーを淹れるから手伝ってくれ」
「あ、ああ、うん」
「ああ、分かった」
三人揃ってキッチンスペースに姿を消すのを確かめたウーヴェが、ベルトランを手招きして何事かを囁きかけると、いや、要らないと言う声と受け取れと言う幼馴染特有のやりとりが交わされる。
「・・・バート、ありがとうな」
「ああ、美味かったか?」
「美味かった」
いつも言っているが本当に美味かった、今日もありがとうと、流石に幼馴染の間でも交わす感謝の言葉を互いに伝え合うが、そんな二人を微笑ましそうにリアとマザー・カタリーナらが見守っているのだった。
楽しかったパーティも必ず終わりを迎えるが、明日からも今までのように一緒に食事をしたり遊びに出かけたりしようと笑いながらノアの肩を抱いたり頬にキスをしたりと、楽しかった時間が終わりを迎える寂寥感を次回の再会の糧にした皆を見送り、片付いた部屋に一人ポツンと寂しく残ったノアだったが、いつも感じている孤独が随分と和らいでいる気がし、賑やかだった時間の反動にしては寂しさをあまり感じないなと微苦笑する。
ベッドに腰を下ろし、何故寂しさを感じないのかと思案した時、ウーヴェが座っていたアウトドア用のチェアに足を組んで腰を下ろしているクリスティーナという名の美女に気付き、呆然としてしまう。
リオンからの誕生日プレゼントだが、ラブドールなど想像外で、これは一体どうすればいいのかと頭を抱えそうになるものの、確かにリオンが言ったように人物の写真撮影の練習になるかも知れないと思い直すと、栗色のロングヘアーに少しだけセクシーな衣装を身に纏ったクリスティーナが初めて雇ったモデルか何かのように思えてくる。
「・・・ティーナ、練習に付き合ってくれるか?」
今まで風景写真ばかりだったが、父のような人物の写真を撮ってみたいと、今まで口に出すことのなかった本音を零したノアは、あなたの良いようにしてと、何処かから優しい声に促された気がし、ベッドから立ち上がって彼女の横に立つと、栗色の髪を手に取りそっとキスをする。
その時、テーブルに置いたカメラを思い出し、電源を入れて先ほどまでの楽しかった時間を振り返るようにパソコンに接続して写真を表示し、最後に自撮りした為に少しだけ傾いた集合写真や、セルフタイマーで撮影した集合写真に満足そうに目を細める。
そして、今まで遠慮があった為にやらなかった両親への電話をしようかとスマホを手に取るが、パソコンのモニターに写し出されている集合写真をスマホのカメラで撮影し、緊張しつつメッセージアプリでグループになっている両親に写真を送り、誕生日プレゼントをありがとうだけのメッセージを初めて送るのだった。
生まれて慣れ親しんだ街ではない、世界の終わりを見た後に転がり込んだ街で出会った心優しい人達との楽しい時間を一生忘れないと思いつつ、日付が変わる頃にベッドに潜り込んだノアは、セクシーな衣装では流石に寒いと思ったのか、己がプレゼントされたベストをクリスティーナの肩に掛けてやり、お休みとつい本物の人に対するように声をかけて目を閉じるのだった。
2020.11.09
ハピバ、ノア!人生色々あるけど、楽しんだもん勝ちだって、二人を見て気付いて欲しいなぁ。ね。


