Über das glückliche Leben.3

Über das glückliche Leben(UGL)-Lion & Uwe -

 そろそろ厚手のコートが欲しいよな、そんな会話を朝食時に交わしたのは、初冬の急激な寒さに震えながら、ウーヴェが用意をしたゼンメルに齧り付いていたリオンだった。
 いつものように壁際の小さなテーブルに並んで朝食を食べていた二人だったが、いつだったかこの光景を目の当たりにしたウーヴェの兄、ギュンター・ノルベルトが目を吊り上げて食事という団らんの光景に相応しくない、今すぐキッチンを改装し、ダイニングテーブルと呼べるものを置きなさいと命じたのだが、考えておくとだけ伝えて兄の抗議を今のところ何とか封じていた。
 小さなテーブルで十分だと二人とも理解していたが、よくよく考えてみれば、二人並んで壁に向かって座っているのも確かに何かもの寂しい気もするとリオンが呟き、ウーヴェがそれならばキッチンの模様替えを考えようかと話していたものの、それはまだ実行されていないため、今日も今日とて壁に向かって二人並んで座り、ゼンメルと茹でたばかりの白ソーセージの朝食を食べていた。
 「今日ちょっと仕事で帰り遅くなる」
 「出張か?」
 父の秘書をしているリオンが仕事で遅くなると言うのならば父もそうなのだろうかと思案していたウーヴェの耳に流れ込んできたのは、今月の誕生日会の下準備と聞かされて眼鏡の下で激しく目を瞬かせる。
 「誕生日会?」
 「うん、そう。今月は結構人数がいて、各部署から色々持ち寄って大会議室でパーティをするんだよ」
 で、滅多に意識しないリオンの所属課の課長から準備に行ってくれと命じられたと教えられ、ああ、リオンは父の秘書だが所属課というのがあるんだなと、企業の人事関係に精通しているわけでは無いウーヴェがそうなのかとぼんやりと返事をする。
 「うん、課長と部長が二人揃って会長室に来て、ボスの前で言ってた」
 「・・・その二人も気の毒だな」
 「すげー緊張してた。あ、でもさ、ボスがひでぇの」
 他の部が忙しいだろうから、夜通しでも働かせろって言うんだよと、その時の父の顔を如実に想像出来る顔でリオンがゼンメルに齧り付き、上司の命令なら仕方ないなぁとウーヴェが微苦笑する。
 「まあ、仕事だからやるけどなー」
 腹が立ったから、部長と課長が帰った後、相談役が来たから全部暴露してやったと笑う顔はやはり悪魔の化身としか思えないもので、無言で溜息を吐いて頭を左右に振ったウーヴェは、とにかく今日は帰りが遅いんだなと再確認の言葉を告げると、口の中のものを飲み込んだらしいリオンのくすんだ金髪が上下に揺れる。
 「今日は往診があるから車を使いたいし、迎えに行こうか?」
 「マジ?助かる」
 親父や兄貴にはお前をタクシー代わりにしているのかと驚かれたが、別に不思議なことじゃないよなぁと呟くリオンの頬に微苦笑とともにキスを届けたウーヴェは、コーヒーの準備をしてくれと告げると、お返しのキスが満面の笑みと共に返ってくる。
 その笑顔から、リオンがやんわりと別の言葉に包んで伝えた本心をウーヴェがしっかりと読み取ったキスである事に気付いていると察し、朝一番のコーヒーを飲ませてくれと再度促すと、食べ終えた皿をシンクに運ぶ為キャスターのついたスツールで床の上を滑って行く。
 この移動方法も以前ならば眉を寄せていたものだったが、リオンがその方が楽だし手っ取り早いからと提案し、ウーヴェの左足の具合から受け入れたものだったが、今ではそれが当然のようになっていて、今日も最速の移動方法で皿をシンクに運んだウーヴェは、冷蔵庫を覗き込むリオンにいつもより少しだけ砂糖の量を減らして欲しいと注文をつけ、作業台のカウンターを支えに立ち上がろうとするが、左足に力が入らずにスツールと一緒にその場に倒れるように座り込んでしまう。
 「オーヴェ!?」
 背後で突如響いた大きな音にリオンが振り返り、床に何とも言えない顔で座り込むウーヴェを発見し、転けた拍子に頭や顔を打っていない事を手早く確かめると、何でもない顔でその場にしゃがみ込む。
 「どうした?」
 「・・・足に力が入らなかった」
 床に座り込んでいることがショックだと言いたげな顔で自嘲するウーヴェの頬を手の甲で撫でたリオンは、急な事だったからだろうと無意識に出来るようになった気遣いの言葉をかけてこれもまた当たり前の顔で手を差し出す。
 「ほら」
 差し出す手を眩しそうに見つめたきり身動きしないウーヴェに小首を傾げ、どうしたと再度促すと、リオンには意味のわからない溜息が一つ二人の間に零れ落ちる。
 「・・・ダンケ」
 「どーいたしましてー。すぐにコーヒーの用意をするから、待っててくれ」
 いつものようにリオンの腕を支えに立ち上がり、左足の様子を確かめようとするが、器用にウーヴェを支えたままスツールを起こしたリオンがそこに座れと顎で教えてくれた為、スツールに座って自然と胸を撫で下ろす。
 スツールに支えられる安心感を掻き消すように、いつもなら心の奥深くに閉まっているがそれでも間違いなく存在する後ろめたさが立ち上がったようで、ウーヴェの顔から表情が徐々に消えて行く。
 ダメだ、そちらに行くなと己を足止めする言葉を脳内で叫ぶが、一度覚えた後ろめたさはなかなか晴れてくれず、小さなため息をひとつ床に落とした時、視界に窓から嘴を突き出したペリカンの顔が飛び込んできて思わず頭を仰け反らせてしまう。
 「・・・はい、砂糖少なめコーヒー」
 「あ、ああ・・・」
 「ん?象のマグカップが良かったか?」
 リオンが己の両手に持つ二人のマグカップの絵柄を見比べ、ペリカンよりも象の方がいいかと小首を傾げた為、ペリカンで良いとぎこちない笑みを浮かべると、マグカップが頬に軽く充てがわれる。
 「ほら、ミルクもしっかり泡立てたぜー」
 「・・・うん、ダンケ、リーオ」
 「どういたしましてー」
 差し出されるマグカップを両手で持ちながらコーヒーを飲んだウーヴェだったが、優しい甘さとしっかり泡立ったミルクの感触とが後ろめたさを和らげていくようで、自然と口元に笑みが浮かんでくる。
 その顔を作業台に行儀悪く尻を乗せながら見下ろしていたリオンの顔にも安堵の色が浮かぶが、己と対話するのに必死だったウーヴェがそれに気付かず、リオンもまた見守っているだけで、ほんの少しの後ろ暗い感情が滲んでいるものの、それでも居心地は悪くない穏やかな空気がキッチンに広がって行く。
 「────リーオ」
 「ん?どーした?」
 その空気が高い天井に到着した頃、ウーヴェがスツールからリオンを見上げて名を呼ぶが、顔を向けたリオンの口元に白い髭が生えていることに気づき、笑みを零しながら親指でその髭を拭き取る。
 「泡、ついてた?」
 「ああ。カイゼル髭まではいかないけどな」
 「・・・髭伸ばそうかなー」
 「ダメだ」
 カイゼル髭と呼ばれる、左右の端がピンと上に向いた髭は無理だが、今流行りのお手入れをちゃんとした無精髭っぽく見せる髭の伸ばし方をしようかとリオンが顎を撫でるが、にべもない一言で却下をされて蒼い目を半ば閉じる。
 「むー」
 「いつもダメだと言っているだろう?」
 前職の時は忙しさのあまり身嗜みにまで時間を割けない時などは無精髭を生やしていたリオンだったが、今は残業も休日出勤も殆どない仕事に就いている為、他人から見て極端に不衛生だと思われるような髭の伸ばし方以外ならば誰にも何も言われないはずだった。
 なのに、誰よりも何よりも大好きなウーヴェが明確な理由もなく反対する為、髭を伸ばす伸ばさないの話になるといつもこうした会話が繰り広げられるのだ。
 「なぁんでダメなんだよー」
 「・・・ダメなものはダメなんだ」
 「何だよそれー!」
 まるで子どもが親におもちゃを強請り拒否された時のような言葉だと憤慨しつつコーヒーを飲むリオンを見上げたウーヴェだったが、メガネの下の目を茶目っ気たっぷりに細める。
 「・・・まあ、顎ぐらいなら、良いかな」
 いつも明確な理由を伝えずに反対していたが、その理由をそろそろ伝えても良いと口にする代わりに口ひげはダメだが顎ならば良いと告げ、消えてしまった白い髭があった場所を再度指の腹でなぞると、リオンがその手を掴んでそのまま口元に引き寄せる。
 「あご髭は良いのか?」
 「そうだな」
 「じゃあ伸ばそうかなー。あ、でもさ、オーヴェはダメだからな」
 「どうして?」
 リオンがまるで手慰みをするかのように己の手の甲や指の腹、爪にキスをしたり軽く舐めたりするのを擽ったさを堪えながら許していたウーヴェは、リオンがキスの合間に零した言葉に軽く驚いたふりをし、何故だと問いかけながら手を取り戻す。
 「・・・お前は髭なんか生やさなくてもそのままで十分にセクシーなんだよ」
 そこに無精髭なんて生やしてみろ、周囲の有象無象の視線が集まって大変なことになる。
 朝一番で聞くには刺激の強いその囁きにウーヴェの目が眼鏡の下で見開かれ、何か巧い返しが無いかと脳内をひっくり返すが、出てきたのはリオンにそんな風に思われている事実に浮かれる気持ちひとつだけだった。
 素直に感謝の言葉を伝えるのも癪だし、黙って微笑むだけでも物足りなかったため、リオンの伸びてきた尻尾を軽く掴んで頭を仰け反らせる。
 「いて」
 「うるさい、バカたれ」
 おきまりの文句を伝えた後、ウーヴェにしては珍しい太い笑みを浮かべ、不満そうに見下ろしてくるロイヤルブルーの双眸のすぐ傍にキスをする。
 「それは俺の言葉だ。使用許可を取ってもらわないと困るな」
 「えー、使用許可いるのかよー」
 「ああ」
 顔を寄せてクスクス笑いながらの言葉遊びを楽しんだ二人だったが、場所がキッチンであり時間が朝である事を思い出し、情と欲が強くなるのを何とか堪えるが、どうあっても抑えられない気持ちを伝え合うように笑みを浮かべた唇を重ね合う。
 「・・・じゃあ、仕事が終わりそうになったら連絡をくれ」
 「ん、分かった。帰りさ、温かいものでも食って帰ろうぜ」
 「ああ、そうしよう」
 二人同時にコーヒーを飲み終え、象とペリカンが描かれたマグカップをシンクに置いたウーヴェは、薄らいだもののまだ少し居座っている後ろめたさを頭をひとつ振ることで霧散させ、一足先にキッチンを出たリオンを追いかけながらも己のペースでゆっくりと出勤の支度をする為にベッドルームに戻るのだった。

 

 

 毎月何があろうとも必ず行われるバルツァーの本社を挙げての誕生日会、その準備を行っていたリオンだったが、脳裏に浮かんでいたのは今朝コーヒーを飲む直前にウーヴェが見せた表情だった。
 あれは絶対に良くないことを考えていたはずだと脳内で呟き、さてその良くない考えが迎えに来てくれた時には解消していれば良いとも呟くが、控え目に名を呼ばれて振り返る。
 そこにいたのはリオンが所属していてもほとんど交流のない秘書課の社員で、何故か頬を紅くさせていた為、暖房が効きすぎているのかと空調の吹き出し口を見上げる。
 「これで、良いかしら、リオン」
 「んー、良いんじゃねぇの?俺の時はもっと食い物がいっぱいある方が嬉しいけどな」
 翌月に控えた己の誕生日会の時にはもっとチョコレートを置いてくれと、人が見れば感心するやら呆れるやらの笑顔で頷いたリオンに呼びかけた彼女が一瞬目を見開き、来月はそうしましょうと思案気に呟きながら友人らしき社員の傍に向かうのを横目で見送るが、彼女の様子が気になって作業の手を止めてしまう。
 「────しっかり働いているか?」
 そんな時、ドアが開いてのんびりとした声で室内に呼びかけた者が現れ、やっている、見て分からないのかねーと思わず聞こえるように呟いたリオンは、その声の主が誰であるかをしっかりと見抜きながらも減らず口を叩き、周囲にいた人たちの顔色を一斉に青くさせる。
 「・・・本当に口が減らないな、お前は」
 「口が増えたり減ったりすれば大問題だっての」
 手にした紙テープをグルグルにまとめながら、ただ単に言葉のキャッチボールを楽しんでいるだけだと伝えるような笑みを浮かべて振り返ると、口ひげを指先で撫でながら鼻息荒くふんと言い放った立身出世のお手本であるレオポルドが立っていた為、ニヤリと笑みを浮かべてまだ帰ってなかったのかと問いかける。
 「ああ。お前がちゃんと働いているか確かめに来たぞ」
 「何だ。相談役に俺にだけ働かせるなと言われたから来たのかと思った」
 「そんな事を言う訳がない」
 「ま、それもそうかー」
 会長室で交わす言葉のキャッチボール、それをここでも当然のように繰り広げたリオンを、室内にいたほぼ全ての人間がなんて恐れ多い口をと言いたげな顔で見守っているが、そこに更にドアのノック音が響き、誰かが声を上げる前にドアが開かれる。
 「準備は進んでいるか?」
 ドア付近でバルツァー会長とその秘書がいつも通りのキャッチボールを始めたが、ドアを開けたのが会長の息子であり社長であるギュンター・ノルベルトだったため、室内になんとも言えない空気が充満する。
 何故今日に限って親睦会主催の誕生日会の準備会場に会長と社長が顔を出すんだと、その場にいた皆が心の中で呟いただろうが、その原因となっている事に気付いていないリオンが暢気な声を上げる。
 「あれ、今帰って来たんですか?」
 「ああ。────給料に反映させるのはまだ難しいが、今月の誕生日会のプレゼントを増やせそうだ」
 「ヒャッホゥ。さすが社長」
 今、バルツァーの社長直々の取り引きがいくつかあるのだが、そのうちの一つが何とか纏まりそうだと微かな自慢を浮かべて笑う社長にリオンがさすがと手放しで褒め称え、さっきまではハラハラした顔で作業をしていた社員一同が手を止めて顔を見合わせた後、それぞれの温度差はあっても喜んでいる事を表すように声をあげたり笑顔になったりする。
 「誕生日会の準備は大変だろうが、楽しみにしている皆の為にもう少しだけ頑張ってやってくれ」
 「はい」
 ギュンター・ノルベルトの一言に社員の顔に更にやる気が出たようで、その様子を感心したように見ていたレオポルドとリオンだったが、順調に準備が進んでいることに安堵したのか、二人があとを頼むと残して会議室を出ようとしていることにリオンが気付き、二人の背中に小さく呼びかけて己も一緒に会議室を出る。
 「・・・ちょっといいか、親父、兄貴」
 「どうした?」
 減らず口を叩き、上司を上司とも思っていない節のあるリオンだったが、会社では流石にそれなりに分を弁えているようで、滅多に二人の事を親父や兄貴と呼ぶことはなかった。
 だがそれをしてきた理由を察した二人が顔を見合わせ、時間が掛かる話なら社長室に来い、それ程でもないならエレベーターで話そうと提案し、レオポルドとリオンが頷くが、何かを思い出したように会議室のドアから顔を突っ込み、二人に呼ばれてもう戻って来られないから後は頼むと告げ、エレベーターに向かう二人の背中を見て足を止める。
 目の前を歩く背中は一方は見るからに厳つくて、どんな荒波が襲ったとしても倒れない力強さを見せつけていたが、もう一方はそれに比べれば華奢さが目立っていた。
 だが、華奢といってもそれはあくまでも隣に並ぶ背中と比べればの話であり、一人で立っている背中をみれば、素直に認めるのは癪だが、嵐の中でもしなやかにそれをやり過ごす強さを持っているのだ。
 この二人の男の肩に、バルツァーの社員とその家族の生活がのしかかっているのだと不意に思い至ると、それがどれほどの重責であるかに気付き、自然と頭が下がってしまう。
 本当ならば己のような出自の者が気軽に口をきいてもいいような男達ではないと誰よりもリオン自身が自覚していたが、その話をある日珍しく酔った勢いでウーヴェに零した事があった。
 お前が敬愛する二人はそんな些細なことなど気にしない人達だと思うけれどと、頬づえをつきながらリオンの目尻を指の腹で撫で、今背中を追いかけている二人と共通する笑顔で、お前はお前だから二人も信頼していると教えられた事を思い出す。
 それに、あの二人はどんな事を言っていたとしても他の誰よりもお前を認めている、これだけは誰に何を言われても、例え本人が認めなかったとしても間違いはないとも断言され、キスとともに、お前はお前のままでいいと励まし認めてくれたのだ。
 ウーヴェのその言葉に力をもらった夜を思い出し、口元に太い笑みを浮かべる。
 今朝のウーヴェの不可解な落ち込みよう、それから回復しているかどうか、また回復しない時はどのようにすれば良いのかのヒントを二人から得たかったが、脳内で穏やかに話すウーヴェの声を聞いていると、その行為自体があまりにも馬鹿らしく思えてくる。
 ウーヴェが落ち込んだ時、気分が沈んでいる時、どのようにすれば良いのかなど二人に聞くまでもなくわかっている事だった。
 己はウーヴェとは違って人の心の機微に疎い、だから教えてくれと言葉に出せば良いのだ。
 そして、得られた答えが何であろうと、いつものようにハグをすれば良いのだ。
 そんな簡単な解答に何故たどり着けなかった、二人の手を煩わせるような事を何故思いついたと、己の馬鹿さ加減に自嘲してしまうが、そんな事で悩んでいると目の前を行く二人に追いつき追い越す事など不可能だとの声も聞こえてくる。
 確かに二人に追い付くことやましてや追い越す事など不可能かもしれないが、そうなりたいと願うことは出来るはずと、右手の薬指のリングと胸元にぶら下がるもう一つの約束のリングに問いかけ、心の中にするりと入り込んでくる声に再度励まされたリオンは、エレベーターの前で待つ二人の後ろに立って小さく息を吸う。
 「フェリクスと何かあったのか?」
 そろそろお前達の間に起きた直近の事件から一年が経過するが、それ以降は前と同じように仲良く過ごしているんじゃなかったのかと、ギュンター・ノルベルトの顔が社長のものから兄のものへと変化を果たし、それを聞いていたレオポルドの表情も僅かに曇った為、確かにウーヴェに告げられた、二人はお前を認めているとの言葉を噛み締めてしまう。
 以前ならばギュンター・ノルベルトの心配の対象は、まずはウーヴェであり、次いでウーヴェの周囲に向けられていたが、一年近く前の事件を境に、ウーヴェだけを対象にしなくなっていたのだ。
 それを表すのが、先程の問いだとしっかり気付いているリオンが気弱な己を殴りつけるような笑みを浮かべつつ、敬愛する二人の男に心配を掛けさせてしまったことを瞬時に反省し、あの時のような無様な姿はもう二度と見せないから安心してくれと二人の顔に安堵の色を浮かべさせ、気分を切り替えるように大きく伸びをする。
 「ケンカをした訳じゃないんだな?」
 「あー、それはねぇ。あ、でもさ、ひとつだけ教えて欲しい」
 頭の後ろで手を組んで笑うリオンに二人が顔を見合わせるが、どうしたと問いかけたのはレオポルドで、ウーヴェが意味不明に落ち込んでいる時、どんなふうに慰めたと問われて二人が再度顔を見合わせる。
 「・・・そう、だな・・・何かがあった訳でもないのに落ち込んでいる時は、いつも足の上に座っていたな」
 「ああ、そう言えばそうだった。ソファで座っていたら急に足の上に乗って来たな」
 「・・・なるほど」
 幼い頃のウーヴェを知る二人の言葉にリオンが顎に手をあてがうと、それで何とかなるだろう、ありがとうと礼を言ったため、何か落ち込ませるような事をしたのかと、ギュンター・ノルベルトの視線が険しくなる。
 「違う違う。オーヴェが朝ちょっと落ち込んでたみたいだからさ」
 「そうなのか?」
 「ああ。ま、それで何とかなるかな」
 何とかなるというか何とか出来るなと笑いながらもネックレスに通して首からぶら下げている2本目のマリッジリングに無意識に手をあてがったリオンに、何でもいいがあまり周囲に心配をかけるようなことはするなと、年長者の顔で忠告するギュンター・ノルベルトにレオポルドが同意するように頷く。
 「後のことは頼んだからオーヴェに迎えに来てもらおうっと」
 今日も頑張って働いた、だからそろそろ帰っても良いだろうと伸びをするリオンに今度は呆れたような顔で二人が溜息を吐いて首を左右に振るのだった。

 

 

 パチパチと暖炉で爆ぜる炎の音を、冬の定番になっている暖炉前のソファベッドに寝転がりながら聞いていたリオンは、ソファのカウチ部分にクッションを山積みにして寄り掛かりながら雑誌を読んでいるウーヴェへと顔を向ける。
 今リオンが見ている横顔は、会社に迎えに来てくれた後、最近気に入って通うようになったスペインの家庭料理を出してくれる店で食事をしている時から変わらない穏やかさを湛えていて、今日一日が充実した日であったことを教えてくれていたが、今朝のあの落ち込みようから本当に回復したのかという疑問が芽生えてくる。
 芽生えた疑問をどのように投げかけようかと、普段ならば滅多に考えないことを考えたリオンは、寝返りを打って腹ばいになると、クッション代わりにしていた魔法のブランケットを手繰り寄せ、抱え込むように腕を回す。
 眼鏡を通して雑誌を読むその顔は、リオンがいつも望んでいる穏やかな優しいものだったが、時折目が細められるのは、雑誌に気になる何かを見つけたからだろうか。
 少しだけ離れた位置から見慣れたと言っても過言では無い横顔を見上げていると、本の世界に没頭しているときには滅多に見られない事だが、ターコイズ色の双眸が眼鏡の下からリオンを見つめるだけではなく、顔も向けられる。
 「・・・どうした?」
 「んー?何か幸せそうに本を読んでるなーって思っただけ」
 「何だそれは」
 「何でもねぇ────な、オーヴェ」
 本の世界から舞い戻ってきたのをこれ幸いとばかりにソファベッドに座り込んで魔法のブランケットを抱え込んだリオンは、雑誌から完全に顔を上げて身体全体で向き直るウーヴェに気付いてソファベッドに立ち上がると、驚く伴侶の視線を受けながらクッションとウーヴェの間に入り込んで細い肩に顎を乗せて満足そうにひとつ笑う。
 「な、何だ?」
 「うん。教えて欲しいことがある」
 突然背後に回り込んで抱きしめてくるリオンに驚きつつもどうしたと問いかけリオンのくすんだ金髪に手をあてがったウーヴェは、教えて欲しいことがあるなどと珍しく前置きをしてくることにも驚き、視線だけを背後に向ける。
 「どうした?」
 「今朝さ、コーヒー飲む前に何か落ち込んでただろ?」
 落ち込む理由は何となく理解出来るが、お前の口から聞かせて欲しいと、ウーヴェの肩から胸元に言葉を落とすと、腕の中の体がわずかに緊張したように揺れるが、無意識の動作で右手薬指できらりと光る二本のリングを撫でると、眼鏡を外して軽く目を伏せる。
 「・・・足に力が入らなくて座り込んでしまっただろう?」
 「ああ」
 その後、立ち上がるのに自力では出来ずにお前の手を借りた、それが今朝は後ろめたさを引き出したと呟くウーヴェにやっぱりそうだったかと納得の声を上げたリオンは、情けないと自嘲する頬に頬を摺り寄せるが、掛け声一つでウーヴェの体を反転させると、その手であまり伸びない頬を少しだけ伸ばすように引っ張る。
 「・・・!」
 痛いという小さな声に悪戯が成功した子どもの顔で笑ったリオンは、結婚して何年になるんだよー、まだ気にしてるのかよーと、不満と言うには明るさが滲んだ声をウーヴェにぶつけ、それに更に驚いたように目が瞠られたため、笑みを浮かべた口元そのままに、驚くウーヴェのそれにそっとキスをする。
 「まだ気にしてるのかって言ってもオーヴェは気にするか」
 「・・・ああ」
 リオンのキスと戯けた風の言葉に自然と促されたのか、結婚してどのくらい経ったのか、つまり左足を悪くしてからどのくらい経とうとも、やはり気になってしまうし罪悪感すら抱くときがあるとウーヴェが素直に頷いて微苦笑すると、いつもいつも言ってる俺の言葉をもう少し信じてくれても良いのになぁという暢気な声が二人の間にこぼれ落ちる。
 「悪いじゃなくてありがとうって思ってくれって言ってるよな」
 「・・・ああ」
 「じゃあそう思えよ、オーヴェ」
 何年経とうが忘れる事など出来ない事件、その傷が罪悪感を与えてくるだろうが、事件をこうして二人で乗り越えている、手を貸してくれる人が俺にはいるのだから感謝していると笑えと、今度はウーヴェの両頬を軽く抓ったリオンは、ウーヴェの目が少しだけ左右に泳ぐのを見守りながらもそのままにするつもりがなかった為、二人の間でいくつかある大切な言葉を口にしてウーヴェの心をある方向へと向かわせる。
 「素直じゃない、強がるお前も好きだけど、素直なお前はもっと好き」
 だから、俺に迷惑をかけると俯くのではなく、迷惑をかけてしまうがありがとうと顔を上げろと、俺が望むその言葉をもっと聞かせてくれと笑えば釣られたようにウーヴェの口元にも笑みが浮かび、じわじわとそれが顔中に広がっていく。
 「・・・ダンケ、リーオ」
 「うん」
 たった一言、その一言がどれだけ俺を勇気づけ笑顔にしてくれるのか、少し前の事件で身に沁みた事を思い出したリオンは、もう一度言ってくれと強請りながらウーヴェに顔を寄せ、逆に両頬を温かな手に包まれて嬉しそうに目を細める。
 「ダンケ」
 「────お前に褒められたり感謝されるの、好き」
 他の誰がどれだけ盛大に褒め讃えようが、お前のたった一言の、ありがとうの言葉には太刀打ちできないと笑うリオンにウーヴェも小さく声を立て、鼻の頭を触れ合わせるように顔を寄せる。
 「教えてくれてありがとうな、オーヴェ」
 もし次に二人が喧嘩した時も、そのとき感じた思いをこうして教えてくれと、額と額を合わせて笑うリオンにウーヴェも同じ顔で頷き、信頼の証にリオンの頭をそっと抱きしめる。
 結婚するまでに二人の間に起きた事件は今でも時折顔を覗かせては、二人の気持ちを沈ませたりしていたが、結婚してからの大小様々な事件も今までと同様に二人の心に陰を落としていた。
 だが、振り返ればそれらすべてをこうして思いを口に出して確かめ、抱きしめあって乗り越えて来た事を改めて思い出したウーヴェは、抓られた頬の痛みを和らげる為、柔らかなくすんだ金髪に頬を押し当てる。
 「────俺の、俺だけの・・・」
 太陽という決まりの言葉をリオンの口の中に伝えたウーヴェは、今朝不意に感じた後ろめたさが静かに元の場所へと戻っていった事を確認し、感謝の言葉を伝える代わりに一度離れた唇を追いかけるように再びキスをするのだった。

 

 

 翌朝、いつものようにウーヴェに起こされて文句タラタラな態度でキッチンに向かったリオンは、テーブルの上にいつもより少しだけ豪勢な朝食が並んでいることに気付き、きなりのエプロンを外しながら椅子を引くウーヴェを抱きしめる。
 「こら!早く食べないと冷めてしまうぞ」
 「うん。オーヴェも食おうぜ!」
 テーブルに並ぶのがリオンの好物ばかりだった為、昨日の落ち込みを反省し、これからも宜しくと素直に言えないウーヴェが見せる謝意だと気付いたら眠気など吹っ飛んでしまったようで、スクランブルエッグをゼンメルに挟んで食べると椅子を引いて座る。
 「Guten Appetit !」
 「ダンケ!」
 食事をする時は可能な限り二人でと、いつからか決めていた事が、一年前の事件の後は不文律になっていて、しかもウーヴェがどうぞ召し上がれと口にしない限りリオンはフォークを手にしなくなっていた。
 なので今朝もその決まりをウーヴェがいつものように伝えると、リオンの顔に満足そうな笑みが浮かび、自分の為に用意された料理を食べ始めるが、隣で同じようにウーヴェも食べ始めたことに気付き、今日のコーヒーはどうしましょうか陛下と戯けたように問いかける。
 「そうだな・・・しっかり泡立ったミルクたっぷりのコーヒーが良いな」
 「仕方ねぇなぁ。じゃあ泡だて頑張るかー」
 陛下のお望みとならばと笑って頷くリオンに頑張れと笑ったウーヴェは、前払いのご褒美だと片目を閉じてリオンの皿にベーコンを一枚載せる。
 「ダンケ」
 「どういたしまして」
 二人壁に向かって並んで座り、キッチンの広さを思えば悲しくなるような小さなテーブルで食事をするのは一歩引いて見れば滑稽に見えるが、それでも二人にはそれで十分で、今朝も昨日と変わらない同じ場所で同じように笑いながら食事をし、明日も同じように笑っていられるように今日一日満足した日が過ごせますようにと密かに祈るのだった。

 

 「────じゃあオーヴェ、行ってくる」
 「ああ、行ってこい」
 朝の支度を終えてネクタイをいつものようにウーヴェに結んでもらったリオンは、感謝の言葉をウーヴェの頬にキスとともに伝え、頑張ってこいの言葉をキスと一緒に頬にもらう。
 「今日は早く帰れるから」
 「ああ。じゃあ今日は映画を観に行かないか?」
 「いやっほぅ」
 今夜は映画デートだ、それが終わったらお気に入りのバーに行こうと笑い、互いの右手に嵌るリングに交互にキスをすると、今日も一日働きますかーと暢気な声ながらもやる気を起こさせる言葉を残してリオンが家を出て行く。
 その背中を見送ったウーヴェも、感心している場合ではないと気付き、室内に張り巡らされている手摺りを頼りにベッドルームに戻り、出勤の準備に取り掛かるのだった。

 


2019.12.08
サイト開設10年!ですが、いつもと変わらないお話になりました(・・;)
更新頻度も少なく、マイペースなサイトですが、いつも来てくださり、拍手下さるみなさま、本当に本当にありがとうございます。
このお話を読んで少しでも喜んでもらえると嬉しいです。


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