Mutter’s Tag

Über das glückliche Leben(UGL) -Lion & Uwe -

 春の色合いが強くなり、時折初夏を感じさせる日差しが降り注ぐようになった5月のある日、いつものように患者と誠実に向かい合う時間を無事に終え、明日の診察の準備も終えたウーヴェがクリニックのカウチでクロスワードに向かい合っていた。
 その穏やかな時間を極力妨げないように気をつけつつも仕事をこなしていたリアが、デスクに置いていたスマホにメッセージが届いたことに気付き、素早くチェックをする。
 本と向かい合っているにもかかわらずにリアの様子に気付いたウーヴェだったが、患者がいるときならばともかく、今は休憩中のようなもののために特に咎める事もなくクロスワードに再度集中しようと鉛筆の尻で顎を軽くノックするが、聞こえてきた驚きの声に身体全体で彼女へと向き直る。
 「リア?」
 「大きな声を出しちゃったわ。・・・もうすぐ母の日だから何を贈るんだって弟からメッセージがきて・・・」
 すっかり母の日を忘れていたと慌てる彼女の言葉にウーヴェも当初は素直に頷いていたが、あなたは何を贈るのと問われ、本日最大の衝撃を受けたと言わんばかりに眼鏡の下で目を丸くする。
 「・・・考えていなかった」
 「・・・毎年、贈っていなかったわよね?」
 「あ、ああ」
 幼い頃に巻き込まれた事件の結果、家族間で感謝の思いを伝えるのに絶好の日である母の日や父の日、誕生日にクリスマスなどのイベントごとにも家族と同じように距離を置くようになっていたため、家を出てからは特に何かをしたことなどなかった。
 もしかして己はとんでもない親不孝なことをしてきていたのではないかと、不意に強く感じてしまって珍しく親指の爪に歯を立てたウーヴェに、リアがどうしたのと不安そうに問いかけ、その行為を止めさせる。
 「いや、確かに今まで何も贈っていなかった、と思ったら・・・」
 何と自分は親不孝なんだと思ったと苦笑するウーヴェにリアも神妙な面持ちで頷くが、それに気付いたのならばこれから親孝行をすれば良いと笑みを浮かべてウーヴェを驚かせる。
 「いつものあなたならばそう言うわ。ね、ウーヴェ」
 「・・・そう、だな」
 まだまだ納得出来ない感じはあるが、確かにそうだと前を向いたことを教えるように頷いたウーヴェは、それで今年の贈り物は何にするんだとリアに問いかけながら足を組む。
 「そうねぇ。母は最近アレルギーが酷いから生花は止めてプリザーブドにしようかしら」
 「ああ、そう言うのもあるんだな」
 「ええ。ドライフラワーともまた違うし、色褪せしにくいからずっと飾ってられるの」
 患者に対して誠実で、男女の友人に対しても常に礼儀正しく気配りが出来る-と思われているが実は大して気配りなど出来ない事を見抜いているのはごく少数の友人達-ウーヴェにも女性に贈れば喜ばれるものについては疎いところがあった。
 だからそのプリザーブドフラワーを買って母に贈れば喜んでくれるのかと想像するが、まったく想像出来ない事を肩を竦めることで表現してしまい、花に拘らずにケーキでも食事でもスカーフや服などでも良いと、リアが見るに見かねたように助け船を出す。
 「・・・帰ってリオンと相談するかな」
 「そうね。そう言えばリオンはどうしていたの?」
 あなたが贈っていない事は分かっていたが伴侶はどうなんだと問いかけられて小首を傾げるが,再度肩を竦めて首を左右に振る。
 「贈っているのを見たこともないし、マザー・カタリーナから聞いたことも無いな」
 「そう」
 「ああ。・・・感情的になって贈ったことがなかったんじゃないかな」
 生後間もなくから孤児院で育ったリオンにとって、母の日に代表される家族との絆を否が応でも感じさせるイベントに素直に向き合えるとも思えず、つい最近になるまでマザー・カタリーナを母親のようなものと表現していた事からも、母の日に何かを彼女に贈ったとも思えなかった。
 伴侶の過去について聞かされるようになったとはいえ総てを知っているわけではないが、これは間違いないだろうと苦笑したウーヴェは、クロスワードを閉じて天井を見上げ、カウチの背もたれに腕を回して嘆息すると、己が吐いた溜息が顔に降りかかるまでの短い時間の悩みを打ち消すように頷くと、リアも同意するように笑顔で頷く。
 「私はプリザーブドフラワーを買うけど、あなたはどうするの?」
 「母さんにはスカーフか何かでも良いのかな・・・」
 「そうね、喜ばれると思うわ」
 あなたのお母さんに似合うものがあれば良いわねと笑い、クリニックを閉める時刻が近付いてきたことに気付いた二人は、明日の準備を確認したあと、今日も一日お疲れ様でしたと笑い合う。
 「明日もお願いします、ドクター」
 「ああ。こちらこそ頼む、フラウ・オルガ」
 リアがここで働くようになってからの変わらない習慣を厳かな顔で行った二人は、今日はリオンが少し遅くなるから会社に来てくれと言われたことをウーヴェが思い出し、ならば早く行ってあげてと促されて頷き、カウチに立てかけていたステッキを頼りに立ち上がる。
 「今日もお疲れ様、ウーヴェ」
 「ああ。今日もありがとう、リア」
 きみがいてくれるおかげで本当に助かると、常日頃思いながらも口に出来ない言葉を伝えると、リアの顔に若干の照れが浮かぶが、次いでそれを誇りへと昇華させたような笑みに取って代わられる。
 「早くリオンを迎えに行ってあげて」
 「ああ、そうしよう」
 てきぱきとクリニックを閉める準備をしたリアにウーヴェが頷き、今日は友人とオペラを観に行くと笑う彼女に笑顔で手を振ると、戸締まりの確認を済ませてクリニックをリアから少しだけ遅れた後出て行くのだった。

 リオンを迎えに行ったウーヴェだったが、自宅で食事の用意をすることを考えると気怠さが増してしまい、ゲートルートで食べて帰らないかと提案すると、シートベルトを装着した助手席でリオンが伸びをしつつ賛成と欠伸混じりの声で告げる。
 「リモーネでも良いなぁ」
 「パスタ?」
 「ピッツァとジェラート!」
 ゲートルートは二人にとっては第二のキッチン-というよりは実質的には第一のキッチン-と化している為、ごく自然とその名を出すが、今日はイタリアンも捨てがたいとリオンが提案したため、ウーヴェが呟くとそれにリオンが己の希望を呟き返す。
 その提案を受け入れたことを教える代わりにウィンカーを出して車線変更をしたウーヴェの様子からリオンが行き先を判断し、チーズとハチミツの甘いピッツァが食べたいと鼻歌交じりに呟き、カルボナーラを食べようとウーヴェがステアリングをノックする。
 車は帰宅を急ぐ人達が少しだけ慌てたように運転する車列に紛れ、大きく渋滞していなくて助かったと笑っていたが、信号でブレーキを踏んだとき、ショーウィンドウを飾るポップやディスプレイに何気なく目をやると、母の日を示す様に日付と赤いカーネーションが描かれていて、二人同時に母の日と呟いてしまう。
 「今日、リアと母の日について話をしていた」
 「ふぅん。オーヴェ、何かムッティに買うのか?」
 細心の注意を払いつつ、それでも確認しなければならないとの思いから、そのつもりだけどお前はどうすると、ミラーの中でリオンの表情を窺うように問いかけると、意味がつかめない沈黙が車内を覆ってしまう。
 リオンにとっては些細なことであっても過去を思い出して感情の波を荒立ててしまう家族の話、それを不安を抱きながらも切り出したウーヴェがやはり言わない方が良かったかとを後悔した頃、リオンの口から小さな小さな溜息が零れたかと思うと、信号が変わる直前にウーヴェの頬を指の背が撫でていく。
 「・・・今までマザーに贈ったことなんてねぇからな」
 「そうか」
 アクセルを踏んで前の車につかず離れずの距離で車を走らせるウーヴェのさりげなさを装った返事にリオンが目を閉じ、片手で己の頬を軽く叩くと同時に口笛を吹き、歌うようにウーヴェに誘いかける。
 「なー、オーヴェ、母の日のプレゼントってさ、やっぱりカーネーションか?」
 「定番中の定番なんだろうな」
 ただ、リアが言うには花粉症やアレルギーがある人もいる、だから花だけではなくスカーフや服や食事をプレゼントする人もいると、クリニックでの会話を掻い摘まんで説明すると、リオンが腕を組んで天井を睨む。
 「オーヴェはどうする?」
 「悩んでいる。・・・情けないが、母さんの好きな花や服など分からない」
 本当に親不孝な子どもだと自嘲するウーヴェの声にリオンが顔を向けるが、言葉には出さずに慰めるように白とも銀ともつかない髪を撫でて気持ちを宥めさせる。
 「・・・カーネーションとさ、食事を一緒にってのはどうだ?」
 「二つか?」
 「そう。一つだけなんて決まってねぇだろうし、日曜日は店が閉まってるから、前日かその前の金曜とかにメシ食いに行くってのはどうだ?」
 母の日の贈り物に定番の二つを重ねるのも良いだろうと笑うリオンにウーヴェも頷くが、それならば日曜日のランチに自宅に招かないかと提案し、見えてきたこじんまりとしたイタリア料理店の店構えに安堵の溜息を零す。
 「良いのか?」
 「もちろん。・・・マザー・カタリーナがそれで喜んで下さるのか不安だけどな」
 互いの母親を母の日に自宅に招待し、自分たちにできる限りのおもてなしをしようと提案するが、今までロクにやって来た事のない自分たちにそれが出来るのだろうかという不安が頭を擡げてくる。
 「大丈夫だって、ダーリン。マザーは俺達が招待してくれるってだけで喜んでくれる人だ」
 それに、その考えというのは何も俺の母だけではなくお前の母もそうだろうと笑うリオンに勇気づけられたようにそっと頷くウーヴェが店の前の駐車場に車を止めると、すかさずリオンが助手席から飛び降りて運転席のドアを開ける。
 「今日はそんなに混んでないみたいだな」
 「そうだな。・・・ジェラートを持ち帰らないか?」
 「賛成!ピスタチオのジェラート食いたい」
 ウーヴェを支えながら己の希望を述べるリオンに苦笑しつつ頷くと、店のスタッフが二人に気付いたのか、ドアを開けて招き入れてくれる。
 「こんばんは、ウーヴェ、リオン。今日は少し暑かったわね」
 「ハロ、エヴァ。もうすぐ夏だよなー」
 夏になれば楽しいことが増えると笑って店員の頬にキスをしたリオンは、ウーヴェも同じ顔で頷いて彼女に笑ったのを確認した後、店の外が見える席へと通され、カウンターの奥から馴染みの客にだけ向ける気軽さで注文を聞いてくるオーナーに食べたいと話していたピッツァとパスタを注文し、自宅で食べる為のジェラートも忘れずに注文するのだった。


 滅多に使わないダイニングルームにテーブルを並べ、テーブルセッティングをリオンと二人で何とか整えたウーヴェは、間もなくやってくる母を迎えるためにほんの少しだけ気合いを入れていた。
 そんなウーヴェの様子にリオンも浮かれ気分になったのか、いつもとは比べられないほどの手伝いを進んで行い、今もダイニングテーブルに飾るキャンドルホルダーをパントリーから運んできてはセッティングを行っていた。
 「なー、オーヴェ、今日はレバーケーゼのスープにしたのか?」
 「ああ。ハンナから受け継いだ料理だからな」
 「そっか。でもさ、デザートがドーナツで・・・」
 かごに盛られているものが素朴な作りのドーナツである事に気付いていたリオンは、せっかくの母の日なのにあんなもので良いのかと問いかけると、ウーヴェが作業の手を止めてリオンを手招きする。
 「?」
 ウーヴェの前に駆け寄り小首を傾げるリオンの頬に痛みが芽生え、悲鳴を上げるとあんなものなどと言う名と叱られてしまう。
 「・・・ダンケ、オーヴェ」
 ウーヴェが何故ドーナツを作ったのか、また何故今叱ったのかの真意をしっかりと読み取ったリオンが上目遣いに礼を言うと、ウーヴェが腕を組んで珍しく鼻息で返事をする。
 その尊大さに仰々しく一礼したリオンは、陛下愛しています、だからポテトサラダにピクルスは入れないでと片目を閉じるが、今更もう遅いしピクルスが入っていないポテトサラダは俺が作るポテトサラダではないと断言されてがっくりと肩を落とす。
 「オーヴェのイジワル、トイフェル」
 「・・・じゃあ今日のポテトサラダはいっそのことポテトを抜いてピクルスだけでも良いな」
 「それ、ポテトサラダじゃねぇ!!」
 ぎゃあぎゃあとダイニングテーブルのそばで言い合う二人だったが、ドアベルの音が響いて顔を見合わせ、まさかと呟きつつリオンがリビングや寝室からすればまだ近い玄関へと突進していく。
 ドアを開けた目の前、嬉しそうな楽しそうな笑顔で荷物を持ったマザー・カタリーナの姿を発見し、リオンが呆れた様な溜息を吐く。
 「迎えに行くから待ってろって言っただろ?」
 「せっかくあなたとウーヴェからのお誘いだったんです。少しでも早く来たかったのです」
 己の母の喜び具合を、待ち合わせよりも一時間近く早く自宅にやって来た事からも感じ取ったリオンは、もう一度呆れた様な溜息を吐くが、それで気分を切り替えたのか、マザー・カタリーナの頬にキスをし、荷物を受け取ってダイニングから顔を出したウーヴェに笑顔で頷く。
 「マザーが来たぜ、オーヴェ」
 「もう少ししてからリオンに迎えに行って貰おうと思っていました」
 「リオンにも怒られました」
 穏やかに笑うマザー・カタリーナにウーヴェも歓迎の意を表すように背中を抱いて頬にキスをすると、優しい手で同じように背中を撫でられる。
 「イングリッドはまだですか?」
 「マザーを迎えに行ってからムッティを駅に迎えに行くつもりだったからまだ来てねぇ」
 その予定も崩れたと笑うリオンにウーヴェも頷くが、ここで立ち話をするのも何だからと、リビングに彼女を案内するが、その背中に再度ドアベルの音がぶつかり、音に背中を押されたウーヴェが手摺りにしっかりと手をつくことで身体を支える。
 「まさか・・・」
 ウーヴェの恐る恐るの呟きにリオンが頭を掻きむしってドアをそれでもそっと開けると、マザー・カタリーナと似たり寄ったりの顔で笑みを浮かべるイングリッドを発見する。
 「・・・・・・ムッティもかよ」
 「こんにちは、リオン、ウーヴェ。・・・あら、カタリーナ、もう来ていたの?」
 「こんにちは、イングリッド」
 リオンの身体越しに見えたイングリッドに笑顔で頷いたマザー・カタリーナは、二人の息子が同時に溜息を落としたことに気付き、あらあらと苦笑する。
 「ムッティもマザーもさぁ、迎えに行くって言ってたんだから待ってろよ」
 「少しでも早く来たかったのよ。ねぇ、カタリーナ、あなたもそうでしょう?」
 「ええ」
 母達の言葉に何も返せなくなった息子達は、リオンが玄関のドアの鍵をしっかりと掛けた後、再度気持ちを切り替えてイングリッドの頬に歓迎のキスをする。
 「もうちょっとでオーヴェが料理を完成させるからさ、リビングでテレビでも見ててくれよ」
 頭痛を堪える顔で頷くウーヴェにリオンが肩を竦めるが、二人の母の間に立ってそれぞれの肩に腕を回すと、リビングでリアに貰った旨い紅茶を飲んでくれと左右の顔に笑いかける。
 「お手伝いしますよ、リオン」
 「そうですよ」
 「今日は何の日か分かってんのかよ、二人とも」
 母の日なのにその母に料理の手伝いをさせるなんてどんな親不孝な息子だとリオンが自嘲するとウーヴェもそうだと声を上げるが、招待してくれるだけでも立派な孝行息子だと二人に返されて絶句してしまう。
 どうあっても母には勝てない事を密かに実感した二人は、こんなことで気分を害したりするおかしさにも気付き、母の日なのだから子どもの時以来中々出来なかった母とのゆっくりとした時間を過ごそうと決めた事を思い出し、それぞれの母と肩を並べてリビングに向かい、料理の仕上げに掛かるウーヴェをじっと見守ることが出来ず、結局四人で食べる料理の仕上げを四人で行うのだった。

 

 ウーヴェが用意をしたレバーケーゼのスープとジャガイモと牛肉のパイ包み、リオンが盛大に文句を垂れた結果のピクルス抜きのポテトサラダは母達には大好評で、二人の結婚生活の一端が垣間見えた事も安心したと、食後のデザートであるドーナツと紅茶を前に笑われる。
 「ちゃんとウーヴェも料理をしているようですし、リオンも手伝っているようで良かった」
 「・・・オーヴェを支えるって約束しただろ、ムッティ」
 「そうでしたね」
 結婚する前にもその後もウーヴェを支えることを広言して憚らないリオンの言葉にイングリッドも苦笑し、己の息子を支えてくれてありがとうと礼を言う。
 「ムッティ・・・」
 「それと、あなたも幸せそうで安心したわ、リオン」
 ウーヴェを支えるという意志は立派なものだが、それがあなたの自己犠牲の上にあってはならないと伏し目がちに告げた彼女は、隣で無言で頷くマザー・カタリーナの腿に手を載せて同意を求めるようにその顔を覗き込むと、マザー・カタリーナが胸の前で手を組んで祈りを捧げる。
 「二人がいつまでも仲良くいてくれますように」
 「母さん、マザー・カタリーナ、どうか二人とも安心して欲しい」
 自分たちとは比べられないほどの苦労を乗り越えてきたあなた達からすれば心配で仕方が無いのだろうが、それでもあなた達を目標にこれからも二人で肩を並べてやっていくつもりだとウーヴェが二人を交互に見ながら伝えると、二人の頭が何度も上下する。
 「そうだぜ、マザー、ムッティ。俺はオーヴェと幸せになってずーっと笑ってるつもりなんだからな!」
 だから二人もそんなウーヴェを信じてくれと笑ってウーヴェの肩に腕を回したリオンだったが、頬にキスをしようとして調子に乗るなと言わんばかりに立てられたウーヴェの掌にキスをしてしまう。
 「うぅ・・・オーヴェのイジワル」
 「うるさい」
 幸せに笑って暮らすと言った舌の根が乾かないうちにウーヴェがリオンにうるさいと言い放ち、オーヴェのイジワルトイフェルとお決まりの文句が流れだした事に気付き、リオンの耳を摘まんで軽く引っ張る。
 「いてぇ!!」
 「ほどほどにしなさい、ウーヴェ」
 さすがはアリーセ・エリザベスの母親でもあると、奇妙な感心をしてしまいたくなるような事をイングリッドが告げながら紅茶のカップを手に取り、マザー・カタリーナも本当に仕方が無いと言いたげに眉尻を下げ、神の御許で見守ってくれている娘が残したドーナツを手に取るが、リオンが鼻を啜った後にそのドーナツを一つ手に取ると口に放り込み、あぁ、腹が立ってもやはりこのドーナツは美味いと笑みを浮かべる。
 「美味しいか?」
 「うん。美味い。ゾフィーのと同じ味がする」
 「そうか」
 記憶の中で美化される思い出や味覚だが、それと似ていると誉められる事はやはり嬉しいことで、ウーヴェの顔に微かな自慢の色が浮かんだのを見ていたイングリッドも一つ摘まんでドーナツを口に入れる。
 「毎日食べたとしても飽きないでしょうね」
 「うん。ハチミツ掛けたりしても美味いぜ」
 このドーナツの食べ方ならばいくらでも知っているから聞いてくれと笑うリオンにイングリッドが頷くと、マザー・カタリーナの耳に口を寄せて何事かを囁きかける。
 「母さん?」
 「・・・来月、楽しみにしていなさい、ウーヴェ、リオン」
 「?」
 母の口から悪戯好きな少女を彷彿とさせる声が流れだし、何事だとリオンとウーヴェが顔を見合わせるが、マザー・カタリーナも楽しそうに手を合わせたことから、嬉しいような困惑するような事がいずれ己の身に降りかかるのだと察すると、自然と身体を震わせてしまうのだった。

 母達とのランチを満喫し、食後のお茶もデザートも楽しんだ二人は、段々と日没が遅くなり日が長くなった夕方、そろそろ帰ることを名残惜しげに伝えられて心底残念そうな顔になる。
 「そんな顔をするのではありませんよ、ウーヴェ」
 以前とは違って会いたくなればすぐに会えるようになったのだからと、そっと息子を抱きしめながらその息子と同じような顔で囁いたイングリッドは、ウーヴェの手が背中を撫でた事に安堵し、リオンとは明日会社でまた会えると笑い、ウーヴェの頬にキスをする。
 「そろそろ帰らないとレオとギュンターが拗ねるわ」
 「ノルが帰ってるのか?」
 「ええ、母の日だからとか言ってたけれど、自宅に帰っても食事の用意をするのが面倒なのでしょう」
 家に夕食を食べに来ると連絡があったと笑う母にウーヴェが何とも言えない顔になるが、今日はとにかく来てくれてありがとうと礼を言うと、こちらが礼を言うべきだと諭され、上目遣いに母を見る。
 どれだけ年を重ねたとしても、人生の大先輩である父や母には太刀打ちできない事をこんな事からも実感してしまい、自嘲の溜息をそっと零したとき、イングリッドがウーヴェの頬を幼い頃に良くしていたように両手で挟んで鼻先を触れあわせる距離に顔を寄せる。
 「ウーヴェ、次はリオンとカタリーナと一緒に家にいらっしゃい」
 今日はドーナツを用意してくれたが、今度はあなたの大好きなリンゴのタルトとカスタードプディングを用意してあげると笑われ、珍しくウーヴェが素直に頷く。
 「・・・うん」
 幼い頃から変わらない母の優しさに頷き、甘えるように細い身体に腕を回したウーヴェにリオンが驚きに目を丸くするが、今日ぐらい良いだろうと見て見ぬ振りを決め込もうとする。
 「リオン、今日は招待してくれてありがとうございます」
 「・・・良いよ、そんなの。あ、そうだそうだ。忘れてたっ」
 「?」
 母の日と言えば定番のものを用意していたのだと、食事やデザートの時に渡すのをすっかり忘れていたものを取りにベッドルームに戻ったリオンは、ウーヴェも何を忘れていたのかを思い出してイングリッドにちょっと待っていて欲しいと伝え、ステッキをついて可能な限りの早さでベッドルームに向かう。
 「・・・これ、渡すの忘れてた」
 「思い出して良かったな」
 ベッドルームのソファには赤とピンクのカーネーションの花束が二つ並んで置いてあり、それぞれの花にそっと挟むようにメッセージカードも添えられていて、これを渡さないでどうすると二人で一頻り笑い合った後、それぞれの母に渡すための花束を手にする。
 ステッキをつくウーヴェに並んでゆっくりと歩くリオンがそれぞれの手に花束を持っている事に気付いたイングリッドとマザー・カタリーナが驚いた顔で二人を出迎える。
 「・・・マザー、これ。もしかしたらカインが持って来てるかも知れねぇけど」
 「母さん、嫌いでなければ受け取って欲しい」
 母達の前に立って花束を照れ隠しの早口言葉とともに差し出すリオンと、好きなものを贈れない己が情けないと言いたげな顔で差し出すウーヴェに彼女らの顔に驚きが浮かぶが、それもあっという間に歓喜の色に取って代わられる。
 「カインがくれたものもありますが、あなたがくれたものももちろん嬉しいものです」
 リオンからの花束を受け取って感情を堪えるように目を伏せたマザー・カタリーナにリオンが鼻の頭を指先で軽く掻いた後、母の身体に腕を回して抱きしめる。
 「良かったらどこかに飾ってくれよな」
 「ええ、ええ・・・。ドライフラワーにしましょうね」
 涙すら浮かべるマザー・カタリーナの頬にキスをし、泣くなと口早に呟いたリオンは、照れる気持ちを隠して良かったらゾフィーの墓にも飾ってやってくれとも告げると、もちろんです、カインのものも一緒に飾ってますと教えられて安堵の溜息を零す。
 その二人の横ではイングリッドが差し出された花束を受け取ったままの姿勢で動かないため、ウーヴェがその顔を覗き込むように首を傾げると、イングリッドの指が目尻を拭ったことから母を泣かせてしまったと気付く。
 「・・・あなたからの母の日のプレゼントをまたもらえるようになるなんて思ってもなかったわ」
 今日は本当に本当に、何という幸福な日でしょうと、ウーヴェにも受け継がれている柔らかな笑顔で息子の額にキスをしたイングリッドは、感激の涙だと知って胸を撫で下ろす息子の心に気付かず、本当にありがとうと礼を言って愛おしそうに頬を撫で、様子を見守っているリオンにも向き直ると、ウーヴェの額に残したものと同じキスを同じ場所にする。
 「ムッティ?」
 「本当に、あなたと出会えたウーヴェは幸せだわ」
 家族間の溝を埋めてくれたことも、辛い事件に巻き込まれたウーヴェを以前と変わらない暮らしに導き支えてくれる事もあなたでなければ出来ない事だと手放しで褒められたリオンの耳が僅かに赤くなる。
 「帰りはエーリヒに頼んであるので大丈夫よ。カタリーナも一緒に送っていくわ」
 二人の息子にお別れのキスをしたイングリッドは、マザー・カタリーナも一緒に送っていくから安心しろと笑顔で伝え、マザー・カタリーナも信頼していると頷く。
 「次は家にいらっしゃい」
 「うん」
 「ムッティ、マザーを頼むな。マザー、また今度ホームに顔を出す」
 「いつでも帰っていらっしゃい、リオン、ウーヴェ」
 二人がいつでも来られるように門は常に開いていると笑うマザー・カタリーナに二人同時に頷き、エーリヒが来たことをドアベルの音から気付くと、花束をしっかりと抱えた二人がドアを開けて出て行くのを廊下の先で見送るのだった。

 

 母達が帰っていつも通りに静かな家に戻ったのだが、やけに淋しさを感じてしまい、廊下でどちらからともなく互いの腰に腕を回す。
 「喜んでくれて良かったなぁ」
 「そうだな」
 どちらも本当に喜んでくれて良かったと笑い合い、ダイニングの片付けも結局二人の母がてきぱきと済ませてくれた事に感謝だとも笑うと、リビングのソファに二人並んで腰を下ろす。
 ウーヴェにとっては久しぶりの、リオンにとっては生まれて初めての母の日のイベントは二人の中に温かなものを植え付けていったようで、リオンがウーヴェの腿に寝転がって天井を見上げた為、ウーヴェも自然とリオンの柔らかな髪に手を差し入れてゆっくりと撫でる。
 「・・・な、オーヴェ」
 「どうした?」
 「うん。来年もさ、マザーとムッティを家に招待しようぜ」
 「お前がそう望むならそうしようか」
 「うん、そうしてぇ」
 今までどうしても素直になることが出来ずに母の日のイベントなど忌避してきたが、これからはそれを取り返すように盛大に祝ってやると笑うと、ウーヴェの手がリオンの額を撫で、その後を追うように唇が軽く押し当てられる。
 「ムッティも嬉しそうだったし」
 でもそれよりも何よりも、子どもの頃はきっとそうだったと簡単に想像させる二人の関係を隣で見られて良かったとリオンが笑い、前屈みになっているウーヴェの頭を抱き寄せるように腕を回す。
 「特別な子だもんな、オーヴェ」
 「・・・ありがたい話だな」
 嫌味でも何でも無い言葉にウーヴェも改めて感じた感謝の思いを口にし、薄く開くリオンの唇にキスをすると、リオンに起き上がれと命じて逆にその腿に頭を乗せて横臥する。
 「腹減ってねぇから、晩メシ遅くても良いよな」
 「ああ」
 「じゃあ今から少し昼寝しよう」
 ウーヴェの返事を聞く前にリオンが立ち上がると同時にウーヴェの腕を引いて立ち上がらせると、その腕を己の腰に回させてリビングを出て廊下を進む。
 向かった先はリオンの部屋で、古いパイプベッドを軋ませながら寝転がったリオンは、ウーヴェに向けて手を伸ばすと、それに誘われるようにウーヴェもベッドに-正確にはリオンの上にダイブする。
 「少し寝ようぜ、オーヴェ」
 「・・・ああ」
 足を悪くした事件の後、病室でいつもしていたようにリオンの胸に耳を宛がって鼓動を音で確かめながら眠っていた事を思い出したのか、同じように頬を宛がうウーヴェの髪をゆっくりと撫でたリオンは、初めてだったり久しぶり過ぎて緊張していた母の日のイベントを無事に終えられた安堵から大きく欠伸をし、軽く寝息を立て始めたウーヴェを追いかけるように眠りに向かうのだった。

 

 その後、母の日になれば二人の母を自宅に招き、手料理と花束とで母をもてなすようになるのだが、それは二人の母が永遠の眠りに就いた後も、写真を飾ってその写真に花束を贈る、決して途切れることのない大切なイベントになるのだった。
 そして、父の日には何故何もしてくれないと、二人の父から恨みがましい目で睨まれることになるのだが、それはまた別の話になるのだった。


2018.05.13
な、何とか間に合った・・・・・・!今年の母の日の風景です。はい。


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