新年を迎えるミサの準備のために小さな聖堂に籠もっていたマザー・カタリーナは、ドアが開いた音に気付き、作業の手を止めて振り返る。
小さな古い教会には過ぎたる宝と良く揶揄される天国の扉を開いて俯き加減に入って来たのは、数日前の真夜中近くに伴侶と一緒にやって来たリオンだった。
「ハロ、マザー」
「こんにちは、リオン。今日は一人ですか?」
いつも一緒にいるウーヴェはどうしたと言外に問いかけてくる母に一つ肩を竦めたリオンは、この後己の上司であり伴侶の父でもあるレオポルドの家で新年を迎えることになっていると答えるが、その前に少し時間を貰ってきたとも伝えると、マザー・カタリーナが手にした燭台をそっと台に戻してドアの傍に佇むリオンの前に歩み寄る。
「どうしたのですか?」
「・・・ちょっと良いかな」
いつもの陽気さと元気さがなりを潜めている様子にマザー・カタリーナの眉が寄り、最も手が掛かったが故に目も掛けていた息子の身に何か良くないことが起きたのかと一瞬で思案し、その手を取って長いすに二人並んで腰を下ろす。
「何か心配事が起きたのですか?」
リオンの身を案じる心から早急に問いを発する母に苦笑したリオンは、母の皺が増えた手を逆に握り返しながらじっと見つめるだけで口を開くことは無かった。
そんな様子からもついつい急かしてしまいたくなるマザー・カタリーナだったが、それをグッと堪えつつ待っていると、どうすれば返せるのかが分からないと呟かれて目を瞠る。
「リオン?」
「この間夜中に来ただろ」
「ええ。ウーヴェとどんな話をしていたのですか?」
先日、リオンとウーヴェの誕生日の前夜-正確には小一時間程前-に突然ここを訪れたのだが、その日は教会にとっては重要なミサがある日の為に早々に眠りに就いていたマザー・カタリーナがウーヴェからの連絡を受けて二人を出迎えたのだが、後の事は任せると言い残して再度ベッドに潜り込んだのだ。
それ故に事情を聞いていないから良かったら教えてくれと伝えると、リオンが逡巡しながらも口を開く様子をじっと見つめる。
「俺がさ、ここに捨てられ・・・寝かされてた話」
「ええ」
捨てられたという言葉をリオンが別の言葉に置き換えたことに驚きつつも先を促すと、それに気付いたらしい蒼い双眸が苦笑に染まり、捨てると言うとオーヴェに怒られると肩を竦められて再度驚いてしまう。
「そうなのですか」
「うん。俺はここに捨てられたんじゃなくて寝かされていたんだって。ここにいたんだって」
あの日、自らの出自について昏く回顧させられる出来事をテレビやラジオを通じて見聞きしたが、その事についてウーヴェが伝えたのは、生みの親にされたことなどたいしたことではないと言えるようになろう、辛い過去ばかりを見るのではなく前を見ようという事だった。
数日前の出来事があった場所へと目をやりつつ何故か自然とこぼれる笑みを浮かべたリオンは、マザー・カタリーナの視線を受けつつ、そこにいた自分達二人の姿を客観的に見ていたかのように思い出し、どうしてあんなにも優しいんだと呟くと、あなたを愛しているからでしょうと、疑う余地のない回答が母の口から流れ出す。
「マザー?」
「人は、誰にも見せない深い悲しみを抱えていたり辛い思いを経験してきたからこそ、人に対して優しくなれる、いつかお話ししましたね」
「ああ、うん。聞いた。優しい人ってすげー辛い事とか経験してるから優しくなれるって」
「ええ。ウーヴェも小さな頃に辛い思いをしてきた。リオン、あなたもです」
「・・・・・・」
母の言葉に咄嗟に口を閉ざしたリオンだったが、俺は優しくない、本当に優しい人というのはウーヴェのような人だと、天井を見上げて嘆息する。
「そうですね、ウーヴェは本当に優しい人です」
「うん。そんなオーヴェがさ、親に置いて行かれた事よりも、マザーやゾフィーが見つけてくれたから生きているって思おうって」
もし他の場所に産み捨てられていたら-ウーヴェが心底嫌悪する言葉だから言わないと笑いつつリオンが言葉を繋いだのは、生後間もない時にマザーらが見つけてくれ、どれほど手が掛かろうとも決して見捨てることなく育ててくれた結果、今こうして生きていられるのだと、捨てた親に対するマイナスの感情を育ててくれた母や姉に対する感謝に置き換えようと、優しいキスとともに伝えたあの夜の出来事だった。
「そう、なのですね」
「そう。────なあ、マザー、どうすれば俺は返せるんだろう」
「?」
天井を見上げるリオンの横顔をじっと見つめたマザー・カタリーナは、息子が何を言いたいのかを察していたが敢えて口に出さずにじっと待っていると、困惑に染まった顔が彼女へと振り向けられる。
「なあ、マザー。どうすりゃ良いんだよ」
「リオン・・・」
「オーヴェが俺にくれる愛ってさ、俺には大きすぎてどうやって返せば良いのか分かんねぇ。どうすりゃ良いんだよ」
教えてくれと、心底困惑している顔の息子に一度目を閉じたマザー・カタリーナは、胸の前で手を組んで遙かな昔を思い出す。
寒く冷たいクリスマスイブの夜、眠れないと言ったゾフィーを連れてマザー・カタリーナは何となく聖堂に入り、扉の由来や壁に掛けられてある古い絵画の話をゾフィーにしていたのだが、そこでゾフィーが何か声が聞こえるとマザー・カタリーナの手を引いたため、幼い彼女に導かれるようにマリア像が見下ろす先へと向かったのだ。
そこには、粗末な毛布に包まれた生後間もない乳児がいて、二人に気付いて欲しいと泣き声で精一杯訴えていたのだ。
乳児を慌てて抱き上げたマザー・カタリーナは、ゾフィーに他のシスターを起こしてお湯の用意をするように命じ、震える乳児を安心させるように抱きしめたのだ。
その夜のことを思い出し、自然と笑みを浮かべたマザー・カタリーナは、笑ってないで教えてくれと不満の声をぶつけられて目を開き、頬を膨らませるリオンに頷いてその頬を撫でる。
「何を笑ってるんだよ、マザー」
「あなたがそう感じるようになったことが嬉しいのですよ、リオン」
「何だよ、それ」
人が悩んでいるのに何を笑っているんだと、機嫌のボタンを掛け違えた事に気付いたマザー・カタリーナは、ふざけたり笑ったりしたのではない、受け取った愛をどのように返そうか悩むようになったということは、それに気付けるようになったことでそれが嬉しいのだと繰り返すと、母の言いたいことが己が思った事ではないと気付いたリオンがそっぽを向いた顔を元に戻す。
「以前のあなたなら考える事がなかったでしょう。その瞬間が楽しければ、誰かと一緒にいられればそれで良い、そう考えていたでしょう?」
「・・・うん、まあ、そうだな」
「でも、ウーヴェとお付き合いを始めて、色々な事があって考え方も変わってきた。それが、嬉しいのです」
己の成長を心より喜んでくれる母から照れたように目を逸らしたリオンだったが、それだけではいけないと、これもまた以前ならば思いもしなかったが、言葉でちゃんと思いを伝えなければと気付き、母の名を呼ぶ。
「ダンケ、マザー。俺をそこまで信じてくれてありがとう」
「どういたしまして」
ウーヴェと付き合いだしてからあなたは変わり続け、今も変わっている、その変化は本当に微笑ましいものだと頷くと、先程の答えの一つだとマザー・カタリーナが手を組んで短く祈る。
「マザー?」
「ウーヴェと付き合って良い方へと変化をする、それもウーヴェの愛に応えている事になります」
「・・・・・・」
「あなたはどうやって返せば良いと悩んでいますが、今でも十分に返せているのですよ」
リオンが思い悩む事へ道標の一つを示したマザー・カタリーナは、リオンの蒼い目が見開かれたことに頷き、もうその一端が成されているのだと告げると、じわりじわりとリオンの顔に自慢の笑みが浮かび出す。
その笑顔にマザー・カタリーナも釣られて笑みを浮かべるが、亡くなったゾフィーもこの笑顔を愛していた事を思い出し、手の掛かる笑わない子どもが心から笑みを浮かべてくれた時の感動に近い思いも蘇ってくる。
「・・・あなたはあなたの信じる道を進めば良いのです。もし万が一間違った道へ進んだとしても、それを許して道を正してくれる人が傍にいるのですから」
「・・・ああ」
「顔を上げなさい、リオン。あなたが顔を上げている限り、あなたは光に包まれているのです」
その光はウーヴェという形に神が作り上げたものだから大切にしなさいと、胸の前で手を組んで真摯に祈るマザー・カタリーナに頷いたリオンは、もう一度ダンケと礼を言うと、照れ隠しのようにタバコを取りだして煙を天井に向けて細く吹き付ける。
「マザー、俺って幸せだよなぁ」
「・・・」
「ここに置いて行かれたけどさ、マザーやゾフィーに育ててもらえた。刑事になって色々あったけど、オーヴェと出会って一人にしないって約束してくれた」
そして、結婚という公的にも二人で一緒にいると誓ってくれたのだと、高く突き上げた右手薬指で控え目に光る指輪を見上げて目を細めたリオンは、こうしている今もウーヴェの愛に包まれている事を感じ取ると、その誓いを形にした指輪を護るように左手を右手に重ねる。
「────今も、愛してくれてる」
「ええ」
そしてあなたも、そんなウーヴェを愛していると、穏やかな声に続けられて頷いたリオンは、ウーヴェだけが見たことのある穏やかな笑みを浮かべて母の視線を横顔で受け止めると、オーヴェ大好き、愛してると歌うように囁く。
「Du bist mein Ein und Alles,オーヴェ」
俺の総てと、二人を襲った最大の事件の時に幾度となく告げた言葉を囁き、満足そうに目を閉じたリオンは、その後静かに目を開けて小さな笑みを浮かべると、マザー・カタリーナに向き直って子どものような笑顔で笑いかける。
「マザー、今日さ、親父の家で花火をすることになってるから、そろそろオーヴェを迎えに行ってくる」
「そうですね。バルツァーのお屋敷で年越しをするのですか?」
「そう。あれだけ大きな家だからさ、打ち上げ花火をバカみてぇに上げても文句言われねぇよな」
そう言って笑うリオンの顔は学生の頃とまったく変わっていないもので、ほどほどにするのですよと、いつもいつも伝えていた言葉を今もまた伝えると、もうガキじゃないから加減を知っていると、本当にそうなのかと疑いたくなる様な表情で親指を立てられてしまい、マザー・カタリーナは何も言い返せずにただ溜息を零すのだった。
マザー・カタリーナに胸の裡を吐露したことで軽くなった心が命じたのか、軽い足取りで帰宅したリオンは、出かける準備を整えリオンが戻って来るのをリビングで待っていたウーヴェに気付き、ソファの背もたれ越しに背後から抱きしめる。
「ただいま、オーヴェ」
「・・・ああ」
出かける前に一人で出かけて悪かったと耳元に謝罪をするが、別に気にしていないと強がっているような言葉が聞こえてきて、リオンが僅かに上体を起こすと、ウーヴェの手が眼鏡のフレームを軽く押し上げたのを見てしまう。
それが己の本心とは裏腹な言葉を伝えているときの癖だと気付いているリオンがにやりと笑みを浮かべるが、ここでまた強がりを言ってるとからかうと本格的に機嫌を損ねかねない事に気付き、もう一度そっと背中から抱きしめると、今度は腕を優しく撫でられる。
「・・・もう、気は済んだか?」
「うん。済んだ。すげー大切なことも気付いた」
「何だ、それは」
リオンがマザー・カタリーナから教わったことを笑み混じりに伝えると、何を教えられたのかとソファの上で身体を捻ったウーヴェがリオンを見上げてきたため、笑みの質を切り替えて薄く開く唇の端にキスをする。
「うん。俺はオーヴェに愛されてるけど、それに負けないぐらい俺もオーヴェを愛してるってこと」
「・・・・・・」
お前を愛し愛されている事を再認識したと笑うリオンにウーヴェが咄嗟に何も言い返せなかったが、眼鏡の下で目尻を僅かに赤くすると、バカたれと、今度は紛れもない強がりを言い放つ。
「あー、何でそんな事を言うんだよ、オーヴェ?」
「うるさいっ」
「もー、素直じゃないんだからー」
俺の陛下は本当に素直じゃない。でもそんなお前を愛している。
口を一頻り尖らせたリオンだったが、ウーヴェの眼鏡を外させて合図を送ると、そっと唇にキスをする。
「ああ。────Du bist mein Ein und Alles,オーヴェ」
「・・・俺の太陽」
二人にとって大切な言葉を至近で交わし、額を重ねてクスクスと笑った二人だったが、そろそろ出かける時間だと気付くと、ウーヴェがソファから立ち上がろうとし、それに気付いたリオンがソファの背もたれをひょいと跨いでウーヴェの横に立つと、腕を差し出して笑顔で頷く。
「荷物はこれだけか?」
ソファの足下に荷物を詰めたボストンバッグがあり、それを片手で持ち上げたリオンがウーヴェを見ると、うんと頷かれて荷物を肩に担ぐ。
「今日の晩メシってさ、ベルトランが何か作ってくれるんだよな?」
「ああ。さっき連絡があって、もう父さんの家に着いたそうだ」
「へー。今日は何を食わせてくれるんだろうなぁ。この間の誕生日とクリスマスパーティの時はターキーだったよな」
「そう、だな。ケーゼシュペッツェレを作ると言ってた気がする」
「マジ?いやっほぅ」
チーズだチーズ、チーズが食えると、まるで今まで食べさせて貰った事のない子どものように喜ぶリオンに何も言えなかったウーヴェだったが、出かける直前の不安そうな様子が一掃されている事に気付き、安堵に胸を撫で下ろす。
「────リーオ」
「ん?どうした、オーヴェ?」
「うん。俺の太陽。やっぱりお前は笑ってる方が良い」
何に悩んでいたのかは無理に聞かないが、それが解消されたのなら良かったと目を伏せたウーヴェにリオンが何度か口を開閉させるが、ありがとうと短く返し、己の腕に回されているウーヴェの手を掴んで更に身体を密着させるように引き寄せるのだった。
ベルトランが用意した食事を、ウーヴェをはじめとしたバルツァー一家が満喫し、友人として顔を出していたヘクターをも感動させていた。
料理の後は最近リオンがハマっているからという理由でリバーシ大会が始まり、日付が変わる直前まで賑やかに過ごし、カウントダウンが終わって新たな年を迎えた直後には、リオンが持ち込んだ大量の花火をするためリビングの窓を開け放って各々手にした花火に火を付け、新年を祝うのだった。
「────オーヴェ、今年もよろしく」
「ああ。こちらこそよろしく、リーオ」
花火を満喫し身体も冷えてきた事からリビングの窓を閉めて暖炉の前に陣取ったウーヴェは、背中を温めるように抱きしめてくれるリオンの新年の挨拶に頷いて小さく笑みを浮かべると、そろそろ寝るから部屋に行こうとリオンに命じる。
「みんな、今年もよろしくー」
「ああ」
ウーヴェ以外には一纏めにするリオンに苦笑しつつも楽しい新年の迎え方が出来たと笑った父や母にウーヴェも頷き、おやすみと言い残すと同時にリオンに抱き上げられて羞恥に顔を赤らめる。
「歩けるっ!」
「ダメっ!俺が連れて行く!」
「こらっ!」
二人にとっては日常のやり取りだったが、ベルトランがいい加減にしろと小さく叫び、ギュンター・ノルベルトやヘクターがやれやれと溜息を零すと、イングリッドが微笑ましそうにそんな二人の頬におやすみのキスをする。
「お休みなさい、ウーヴェ、リオン。良い夢を見るのですよ」
「ダンケ、ムッティ」
イングリッドに満面の笑みでキスを返したリオンは、諦めの境地に達したウーヴェの頬にもキスをすると、ウーヴェの体重を感じさせない軽やかさでリビングを出て行き、家を出るまでウーヴェが使っていた部屋へと階段を駆け上がるのだった。
ウーヴェの部屋のベッドに二人身を寄せ合って潜り込んだ後、いつものようにウーヴェの頭の下に腕を突っ込んだリオンは、身を委ねて目を閉じるウーヴェの頬にキスをし、同じように目を閉じて新しい年の朝を一緒に迎えようと夢の中で囁きかけるのだった。
2018.01.01
Herzlichen Gluckwunsch zum Neuen!und Seien Sie mir auch in diesem Jahr gewogen!
新年、明けましておめでとうございます。そして、今年もよろしくお願いします。


