前日から降り続いた雨はいつしか雪に変わっていたようで、リビングの窓から灰色の雪雲を見ては小さく溜息を吐いたのは、片手にステッキ、片手にプレゼント用にラッピングされた袋を持ったウーヴェだった。
暖炉の中では炎が時折爆ぜる音が小さく響いているが、それでもあまり熱量を感じないのは外界の寒さのせいのようで、今年は寒さが例年以上との天気キャスターの言葉通り積雪量も多かった。
だから今明日のパーティの準備の為に買い物に出かけている、永遠にして最後の恋人であるリオンの帰りを僅かに心配してしまう。
明日は自宅で家族が揃って-実に十歳の誕生日以来のこと-誕生日とクリスマスの食事会を兼ねたパーティをしてくれることになったのだが、その準備を出来る範囲で出来るだけ二人でしようと決め、少しずつ飲み物等を買っていたのだが、パーティの料理を作ってくれるベルトランから下準備をする必要のあるものを取りに来てくれと連絡が入り、つい先程出かけたのだ。
リオンの運転技術には全幅の信頼を置いているが、雪道には気をつけろといつもの心配性を発揮しつつキスで送り出したウーヴェは、リオンがいない今のうちにやらなければならない事を思い出し、ステッキで痛む足を支えながら食事会をするダイニングにゆっくりと向かう。
そのダイニングはリオンと付き合いだして初めて誕生日を迎えたときに使った程度で、滅多に使う事のない部屋だったが、さすがに人数が多い為にダイニングを利用した方が良いと二人で相談し、レオポルドの家から使っていないダイニングテーブルを運んで貰ったのだ。
そのダイニングテーブルには明日の食事を並べるためのセッティングがある程度されていたが、部屋の隅に小さいながらも立派な枝振りの樅のツリーがあり、いくつか置かれているプレゼントの箱の横に小脇に抱えたその袋を置いたウーヴェは、テーブルに手をついて溜息を吐き、ベルトランがどんな料理を食べさせてくれるのかを想像し、その想像だけで空腹感を抱きそうだったため、頭を一つ振って苦笑する。
ダイニングを後にしてリオンの部屋に何気なく向かったウーヴェは、ドアを開けて以前リオンが住んでいたアパートの部屋のように散らかっている事に気付き、先程よりは深刻な溜息を吐く。
なるべく片付けるようにしろと約束をしたのに、いつ見ても散らかっているのはどういうことだと笑ってベッドに近付くと、自然とそこに腰を下ろしてしまい、散らかっているが何故か心がざわざわしない事に気付いて小首を傾げる。
病的なほどのきれい好きではないが、部屋が整理整頓されていると心地好く感じるため、己の部屋は足を悪くした今でも定期的に片付けをしているのだが、どうやらリオンはその対極にいるようで、部屋が散らかっているからといって死んだりしないと嘯くほどだった。
その散らかっている部屋をベッドの上から見ていた時、サイドテーブルの、さすがにそれだけは綺麗にしている灰皿に気付き、中にロザリオが無造作に置かれたままであることにも気付く。
いつもはコインケースに入れている筈のロザリオ-それはウーヴェとマザー・カタリーナぐらいしか知らない事-を出して行く理由が思い当たらずに考え込むが、小銭がコインケースの中に一杯だったのだろうと気付き、テレビのリモコンを操作して画面から流れ出す音を聞いていると、二人が暮らす街から東に小一時間程車で走った場所にある小さな村の教会で、三歳ほどの男の子が保護されたニュースが流れ出し、つい画面に見入ってしまう。
その幼児は両親と教会に訪れ、親とはぐれてしまったらしく、教会のシスターらが気付いて必死に親を探した結果、一時間もしないうちに泣きそうな顔で子どもを探していた親と無事に再会出来た事もニュースで知ったウーヴェは、出会えて良かったと思うと同時に、遠い昔、この世に生を受けてすぐに教会に捨てられていた乳児の姿を思い浮かべてしまう。
「・・・・・・」
その乳児とは永遠にして最後の恋人であり今は伴侶であるリオンで、話にしか聞いたことの無い出生について思い出してしまったウーヴェは、教会に捨てられていたと暗く嗤う顔も思い出してしまい、あのような表情をさせてはいけないと、つい考えてしまう事へと思考が向かう。
いつも陽気で笑顔を浮かべていると皆に思われているリオンだが、人間が笑顔だけを浮かべて生きていけるはずもなく、当然ながら昏い顔や沈んだ顔も持っていた。
余程の相手ではない限りそれらの表情を見せることはあまり無く、それ故に子どものように騒々しいだの陽気だのと周りがリオンという人間の見た目を決定していったのだ。
そんな己の伴侶のことを考えているとスマホから着信音が流れだし、慌てることなく耳に宛がうと、ベルトランから荷物を受け取ったと、ついさっき思案していた陽気な声が告げてくる。
「ダンケ、リーオ。気をつけて帰って来い」
『なるべく早く帰るから待っててくれ』
「ああ」
キスとともに届けられた言葉に短い返事と同じキスで返したウーヴェは、テレビのスイッチを切るとゆっくりと立ち上がり、リビングでリオンが帰ってくるのを待とうとするが、ニュースで母親の腕の中で安堵から泣きじゃくる幼児の姿が脳裏にくっきりと焼き付いて消えないのだった。
リオンがベルトランからの預かり物を持って家に帰ってきた時、車内で聞いたラジオから流れ出した教会で迷子になった子どもが保護されたニュースが脳内を駆け巡っていた為、ウーヴェに呼びかけられても咄嗟に返事が出来ないほどだった。
どうした、考え事かと苦笑交じりに問われて生返事をしたリオンは、暖炉前のソファベッドに座り込むと、冬の間の定番である魔法のブランケットを抱きしめてごろりと横になる。
「リオン?どうした?」
「・・・なー、オーヴェ、三歳ぐらいの記憶ってさ、ずっと残ってたりするものか?」
「どう、だろうな。よほど強烈なものなら残るかも知れないけれど・・・」
一体どうしたんだと苦笑しつつリオンの足を少しだけ奥に押しやってそこに腰を下ろすと、リオンがもぞもぞと起き上がってウーヴェの腿に覆い被さるように身を伏せる。
「んー、さっきさぁ、ニュースでやってたんだけど、三歳の子どもが親とはぐれて保護されたって」
「・・・ああ、そう言えばテレビでもそのニュースが流れていたな」
「そっか。その子さ、親に捨てられたっての、忘れられるものかな」
腹の辺りから聞こえてくるくぐもった声に一瞬ウーヴェが言葉をなくしてしまい、ただくすんだ金髪を見下ろしてしまう。
ニュースでは親とはぐれた子どもが無事に再会出来て泣きじゃくる姿が映し出されていたが、同じニュースをラジオで聞いたリオンはその子ははぐれたのではなく親に捨てられたと受け取ったようで、その違和感に顔を覗き込もうとするが、逆にウーヴェの腹に頭を押しつけられてしまう。
「リーオ、どうした」
「・・・三歳ぐらいだったらさ、覚えてねぇかなって」
親に捨てられたなんてろくでもない記憶などない方が良いに決まっていると、ウーヴェの腹に再度告白するリオンにそうではないと思うと小さく反論するが、上目遣いに昏い目で睨まれて言葉を飲み込み、ただ黙って頭を抱え込むように上体を折る。
「・・・なあ、リーオ」
「・・・何だ」
「うん。ベルトランの所に行ってくれたから明日の準備もほぼ終わった」
だから夕食を食べて用意しておいたデザートも食べたら少しドライブに行かないかと、ただリオンの顔を上げさせたい一心で告げると、胡乱な目で睨まれてしまう。
その眼光の強さと昏さに怯みそうになるのを必死に堪え、ダメかと更に問いかけると、仕方が無いと言いたげに溜息を吐いたリオンが身体を起こす。
「イイぜ」
「ダンケ、リーオ」
礼になるかどうか分からないが、食後のデザートとは別に今チョコを食べても良いと笑うと、一瞬躊躇した後にリオンの顔にいつもの笑顔が戻って来る。
「食う」
「ああ。パントリーに入ってるから取って来い」
ソファから立ち上がってパントリーに向かう背中にひとまず溜息を吐いたウーヴェだったが、たった今見た笑顔が本心を表すものではないことをもちろん読み取っていて、またリオンもウーヴェが見抜いていると気付いていながらもどちらもそれを口に出さずに胸に秘め、チョコを食べるがお前も食うかと誘い、一口だけ食べようとその誘いに乗るのだった。
雪が止み、冬の星座が上空できらきらと瞬く下を、リオンが乗り気ではないがそれでもウーヴェとのデートが嬉しいのか、絶妙な表情で助手席で伸びをする。
「なー、オーヴェぇ、どこに行くんだよ」
晴れ渡る夜空は反比例して寒さを厳しくしてくれるが、そんな中どこに行くんだと、運転席のウーヴェに問いかけるが、うんという言葉しか返ってこず、だからどこに行くんだと、胸の中のモヤモヤが頭を擡げたことを示す様に口調を荒くしてしまう。
それに気付きながらもどうすることも出来ずに溜息を吐いたリオンは、左手を貸してくれと言われて目を丸くしつつどうぞと運転席に向けて差し出すと、手を重ねられてシフトレバーとサンドイッチにされてしまう。
「・・・もう少しだけ、待ってくれ」
「仕方ねぇなぁ」
黙ってどこかに連れて行くつもりならそれでも構わない、その代わりにこの手はずっとそのままにしていてくれと、ウーヴェの顔を見ずにぽつりと呟くと、今度は返事ではなく重ねられた手に力が込められる。
車は珍しく晴れた夜空の下を軽快に走り、アウトバーンをいくつか経由して辿り着いたのは、二人が時折ドライブに出かけてはただ何もせずにぼんやりと座って景色を見ていることの多い公園の駐車場だった。
公園と言っても少し手入れをしたぐらいのそこは街灯もぽつりぽつりとしかなく、周囲の森のせいもあって、隣に立つそれぞれの顔を確認するためにも明かりが欲しくなるような暗さだった。
「・・・ここ?」
「ああ」
エンジンを止めてドアを開けるとすかさずリオンが運転席側に回り込み、ステッキをついて車から降り立つウーヴェを支えるが、何を思ったのかステッキを車内に残し、リオンの腕にしっかりと腕を回して身体を支えたウーヴェは、嬉しさ反面不安反面の顔で見られた事に気付いて苦笑する。
「・・・良いか?」
「良いに決まってるのにわざわざ聞くんだからなー」
俺のダーリンは本当に遠慮深いというか何というかと、天を仰いで溜息を吐くリオンの腕を軽く抓ったウーヴェは、いつも腰を下ろすベンチが雪に埋もれていない事に気付き、そちらに向かってくれと合図を送る。
ベンチは冷え込んでいたが、車にブランケットを積んできていた為、それを取りにリオンが戻り、持って来たブランケットをベンチに広げて二人並んで腰を下ろす。
目の前に広がるのは、真夏であれば少し手入れされている芝や木々と小さな池を遍く照らす太陽の眩しさに目を細めつつ心地よさを感じられる公園だったが、真冬の夜の今はただ暗い世界が広がっているだけだった。
「なー、オーヴェ、どうしたんだよ」
「うん。少し、明かりの少ない場所に来たかった」
「へ?」
ウーヴェが笑みを浮かべていることを教えるような声でリオンに告げ、ほらと上空を指さしたためにそちらへと目を向けると、細い月がひっそりと輝いていて地上を照らそうとしていたが、余りにも細いために月光は地上にまで届いていなかった。
ただ、その代わりに、文字通り数え切れないほどの星々が瞬いていて、星の多さに呆然と空を見上げたリオンは、ウーヴェが安堵に目を細めつつ握りしめられているリオンの手を掴んで己のキルティングコートのポケットにそっと招き入れたことにも気付かないほどだった。
「・・・夏にここに来たとき、きっと夜空が綺麗だろうと思った」
「・・・うん」
だからここに来たかったんだと笑い、リオンのタバコの匂いが染みついたブルゾンの肩に頭を預けたウーヴェは、ポケットの中の手が動いた後強く握りしめられたことに目を伏せ、大丈夫だ、ここにいると声に出さずに伝えてみる。
背後を通る車の音が時折聞こえるぐらいの静寂が二人の周りを包んでいて、二人が吐き出す白い息が規則正しく顔の周囲を漂うが、不意にリオンが立ち上がったかと思うと、ウーヴェの横を回り込んで逆サイドに腰を下ろしたため、どうしたと苦笑する。
「こっちが良い」
「そうか」
リオンの言動の真意が分からないが、お前がそうしたいのならすれば良いと穏やかに笑うと、リオンが右腕でウーヴェの肩を抱き、左手をウーヴェの前にそっと差し出したため、先程車内で左手を貸してくれと言った言葉をまだ守ってくれているのだと知り、差し出される左手を掴んで胸元に引き寄せる。
自宅でもベッドでも良くこうして互いの肩や背中を抱きしめあっているが、今なら誰にも見られないと互いに羞恥から笑いながらも離れる事をせずにいると、ウーヴェの顔を胸元に抱き寄せるようにリオンが腕に力を込める。
「・・・これ、見せたかった?」
「ああ。でも・・・・・・一緒に、見たかった」
星に詳しいわけではないが、例え名前など知らなくても夜空で光る星々をこうしてお前と一緒にただ見たかったと、ここに来た理由を伝えたウーヴェの髪にリオンがキスをし、一緒に見たかったのかと問いかけていつになく素直な態度でうんと返事をされる。
「そっか」
「ああ」
ウーヴェの行動の理由が理解出来て安堵し、それが己を思うだけではなく一緒にいたいとの思いも伝えて貰った為、リオンの胸にあったモヤモヤが薄れていく。
もっと薄くさせてくれと願いつつ抱き寄せたウーヴェのこめかみにキスをし、夜空の下でも目立つ白とも銀ともつかない髪にキスをすると、ウーヴェの手が腰に回される。
「・・・ダンケ、オーヴェ」
「ああ」
短い礼に更に短く返すウーヴェを無言で抱きしめながらただ夜空を見上げたリオンだが、スマホのアプリか何かで星の名前が分かれば良いのにと笑うと、何かあるから探そうかとウーヴェが律儀に返事をしてしまう。
「もー、マジで俺のダーリンは生真面目さんなんだからー」
そんなもの、二人でいる今調べる必要なんてねぇと笑ってウーヴェの額にキスをしたリオンは、お前が何かあれば良いと言うからと反論されてにやりと笑みを浮かべる。
「星の名前なんてさっきお前が言ったみたいにどうでも良い。────ここで、今一緒に見ることが出来た、それだけで良い」
あの、役に立っているのかどうかも分からない細い月も、今ここで一緒に見た事で特別なものになると笑ってウーヴェの目を見開かせたリオンは、向き合うようにウーヴェの肩を掴んで至近でその目を覗き込む。
「マジでありがとうな、オーヴェ」
ベルトランの所から帰るときに聞いたニュースがもたらしたモヤモヤは消えないが、それでも嫌な気分が抜けていったと、今度は二人が心底望んでいる心からの笑顔で伝えたリオンは、ウーヴェがうんと頷いた後に逆に頭を抱き寄せるように腕を伸ばしたことに気付き、自らその肩に顔を押し当てるように身を寄せる。
「リーオ」
「・・・寒くねぇか?」
「え?ああ、うん、お前がいるから大丈夫だ」
「そっか」
くぐもった声がまだこうしてここで二人で星を見ていたいと聞いて来た為、もちろんと伝え、お前がいるから大丈夫と繰り返すと、リオンが今度はウーヴェの肩に頭を預けてくる。
愛しい重みを受け止めつつ二人で心ゆくまで星空を見上げていたが、夜空に溶け込むような小さな小さな吐息がリオンの口から零れた後、片手を突き上げて大きく伸びをする。
「────っ!」
リオンの身体が離れた途端、寒さを一気に知覚してしまったウーヴェが身体を震わせてくしゃみをする。
「ゲズントハイト」
「・・・ダンケ」
リオンの気遣う言葉に照れを感じつつありがとうと返すと、リオンが目の前に立って手を差し出してきたため、その手を掴んで立ち上がる。
「そろそろ冷えてきたから帰ろうぜ」
「そうだな」
ブランケットを畳んで手に持ち、ウーヴェの腕を腰に回させると大人しくそれに従ったため、今日は本当に素直な陛下だとリオンが悪戯っけを込めて笑うと、腰に小さな痛みが芽生える。
「イタイいたいっ」
「うるさいっ」
車に戻るまでのほんの短い距離でも二人だと賑やかになってしまい、それがおかしくて小さく笑ったままリオンが運転席へと回り込もうとするが、それを制して今日は俺が運転するとウーヴェが笑ったため、一つ頷いて助手席に乗り込む。
「さー、帰るか」
「ああ。・・・リオン、もう一カ所行きたい所があるんだ」
「へ?ああ、イイぜ」
どうせ明日のパーティは午後からだし、準備はほとんど出来ているから深夜のドライブも問題ないと、シートを少し倒して頭の後ろで手を組むリオンの髪を撫でたウーヴェは、ありがとうと礼を言う代わりに額にキスをし、もう一つの行きたい場所-本当はそちらの方がここで星空を見るより遙かに重要だった-に向けて車を走らせるのだった。
ウーヴェが本当に行きたかった場所へと車を走らせている間、リオンは車内の暖かさから身体が求める睡眠欲に負けたように眠ってしまっていた。
だからそこに到着した事を優しく揺り起こされて気付き、伸びをしつつ着いたのかと問いかける。
「ああ、着いた」
ドアを開けてどこなんだここと呟きつつ車外に出たリオンは、己の目が捉えた景色が懐かしさを感じるよりも先にいつもの光景である事に気付いて目を瞬かせる。
「オーヴェ?」
「どうした?」
今度はステッキをつきながら車から降り立ち、ドアロックをしたウーヴェが苦笑しつつリオンの横に立つと、ホームに来たかったのかと問われて今度もまた素直に頷く。
「ああ」
「何だよ、それならそうと言えば良いじゃねぇか」
「少し、秘密にしたかったんだ」
リオンの不満に近い言葉にウーヴェが悪戯が成功した子どもの顔で笑うが、でも何でこんな時間に来た、皆寝ているのにと小首を傾げると、教会の玄関に明かりが点り、ドアが開いて就寝準備をしていたであろうマザー・カタリーナが姿を見せる。
「こんばんは、マザー。こんな時間にすいません」
「こんばんは、ウーヴェ、リオン。構いませんよ。聖堂は開けてあります」
マザー・カタリーナの言葉にウーヴェがありがとうございますと返し、呆然としているリオンの腕を掴んで合図を送ると、我に返ったリオンが穏やかな顔で笑っている母をやんわりと抱きしめて頬にキスをし、ウーヴェが何をするつもりかは分からないが、帰るときに聖堂に鍵を掛けておいてくれ、その鍵はいつもの場所にと教えられて頷く事しか出来なかった。
そんな息子に穏やかに笑いかけ、明日はクリスマスイブのミサがあるからもう寝ると笑う彼女にまだ無言で頷いたリオンは、母の頬に再度キスをし、おやすみと小さく呟く。
「おやすみ、マザー」
「ええ。二人とも、気をつけて帰るのですよ」
「はい」
優しい母の言葉に素直に頷いた二人は、彼女が中に入って玄関の明かりが消えたのを見届けると、聖堂の扉-子ども達が天国の扉と呼ぶそれを開け、静まりかえった聖堂に足音を響かせる。
「なあ、オーヴェ」
「どうした」
「そろそろ教えてくれても良いんじゃねぇの?」
先程は星空を見るためにドライブに出かけたが、それは確かに一つの目的ではあっただろう。だが本当の目的はここじゃないのかと、親指の爪をカリカリと引っ掻き俯きながら問いかけたリオンは、ウーヴェ愛用のブーツのつま先が視界に入ったことに気付き、のろのろと顔を上げる。
「そうだな。ずっと黙ったままだったな」
ちゃんと話をするからもう一つだけ教えてくれと、爪を引っ掻くリオンの手を掴んで胸元に引き寄せた後、そっとそこにキスをしたウーヴェが問いかけ、何だと低く返すことしか出来なかったリオンに穏やかに笑いかける。
「なあ、リーオ。ここでお前は母や姉に見つけられて孤児院で育ったんだったな」
「・・・ああ」
「どこにお前がいたのかを聞いていないか?」
この聖堂の中のどこにいたのかと問われて意外な質問に目を丸くしたリオンは、古い小さなマリア像を指さした後、彼女の視線が向かう先の長いすを指さす。
「あそこ」
「そうか・・・そこに行こう」
ウーヴェが何をしたいのかが本当に分からずに若干苛立ちを感じながらも、穏やかな空気とウーヴェが手を握ったままだった為に逆らえず、己が指し示した長いすに二人並んで腰を下ろすと、ウーヴェがリオンを労うように髪を撫でる。
「ここがどうした?」
「ああ・・・三歳ぐらいの子どもは親に捨てられた事を覚えているかと聞いていただろう」
「ああ、うん。さっきも言ったけどさ、親に一時でも捨てられたって記憶なんてない方が良いだろう?」
その声に籠もるのは男の子が不憫だと言うよりは己の体験に重ね合わせているように感じ、そっと手を取ってその甲をゆっくりと撫でつつウーヴェが一つ頷く。
「そうだな。その子がこれから先、両親が目に見える形で愛情を掛ければ、きっとそんな事は忘れてしまうと思う」
「・・・・・・そっか」
ウーヴェの言葉にひとまず納得したらしいリオンに目を細め、でも、正直な話、その子どものことよりももう一人の方が気になって仕方が無いと言葉を繋ぐと、誰の事だと蒼い瞳に問いかけられる。
「────三十数年前、ここにいた人のことだ」
「・・・・・・っ!」
ウーヴェが口にした言葉の意味を理解するより早くに抱きしめられて目を瞠ったリオンは、三十数年前にここに、この場所に寝かされていたお前の方が気に掛かると囁かれて呆然とウーヴェを呼ぶことしか出来なかった。
「オーヴェ・・・?」
「ああ。なあ、リオン、お前はここに捨てられていたと良く言うな」
「・・・事実、だろ?」
「ああ、確かにそうだな」
肩口に押し当てた顔からくぐもっているだけではない暗い声が聞こえ、そっと髪に口付けたウーヴェは、確かにそうだが、俺にとってはそれはさして重要なことではないと告げると、勢いよく腕を撥ねのけられてリオンが顔を上げる。
「どういう意味だ?」
「ちゃんと説明をする。だから聞いてくれ」
リオンの感情の激昂も蒼い双眸に浮かぶ苛烈な光も総てウーヴェの中で予測済みで、頬を両手で挟みながら互いの目に互いの顔を映しながらゆっくりと口を開く。
「────あの日、お前がここにいた。ここにいたんだ、リオン」
「だからそれは────」
「確かにお前は両親にここに置き去りにされた。へその緒がまだついていて絶対に一人では生きていけないのにこんな寒い場所に置いていかれた」
「・・・・・・」
捨てられたとは絶対に言いたくないウーヴェが言葉を選びながらもしっかりと己の思いを伝えようとしている事に気付いたリオンが口を閉ざし、頬を挟む手に手を重ねて次の言葉を待つ。
「でも、マザーやゾフィーがお前を見つけて保護してくれた」
それ以降はここの孤児院で育ち、シスターらに時には迷惑を掛けたりしながらも己の人生を切り開いてきたのだと口の両端を持ち上げると、リオンの目が驚きに見開かれる。
「そして・・・俺達は出会えた」
「・・・うん」
クリニックで起きた殺人事件-どちらかと言えば傷害致死事件-で、初めて互いの存在を知り、その後何故かウーヴェが殺人事件や人の死の現場に居合わせた結果、互いに顔馴染みになって仕事が終わってからも飲みに行ったりと友人付き合いをするようになったと、今では遙か昔のように思える出会いを思い返すと自然と笑みが浮かび、その気持ちのままリオンを真っ直ぐに見つめると、同じように真っ直ぐに見つめ返される。
「お前はあの日、確かにここに置き去りにされたかも知れない。でもここにいた。お前の母や姉が見つけてくれるまで生きてくれていた。だから・・・今こうして一緒にいられる」
極寒の真冬の夜、生後間もない最もか弱く庇護を必要とするその時を乗り越えてくれた事に比べれば、お前を産んだ女性が何をしたかなど重要ではないと笑うウーヴェにリオンが唇を噛み締める。
「────お前が、生きてくれていた。リオン・・・生きてくれていたんだ」
以前ならば実感が湧かずに表面上の言葉のみのように使っていたその言葉だが、誘拐事件に再び巻き込まれて命の危機を何度も迎えたが、二人で手を繋いで乗り越えて来た今ならば、生きているという当たり前と言えば当たり前のその言葉の意味が今までとは違う重みを持っていると苦笑したウーヴェは、俯くくすんだ金髪を撫でて胸に抱き寄せ、青い石のピアスが填まる耳朶に口を寄せる。
「・・・生きていてくれて・・・生まれてくれて、ありがとう、リオン」
さっきも言ったが、お前が生きていてくれたことに比べれば、生みの親がした事など本当に取るに足らないものだと囁くと、リオンがウーヴェの腰に腕を回してしがみつく。
「オーヴェ・・・っ・・・!」
「さっき、親がこの先目に見える形で愛情を掛ければと言ったが、なあ、リーオ、こうすることで・・・ちゃんと伝わるかな」
こうして抱きしめることで、他でもないお前に対する愛情が伝わるだろうかと、ただそれだけが不安だと言いたげに声を潜めれば、抱きしめる腕にリオンが力を込める。
「・・・ああ、ちょうど日付が変わったな」
リオンの髪を撫でながら天井を見上げていたウーヴェは、壁の時計が日付を跨いだ事に気付き、リオンに顔を上げろと伝えてのろのろと頭が擡げられるのを根気強く待つ。
「────誕生日おめでとう、リオン。お前がこの奇跡の夜に生まれた事が嬉しい。祈る神を持たない俺だけど・・・今だけは神に祈りたい気分だ」
何度も言うが、お前が生きていてくれたことが本当に嬉しいと、言葉に嘘がない事を伝えるように眼鏡を外して呆然と見つめて来る蒼い瞳に笑いかけたウーヴェは、今日は家族揃ってのパーティがあるが、ここで誰よりも先におめでとうと言いたかったと、目尻のホクロを少し赤くしながら告げると、リオンが何かを堪えるように唇を噛み締める。
「オーヴェ・・・っ」
「うん。誕生日おめでとう、リオン。プレゼントは家にちゃんと用意してある」
でもまずは言葉で祝いたかったと笑うウーヴェの頬にリオンが震える指先を宛がい、そのままそっと挟むと、ウーヴェが何かを期待する顔で目を閉じる。
「ダンケ、オーヴェ・・・」
本当に本当にありがとうと小さく呟いたリオンは、ウーヴェの薄く開く唇にそっと己のそれを触れあわせ、ウーヴェの手がリオンの首に回されたのに 気付くと、一度唇を離して再度キスをする。
「オーヴェ・・・ウーヴェ・・・っ」
「・・・ああ。俺のリオン。お前が生きていてくれたことが本当に嬉しい」
だから親から置き去りにされたことなど些末なことだと思える様になってくれ、その為になら自分に出来る事は何でもすると、今度は唇の代わりに額を重ね合わせたウーヴェは、リオンに心底望んでいることを伝えて吐息で返事を貰うが、再度リオンの頭に手を回した後、肩に懐かせるように引き寄せる。
「お前がいた今日だからここに来たかった」
「・・・うん」
何故ここに来たのかと問われた事への回答だと笑ったウーヴェに最早どんな言葉を返す力も無くなってしまったのか、リオンが大人しく静かに頷いたため、来て良かったと安堵の笑みを浮かべる。
その後、二人が寒さを体感して身体を震わせるようになるまでの時間、微動だにせずに二人揃って少し高い位置からマリア像に見守られているのだった。
捨てられていたリオンの心をただ抱きしめたくて教会に向かったウーヴェだったが、教会から自宅に戻ってきたときにはどちらも身体が冷え切っていることに気付き、暖房がしっかりと効いているベッドルームに向かうと、どちらも下着一枚の姿でベッドに潜り込む。
ベッドの中で鼻先を触れあわせられる距離で見つめ合い、今日はありがとうとリオンが小さく礼を言うと、ウーヴェの目が安堵に細められる。
「今日のパーティさ、何かすげー楽しみになってきた」
「そうか」
「うん、そう。だからオーヴェも楽しんで欲しい」
「ああ」
コンフォーターと毛布を肩まで引き上げたウーヴェにリオンが望みを伝えれば、綺麗な笑顔で肯定的な返事をされて自然と目元を和らげる。
「あ、そうだ」
「ん?」
「うん。オーヴェも誕生日おめでとう」
さすがに毎年のように誕生日の祝いはしないとは言わないだろうと笑うリオンに一瞬躊躇したウーヴェだったが、うんと素直に頷いてリオンの頬に手を宛がう。
「ダンケ、リーオ」
「ああ」
年は違うが同じ月同じ日に生を受けた二人は、互いの誕生日を誰よりも早く祝えたことに安堵とおかしさを感じて肩を揺らす。
「今日のパーティまで時間はまだまだある」
だからこのまま愛し合うのも良いし、ただ抱きしめあって眠るのも悪くないとウーヴェが囁くとリオンが一瞬だけ考え込むが、今夜はこのままただ抱きしめていたいと返す。
「分かった」
お前が望むことならばできる限り叶えようと笑ったウーヴェにリオンがもう一度礼を言い、前言通りウーヴェを抱きしめたまま目を閉じる。
程なくして聞こえてくる寝息にウーヴェも釣られて欠伸をし、リオンを追いかけるように目を閉じるのだった。
ブラインドの隙間から入り込む朝の気配が二人の目を覚まさせようとしたが、ただ抱き合って眠った二人には通用せず、二人が目を覚ましたのはあと少しで昼を過ぎる頃合いだった。
そんな時間まで眠っていた事に互いに驚いてしまうが、ベッドに座って肩と肩を触れあわせるだけで視線は合わさなかった二人は、午後からパーティの準備を完全に仕上げてベルトランの料理の手伝いをしようと笑い合う。
「楽しみだなぁ」
「そうだな」
視線を合わせることはなかったが、コンフォーターの下でしっかりと手を繋ぎ、早く起きてシャワーを浴びようとどちらからともなく口にすると、今日の誕生日に心残りがないように日常も非日常のパーティも楽しもうと笑い合うのだった。
2017.12.24
誕生日おめでとう、リオン、ウーヴェ。


