Ein alltaegliche Geschichte

Über das glückliche Leben(UGL) -Lion & Uwe -

 街の彼方此方に雪が大きな顔をして居座っている真冬の夜遅く、今日もいつものように己に出来る限りのことをし終え、プライベートの時間で英気を養おうとしていたウーヴェは、暖炉の前に置いたソファに寝転がりながら本を読んでいた。
 ウーヴェのように本の虫ではない恋人、リオンからしてみれば、仕事で疲れて帰ってきているのにまだ本を読んで脳味噌を働かせるなど信じられない、オーヴェはマゾだということになるのだが、本を読んで頭を働かせることと知識を得ることは何よりも大切なことなんだと控えめに恋人の言葉に反論してみたが、やっぱりマゾだ信じられねぇという一言に一蹴されてしまったことがあった。
 その夜、あまりにもマゾだマゾだと言い続けるリオンに腹立たしさを感じたウーヴェは、問答無用でリオンを廊下側のバスルームに放り込んでシャワーを浴びさせた後、自分はマゾではないことを証明するような抱き方をし、息も絶え絶えになったリオンに恨みがましい目で睨まれてようやく溜飲を下げたのだったが、今度は眠りに落ちるまでの短い時間にサドだサドと繰り返されてしまい、いい加減マゾだのサドだのと言うのは止めろと言い放ち、リオンがどうしても逆らうことの出来ない笑みを浮かべてキスで機嫌を取ったこともあった。
 恋人の人となりを知らない者からすれば短所にしか思えない子供っぽさすら長所にしてしまえるウーヴェは、その後もリオンが時折からかうような目つきで見つめてきても無敵の笑顔で軽くあしらい、読書に没頭するのだった。
 今夜もまた没頭する作業を無意識に行っていたウーヴェは、携帯から映画音楽が流れ出したことに気付いて顔を上げ、慌てて携帯を耳に宛がって聞こえてくる声の調子から心身の疲労度を測ろうとする。
 「Ja」
 『…ハロ、オーヴェ』
 「仕事は終わったのか?」
 携帯の向こうの恋人に問いかけながら壁の時計を見つめたウーヴェは、今職場を出たところだと教えられて帰宅する時間を推測しつつソファから起き上がる。
 「そうか。お疲れ様」
 『うん。すげー疲れた…腹も減ったんだけどさ、何か食うものあるか?』
 疲労困憊の上にクマのように腹を空かせていることを教えられ、苦笑混じりにパスタとソーセージを用意してあること、仕事上の掛け替えのないパートナーであるリアが作ってくれたリンゴのタルトが食後のデザートで待ち構えていることを告げると、沈んでいた声が一気に浮上し、30分もしないうちに帰るからすぐに食えるようにして欲しいと怒鳴られてしまう。
 「ああ、分かった分かった。だからそんな大きな声を出すな」
 『あ、わりぃ。腹が減ったから思わず本能の雄叫びを聞かせてしまった』
 「まったく…。気をつけて帰って来い、リーオ」
 『ん、ダンケ、オーヴェ。なるべく早く帰るから、すぐに食いてぇ!』
 「はいはい。ちゃんと用意をしておく」
 だからもう一度言うが、気をつけて帰って来い。
 その言葉に有りっ丈の思いを込めて囁いたウーヴェは、同じ思いが込められているが短い同意の一言を貰って笑みを浮かべてキッチンへと向かい、恋人の空腹を満たす為のささやかな料理に取り掛かるのだった。

 

 クマのように腹が減ったと宣いつつ帰って来たリオンを苦笑で迎えたウーヴェは、冷え切っている頭を抱き寄せて口付け、有り触れているがウーヴェだけが伝えられる思いを込めてお疲れ様と囁くと、リオンの手がウーヴェの腰に回される。
 帰宅後の習慣となっているハグと互いへの労いのキスを交わした後、互いの腰に腕を回して身を寄せ合いながらキッチンへと向かってテーブルに着く。
 「どうぞ召し上がれ」
 「ダンケ、オーヴェ!」
 ウーヴェが少し戯けた風に湯気を立てるパスタの皿をリオンの前に差し出し、ソーセージも並べてビールをグラスに注ぐと青い眼がきらきらと輝き、その光に自然と心が浮かれるのを咳払いで押し殺して自らも隣の椅子に腰を下ろす。
 「もう食ったのか?」
 「ああ。先に食べて悪かったな」
 「んー、平気。どっちか言えばオーヴェはメシに重点を置かないから、食っててくれた方が安心出来るし嬉しい」
 自分たちの職業柄、こうして肩を並べて食事をすることはなかなか難しいが、それでもこうして一緒にいられるのだからそれで良いと笑ったリオンに同じ笑みを浮かべたウーヴェは、食事に付き合うことは出来ないが食後のデザートには付き合えると笑いながらくすんだ金髪を手に取ると、クリニックでも食べている筈なのに今も食べたいと言うのだから会心の出来だったのかと問われて笑みを深くする。
 「ああ。いつかエリーが言っていたが、本当に店を開けるんじゃないかと思うぐらいだな」
 「へー。すげー楽しみ。な、今度さ、何かグレープフルーツを使ったデザートが食いたいって言っててくれよ」
 「グレープフルーツ?」
 「そう。この間マザーと話をしてたんだけどな、昔グレープフルーツの苦みが嫌いで食わなかったんだけど、砂糖を掛けてくれたら食べられるようになったなーって」
 もうあの頃からすれば随分と味覚も大人になっているだろうから、あの苦みを美味しく感じるかも知れないと笑ってウーヴェを見たリオンは、グレープフルーツのシーズンがいつか分からないが、もしも手に入りやすいのなら頼んでやろうと受け負われて嬉しそうに口笛を吹く。
 「こら」
 「………オーヴェ、このパスタ、すげー美味い」
 食事中に口笛を吹くなど行儀が悪いと睨まれたことに肩を竦め、何とか怒りの矛先を躱す為に料理を誉めると、溜息混じりに頭を人差し指で軽く押されるが、パスタソースがまだ残っているからお代わりはあると教えられて再度口笛を吹きそうになるのをグッと堪える。
 「もちろん、お代わりする」
 「ああ」
 リオンの食べっぷりには本当に感心するし、見ていて心地よいといつの頃からか思うようになっていたウーヴェは、先程リオンに言われた言葉を思い出しながら自分の分も食べてくれと告げると、じゃあリンゴのタルトも食べて良いんだなと返された為、今度はリオンが絶対に逆らえない綺麗なキレイな笑みを浮かべて愛しい恋人の名を呼ぶ。
 「リーオ。今何と言ったんだ?」
 「……………ナンデモアリマセン」
 「ほら、ソーセージが冷めてしまうぞ」
 早く食べろと促してその話をうやむやにしたウーヴェは、とりあえず食べる事に専念しようと決めたらしい恋人に溜息を零しつつも、パスタのお代わりを取ってやったりソーセージのマスタードを取ってやったりと、幼馴染みには絶対に見せることのない甘い顔を見せながら遅めの食事に付き合うのだった。

 食事を終えて軽くシャワーを浴びたリオンは、タオルで髪を拭きながらベッドルームに出てくるが、呆れた顔のウーヴェに溜息を吐かれて目を丸くする。
 「風邪を引いたらどうする?」
 まだ身体が温かい内にガウンか何かを着てこいと言われるが、小言など聞こえませんと口笛を吹いてウーヴェが用意してあったコットンのパジャマを乱雑に着込んでタオルをバスルームに投げ入れる。
 「まったく」
 「へへ…。なーオーヴェ、このパジャマさ、マジ気持ちいいな」
 「そうか?」
 一人暮らしをしている時にはパジャマなど着たことがないリオンだったが、ウーヴェの家で半同棲生活を送るようになり、郵便物もこの家に届くようになった頃、真夏であろうと真冬であろうとパンツ一枚で眠るリオンに眉を顰めたウーヴェが耐えかねて探してきたパジャマがどうやらいたく気に入ったようで、まるで今までの己が恥ずかしいと言いたげな顔でそれを着込んでベッドに潜り込むようになったのだ。
 眠るまでの時間に余裕があるときはそのままリビングで寝転がってテレビを見たり、本を読んでいるウーヴェの邪魔をするようにボードゲームをしようと持ちかけて相手になって貰ったりしていた。
 そんなお気に入りのパジャマを子どものような顔で褒めたリオンがベッドに寝転がり、マザー・カタリーナやゾフィーが見れば目を剥いて絶句すること間違いなしの、サイドテーブルに置いてあったクロスワードパズルを手に取って鉛筆を挟んでいたページを開いたのだ。
 その光景はウーヴェにとっては見慣れたものになっていた為、順調に進んでいることに笑みを浮かべ、自らもリオンと同じ店で買った手触りの良いパジャマに着替えて隣に潜り込むと、ウーヴェの体重で沈んだマットレスの上をごろりとリオンが移動してくる。
 「なー、ここに入る数字は何だと思う?」
 「うん?………4か6じゃないのか?」
 「だよなぁ。俺もそう思ったんだけど…げ、どっちももう使ってら」
 「じゃあ何処かが間違えているんだ」
 「むー…。難しいな、これ」
 ウーヴェは主に言葉や単語をメインとしたクロスワードを解いているのだが、リオンが自ら選んだのは言葉ではなくマスに数字を埋めていくタイプのものだった。
 初心者向けのそれをあっという間に解いて次のものを自ら買い求めてきたのだが、子どもっぽい性格で落ち着きが無くて頭を使う作業よりも体を動かすことの方が好きだし得意なタイプだと思っていたウーヴェは、意外な事実に気付いて感心していたのだ。
 学校での勉強は苦手だったかも知れないが、こうしたクロスワードなどをあっさりと解けると言うことは頭の回転は悪い方ではないとも気付くが、もしも勉強を好きになれる環境下にいたとすれば、今頃は刑事と言っても地方警察の一刑事ではなく、州警察なり連邦警察の刑事として忙しく働けたのではないかとすら思えてしまう。
 ベッドヘッドに背中を預けるためにクッションを立て掛けたウーヴェは、己の膝に腹這いになってくるリオンに気付いて苦笑し、クロスワードを解かないのかを問い掛けながらくすんだ金髪に手を差し入れてその手触りを確かめる。
 「リオン」
 「んー?」
 「数学は得意だったのか?」
 「へ?数学?」
 「ああ」
 唐突な疑問に顔を上げて不自然な態勢でウーヴェを見上げたリオンは、人生におけるもっとも不要なものでもっとも友人付き合いをしたくないもの、それが数学だと答えてウーヴェの目を見開かせる。
 「だいたいさ、インビスでカリーヴルストを買うのに代数なんて必要ねぇだろ?」
 インビスの店員にメニュー表を指さし、これと一つくれと言えば事足りるのだ。小学生の頃ならばともかく、どうしても数学という学問が好きになれないと舌打ちをしたリオンにウーヴェが同意を示しつつも、カリーヴルストを買うのに必要はなくても犯人を追いかける時に数学が役に立つかも知れないだろうと、リオンが不要だと断言する数学を庇うようなことを告げると、じろりと恨みがましい目が睨んでくる。
 「何で必要なんだよ。だいたい、xとかyとかさ、何でxとyなんだ?」
 「………は?」
 「だから何だっけ、あの計算式がどうのこうのってヤツ。xとかyとかさ、何で黒丸や白丸じゃだめなんだ?」
 「もしかして、因数分解のことか?」
 「あー、そうそう!それ!何でxなんだよ」
 「何でと言われても…」
 がばっと勢いよく起き上がって胡座を掻いてウーヴェに向かって何故計算をするときにxやyを使うのだ、理解が出来ないと眉を顰めながら身体を前後に揺さぶると、ウーヴェの口から呆れたような溜息がこぼれ落ちるが、ふとしたことに気付いて同じように眉を顰めて疑問を口にする。
 「まさかとは思うが、代数のxやyが理解できない、納得できないから数学が苦手だったとか言うんじゃないだろうな…?」
 「へ?うん、その通り」
 お陰で数学の成績はいつも留年すれすれだったが、他の教科と教師のお陰で無事に卒業できたと今度は頭に手を宛って朗らかに笑い、ウーヴェの上体をコンフォーターの上に沈ませてしまう。
 普段は物事を考えるよりも先に身体が動くようなリオンだが、感情のボタンをひとつ掛け間違えるだけで恐ろしいほど臍を曲げることをウーヴェは経験上からよく知っており、その性格を顧みた時、代数でxを使用する理由が納得出来ない為に数学全体が嫌いになってしまっても不思議はなかったが、己の予想通りだったことに脱力してしまう。
 「オーヴェ?」
 「…………………何でもない」
 一気に今日一日分の疲れが襲ってきたような顔で深く溜息を吐いたウーヴェは、覗き込んでくるリオンの額を指で押して仰け反らせると、クロスワードをすることが急に馬鹿らしくなってしまい、雑誌をナイトテーブルに戻してコンフォーターをすっぽりと被ってしまう。
 「オーヴェ?どうした?」
 「何でもない……早く寝ろっ」
 「何だよ、急に。まだ解けてねぇから気持ち悪ぃんだよ、オーヴェ」
 だから急に寝たりしないでクロスワードを解くために力を貸してくれと、人の形に盛り上がっているコンフォーターを揺さぶるが、掌の下の布地と更にその下から小刻みな振動が伝わってきたことに気付いて手を止めると、くすくすと楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
 「オーヴェぇ!?」
 コンフォーターの下で恋人に笑われている事実にリオンが目を見開いて声を大きくすると、遅い時間なんだから大きな声を出すなと笑いながら告げられ、そっと布の下から楽しそうに細められたターコイズ色の双眸が姿を見せると同時に手を伸ばし、ウーヴェが何を言う暇も与えずにコンフォーターを奪い取って少し落とした照明の下にウーヴェの上半身を晒させる。
 「こらっ!」
 「こらじゃねぇ!」
 人のことを笑うヤツはこうしてやると鼻息荒く宣言したリオンは、目を瞠って行動を制止させようとするウーヴェの手を掴んで顔の左右に押しつけ、分厚い胸板でウーヴェの上体を押さえて動きを封じると、瞳の中に怒りと笑みといつも常に感じている情が見え隠れし、吊り上げていた目を元に戻して薄く開く唇にキスをする。
 「………クロスワードは良いのか?」
 「また今度オーヴェに手伝って貰うから今日はもう良い」
 だから今日はこのままお前と気持ちよくなりたいと囁かれて一つ背筋を震わせたウーヴェは、押さえつけられている手首が痛いから力を抜いてくれと伝えて直ぐさま実行されたことにきれいな笑みを浮かべ、その手を逆にリオンの首の後ろへと回して抱き寄せると、青い石のピアスに口を寄せる。
 いつものように、二人で一緒に気持ちよくなろうと誘いをかけると背中に腕が差し入れられ、その手がパジャマの下の素肌を撫でたことからウーヴェも同じようにリオンのパジャマの下に手を差し入れて脱がしていくのだった。

 朝の冷え込み-と言ってもセントラルヒーティングのお陰でベッドルームは暖かだったが、今朝は冷え込みが厳しいようで少し肌寒く感じたウーヴェは、ナイトテーブルの時計をぼやける視界で見つめ、起床までまだ少し余裕があることに溜息を吐いて持ち上げていた頭を枕に落とす。
 その柔らかな衝撃と同時に間近から寝息とも不満の吐息ともつかないものが流れだし、顔を振り向けると少しだけ眉に皺を刻んだリオンの寝顔が飛び込んでくる。
 日頃の言動は賑やかで子どものような騒々しさのリオンだが、眠っている人の顔は幼く見えるために年相応に思えない寝顔を見せていた。
 意外と長い睫毛にかかる前髪を指で払うと瞼が軽く痙攣した後、茫洋とした青い瞳が姿を見せる。
 「……オーヴェ…?」
 「まだ時間があるから寝ていろ」
 起こしてしまって悪かったと謝罪しつつ額にキスをすると、眠そうに目を瞬かせながらも寝起きにしては珍しく機嫌が良いのか、満面の笑みを浮かべて顔を寄せてくる。
 幼馴染みにリオンのことを話すと、そんな顔をするからガキみたいなんだと笑われたことを思い出すが、別にこの顔で毎日毎日過ごしている訳でもないのだ、自分と二人きりの時ぐらいはどんな顔をしていても構わないと、その時と同じ言葉を呟いたウーヴェは、今まで生きてきた中で何をもってしても癒すことの出来ない傷を互いに抱えつつも、こうして傍で温もりを感じているとその傷にゆっくりとかさぶたが出来ていくような気持ちにすらなってくる。
 そうして、半年ほど前に深い傷を負ったリオンの心がこれ以上傷付かないように願うと、じっと青い瞳に見つめられていたことに気付いて苦笑する。
 「どうした?」
 「………何でもねぇ」
 「そうか」
 さっきも言ったがまだ時間に余裕があるが、もしも早起きをするのならば一緒に朝食の準備をするかと問うと、斜め上を見つめて思案していることを伝えた顔が左右に揺れる。
 「オーヴェのメシ、楽しみにしてる」
 「……分かった」
 その代わりではないが、一つだけ褒美を寄越せと太い笑みを浮かべたウーヴェは、驚きに目を丸くするリオンの顔の左右に手を付いて覗き込むと、鼻と目尻と額にキスをした後、少し乾燥気味の唇にキスをする。
 「………ご褒美ってさ、これか?」
 「今は、な」
 キスを終えた直後に笑みを浮かべるリオンに含みのある言葉を伝えたウーヴェは、己の思いが伝わったことを知って今度は額にキスをし、自らは起きて朝食の支度をするためにベッドを抜け出す。
 「今日は早く帰れるかどうかわかんねぇぜ、オーヴェ」
 「気にするな」
 お前の仕事は休暇であっても呼び出しがあれば出向かなければならないのだから、仕事が遅くなることなど気にするなと笑い、ベッドの足下に置いてあったガウンを羽織ると朝食のメニューを考え始める。
 「おやすみ、オーヴェ。朝飯出来たら起こして…」
 「ああ」
 もう一度夢の中へと戻るリオンに苦笑し、ベッドルームを出てキッチンへ向かい、二人分の朝食の支度に取りかかるのだった。

 出来上がった朝食を小さなテーブルに並べてその前に二人で腰を下ろし、今日一日の予定-不測の事態が起こらない限りは変更されないもの-を話し合い、これだけはリオンが入れることに決めた食後のコーヒーを飲みながら他愛もない話をし、出勤の時間が近付いたことに気付いてリオンが慌ててキッチンを飛び出す。
 その姿ももはや見慣れたものとなった為、ウーヴェもテーブルの上をある程度片付けると同じくキッチンを後にする。
 「オーヴェ、帰るときに電話するからな。本の世界に没頭して無視すんなよ!」
 「はいはい」
 ネチネチと文句を言う暇は無いだろうとリオンを宥め賺せ、玄関へと大股に向かう背中を見送ったウーヴェだが、その足がぴたりと止まって振り返ったかと思うと、今度はこちらに向かって勢いよく走ってきたため、何ごとだと眉を寄せると、子どもの素直さと大人の狡猾さを混ぜた達観したような笑みを浮かべて忘れ物と宣う。
 「忘れ物?」
 「そう─────行ってくる」
 「ああ。今日も一日頑張ってこい」
 この両手がこの街で暮らす人たちを守っているんだと笑ってリオンの手を取り、その甲に恭しいキスをしたウーヴェは、逆に手を握り返されて同じようにキスをするリオンに目を細め、どうか今日も一日傷を負わないように、万が一傷を負ったとしてもすぐに癒えますようにと胸の中で祈ると、その祈りが届いたようにリオンの笑みが深くなる。
 「────オーヴェも」
 互いに人の命や一生を左右しかねない仕事に就いているから緊張することが多いが、戻ってきて二人きりの時は昨日のようにゆっくりしようと頷いてウーヴェの頬にキスをする。
 「じゃあ」
 「行ってこい」
 片手を挙げて玄関へと向けて踵を返したリオンを再度見送り、自身の出勤の準備に取りかかる。
 こうして、昨日と同じようで何処かが違う一日が始まり、終わりを迎えるときにはまた二人で昨日のように他愛もないことを話して互いの温もりを感じつつ眠りに落ちるのだが、そんな何もない一日がとても貴重なものであることを知っているウーヴェは、その事実を忘れないようにしようと胸に手を宛い、鍵の形をした約束に誓うのだった。

 

2013/02/01


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