すっかりと辺りも春めいてきた4月1日、クリニックに届いた一通の封書を開封したウーヴェは、内容を読み進めるうちにくっきりと眉間に皺を刻み、読み終えると同時に深く溜息を零す。
それは、光熱費の請求書だった。
愛してやまない恋人のリオンと半同棲状態になって結構な月日が流れたが、以前と比べられない程自宅の光熱費が上がっているのだ。
リオンと付き合う前の光熱費を思い出さずともすぐにその差がわかり、もう一度溜息を零したウーヴェは、ベッドルームにあるジャグジーと廊下側のバスルームの使用頻度が増えた事を思い出したついでに二人で使っているときの光景も思い出してしまい、少しだけ目元を赤らめるが、そんなことを考えている場合ではないと白い髪を左右に揺らす。
この跳ね上がった光熱費と、家計簿を付けてない為に把握していないが、家計に占める食料代-所謂エンゲル係数も同様に跳ね上がっているだろう-をどのように抑えるかを考えると、頭を振ったのとは別の理由から頭痛がしてしまう。
世の中の節約に励んでいる人たちも同じように頭痛の種を抱えているのかと思うと何だかやるせなくなってしまい、もう一度溜息を零した時、静かにドアがノックされて封書をデスクに戻してどうぞと声を掛ける。
「お疲れさま、フェル」
「エリー?どうしたんだ?」
今日もまたこちらに顔を出すと連絡を受けていないと、まるでトラウマになったようないつかの出来事が脳裏を過ぎり、恐る恐る問い掛けた弟に姉が腕を組んで不満を露わにする。
「知らせたい事があったから来たのに、その言い方は何かしら?」
「……悪い」
「良いわ。リアがお茶を用意してくれるから休憩しましょうって」
「ああ」
デスクから立ち上がって窓際のソファセットに移動すると、オルガがコーヒーとケーキを載せたトレイを運んで来てくれる。
「美味しそう」
アリーセが声を弾ませるだけではなく表情でも感激を表し、オルガも自信作だと頷きながらテーブルにそれを下ろすと、こほんと咳払いを一つしてバルツァー姉弟の視線を集める事に成功する。
「どうした?」
「…ウーヴェ、あなたに謝ることがあるの」
「?」
その切り出し方から何か自分にとって不都合な事を言うつもりだと察したウーヴェは、どんな不都合な言葉が流れ出すかを身構えて先を促す。
「もう…」
あなたのためにケーキを作れなくなったの。だからこれからは、アリーセに作ってもらって毎日持ってきて貰うわね。
悲しさを滲ませた声と表情で告げられ、咄嗟にどんな類の言葉も返せなかったウーヴェは、眼鏡の下で目を瞬かせて二人の女性の顔を交互に見つめる。
「リア?…エリーが…?…え…?」
そもそもケーキを作るためだけに雇ったわけではないしその辺の事情は遠慮することなく言ってくれれば良いことだが、何故それを詫びてしかも代役としてアリーセがケーキを作り毎日持ってくる事になったんだと、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で呟くと、リンゴのタルトも作れなくなるのとオルガが心底悲しそうに告げた為、その悲しさがウーヴェに伝播したのか、日頃の彼からすれば予想外の慌てふためきぶりを発揮してしまう。
「え、いや、それは…いや…」
「……本当に、リンゴのタルトには目がないのねぇ、フェリクス」
弟の慌てっぷりが余程楽しかったのか、白くて綺麗な手で口元を覆い隠してくすくすと姉が笑い、その横ではオルガが複雑な表情で視線を彷徨わせる。
その二人の様子から何ごとかを察したウーヴェ目を瞠り、呆然とした声を出した時には二人の女性は肩を寄せ合ってくすくすと笑い始めていた。
「…エイプリルフール…!」
今日がその日だと思い出し、やられたと額を押さえて天を仰いだウーヴェに姉があなたが慌てる姿なんて本当に久しぶりに見たわと笑い、オルガも同じように楽しそうに笑ってエイプリルフールの冗談だから明日からもちゃんと用意をするわと告げる。
「………悔しいな」
女性陣のそれにぼそりと呟いたウーヴェが、些細なこととはいえ騙された挙げ句の醜態を晒してしまった悔しさを何処で晴らそうかと呟けば、新聞はもっと酷いわよとアリーセが肩を竦める。
「え?」
「ほら、これ」
姉が差し出す新聞を受け取り、示された記事を読み進めたウーヴェは、あまりの下らないエイプリルフールのジョークに額を押さえて深く溜息を吐く。
ついに火星人の存在を発見か、そんなセンセーショナルな見出しで始まる記事は、読み進めれば進めるほど馬鹿らしくなるものだったが、その発見された火星人とやらとの接触を図る為にはドイツが誇る工業製品が採用され、国内の景気も更に上向くだろうとのアナリストの予測もまことしやかに掲載されていた。
「……それが本当なら私が持っている株も値上がりするかしら」
アリーセの言葉に思わず冷笑したウーヴェは、それならば一切手は付けずに信頼する弁護士に預けたままの株も同じだろうと胸の裡で呟くが、さっきまで見ていた請求書が不意に脳裏を掠める。
光熱費の支払いを保持している株を売り払って済ませようかと考えるが、さすがに自分はそこまで生活費に困窮しているわけではないと思い直し、それならば光熱費を跳ね上げさせた張本人にも支払わせればいいと、降って湧いたような考えに思わず目を瞠ってしまう。
「フェル?」
「…何でもない」
それよりもそのケーキはまだ食べてはいけないのかと、テーブルに並べられているいつにも増して美味しそうなそれを指さした彼に、女性達が顔を見合わせて唱和する。
「どうぞ召し上がれ」
「ありがとう」
にっこりと笑みを浮かべてケーキを食べようとしたその時、先程とは比べられない激しさと何故かリズムが付けられているノックが部屋中に響き渡る。
「……フェリクス、あまり言いたくはないけれど…」
「……分かっているから言わないでくれないか、エリー」
姉弟の応酬を聞いていたオルガは、穏やかで静けさを愛してやまないウーヴェが真逆の騒々しさを撒き散らす彼と付き合っている事の方が余程エイプリルフールの嘘の様だわと胸の奥で呟きを発するが、返事がないためにいつまで経っても響き続けるノックを止めさせるために静かに立ち上がり、ドアを開けて強制的に制止させる。
「ハロ、リア!」
いつものようにいつもの笑顔でいつもの挨拶をしたリオンに諦めの溜息を零したオルガだったが、それでも己の大切なボスであり友人の恋人だという理由から笑顔で出迎える。
「お疲れさま、リオン」
浮かれ気分で入ってきたリオンがアリーセが恐ろしい顔で見つめている事に気付き、びくんと肩を竦めてデスクの端に回り込む。
「…ハロ、アリーセ」
「ハロ、じゃないでしょう?」
どうして静かに入って来られないのかしらと、深々と溜息を零しながら弟の恋人を出迎えた姉だが、弟が諦めの溜息を零し、デスクの向こうで青い顔をしているリオンを手招きする。
「だからいつも静かにしろと言っているだろう?」
「や、だってさぁ…」
「だってじゃない」
言い訳をするなと少しだけ睨んだ後、そそくさと駆け寄ってくるリオンに苦笑し、仕事は終わったのかと問い掛けるが、休憩するために抜け出してきたと朗らかに返されて額を押さえて俯く。
「大丈夫なのか?」
「日頃の行いが良いから問題ない!」
「今日はエイプリルフールだから嘘を言っても平気なのよね、リオンちゃん」
リオンが胸を張ってウーヴェの問いに答えると、すかさずアリーセの冬を思わせる声がその自信を打ち砕くように投げ掛けられ、リオンが肩を落として鼻を啜る。
「エリー」
さすがに恋人をそこまで貶されて黙っていられる程冷酷でもないウーヴェが声を潜めると、アリーセが意味あり気に目を細めて足を組む。
「…リオン、今日はリアの自信作だそうだ」
そんなに落ち込んでいないで食べないかと誘いかけると、今の落ち込みが嘘のように顔が明るく輝きだしたかと思うと、すかさずウーヴェが腰掛けているチェアの横に滑り込んで背筋を伸ばして笑みを浮かべる。
「食う!」
「……どうぞ召し上がれ」
「ダンケ、オーヴェ!」
ものを食べる前のこの挨拶だけは絶対に欠かさないリオンにウーヴェが安堵と呆れが入り混じった溜息を零すが、嬉しそうに食べ始める姿を見るとついつい先程の大騒ぎも忘れて目を細めて見守ってしまう。
「…あなたは本当に甘いわ、フェル」
彼を良く知る者でないと気付かない表情の変化-と言うよりは、恋人を甘やかす目つき-に肩を竦めて苦言を呈したアリーセだが、幸せならばそれで良いと苦笑し、自分たちもケーキを食べ始める。
姉のもっともな言葉に反論せず、また出来なかった弟は、誤魔化すように窓の外を見た後、膝の上に置いたままの新聞をパラパラと捲っていき、驚くべき事に掲載されている記事の半分以上が本当のような嘘の記事だった為、本当に毎年毎年力の入れ具合が激しくなっていると苦笑すると、ケーキを頬張るリオンの膝の上に移動させる。
「オーヴェ?」
「なあ、リオン、頼みがあるんだ。聞いてくれないか?」
自分と恋人の間にある肘置きから身を乗り出すようにリオンの耳に顔を寄せたウーヴェは、何だと小首を傾げる彼に何ごとかを囁きかけるが、その結果、リオンの手からフォークが滑り落ちて靴の上で跳ね返る。
「落としたわよ」
「……オーヴェ…それって…」
アリーセの声が聞こえていないらしいリオンだったが、身体が小刻みに震え始めたかと思うと、その表情にじわりじわりと得も言われぬ歓喜が浮かび上がる。
「オーヴェが望むのなら…明日からでも問題ない!」
「そうか…」
「どうしたの?」
一体二人だけで何の話と眉を寄せるアリーセにウーヴェが意味あり気に視線を投げ掛けた後、引っ越しの手続きをしなければならないと満面の笑みで言い放つ。
「引っ越し?どういう事?」
「あー、引っ越しの手続きって業者に頼まなきゃならないかな?」
俺の荷物なんてそんなに多くないと嬉しそうに笑うリオンだったが、ウーヴェが驚いたように目を瞠ってその顔を見つめると、アリーセとオルガがそんな二人を驚きの顔で見守る。
「何を言ってるんだ?引っ越すのは俺だ」
「へ!?」
お前のあの部屋に引っ越しをするから手伝ってくれと、それはそれは綺麗な顔で笑うウーヴェの言葉に呆気に取られたのはリオンだけではなく、アリーセとオルガもそうだったようで、一体何を言っているのと二人がウーヴェに詰め寄るようにテーブルに身を乗り出す。
「え?俺が引っ越すんじゃないのか?」
「ちょっと待ちなさい!引っ越すだの何だのって…フェル、あなたまさか…」
「ああ。一緒に暮らそうとリオンと約束をした。なぁ、リーオ」
眼鏡の下で軽く目を伏せた後、見た方が思わず顔を赤くするような笑みを浮かべてリオンの手に手を重ねたウーヴェは、確かに約束をしただろうと微笑みかけ、恋人の頭を壊れた首振り人形のように激しく上下させると、彼女たちに向き直って破顔一笑。
「だからリオンの部屋で一緒に暮らすことにした」
「無理ムリっ!ぜってぇムリだから、オーヴェっ!!」
「どうして?」
「どうしてって、そんな顔されても無理なものは無理だって!」
ウーヴェが首を傾げて問い掛ける前ではリオンが真っ青になって今度は頭を左右に振りながら彼の言葉を否定する。
「…俺と一緒に暮らすのは嫌なのか、リオン」
「そうじゃねぇって!考えてみろよ、俺の部屋の広さはあの家の廊下ほどなんだぜ!?」
廊下で二人暮らしなんて出来るわけがないと、どれだけ愛するお前との暮らしとはいえ物理的にムリだと真っ青な顔で否定をするリオンだが、ウーヴェはと言えば全く問題はないと言いたげな顔で大きく頷く。
「大丈夫だ、リオン」
「ムリだって!だから一緒に暮らすんならお前の家か、百歩譲って何処かのアパートを借りよう!」
いくら大好きなお前と一緒に寝るとしても、あのシングルベッドだと狭すぎると喚くリオンににっこりと笑みを浮かべて何でもないことのようにウーヴェが言い放つ。
「寝るときはお前が床に寝れば問題ないだろう?」
「オーヴェのトイフェル!アクマ!!」
男二人の騒々しい応酬を呆然と聞いていた女性二人は、その言葉に我に返って恐る恐る問い掛ける。
「……リオン、あなた今日が何の日か気付いているの?」
「……へ!?」
「もう少し黙っていてくれても良いだろう、エリー?」
アリーセの問い掛けにリオンが間抜けな顔で問い返し、その横ではウーヴェが珍しく舌打ちをしながらじろりと姉を睨み付ける。
「オーヴェ!?」
「……エイプリルフールだ」
「んなー!」
きっぱりと疑う余地のない声で言い放たれて絶句したリオンの顎を人差し指で掬い上げたウーヴェが勝ち誇った顔で目を細めて今日はエイプリルフールだと笑えば、リオンががっくりと肩を落として頭を抱え込むように上体を折り曲げる。
「オーヴェ、ひでぇ…!」
明日からでも一緒に暮らせるんだと信じてしまったじゃねぇかと、目に涙すら浮かべて訴えるリオンだったが、ウーヴェの手がそっと伸びた後、前髪を掻き上げながら思いを込めた声で名を呼んで目を細めた為、青い目を瞬かせて首を傾げる。
「…お前の部屋で一緒に暮らすのは嘘だ。だが…」
いつか一緒に暮らそうと言ったことは嘘ではない。後もう少しだけ待ってくれと微笑まれて条件反射で頷いたリオンは、それでもやはり騙されたことへの恨みがあるのか、上目遣いにじっと睨んだあと、お前の家が良いと小さく叫ぶ。
「─────ああ」
あの家で一緒に暮らそう。
その思いが伝わればいいと強く願いながらも素っ気ない顔で頷いたウーヴェは、二対の視線が痛いほど突き刺さることに気付き、肩を竦めて二人に苦笑する。
「そう言うことだ」
引っ越しの話はエイプリルフールの嘘だと笑い、コーヒーを飲み干した途端、姉の厳しい視線とそれよりは柔らかな視線が更に突き刺さり、何だと首を傾げて先を促す。
「フェリクス、はっきりと聞かせて頂戴」
「何だ?」
姉の問いが何であるかを先読みしているウーヴェが腹を括ったように一つ頷き、足を組んで姉を見つめれば、さっきも聞いたが、あの家で二人で暮らすつもりなのかと問われ、無言でリオンの手に手をもう一度重ねた後、穏やかな、だが決意だけは翻さない事を教える強い光を双眸に湛えてそっと頷く。
「少し先になるが…一緒に暮らすつもりだ」
半同棲という中途半端な関係は好きではないと苦笑し、何よりも二人の収入があれば跳ね上がった光熱費もしっかりと払えるだろうと肩を竦めれば、またリオンの口から素っ頓狂な声が挙がる。
「何だそりゃ!?」
「……お前が来てから光熱費が上がったんだ」
「へ?」
「特に水道代がな」
「………へへ」
水道代が上がった理由を察したらしいリオンが戯けたような顔で斜め上を見た為、ウーヴェが重ねていた手をそっと離して代わりに青い石のピアスが光る耳を摘んだ後、容赦なく耳朶を引っ張って悲鳴を上げさせる。
「痛い痛いっ!いてぇってオーヴェ!」
「うるさい、バカたれっ!」
目元をうっすらと赤く染める理由が理解出来ないとアリーセが柳眉を悩ましげに寄せるが、喜んでた癖にとリオンが一声吼えた為、何の事かを察して頬を赤らめる。
「────あなた達、セクハラで訴えられたいのかしら!?」
「エリー、俺まで一緒にしないでくれないか」
「あ、そんな事を言う。バスルームでするときは信じられねぇほど積極的な癖にぃ」
「!!」
決定的な言葉が四人の間に落とされ音もなく弾けた直後、ウーヴェが頭髪と同化したような顔色で身動ぎしなくなり、アリーセとオルガが首筋まで赤くしたまま同じく動かなくなってしまう。
けろっとした顔で爆弾を落としたリオンは、残りのケーキを綺麗に平らげ、コーヒーも飲み干して美味かったと満足そうな笑みを浮かべる。
「あ、オーヴェ、今日もしかすると遅くなるかも知れない」
だから仕事が終われば連絡をするから、そう言い残して手を挙げてウーヴェの白い髪にキスをしたリオンは、今日も美味いケーキをありがとうとも言い残して診察室を浮かれた足取りで出て行く。
リオンがクリニックの重厚な扉を開けて廊下に出る寸前、診察室のプレートが掲げられているドアが小刻みに揺れるのではないかと思うような大声が室内に響き渡るが、廊下に出ていたリオンには虫の羽音ほどの大きさにしか聞こえないのだった。
ソファを背もたれにして床にクッションを敷いて胡座を掻いたリオンは、ソファで足を組んで雑誌を読んでいるウーヴェを振り仰いで見つめるが、視線があった瞬間に鼻息荒くふんと言い放たれて顔を背けられる。
「オーヴェぇ、悪かったって言ってんだろ?」
いい加減機嫌を直せと溜息混じりに告げれば、暖炉の炎も役に立たないような冷たい気配が漂ってきて、ついついウーヴェの膝を温めているブランケットを奪い取ってしまう。
「……こら」
「オーヴェが機嫌直さねぇから返してやらねぇ」
お前は一体どこの子供だと思わずウーヴェが溜息を零すような態度でブランケットにくるまるリオンを見下ろした後、肺の中を空にするような溜息を零しつつくすんだ金髪を指で絡め取る。
「リーオ」
「……機嫌直ったか?」
どうあってもそれが引っかかるらしい恋人に苦笑し、頼むから今日のような事を特に姉の前では言わないでくれと告げると、くるりと振り返ったリオンがウーヴェの腿に顎を載せて上目遣いに見つめてくる。
「ダメか?」
「………恥ずかしい」
家族に自分たちのベッドルームをお披露目するつもりはないと告げれば、リオンの口から無意識の安堵の溜息が流れ出す。
「…俺と付き合ってるのを余り知られたくないんじゃないよな?」
「それはないと言ってるだろう?」
先日の仕事の際にも言ったし今まで何度も告げただろうと目を細め、俺の言葉が信じられないかと優しく問われて頬を腿に押し当てたリオンは、どうしても不安になってしまうと呟き、髪を撫でる手の感触に目を閉じる。
「────今日はエイプリルフールだったが、全てが嘘じゃない。それは信じてくれ」
お前の部屋に引っ越すと言ったのは今日だけ許された嘘だが、一緒に暮らそうと告げた言葉に嘘はないと、前屈みになってリオンのこめかみに口付けたウーヴェは、じゃあ何処かに部屋を借りるのかと問われて首を振ることで否定をする。
「ここで一緒に暮らせばいいだろう?それとも何処かに住みたい家でもあるのか?」
ここで、一人では広すぎるこの家で一緒に暮らそうとひっそりと囁かれて顔を上げたリオンが見たのは、クリニックでも見たが胸の奥をじわりと暖めてくれるような優しい笑みだった。
「リーオ」
「……ここが良いや」
「そうか」
「うん────オーヴェ、お前が良いと言うまで待ってる」
だから早くここに来いと、今のように週の半分ではなく毎日帰って来いと言ってくれと囁かれたウーヴェが目を閉じて頷けば、伸び上がったリオンの腕に抱きしめられる。
「あ、でもさ、なるべく早くしてくれよな?」
「どうした?」
「確かそろそろあのアパートの契約更新があったはず」
現実的な呟きにウーヴェが目を瞬かせ、このアパートの名義は自分のものになっている為に契約の更新など思いつかなかったと苦笑し、時期が来れば教えてくれとも告げると、伸び上がったリオンが完全に立ち上がり、そのままソファに押し倒されてしまう。
「リオンっ」
「オーヴェ、好き」
「…っ!」
真っ正面からの告白に息を飲んでターコイズを左右に泳がせた後、それはエイプリルフールの嘘じゃないだろうなと問えば真顔で当然と返され、その心の奥底を直撃するような真摯な表情に降参と呟きながら両手を肩の高さにまで上げる。
「一緒に暮らすんだったらさ、食費とか光熱費とかはやっぱり折半か?」
「そうしてくれると助かるな」
覆い被さってくるリオンの広い背中を抱きながら苦笑すると、なるべくバスタブに湯を張らないようにしようと厳かな声で宣言されてつい吹き出してしまう。
「あ、なんで笑うんだよ?」
「ガマンできるのか?ん?」
「それぐらいガマン出来るっての!」
「ふぅん?」
鼻先を触れあわせるような距離で囁きあい、ウーヴェの言葉にリオンが瞼を真っ平らにすると、その顔は疑っているだろうと吼えてウーヴェの白い首筋に顔を埋める。
「こら、リオンっ!」
くすぐったいから止めろと笑われ、首筋へのスキンシップは苦手だった筈なのに、今ではすっかり単にくすぐったいという理由で拒否するまでになった事に気付き、リオンが内心ほくそ笑む。
「…でもさ、今日みたいな嘘はもう止めてくれよな」
他の人ならば兎も角、ウーヴェの場合はどこまでが本当でどこまでが嘘なのかが読み取れないと情けない声で告白されて素直に悪かったと返し、年に一度の嘘だから許してくれとも告げると、今度駅前のインビスでカリーヴルストが食いたいと魂の叫びを聞かされて一も二もなく頷いてしまう。
「分かった」
「約束だからな?」
「ああ」
互いの背中を抱きながらくすくすと笑いあい、エイプリルフールなんて嫌いだと二人揃って笑い飛ばすのだった。
2011/04/01


