些細なことで口論になり、その後気まずい時間を過ごさなければならなくなった二人は、それでもお互いの顔が見えない場所にいる事が耐えられないのか、リオンの決して広くて綺麗とは言えない部屋でただぼんやりとテレビを見ていた。
毎度のようにウーヴェが俺は一体どこに座ればいいと言う問いに、これまたいつものように適当な場所にクッションを置いて座れとリオンが返した事が発端だったのだが、結局ウーヴェは言われたとおりにクッションを床に置き、その上に片膝を立てて雑誌を読み、リオンはその背後のベッドに横臥してテレビを見ていた。
ドアの横の壁にぶら下がっているカレンダーが今日という日付を教えてくれるが、ああ、バレンタインだとウーヴェが思い出したのは、そのカレンダーの文字もそうだったが、数日前に診察後の休息を取っている際、オルガが興味深げに問いかけてきた事を思い出したからだった。
そもそもバレンタインは男性から付き合っている彼女や妻といった、すでに付き合いだしている恋人同士が過ごすイベントの日だったが、リオンと付き合う前の女性達とはそういえばバレンタインのイベントはしてこなかったことを思い出し、ついでにバッグの中にリオンが大好きなメーカーの正方形のチョコがいくつかと、オルガが用意してくれたマシュマロが入っていた事も思い出し、小さく吐息を零して雑誌を閉じると同時に立ち上がる。
「オーヴェ?」
横臥したまま名を呼ばれて苦笑し、喉が渇いたと怪しまれない事を告げてシンク横のコンロ前に立つと、小さなミルクパンを取り出してチョコを大雑把に割り入れると、冷蔵庫からミルクのボトルを取り出してミルクパンをコンロに乗せる。
その一連の動作をベッドの上から見守っていたリオンだったが、ウーヴェの手がチョコを二つに割ったのを見た時、レーズンチョコが食いたいと呟いてしまう。
「鞄に入っているから、出して食べればどうだ?」
いつもならば寝る前にここのメーカーのチョコレートを一枚食べることにいい顔をしないが、食べても良いと苦笑されて瞬きをしたリオンは、そういうことならば喜んでとウーヴェの鞄を開けてごそごそと正方形の板チョコを探し出す。
「……あった」
ただ残念ながらレーズンではなくナッツがぎっしりと詰まったチョコだったが、それでもパキンとチョコを割って取り出したリオンは、ベッドの上であぐらを掻いて身体を前後に揺らしながらウーヴェの背中を頬杖を付いて見つめていた。
何をするつもりかは分からないが、ミルクパンの中で液体が沸騰する音と、甘くて香ばしい匂いがキッチンスペースから漂ってきた事に気付き、珍しく甘いものが飲みたくなったのかと思案する。
リンゴのタルトに代表されるようにフルーツを使ったケーキやジャムなどは好きだが、チョコレート特有の甘さはどちらかと言えば苦手だといつか教えられた事があったが、珍しい事もあるもんだとチョコを囓りながらウーヴェを見つめていると、壁の棚からマグカップを一つ取り出してミルクパンの中身をそっと注いで満足そうな顔で一つ頷く。
何を作ったのかは分からないが、きっと会心の出来だった事を察し、その横顔を見ただけで自然と笑みが浮かんでくるのを堪えきれなかったリオンは、ウーヴェがカップ片手に戻ってきたのを目で追いかける。
「ナッツにしたのか?」
「うん。レーズンは今度オーヴェの家で食うから、冷蔵庫に入れててくれよな」
「分かった」
アンペルマンではないマグカップをサイドテーブルに置き、先程まで座っていたクッションに再度腰掛けたウーヴェは、ベッドの上から身を乗り出して肩越しに見つめてくるリオンに苦笑し、マグカップの中にマシュマロを二つ落とすと、スプーンで混ぜながらマシュマロの原形を無くしていく。
「ホットチョコ?」
「……ああ」
飲まないかと問えば少し思案した後、今は要らないと金髪が左右に揺れた為、内心の落胆を表に出さないように最大限の注意を払いつつ苦笑し、マグカップに息を吹きかける。
ホットチョコを作ろうと思ったのは先程告げた様に喉が渇いたからからではなく、つまらない言い合いをしてしまった事への謝罪と自分も怒っていないと言う意思表示だったのだが、伝わらないなと内心でのみ苦笑し、息を吹きかけて少しだけ冷ましたホットチョコレートを一口飲もうとしたその時、背後から伸びてきた手がマグカップを取り上げたかと思うと、顎を掴まれてぐいと上げさせられてしまい、真上から覗き込まれて眼鏡の下で瞬きを繰り返す。
「リオン?」
「……やっぱさ、ちょうだい」
「分かった」
ホットチョコレートが飲みたいと笑われ苦笑してマグカップを返せと告げたウーヴェの前、リオンが意味深に笑みを浮かべた後、ウーヴェよりも先にホットチョコレートに口を付ける。
「リオン」
「────はい」
反り返るように見上げていたリオンがカップを再度テーブルに置いた後、そっとウーヴェの口を封じるように唇を重ねてくる。
逆さまに触れた唇から伝わるホットチョコレートの甘さと、リオンの唇だけが与えられる熱に目眩を覚えそうになったウーヴェは、背後のベッドにもたれ掛かってきつく目を閉じる。
閉ざした視界の中で眼鏡が奪われた後、下唇の上を指の腹が右から左に移動した事に気付き、そっと目を開ければやけに真剣な顔でリオンがウーヴェの唇にホットチョコレートを塗りつけていた。
「…舐めちゃダメだぜ、オーヴェ」
唇に塗られたチョコレートの甘さが鼻を通じて伝わってきて、さすがに顔を顰めそうになったウーヴェだったが、リオンが舐めるなと念を押した為にぐっと我慢し、何をするつもり何だと小首を傾げて返事を待つ。
「うん────舐めたら美味いかなって」
言うが早いかリオンがウーヴェの唇をぺろりと舐め、その甘さを堪能するように口内で舌をもごもごとさせた後、破顔一笑。
逆さまになった世界でその笑顔を見たウーヴェが己の呼吸が止まったのでは無いのかと思えるような胸の痛みを感じ取って目を瞠るが、うん、やっぱり美味いと言いながら唇に塗りたくったホットチョコレートをすべて舐め取ったリオンは、呆然と見つめてくるウーヴェの鼻先にキスをし、めちゃくちゃ美味いホットチョコレートをありがとうと笑みを浮かべる。
「……そうか?」
「うん、そう」
すっかり機嫌を直した顔で笑ってウーヴェの顎の下で腕を交差させたリオンは、白い髪に鼻先を押しつけて小さくごめんと謝罪をする。
「────もう気にするな」
俺も気にしていないと告げてリオンの腕をぽんぽんと叩いたウーヴェは、ダンケと呟くリオンの髪に手を差し入れ、気に入ったのならホットチョコレートを全部飲んでしまっても良いとも告げて顔を振り仰ぐ。
「俺はビールを貰う」
「ん、分かった。………オーヴェ、後でシャワー浴びるか?」
それともシャワーは翌朝にでも浴びるかと問われ、天井を見上げて暫し思案したウーヴェが顔を戻してリオンを見た後、僅かに目を伏せて後で浴びてくると囁く。
「分かった」
さすがに今日は一緒に入るとは言わないと良い子であることを示すように宣誓したリオンだったが、今日はバレンタインだから自分たちの関係をより深める為に後で散々泣いて貰いましょうと太い笑みを浮かべてウーヴェの顔を引きつらせる事に成功する。
「やっぱり…」
「前言撤回は認めないぜ、オーヴェ」
にやりと不気味な顔で笑われてリオンの腕の中から逃れようとしたウーヴェだったが、先の先まで読まれていたようで、もう一度指でホットチョコレートを唇に塗りたくられて絶句し、丁寧に丁寧に舐め取られて目元を赤らめる。
「美味かった」
「……っ!!」
仕上げのように小さな音を立てて唇にキスをしたリオンに最早何も言えなかったウーヴェは、のろのろと身体ごと振り返ったかと思うと、あぐらを掻いているリオンの足の上に覆い被さるようにベッドに飛び乗って腹ばいになる。
「ぐふっ!」
「…ふん」
せめてもの腹いせだと鼻で笑い、それでもやはり離れられないのか、リオンの足の上に腹這いになったウーヴェの髪にリオンが手を差し入れて頭の形を確認するようになで始める。
その大きな手の温もりに自然と瞼が下がりそうになるのを何とか堪え、寝返りを打ってリオンを見上げたウーヴェは、そっと手を持ち上げてリオンの顎から頬のラインを指先で辿らせてこの先の行動を伝えると、頭を撫でる手が頬に下ってきて同じように顎のラインを撫でられて目を閉じる。
三度重なる唇に残る甘いチョコレートの香りを楽しむように唇を押しつけ、隙間に舌を差し入れて口内で絡ませ、一頻り呼吸が上がりそうになった頃に離れて身体を起こし、ベッドから降り立ち、この後の時間の為には必要なことをする為にバスルームへと向かうのだった。
ウーヴェがシャワーを浴びている間にホットチョコレートを飲み干したリオンは、それが謝罪と仲直りの印である事に気付いていたが、お互い言葉でちゃんと伝えられた事に安堵し、シャワーを浴びてウーヴェが出てくるのを、ベッドに寝転がって待っているのだった。
2011/02/14


