警察署の有志が集まって少しの金を出し合い、賞品を掛けたテニスのゲームをする事になったと、夏も終わりを迎えつつある日、ウーヴェの診察室のどっしりとしたデスクに顎を載せて不気味な笑い声を上げたのは、仕事に必要だった精神科医のコメントを貰いに来たリオンと、その横で微苦笑を浮かべるマクシミリアンだった。
「テニスのゲーム?」
「そう。賞品も決めて、何人かで集まってする事になったんだよ、なぁマックス」
「ええ」
リオンの言葉にマックスことマクシミリアンが苦笑混じりに頷き、それにつられたようにウーヴェも苦笑してしまう。
「テニスなんてしたことねぇっての。サッカーかバスケなら勝てるのになぁ」
ブツブツと不満を垂れるリオンに苦笑を深め、賞品は一体何だと問い掛けたウーヴェだが、リオンが勢い良く身体を起こしたことに椅子の中で身体を仰け反らせてしまう。
「俺が狙ってるのはブービー賞!」
「だから、そのブービーの景品は何なんだ?」
眼鏡を押し上げながら問い掛けたウーヴェだったが、明確な答えを返してくれたのはマクシミリアンだった。
「優勝が今話題の家電製品、準優勝が洗剤半年分。…ブービーは駅前のインビスで商品選び放題」
ただし5個だけ。
リオンの顔がぱぁあと音を立てたように輝き、マクシミリアンが深々と溜息を吐くが、それを聞かされたウーヴェも全く同様に溜息を吐いて額を押さえる。
「あれ、マックスもオーヴェもどうした?」
「お前はどれ程インビスが好きなんだ?」
「へ?や、そうは言うけどさぁ…5個選び放題って事は、上手くすれば一食浮くじゃねぇか」
そんな美味しい話を逃すはずがないと目を光らせるリオンだが、何かを思い出したような表情を浮かべた瞬間、まるで風船が萎むようにデスクに突っ伏してしまう。
「テニスなんて無理だぁ…」
自販機5杯分のコインでも嬉しいが、でもやっぱりインビスが良い。
くすんと鼻を啜りながら呟くリオンに呆れて何も言えなかったウーヴェは、だから特別に助っ人を頼んでも良いと言っているだろうとマクシミリアンが告げた言葉に目を瞠り、誰か助っ人になってくれそうな人がいるのかと問い掛けると、ジルベルトと低い声が返ってくる。
「じゃあ彼にしてもらえばどうだ?」
「……ジルだと後で何をさせられるか分かったもんじゃねぇからイヤだ」
「美味しいジェラートを奢れば許してくれるんじゃないのか?」
マクシミリアンの忠告にもう一度鼻を鳴らしたリオンは、どうしてもインビスが諦められないと叫び、再度勢い良く顔を上げて呆れつつも情を浮かべたターコイズを細めるウーヴェと視線を重ね、青い眼を最大限に瞠る。
「オーヴェ、テニスをしたことはあるか?」
「うん?まあ人並みにはな」
「マジで!?オーヴェ、助っ人してくれよっ!!」
「お前…ドクを連れて行くのは反則じゃないのか?」
リオンのこうなれば藁でも何でも縋ってやると言いたげな声にマクシミリアンが生真面目に忠告し、ウーヴェもそうだと仰々しく頷くが、ただ一人リオンだけがそんなの関係ねぇと叫んでウーヴェの手をがしっと握る。
「!?」
「オーヴェぇ、俺のインビスの為に出てくれよ!!」
「……お前、頭から俺がブービーになると思っていないか?」
リオンの必死の形相に冷めた声で囁いたウーヴェに、そんな事は思ってないが家電製品よりもインビスが良いと叫んで手に力を込め、細められたターコイズを覗き込む。
「オーヴェぇ」
その、明らかに甘えている顔に声を詰まらせてしまい、どう返事をするべきか思案したウーヴェの前、マクシミリアンが少しだけ居心地の悪そうな表情を浮かべて視線を逸らす。
「…ブービーで良いんだな?」
「もちろん!や、そりゃあ優勝でも嬉しいけどさ…」
でも出来ればインビスが良いなぁと、俺は思います。
まるで何かの宣誓をする時の様に人差し指を立てた手を掲げ、厳かに言い放ったリオンに前と隣から盛大な溜息が投げ掛けられる。
「俺がお前の望む賞品を手に入れれば俺には何をくれるんだ?」
顎の下で手を組んだウーヴェが低く問い掛けて目を細めると、きっぱりとリオンが宣言する。
「リンゴのタルト、二切れでどうだ?」
「乗った」
「……それで乗るんですか、ドク!?」
リオンの言葉にウーヴェがすかさず返事をし、一拍の間の後、マクシミリアンが素っ頓狂な声を挙げる。
「交渉成立。ゲームは土曜日の午後な。場所はまた連絡するから」
「ああ」
まるで狙っている賞品を最早手に入れた様な顔でリオンが立ち上がり、ウーヴェが組んだ手に顎を載せてにやりと笑うが、二人を見ていたマクシミリアンが何度目かの溜息を零し、この二人はもしかすると似たもの同士なのかも知れないとの疑問を脳裏に思い浮かべ、それを否定するだけの気力がない事に気付くのだった。
盛夏を思わせるような日差しの午後、ウーヴェはいつもに比べれば少しだけ運動に適した服装で車から降り立ち、教えられたテニスコートに向かう。
「オーヴェ!!」
フェンスで囲まれたコートからリオンが手を振り、それに答えるように小さく手を挙げたウーヴェは、学生の頃に愛用していたラケットを肩から下ろしてリオンの横のベンチに腰掛ける。
「ドク、リオンと付き合ってるとロクな目に遭わないでしょう?」
座ったウーヴェにダニエラが心配半分愉快さ半分で声を掛け、その横ではコニーがさもありなんと言いたげな顔で腕を組むと、リオンの頬が見事に膨らんでしまう。
「あー、みんなしてひでぇっての」
「……図星を指されると人は怒るものだ」
「オーヴェまでひでぇ!」
3面あるコートを囲むように置かれたベンチにそれぞれ警察署でもスポーツが有能な警官達が仲間と一緒に固まっていたが、審判兼実行委員長を務める警部の言葉に皆が静まり、張り出されたトーナメント表を見てはざわつき始める。
ここにいる面々でウーヴェの事を直接なり間接なりで知っているものと言えば、リオン曰くの愉快な仲間達だった為、皆の視線がウーヴェに集中するが、本人はと言えば我関せずな表情でガットの張り具合を確かめていた。
「オーヴェ、あそこのブルネットの優男がいるだろ?」
ウーヴェが腰を下ろすベンチの背もたれを跨ぐ様に身を乗り出し、細い肩に腕を着いて耳元で囁くリオンに顔を振り向けてその男がどうしたと問い掛けると、あいつが優勝候補でしかもオーヴェの初戦の相手だと告げられて目を細める。
まるでプロテニスプレイヤーのような風貌で、実際テニスもずば抜けて上手で、今回も自ら欲しい物を優勝賞品に選んだらしいとリオンが苦笑混じりに告げる程の腕前だった。
「ふぅん?」
「俺、詳しいルールは知らないんだけど、1セットマッチだって」
「1セットなんだな?」
「うん、そうらしい」
「分かった」
「あいつに勝てば多分他は問題無いけど…俺の狙いはブービーだから!」
しつこいほどブービーを連呼するリオンに苦笑したウーヴェは、ゲームを始めますとの声が掛かると、眼鏡を外してリオンに預ける。
「彼はどんな性格だ?」
「性格?そーだな……自信家、あまり挫折を知らない坊ちゃんタイプ。俺はあまり一緒に仕事をしたことが無いからわかんねぇけど、ジルベルトが言うには気にくわないらしい」
「そうか…少しのことで頭に血が上りやすいか?」
「んー、そうだな…どっちか言えばそうかな?」
ベンチから立ち上がり、ガットを掌に打ち付けたウーヴェがその言葉に唇の端を持ち上げ、最新家電を期待していろと囁く。
「へ!?オーヴェ?」
「負けるなど…俺のプライドが許さない」
ふっふっふと、いつもと比べると遙かに好戦的な顔で笑う恋人に何も言えずにぽかんと口を開けたリオンは、対戦相手が待つコートに向かったウーヴェの背中をただ見送ることしか出来ないのだった。
ウーヴェの初戦の相手はリオンが注意をしろと言ったブルネットの彼だった。
優勝候補というだけはあり、確かにテニスのゲームの雰囲気には慣れている様子で、しかも女性警官の応援付きだった。
リオンにしてみれば己の賞品が掛かっている大切なゲームだったが、マクシミリアンやヴェルナーにしてみれば同僚の女性警官の応援が癪に障ってしまった為、いつも以上にウーヴェに対する応援を力を込めてしてしまう。
そんな面々の前、いつもと全く変わらない冷静な様子でネット際に立ち、自信満々のブルネットの彼、デーニッツと握手を交わしている。
コイントスで勝ったウーヴェが選択したのはサービスだった為、デーニッツがラケットを構えて腰を落とし、身体を軽く左右に動かしながらちらちらと応援してくれる女性達を見ては片目を閉じる。
その余裕の態度を見せつけられて何故か怒りの表情を浮かべたのは対戦相手のウーヴェではなくリオンやコニーらといった、ウーヴェの応援ならば任せておけと胸を張る面々だった。
審判の声にデーニッツがさすがに集中しなければと真正面を向いた直後の事だった。
彼が構えている場所から30センチも離れていない場所に信じられない速さでサーブが決まったのだ。
「……え?」
動くことも瞬きをすることも出来なかったデーニッツは、ラケットを構えた姿のままネットを挟んで反対側にいるウーヴェを見つめる事しか出来なかった。
ただそれはデーニッツだけではなく、コート際で応援していたリオンをはじめとする愉快な面々も、それどころか審判をする警部でさえもそうだったのか、何食わぬ顔でセカンドサーブの準備にかかるウーヴェを皆でぽかんと見つめてしまう。
「……マックス、もしかして…」
「あ、ああ、もしかすると…」
これはリオンが望むブービーどころか、優勝賞品すら手に入るかも知れない。
ヴェルナーとマクシミリアンが顔を見ずに言葉を交わした瞬間、ウーヴェが高々とボールを上げ、最も高い位置にそれがある時を狙い澄まして左手で構えたラケットを振り抜くと再び同じ場所にサーブが決まり、審判の2ポイント目を告げる声が挙がる。
「うそ…だろ!?」
「リオン、ドクは学生の頃に少しテニスをしていたと言っていたな!?」
コニーとヴェルナーの声にリオンが我に返り、人並みにしていたと聞かされた事を告げるが、今度のサービスはと言えばさっきとは違い、デーニッツの足下に着地した瞬間、ラケットを出した彼の傍で高く跳ね上がってコートの外に出て行く。
優勝候補である彼がラケットを出すのが精一杯のサーブを決めたウーヴェだったが、その表情や態度には焦りも自慢も何もなく、ただ淡々とゲームをこなしている様にしか見えなかった。
結局ウーヴェのサーブをデーニッツが返すことが出来ず、一ポイントも取ることも出来ずにコートチェンジをした時、すれ違いざまにウーヴェの耳に嫌な言葉が届けられる。
その言葉の主はそそくさと己のポジションへと向かったが、ウーヴェは一つ溜息を吐いただけでそれをやり過ごす-事はせず、この試合で相手には1ゲームどころか1ポイントも与えないで完膚無きまでに叩き潰してやろうと笑みを浮かべる。
その笑みがリオンには見えていたのか、かくんと首を傾げてどうしたんだろうと呟くと、ダニエラがそんなあなたがどうしたのと問いかける。
「オーヴェ、今何か言われたのかな?」
「え?」
さっきまでの冷静さが少し失われて随分と感情が見えているとリオンが呟きつつ指でウーヴェの顔を示すと、ダニエラに倣って他の面々もじっとウーヴェの端正な顔を見つめる。
「さっきとかわんないぜ?」
「いや…怒ってるぜ、あれ」
自分だけが見抜ける恋人の怒りの表情に気付き、もしかするとデーニッツに医者の用意をした方が良いのかも知れないと呟いたリオンだったが、その医者ならば対戦相手だろうと笑われて目を瞬かせ、確かにそうだと大笑いをする。
「デーニッツ、自慢の顔に傷が付かない事を祈ってるぜ」
長い足を組んでベンチの背もたれに腕をかけたリオンが小さく呟くと、それが聞こえたのかどうなのか集中しようとしていたデーニッツがじろりと睨んでくるが、ゲームに集中しようと咳払いをし、自慢の腕を見せつけようと高い位置でサーブを打つ。
彼の経験上、そのゲームで打つ一発目のサーブは必ず決まっていたし、それが決まれば後のゲームどころかそのセットすら余裕で取ることが出来ていた。
だが、渾身のサーブが信じられない事にいとも容易く打ち返されてポイントを取られてしまうとさすがに驚きの声を挙げてしまう。
「うそだろう!?」
その声は見物人達の声をも代弁しているようだったが、ウーヴェが顔色一つ変えずに再度構えたためにさっきよりは若干コントロール出来ずにサーブを打つ。
ウソであってくれと願う観客の心を裏切るようにこれまたあっさりと、まるで相手がテニスの初心者だとでも言うように簡単に打ち返すだけではなく、デーニッツの足下に狙いを定めて打ち返したかと思うと、目を瞠るような速さでネット際にまで出て来て、デーニッツが打ち返したボールをネット間際に置くようにぽんと落下させる。
優勝候補であり実際にプライベートでも色々な大会で何度も優勝しているらしいデーニッツを翻弄するようなウーヴェの動きに周囲で応援していた女性達が言葉を無くし、リオン達も違った意味で言葉を無くす。
「─────!!」
リオンがガッツポーズを取る横でマクシミリアンが珍しく興奮したような声を挙げ、ヴェルナーもコニーもダニエラも賛同する。
その後デーニッツは結局ウーヴェとの試合で1ポイントも取ることが出来ない、彼のテニス経歴の中では前例のない完全敗北を喫してしまうのだった。
その日の夜、このメンバーが集まれば必ず行くガストシュテッテではなくゲートルートに出向いた彼らは、第一試合終了後のデーニッツが抜け殻のようにその場に座り込んだ様子を思い出して痛快だったと笑い声を上げる。
その後のトーナメントは、マクシミリアンやヴェルナーが予想したとおり警察署の有志一同のゲームなのにウーヴェが優勝してしまったのだ。
優勝賞品の目録を受け取る時にはさすがに遠慮をし、代わりにリオンが受け取ったのだが、その目録を矯めつ眇めつした後、あろうことか警察署内でオークションに掛けると言いだしたのだ。
さすがにそれは助っ人として頑張ったウーヴェに悪いだろうと皆が口々に止めたが、売り上げでリンゴのタルトを丸々一台プレゼントとリオンが笑みを浮かべた瞬間、ウーヴェが一も二もなく賛同したため、周囲の声は鎮火してしまう。
そのやり取りを思い出して呆れた顔でビールを飲んだマクシミリアンにリオンが満面の笑みで頷き、その隣ではウーヴェも苦笑混じりにビールを飲んでいた。
「でも…ホントにドクは強かったな」
「そーだな…オーヴェ、学生の頃もしかしてちょっとどころか真剣にテニスやってたんじゃないのか?」
和気藹々と言うには賑やかすぎる時が過ぎ、料理も粗方食べ終えた頃、コニーが感心しきりと呟いた言葉にリオンも同意し、隣でいつもと変わらない顔でアップルサイダーを飲んでいるウーヴェに問いかけると、少しやっていたと肩を竦めるが、その時ウーヴェの背後に人が立ち、竦めた肩を戻すようにがしっと掴む。
「!?」
「ベルトラン、今日も最高に美味いメシをありがとう」
「そうかそうか。それは良かった。皆さんの口にも合ったのなら良いんだけどな」
穏やかな風貌に汗を浮かべながらも自慢の料理を誉められた事が嬉しい顔で笑うベルトランに皆が一斉に頷き、ウーヴェだけが肩が痛いから手を離せと気難しい顔で睨み付ける。
「そうだ。リンゴのタルトが焼き上がったぞ?」
「さっさと持ってこい」
幼馴染み故のやり取りを目撃したリオン以外の人間は盛大に驚いてしまい、どちらかと言えばいつも丁寧な物言いをするウーヴェのぞんざいな口調に目を瞬かせると、いつもこうなんですと泣き真似をしたベルトランがウーヴェの肩に懐く。
「暑苦しいから離れろ」
「そう言えば今日はどういう集まりなんだ、キング?」
「へ?ああ、今日は有志でテニス大会をしたんだよ。それでオーヴェが優勝したから、その祝い」
「テニス大会で優勝!?」
リオンの言葉に素っ頓狂な声を挙げたベルトランは、ちらりと幼馴染みの白っぽい頭を見下ろして随分と久しぶりだなぁと呟いて隣のテーブルのイスを持ってきて腰を下ろす。
「オーヴェって学生の頃テニスをしてたのか?」
「してたのかって……お前、話をしてなかったのか」
リオンの問いかけにベルトランが呆気に取られたような顔でウーヴェを見つめると、ターコイズがふいと逸らされて頬杖を付いてしまう。
「ベルトラン?」
「こいつ、全仏と全米に出てるんだぜ」
「!?」
「でも大学の卒業と一緒にテニスは止めたんだよな」
己の過去を暴露されてそっぽを向いたまま知るかと吐き捨てたウーヴェに対し、リオンをはじめとした面々が茫然自失の体でウーヴェの端正な横顔を見つめる。
「マジかよ!?」
「ああ。ウィンブルドンは出なかったけどな」
「げー!」
次々と暴露される過去にもう良いだろうと目元を赤らめて幼馴染みを睨んだウーヴェは、ぽかんと口を開けて自分を見つめてくる恋人を次いで睨み、その間抜け面を何とかしろと毒突いた後、口を尖らせ兼ねないリオンの前髪を指で弾いて小さく笑みを浮かべる。
「プロ並みってのなら…うん、デーニッツも相手が悪かったって事だよな」
「そうね。彼はドクこそ相手が悪かったって思ってたでしょうけど」
日頃からあまり良く思っていない彼の事を扱き下ろしたダニエラが楽しそうに笑い、皆もそれに釣られたように笑い出した時、コニーがぼそりと呟いた。
「ドクのサーブを一度で良いから受けてみたくないか、リオン」
「へ?あー、俺、良くわかんねぇけど、どれぐらいなんだ、サーブの速さって」
「だから、それを体験してみればどうだ?」
コニーの提案に周りが囃し立て、何やらその気になったリオンが事の成り行きを見守っているウーヴェに顔をずずいと寄せ、もしもサーブを一発でも返せればご褒美と笑みを浮かべる。
「止めておけよ、キング」
「いいじゃん。なぁ、オーヴェ?」
ベルトランの苦笑混じりの制止を振り切り、なあと先を促すリオンに苦笑しつつ何が欲しいとものの試しに問いかければ、返ってきたのはやけにきっぱりとした声だった。
「駅前のインビスで5コ選び放題!」
「結局お前はブービーが欲しかったのかよ!」
リオンの宣言にウーヴェとベルトラン以外の者から盛大なブーイングが起こり、さすがにそこまでしつこい様子を見せつけられてしまえば自らが優勝した事がやけに馬鹿らしく感じてしまい、ウーヴェが微かに肩を震わせる。
「どうした、ウーヴェ?」
「……そうか、一度打ち返せばインビスなんだな?ではお前が一度も打ち返せなければ賞品は何だ?」
地を這うと言うよりは季節を先取りしたような冷ややかな声に皆が一斉に顔を見合わせて身体を震わせるが、リオンは慣れているからかどうなのか、けろっとした顔でここのリンゴのタルトでどうだと笑みを浮かべる。
「足りないな」
「えー。欲張りさんなんだからー」
リオンが不満げに頬を膨らませた瞬間、彼を除く総ての者が一斉にそれはお前だと叫んで指を突き付けるが、その手を総て振り払って逆にリオンが指を突き付ける。
「5球で勝負!」
「……乗った。負ければタルトとそうだな…ワインで良いぞ」
不意に始まってしまった第2ラウンドにコニーが皆と顔を寄せ合ってこそこそと何やら囁き合うが、二人はこの後の勝負のことで目を光らせているのだった。
第2ラウンドはゲートルートの裏手にある専用駐車場で、客が皆出払った後の時間に行われた。
昼の試合とは違って今度の観客はゲートルートの従業員だったが、ラケットを借りたリオンが腕をぶんぶん振り回していつでもこーいと、食い物が懸かった勝負には滅法強い事を示す笑みを浮かべるが、対するウーヴェも好物のタルトと酒が絡めば人格が変わると囁かれるほどだった為、どちらも一歩も譲るつもりはないと笑みを浮かべ合う。
「コニー、合図!」
「ああ」
昼にゲームを見ていた時にもしかすると自分でも打てるのではないかという、初心者どころかずぶの素人ならではの思いを感じていた為、一度は打ち返してウーヴェをあっと言わせてやろうとほくそ笑み、見様見真似で構えを取る。
「はじめ!」
コニーの合図にぽんぽんとボールを弾ませていたウーヴェがリオンににやりと男らしい笑みを見せた後、そのボールを高く放り投げてグッと膝を曲げる。
「キングー、顔を庇った方が良いぞー」
ウーヴェのその構えを見たベルトランがビールを飲みながらのんびりと言い放ち、マクシミリアンがその顔を見るが、穏やかな風貌に浮かぶのは幼馴染みの腕前を絶対的に信頼している安心感だった。
「受け止めてやるっ!」
リオンの気合いの籠もった声にボールが弾かれる音が重なったかと思うと、リオンの爪先10センチの場所に黄色い軌跡が描かれる。
ポーンと高く弾んだボールを目で追い掛けることも出来ずに呆然と立ち尽くしたリオンは、ネットを挟んで反対側でサーブの準備としてボールをバウンドさせるウーヴェが笑みを浮かべた瞬間、まるで解凍されたように叫び声を上げる。
「…んなの打てる訳がねぇって!サギだ、サギ!オーヴェのウソつきっ!!」
「人聞きの悪い事を言うな、バカタレ!」
それにそもそも勝負をしろと言ってきたのはお前だろうと、笑みを深めてボールを高々とトスし最高点に到達した瞬間、鋭い呼気を吐いて左手で構えたラケットを思い切り振り抜く。
「ひーっ!!」
己目掛けて飛んでくる黄色い弾丸を避けることも止める事も出来ず、ラケットを顔の前で構えたリオンの口から甲高い悲鳴が発せられ、このゲームを見学していたリオンの愉快な仲間達もただ見守る事しかできないでいた。
しんと静まりかえった駐車場にウーヴェが放ったサーブが決まる音が響き渡る。
「もうゲームの結果が分かってるんだから良いんじゃない?」
足を組み肘をついて顎を支えたダニエラがぽつりと呟き、隣ではヴェルナーとマクシミリアンがもっともだというように大きく頷く。
「どうする?まだ続けるか?」
「後3本ある!くそー!ちくしょー!オーヴェのくそったれ!!」
ボールを弾ませながら問い掛けた瞬間、リオンの口からウーヴェが最も嫌う言葉が流れ出し、コート周辺の空気が一瞬にしてびしりと凍り付く。
「今、何と言った、リーオ?」
「な、なんでもなぃ、ごめ…っ!!」
リオンがそれでもしっかりとラケットを構えながらしどろもどろに謝罪をした瞬間、リオンの爪先、さっきよりもまだ近くを目掛けて怖ろしい勢いでボールが飛んできたかと思うと、その勢いのまま跳ね上がってリオンの顎に直撃する。
「んがっ!!」
痛みに顎を押さえながらしゃがみ込むリオンだったが、しゃがみ込んだ前方10センチにびしっとボールが再度叩き付けられて弾んで後方へと飛んでいく。
「オーヴェぇ、ごめーん!!」
「……これからはドクをあまり怒らせないようにしようっと」
「ああ」
腕を組んで大仰に頷いたヴェルナーとマクシミリアンが互いの顔を見ずに同意をしあい、ダニエラが呆れたような溜息を零す。
そんな彼らの前ではリオンがただひたすら謝り続け、ウーヴェは怒りが納まるまでリオン目掛けて5球以上のサーブを決め続け、それを見守る同僚とベルトランやゲートルートの従業員達に笑われてしまうのだった。
後日、ゲートルートの特製リンゴのタルトと当たり年のワインをセットで貰ったウーヴェは、あれからいつまでもインビスの選びたい放題と嘆くリオンがあまりにも鬱陶しくて、次の休日の午後にリオンを連れて駅前のインビスに向かった。
どれでも好きなものを5つ選べと苦笑しつつ促すと、本当に子供顔負けの表情で好きなものを注文していくが、くるりと振り返ってウーヴェを手招きする。
「どうした?」
「ここのフライドポテトとカリーヴルストが美味いんだよ」
「そうなのか?」
「そう。食うか?」
その言葉に頷いてスタンドの中を見れば、早く決めろと言いたげな顔で見られている事に気付き、リオンを促すように腰の辺りを軽く突く。
カリーヴルストを二つとポテトを一つ、飲み物はビールが二つを注文し、次々に出されるそれを受け取って背後のテーブルに置いたリオンは、ここで食べるのかと苦笑するウーヴェに笑顔で頷く。
「ゲートルートも好きだけど、ここでオーヴェと食ってみたかったから」
だからブービー賞の景品であるインビスで選び放題を狙っていたと、いつもに比べれば殊勝な表情で語ったリオンに一瞬目を瞠ったウーヴェだが、あわよくば一食浮かせる事が出来ると言っていたのは誰だと、眼鏡の下の目を細めて思い出せと囁けば、蒼い目が左右に揺れて口笛が流れ出す。
「まったく」
お前が食いたかっただけだろうと苦笑し、美味いとオススメのカリーヴルストを一口囓ったウーヴェは、意外な美味しさに目を細めてもう一口と食べていく。
「な?美味いだろ?」
「ああ。ポテトも美味しいのか?」
「うん、そう。俺のイチオシ」
嬉しそうに笑うリオンに釣られて笑みを浮かべ、次はポテトに手を出すが、その前にビールを飲んで喉を潤す。
夏も終わりを迎えそうな空気が街中を覆っているが、この後映画でも見ようと誘われてそれも良いと笑顔で頷く。
さっき告げた言葉は嘘偽りのないもので、ここで二人揃って軽食を食べられる事がどれほど幸せなことなのかをリオンは他の誰よりも実感していた。
だからブービー賞を狙っていたのもあったが、まさかの優勝を果たしてしまった為に色々と遠回りをしてしまったが、あの時の狙い通り今こうして二人揃って同じものを食べている。
それがいつにも増して嬉しくて、その気持ちのままターコイズを覗き込めば、最初は訝るような目で見つめられるが、一度瞼が閉ざされた後ゆっくりと持ち上がって唇に笑みが浮かぶ。
「…食べた後は映画に行くんだろう?」
「うん。見たい映画があったけど、それで良いか?」
俺の好きなアクションだが構わないかと問われ、そっと手を伸ばしてリオンの口の端に付いているソースを拭き取ってやる。
「ダンケ」
「ああ」
外で出来る精一杯のスキンシップだと気付いているリオンが嬉しそうに目を細め、苦笑に止めたウーヴェが早く食べてしまおうと促した時、リオンの携帯が無機質な音を流し出す。
「Ja…なんだ、ジルか。どーしたんだよ?」
今オーヴェとデート中なんだから邪魔をするなと朗らかに言い放ち、デーニッツがそのオーヴェに対してリベンジを申し込んでいると言われ、携帯を肩に押し当ててウーヴェを見つめる。
「どうした?」
「デーニッツがオーヴェにリベンジしたいって」
「…遠慮したいな」
「わかった」
ウーヴェの苦笑混じりの断りをジルベルトに伝えたリオンだが、リベンジをしたいのならば来年にしろと言ってくれとも告げ、これからのお楽しみを邪魔するようなヤツはウマに蹴られてしまえと中指を立てた後通話を終える。
「こら」
「…だってそうだろ?」
「仕方がないな」
肩を竦めるリオンを睨んだ後、そろそろ行こうかと促したウーヴェに慌ててテーブルを離れたリオンは、また今度食いに来ようと笑って肩を並べて歩き出す。
「そうだな…また来ようか」
「うん」
ウーヴェのその言葉が嬉しくて、今日の映画が面白ければ良いなーと暢気に呟きながら駅へと向かい、ジルベルトに告げたようにウーヴェとのデートを満喫するのだった。
2010/09/03


