珍しく重なった休日の午後、ゲートルートで満足するまでランチを食べた二人は、リオンが寄って欲しいと言った為に立ち寄ったホームにいた。
ここに来る時には必ず手土産を持参するウーヴェは、今日も途中に見つけたカフェで子供達にとパイとタルトを買い求め、助手席で顔を輝かせる恋人にこれは子供達の分だと告げてがっくりと肩を落とさせていた。
ホームに着いた二人を出迎えたのは、学校も終わって宿題を何とか嫌々終わらせた年長組の子供達と、まだまだ学校に通う年に達していない年少組の子供達だった。
今日はマザーもゾフィーもお出かけしていていないと教えられ、出迎えてくれたシスターに差し入れを手渡すと、また次の休みに来ると言い残してウーヴェは車に戻ろうとしたのだが、リオンがちょっとと言い残してホームに駆けていき、戻ってきた時には小さな袋を小脇に抱えていた。
「どうした、リオン?」
「ゼップに頼まれてたものを思い出した」
今オーストラリアにいる親友が送って欲しいと言ってたのだと、白い歯を見せる恋人に目を細め、家に帰ろうと促す。
紆余曲折を経てオーストラリアでペンギンの世話をしている人の世話になっていると、素っ気ない文面と素人ながらも個性の光る写真を送ってきた親友だが、ホームに残してあったものを送って欲しいと連絡してきたのだ。
車中で親友が更生していく様を感じられることが嬉しいのか、何時にも増して笑顔で袋を膝に抱えるリオンに無言のウーヴェだったが、あの時の選択が間違いではなかった事に胸を撫で下ろしていた。
「何だこりゃ?」
大事に膝に抱えていた荷物の中身が今更ながらに気になった訳ではないだろうが、中を覗き込んでいたリオンが突如素っ頓狂な声を挙げた為、危うくハンドル操作を誤りそうになったウーヴェは、危ないだろうと声と態度でリオンを窘めるが、睨まれた方はそれどころでは無い顔で取り出したものをぱらぱらと捲っていく。
それは一冊の絵本だった。
「ゼップの奴、絵本なんて読んでたのかよ」
絵本の表紙に描かれているのは恐らくは白クマだろう。その横には何枚ものパンケーキが積み重ねられているが、タイトルの文字は全く読めないものだった。
「リオン、それをゼップは読んでいたのか?」
「だと思うけど。あいつの荷物入れの中にあったし」
「ゼップは日本語が読めたのか?」
「へ?これ、日本の本なのか?」
「多分な。それは中国語か日本語だろうな」
ただ自分が見聞したことのある中国語はもっと漢字が使われていて、そんな丸みを帯びた形状ではなかったはずだと苦笑したウーヴェの横、あいつが日本語を読めるはずなんて無いときっぱりとリオンが断言する。
「どうしてそう言える?」
実は写真を撮ることに興味があった事を知らなかったように、お前が知らないうちに勉強していたかも知れないぞと笑えば、気持ちよいほどの笑い声が車内に響き渡り、ウーヴェが顔を顰めた直後、ぴたりとそれが止まる。
「ぜってー、ありえねぇ」
「そうか?」
「そう!日本語なんて生きているうちに何回聞くか使うか分からねぇモン勉強するなら俺の名前ぐらいちゃんと書ける様になれっての!」
「……間違うのか?」
「この間届いたハガキの俺の名前、間違えてた…!」
親友に己の名前を間違われていた事が余程ショックだったのか、くすんと鼻を鳴らすリオンに何とも言えなかったウーヴェは、どう間違えていたんだと問いかけると底冷えするような気配が漂ってきて、タイミング良く信号が変わった為にブレーキを踏んで顔を横に向ける。
「リオン?」
「………オーヴェじゃねぇっての」
「は?」
リオンの低い呟きの意味が分からずに問い返せば、王様が女王様になっていたとぼそりと呟かれる。
「女王?」
「そう。俺の名前を間違えるなんて許せねぇ…!俺の姓はケーニヒだってぇの!」
ゼップのくそったれと吼えるリオンにただ呆然としていたウーヴェだったが、後続車にクラクションを鳴らされて慌てることなく車を発進させる。
そして唐突にリオンが怒り狂っている理由を悟り、じわじわと笑みが浮かんでくるが、その直後もう一つの事実に気付いて一気に眉根を寄せる。
「リオン」
「ん?」
「お前、今何を言った?」
「へ?ゼップのくそったれ、か?」
「それもそうだが」
恋人の口の悪さ-と言うよりはこの場合は汚さ-を事あるごとに咎めるウーヴェだったが、今はそれだけではないとじろりと横目で睨み、リオンの碧い眼をまん丸にさせてしまう。
「へ?何かいった?」
「お前の名前が女王になっていたと言ったな?」
「うん、言った」
間違い無く言ったと断言したリオンだが、ちらりと見た恋人の白皙の相貌に浮かんだ笑みに息を呑んで狭い車内でも最大限に離れようと身を寄せる。
「その前に俺じゃないと言わなかったか?」
俺はお前が否定したケーニゲンなのか?
にたりと笑みを浮かべられたまま問いかけられ、あ、それは、オーヴェの聞き間違い、空耳だ、ほら、白い黒人だと捲し立てたリオンだったが、そっとハンドルから離された手が頬を撫で、きょとんとしている間に頬を思い切り引っ張られてしまう。
「ひひゃいひひゃい!!おーふぇ、ひひゃいっ!!」
「う・る・さ・い」
一字一句を区切るように言い放つウーヴェに、リオンが不明瞭な言葉ながら痛みを訴えると漸く伸びた頬を手放してくれた為、ピッツァの生地のように伸びたらどうしてくれると、痛みに浮かんだ涙目でウーヴェを睨むと、美味そうだなとさらりと返されてぽかんと口が開いてしまう。
「マルゲリータも好きだが、誰かさんが大好きなチーズばかりのものも良いな」
「……腹減った」
「さっき食べたばかりだろう!?」
リオンの呟きにさすがに驚きを隠せないで叫んだウーヴェに、チーズが載ったピッツァの話をするオーヴェが悪いときっぱりと言い放たれてしまうが、さすがにリオンとは違い、人のせいにするなと言い返してくすんだ金髪を指先で弾く。
「オーヴェのイジワルっ!いじめっ子!」
言葉では太刀打ち出来ない事をしっかりと感じ取っているが、それでもやはり悔しいと唇を噛みしめ、くすんくすんと子供のように鼻を鳴らす恋人に呆れてしまうウーヴェだったが、一日に一度はこの顔を見ないと気が済まないと唐突に脳裏にその言葉が響き渡り、己の思考ながら驚いてしまう。
別に自分はリオンを泣かして喜ぶ趣味も泣かされて喜ぶ趣味もなかった筈だと一瞬覚えた感情に目眩すら覚えそうになるが、運転中だと気を取り直す為にハンドルを指先でノックする。
その小さな音が聞こえたのかどうなのか、音に合わせるように助手席から楽しげな口笛が流れ出して伴奏してくれる。
思いは言葉に出さなければ伝わらない。良くウーヴェが患者に対して伝える言葉だが、こうして言葉に出さなくても伝わる想いもまた確実にある事を改めて認識し、それを理解してくれる恋人との関係がいつにも増して心地良いものとなる。
「な、オーヴェ」
「どうした?」
「この絵本さぁ、パンケーキか何かを作る本かな?」
先程までの大騒ぎの元になった絵本を再度見ていたらしいリオンの言葉にどうだろうなと返しただけのウーヴェだったが、自宅アパートが見えてきた為に家でゆっくりと目を通そうと告げる。
「今日のおやつ、パンケーキも良いよな」
「タルトは要らないのか?」
お前が食べたいと言ってベルトランに頼んだのだろうと、駐車場に車を進ませながら横目で見れば、それも食うがこれも食うときっぱりと言いきられて思わず深い溜息を吐く。
「太っても知らないぞ」
「大丈夫。それ以上に運動するから平気」
「全く。素直にヤーと言えばどうだ?」
心配してやっているのにと目を細めたウーヴェに、にたりと不気味な笑みを浮かべたリオンがウーヴェの頬をツンと突く。
「オーヴェが重いから、だろう?」
「今すぐ帰れ」
「ウソうそっ!!ウソです、オーヴェぇ!!」
「うるさいっ」
愛車から降り立ち、背後で騒ぐ恋人をじろりと睨み付け、一足先にエレベーターに乗り込んだウーヴェは、慌てて駆け込んでくるリオンの鼻先でドアを閉めてやろうかと一瞬真剣に考えるが、それよりも早くリオンがブーツに包まれた長い足をエレベーターに突っ込んだ為、ドアが閉まることはなかった。
「オーヴェぇ、ごめーん」
「………早く乗れ」
「うん」
馬鹿な事を言ったと殊勝な顔で反省するリオンの頭を一つ小突き、腕を組んで壁にもたれ掛かれば、リオンが覆い被さるようにウーヴェの顔のすぐ傍に腕をついて覗き込む。
「オーヴェ」
「何だ?」
「うん。────好きだ」
「…………」
耳に口を付けるようにして告白され、本心ではやはり嬉しいものだったが、さすがにすぐさま掌を返すような態度は取れず、もう一度深々と溜息を吐くが、組んでいた腕を解いて片腕だけを背中に回してぽんと叩く。
それで複雑な思いも何もかもも伝わったのか、リオンが嬉しそうに笑みを浮かべて一つキスをし、このパンケーキはどんな味なんだろうなぁと歌うように呟く。
「それを食べるのは決定なのか?」
「うん。オーヴェも食うだろ?」
絵本に描かれたパンケーキの厚みは兎も角、枚数もかなりあった気がするが、本の内容を見てみないと分からないと苦笑し、子供向けの絵本みたいだから、きっとその辺は適当で大丈夫だと何故か太鼓判を押されてしまう。
「……仕方ないな」
「イャッハァー!」
嬉しい時にでる叫びを放ったリオンにただ苦笑し、フロアに到着した事を示す音に促されてエレベーターを降りるのだった。
リビングの座り心地も寝心地も良いソファに座り、リオンが差し出す絵本に目を通したウーヴェは、親子でパンケーキを作る話だろうと絵の内容から察し、子供向けのそれから得られる情報でパンケーキを焼けるのだろうかと思案する。
「オーヴェ、食いたい!」
まるで小さな子供のようにパンケーキを強請るリオンに苦笑し、材料があるかどうか見てくれと笑いかければ、びしっと敬礼をした後リオンがリビングのドアを開けっ放しにしてキッチンへと飛び込んでいき、キッチンで物音が響いた後、階下の住人に迷惑になる様な足音をさせてリビングに戻ってきたリオンだが、その顔は目の色を広げたのかというような青さで、絵本を閉じて思わず腰を浮かせたウーヴェの前、まるでサッカーでスライディングをするようにリオンが絨毯の上を滑ってくる。
「どうした?」
「メープルシロップがない!!」
「は?」
「パンケーキにはメープルシロップがないとダメなのに…っ!!」
まるでこの世の終わりだと言う顔で叫ぶリオンに暫くの間無言だったウーヴェは、額を押さえて肺の中を空にしたような溜息を零してしまう。
「オーヴェ?」
「……パントリーにストックしてあるだろう?」
「あ!」
キッチンとリビングの間の短い廊下の奥、ドアを開ければそこはパントリーで、常温保存できる食料やアルコール類などを納めていた。
そこにある筈だと溜息混じりに呟くウーヴェにキスをし、再び足音を響かせて廊下に出たリオンだが、どうやら必要不可欠なメープルシロップを発見したらしく、イヤッホゥという意味のない音が廊下から聞こえてくる。
どうしてこうも騒々しいのだろうと、今更ながらに恋人の賑やかさに呆れ返ったウーヴェだったが、もう一度絵本を見ながら己が知っているパンケーキのレシピを思い浮かべ、良く考えればケーキミックスを買って来れば良い事にも気付く。
「リオン」
「んー?」
廊下から戻ってきたリオンにパンケーキミックスを買いに行くかと問えば、今まで明るかった表情が一気に暗くなる。
「その通りに焼いて欲しいのに…」
まるっきり子供が拗ねた顔でウーヴェの前に座り込み、身体を前後に揺さ振りだしたリオンに呆気に取られ、日本語が読めないのにこの通りに出来る筈がないだろうと苦笑するが、何故か頑なにこれが良いと言い張られてしまう。
「その通りに出来るかどうか、分からないぞ?」
「それでも良い!」
リオンに根負けしたウーヴェが溜息混じりに告げた途端、今まで仏頂面だった顔に光が差し込んで笑みが浮かぶ。
やれやれと思いつつも、心の何処かが次第に浮かれ始めたのは、やはり先程見た笑顔があるからだと気付くが、それを素直に口に出す事も表情に出す事も出来ず、手にした絵本でくすんだ金髪をぽんぽんと叩く。
「ぃてっ!」
「手伝えよ?」
「ヤー」
座ったままだがびしっと敬礼をしたリオンに鷹揚に頷いたウーヴェは、恋人が望むパンケーキを作る為に材料が揃っているかを自分の目で確認する為にキッチンへと向かうのだった。
焼き上がったパンケーキは、絶品だった。
これがないとダメだと言い張ったメイプルシロップをたっぷりとかけていくと、とろりとケーキの表面を伝って流れ落ちていくが、それを見つめるリオンの顔は本当に子供顔負けのもので、そこまで喜んで貰えるのならば作った甲斐があると感心してしまうほどだった。
ウーヴェと違い感情表現が豊かで、少々オーバーすぎる気もするほどだったが、こと食べ物に関しては本当に感心するほど表現が豊かだった。
基本的に好き嫌いはないらしいが、それはあくまでも幼少時に好き嫌いを言える贅沢な環境にいなかったからだと、ある日ウーヴェは教えられた事があった。
自ら働いて稼ぎ、ホームにも多少の金を入れている今、好きなものを好きなだけ食いたいという幼い頃の夢が叶ったと笑い、それ故あの頃は苦手だったものを今更食べたいとは思わないとも言われ、理屈が通っているような通っていないようなと首を傾げたのだが、たとえ口論をした後であっても、暫くの間冷却期間を置こうかと言いたくなるようなケンカをした後であってもウーヴェが作った料理には絶対に文句を言うことはなく、いつもいつも美味しい料理をありがとうと笑顔を浮かべるほどだった。
早く食べたいと顔を輝かせる恋人に、まさか職場でもこんな顔を見せているのではないのかと一抹の不安を抱いたウーヴェは、リオンの皿にパンケーキを載せてやりながら問いかける。
「職場で飲みに行った時もそんな顔をしているのか?」
「へ?」
どんな顔をしていると素っ頓狂に返され、小さな子供みたいだと笑ったウーヴェに、ぱちぱちと瞬きをしたリオンが小さく笑みを浮かべるが、それは滅多にみない皮肉気なものだった為、今度はウーヴェが瞬きを繰り返す。
「そんな訳ねぇだろ?」
オーヴェの前だからだって気付いてなかったか?
そう問われているようで、僅かに息を呑んだウーヴェだったが、言われてみれば確かにそれなりに控え目な表情だった事を思い出す。
「そうだな」
「そうそう」
苦笑混じりに呟くウーヴェに頷いたリオンは、彼の前でだけ見せる顔で笑い、どうぞと掌を向けられて湯気を上げるパンケーキにナイフを入れる。
「………サイコー」
一口食べて顔が綻び、二口食べて更に顔が綻ぶどころか満面の笑みに彩られる。
見ているだけで幸せになるような表情を間近で見せられ、そんなに美味しいのかと一口食べようとしたウーヴェだったが、その手を止められ、代わりにリオンがフォークに刺したそれを差し出してくる。
「オーヴェ」
口を開けろと言われて一瞬戸惑い、次いで目元を微かに赤くしてしまうが、はいと促されて渋々口を開けてそれを食べる。
口の中に広がるメイプルシロップの甘さとパンケーキの優しい味に自然と笑みが浮かび、確かに美味いと頷けば、その顔を見たリオンが更に笑みを浮かべる。
「どうした?」
「オーヴェが笑ってくれるのがすげー嬉しい」
どんな顔のオーヴェも好きだが、やっぱり笑ってくれると本当に嬉しいと頬杖をつきながらフォークを上下に振るリオンに行儀が悪いと言いつつも、確かにリオンが笑顔を浮かべればこちらも自然と笑みになる事を思い出す。
好きになった人にはいつも笑顔でいて欲しい、自分が笑えば相手が笑ってくれる、その自明の理を事も無げに実践し、更にごく自然にそれを要求してくるリオンにただただ感心したウーヴェは、テーブルに肘をついて上体を乗りだしてリオンの口の横についているシロップをぺろりと舐める。
「────っ!!」
「ついているぞ」
「あ、や、うん…付いてたか?」
「ああ」
やけにしどろもどろになりながらウーヴェが舐めた場所を指で押さえたリオンを小さく笑った彼は、小さく切り分けたパンケーキに甘さを控え目にしたホイップを載せて差し出す。
「ほら」
「あー」
言葉とともに差し出したそれを大きく開けた口で受け止めた恋人にくすくすと笑い、美味しいかと問えば最高だと返ってくる。
「雛を餌付けてるみたいだな」
「それ酷いぜ、オーヴェ!」
「仕方がない、事実だ」
大きく口を開ける様がまるで餌を強請る雛のようで、ついくすくすと笑いを堪えられずに吹き出してしまったウーヴェに頬を脹らませるリオンだったが、それこそ雛のようだと気付いて脹らませた頬を解消させる。
言葉を読めない絵本を見ながら想像と得ていた知識から作ったパンケーキだったが、どうやらそれは大成功だったようで、忘れないうちにレシピを控えておこうとメモを取るウーヴェの横では、リオンが心底嬉しそうな顔でそれを食べている。
「本当に美味かった」
大満足した顔で綺麗にそれを平らげたリオンにただただ感心したウーヴェは、また食べたいかとある思いを秘めて問いかける。
それに気付いているのかいないのか、問われた言葉の意味を理解したリオンが大きく頷いて抱きついてくる。
「当然!毎日は無理でも週に一度は食べたい!」
「そんなに気に入ったのか?」
「うん」
ケーキの味もだが、二人で作って二人で同じものを食べて同じように美味しいと思える、それが何よりも嬉しいと耳元で囁かれ、言葉に秘めた想いすら読み取られていた事に気付いて苦笑する。
同じものに同じ感情を抱ける、それがどれだけ幸福であるのかを誰よりも知っているようなリオンの髪を撫で、気に入って良かったと笑えばオーヴェもだろうと返される。
「ああ」
これぐらいは素直になっても良いだろうと頷き、毎週作るのは無理だと言えば不満を現すぶーという音が聞こえてくる。
「また作ってやる」
「明日が良い」
「今日食べたばかりだろう?それにタルトも残っているんじゃないのか?」
にやりと少しだけ意地の悪い思いを込めて問いかけ、そう言えばあの絵本には最も大切なことが書いてあったと思い出したように声を挙げれば、しがみついていたリオンが離れていく。
「何だ?」
訝るリオンをキッチンに残し、リビングに戻って絵本を持って帰ってきたウーヴェは、そのページを開きながら唇の両端を綺麗な角度に持ち上げる。
「……げ」
「小さいのに賢いな。食べ終わったらちゃんと後片付けをしている」
「あ、俺、日本語読めないしー?」
「絵を見れば分かるだろう?」
さあ今からお前の大好きな後片付けの時間だと、リオンが決して逆らう事の出来ない笑顔を浮かべたウーヴェだが、その横を通ってキッチンから逃走を図ろうとする大きな図体の襟首をしっかりと掴んで引き留め、どこに行くのかな、リオン・フーベルトと笑みを深める。
「え、やー、マザーがさ…」
「掃除をするなと言った、などと言う寝言は寝てから言うんだな」
「オーヴェのイジワルっ!」
「お前がそう言っていたとマザーにお伝えしようか?」
「げっ!」
悲鳴を上げるリオンを引きずり、絵本の様に後片付けを手伝わせたウーヴェは、いつまでもぶちぶちと文句を垂れる恋人に呆れ返るが、気持ちよく働かせる為に泡が跳ねた頬を指で撫でた後、キスを一つ。
「最後まで出来るな、リーオ?」
「くそーっ!!」
嬉しさ半分悔しさ半分-しかもその悔しさは逆らう事の出来ない己に対するものだった-から信じられないスピードで後片付けを終えたリオンは、良くできました、やれば出来るじゃないかと拍手をする恋人をじろりと睨み、腹癒せと実益を兼ねたキスを強請って軽く触れた唇を逃さずに心ゆくまで堪能する。
不意打ちを由来とする羞恥に目元を赤くしたウーヴェは、うっすらと赤くなった唇を手の甲で押さえ、ふふんと笑うリオンを思い切り睨み付ける。
「絵本にはないぞ、これは」
「絵本通りなのは後片付けをするまでだ」
さすがにそこから先は絵本には書けないだろう。
にやりと太い笑みを唇に浮かべて不敵に笑う恋人に、ウーヴェが悔しそうな表情を浮かべてそっぽを向くと、綺麗に片付けられたテーブルの上、オレンジ色の絵本が恥ずかしそうに壁を向いて立っているのだった。
2010/04/17
えーと…ごめんなさいっ。お腹いっぱいですっ(脱兎)


