「あーつーいーぃぃぃぃ」
「その声を聞いているだけで暑くなるから騒ぐな、リオン」
リオンがリビングのフローリング部分にべたりと寝そべり、暑い暑いを繰り返している傍では、本当に暑いと思っているのか少々疑問に感じてしまう涼しい顔をしたウーヴェがぱらりと雑誌を捲っていた。
「オーヴェは暑くないのかよ?」
「うん?だから、暑くなるから騒ぐなと言っているだろう?」
カウチソファの背もたれにべったりと寄り掛かり、ウーヴェが読んでいる雑誌を覗き込んだリオンは、このクソ暑い時にどうしてモコモコの毛皮を身に纏っている犬の写真なんかを見ているんだ、見ているだけで暑苦しいと一声吼えてじろりと睨まれる。
「お前の大騒ぎの方が暑苦しいと思わないか?」
そもそも、暑い暑いを繰り返していると心理的に更に暑くなるのだから、少しは口を噤めと言い放たれてぐうの音が出なくなったリオンを振り返ったウーヴェは、にっこりと惚れてやまない笑みを浮かべて閉ざされ掛けている唇を摘んで封印する。
「んぐっ!」
「な?少しは涼しく感じるだろう?」
にっこりと誰も逆らえない笑みを湛えて眼鏡の下の目を細めたウーヴェをじとっと睨んだリオンは、手を離してくれと合図を送り、離されたと同時にちっとも涼しくなんかないと吼えてウーヴェが両手で耳を塞ぐ。
「ああ、もう、うるさい」
「オーヴェぇ、川に行こう」
「川?」
「そう!泳ぎに行こうぜ!」
再度ソファの背もたれから身を乗り出して出掛けようと笑うリオンだったが、この暑い最中出掛けることが少しだけ煩わしかった為、行きたくないと苦笑する。
「えー」
聞こえてくるとは思っていたが、その予想に違わない不満の声に苦笑を深め、わざわざ出掛けるのではなく、いっそのことシャワーでも浴びてくればどうだと提案すると、じたばたと騒いでいたリオンがぴたりと動きを止めてじっとウーヴェを見つめる。
「どうした?」
「そっかぁ…水浴びすれば良いのか」
どうしてそれを今まで思いつかなかった、俺のバカと己の頭を拳で軽く叩いたリオンは、当然提案をしたウーヴェもシャワーを浴びると思っていた為、早く行こうと腕を取る。
「俺はいいから行ってこい」
シャワーもそうだし何なら川で泳いできても良いぞ。
「………」
今度こそ理解できない、いや、許せないと不満を顔だけではなく身体全体で表現し始めたリオンに溜息を零し、ぎゃいのぎゃいのと騒ぎ出したリオンに余計に暑くなるぞと振り返ったウーヴェだったが、その頃にはぴくりとも動かなくなったことに気付いて首を傾げる。
「リオン?」
何度名を呼んでも返事はなく、蒼い目はただぼんやりと見開かれている。
その様に一瞬にして全身の血の気を失ったような顔色になったウーヴェは、読んでいた雑誌をその場に放り投げ、カウチソファの背もたれを飛び越えてリオンの傍に膝をつき、汗ばむ頬を軽く叩きながら呼びかける。
「リオン!?」
「─────かかったぁ!」
頭髪の白さを顔に反映させたように青ざめつつ必死に名を呼んだウーヴェだが、いきなりの大声が耳元で聞こえたかと思うと、がばっと抱きしめられて身動きが取れなくなってしまう。
「!?」
「オーヴェ…一人で行って来いなんて言うなよ」
二人こうして一緒にいるのに一人で涼しくなってこいなんて言うなと、声の明るさとは裏腹に真剣な表情で囁いたリオンにただ呆然としか出来なかったウーヴェだったが、陽気な声に秘められた想いに気付いて軽く目を瞠る。
自分は今の暑さならばまだ耐えられる為ににべもなく誘いを断ったが、リオンにしてみれば涼しさを求めることよりも、一人だけではなく二人一緒に何かをしたい、そう言いたかったのだろう。
その事にやっと気付いたウーヴェが再度溜息を零し、人より少しだけ体温の高いリオンにハグされていると確かに暑苦しいと苦笑して頭を擡げる恋人に目を細める。
「さすがに…この暑さでは外に出たくないな」
こんな場合はどこでどう涼むんだと目を覗き込むように見つめた後、起き上がりついでにリオンの身体も引き起こす。
「んー…じゃあさ、バスタブに水を張ってそこで涼もう!」
「…バカンスの時みたいにか?」
「そう!別荘は湖だったけどさ」
少し前、初めて二人で夏のバカンスを過ごすために北海にあるウーヴェの別荘に出掛けたのだが、その時のようにサンドイッチとワインとチーズ、デザートを持って自宅でピクニックをしようとリオンが満面の笑みを浮かべる。
「作ってくれよ、オーヴェ」
「黒パンかベーグルのどちらにする?」
「ぅ…少し究極の選択かも」
「少しと究極を一緒に使うな」
腕を組んで真剣に考え始めたリオンの額を指先で軽く押した後、立ち上がってソファの背もたれに軽く尻を乗せてスモークサーモンとクリームチーズもある、オリーブもピクルスも揃っているぞと笑うと、飛び上がるように立ち上がったリオンがチキンも食いたいと叫ぶ。
「ああ、まだ残っていた筈だ」
「いやっほい!じゃあそれと、昨日買ってきたワインとチーズを持ってピクニックだー!」
幼い子供が心より楽しんでいる、そんな笑顔で喜ぶ恋人に苦笑しつつ出掛ける先は自宅のバスルームだと少しの皮肉を込めて告げると、蒼い目が茶目っ気たっぷりに細められた後、ぱちりと片目が閉じられる。
「お前と二人ならバスルームでも立派な水辺のピクニックだ」
その言葉にぱちぱちと瞬きをした後、どんな状況であろうともそれを楽しもうとする心根の持ち主である恋人にまた惚れ直してしまった心を隠すために溜息を一つ零したウーヴェは、意外そうに目を瞠るリオンに手伝えと告げてキッチンへと向かうのだった。
家の南に面したベランダの横手に並ぶ窓の両端を開けると、夏の午後とは思えない心地よい風がバスルームを巡っていく。
その風に髪を揺らされたウーヴェが手を挙げて髪を押さえれば、バスタブに張った温い水に浸かっていたリオンが気持ちよさそうに伸びをする。
「そろそろ食べないか?」
「あ、じゃあ上がるかぁ」
自宅のバスルームだが、それでもバカンス気分を盛り上げるためにテーブルやイスを持ち込み、ウーヴェは北海にある別荘で過ごした時のようにワイン片手に雑誌を読み、リオンはあの時に比べれば小さすぎる人工の水辺でそれでも気持ちよさそうに両手両足を広げて浮かんでいた。
大柄のリオンが手足を伸ばしても十分広いそこに向けてウーヴェが声を掛ければ、確かに腹が減ったと起き上がってパイプイスに腰を下ろす。
「美味そう…!」
アウトドア用のテーブルには黒パンにチーズやハムを載せたウーヴェ謹製のサンドとベーグルサンド、ボウルいっぱいの野菜とトマトとモッツァレラチーズのサラダ、そして良く冷やしておいたスパークリングワインが所狭しと並べられ、リオンがいつにも増して笑顔でそれらを食べ始める。
感心するべきか呆れるべきか、一瞬悩んでしまいそうなほどの食べっぷりの良さにいつもながら驚かされるが、リオンと食事をしていて気付かされることがあった。
それに初めて気付いたのはまだ友人以上恋人未満という不確かな関係の頃だったが、確信を持ったのは彼のバックボーンをより深く知った、出身の孤児院を訪れた後だった。
毎日の食事など深く考えるまでもなく当然のように受け止めているが、美味しいものを美味しく当たり前のように食べられることがどれ程幸せであるかをその時訪れたホームと呼ぶ孤児院で感じられたのだ。
ウーヴェ自身は人と食事をする事もあれば当然一人のこともあったが、一緒に食事をする相手に対して己が感じている様な思いをさせたことがあるだろうかと振り返れば、おそらく真逆の思いを感じさせていたのではないのかと気付いてぞっとしてしまう。
それを今も感じながら、ベーグルに何を挟もうかと浮かれるリオンに目を細め、野菜も食べろといつものように告げてこれまたいつものようにヤダねと返されて絶句するが、リオンの手からベーグルを奪い取ると、目を瞠る彼の前で手早くサラダとトマトやモッツァレラチーズを挟んでおまけだというように生ハムを載せてサンドしたものを返せば、複雑な表情で礼を言われる。
「トマトじゃなくて生ハムとチーズと生ハムだけで良かったのに」
「チーズ人間の主食はチーズだと思っていたが、生ハムもそうなのか?」
チーズが好きな恋人に少しだけ意地の悪い問いかけをすれば、時と場合により生ハムになったりボーンステーキになったりもすると返されてつい吹き出してしまう。
「オーヴェも野菜ばっか食ってるからそんなに細いんだぜ」
もっと肉を食えと言われるが、逆に太った俺が良いのかと目を細めればもうちょっと肉があればもっと抱き心地が良いと返され、悔し紛れにくすんだ金髪に掌を叩き付ける。
「ぃて」
「うるさい、このセクハラ刑事」
「ぃてて」
ばしばしと掌を叩き付けながら笑みを浮かべると、手首を掴まれてそのまま手首をきつく吸われる。
「こら」
いつかのように手首の内側に痕を残すなと少しだけ焦った声を出せば、じゃあ後であちこちにいっぱい付けてやると、男前な笑みを浮かべて目を細められてしまう。
その表情に眩暈を感じそうになるのを何とか堪えながら自分が食べる為のサンドを作ろうと黒パンにチーズを載せてトマトなどをサンドした直後、一足早く口を開いたリオンがそれを横合いから囓ってしまう。
「リオンっ!」
「この組み合わせも良いよなぁ」
頬が落ちるととろけそうな笑みを浮かべてサンドを咀嚼するリオンをじろりと睨んだ後、まだワインが残っているグラスを奪い取って一気に飲み干す。
「あー!俺のワイン!」
「俺のサンドを食べたのは誰だ、ん?」
「や、だってさぁ…」
「だっても何もない」
珍しくぶつぶつと文句を言いながら残っているサンドを食べると、ワインが注がれてグラスの口を向けられる。
「─────乾杯」
「ああ」
何を求めているのかを素早く察し、自らのグラスを同じようにリオンに向けて軽く触れあわせるようにすると、嬉しそうに笑みを浮かべたリオンが大きく頷く。
お互いのものを食べて飲んだ事をその乾杯で許し合い、ワインを飲み干して流し去る。
言葉に出さないでも伝わるそれに一方は嬉しそうに、一方は穏やかに笑みを浮かべ、次に食べるサンドには何を挟もうかと相談し合うのだった。
この間のバカンスとは違い、あっという間の夏期休暇-とも呼べない時間は終わりを迎え、名残惜しそうに後片付けを二人でした後、少しは涼しくなったのかリオンが大欠伸をしてベッドに倒れ込む。
「オーヴェ」
「何だ?」
「…………ここ。ほら」
眠気の混じる声で名を呼ばれて苦笑すれば、早くここに来いと言いたいのかベッドをぽんぽんと叩かれてしまう。
まだ読みたい本があると言いかけたその時、シーツに頬を押し当てながらじっと見つめてくる青い瞳に気付いて息を飲む。
「オーヴェ」
子供のような笑みを持つと思っていたが、我が儘っぷりも子供に匹敵するようで、青い瞳に逆らえずにベッドに腰掛けた途端、太い腕に腰を掴まれて引き倒されてしまう。
「っ!!」
「眠いって言ってるだろ?」
今すぐお前と一緒に寝たいのだと、眠る直前にぐずり出す子供のような声で言い放たれて言い返す代わりに深々と溜息を吐き、眼鏡を外してサイドテーブルに置くと、枕に顔を埋めるリオンに苦笑しつつ向き直る。
「リーオ」
「……うん」
「お休み」
「ん、お休み、オーヴェ」
涼むために入ったバスタブの中、ぷかぷかと浮いていただけだったがやはりある程度の体温と体力が奪われたのか、それともその後の食事時に飲んだワインが効き始めたのか、お休みと告げた途端、リオンの口から穏やかな寝息が流れ出す。
本当に子供みたいだと思いつつも、そんなところもひっくるめて愛している事に改めて気付き、脳内で響く親友の言葉を掻き消す。
出自によって人には言えない苦労をしただろうし、また人知れず悩んだこともあるかも知れないが、自分といる時ぐらいは思うままにさせてやりたかった。
だからお前は甘いんだと親友が目を吊り上げる顔が脳裏に浮かぶが、好きでやっているのだから放っておけと脳裏の親友に返し、小さく欠伸をする。
隣から流れ出す穏やかな規則正しい寝息がウーヴェを眠りに誘うようで、気持ちよさそうに寝息を立てるリオンと己の上にバスタオルを被せてもう一度欠伸をする。
お休みと小さく囁いて目を閉じると腰に腕が回されて抱き寄せられた事に気付き、自然と零れる安堵の呼気を聞かせてしまうが、聞こえてくる寝息に変化はなかった。
その寝息に呼気を重ね合わせ、読みかけの本があったこともすっかり忘れたように眠りに落ちる。
暑い夏の午後だったが、開け放った窓から入る風は気持ちよくて、ベッドで眠る二人の上を渡っては静かに通り抜けていくのだった。
2010/12/26
期間限定で「2010年残暑見舞い」としてupしていたお話です。家庭内デートだそうです(爆)


