雪が降る日が徐々に増えるのと同じ頃合いに市の中心部にある広場にクリスマスマルクトの見慣れた光景が広がり始める。
第一アドヴェントも過ぎたのだから当然のその光景に、寒い寒いと文句を垂れているのは、イヤーフラップのついたニット帽を被ったリオンで、その横ではウーヴェが冬になれば寒いのは当たり前だからうるさいと低く呟く。
「えー、だって寒いだろ?」
手袋を嵌めた両手を頬に宛がって心外だなと目を丸くするリオンを一瞥し、クリスマスマルクトで購入したオーナメントやプレゼントなどを纏めた袋を抱え上げたウーヴェがクリニックが入居するアパートに向かい、地下駐車場に停めてあるキャレラホワイトのスパイダーに乗り込むと、慌ててリオンが助手席に滑り込んでくる。
「あー…暖かいっ」
「そんなに寒かったか?」
リオンの寒がり方に苦笑し、大げさなんだからと肩を竦めたウーヴェだったが、想像外の冷たい何かが首筋に触れた瞬間、ステアリングを強く握って肩を竦める。
「!!」
「な?冷たいだろ?」
俺の手がこれほど冷たくなっているのだから寒いんだと言い張るリオンに最早何も言わず、乱れた呼吸を整えたウーヴェが苛立ち紛れにスパイダーを急発進させ、リオンの頭をシートに押しつけさせることに成功する。
「安全運転でお願いしまーす!」
「うるさいっ!」
車内で他愛もない口論を繰り広げながら雪が降り始めた市街地を走り抜け、高級住宅街としても有名な一角に進んでいくとなだらかな坂が見え、その頂点に立つ外観は周辺に立つ古いアパートと同じであっても中身は現代のアパートが姿を見せる。
「な、オーヴェ」
「どうした?」
自宅が見えてきた安堵にウーヴェが先程までの呆れを吹き飛ばした声で返事をすると、魔法のブランケットを貸してくれと告げられて視線を助手席へと流す。
「魔法のブランケット?」
「そう!めちゃくちゃ暖かいブランケットあっただろ?」
ブランケットは何枚か持っているが、リオンが期待するほど温かなものがあったかと脳裏に浮かべていたウーヴェは、どのブランケットのことなのかに気付き、気に入ったのかと問いかけて笑みを浮かべる。
「うん。すげー暖かかったから、今日も貸して」
「分かった」
リオンが魔法のブランケットと呼ぶそれは、数年前に姉が夫の実家に帰省した際、彼女の義理の母が紹介してくれたブランドのもので、確かに驚くほど暖かくて一度使えば手放せなくなるような柔らかさと温もりを持っていた。
そこまで喜んで貰えるのならば土産にくれた姉も喜んでくれるだろうと、恋人と姉の笑顔を思い浮かべて自らも笑顔になったウーヴェは、坂を登って愛車を駐車場へと進めると、定位置に一発で停めて荷物を持って車から降り立つが、それを横合いから伸びてきた手が奪い取った為、ならば任せたと命じてエレベーターに乗り込み、自宅フロアへと上がっていく。
主であるウーヴェが外出していた為にいつも以上に静まりかえった室内は外気温とさほど変わらないほど冷えていて、リオンが荷物を抱えたまま大げさに身体を震わせる。
「さむーい!」
「はいはい」
アパート全体を循環している暖房は入っているのだが、何しろ部屋数も多ければ一つずつの部屋の大きさもそれなりにある為、暖炉やオイルヒーターなどを置かないと部屋を暖めることは不可能だった。
寒い廊下を通り抜けてウーヴェがベッドルームに入り、リオンは荷物をリビングに置く為にドアを開けるが、さすがに暖炉に小さな熾火が残っているリビングは他の部屋に比べれば暖かくて、寒さに震えていた身体が解凍されたようにふやけてしまい、ソファに荷物を投げ出した後は自身も背もたれに身を投げ出してしまう。
「……何をやっているんだ?」
ベッドルームの暖房のスイッチを入れて着替えを済ませてきたウーヴェがリビングのドアを開け、ソファの背もたれに引っ掛けられているブランケットのようにだらりと垂れているリオンに瞬きをするが、コホンと咳払いをして呆れた様に問いかける。
「解凍されたー」
「バカ」
「なあ、オーヴェ、もっと解凍したいからこのソファを暖炉の前に持っていこうぜ」
暖炉に薪をくべて炎を大きくするウーヴェの背中にぺたりと張り付き、ここで暖かくなりたいと宣うリオンを後ろ手で一つ叩いたウーヴェは、カウチソファを動かすのは体力が必要だし面倒だから動かさないとにべもなく言い放ち、背後の不満の声を掻き消すように炎を大きくしていく。
「えー。なぁ、良いじゃねぇか。オーヴェぇ」
「ダメだと言っただろう?」
そもそもそのカウチソファは男二人が寝ても平気なほど頑丈な作りになっているのだ、それを二人で運ぶのは遠慮したいと冷たく言い放ったウーヴェは、ウーヴェのケチと口を尖らせるリオンを背負ったまま立ち上がろうとする。
「オーヴェぇ」
「そんな声を出してもダメなものはダメだからな?」
「むー。オーヴェのケチ!!!」
「……ふぅん。そんな事を言うのか?」
いつもいつもベッドの中で同じことを言って人の頼みを聞き入れてくれないのは誰なんだと目をすがめてリオンを見れば、見られた方は明後日の方向を見ながら誰の話だろうなと嘯くが、鼻を摘まれて目を白黒させる。
「ふがっ!!」
「ケチで悪かったな」
「……ごめーん!」
「まったく」
本当に仕方がないと腕を組んで溜息を零したウーヴェは、不意に大人しくなったリオンの顔を覗き込み、ぶつぶつと文句を垂れる口に人差し指を押しつける。
「カウチソファを動かすとテレビが見えにくくなるぞ?」
「だってさ…」
さっきから繰り返されるだってと言う言葉にもう一度溜息を吐き、無言で先を促したウーヴェは、リオンの手が鼻先をカリカリと引っ掻くのを見守りながら続きを待つが、流れてきた言葉は夢だったと言う短い一言だった。
「夢?」
「暖炉の前でさ、好きな人と一緒にごろごろするのが夢だったから」
己の過去と現在を比較しているような顔で自嘲するリオンに一度目を閉じたウーヴェは、それでもこのカウチソファを移動させることは出来ないと告げるが、リオンの額をぺちりと叩いた後で片目を閉じる。
「オーヴェ?」
「夢を叶えたいのならそれなりのことをしなければなぁ」
「…っ、するするっ!何でもするっ!!」
幼い頃から抱いている夢を実現させるのならば何でもすると拳を握って鼻息荒く告げたリオンは、意味ありげに見つめられて瞬きを繰り返し、恋人の口から流れ出す言葉を待ち構えるが、小さく吹き出す音を聞かされてしまって目を丸くする。
「オーヴェ?何をすれば良いんだよ?」
「……彼方の部屋にソファベッドがある。それを運んでこられるか?」
「もちろん!」
本当はお気に入りのビールのストックがそろそろ底をつきそうだったから、それを一箱分と言い掛けたのだが、期待に胸を膨らませる子どもの顔で見つめられてしまえば何も言えなくなってしまい、結局以前姉が使ったソファベッドをここに運んでくることだけを告げるが、さすがにリビングに二つのソファを置けば狭くなると苦言を呈すると、これだけ広いのだから全く問題は無いと言い切られ、しかも腕を引っ張られて廊下を引きずられてしまう。
「こらっ、リオン!!」
「早く早く!」
玄関に最も近い部屋の一つのドアを開け放ち、大きなシーツを被せてあったソファベッドに近づいたリオンは、腕まくりをしてソファを持ち上げようとするが、程なくしてへなへなとその場に座り込んでしまう。
「重い…っ!!」
「当たり前だろう?────ほら、そっちを持ってくれ」
「うん」
自分一人で運べると思ったと眉を下げるリオンに溜息をついてただ促し、二人で何とかソファを持ち上げてリビングへと移動すると、リオンが望む場所に設置する。
「これで良いか?」
「ダンケ、オーヴェ!!」
いつもいつも言っているが本当にありがとう。愛してる。
ウーヴェに飛びついて顔中にキスの雨を降らせたリオンは、呆れる恋人の手を再び引いてソファに勢いよく飛び乗ると、弾みで飛び乗ってしまったウーヴェをしっかりと受け止めて背後に倒れ込む。
己の身体に乗り上げて見下ろしてくるウーヴェの瞳が言葉とは裏腹に優しくて、流れる白い髪をそっと掻き上げてやれば、気持ち良さそうに碧の瞳が細められる。
「オーヴェ…また夢を叶えてくれてありがとう」
「うん?」
「ほら、魔法のブランケット、あれもそうだっただろ?」
ちょうど一年前の冬の初めに、寒い寒いと叫くリオンを黙らせる為にウーヴェがクローゼットにしまい込んでいたブランケットを引っ張り出してきたのだが、それがリオンにとっては幼い頃からの夢だったと教えられた事を思い出し、そうなのかと囁きながら今度はウーヴェがリオンの額を指の腹で一つ撫でる。
「うん────オーヴェと一緒にいれば色んな夢が叶うな」
「…そうか」
「な、オーヴェ、メシまでまだ時間あるよな?」
「ああ」
ならばここでちょっとごろごろしようと笑われ、食事の支度をしたいと口だけで苦情を告げたウーヴェは、何かを思い出してソファから起き上がり、同じように起き上がって視線で追いかけてくるリオンを肩越しに振り返って片目を閉じる。
「魔法のブランケットは要らないのか?」
「いる!」
そのブランケットは俺一人が使っても魔法が効かないんだと笑い、ブランケット片手に戻ってきたウーヴェの腰に手を回して抱き寄せたリオンは、座面に膝立ちになるウーヴェの鼻先にキスをし、二人で一緒に魔法に掛かろうと目を細めると、言葉ではなく際りなく優しいキスが額に返ってくる。
そのキスの温もりが額から指の先へ、血の流れに乗って爪先へと向かい、鼓動の源である心臓に辿り着くと混ざり合って溶けていき、身体の裡から温めてくれる恋人を細めた目で見上げれば、そっと肩を押されて座面にゆっくりと押し倒される。
「少し寝るんだろう?」
「うん」
小さな子どもを寝かしつける動作をされるが、不思議と反論したり怒りを覚えることは無く、ウーヴェが身体に掛けてくれるブランケットの温もりと、心臓で規則正しく鼓動を刻みながら温めてくれている優しさに目を閉じると、髪を撫で付けられて無意識に安堵の溜息をつく。
「────お休み、リーオ」
その声を聞きながら眠りに沈むこの瞬間が本当に幸せで、自然と笑みを浮かべたリオンは、あっという間に眠りに落ちていくのだった。
暖炉の炎が爆ぜる音で目を醒まし、ぼんやりとした視界をクリアにする為に何度か瞬きをするが、視界がクリアになると同時に聴覚も鋭敏になり、間近で穏やかな規則正しい呼吸音が聞こえていることに気付いて顔を向けると、思っているよりも近くに長い睫毛を伏せて穏やかな顔で眠るウーヴェがいて、少し赤味を帯びている頬を指でそっと撫でる。
二人の身体に被せられているブランケットの手触りを不意に確かめたくなり、頬から移動させて思い通りの手触りであることを再確認し、ブランケットの下に存在する温もりをもたらしてくれる存在を他のものからも得たくなり、目を閉じて意識を向けると穏やかな寝息が閉ざされた世界に小さく流れてくる。
こんな風に穏やかな寝顔を間近で見せてくれるようになったのはいつ頃からだろうかと、何気なく思い浮かんだ問いに答えを出す為に出会った日にまで時を遡り、その後笑って怒って、時には涙を見せてきた時を振り返ると、もう5年も10年も二人でそうして時を過ごしてきた錯覚を抱いてしまうが、実際はまだであって5年にも満たなかった。
そんな錯覚を抱くほど密度の濃い時間を過ごせる相手と出会えた幸せを感じ、今まで経験した事のない胸の熱さにきつく目を閉じたリオンは、静かに瞼を持ち上げると同時に目尻を優しい指がそっと拭いたことに気付き、どうしたと掠れた声を出す。
「お前こそどうしたんだ?」
「へ?何もないぜ?」
ただお前が一緒に眠ってくれてる、それだけが嬉しいと素直な思いを言葉にすると、その言葉を自分の胸に染み渡らせるようにウーヴェが目を閉じるが、次いで碧の瞳を再び見せた時にはリオンが思わず見惚れるような笑みも浮かべていた。
「リーオ」
「……うん」
たった今感じている幸せを何倍にも大きくしてくれる恋人の声に小さく頷き、コツンと額を重ね合わせると小さな小さな笑い声が二人の間にこぼれ落ちる。
「暖かいな、オーヴェ」
「ああ」
暖炉と魔法のブランケットとお互いの温もりに包まれていれば、窓を揺らす冬の風も雪も入って来ることは出来ないと一頻り笑い合うと起き上がり、ブランケットをウーヴェに巻き付けたリオンがベッドになっている背もたれ部分を起こしてソファにし、ウーヴェのブランケットの中に無理矢理潜り込む。
「こらっ」
「オーヴェ、寒いっ」
つい今し方まで暖かいと笑っていた人間の言葉とは思えないとウーヴェが苦笑しつつも、恋人のその甘え方すらも受け入れて小さく笑い、ブランケットの端を掴んで広げると、片腕をリオンの背中に回して抱き寄せる。
「暑いだろう?」
「ちょうど良い!」
満更でもない癖に素直にならないんだからと不満を訴えつつも、ウーヴェの手が腰に回っている安堵から笑顔になったリオンは、ブランケットをしっかりと巻き直して二人揃って暖炉の中で爆ぜる炎を見つめる。
炎が小さく大きく爆ぜる音と互いの呼吸音だけが耳に流れ込む静けさにリビングが沈むが、その静けさが心地よくてウーヴェの肩に頭を軽く預けていると自然と瞼が下りてくる。
「リオン?」
「……もうちょっとこのままが良い」
「分かった」
心と身体が満足するまでこうしていたいと伝えつつ、この命が終わりを迎えるその時もこうしていて欲しいと心で伝えると、その思いが伝わったのかウーヴェの手に力が籠もり、更に引き寄せられて限界まで身を寄せる。
「……いつも……こう、して……」
いたい、その一言は寝息に混ざってしまい、それが残念だと眠りに落ちる寸前の脳味噌が囁くが、いつまでもこうしていようと耳に直接囁きかけられて満足の溜息を落とし、ブランケットの温もりとそれ以上に温かな思いも伝えてくれる恋人の温もりに包まれて再び眠りに落ちるのだった。
再度寝息を立てるリオンを守るように腕を回して身を寄せたウーヴェは、くすんだ金髪にキスをし、寝息混じりに囁かれた言葉に返事をする為に青い石のピアスが填った耳に口を寄せて答え、子どもを寝かしつけるように囁くと、リオンが目を覚ますまでそのままの姿勢で、炎を受けて赤味を帯びる柔らかな髪を撫で続けるのだった。
二人が出会って夜を越え朝を迎えるようになってから数えられない程過ごしてきた、穏やかで何も無いが何よりも大切な日が今日もまた過ぎようとしているのだった。
2012.08.20
2011/12/12-12/25まで、サイト開設2周年記念のお話として期間限定公開していたものです。


