Das Heim-23-

Über das glückliche Leben(UGL) -Lion & Uwe -

 その日は朝からすっきりとした夏空で、初夏を通り過ぎて夏になった事を通り過ぎる人達も実感するような朝だった。
 いつものように起きて朝食をいつものカフェで食べていたウーヴェは、カフェオレを飲んでいる時に携帯から軽快な映画音楽が流れ出したことに気付き、周囲の人達に気付かれないように鼓動を早めつつ携帯を耳に宛がう。
 『………ハロ、オーヴェ』
 「ああ、おはよう、リーオ」
 もう起きたのかと問いかけると、カインが今仕事に行ったから俺も家を出たと答えられ、腹が減ったんだと情けない声で伝えられて目を丸くする。
 「カインの家に食べるものは…なさそうだな」
 『うん……このままホームに帰っても…多分マザーがスゲー心配するからメシどころじゃないと思う』
 今回の事件ではマザー・カタリーナが負った心労は大きく重いもので、ウーヴェの耳にも彼女が体調を崩し気味だという声が届けられていたのだ。
 「いつものカフェにいるが来るか?」
 『………ん、イイや。ちゃんとしてからオーヴェに会いたいから止めとく』
 「気にしなくて良い」
 『うん。オーヴェはそう言ってくれるの分かってる。でも、俺がいやなんだ』
 だからこれからインビスか何処かで食い物を仕入れて家に帰って一眠りすることを告げられ、ウーヴェに対する意地ではなく男のプライドだと気付いてウーヴェが苦笑するが、そんなリオンのプライドを守るように頷き、一眠りしてすっきりしたら連絡をくれと告げる。
 「リアもずっと心配していたからな。顔を見せてやってくれないか、リーオ」
 『うん……リアにも心配掛けたよなぁ。……ホントに俺は幸せだよな、オーヴェ』
 昨日のお前や親父の様に打算や見返りなども一切顧みることなく俺を心配して本気で怒ってくれる人がいる、そんな俺は本当に幸せだと噛み締めるように呟いたリオンにウーヴェが一度口を開いて閉ざすが、返したのはああという短い一言だった。
 『じゃあオーヴェ、また後で』
 「あ、ああ、そうだな」
 リオンから告げられる別れの言葉は先日の悲しい別れを彷彿とさせて鼓動が早くなるが、もう二度と黙ったまま姿を消すことはないと思い直したウーヴェが頷き、リオンを小さく呼んで何だと返されるが早いか愛していると告げ、ウーヴェからは珍しい携帯越しのキスをすると、程なくして嬉しそうな声で俺もと返され同じように携帯を通したキスが届けられる。
 それを受け取り携帯を鞄に戻したウーヴェは、周囲の視線が密かにこちらに向けられていたことを知り、照れを感じるものの自慢の恋人からのキスを受けた心が心地よさを感じている為、そんな視線を気にすることはないのだった。

 インビスで買い求めて自宅に持ち帰ったカリーヴルストを一口食べたリオンは、昨日まで自分が何を食べていて何を飲んでいたのかを思い出せてもその味についての記憶が欠落していることに気付く。
 食べたものに関してはゼンメルを数個とヴルストを何本か食べた事は覚えているが、それがスパイスのきいたものだったのかハーブが入ったものだったのか、それとも一般的なヴルストだったのかも思い出せず、飲んでいた酒も種類も量も思い出せない程だった。
 自宅の小さな丸テーブルに折りたたみの椅子に腰を下ろして朝食を食べ始めたリオンは、何気なく冷蔵庫に向けて手を伸ばし、冷蔵庫の中に水のボトルとジュースやビールが入っている事に気付いて目を丸くし、缶詰のオイルサーディンやコンビーフ、瓶詰めされたザワークラウトなど賞味期限が長期になるものが冷蔵庫にあることにただ驚いてしまう。
 コンビーフやオイルサーディンの横に、リオンの好物である正方形のチョコが積み重ねられていて、咄嗟に手で口元を覆ってテーブルに肘をついて身体を支える。
 自分が不在の間にウーヴェが立ち寄り、これらの食料やチョコレートを買い置きしていってくれたことは疑いようが無くて、いつリオンが戻ってきても大丈夫なように、食べるものに困らないようにとの配慮から買い求めてくれていたのだろうと想像すると、昨夜己の為に人前であっても躊躇することなく身につけていた衣類や時計をいとも容易く捨てようとしていた穏やかな強い顔も思い出してしまう。
 その強さは己には無いもので、見習いたいと願いつつも、そんな強くて優しい心の持ち主が己の恋人である自慢をじわじわと感じ取って胸を温める。
 温まった胸が今度は次第に熱を帯びて痛みすら感じてきた為、深呼吸を繰り返してビールを手に取るがジュースに変えてボトルに口を付けて飲む。
 ジュースが胃袋に納まり、食べたものも納まったのを確かめたリオンは、そのままベッドに飛び乗ると、携帯を枕元に置いて伸びを一つする。
 一眠りした後、強くて優しい恋人に連絡を入れ、ずっと一人で寂しく待っているゾフィーを迎えに行かなければならないのだと、そしてその後彼女を伴ってホームに帰り、マザー・カタリーナに今までの事を謝罪をする今後の予定を脳裏に思い描くと、訪れた睡魔に身を委ねるように目を閉じて短い睡眠を貪る。
 ウーヴェの優しい気遣いと心を感じつつ一眠りをしたリオンは、目を覚ましてすぐに癖でサイドテーブルに手を伸ばし、いつもと比べれば遙かに整頓されているそれに気付いて寝惚け眼を瞬かせ、ゆっくりと起き上がってサイドテーブルを見下ろすと、あの夜絶望から投げ捨てていった警察手帳とロザリオが重ねて置かれてあり、その横には久しぶりにきれいになった灰皿もあったため、寝起きの一本を銜えてジッポーで火を付ける。
 信頼していた同僚が姉を殺した事実を苦悩の顔で告げられた日、自分が今まで積み上げてきたキャリアも周囲の期待も何もかもが煩わしくなり、公私ともに己の拠り所になっていた手帳とロザリオを捨ててしまったのだが、それをこうして、いつ戻ってくるか分からない己のためにロザリオを磨き警察手帳と揃えて置いてくれた人の顔を思い浮かべれば、本当に勝てないし自分は今まで何故意地を張っていたのか、依怙地になっていたのかと思ってしまい、灰皿に煙草を押しつけて項垂れるように頭を下げる。
 自分を、自分だけを思って人前では決してみせることのない首筋や胸元を躊躇うことなく晒し、己の父であっても自分たちの問題だからそっとしておいてくれと毅然と上げられた横顔を思い描くと自然と頭が下がり、名付けられない感情が迫り上がってきそうになる。
 あんなにも強くて優しい人など自分の周りにいただろうかと自問すると一人だけいると自答があり、勢いよく顔を上げたリオンの脳裏に、似通った笑みを浮かべて胸の前で手を組む女性の顔が思い浮かぶ。
 己を大きな愛で慈しみ見守り育ててくれた女性がいるだろうと、決して引けを取らない大きな愛を注いでくれる恋人の声が優しく促し、そうだったと自嘲すると拳を握ってベッドに押しつける。
 今回の事件で彼女は一体どれ程胸を痛めているだろうか。
 なのに自分はそんな彼女に追い打ちを掛けるように何も言わずに家を飛び出していたのだ。
 ここ数日間のことを振り返ると何もかもが靄の向こうに霞んでいるが、その靄を突っ切った先ではいつでも帰りを待ってくれていた人たちがいたのだ。
 いつも己を陰になり日向になり支えてくれている人たちの顔を思うかベ、それにようやく気付いた己がどれ程愚かだったのかとも自嘲するが、そんな自嘲を止めてくれたのは、もう己の記憶の中でしか怒ったり笑ったり出来ないが、それでも確かに存在する姉だった。
 ゾフィーを喪った悲しみが一気に押し寄せてきて胸が苦しくなるが、深呼吸を何度も繰り返して感情の高ぶりを鎮めたリオンは、後ろに手を付いて天井を見上げ、どこからとも無く聞こえてくるちょっと怒ったような、それでもリオンが気付いたことを一緒になって喜んでくれているような声に目を閉じる。
 「……うるせぇなぁ…今気付いたんだから良いじゃねぇか」
 どうせ気付くのならばもっと早くに気付きなさいと、腰に手を宛って小さな子どもに説教をするときのように睨んでくる彼女に舌打ちをしたリオンは、だから今気付いたんだから仕方がないだろう、これからそれを見失わなければ良いだろうと口早に吐き捨て、その通りねと柔らかな声が返ってきたため、目を見開いてそのままベッドに寝転がる。
 あたしは最後の最後まで気付けなかった、それであの人を深く傷付けたから、あんたは同じようなことをしちゃ駄目と優しく諭された気がし、そんなのは己の中にある彼女との思い出が語りかけていることだと分かっていたが、それでも今のリオンに取っては久しぶりに聞いたゾフィーの声に思え、本当ならば真っ先に伝えなければならなかったことを思い出して拳を握る。
 「……悪ぃなゾフィー。お前の涙の訳、気付いてやれなかった」
 最も身近にいて本来ならば真っ先に見抜けていた筈なのに、お前が罪を犯しているなど想像も出来なかった。だから疑うこともなかったと言い訳じみたことも呟くが、あくまでもそれは言い訳で結果として見抜けなかったからお前は死んでしまったと呟くと、罪を償っただけだ、あんたは何も悪くないと内なる声が響いてくるが、それでもやはりお前には罪を背負っていても生きていて欲しかった、生きて罪を償って欲しかったと歯軋りの奥から答え、そんな機会を永遠に奪ってしまったジルベルトが憎いとも呟く。
 「…………戻って来ねぇかなぁ、ジル」
 そうすればあの男前の顔を二目と見られないほどにしてやるのにと握った拳を閉じた瞼に載せて呟くと、暴力を振るうのは駄目と悲しそうな声が響く。
 「お前を殺したんだぜ?何で駄目なんだ?」
 暴力は暴力を生んで憎しみを糧に大きくなり、最後にはその憎しみと暴力に己が取り込まれてしまう、そんな悲しい姿は見たくないとゾフィーが祈りながら答える姿が脳裏に浮かび、その横にマザー・カタリーナと誰よりも暴力を嫌う恋人の顔も浮かんでくる。
 「……みんな反対かよ」
 当たり前でしょう、ゾフィーの呆れたような呟きに他の二人も静かに頷くが、許せない気持ちは理解して欲しいとリオンが答えると三人とも無言で頷く。
 「暴力は…振るわない。ただ、許せないってのも…分かってくれよ」
 信頼していた人からの裏切りはどうしても許せない胸の裡を溜息混じりに吐き出すと、誰の反論も聞こえてこなかったため、もう一度許せないと呟いて再度ベッドから起き上がる。
 もうすぐお前を迎えに行くから待っていてくれと呟き、気にしなくて良いわと声が聞こえ、マザー・カタリーナに会いに行ってから行くと告げてベッドから降り立ち、ロザリオを財布のコインケースに大事そうに入れたリオンは、冷蔵庫のチョコを一枚取りだして割った一欠片を口に含むと、枕元に投げ出していた携帯を取りに戻り、そのまま着信履歴を開き、最も多くリストアップされている番号に電話を掛けつつ部屋を出る。
 『Ja』
 「ハロ、オーヴェ」
 電話の相手はまだ仕事中のウーヴェで、電話に出たことから診察の合間かも知れないと察し、今起きたが先にマザーに顔を見せに言ってくると後ろめたさから口早に告げると、一瞬沈黙が流れた後に柔らかな笑い声が聞こえてくる。
 『当たり前だ』
 何の遠慮があるんだ、先にお前の母に顔を見せてこいと促され、その声に自然と頷いたリオンは、今日ゾフィーを迎えに行くが葬儀の段取りについても話をしてくるからそちらに向かうのは少し遅くなること、それでも必ず行くから待っていて欲しいと伝えると、一緒に彼女を迎えに行くのだから待っていると教えられて安堵の溜息をつく。
 「うん、そうだったな」
 『ああ。昨日マザーには伝えておいたが、彼女を迎えに行く車と…棺を業者に依頼しておいた』
 「……ああ、うん。確かにスパイダーには乗せられねぇもんな」
 『ああ。だから彼女を迎えに行く時間がはっきりしたら教えてくれ。業者に連絡を入れて病院に向かって貰う』
 「うん。分かった」
 本来ならばその業者に総てを委ねて彼女が孤児院に戻ってくるのを待っていれば良いのだろうが、迎えに行かなければ拗ねて帰って来ないかも知れないと笑うリオンにウーヴェも同意を示すように小さく笑うが、その笑いを納めるとリオンを呼ぶ。
 『リーオ』
 「ん?」
 『マザー・カタリーナにちゃんと謝ってくるんだぞ』
 何について謝れと言っているのかを察することの出来ないリオンではないが、以前ならばそんなことは分かっていると反論-もしくはばつの悪さから声を荒げていた。だが、脳味噌に掛かっていたもやが晴れると同時に斜めになった世界も正しくなり、己が立つ大地があやふやなものではなく揺らぐことのないものであり、またそんな人に支えられていることに気付いた今ならばそんな言葉も素直に頷くことが出来るようになっていた。
 だからうんと短く答えると携帯を通して安堵の溜息が届けられ、そろそろ次の患者に備えるからと教えられて邪魔をしたと返してキスで謝罪する。
 『また後でな、リーオ』
 「うん、また後で」
 短く別れの言葉を交わして駅に向かったリオンは、切符を大急ぎで買い求めて打刻機を素通りする勢いで駆け抜けると、ちょうどやって来た電車に飛び乗るのだった。

      

 テーブルの上に積まれた抗議の手紙やファックス、メールなどに一通ずつ目を通していた彼女は、己の愛娘のことを悪し様に書き立てる新聞を読む気にもならなかったが、ここ数日どうしても目に入ってきてしまい、一人で外を出歩く気力も無くなりつつあった。
 今まで己の右腕として将来も今のように働き、親を亡くした子どもや親から見放された子ども達の良き姉、良き母になってくれると思っていたが、自分たちにはひた隠しにしていた貌があったことがショックだった。
 自分は今まで彼女の何を見つめ何を知ってきたのか、その疑問が彼女が遺体で発見されたことを知った夜から堂々巡りのように脳内で渦を巻いていて、その渦に飲まれないように頭を一つ振った彼女は、重い溜息を一つついて板を張り付けてあるキッチンの窓へと視線を向け、その窓から直線上にある床を修繕したような跡をみてもう一度溜息をつく。
 ゾフィーが人身売買に関係していた事実が明るみに出た次の日、早速この地区を含む教区の上層部から呼び出しがあり、事情の説明と何か釈明することがあるのならばしろと尊大に言い放たれたが、ゾフィーを守りたい思いは強くあったがそれ以上に今孤児院で日々慎ましやかに暮らしている子ども達を守ることを優先すべきと言う思いから、ゾフィーが犯罪に荷担していた事実については一切知らなかった、彼女が隠し持っていた預金口座のことも知らなかったし、犯罪で得た資金がこちらの活動資金になったこともないと、疑いの目で見てくる上層部の人たちを毅然と見つめた彼女は、釈明という言葉は好きではないが、孤児院を守るためならば敢えてその言葉を受け入れ、そして反論するとも答え、その後身を裂かれるような思いを抱きつつ一つ一つ丁寧に詰問に答え、自分を筆頭に他のシスターやブラザー達、そしてあの孤児院から巣立っていった子ども達も誰一人として知らないことを可能な限り証明したのだ。
 その詰問の時間が終わり孤児院に戻ったマザー・カタリーナは、キッチンや他の部屋の窓ガラスが割れ、ブラザー・アーベルや他のシスター達が暗い顔で拳大の石を拾っては割れたガラスの掃除をしているのを発見したのだった。
 投げ入れられた石は教会に対する失望の証で、彼女たちはそれを甘んじて受け入れなければならなかったが、孤児院で生活する子ども達が怪我を負ってはいけない為、こんな時でも支えようとしてくれる同じ教区の小さな教会や孤児院、または彼女たちの活動を理解し支援してくれる人たちの元に子ども達を預けて身の安全を図っていた。
 だからいつもならば聞こえてくる子ども達の元気な声が一時的に無くなっているため、建物全体が静まりかえっていた。
 そんな中で建設的な非難の文字や非建設的で感情的な罵詈雑言を並べ立てただけのものを見ていると気が滅入ってきて、額を押さえてもう一度溜息をついた時、キッチンから裏庭に出るためのドアのノブが静かにゆっくりと回り、椅子を倒して立ち上がった彼女は、震える声で誰ですかと声を上げるが、回ったドアノブは元に戻り、次いで板を張り付けてある窓枠が軋みながらゆっくりと開いていく。
 「誰です!?」
 ここ数日の抗議行動などを目の当たりにし、最も信頼しているリオンも音信不通になって不安を感じていた彼女が窓から最も遠い部屋の隅に後退っていくと、窓枠が開ききっておずおずとくすんだ金髪が見え始める。
 「!?」
 そのブロンドには見覚えがあったがこの光景にも見覚えがあった彼女は、胸の前で震える手を何とか組んで己の脳味噌が記憶している過去の光景とこの後に見える景色が一致していることを密かに願い、震える声で呼びかける。
 「……リオン、ですか?」
 「……………げ、バレてた?」
 マザー・カタリーナの声に誘われたようにひょっこりと顔を出したのは、バツの悪そうな笑みを浮かべているリオンで、その顔を認識した瞬間、彼女の身体から力が抜けたようになってその場に座り込んでしまう。
 「マザー!!」
 窓から手を離してドアを勢いよく開け放って室内に飛び込んだリオンは、震える腕で何とか身体を支えるマザー・カタリーナの横に膝を着き、いつにもまして痩せてしまった小さな身体を抱き寄せる。
 「ごめん、マザー……心配かけた」
 「ええ、ええ…本当に…ずっとずっと心配していましたよ」
 リオンの謝罪に何度も何度も頷き、自然と流れる涙を指先で拭ったマザー・カタリーナは、本当に心配を掛けてと、幼い頃毎日のように叱っていた時と同じ顔でリオンを見上げるが、見上げた顔は当然ながらあの頃から随分と成長した精悍な男の顔になっていて、睫毛を震わせながら目を閉じ、息子がしっかりと身体を支えてくれるその力強さからも成長を感じてしまう。
 「…また、いつものように窓から入ってくるつもりだったのですか?」
 「………………………だって、さぁ…」
 マザー・カタリーナが涙を拭いながら声に笑いを滲ませて問い掛けると、リオンが明後日の方を見ながらだってだのでもだのと言い訳を始め、その様が随分と昔に見た景色を彷彿とさせる。
 手の付けられない問題児として界隈でも有名で、何か問題が起こるたびにマザー・カタリーナやゾフィーらが呼び出されて謝罪をしていたのだが、彼女たちが謝罪行脚から戻って来る前に孤児院に帰ってきたリオンは、まず空腹を満たすためにキッチンに向かう必要があった。
 そのキッチンが無人ならば何ごともなく目的を達成できるのだが、マザー・カタリーナとゾフィーの二人がキッチンで何やら作業をしていることが多かったため、まず窓を開けて室内の様子を窺い、大丈夫だと分かってからキッチンの勝手口のドアや時には窓を開けて入ってきていたのだ。
 その様子を思い出し、つい懐かしさに笑みを浮かべたマザー・カタリーナだが、その時いつも一緒にいたゾフィーがもういないのだと気付くと、新たな涙が滲み出しそうになる。
 「……泣くなよ、マザー」
 マザーに泣かれるとどうして良いか本当に分からないと、リオンが心底困った顔で呟くと、彼女の口からごめんなさいという言葉が流れ出す。
 「…気付かなかった俺が悪いんだからさ」
 「いいえ、あなたは悪くありません」
 それだけは誰が何を言おうとも断言できますと、涙を振り払ってマザー・カタリーナが姿勢を正すと、その毅然さにリオンが伏し目がちに頷く。
 「………ダンケ、マザー」
 「当たり前のことですよ、リオン」
 誰も悪くないのですと続け、胸の前で手を組んで短く祈りを捧げたマザー・カタリーナにリオンが後でゾフィーを迎えに行ってくると伝えると、彼女が手を組んだまま顔を上げる。
 「え?」
 「オーヴェと一緒にゾフィーを迎えに行ってくる」
 「そう言えば、ウーヴェが葬儀会社に知り合いがいるかと聞いていましたが、車の手配をしてくれていたのですね。…お願いしますね、リオン」
 「うん。で、葬儀なんだけど、どうする?」
 いつまでも彼女を床に座らせていてはいけないことを思い出し、彼女の身体を支えながらキッチンのテーブルのいつもの場所に腰を下ろした時、ドアが開いてブラザー・アーベルが書類を片手に入ってくる。
 「アーベル、久しぶり。……心配を掛けた」
 「リオン!?」
 柔らかそうな髪と眼鏡を掛けた、天使像と酷似している男の目がみるみるうちに見開かれたかと思うと、大股に駆け寄ってきて無言でリオンの肩に腕を回してしっかりと抱き締めてきたため、リオンも驚きに固まってしまうが、心配を掛けて悪かったともう一度謝罪をし、広い背中を一つ叩く。
 「本当に、心配を掛けるんだからな…!」
 お前といいカインといいマザーに心配を掛けるのも程々にしなさいと涙声で叱られ、ごめんと素直に謝罪をすると、小さく鼻を啜る音が聞こえた後にブラザー・アーベルが勢いよく離れて背中を向ける。
 「…喉が渇きましたね。アーベル、お茶を飲みませんか」
 「そうですね」
 マザー・カタリーナが救いの一言を放ちつつリオンを見ると、すべて了解している顔でリオンが肩を竦め、俺はミルクたっぷりのカフェオレが良いと注文し煙草に火を付ける。
 「アーベル、今日ゾフィーを迎えに行ってくる」
 その言葉に彼の肩が揺れて手にしたミルクパンをコンロに落としてしまうが、振り返った顔には安堵と後悔と懇願が浮かんでいたことから、ゾフィーの罪についてすべてを知った上で許していることを知り、煙を天井に向けて吐き出しながら葬儀の段取りはどうすると問い掛けると、ミルクパンをコンロに掛けて腕を組む。
 「明後日にしますか、マザー」
 「そうですね……きっと、教区の方達はいらっしゃらないでしょうから、わたくし達だけで行いましょう」
 教区に所属するシスターでありながら犯罪に手を染めてしまったゾフィーを教区の上層部は破門扱いにしたため、当然ながら誰も葬儀に顔を出すことはなかった。
 ならばいつも教区のお偉方の忠告とやらに従っているが、今回は自分たちの思うように葬儀を執り行えるとリオンが呟いたため、二人の思考に光が差し込んでくる。
 破門になったゾフィーの葬儀を行うことは教区の人々から睨まれることかも知れないが、この孤児院出身の女性の葬儀であれば誰にも文句を言われる筋合いはないはずだった。
 リオンの一言に救われたような顔で頷き合ったマザー・カタリーナとブラザー・アーベルだったが、鍋が噴きこぼれてることを指摘されて端正な顔から血の気が引いていく。
 「じゃあ今日連れて帰ってきたら一日寝かせておくか?」
 頬杖を突きながらリオンが問い掛けるとマザー・カタリーナの顔がさっと曇り、本当ならばずっと置いておきたい程ですが、最近急に暑くなりだした事もあるので、ドライアイスの用意はしておいた方が良いだろうかと眉を曇らせる。
 「そーだな…病院で相談して、必要なら何とかする」
 「ええ、お任せしますね」
 ブラザー・アーベルが安堵した顔で差し出したマグカップを見たリオンは、美白に成功したカフェオレを見出してしまい、眉尻を下げてカフェオレと呟くものの、我慢しなさいと天使像そっくりの顔で諭されてしまうと何も言えなくなり、肩を落としつつホットミルクを飲む。
 「……オーヴェと迎えに行ってくるな」
 久しぶりに飲むホットミルクは美味しくて、黙って飲んでいたリオンが二人に向けてぽつりと呟くと二人も無言で頷き、任せますとマザー・カタリーナが信頼の目を向ける。
 「そうそう、リオン、あなたお仕事は良いのですか?」
 行方不明になっている間、職場の仲間や上司にはちゃんと説明をしていたのかと問われて肩を竦めたリオンだったが、きっとウーヴェが連絡を取ってくれている筈だし、後でボスに連絡をすること、葬儀が週末になるだろうから週明けから仕事に復帰すると伝え、もしも許して貰えるのならばと言う言葉はミルクとともに流し込む。
 「そうですね」
 「うん。オーヴェにもすげー心配掛けたから、後で謝ってくる」
 「…リオン、本当に良き理解者を得ましたね」
 マザー・カタリーナの言葉にブラザー・アーベルが無言で頷いたことが嬉しくて照れくさくて、思わず首を竦めたリオンだったが、自分を褒められることよりも遙かに嬉しいことだと笑って伝え、本当に強くて優しい人だと頷くと、二人の目が柔らかく細められる。
 「大切にするのですよ」
 「分かってるって、マザー」
 今までのような愚かな行為はしないと断言し、立ち上がって伸びをしたリオンは、灰皿に煙草を押しつけて揉み消した後、いつまでも帰って来ない姉を迎えに行ってくるかーと愚痴るように呟くと、驚く二人に片目を閉じる。
 「さっさと帰って来いってんだよなぁ」
 本当に俺がいないと仕方がないんだからと、どちらが年長者か分からないようなことを呟いてもう一度伸びをすると、二人がくすくすと笑みを零す。
久しぶりに笑った彼女と彼は、笑うことを思い出させてくれた手の掛かるが最も信頼できる息子に頷き、もう一人の大切な子どもであるゾフィーを宜しく頼むと伝えるのだった。
 

 電車を降りてぶらぶらと歩きながらウーヴェのクリニックが入居するアパートの下にまで来た時、駐車場の警備をしている警備員から久しぶりだと声を掛けられるが、本当に久しぶりだと笑って手を挙げたリオンは、エレベーターではなく階段を一段飛ばしに駆け上がり、クリニックのあるフロアに到着すると、何故かその場で足踏みをしながら深呼吸をしてしまう。
 この廊下の先にあるのは重厚な木で出来た両開きの扉で、今までならば遠慮することなくそれを開け放って中に入っていたのだが、さすがにそれをしても良いのかどうか悩んでしまい、足踏みを終えた次は無意味に周囲を見回してしまう。
 今までのように入ればいいと己の声に背中を押されて一歩を踏み出して二歩目と続き、ついに扉の前にまでやってきたその時、微かな物音が聞こえたかと思うと、扉の一枚が内側に向かって開かれる。
 「────!!」
 扉が一枚開いただけなのに何故か天国か地獄に通じるドアが開いたように感じ、慌てて飛び退いたリオンは、パチパチと目を瞬かせるウーヴェにに気付いてあぁだのうぅだのと奇妙な声を発してしまう。
 「何をしてるんだ、リオン?」
 「え?あ、や、うん……その……」
 口の中で意味の通じない言葉を並べ立てたリオンの前に静かに歩み寄ったウーヴェは、やや俯き加減の恋人の頬に手を宛がい、ウーヴェだけが呼べる優しい声で名を呼んで顔を上げさせる。
 「リーオ」
 「────!」
 「マザー・カタリーナにはご挨拶をしてきたのか?」
 「あ、うん……マザーに泣かれてすげー困ったけどさ、アーベルにも泣かれて…」
 本当に自分は悪いことをしたんだなと思ったと、再度俯きつつ反省の弁を述べたリオンは、頬に宛がわれていた手が後頭部に回った後、そっと力が込められて引き寄せられていることに気付き、いつかとは違って意地も張らずに素直にウーヴェに引き寄せられると、ふわりと鼻先をリオンの心が常に思い描いていた凛とした香りが擽っていく。
 この香りに包まれただけで堪えていたものが一気に溢れそうになり、拳を握ってそれを堪えると耳元で小さな溜息が零される。
 「中に入ろう、リーオ」
 「……うん」
 ここにいつまでもいれば、上の階の双子達に発見されてまた賭の対象にされてしまうと笑うとリオンも釣られて笑い、互いの腰に手を回して両開きのドアを押し開くと、ウーヴェが本日診療は終了しましたという札を掲げて扉を静かに閉める。
 「リアは…?」
 「ああ。今日は患者も少なかったし用事があったようだから帰った」
 残念ながら会う事は出来なかったが、また近いうちにここに来ればいいと苦笑するウーヴェにリオンが頷いて何か言って無かったかと問いかけると、黙って姿を消したことだけは許せないと言っていたが、本当に心配を掛ける子だからお仕置きをしなければいけないとも言っていたと片目を閉じられ、何処までが彼女の言葉なのかが分からなくなってしまう。
 「オーヴェ!?」
 「…冗談だ」
 「お前の冗談は笑えねぇ!」
 目を吊り上げる勢いで言い放ったリオンにウーヴェが目を丸くした後、愛おしそうに細めて再度リオンの頬に手を宛がう。
 「笑えない冗談ばかりで悪かったな」
 「悪いと思うのならさ…」
 キスをしてと、以前と変わらないようで決定的に何かが違う顔でリオンがウーヴェを見るとウーヴェもそれを察したのか、眼鏡を外してリオンの顎に手を宛がうと青い瞳が姿を隠す。
 久しぶりに交わすキスは、ウーヴェが顎を手で支えなければみっともない程震えてしまいそうで、またウーヴェも支えることによって己の震えを何とか押し隠そうとしていたが、少し乾燥気味の唇に触れ重なる感触に今回の事件の始まりの日が思い浮かんで堪えられなくなる。
 「────っ!」
 顎を掴んでいた手を伸び放題になっているブロンドの中に差し入れて軽く顎を上げさせたウーヴェは、一瞬だけ唇を離すもののリオンが目を開ける寸前にもう一度唇を重ねると、離れがたい日々をお互いに過ごしていたのだと実感してしまい、そうと分かった心と身体が離れる事を拒否してしまう。
 「…ん…っ…!」
 その離れがたい気持ちはウーヴェだけのものではなくて、リオンの手がウーヴェの腰から背中に回されると、ウーヴェが両手でリオンの頬を挟んで睫毛を微かに震えさせる。
 今回の事件が二人にもたらしたのは辛く悲しい現実だったが、またこうして二人吐息が触れあう距離で目を見つめ、互いの思いを伝え合う為のキスが出来る様になったことが嬉しくて、どちらも離れようとしては追いかけてキスを繰り返す。
 心身の満足を得た二人は、今度は額と額を重ね満足そうに溜息を零すが、互いの腰に手を回しているとリオンが重ねていた額を離してウーヴェの肩に懐くように額を乗せる。
 心がもっとも落ち着く場所、その場所に帰ってきたのだという思いがふいに強く芽生え、鼻腔を満たすウーヴェの匂いも良く帰って来たと出迎えてくれているように感じ、更に匂いを感じ取ろうと顔を寄せる。
 「リーオ?」
 「………ゾフィーさ、業者が迎えに行ってくれるんだよな?」
 「ああ、そうだな」
 ならば行く必要はないんじゃないのか、そう問いかけたリオンの顔を覗き込みたかったが、シャツを握られて身動きが取れなかったウーヴェが溜息混じりにリオンの頭に手を載せる。
 「お前が迎えに行きたいんだろう?」
 「………うん」
 「じゃあ一緒に行けばいい。そうだろう?」
 何も家族を迎えに行くのに業者に頼んだから一緒に行ってはいけない決まりはないはずだと笑い、つまらない心配をしているのならばまた笑えない冗談を言うぞと声に意地の悪さを滲ませると、リオンの口から小さな笑い声が流れ出す。
 「…イヤだなぁ…。オーヴェの冗談はマジで笑えねぇもん」
 「なら、くだらない事を考えるな、リーオ」
 リオンの思考を完全に読み切ったウーヴェが声に強さを混ぜると無言で頷かれ、くすんだ金髪に頬を宛てるように首を傾げる。
 「一緒に迎えに行こう、リーオ」
 「………ダンケ、オーヴェ」
 互いに顔を見ずではあったが思いを伝え合った二人は、暫くそのままでいたが、そろそろ迎えに行こうとウーヴェがリオンの髪を撫でて背中を撫でるとリオンもようやくウーヴェの肩から顔を離して伸びをする。
 「うん、そろそろ行こうか」
 「ああ」
 ウーヴェがクリニックの戸締まりなどを確認し、ぼんやりと待っているリオンの手を取って待たせて悪かったと詫びると、いつか見た様な顔でリオンが逆の手を握りしめる。
 「どうした?」
 「………な…でも、ねぇ…」
 「………そうか」
 何でもない、その言葉すら明瞭に発音できない程感情が昂ぶっていたが、それでもそれが最後の意地だと言う様にリオンが顔を背けた為、ウーヴェもただ短く返すものの、背けられているリオンの横顔に家に帰ったらゆっくりと話をしようと囁きかけ、無言で頷きを貰うのだった。

       

 永遠に続くような白くて長い廊下を俯き加減に進むリオンの横を、同じように足下を見ながらウーヴェも歩いて行く。
 二人の前には連絡を入れておいたからか、白衣を大雑把に着込んだ強面の監察医が壁に凭れて待っていてくれて、彼の姿を発見した二人が顔を見合わせて少し歩くペースを速くする。
 「カール、遅くなって悪ぃ」
 「おぅ、ようやく来たか、問題児」
 その口の悪さも懐かしくてつい肩を竦めたリオンだったが、新聞報道を見て警部から教えて貰ったと告げたカールが肩を一つ叩いて大変だったなと労いの言葉を掛けてくれた為、拳を握って小さく頷く。
 「後はBKAに任せることになるそうだ」
 「だろうな…ジルのことだ、もうドイツにいねぇだろうし」
 そうなれば国際的な協力も仰がなければならないだろう、その時最も有効なのは一地方警察の刑事の力よりもドイツ国内で他国が絡んだ事件を専門的に取り扱う人材のいるBKAだろうと理解を示し、本当ならばこの手で逮捕をしたかったと、理解をした上で許せないと告げると、カールが好意的に目を細める。
 「……彼女をどうする?車の手配は出来ているのか?」
 「ああ、車はオーヴェが用意してくれた」
 ゾフィーの寝床はホームに用意してあるから外で待機してくれている業者に依頼をしてホームに連れて帰って貰うと伝えれば、カールが少しだけ考え込むような仕草を取るが、お前がそうしたいのならばそれで良いと頷いて了承を与えてくれる。
 「お前、本当に良い友人を持ったな」
 「へ?」
 待機していた業者が遠慮がちに入って来たことに気付いたウーヴェが彼の前に向かい、手短にこれからの予定と希望を伝えると、総てを了解した顔で彼が頷いて連れて帰る人は何処にいると首を伸ばしてリオンとカールの背後の様子を探る。
 「聞いたぞ。ウーヴェ・バルツァーが路上でストリップをしたそうだな」
 「…っ!!」
 昨夜の醜態を何故知っているとリオンが顔を赤くしたり青くしたりするが、情報網が豊富なんだと笑うカールに勝てず、頼むからその豊かな情報網にこれ以上昨日の話題を載せないでくれと懇願し、業者と一緒にやってくるウーヴェに何の話だと問われて苦笑いで誤魔化す。
 「何でもねぇ」
 「ああ、何でもないぞ、ウーヴェ・バルツァー」
 「………ご存じでしたか?」
 自分を知っているのかとウーヴェが意外そうな顔で問いかけると、詳しくは言えないが俺とあんたの間には一人の人物がいると答えたカールは、業者の無言の視線を受けて肩を竦め、連れて帰るべき人はこちらだと一行を案内する。
 再び入った白とステンレスに彩られた部屋はリオンが足を踏み入れようとするとあの日の光景を思い出させてしまい、つい二の足を踏んでしまうが、ウーヴェがそっとリオンの腰に腕を回して力を分け与えた為、拳を握って一歩を踏み出す。
 「……長い間待たせて悪かったな、ゾフィー」
 ストレッチャーに載せられているボディバッグを微かに震える手で開き、あの日と変わらない白い顔で穏やかに目を閉じているゾフィーに笑いかけたリオンは、迎えに来たことを伝えると、業者に任せるように頷いて壁際にまで引き下がる。
 「お願いします」
 業者に一礼をしたウーヴェも同じように壁際に下がり、ゾフィーを寝かせる為の棺を取りに行って来ると言い残して出て行く彼を見送り、カールからは見えないように気を配りつつリオンの手に手を重ねると、そんなウーヴェの気配りに気付いたリオンが自ら掌を返してしっかりと指を組んで手を繋いでくる。
 「…もうすぐ帰れる。あと少し待ってくれないか、リーオ」
 「……あー、うん」
 分かったと上の空で頷くリオンに苦笑したウーヴェは、自らに突き刺さるような視線を感じつつもその手を離さずに握り直すと、彼女の好きな花は何だと唐突に問いかける。
 「へ?ゾフィーの好きな花?」
 「ああ。…罪を犯したからと言って花も持っていけないなんてことはないだろう?」
 「オーヴェ……」
 棺は布が巻かれているだけの質素なものなのだ、せめて彼女の生前を思い出させるものや彼女が好きだった花などを一緒に入れたいだろうと目を伏せるウーヴェにリオンが驚いたように目を瞠るが、向日葵や向日葵を小さくしたような花が好きだったと答え、ガーベラかと問い返されて頷く。
 「俺は詳しく知らねぇけど、カインならよく知ってるんじゃねぇか?」
 「彼が?どうして?」
 「ん?だってあいつの趣味はガーデニングだもん」
 ガーデニングとオウム返しに呟くウーヴェの脳裏に浮かんでいるのは、特徴的な赤い髪に日差しを浴び額に汗を浮かべながら庭の手入れをしている白皙の相貌で、その取り合わせの意外さにただただ驚いてしまうが、あいつの好きなのは花よりも観葉植物だったり南国の植物で、いつか自宅をジャングルにしてやると言っていたとも教えられると驚きから呆れに感情が変化してしまう。
 「ジャングル…」
 「ああ、うん。あいつが言うには大きな観葉植物の陰で昼寝をするのが最高の幸せなんだって」
 なので目下その夢の実現に向けて軍資金を稼いでいるとリオンが告げるとその夢が叶うと良いなとウーヴェも至極真面目に返すが、業者がストレッチャーに棺を載せて戻って来る。
 「立派な棺桶だな」
 「そうだな…彼女が許してくれれば良いんだがな」
 自分が勝手に決めてしまった為怒っていないか心配だと苦笑するウーヴェにリオンが首を振ってそれを否定し、大丈夫だと笑ってボディバッグから棺に敷かれた白くて手触りの良い布のベッドに移動されるゾフィーをぼんやりと見守るが、短くざんばらに切られていた髪が元のように長くなっていることに気付き、カールを見つめて真相を知る。
 「……ちょうどカツラがあったからな」
 「そっか…ダン、カール」
 検死などを行う病院にカツラがあるはずもなく、カールの個人的な行為でそれをゾフィーに与えてくれたことに気付くとただ感謝の思いしか出て来なかった為、小さく礼を言って棺に寝かされるゾフィーを覗き込む。
 「顔は…骨折は何とか戻しておいた」
 ただ、痣は消えないから誰かに化粧をして貰えとも告げられて無言で頷いたリオンは、棺の蓋を閉めようとする業者を手で制し、棺の縁に手を着いてゾフィーの頬に息が掛かる距離まで顔を寄せる。
 「ゾフィー…お前や…俺たちの家にやっと帰れるな」
 待たせて悪かった、こうして迎えに来たのだから許してくれとひっそりと姉に囁いたリオンは、身体を起こすと笑みを浮かべる。
 「帰ろうぜ、ゾフィー。マザーもアーベルもみんなお前の帰りを待ってる」
 あのひねくれ者のカインでさえもお前が帰ってくるのを待っているんだと告げ、再度棺を覗き込んでゾフィーの頬にキスをしたリオンは、その後は業者やカールやウーヴェの顔でさえも見ることなく頷き、ゾフィーを寝かせた棺が運ばれていくすぐ後ろを着いていくのだった。


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2013/07/18


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