Die Familie -28-

 大小いくつものテントで、この祭りのために用意をしたビールが特大のジョッキに注がれ、民族衣装を身に纏った女性達が文字通り両腕に抱えてそれを運んでいく。
 その喧噪はリオンが最も好ましいと思うものであり、ウーヴェが最も苦手とするものでもあったが、お祭り騒ぎという一言で総てが許されるのも後僅かという事実がウーヴェの気持ちを少しだけ軽くしているようだった。
 地元の人も観光客も関係なく人が集まる大手の醸造所が設置している大きなテントではなく、この街で古くからビールを造り、バルツァーの会社とも関係がある小さな醸造所が出しているテントの奥のテーブルに、興味深げに周囲を見回しては感心の声を上げている黒髪の青年がいて、その周りには彼の連れと思われる男女が楽しそうに談笑していた。
 「・・・楽しそうだな、メスィフ」
 「え?ああ、もちろん。こんなに楽しいのは本当に久しぶりだ」
 本場の一つとされるドイツで飲むビールも美味しいが、料理も美味しいと笑ってマスと呼ばれるジョッキを片手に満面の笑みを浮かべるメスィフにウーヴェはただ苦笑するが、その前にあるジョッキは当然ながら既に空に近くなっていて、ウーヴェの横でリオンが呆れた様にジョッキを傾けていた。
 「リーオ、魚を食べるからもう一杯飲んで良いか?」
 「・・・いつもよりペース速くね?もう三杯目だぜ」
 ウーヴェの密かなお強請りにリオンが呆れた顔になるが、更に呆れさせるようなことをウーヴェの隣-リオンとは反対側-に座ったギュンター・ノルベルトが口にする。
 「好きなだけ飲めば良いぞ、フェリクス」
 「オーヴェにはホントーに甘いよなぁ、兄貴」
 「お前に兄貴と言われる筋合いはない!」
 「前にも言ったけど兄貴は兄貴だ、それ以外に呼びようがねぇ」
 ここ数日の間で恒例になったウーヴェを挟んで左右で交わされるそれを初めて目の当たりにしたメスィフが驚きに目を丸くするが、彼の隣に座ったレオポルドとイングリッドがいい加減にしろと呆れた声を上げ、通りかかったスタッフにビールを注文するが、もちろんそれは自分のためではなくウーヴェの為のもので、それに気付いたリオンがすかさず魚とカリーヴルストを注文する。
 「まったく、親父も兄貴もオーヴェには甘い!」
 「ふん、俺は誰彼憚ることなくウーヴェを甘やかして良いからな」
 「何だそれー!」
 「そうだ、何故父さんが甘やかして良いんだ」
 それをして良いのは俺だとギュンター・ノルベルトが父に向けて鼻息荒く言い放つが、イングリッドとアリーセ・エリザベスの女性陣がただ黙って頭を左右に振り、ミカは何とも言えないのか言うつもりがないのか、ただ黙ってビールを飲んでいた。
 「皆から愛されているな、ウーヴェ」
 「愛されてるのは良いけどさー、限度ってものがあるよなぁ」
 メスィフの笑いの籠もった声にリオンが不満げに訴えるが、その顔に浮かんでいるのはそのやり取りを楽しんでいる色で、今ここにいる者達の中でウーヴェだけが見抜ける本心では己の恋人がその家族から愛されている様子を目の当たりに出来ることを喜んでもいた。
 「確かに」
 「だよなー」
 二人が意気投合して頷き合うのをレオポルドとギュンター・ノルベルトが面白くなさそうに見ているが、運ばれてきたビールと料理が並べられると、まずウーヴェの顔に笑みが浮かび、次いでリオンの顔が笑み崩れていく。
 その様子は先程とは違って誰にとっても微笑ましいものだったため、アリーセ・エリザベスもイングリッドもザワークラウトを食べながらにこやかに談笑し、ミカもそこに加わって楽しそうに盛り上がっているが、メスィフの幼馴染みのイマームがラリーレースの大ファンだと分かった途端、メスィフとミカが意気投合してしまう。
 家族ばかりの中に初対面のメスィフを連れてくることをウーヴェは当初気を揉んでいたが、全くの杞憂であったこと、またそれ以上に実は密かにメスィフも気になっていた、過去の事件を思い出さないかということもまた杞憂だった。
 その心配が無駄なものだと気付いた二人は、ならばこのお祭りを楽しもうと笑い合い、ウーヴェの家族を含めて午後の早くから盛り上がっているが、小さなテントの中に入れ替わり立ち替わりやってくる地元の人たちの中には、このテーブルに座っているのがバルツァーという企業の中枢人物であることに気付いて挨拶に来る人もいたりしたが、その中で一際大きな声でレオポルドを呼んだのは、彼の幼馴染みであり長年の友人であるウルリッヒだった。
 「来ていたのか、レオ」
 「ああ。ウーヴェが皆で行こうと言ったからな」
 旧友同士が再会の言葉を交わすのを見守っていたウーヴェは、己の名前が出たことに気付いてジョッキをテーブルに置き、先日家で会ったときはほとんど話が出来なかったが、変わらずに元気そうで良かったと笑みを浮かべると、ウルリッヒの顔が驚きに彩られるが、レオポルドとイングリッドを交互に見つめた後、事情を察した彼がウーヴェの頭に大きな手を乗せ、前回とは違ってそっと頭を撫でたその手で頬を撫でる。
 「今日は美味いビールが飲めるな、レオ、ギュンター」
 「そうだな」
 「ウルリッヒおじさんも美味しいビールを飲んできたんでしょ?」
 「おぉ、アリーセはいつ見ても綺麗だな」
 年々母であるイングリッドに似てくるが、そんな美女と一緒にいられるお前の夫が羨ましいと片目を閉じるウルリッヒにミカも素直に頷き、最高の贅沢だと笑ってビールを飲むが、彼とバルツァー家の関係を知らないリオンとメスィフだけが呆気にとられたようにウルリッヒを見てしまう。
 「・・・お前がリオンか?」
 「Ja,俺がリオンです」
 ウルリッヒの言葉は居丈高なもので、その言葉に対してリオンが過剰な反応を示さないかとウーヴェがひやりとしてしまうが、挑発するような意図がないことを教えるように穏やかな笑みを浮かべてウルリッヒに向けて手を差し出したリオンは、名前が分からないからどう呼んで良いか分からないと肩を竦めるが、親父の友人だろうから敬意は払うと片目を閉じる。
 「俺はウルリッヒだ。弁護士をしている」
 「へー。じゃあもしかして裁判所で会ってるかもなぁ」
 「ん?どういうことだ?」
 リオンの言葉にウルリッヒが回答を求めるように見たのはウーヴェで、それに気付いて警察関係者だと短く答えると、これもまた何かを察したのか頷いてもう一度ウーヴェの頭を撫でた後、その手でリオンの頭も撫でていく。
 「・・・・・・」
 この年になって初対面の人から頭を撫でられることなどそうそうあるわけでも無い為、ただ驚いてウルリッヒを見つめたリオンだが、俺には理解出来ないことだがお前達が仲良くしているのなら良いことだと笑われて瞬きを繰り返す。
 「じゃあな、レオ、リッド。仕事仲間を待たせているから帰る」
 「おお。また家に来い」
 「そうだな。お前がキャンセルしたゴルフに行くぞ」
 「わかった」
 手を上げてテントを出て行く幼馴染みの背中を見送り、相変わらず賑やかなやつだと肩を竦めたレオポルドだが、リオンが呆然としていることに気付いて苦笑する。
 「驚いたか?」
 「・・・いや、親父の友人って皆あんな感じなのかなーって」
 ただ、自分の周りにはあまりいないタイプだから驚きはしたが不愉快では無いと、たった今感じた思いを口にすると、ウーヴェの手がテーブルの下でリオンの手を撫でる。
 「まあ、だいたいあんな感じが多いな」
 「・・・類は友を呼ぶってホントだったんだな」
 その呟きにレオポルドがどういう意味だとリオンを睨み、その言葉通りだとにやりと笑みを浮かべたリオンだが、急にメスィフへと顔を向けると、もしかしてお前の友人も同じかと笑い、メスィフが突然ことに驚いてしまう。
 「ま、まあ似ている、かな?」
 どちらかというと俺よりもリオンに似ている気がすると答えると、リオンではなくギュンター・ノルベルトやアリーセ・エリザベスが似た人などいらない、リオン一人で十分だと笑ったため、見事にリオンの頬が不満に膨らんでしまう。
 「何だよ、それー」
 「あなたはオンリーワンだということよ」
 「いや、それ絶対違うだろ。褒めてねぇよな、今の言葉」
 「ふふ、どうかしらね」
 アリーセ・エリザベスが目を細めてリオンをからかうように見つめると、がるるるるとリオンが獣よろしく吠えるが、彼女がからかっていることをリオンが気付いている為にウーヴェも横で笑って姉と恋人の言葉のキャッチボールを楽しむ。
 それを見ていたメスィフが本当に楽しい人だと笑ってビールを飲み、満足そうに溜息を吐いて天井を見上げる。
 テントの中は好ましい喧噪と音楽が満ちていて、年に一度のこの祭りを皆が楽しみにしていることを教えてくれていたが、そこに来ることが出来て良かった、本当に良かったと感慨深げに呟くと、ウーヴェがそれに答えるように小さく頷き、帰りの飛行機は何時だったと彼の顔を見る。
 「20時前のフライトでイスタンブールに行く」
 「そうか」
 「ああ。後もう少しで出ないといけないな」
 祭りというのはいつか終わりを迎えるものだが、それが見えてくると本当に寂しいし残念だと肩を竦めるメスィフにウーヴェが目を伏せるが、また次に来てくれれば良いと笑い、お祭りが好きならばビール祭りだけではなく他にも色々ある、それを楽しみに来れば良いと笑うと、メスィフの顔に喜色が滲む。
 「確かにそうだな」
 「ああ」
 この祭りはもう終わりを迎え日常に戻らなければならないが、祭りは何もこれだけでは無いと笑って頭に手を宛がうと、リオンも確かに楽しい祭りは他にも沢山あると笑う。
 「今度はお前の幼馴染みも一緒に来いよ」
 「ああ。あいつもビールが好きだから喜ぶだろうな」
 「良いな、それ」
 似たような笑みを浮かべて笑い合う二人を見ながらウーヴェが満足そうに息を吐き、それに気付いたギュンター・ノルベルトがもう十分に楽しんだかと囁きかける。
 「・・・うん。楽しかった」
 今まで騒々しいからと敬遠していたが、祭りの中に飛び込んでしまえば楽しいものだと笑ったウーヴェに兄も安堵の笑みを浮かべ、メスィフの飛行機の時間もあるからそろそろ出ようと家族に告げる。
 「空港へは中央駅からバスが出ているからそれに乗れば良い」
 「ありがとうございます」
 ギュンター・ノルベルトの言葉にメスィフが丁寧に礼を言い、今日は初対面の自分も交えて楽しい時間をありがとうございましたと一人一人の顔を見て礼を言うと、事件に関係する人物という思いから当初は皆いい顔をしなかったウーヴェの家族だったが、メスィフには関係が無いこと、彼とは友達になったのだから自分の友達を紹介したいだけだとウーヴェに説得されて今日ここに来ていたことを一切感じさせず、楽しんで貰えたのなら良かったと、客人を招待したホストの役目を果たせた安堵に笑みを浮かべたレオポルドに頷き、仕事の話をここでするほど無粋ではないが、あなたの会社を見習って自分が継いだ会社も大きくしていきたいと笑うと、歩き始めたばかりの若手経営者を励ますようにレオポルドが大きく頷く。
 「楽しみだな」
 「ありがとうございます」
 経営者として大先輩であるレオポルドの言葉はきっと己の成長の励みになると頷くメスィフに、輸入関係の会社ならばいつかどこかで会うことがあるだろうが、その時はよろしくとギュンター・ノルベルトが笑顔で手を差し出すと、メスィフも若干緊張しつつその手を取り、此方こそよろしくお願いしますと丁寧に頭を下げるが、テント内に流れていた音楽が変わりトランペットの音が鳴り響く。
 「まだビール残ってるよな?」
 「あと少しだけならな」
 トランペットに合わせるようにリオンが少しだけビールが残ったジョッキを片手に立ち上がり、それにつられたメスィフも残り少ないジョッキを手に立つと、アリーセ・エリザベスとイングリッドが諦めの溜息を吐くが、その横にいたミカも同じように立ち上がり、本当にどうしようも無いと肩を竦める。
 そのトランペットはテント内で何度も何度も吹き鳴らされるもので、それを聞く度に酔いが回った人達は立ち上がって大合唱になるのだが、メスィフが帰る時間が近づいているからか、リオンが周りの人達に率先する形で立ち上がる。
 さすがにウーヴェとギュンター・ノルベルトは立ち上がりはしないが、トランペットの後に流れ出したすっかり耳に馴染んでしまった歌を小さく歌い、乾杯のかけ声の後にジョッキを掲げる。
 「Prosit!」
 リオンとメスィフがジョッキの底をガチンとぶつけ、座って乾杯と笑みを浮かべるウーヴェのジョッキにも同じように底同士を触れあわせると、残り少ないビールを一気に飲み干す。
 「あー!楽しかった-!」
 「ああ」
 リオンの一言は皆の気持ちを代弁しているもので、乾杯の後のビールは美味いと満面の笑みで頷いたウーヴェは、リオンが腰を下ろすと同時にその耳に口を寄せる。
 「どーした、オーヴェ?」
 「・・・うん。ダンケ、リーオ」
 今まで敬遠してきたが本当に楽しかった来て良かったと告げると、リオンの顔にじわじわと笑みが浮かび上がり、ここが外で人目がある事を忘れたかのようにウーヴェをハグしその頬にキスをする。
 「お前が楽しんでくれたのなら良かった」
 「こらっ!」
 最近は外で手を繋ぐことならば恥ずかしがらずに出来るようにはなったが、まだまださすがにそれ以上のことについては羞恥が勝るのか、目尻のほくろを赤くしたウーヴェが調子に乗るなとリオンのしっぽを引っ張り悲鳴を上げさせる。
 「調子に乗るな!」
 「ごめーん!」
 二人にとっては恒例の、アリーセ・エリザベスにとっても馴染みのそれについクスクス笑ってしまった彼女は、メスィフがただ驚いたように見つめていることに気付いて片目を閉じる。
 「ね、こんなにうるさい人は一人で十分でしょ?」
 「確かに」
 二人が笑いそれが周囲の家族にも伝染して楽しく笑っているが、その笑いが自然と治まったあと、メスィフが楽しかったと再度口にしたのを合図に皆が立ち上がる。
 「タクシーで帰るか」
 「そうね。ウーヴェ、リオン、あなたたちはどうするの?」
 ここからだと実家に帰るよりも自宅に戻る方が近いだろうが、電車で帰るのかとイングリッドに問われて少し考え込んだウーヴェは、これから仕事を終えた人達の帰宅時間と重なるために電車が混み合うからタクシーで帰ると告げてリオンを見れば、それが良いと何度も頷かれて苦笑する。
 テントを出て残り少ない祭りの時を楽しもうとする人々でごった返す通りを抜け、出口と書かれた門を潜る直前、少し離れた場所で喧噪を通り越した大きな声が聞こえ、それが自分にとっては肌に馴染んだ空気をまとっていることに気付いたリオンがウーヴェに寄りかかるように背中から腕を回す。
 「重いっ!」
 「えー、ちょっとぐらい良いじゃん、オーヴェぇ」
 「うるさいっ!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら門を潜り、リオンだけが捉えられた肌が粟立つような感覚が遠のいたことに胸の裡で安堵するが、そんな様子を一切感じさせないで程なくしてやって来たタクシーにレオポルドらが乗り込むのを見送ると、路面電車で中央駅に向かうメスィフの肩を抱いて再会を約束する。
 「トルコに行ったらさ、案内してくれよな」
 「もちろん。イマームもきっと会いたがると思うから、此方に来ることがあればぜひ連絡をくれ」
 電話番号は教えているから大丈夫だろうと笑うメスィフに頷いたリオンは、短い間だったが友好を深めることが出来て良かったと笑い、今度はウーヴェがメスィフの手を握って気をつけてと別れの挨拶をする。
 出会いがあれば別れがある事も理解しているし、永遠の別れになるわけでは無いと分かっていてもやはり遠く離れた国に帰る友を見送る時は寂寥感が胸に満ち、言葉を詰まらせてしまう。
 「・・・ハシムの写真、ありがとう。家に飾っておく」
 「ありがとう、ウーヴェ」
 昨日取り壊しが始まっていた教会を後にする時にメスィフから受け取ったハシムが笑みを浮かべている写真だが、それは自宅リビングの暖炉の上に飾っておくと告げるとメスィフが嬉しそうに目を細めて握った手を上下に振る。
 「そろそろトラムが来そうだな」
 「・・・本当に、ありがとう、ウーヴェ」
 今回此方に来ることになった目的も無事に果たせただけではなくあなたに会えて直接話が出来たことは本当に良かったと頷く異国の友にウーヴェも頷き、手紙を書くことを約束して手を離すと、中央駅に向かうトラムがちょうどやってくる。
 「じゃあ、また」
 「また」
 笑顔で手を振ってトラムに乗り込む背中を見送った二人だったが特に何かを話すでも無くトラムが見えなくなるまで見送ると、今度は自分たちが乗るためのタクシーを探すために会場とは逆方向へと歩いて行くが、ふと足を止めたウーヴェがリオンの背中に呼びかける。
 「さっき何かあったのか?」
 「さすがはオーヴェ。気付いていたか」
 「ああ。・・・エリーはああ言っていたが、お前が外であんなことをしてくることは滅多に無いからな」
 ウーヴェがいれば飛びつき抱きつきキスをしまくるイメージを皆がリオンに対して持つのだが、意外なことに家を一歩出ればそんな行為をリオンがすることはあまり無かった。
 手を繋ぐぐらいはするが、それ以上の過剰なスキンシップはティーンの頃に卒業したといつだったか昏く笑いながら教えられたことがあったウーヴェは、そのことを思い出しつつ何かあったのかと問いかけるとリオンが目を細めて太い笑みを浮かべたため、言うつもりがないことを察し、少しだけ唇を曲げて拳をリオンの腰に押しつける。
 「いてっ」
 「うるさいっ」
 「なー、オーヴェ」
 「何だっ」
 ちょうど路肩で客待ちをしているタクシーをリオンが発見し運転手に行き先を告げて乗車拒否をされなくて良かったと笑いながらウーヴェと一緒に後部シートに乗り込むと、タクシーが交通量の増えてきた道へと進んでいく。
 「楽しかったな、ヴィーズン」
 「・・・そう、だな。楽しかったな」
 ただ、来年は行くかどうかは分からないと先に釘を刺すとリオンの顔が途端に情けないものに変化をする。
 「えー、良いじゃん、行こうぜ」
 「考えておく」
 「オーヴェのケチ!」
 後部シートで何とかも食わないと言われる口論を始めた二人だったが、ルームミラーで運転手と目が合ってしまい、ウーヴェが咳払いをしてリオンの腿を拳で押さえる。
 「お祭り、楽しかったですか?」
 「もー、最高!毎日がお祭りだったら幸せなのになー」
 運転手の言葉にリオンが笑顔で答え、どうして毎日祭りをしてくれないのかと不満を訴えるが、信号待ちをしているタクシーの車窓から、路地の壁に手を突いてふらふらと歩く赤ら顔の男女らを見てしまうと、毎日がこれだとさすがに嫌だと頭を振る。
 「今年もビールの死体が大量にできあがったみたいですね」
 「本当に」
 制服警官も大変だと肩を竦める運転手に二人も同意を示すように頷くが、それ以降は運転手が話しかけてくれば答えるだけで二人の間に会話らしいものはなかった。
 ただ、運転手がミラーでちらちらと見ていることに気付いていたが、タクシーを降りる直前まで二人は繋いでいた手を離すことは無く、また支払いを済ませて自宅アパートのエレベーターに乗り込んでからも繋いだ手はそのままにしているのだった。

 

 やっぱり祭りは楽しかった、毎日がお祭りだったら良いのにな。
 そんな浮かれた声が一つのデスクを中心に部屋中に舞い上がり、周囲の仲間達が頭痛を堪える顔になっていた午後、一週間ほど前に念願のヴィーズンに初めてウーヴェと行けたことから陽気さ全開の鼻歌を歌い書類仕事に取りかかれることは幸せだ、事件が無いことは本当に良いことだとも笑うが、見るに見かねたらしい彼らの上司が部屋のドアを開け放つと同時に浮かれている男の名を叫ぶ。
 「リオン!いい加減にしろ!」
 祭りだ祭りだとうるさい、しかもその祭りはもう閉幕して日常に戻っていると叫ぶと、椅子ごと振り返ったリオンが不気味な笑みを浮かべて上司を見る。
 「楽しかったんだから浮かれてもいいでしょうがー。行けなかったからって八つ当たりするなよな」
 「お前はどうしてそう減らず口ばかりを・・・・・・!」
 上司が強面の顔を赤くして更に怖さを増すが、その顔に全くの恐怖を感じることもないのか、クランプスが赤くなったところで元から赤黒いのだから何ともないと笑い、取りかかっていた書類を差し出すが、その書類を受け取る代わりに部下のブロンドのしっぽを鷲掴みにしたヒンケルは、途端に上がる悲鳴を無視して己の部屋に引きずり込む。
 「ぎゃー!痛い痛いっ!クランプスに食われるっ!誰か助けてっ!」
 「少しぐらい食われても問題ないから行ってこいー」
 結局今年も愛妻とビール祭りに行けなかったことから八つ当たり気味に声を上げたのはコニーで、実は浮かれたリオンの被害を最も被っているのだと態度で教えるように呟き、マグカップを軽く左右に振って涙目になるリオンを笑顔で見送ると、ああ、これでようやく静かに仕事が出来ると皆の気持ちを代弁しながら凝り固まった肩を解すように回す。
 「・・・・・・ドクとヴィーズンに行けたことがよほど嬉しいのね」
 リオンの喜びように一定の理解を示しつつもうるさいと溜息を零したダニエラにコニーも理解しているがあれは酷すぎると肩を竦め、今のうちに書類を片付けようとヴェルナーが笑うとマクシミリアンも静かに同意を示す。
 リオン一人がいなくなるだけで途端に静まりかえる刑事部屋だったが、その中で他の刑事達は急いで仕上げる必要がある仕事に全力を傾けるのだった。
 己がどのように仲間達から思われているのかなど気にも留めていないリオンがヒンケルのデスクの前に丸い椅子を置いてくるりと回転するのを、ヒンケルが呆れた顔で書類越しに見つめる。
 「お前に誤字脱字のない書類を提出しろと言うのが間違いだな」
 「そーですね。ドイツ語は難しいですからねー」
 ドイツ人が文法的に間違いを犯したときに良く言われる言葉をさらりと返し、ヒンケルの一睨みを椅子を回転させることで躱したリオンだったが、ドクは落ち着いたのかと問われてぴたりと動きを止める。
 「・・・その、もう事件については・・・」
 「Ja.オーヴェの親父の家でずっと寝泊まりしてたんですけどね、その時にちゃんと向き合おうって話をして、オーヴェもすげー頑張ってました」
 その最中の様子を話すことは控えるが、ウーヴェだけではなく家族皆が辛かった思いを吐露しあった結果、以前とはまた違った形の仲の良さになると笑うと、ヒンケルの顔に安堵の笑みが浮かび、それを見たリオンの顔にはにやりとした笑みが浮かび上がる。
 「心配してくれてありがとうございます、ボス」
 「・・・ロルフが関わった事件だったし、ビアンカも気にしていたからな」
 だから気になったのであってそれ以上でもそれ以下でもないと若干照れつつ口早に告げるヒンケルを珍しい物を見る目つきで見つめたリオンは、クランプスが照れてる気持ち悪いと減らず口をたたくが、横目で睨んでくるヒンケルに肩を竦めた後、もう一度ありがとうございますと今度はウーヴェの為に礼を言う。
 「事件の影響はどうしても残るでしょうが、悪い方に出ないようにしようと昨日も話してました」
 「そうか・・・・・・あの教会から結局ハシムを連れて帰ったんだな?」
 「Ja.メスィフがドイツに来たのも結局はそれが目的でしたからね。でなきゃ二十年以上もたってる棺桶を掘り起こそうとしますか?」
 事件の関係で墓を掘り返すことになったとしても、自分ならば断固拒否したいと、ウーヴェの前では気遣って絶対に言わなかったが、二十年も埋めていた棺桶を掘り起こすのだから色々大変だと思うと肩を竦めるリオンにヒンケルも同意の頷きをし、ただ、それをしても連れて帰りたいと、半月以上も前に申し出てきたトルコ出身の青年の横顔を思い浮かべつつ顎の下で手を組んだヒンケルは、それでドクの気持ちも済んでヴィーズンを楽しんで来たのかと口角を上げると、リオンの顔に日の光が差したかのような笑みが浮かび上がる。
 その顔を見てしまえば怒る気持ちも起きず、もしかするとウーヴェはこんな所に惚れたのだろうかとぼんやりと思案してしまい、何を考えていると頭を振ると、途端にリオンの減らず口が飛んでくる。
 「クランプスが百面相してるぜ、気持ち悪ぃ」
 「お前、その口一度塞いで貰うか?」
 「俺の口を塞ぐヒマがあるならもっと悪いやつを背中のカゴに放り込んで地獄に行けっての」
 減らず口に更に減らず口で返すリオンに最早何も言わなかったヒンケルだが、長年苦しんでいたことから解放されたことは本当に良いことだと小さく呟くと、それに対しては減らず口などではなく本心から頷いて、これで夢に魘されることも無いだろうし、またあったとしても総てを聞き出した後だから俺でも対処出来ると伏し目がちに呟いたリオンは、ハシムの棺桶と対面し気持ちの整理も付いたはずだし、つけられない程弱い男ではないと、これからも一緒に前を向いて歩んでいく恋人がしなやかな強さを備えていることを疑わない顔で頷くとヒンケルも小さく頷く。
 「まあ、何にしろ区切りが付くのは良いことだ」
 「ですね」
 そう二人で結論づけた時、ヒンケルのデスクが着信を告げたためリオンが部屋を出ようとするが、受話器を耳に当てたヒンケルの顔が一瞬で険しいものになったことから事件が発生したのだと気付き、楽しかった祭りを思い出して浮かれる気分はもう終わりだと表情を切り替えるが、受話器を戻したヒンケルが考え込んだため、デスクに両手をついて上司の頭を見下ろす。
 「ボス?」
 「・・・・・・リオン、あいつの行方が分かったそうだ」
 「あいつ?」
 上司の言葉の真意が分からずに首を傾げるリオンだったが、ヒンケルが口を開くよりも先に何かに気付いたのか、デスクに付いた手を握りしめ、どちらの行方が分かった、どこにいると口早に問いかける。
 「祖父の看病に行くと言っていただろう?イタリアにいたそうだ」
 「確か祖父ちゃんはフィレンツェ出身だって言ってましたよね?」
 「そうなのか?」
 「Ja.何かの話をしていた時に、俺の祖父はフィレンツェ出身でソレントにはいないと言ってた気がします」
 そのイタリアでようやくその影を追えたのかとリオンが椅子に再度腰を下ろすと、ヒンケルがたった今もたらされた情報をメモに書き殴る。
 「ようやく居場所を突き止めたそうだ。ただ、確保にまでは至っていない」
 「逃げ足速いからなぁ、あいつ。で、その情報は誰からですか」
 「ブライデマンだ」
 「・・・ちゃんと約束を覚えていてくれたんだな」
 「まあな」
 ブライデマンといういけ好かないBKAの刑事がこの街にやって来て加わった事件の結末はリオンを含めここの刑事達にとってやるせない思いを未だに感じさせる悲しいものだったが、その中で仕事を離れればいけ好かないブライデマンも嫌いではないことを皆が認識をし、それ以来不定期に連絡を取ってはいたのだが、あの事件のキーマンであり未だに逃走している元刑事仲間のジルベルトの情報を集めては伝えてくれていたのだ。
 そのことに感謝の思いを素直でない言葉で伝えたリオンだったが、影を追えたのなら今度は本体を捕まえるだけだと掌に握った拳を当ててにやりと笑みを浮かべるが、ヒンケルの顔に浮かんだ心配の色を読み取って安心させるような太い笑みに切り替える。
 「大丈夫ですよ、ボス。あいつを追いかけすぎて刑事を辞めなければならなくなるようなことはしませんって」
 「・・・・・・まあ、な。お前はどれだけふざけていてもその辺は割り切れる男だからな」
 だから安心しているが何かが不安なんだと呟くヒンケルにリオンが肩を竦め、ジルベルトの行方も気になるがロスラーの行方はどうなんだと問いかけ、そちらに関してはドイツ国内にいるらしく、確保も時間の問題だとブライデマンが語気を強めたことを伝えると、皆にそれを伝えてきますと頷いて立ち上がる。
 「今日は事件が無ければ良いのになー」
 「うるさい、真面目に働け」
 「えー、やってますってー」
 その軽口がいつも通りでヒンケルには頭痛の種だったが、早く席に戻れと手を振ってリオンを追い払った後、ロスラーとジルベルトの行方が分かり確保出来れば、リオン自身の中で終わりを迎えていなかった事件について大丈夫と言えるようになるのだろうかと、部下の気持ちを慮って溜息をつくが、ガラス越しに見える広い背中からはそんな悲哀など一切感じることが出来なかったため、無駄なことは考えないでおこうと苦笑するのだった。

 

 今日も一日頑張った、だから褒めてくれと電話で明るく捲し立てられてただ苦笑したウーヴェは、リビングの暖炉の一画に目を向け、写真そのものは古いがその場所に一番最近やって来たハシムの写真へと顔を向け、罪悪感を感じること無く見られるようになったのは本当に嬉しいと改めて気付いて写真立てを手に取る。
 遠い過去や今でも見る夢の中では悲しい最期を迎えた姿でしか思い出せないが、いつかリオンに言われたように、この写真のように笑っている顔を思い出そうと決め、写真立てを撫でる。
 メスィフからは無事に自宅に帰り着いたことと、ビール祭りに一人で参加したことがかなり気に入らなかった幼馴染みのイマームの機嫌をとるのに毎日食事に付き合ったり映画に行ったりと大変だったことを教えられたと写真に笑って伝えると、ドアベルが盛大に鳴り響く。
 この家に帰ってきたとき、ウーヴェがいれば鍵を開けてくれと、その行為に様々な思いを込めて囁かれたときからの決まり事の為、長い廊下の先にあるドアを開けると、やっと開けてくれたと笑いながらリオンが腕を伸ばしてくる。
 背後で閉まるドアを気にも留めずにウーヴェに抱きつき、今日も一日頑張ったと電話口と同じことを告げると、ウーヴェがリオンの腰に腕を回して頑張った恋人を褒めるために頬にキスをする。
 「お疲れさま、お帰り、リーオ」
 「うん。ただいま、オーヴェ」
 廊下で抱き合って互いを労った二人だったが、食事の用意がまだなので先にシャワーを浴びてこいとリオンの背中を撫でてキッチンに向かったウーヴェは、ハンナが残していってくれたレシピを参考にスープを作り、チキンのハーブ焼きをオーブンから取り出す。
 それらを壁に接するように置いた小さなテーブルに並べたとき、短パンと首にタオルを引っかけた姿でリオンがキッチンにやってくる。
 「髪を乾かしてこい」
 「大丈夫だって」
 それよりも早くハンナ直伝のスープとベルトラン仕込みのチキンを食べさせてくれと笑って肩に顎を乗せてくるリオンに溜息を一つ吐いたウーヴェだったが、ビールはどうすると気分を切り替えるように問いかける。
 「今日はピルスが良いな」
 「パントリーから二本出してきてくれないか」
 ビールは冷蔵庫で常に冷やしているよりも常温で飲む方が二人とも好きなため、パントリーには常温で保存できる食材などが収められていたが、その中からビールを出してきてくれとリオンの頬にキスをしてお願いをすると、唇に小さな音を立ててキスをしたリオンが鼻歌交じりにキッチンからパントリーに向かう。
 テーブルにすべての料理を並べてもリオンが戻ってこないため、パントリーで何をしているんだと声をかけつつ廊下に出ると、リオンがここにいるとリビングから声をかける。
 「リーオ?」
 「うん・・・この写真さ、すげー良い顔してるなぁって」
 リオンがボトルを片手に持ったまま顔を振り向けて笑ったことに訝りつつも、どの写真のことを言っているのかを察したウーヴェがその肩に甘えるように首を傾げて頬を宛がうと、空いた手がウーヴェの髪を優しく撫でる。
 二人の前にあるのはウーヴェが先程撫でていたハシムの写真で、思い出すならこの顔にしようと決めたことが間違いでは無いほどの笑みを浮かべていた。
 「そう、だな」
 「これからさ、もし夢に見たとしてもこの顔を思い出せるよな」
 リオンの言葉が己の思いと同じ場所から発せられている気がし、リオンの腰に腕を回してしがみつくように抱きしめたウーヴェは、宥める代わりに背中を撫でられて無意識に安堵の吐息を零す。
 「な、オーヴェ、もう夢は見ないか?」
 「・・・ああ。前ほど酷い夢は見なくなった」
 「そっか」
 それは本当に良かったと笑って己の髪に口付けるリオンにくすぐったそうに顔を顰めたウーヴェは、この写真がここで見守ってくれているから大丈夫だと笑うが、実家からアルバムが届いたことを思いだし、ハンナとヘクターの写真もここに飾ろうとも笑うとリオンが賛成の声を上げる。
 「それ良いな」
 「ああ」
 ハンナとヘクターの名前が出たことから食事の用意が出来ていることを思い出したのか、リオンの腹が見事な音を立ててしまい、二人顔を見合わせて拭きだしてしまう。
 「早く食おうぜ、オーヴェ」
 「ああ、そうしよう」
 互いの腰に腕を回したままリビングからキッチンに向かい、二人並んでテーブルに着いて互いのグラスにビールを注いだ後、ウーヴェがリオンに掌を向ける。
 「どうぞ召し上がれ」
 「ダンケオーヴェ!」
 それも二人で様々な出来事を乗り越える中で自然と出来た決まり事で、その一言がないと決して食べなくなったリオンにウーヴェが満足するまで食べろと笑みを浮かべ、幼馴染みが教えてくれた料理を二人で食べ始めるのだった。

 

 二人が自然と賑やかになる食事をしているのを、リビングの暖炉の上に居場所を定めたハシムが過去から嬉しそうな顔で笑いながら見守っているが、その後、ハンナとヘクターの写真もそこに並ぶようになり、二人が仲良く時にはケンカをして背中合わせになったりすることを穏やかな顔で見守り続けるのだった。

 

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2016.12.19
最後までおつきあい下さり、ありがとうございました!


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