ウーヴェとその家族が互いを守りたい一心で胸に秘めていた思い、それをリオンが半ば強引にこじ開けた結果、以前とはまた違う関係の一歩を踏み出した。
長い長い夜を越えて迎えた朝は驚くほど昨日の朝と変わらない日で、ウーヴェの目の不調が治るわけでもなかった。
ただ、それでもいつか必ず良くなる確信を何故か持っていたリオンは、ハンナの朝食を満足げに食べてウーヴェとハンナに感謝感激雨あられとキスの雨を降らせた後、AMGを借りて出勤したのだが、そんな日が二日ほど続いた日の夕方、珍しく事件が無いことで定時に帰れると刑事連中が喜んでいた時、リオンの携帯にウーヴェから連絡が入った。
その声に浮かれ気味に返事をし、聞かされた言葉に驚愕の声を上げたりしたが、了解した証に携帯にキスをし、それを見ていた同僚達のブーイングを一斉に浴びてしまう。
リオンが同僚達の愛情溢れる罵声を浮かれ気分の背中で跳ね返しながら職場を後にし、ウーヴェからのお使いを果たすために向かったのはゲートルートで、店の前は先日同様に早めの食事をするための客が多く、路地にまで人が待っている状態だった。
その様子を横目に、ウーヴェから借りているAMGを少し離れた路地に停めたリオンは、店内の様子を窓の外から窺っているが、カウンターの奥で忙しく動き回っている店員が気付いたのか、程なくして店の裏手に回ることの出来る路地から名を呼ばれて手招きされる。
「キング、こっちだ!」
「ベルトラン、準備は出来てるか?」
こんなに忙しいのにあんたが店を離れて良いのかよとつい客の目線で呟き、ジーンズの尻ポケットに手を突っ込んだリオンだったが、荷物を持ってくれと言われて我に返り、勝手口から運び出される段ボールを当たり前の顔で受け取ると、こんなことなら車を横付けにすれば良かったと後悔の言葉を口にする。
「車はどうした?」
「ん?あそこに置いた」
少しだけ離れた場所に置いた車を顎で示したリオンにベルトランがスパイダーではないことに気付き、少しだけ待っていろと告げて店に戻ると、台車を押して戻って来る。
「AMGなら多少の大荷物でも平気だな」
「一番嵩張るのは俺かベルトランだな」
台車に荷物を載せ直し石畳の上をガラガラと荷物を運んで車に積み込んだ二人だったが、ベルトランがもう一度店に戻ったかと思うと勝手口から顔を出し、この店を始めた時からの右腕である誠実さと人の良さが最大の長所のライナーに後を頼むと手を上げ、新しく入って来た料理人にも目で合図を送るとそそくさと店を後にする。
「じゃあ行くか」
「ん、分かった。それにしても、良くこの忙しいときに休む気になったな」
ここからさほど離れていない場所で開かれているビール祭り、そこで一杯飲んだ後に店に来る客や入れなかった人たちがゲートルートにやって来ている様をルームミラーで確かめながら問いかけたリオンは、新しい料理人を雇ったがその腕前をはっきりと確かめたい、それをするには一番忙しいときが良いと肩を竦められてそんなものかと返すが、後部シートに置いた荷物を振り返った彼になるべく安全運転で頼むと伝えられると、了解の合図に口笛を吹く。
ゆっくりと進み出した車の助手席でベルトランが携帯を取りだし、どうやら店に電話を掛けているようで、運転に集中しているリオンの耳には片言の単語しか入って来なかった。
「チーフ?急なことで本当に悪いな」
『大丈夫ですよ。ディックの腕前を確かめるチャンスですし』
「お前にそう言って貰えると助かる」
『ウーヴェにお詫びの品を楽しみにしてるって伝えておいて下さい』
「ああ、分かった。じゃあ後はいつも通り頼む。あまりに客が多かったら適当に帰せ」
自分が休みの時には後を託せる唯一の存在であり、やはり今でもベルトランの右腕であるチーフことライナーにウーヴェが急に呼び出したことを詫びるが、ベルトランに負い目を感じさせないような明るい声で大丈夫と返されて安堵し話を終えると、さっきとは打って変わった口調でリオンを呼ぶ。
「キング」
「ん?何だ?」
リオンの癖で優しく問われればそれなりに優しく返すが厳しい声で問いかけられると条件反射的に厳しい声を出してしまうというのがあるが、今もベルトランの声に厳しく返してしまうと、ベルトランが己のそれに気付いたのか、咳払いをした後、詳しい話をあいつは教えてくれなかったがどういうことだと問われて目を瞬かせる。
「・・・俺もさっきベルトランをテイクアウトして来いって言われただけなんだけどな。オーヴェ、なんて言ってた?」
「詳しいことはこっちで教える、リオンと一緒におじさんの家に来いと言われた」
おじさんの家、つまりはウーヴェの実家だが、そこに行けば総てが分かるが料理はいつかの様にお前達二人分ではなく、十人分近く用意しろと言われたため、それでは出張料理になってしまうと呆れたベルトランに、電話越しにウーヴェが遠い昔に聞いた覚えがある声でバート頼むと伝えたのだ。
その声を聞いて断れるベルトランではない為、だから今夜は店をチーフと新入りに任せることにしたと呟くと、リオンが呆れたような顔で溜息を零す。
「オーヴェがそう言ったのならさ、もうちょっとだけガマンしてくれねぇかな」
「キング?」
「・・・俺から聞かされるよりオーヴェから聞いた方が良いと思う」
だからこの道中何も聞かないで、出来る事ならばこの後食べさせて貰える料理についての話だけにしてくれと、微苦笑混じりに告げられて軽く驚くベルトランだったが、その雰囲気や電話口でのウーヴェの様子から悪いことではないだろうと何となく想像し、それならばこれから作る料理だが、お前に手伝って欲しいとベルトランがリオンを見ると、見るからに嫌そうな顔でそっぽを向かれてしまい、ぽかんと口を開けてしまう。
「えー、俺、食うだけの人だからなー」
「・・・ケーゼシュペッツレを作ろうと思っているんだけどな。好きなだけエメンタールを掛けても良いと言おうと思っていたんだけどな」
「あ、うそうそ。前言撤回。手伝う手伝う」
だから好きなチーズ料理を食わせてくれ、好きなだけ食わせてくれと今にもベルトランに向き直りそうなリオンに前を見ろと短く叫んだベルトランは、鶏の丸焼きとシュペッツェレと後はウーヴェ専用のリンゴのタルトだなと、シートベルトを握りしめながら告げ、手伝いをするからどれも食わせて欲しいが、リンゴのタルトはやはりウーヴェ専用であってメニューにも載っていないのはそのせいかと問われ、目を丸くする。
「ああ。そうだな。ガストハウスで甘いものが欲しくなるのも分かるが、俺は菓子については専門外だからな」
ただ、ウーヴェのためにリンゴのタルトを焼いてやると言うことだけはあの店を開くときに決めていたのでそれを今でも守っているだけだと笑うと、リオンが少しだけ考え込むが、本当に俺のダーリンは皆から愛されていると目を細める。
その横顔からベルトランが感じ取ったのは嫉妬などの負の感情ではなく、そんな人から愛されている己が幸せであるという思いで、ベルトランが先ほどの願いを叶えられなくて悪いと断りつつどうしても気になることをその横顔に問いかける。
「キング、・・・あいつ、おじさんの家にいるけど・・・その・・・」
辛くないのかと何故か躊躇いつつ問いかけると、リオンの蒼い目がちらりとベルトランに向けられ、信号が変わったことからタバコを取り出して火をつける。
「・・・俺が言えるのは一つだけ。オーヴェは皆から愛されてる特別な子どもだったけれど、今もそうだしオーヴェ自身も家族を特別に思っていたってことだけだな」
「おい?」
「それ以上は俺からは言えませーん」
聞いたとしても口を割らないからあと少しだけガマンしてくれと悪戯っぽく目を細めてアクセルを踏んだリオンは、家に着けばチーズを下ろせば良いのかと己の前言を守るように料理の話やゲートルートに新しく入ってきたディックと呼ばれる料理人のことについてあれこれ聞き出し、ベルトランもその話に付き合うしかないのだった。
ベルトランがウーヴェがギムナジウムへの進学を機に離れてしまった屋敷の前にやってきたとき、懐かしさのあまり窓に額を押しつけてしまうほどだった。
「あのベル・・・まだ付けてくれてたんだな」
「ん?」
ベルトランの感慨深い独り言にリオンが首を傾げてどうしたと問いかけると窓を開け、屋敷の規模にふさわしい立派な門柱の下の方にある古びたベルを指さす。
「あれだ。あれは俺がガキの頃、ここに遊びに来たときにベルを押せないって泣いた事があってな」
その時、レオポルドがすぐさま家人に何事かを命じたのだが、泣いたことをすっかり忘れていた頃、いつものように遊びに来たベルトランが見つけたのが、まだ幼い彼でも十分手の届く場所に新しく作られたベルだったのだ。
それ以来、背の低い場所にあるベルはベルトラン専用で、一般の客人達は今リオンが押そうとしていたベルを利用していた。
「じゃあさ、今も使えるかどうか分からねぇけど、押してみたら?」
「そうだな」
だが、あの当時背の低い己がちょうど良かった高さは今ではすっかり低すぎて、しかも車高の高い車からでは押すことは出来なかったため、ドアを開けて降り立ったベルトランは、幼い頃の気持ちを思い出しながらそのベルをぐっと押す。
そのベルが動いているのかどうかなど、もちろん家の外にいるベルトランに分かるはずはなかったが、程なくして門がゆっくりと内側に開いたため、リオンが運転席の窓から身を乗り出して早く乗れとベルトランを呼ぶ。
「開いたな・・・」
「そのベル、まだ生きてたんだな」
「ああ」
ウーヴェがギムナジウムへの進学を決め、一人でこの家を出たとき以来ベルトランも己の夢のために家を離れて料理人の元で下積みを始めたため、一体何年ぶりになると感慨深げに呟き助手席に乗り込んでドアを閉めると、リオンがゆっくりと車を走らせる。
まっすぐ伸びる道を進み円形の噴水を回り込んで車を停めると階段の上にある背の高い扉が片方だけ開いていて、そこにいる懐かしい顔にベルトランの顔が子ども時代に戻っていく。
「ギュンター!」
「久しぶりだな、ベルトラン」
階段の手すりに手を突いて見下ろしつつ笑みを浮かべるギュンター・ノルベルトにベルトランが駆け寄って手を出すと、子どもの頃良くされていたように頭に手を載せられ、お前の店の話を耳にする度に自慢したくなったと笑われると、さすがに照れるのか顔を赤くしたベルトランがそんなことはないと笑みを浮かべるが、その背後に誰かがいることに気付いて身体の横を覗き込むように顔を突き出し、そのままの姿勢で固まってしまう。
「・・・早かった、な、バート」
「・・・ウー・・・?」
「ああ」
忙しいのに急に呼びつけて悪かったが、どうしてもお前の料理をここで皆と一緒に食べたかったんだと、昔を思い出させる顔でウーヴェが小さく笑い、奇妙な姿勢のまま固まる幼馴染みに目を瞬かせるが、ギュンター・ノルベルトのシャツの背中を軽く引っ張ってどうしようと問いかける代わりにその目を見る。
「ベルトラン?」
「え、いや・・・。なあ、ウー、お前、もしかして・・・」
「・・・ああ。ノルや父さん、と・・・」
和解をしたと言うのも変な感じだが、事件以前と同じではないがまた違った形でこれからも前のように仲良くしていきたいと思うと告げると、ベルトランが胸に溢れる思いを言葉にしようと口を開閉させるが、出てきたものはただの吐息だけだった。
何を言おうとするのかは分からないが何かを言いたいことだけは誰の目にも分かった為、ギュンター・ノルベルトが再度ベルトランの頭に手を載せ、お前にも今まで心配を掛けたがこれからはフェリクスだけではなく俺たち家族のことも頼むと笑い、あの頃ベルトランが毎日見ていた仲の良い兄弟の姿をまた見られるのだと教えると、ベルトランの鳶色の目が限界まで見開かれたかと思うと、その目玉が流れ落ちるのではないかと心配になるほどの涙があふれ出す。
「バート・・・」
「・・・っ・・・良かった、良かったなぁ、ウー」
「・・・うん」
大粒どころではない涙を流し、己のことのように喜んでくれる幼馴染みに素直に頷いたウーヴェは、ベルトランの背中に腕を回して抱きつくと同じ強さで背中を抱かれ、いつかもこんなことがあったと思い出す。
あれはウーヴェが家に戻ってきた直後、ようやくベルトランが面会をしても良いと親から許可されて遊びに来たとき、ベッドで日がな一日天井を見上げるだけのウーヴェを目の当たりにして辺り憚らずに今のように大泣きしたのだ。
それを思い出したウーヴェがあのとき出来なかったことが今なら出来るとも気付き、ベルトランのシャツをぎゅっと握りしめると、その肩に額を押しつけて今まで心配を掛けて悪かった、いつも傍にいてくれてありがとうと礼を言う。
「・・・ダンケ、バート。お前がいてくれたから・・・」
あの事件の後も、ここを離れて一人になった時も、離れてはいたが夢に向かっていることだけは手紙や電話で話し合っていたために頑張れた、お前がいたからだと背中をきつく抱きながらくぐもった声で再度礼を言ったウーヴェに、ベルトランが盛大に鼻を啜りながら照れたような笑みを浮かべる。
「・・・玄関先で泣いていると母さんやエリーがまた心配するぞ。早く中に入ればどうだ?」
それに、階段下から地獄の蓋が開きそうな気配が伝わってきていると手すりから身を乗り出して階段下を見下ろしたギュンター・ノルベルトは、泣きながら抱き合う幼馴染みに若干呆れつつ告げると、リオンの存在を思い出したウーヴェが慌ててベルトランから離れ、階段を下ることももどかしいように身軽に手すりを飛び越えて驚くリオンの前に降り立つ。
「おわっ!」
「リーオ、お疲れさま」
「あ、ああ、うん。今日も頑張ってきた」
「うん」
突然降ってきた恋人に驚きつつもいつものように労われ、これもまたいつものように頬ではなく唇にキスをされて怒りを霧散させたリオンは、ベルトランと食材を運んできたから美味いメシを食わせてと笑ってウーヴェを抱きしめる。
「ケーゼシュペッツレを作ってくれるって言ってた」
「じゃあチーズが沢山いるな」
「うん。だから俺にも手伝ってくれって言ってたけどさ、ここの家の料理人の方が絶対上手いし手際も良いよなぁ」
ウーヴェのキスにキスを返したリオンが何かに気付いたように肩を竦めるが、確かにそうだとウーヴェが笑いながら腰に手を回し、荷物を運ぶ必要があるから人を呼んで欲しいと苦笑されてその頬にキスをする。
「ベルトラン、荷物は後部座席にあるもので全部か?」
「あ、ああ」
ウーヴェならばまだしも、ギュンター・ノルベルトとリオンの前で大泣きしてしまったことは大層恥ずかしいことに思えたのか、ベルトランが腕で顔を拭った後、自らも荷物を運ぶために階段を下り、呆れ顔のリオンとなるべく顔を合わせないようにそそくさとドアを開けて荷物を運び出す。
「ここに来ると色んな人が大泣きする顔を見られるから面白いなぁ」
この数日、ウーヴェを筆頭に何人が大泣きしたりしたんだろうと笑うリオンを、ウーヴェがごほんと咳払いをして眇めた目で睨むように見つめる。
「・・・悪かったな。ケーゼシュペッツレは要らないんだな、リーオ」
「え、うそうそ。ウソに決まってるだろ?面白いなんて思っても口にしないって」
たった今面白いと言ったその舌の根も乾かないうちに己の好物を食べるために前言を翻したリオンを呆れた顔で見た幼馴染み達だったが、美味しいものを食べさせてくれるのを楽しみにしていると笑うギュンター・ノルベルトにも荷物を手渡し、廊下の中で早く入って来なさいとイングリッドに呆れた溜息をつかれるのだった。
古くからバルツァーの屋敷に勤める家人はベルトランがウーヴェの幼馴染みであることを知っているが、それ以外の人たちにとって彼は街でも有名なガストハウスのオーナーシェフとして知っている為か、ベルトランが食材を運んで立派なキッチンに入ったとき、料理人がベルトランの知己を得ようと挨拶に来るほどだった。
予約が取りにくくあるガストハウスに成長しているゲートルートだが、そのオーナーがまさかその存在をこの家では感じ取ることすら出来なかった末っ子の幼馴染みだとはと、家人の中でも驚きを持って受け入れられていたが、料理の準備を始めたベルトランの周囲に一種異様な緊張感が漂い始める。
長年ここに暮らす人たちの胃袋を守り続けている料理長が今日はあなたの料理を食べるのを楽しみにしていると笑うと、ベルトランが幼い頃とまったく変わっていない顔で俺はハンナやおばさんのお菓子をたらふく食って育ってきたが、食事に関しては分からないからあなたに教えて欲しいと、謙遜でも嫌味でもなく当たり前のように告げて手を出すと、料理長が感心したように一つ頷くが、運ばれてきた食材を見て何を作るかの見当を付けたらしくてきぱきと指示を出していく。
その的確さにベルトランが口笛を吹いて感嘆していると、ウーヴェがそっとキッチンのドアを開けて入って来る。
「ベルトラン、今日はケーゼシュペッツレと鳥の丸焼きだな?」
「ああ。良いマッシュルームが手に入ったからそれもスライスして載せようか。他に食いたいものはないのか?」
シェフの姿に変身した幼馴染みの問いかけにウーヴェが少し考えるように顎に手を宛がい、ケーゼシュペッツレはリオンに食べさせるがクヌーデルが食べたいと素直に告げると、ベルトランの顔に一瞬思案する色が浮かぶが、次いで満面とはこのことだと言いたくなる程の笑みが浮かぶ。
「中に何か入れるか?」
「ベーコン」
「分かった」
「・・・今日、泊まって帰るだろう?酒は何が良い?」
ウーヴェのリクエストに応えようと料理人が顔を合わせて材料を確認するのを横目に、リクエストの依頼主が作業台の端を撫でつつ控え目に問いかけると、ベルトランがキングはどうするんだと逆に問い返し、あいつは最近ずっとここから出勤していると答えられて素っ頓狂な声を上げる。
「は!?ここから通ってるのか!?」
「ああ。あの家で一人で寝るのはイヤだそうだ」
「キングじゃなくてお前がイヤなんだろ、ウー?」
リオンがこの家から職場に出勤していることに驚いたベルトランだが、ウーヴェの顔を見る限りではリオン一人が不満を訴えているのではないことに気付き、にやりと笑みを浮かべると、ウーヴェのターコイズ色の双眸が眼鏡の下で細められる。
「・・・うるさい、ぽよっ腹。お前のためにフランケン産のワインを開けようと思っていたけどナシだ」
「ちょ、お前、それ反則!ちょっと図星だからって拗ねるなよ」
だからフランケン産ワインを飲ませて欲しい、それと可能なら食後にみんなでリンゴのタルトを食べながらブランデーかバーボンを飲もうとも誘うと、酒を飲むのは構わないがタルトはダメだ一人で食べると笑われ、まったくこのワガママ男はと呆れた様に溜息をつくが、背後で作業に取りかかっていた人たちの間にクスクスと笑い声が広がり始める。
「ウーヴェ様、リオンといいベルトランといい、あなたの周りには本当に楽しい人が多いですね」
「・・・騒々しいのばかりだ」
「お前ね」
料理長の言葉に肩を竦めたウーヴェがそれでも楽しいとの思いを込めて皮肉気に呟くと、ベルトランが不満を訴えてくるが、これがリオンであれば、その騒々しいのが好きな癖にーと反撃してくるが、今はベルトランなのでその心配が無いため、ウーヴェが幼馴染みの肩をぽんと叩き、ベーコン入りのクヌーデルもだしケーゼシュペッツレも鳥の丸焼きも楽しみにしているから頼むと告げてキッチンを出て行く。
「さ、あのワガママ男のために料理を始めるか」
ウーヴェをワガママだのあの男だのと呼べる数少ない人間の言葉に皆が頷き、様子を見るためにやって来たハンナも手伝うと申し出た為、今夜はキッチンがいつもと比べれば信じられない程賑やかになるのだった。
ベルトランがこの家の料理人と一緒になって作った料理は、それを待っている人たちの大歓声を持って出迎えられ、先日の夜以上に賑やかな声がダイニングを満たしていた。
その好ましい喧噪の中で食事をし、次々と運ばれる料理に満足するウーヴェとその家族の様子にベルトランもついつい張り切ってしまい、気付いた時には持って来ていた食材がほぼ無くなるほどだった。
食後のデザートに料理長が用意していたのは冷たいムースで、皆がそれを食べる横ではウーヴェがベルトランが持参したリンゴのタルトを前言通りに独り占めしていたのだが、横合いから伸びてくる最愛の恋人の手をハエ叩きか何かのように叩いて撃退しつつ、やはりこのリンゴのタルトが一番美味しいと珍しく顔を笑み崩れさせていた。
ウーヴェが嫌味ではない笑みを浮かべると、毎日すぐそばで見ていてもいつも見ていたいと口にするリオンが自然と笑顔になり、その二人の笑顔が伝染病も裸足で逃げ出すほどの速さで周囲に広がっていくのを目の当たりにしたベルトランが密かに感心していたが、せっかく久しぶりにベルトランが来たのだから男性陣だけで酒を飲もうという話になり、ギュンター・ノルベルトが珍しく真っ先に賛成と手を上げ、次いでミカが己の女王様と称える妻の許可を得ると、ハンナが己の夫にほどほどにする事を伝えて許可を与えたため、男性陣がワイワイと話をしながらホームバーに移動する。
ホームバーに移動した男性陣だったが、何故かリオンがカウンターの内側に入ってしまったため、皆からのオーダーに辟易しながらグラスを並べ用意された氷を放り込んでバーボンだのスコッチだのを注いでいく。
俺、刑事を辞めたとしてもバーテンで生きて行けそうだなぁと笑うリオンにウーヴェが微苦笑しつつそれも悪くない、家のどこかにカウンターを作ろうかと笑うと、それ賛成とリオンが満更でもない顔で肩を竦めつつウーヴェの前にストレートのバーボンとチェイサーの炭酸水をそっと置き、ウーヴェの目が何かを言う前に顔を寄せて目尻のほくろにキスをする。
「チェイサーはいらない、はナシだ、オーヴェ」
そのチェイサーもちゃんと飲んだら好きなだけバーボンでもスコッチでも飲んで良いと笑うリオンに逆らえず渋々頷くウーヴェだったが、レオポルドやギュンター・ノルベルトが感心したようにリオンを見つめ、ミカやベルトランが盛大に驚いた顔で見つめたため、その視線に気付いたリオンが無言で肩を竦め、ベルトランには何が良いか分からないからと、スモーキーな香りが際立つグラスをそっと差し出す。
「・・・・・・さすがは親父だよなぁ。すげー高い酒ばっか揃ってる」
この屋敷の規模に負けない、一本どのくらいするのかも想像出来ない高級な酒がずらりと並ぶ背後の棚を振り返りつつ感心の声を上げたリオンは、オークションで一本2000ユーロは下らないとされるボトルを発見して口笛を吹くが、友人が何かの祝いでくれたものだと教えられ、そんな友人が欲しいと嘆くフリをする。
「お前は飲まないのか?」
そんなリオンにギュンター・ノルベルトが少しだけ気の毒に思っているらしい声で問いかけると、もう一度肩を竦めて明日の朝が早いからと、何でも無いことのように返事をする。
「そうなのか?」
「そう。最近事件はないから忙しくはねぇけど、何があるか分からねぇからな」
だから深酒をして翌朝に響くようなことは避けたいと、この時ばかりは刑事の顔で呟くと、ギュンター・ノルベルトの目が意外さに彩られ、レオポルドも似たような顔で驚いてしまう。
日頃の言動からは刑事とは到底思えないリオンだったが、仕事における熱心さは誰にも負けることはないと自負しており、それは今の言葉からも窺うことが出来たが、そのギャップにただ驚く父と兄を横目にウーヴェがそっと立ち上がり、リオンの横に回ったかと思うと、手早く白ワインのボトルを開けて先程己に差し出されたチェイサーの残りをグラスに同量ずつ注いでレモン汁を数滴落とす。
「リーオ」
「ダンケ」
白ワインを炭酸水で割っただけのワインスプリッツアーだが、ウーヴェほど酒を必要としないリオンには寝る前に飲むものはこれで十分で、もちろんそれを熟知しているウーヴェがいつものように作ってリオンに差し出すと、当たり前のように己の思いを酌み取ってくれる恋人の頬にキスをする。
リオンとウーヴェの仲の良さを最も間近で見てきたのはベルトランだが、それでもゲートルートに来た時に見るだけで、二人きりの時にはどんな過ごし方をしているのかまでは見ていなかった。
だからリオンが外で見せる顔とウーヴェにだけ見せているそれが違うことにただ驚いてしまうが、その彼の驚きはウーヴェ以外に共通のものだったようで、二人を前にただただ驚くことしか出来なかった。
「ノル?」
「あ、ああ、いや・・・・・・リオンは見た目だけでは判断出来ない男だと前にエリーが言っていたが、確かにそうだな」
食事の時の賑やかを通り越した騒々しさ、行動の粗雑さに辟易し、今のように己の仕事に対しては限りない熱意と敬意を持っている顔を見てしまえば驚くが、それ以上に驚いたのはお前にだけ見せているだろうその顔だと、悔しさを滲ませつつ呟く兄にウーヴェが一瞬考え込むが、次いで目尻のほくろを赤らめつつ素直に頷く。
「オーヴェ?」
「本当にどこが良いと今でも思うが、きっとそんなところが良いんだろうな、フェリクス」
言動の粗雑さなどはやはり目に余るところがあるリオンだが、それでもお前にはそれが良いのだろうと目を伏せるギュンター・ノルベルトにウーヴェがもう一度頷き、きょとんとするリオンの頬に逆にキスをすると、ノルに理解してもらえることが本当に嬉しいと今日一番の素直さを見せる。
ウーヴェの素直な顔など一体いつぶりだと驚くベルトランにリオンがにやりと笑みを浮かべて背後の冷蔵庫からチーズを勝手に取り出すと、ウーヴェが作ってくれたワインスプリッツアーを片手にチーズを食べる。
男性陣だけで飲むと豪語してきたものの、たとえばウーヴェの大学の友人であるカスパルのように饒舌な男がいる訳でも無い為、なにやら静かな空気がホームバーがある一室を包む。
その空気は決して嫌なものではなく、それどころかそれぞれが好ましい沈黙と思える様なものだったが、今日の料理はどうだったと、スコッチをお代わりしながらベルトランが皆に問いかけ、それを切っ掛けに美味しかっただの次は店で食べさせて貰うだのといった褒め言葉が飛び交い始める。
ベルトランの料理が誉められることを最も喜んでいるのもウーヴェで、それを見抜いていたリオンがチェイサー代わりにワインスプリッツアーを差し出すと、その顔が更に喜びに彩られる。
「俺も結局オーヴェには甘いってことかー」
望むのは愛するウーヴェの笑顔で、泣こうが喚こうが最後には一緒に笑って欲しいと思うからついつい望むことをしてしまうと溜息をつき、本当に俺のダーリンは皆から愛されていると笑ってウーヴェの口の端にキスをすると、じゃあお前も笑ってくれと返されて蒼い目を瞬かせる。
「お前も、笑ってくれ、リーオ」
「うん。そーだな」
見せられる仲の良さはウーヴェの家族や幼馴染みを心底安堵させるものではあったが、反面、独り身のギュンター・ノルベルトやベルトランにとってはいい加減にしろと言いたくなるものでもあった。
だからではないがベルトランが頬杖をついて口を尖らせると、それを察したのかレオポルドが仲が良いのは良いことだが他人がいる前ではほどほどにしろと忠告する。
「外でオーヴェがキスさせてくれるはずないっての、親父。手を繋いだだけで睨まれるんだからなー」
そのことから、今ここでウーヴェは二人で暮らすあの家にいるときと同じように寛いでいることが証明されているとリオンが笑うと、レオポルドとギュンター・ノルベルトの顔に嬉しそうな色が浮かぶ。
今まで避けてきたこの家がウーヴェにとって心の枷になっていたのではと言う危惧がいつもどこかにあったが、己の本心を押し隠した結果の歪みがこの家に近寄らせなかっただけだと知った今、その気持ちが本当に嬉しいと目を伏せる。
静かに、時には少しだけ口数を多く話し合った男達だが、ふと気付いた時にはウーヴェが 先程のリオンの言葉を証明するようにカウンターに突っ伏してしまい、おやおやという小さな笑い声が周囲に起こる。
「・・・・・・寝ちまった?」
ウーヴェが飲んでいる最中に寝てしまうなど未だかつて経験したことがなかったリオンが驚くが、ギュンター・ノルベルトがやれやれと溜息をつきレオポルドも似たような顔になったため、ヘクターにどういうことだと問えば、幼い頃は良くこうして二人の傍にいたが、気がつけば寝ていた事を教えられる。
幼い頃の癖が出たのかそれともアルコールのせいか、穏やかな寝息を立て始めたウーヴェを皆が口を閉ざして見守っていると、ドアがノックされてハンナが顔を出す。
「そろそろお休みになってはどうですか」
「そうだな・・・・・・」
ウーヴェも眠ってしまったことだし、今日は解散にするかとレオポルドが満足げに告げて立ち上がると寝ているウーヴェを起こそうとするが、ギュンター・ノルベルトが静かにその手を押さえたため、何をするつもりだと己の長男を見守る。
「リオン、今日だけは許せ」
「仕方ねぇなぁ」
ギュンター・ノルベルトの頼み事をしているとは思えない口調から感じ取ったものに肩を竦めたリオンが苦笑しチェイサーを一息に飲み干す。
その前では幼い頃のように安心した顔で眠っているウーヴェを掛け声一つで抱き上げたギュンター・ノルベルトが、昔はこうだったのだろうと簡単に想像出来る顔でウーヴェを肩に抱き上げる。
「・・・・・・さすがに重くなったな」
小さな頃、良く眠り込んだウーヴェをベッドにまで運んでいたギュンター・ノルベルトだったが、あの頃を思えば己とそうそう体格も変わらないほど成長したことをずっしりと肩に掛かる重さから実感するが、昔のようにまた抱き上げて部屋に連れて行ける日が来るとは思わなかった。
「あらあら、まあまあ、ウーヴェ様は寝てしまわれたんですか?」
「ああ。ハンナ、明日はリオンとベルトランの為に朝食を用意してやってくれ」
「美味しい朝ご飯を作ってあげましょうね」
ハンナが懐かしさに顔を笑み崩れさせた後に大きく頷くのに同じく頷いたギュンター・ノルベルトは、本当に重くなったと呟きながらウーヴェの部屋に向かう為に部屋を出る。
その後ろを少しの距離を置いてリオンとベルトランがついていくが、何かを逡巡するように視線をさ迷わせていたベルトランが、ウーヴェの部屋のドアが見えたとき、緊張に掠れる声でリオンを呼ぶ。
「・・・・・・リオン」
「へ?あ、ああ、何だ、ベルトラン?」
呼んだ方の緊張感が伝わったのか呼ばれた方も緊張に声を掠れさせてしまい、それでも何だと問えば、真っ直ぐに蒼い瞳を見つめたベルトランが礼を言う。
「ダンケ、リオン。────お前のおかげだ」
お前が俺の幼馴染みとその家族を以前のような関係に戻してくれたと礼を言うとリオンがもぞもぞするのか身体を少し捩らせるが、ベルトランの目を見つめ返してウーヴェを筆頭に皆が惚れてしまいかねない太い笑みを浮かべて小さく頷く。
「俺はほんの少し手助けしただけだ。本当に頑張ったのはオーヴェだ」
「・・・・・・」
その背中を押し過去への扉を全開にして感情をさらけ出させたがそれでもそれを許してくれたのはウーヴェだと、己が愛する男の強さを褒め称える顔で頷いたリオンだったが、 なにやら照れたように頭に手を宛がい、へへへと子どもが嬉しさを表すときのように笑みを変える。
「どうした?」
「初めて俺の名前を呼んでくれたなーって」
「・・・・・・そうか?」
「そうそう。何かやっとベルトランに認められたって感じする」
ウーヴェとリオンが恋人としての関係を始めた頃、それまでは友人だと紹介していたベルトランに初めて恋人だと紹介して以来、リオンのことを彼はケーニヒの英訳であるキングと呼んでいたが、それはいわばファミリーネームであり、気を許した相手に対するものではないとリオンは密かに受け取っていた。
だが、話すときには砕けた口調だったため、単にキングをリオンのあだ名にしているだけとも思っていたが、どうして名前を呼ばないんだとは問えずに今まできたのだ。
それが今夜ここで名を呼ばれたことはウーヴェの恋人として認められた気がすると繰り返すと、そんなつもりはなかったが、確かに言われてみればそうだとベルトランが頭を掻く。
「・・・ま、いいか。キングって呼ばれるのもあんたになら嫌じゃないし」
他の誰かがそう呼べばすぐさま笑顔で殴り飛ばすが、ベルトランからのそれは嫌ではないと笑うリオンに何度目かの驚きを溜息に混ぜたベルトランは、幼馴染みを思って礼を言い、リオンに手を出し出すとはにかんだ笑顔のままリオンがその手を握り返す。
「・・・・・・お休み、ベルトラン」
「ああ、お休み、リオン」
お休みの挨拶を交わしてベルトランは用意されているゲストルームへ、リオンはギュンター・ノルベルトが開けたままのドアを開けてウーヴェの部屋に入るが、ウーヴェをベッドに下ろした兄が肩を回して苦笑していることに気付いてリオンも苦笑する。
「・・・・・・兄貴」
ウーヴェが寝返りを打った為に声を潜めた二人だったが、静かな声で呼びかけられてリオンの肩に手を置いたギュンター・ノルベルトは、さっきのような姿を目の当たりにするのは精神的によろしくないが、それでもお前達が仲良くしている姿は見ていて嬉しいと、酒の力を借りて本心を吐露すると、リオンがにやりと笑みを浮かべつつ素直になれない兄弟だと笑う。
「うるさい」
「そんな所もそっくりだ────約束する。絶対にオーヴェと一緒に幸せになる」
例えこの先どんなに辛い事が起こったとしても絶対に手を離さない、一緒にいて二人で幸せになるしその努力はするとリオンが本心を伝えると、もう一度リオンの肩を叩いた後、互いの顔を見ることなくお休みと告げてギュンター・ノルベルトが部屋を出、リオンも欠伸をしてウーヴェの身体にコンフォーターを掛けてやり、その横に潜り込むのだった。
2016.11.20
夢の先へ行ったはずなのに、ウーヴェが夢の中に行ってしまいましたね(笑)


