Die Familie -9-

 メスィフ・デミルの出現にただただ驚いていたリオンだったが、その脳味噌は戸惑いをよそに目まぐるしく動き回り、己の脳内に蓄積されているデータと目の前の現実とを照らし合わせては、今まで不可解だった事象へ理由付けを行い、納得できたものとそれでも出来ないどころか新たな謎を生み出したものを仕分けしていく。
 これだけある意味優秀な脳味噌を持っているのに、持ち主の怠慢で働くことがあまり無かった不満を働ける喜びに変えたような脳が様々な疑問を浮かべ始め、それに引きずられたリオンが眩暈を起こしたように額に手を宛う。
 「あんた・・・じゃあ、あんたがハシムの写真と手紙を送ってきた・・・!」
 「そうです」
 穏やかな声が頷いてあの手紙は別の人に差し出したものだが、何故あなたが知っているのかと逆に問われて言葉に詰まったリオンは、固形物に思える唾を飲み込みながら、その手紙を受け取った人は俺の大事な人で、事件についてもある程度相談されていたと返すと、メスィフの顔に光が差したような明るさが浮かび上がる。
 「彼に、ヘル・バルツァーにお会いすることは出来ないでしょうか?」
 あなた達にもだが、何よりもまずは彼に直接お会いして事件についてお話ししたいことがあると、一転して切羽詰まった顔で迫られてしまい、リオンがその剣幕に押されるように上体を仰け反らせてしまう。
 「どうか、どうかお願いします・・・!」
 「お願いって言われても・・・!」
 本人が何の返事もしていないのに俺から答える訳にはいかないと返すと、メスィフの前から飛び退いてヒンケルの背後に回り込む。
 「そもそもさ、何であんたはオーヴェに会いたいんだ!?」
 「リオン!」
 ヒンケルの椅子の背もたれを握りしめながらぶっきらぼうな口調で問い掛けるリオンを窘めるようにヒンケルが呼び、問われた意味を察したメスィフが己の興奮具合に気付いたのか僅かに顔を赤らめて椅子に腰を下ろす。
 「興奮してしまいました。彼に直接会って、兄が死んだ事件について話したいことがあるのです」
 「話?」
 冷静に話が出来る相手だと察したリオンがいつものように丸椅子を引っ張り出してくると、ロルフの横にそれを置いて腰掛けてメスィフの横顔を何気なさを装いながらじっと見つめる。
 十歳で命を落とした兄の面影が少しある青年の顔は知性的なもので、己の意思を静かに通そうとする強さと相手の心を思いやる優しさを持ち合わせているように見えたが、思いのままにならなければどのような手段を取ることも辞さない雰囲気も漂わせていた。
 外見通りの大人しい青年だと決めつければ痛い目に遭いかねないことを素早く見抜いたリオンが内心で口笛を吹くと、長い足を組んで腿に肘をついて笑みを浮かべつつ何の話をしたいんだと問い掛けるが、メスィフが話すことを躊躇うように視線を泳がせたため、リオンが髪を掻きむしった後に小さく溜息を吐く。
 「オーヴェに直接話をしたいってのは分かるけど、あんたが出した手紙を読んだだけで精神的に不安定になったんだ、事件の話が出来るとは思えねぇ」
 「それは・・・、ですが、どうしても直接お会いしたいのです!」
 直接会って両親からの伝言を伝えなければならないのですと、切羽詰まった顔でリオンを見つめた彼は、青い瞳が態度の騒々しさとはかけ離れた冷静さを宿していることに気付いて事情を話さなければならないと悟ると、事件を担当したロルフに向き直る。
 「父と母は事件後すぐにドイツを離れてトルコに帰国しました」
 「ああ、そうだったな。理由は色々考えたが、何故そんなに急いで出国したんだ?」
 息子の死を伝えられ、その遺体を引き取るかどうかの話し合いをしている最中だったはずだが、その話し合いも解決しないままで、結果少年は異国の地に一人で眠ることになった理由は何だと問い掛けると、強い躊躇いを顔に浮かべたメスィフが左右に視線を泳がせるが、腿の上で握っていた拳を開いて溜息を吐く。
 「・・・父と母は・・・・・・不法滞在者、でした」
 「!!」
 当時トルコからドイツに渡った後、ビザが切れたにもかかわらずにドイツ国内に止まり、生計を立てていたと告白する青年の顔は、両親の犯した罪がもたらした結果に打ちのめされているのか蒼白で、いくら二十年以上経過しているとは言っても現役の刑事の前での告白は辛そうだった。
 そんな青年の心を察したロルフが、詳しい事情は聞かないが不法滞在だったために息子を連れ帰ることも出来ずに帰国したのかと問うと、メスィフの顔が少しだけ明るさを取り戻して上下に揺れる。
 「はい。その両親も、先日亡くなりました」
 「亡くなったのか・・・そうか」
 ロルフと青年の会話をじっと見つめていただけのリオンだが、その脳内は今日は働き過ぎだと訴えるほどで、今日仕入れたばかりの情報を脳内で突きつけていくが、ハシムの両親が不法滞在者で事件直後に出国している事実を書き替えると、家族の横やりが入って捜査ができなくなったとの言葉も付け加え、何故横やりが入ったのかの解答もいずれ得られる時が来るとひとまず納得をする。
 「両親の遺品を整理していたのですが、事件の手記を母が残していました」
 それを見て両親が過去に不法滞在であることを理由に半ば脅された結果が兄の死に繋がったことを知り、そしてその事件がその後の両親の間に重くのし掛かっていた事も知ったと教えられ、事件を解決するのが仕事の刑事達の顔に何とも言えない重苦しい色が浮かび上がる。
 事件を解決しても、残された家族や関係者にとっては事件の終わりが総ての終わりではなく始まりなのだと改めて思い知らされ、やるせない溜息をそっと零す。
 「両親の不法滞在を手助けしていた人がいたようですが、その人達が事件の際に兄を連れて行ったそうです」
 「手助けをしていた人?もしかして主犯格の男女のことか?」
 「多分そうだと思います。他にも何人かの人達が関係していたようですが、母の手記にはヴォルフとマリアと書かれていました」
マリアと呟くヒンケルにリオンが先程の己と同じ違和感を抱いたことに気付いて苦笑するが、直接事件を捜査したロルフやその被害者であるウーヴェと深い愛情で結ばれているリオンと違って一歩引いた立場から事件について物事を考えられると気付くと、咳払いをしてヒンケルの注意を引く。
 「どうした?」
 「オーヴェから事件について調べても良いと許可が出たので、少し調べても良いですか、ボス」
 「もうとっくに解決した事件なんだ。好きにすれば良い」
 ただし、今は幸いなことに事件がないから構わないが、事件が起きればそちらに全力を注ぐことを約束させると、先日発見された日記を届けて貰ってくれとロルフの顔を見ながら命令したヒンケルは、リオンの顔を窺うように見つめる青年に苦笑する。
 「ドクに会えるかどうかはリオンと相談すればいい。事件についてご両親が不法滞在の罪を犯していたとしてももう問うことは出来ないから聞かなかったことにしよう」
 何しろその事件で罪を問われる二人はもう亡くなっているのだからと付け加えたヒンケルは、ドクという言葉に首を傾げるメスィフにもう一度苦笑し、ヘル・バルツァーのことだと付け加えて手を組む。
 「リオン、日記が届けばお前に見せる。その日記をどうするかはドクと相談しろ」
 そしてその後、メスィフと会うかどうかも決めればいいと頷くと、リオンの顔に一瞬だけ真剣な表情が浮かぶが、メスィフが見たときには少しふざけているようないつもの表情になっていた。
 「Ja.そうします、ボス。・・・・・・と言うことだ、ヘル・デミル」
 ただ、残念ながら今彼はこの街を離れてしまっていると肩を竦めるリオンにあからさまに落胆の顔を見せたメスィフだったが、二週間はこの街にいることを告げて席を立つ。
 「今このホテルに宿泊しています。もし彼と連絡が付いて会うことが出来るのであれば、私の携帯に連絡を下さい」
 「・・・・・・分かった」
 リオンの代わりにヒンケルが頷いて名刺を受け取り、そこに書かれている肩書きを読んで軽く目を瞠ると、随分と若いのにと感嘆の声を上げる。
 「ボス?」
 「ああ、ヘル・デミルは貿易関係の会社を経営しているようだ」
 「へー、そりゃあすげぇなぁ」
 その若さで社長はすごいと心底感嘆している顔でリオンが手を打ち、社長が二週間も会社を放って良いのかと素直な思いから問えば、優秀な部下がいるので大丈夫だと頷かれる。
 初対面での印象は大人しいが一筋縄ではいかないというものだったことを思い出し、やはり会社を経営していると色々なことがあるから自然とそうなるのだろうとも納得すると、立ち上がってメスィフに手を差し出す。
 「なるべく早く何らかの答えを出す。だからしばらく待っていて欲しい」
 「お願いします」
 リオンの言葉に短く返ししっかりとその手を握る青年だったが、その言葉に込められた膨大な思いの一端を感じ取ったリオンが頷き、ヒンケルとロルフも同意するように頷いたのを見ると、気分を変えるように笑みを浮かべて今日から祭りが始まったから会場に行ってみればどうだと提案をする。
 「そうですね、時間はあるので行ってみたいと思います」
 「じゃ、俺は仕事に戻ります。ボス、ロルフ、さっきの件お願いします」
 「分かった」
 自分は仕事に戻るが後のことはヒンケルとロルフに頼むと頷いて伸びをしたリオンの尻の辺りから有名なピアノ曲が流れ出し、一日に二度も掛かってくるなんて珍しいと思いながら電話にでる。
 「ハロ、オーヴェ」
 その言葉に当然ながら室内にいた皆が反応しリオンの口から流れ出す言葉を注視するが、三対の視線を横顔で受け止めたリオンの耳に流れ込んでくるのは、今夜もしも早く帰れそうならばゲートルートに来いという穏やかな声だった。
 「どうしたんだ?」
 『ああ。ハンナとヘクターがバートの店に行ってみたいと言うから今夜行くことにした』
 「そっか。・・・・・・うん、今のところ事件もねぇし行けるかな?」
 三人の視線に込められている思いや疑問を感じ取っているリオンだが、顔を見ることが出来ない状態で過去に関係する話をして一人でウーヴェが苦しむようなことになるのが嫌だった為、三人の期待には答えられないことを伝えるために肩を竦めるが、電話の向こうの愛する人にはいつもと変わらない明るい声で、今夜は何があっても行く、残業は断固拒否するから安心しろと伝えてヒンケルの目を丸くさせる。
 「終わったら連絡する。その時ちょっと話したいこともあるし」
 『話?今聞こうか?』
 今すぐ期待には応えられないが蔑ろにしている訳ではないことも伝えるように声のトーンを落とすと、ウーヴェが何かを察して今話せないのかと声を潜めてくる。
 「ああ、うん、話せるけど俺が話したくない」
 『なんだそれは』
 「まあまあ。後で話すからさ。・・・・・・また、後で、オーヴェ」
 『・・・・・・分かった』
 不満そうなウーヴェを宥めるように笑ったリオンは、ついついいつもの癖で携帯にキスをしてしまい、ロルフとメスィフの目を今日一番ではないかと思うほど見開かせてしまい、短く舌打ちをする。
 『リーオ?』
 「ん、何でもねぇよ、オーヴェ。また後でな」
 『ああ』
 電話の向こうの訝る気配に大丈夫だと伝えてもう一度キスをしたリオンは、携帯を尻ポケットに突っ込むと、驚愕の顔で見つめてくる二人を意味ありげな顔で見た後、ヒンケルには仕事に戻ることをもう一度伝え、さっきの件については約束したと言い残して部屋を出るのだった。
 「警部、まさか・・・・・・」
 「ああ、今二人が考えた通りだ」
 ロルフの呆然とした言葉にヒンケルが咳払いをし、先入観を与えたく無かったし、また何よりもリオンのプライベートを誰彼とも無く吹聴するのは嫌いだから言わなかったと、己の過去の言動を言い訳するように呟いた後、まだ驚いている二人に肩を竦める。
 「ま、色々思うことはあるだろうが、その一事だけでリオンがどんな人間なのかを決めつけないでくれ」
 個々人の考え方が尊重される時代に生きているのだ、罪を犯すような恋愛をしている訳ではないのだから偏見を持たないでくれと暗に告げ、リオンが出て行ったドアを見つめたヒンケルは、二人が躊躇いを覚えながらもそれでも己の言葉を受け入れようとしていることに気付き、無言で肩を竦めるのだった。

       

 ヒンケルの部屋を出たリオンが向かったのは先程出てきたばかりの資料室だった。
 さっきはロルフがやって来て詳しく調べられなかったが、ハシムの両親が不法滞在時に主犯格の二人がハシムを連れて行ったことから、この事件でウーヴェを除く被害者は純粋な被害者ではなく、主犯格の男女もしくはそのどちらかに弱味を握られていて協力せざるを得なかった人たちではないのかとの思いが確信へと切り替わる。
 そうなると事件で死んだ彼らの遺族の口が重かった理由も、また夜逃げ同然に姿を消した理由も察することが出来てくる。
 さっき発見して手に取ったファイルを再度開いて文章を目で追いかけていたリオンは、詰まるところあの事件で純粋な被害者というのはウーヴェただ一人であることを知り、ファイルを取り落としそうになる。
 ハシムを除く大人達が、その当時にはすでに国内有数の大企業になっていたバルツァーの末っ子がウーヴェであると知っていて誘拐を企みそれに乗ったのだとすれば、ウーヴェが何度か零したことのある、自分の後ろを見ないでくれとの言葉の真意も、金を産む卵だ、金づるだから生かしておくとの言葉の意味も理解できてしまい、今度こそファイルを床に落としてしまう。
 何故、十歳の子どもが己の与り知らない事情から誘拐され、その心を粉々に砕かれ命の危機に晒され無ければならないのか。そしてその事件が解決したにもかかわらず、二十年以上も事件の影に脅えて苦しまなければならないのか。
 しかもその誘拐を計画し実行したのは実の母と伯母だと昨夜教えられたばかりで、今まで何度か感じたことはあるが、それを遙かに凌駕する怒りに拳を握りしめ、奥歯が砕けそうなほど歯を噛み締める。
 母というのは子どもにとって無条件で守ってくれる存在だろうし、またそうであって欲しいと心の何処かで常に思っているリオンにとって、実の母に誘拐されただけではなく、ペットや家畜のように扱われたウーヴェを思えばただただ腹立たしくて、握った拳を壁に叩き付ける。
 そんな過去があったのに、己がウーヴェの背後を見て勝手に嫉妬して家を飛び出したにもかかわらずに迎えに来てくれるだけではなく、ありのままの自分で良いと笑顔で受け入れてくれた彼を今まで己はどれだけ傷付けてきたのかと改めて思うと、ウーヴェの前に膝を着いて許しを乞いたくなってくる。
 だが、もしもリオンがそれをすると悲しそうな顔でそんなことを言わせるために、聞くために付き合ってきたのではないと返されることも予想できるため、壁に叩き付けた拳をじっと見つめながら己に出来ることは何だと自問する。
 刑事としてあの事件を調べる機会を得ることは出来るし、またヒンケルからもその許可は貰っていることから、手が空いているときには事件について調べられるが、それよりも何よりも、まずは事件を思い出して夜中に飛び起きたり首の回りに痛々しい痣を浮かび上がらせるウーヴェの心を守ることではないのかと自答されて目を瞠る。
 ウーヴェの心を守ることはきっと他の誰にも出来ない事だとも気付き、不意に腹の底が熱を帯びたことに気付いたリオンは、己にしか出来ないことを見出した男の顔で目の前の壁を睨み付け、愛するものを苦しめる事件の影を己の手で払拭してやると、過去で嘲笑う男女に向けて不敵な笑みを見せる。
 「─────イイぜ。今まであいつを苦しめてきただろうが、これからはもう二度とあんたらの影に脅えさせない。俺が護る」
 残念だがあんた達の誰かが企てた、長い間あいつを苦しめる計画はこれで終わりだと笑うリオンの顔は、学生の頃にカインやゼップらとともにケンカに明け暮れていた頃と同じで、ウーヴェの存在がリオンの中で護らなければならない人になったことを教えていた。
 年上で世間的にも認められる職業で、その患者からも絶大な信頼を得ている恋人と対等でありたい、負けたくないと言う思いが心の何処かに存在していたリオンだが、宣戦布告と共にそんな思いは一切消え失せ、対等でありながらも己の全力でもってウーヴェを護るというその思いだけが結晶のように胸の中で光を放つ。
 「オーヴェ、もう苦しまなくて良いからな」
 お前の荷物俺が半分引き受けたが、これからは荷物だけではなくお前のすべてを俺が護るとも呟くと、脳裏に浮かぶ笑顔に真摯な顔で頷いて目を閉じる。
 世間的には己よりも認められる恋人を俺が護れるだろうか、そんな不安が少しだけ顔を覗かせるが、そんなリオンの背中を押すような笑い声が過去から響いてくる。
 『なにを悩んでるのよ、あんたらしくない。決めたんでしょ、だったら最後までやり遂げなさい!』
 その声は過去から強く優しく響いてきたかと思うと、俯き掛けるリオンの顔を上げさせる力を持っていた。
 「・・・そーだな、俺が決めたんだ、そーするかー」
 胸の裡に響く声に陽気な声で返事をしたリオンは、もう一度壁を殴りつけた手を見つめ、背中を押してくれてありがとうと姉に礼を言い、掌に拳を打ち付ける。
 「・・・ちょっとだけ、オーヴェにも我慢して貰わなきゃならねぇかな」
 ウーヴェを全身全霊で護るが、それにはまだ己が知らない事実を知る必要があり、それに伴いウーヴェに辛い過去を話させることになるかもしれない危惧に眉を寄せるが、すべては過去を乗り越え、父や兄の顔を見たり過去に関係する事象を見聞きしても気分が悪くならないようにするためだと己に言い聞かせ、今夜ウーヴェと会うことは良いチャンスだとも気付くと、足下に広がっていたファイルを拾い上げ、未だかつて無いほどの真剣さで資料を読み進め、必要な事象を脳味噌に刻み込んでいくのだった。

        

 その日のゲートルートは店の外にまで人が溢れるほどの混み具合で、こんなに混んでいるのに本当にウーヴェはヘクターとハンナを連れて来るのか訝りつつドアを開けたリオンは、店内の人たちが祭りの会場から流れてきていることに呆気に取られる。
 祭りではビールと名物料理になっている鶏の丸焼きを食べているはずなのに、まだ飲んで食べることが出来る人たちにただ呆れるものの、額に汗を浮かべて忙しく動き回っているチーフがリオンに気付いてを挙げるが、店内を見回してもウーヴェの姿はなく、何処にいるんだと再度チーフを見ると、カウンターの中からベルトランがリオンを大声で呼ぶ。
 「キング、こっちだ!」
 「へ!?」
 その声に気付いて顔を向けたリオンは、いつもの様に置かれているパーテーションの内側を指し示されて瞬きをするが、店内の混み具合からいつもならば店員が使用するテーブルを用意してくれたのだと察し、何食わない顔でパーテーションの向こうへと回り込むと、すっかり顔馴染みになっている店員達が口々に挨拶をしてくる。
 それらに対して手を挙げて久しぶりと一度に返事を済ませたリオンは、ベルトランが出来上がった料理をスタッフに渡して指示を終えたのを見計らい、ウーヴェはまだかと問い掛ける。
 「ああ。もうすぐ着くと連絡が入った。ただ今日はこんな感じだからあまりゆっくり出来ないし静かじゃないぞと言ったんだけどな」
 一緒に来たいと言っている人がどうしても今夜行きたがっているのだと教えられて苦笑したベルトランは、騒々しいのを覚悟で来てくれと返し、いつものテーブルを使えばいいとも答えたとリオンに告げると、いつものテーブルとリオンがオウム返しに呟く。
 「ああ、・・・・・・この席はスタッフ専用の席だろ?だからそこを使えって言ったんだ」
 「ふぅん」
 己の言葉にベルトランが一瞬言葉に詰まるのをしっかりと見たリオンだったがそれ以上は何も言わずに椅子を引くと、今日は祭りの関係で出来る料理が決まっていると、手書きのメニューが記されている黒板を差し出され、ウーヴェは何を注文するのか考えつつもうすぐ来るだろうからビールを飲んで待っていると笑う。
 「そうだな、そうするか?」
 「ああ、それでいい。・・・・・・ベルトラン、忙しいところ悪いんだけどさ」
 ちょっとこっちに来てくれと手招きをするリオンに首を傾げたベルトランは、一体どうしたとリオンの顔を覗き込み、いつも見ていた陽気な色がすっかりと形を潜めて別人のような男の顔を見出して目を丸くする。
 「キング?」
 「オーヴェが来たらちゃんと話をするけど、ベルトランにも言っておく」
 今日あの事件の関係者が警察署にやって来たこと、その時に事件について調べる許可を得たこと、その関係者がウーヴェに会いたがっていることを伝えると、ベルトランの顔色が一気に悪くなる。
 「お前、それは・・・」
 「ああ、オーヴェには事件を調べることは言ってあるし許して貰ってる」
 それに何よりも、あの事件について昨日ウーヴェから直接話を聞いたと答えると、ベルトランが腕を組みスタッフの声に顔だけを向けて頷くと、無理矢理話をさせたのではないなと鋭く問われ、無理矢理話をさせた相手と一緒にメシなんて食うと思うかと返すとベルトランの顔から鋭さが消えていく。
 「オーヴェが自分から昔のアルバムを見せてくれたんだよ」
 実家でどのような子ども時代を過ごしていたのか、事件に巻き込まれるまでどれ程家族の仲が良かったのかも教えて貰ったこと、そしてその中にかなりの頻度でベルトランが笑顔で写っていたことを伝えると、ベルトランが溜息を吐いてリオンの前に腰を下ろす。
 「話って何だ?」
 「ああ、うん・・・オーヴェや親父から事件について話を聞き出すことになる。それでオーヴェが苦しんでも泣いても・・・全部オーヴェに話させる」
 「・・・・・・・・・・・・」
 事件について今でも苦しんでいることは承知だが、事件についてすべてを話して貰わなければその苦しみから永遠に解放されないのだ。事件と正面から向き合っていないとは言わないが、向き合い方が違っていたから今も苦しんでいるのではないかと告げると、ベルトランが己の胸を抉られたように胸に手を宛う。
 事件の前後を良く知るベルトランにしてみれば、リオンのその言葉は今まで自分たちがやって来たことを否定されたように感じてしまうが、次に聞こえてきた言葉に呆然と目を瞠る。
 「・・・・・・夜中に一人で頭を抱えてクローゼットに隠れてる姿なんてもう見たくねぇ」
 「お前・・・・・・あいつのそんな姿も・・・?」
 「もう何年の付き合いになると思うんだ?」
 クローゼットに隠れる姿も、痣を喉の周りに浮かべながらベッドで身体を丸くしている姿も何度も見てきたと肩を竦めるリオンにきつく目を閉じたベルトランは、目を開くと同時に長い溜息を零してテーブルの木目をじっと見つめる。
 「しばらくオーヴェの調子が悪くなるかも知れないけど・・・でも、必ず過去から解放する」
 だから当分の間、ウーヴェの様子がおかしかったとしても見守っていてくれと告げ、これから先何があってもウーヴェを護ることを静かに伝えたリオンは、ベルトランが顔を僅かに紅潮させながらじっと見つめてくるのを苦笑で受け止め、泣かせたとしても許して欲しいといつもの口調で返すと、ベルトランが手の甲で目元を拭う。
 「・・・・・・お前に任せる。俺が知っていることなら何でも話す」
 だから二十年以上も苦しみ、自らにも苦痛を与えている俺の幼馴染みを助けてくれとリオンを見ると、絶対の信頼を得たことを教えてくれる顔で頷かれて息を飲む。
 「ダンケ、ベルトラン」
 俺など力が及ばないことが多々あるだろうが、それでも俺なりにあいつを護るつもりだと頷くリオンにベルトランも無言で頷くが、キッチンの勝手口から幼馴染みが顔を出したことを教えられて立ち上がる。
 「あいつが来たみたいだな」
 「そっか」
 どのようにお前がするかは分からないが、あいつのことはすべて任せたともう一度頷いたベルトランは、リオンの肩に手を置いてしばらくじっとしているが、小さな小さな満足そうな吐息を残してカウンターの内側にある己の戦場に戻っていく。 
 ヘクターとハンナを伴ったウーヴェが、店の混み具合を見て表からはいるのを止めて勝手口から顔を出したのは正解で、次から次へと来る客を捌くのにチーフがてんてこ舞いになり、日頃の好ましい陽気さが騒々しさを通り越して大騒ぎになってしまっていた。
 こんな騒がしい時ではなく後日出直そうと二人に言ったものの、絶対に今夜行きたいのだと頑なに言われてしまい、ならば仕方がないと溜息混じりに店に来たのだが、一足先にリオンが来ていることを教えられて軽く驚いてしまう。
 「ハロ、オーヴェ。俺が先に着くなんて珍しいよなー」
 勝手口から厨房を通り抜けてテーブルに着いたウーヴェは、笑顔で手を挙げるリオンに頷き、店の様子にただ目を丸くするヘクターとハンナに椅子を勧める。
 「賑やかなお店ですね、ウーヴェ様」
 「今日は特別騒々しいな。いつもはもう少し静かなんだけどな」
 さすがにこの街にどっと人が流れ込む祭りが始まった夜だけあって人の数が多いと肩を竦めるウーヴェにリオンも同意を示すが、ヘクターとハンナ夫妻に向き直ると、久しぶりだけれど覚えているかと問い掛ける。
 「もちろん、覚えていますよ、リオン」
 「あー、良かったー。忘れられてたらどうしようって思ってた」
 大袈裟な態度で胸を撫で下ろすリオンに老夫婦が顔を見合わせて笑い、元気そうで良かったと頷くと、リオンがハンナの皺が刻まれている手を取り、マザー・カタリーナにするときと同じような手付きでその手を撫でる。
 「大変だったよなぁ、ハンナ」
 でもこの祭りが終わるまでウーヴェの実家にいるのだから、何も遠慮せずにウーヴェに我が儘を言えばいいと笑い隣で苦笑するウーヴェに同意を求めたリオンは、今日は車で来たのかと問い掛け、送って貰ったことを教えられる。
 「そっか・・・・・・明日も仕事だけど、メシ食い終わったら俺もオーヴェの家に行って良いか?」
 「リオン?」
 休みは明後日だろうがどうしたんだと疑問を投げ掛けるウーヴェにただ笑って行っても良いかと許可を求めたリオンは、同じように疑問を浮かべる二人に片目を閉じる。
 「一人でも平気だと思ったんだけどなー」
 やっぱりお前がいないあの広い家に一人でいたくないと、心底悲しそうな顔で三人を見たリオンは、呆気に取られる二人に頷き、呆れ顔のウーヴェの頬にチュッとキスをする。
 「お願いダーリン。俺も一緒に連れて行って」
 「・・・・・・明日の朝かなり早く起きなければならないぞ?」
 「それぐらい我慢する!」
 目の前のそのやり取りを呆然と聞いていた二人だったが、ウーヴェの顔がそれほど嫌がっているようにも見えないことから事情を察し、明日の朝食は私が作りましょうと申し出る。
 「え、ハンナの朝飯食えるのか!?」
 それは本当に嬉しいと顔を輝かせるリオンに溜息を吐いたウーヴェは、甘やかす必要はないと厳しい声を出すものの、眼鏡の奥の目は温かく笑っていて、ヘクターもにこにことしてしまう。
 「ダンケ、ハンナ!」
 あぁ、何て自分は幸せ者なんだと笑うリオンをいい加減にしろと睨んだウーヴェは、今夜は出来る料理が決まっていることを伝えに来たベルトランの袖を引いて注意も引くと、ヘクターとハンナを覚えているかと問いかける。
 「もちろん、覚えてるぞ」
 いつもおばさんと一緒に美味しいおやつを作ってくれただろうと頷く幼馴染みにウーヴェが苦笑し、二人がヴィーズンの間実家に泊まることになったとも教えると、はにかんだような笑みと懐かしさを同居させた顔を二人がベルトランに向ける。
 「久しぶりだなぁ・・・・・・!」
 「まぁまぁ。あのベルトランがこんなにも立派な料理人になって・・・・・・」
 いつもウーヴェを遊びに誘いに来た時に今日のおやつは何だと足に纏わり付いていた食べる事が好きで仕方のない子どもが立派になってと、己の孫の成長を喜ぶようにハンナが涙すら浮かべた顔でベルトランを見上げると、ゆっくりと自慢の料理を食べて欲しいが、今日はこの混み具合で、出来る料理が限られていることを真摯に詫びるベルトランにヘクターもハンナも事情を理解出来る顔で頷き、それでも出来る限りの料理を用意してくれるであろう彼に期待に満ちた笑みを見せるのだった。

        

 ベルトランが用意してくれた料理はいつも出されるそれと全く遜色のないもので、どれ程忙しかったとしても手を抜かないことを教えてくれていた。
その料理に満足したヘクターとハンナは、迎えに来た車の中でも料理の味を思い出しては頬を弛ませ、それを作ったのがベルトランである事実に更に顔を綻ばせていた。
 迎えの車を運転してきたのはいつもの運転手であるブルーノではなく、リオンが一度ウーヴェの実家を訪れた際に案内してくれた青年で、互いに見覚えがあったことから助手席にリオンが座り、ウーヴェを挟んで左右にヘクターとハンナが座っていた。
 帰りの車内は和やかな雰囲気だったが、ミラーに映るウーヴェの顔が僅かに曇っていることを見抜いていたリオンが携帯を取りだし、シートを挟んだすぐ後ろにいるウーヴェにメールを送る。
 すぐ傍にいるのに届いたメールにウーヴェが驚きつつそれを読むが、小さな溜息を零すと短く分かったとだけ返し、頭をひとつ振る。
 「ウーヴェ様?」
 「・・・・・・何でもない」
 ヘクターの言葉に苦笑で返したウーヴェは、その後実家に着くまでは顔の曇りを一掃させていたのだが、実家に着いて車から降りると、伸びをするリオンに帰り際のアレは何だと目を細める。
 「ん?あれ?ああ、ベルトランと目配せしてたことか?」
 それはゲートルートを出て車に乗り込む寸前、見送りに出たベルトランとリオンが意味ありげに視線を交わしたことを示しているのだが、さすがに幼馴染みはよく見ていると笑うリオンにウーヴェが溜息を吐き、茶化さないで教えてくれと目を見ると、ロイヤルブルーの瞳が表情とは裏腹に真剣な色に染まったことに息を飲む。
 「リーオ?」
 「うん・・・・・・今日さ、お前に話があるって言ってただろ?」
 「ああ。バートに関係のあることなのか?」
 「ん?まああると言えばあるけど、ちゃんとベルトランにも伝えておいた方が良いって思ったんだよな」
 車を降りて玄関に続く階段を登りかけた場所での会話にヘクターとハンナが驚いて顔を向けると、リオンが表情を切り替えて二人の頬にキスをし、ウーヴェと少し話があるから先に入っていてくれとその背中をそっと押す。
 「リオン?」
 「あ、そうだ。ハンナの朝飯ホントに楽しみなんだけどさ、今日はやっぱり家に帰るから、明後日の休みの時に食わせてくれよ」
 「帰るのですか?」
 「うん。ちょっと家でしなきゃいけない事思い出したからさ」
 だから次に来る時に食べさせてと笑ってハンナの頬にもう一度キスをしたリオンは、残していくのも気になるが二人になりたいと思っている事も分かるために何度か顔をドアとウーヴェに向けた後、意を決したようにドアに向けて歩いて行く背中を見送ると、ウーヴェの頬に手を宛がい、見開かれるターコイズ色の瞳にひとつ頷いて目を閉じる。
 「オーヴェ、お前が電話をくれた時、あの事件の関係者と会ってた」
 「関係者・・・・・・?」
 「ああ。────メスィフ・デミル。あの手紙を出したヤツだ」
 「!!」
 今度は驚きに見開かれる瞳を痛ましげに、頬を両手で挟んで至近距離から見つめたリオンは、青ざめてくるウーヴェの額にキスをし、大丈夫だと口調を和らげる。
 「お前に会いたいって言ってたけど、会えるかどうかはオーヴェの判断次第だって言ってある」
 「・・・・・・な、にか、言ってた・・・・・・か?」
 「ああ。どうしてもオーヴェに会って話したいことがあるって言ってた」
 内容までは教えられなかったが、手紙や電話では無理な話のようだとも付け加えたリオンは、連絡先を聞いた事と暫く滞在していることも伝えると、ウーヴェの手が無意識にリオンの背中に回されてシャツを握りしめられる。
 「な、オーヴェ」
 「な、んだ・・・・・・?」
 「うん。・・・・・・さっきベルトランにも言ったってのはさ、あの事件のことだ」
 「・・・・・・うん」
 聞こえる言葉の意味を何とか理解しようとしている気配のウーヴェの額に額を重ねたリオンは、事件についてお前が知っている事実をありのまま教えて欲しいと伝えると、両掌の間で頭が揺れ、息を飲む音が間近で響く。
 「手紙を見ただけで寝込むほど辛いってのも分かってる。でも、もうお前が事件の影に脅えたり苦しんだりするのを見たくない」
事件に関係する事象が周囲に散見するようになってきた今ならばその苦しみから解放されるかも知れないと告げ、さっきよりも顔色が悪くなったウーヴェを抱きしめて小刻みに震える耳に口を寄せる。
 「ごめんな、オーヴェ。いつも言ってるけど、俺はお前みたいに頭も良くないし優しくないから上手くできるかどうか分からねぇ」
 だけどその代わり、あの時のお前のように何があってもどんな姿を見たとしても、絶対に傍にいる。目を背けないと約束をしたリオンにウーヴェが喉の奥でくぐもった声を発する。
 「事件を封じることで立ち直ったけどさ、封じ込め続けたから今も夢に見るんだ」
 その対処法は決して間違ってはいないが、時が流れたからこそ過去に対する別のアプローチが出来るだろうし、その結果が夢を見て魘されない朝を迎えることなのだとしたら、今少し苦しむかも知れないがそれを二人で乗り越えようと己に言い聞かせているようなリオンにウーヴェが目を閉じ、全身の力を抜くことでその言葉への返事とする。
 「・・・・・・おっと」
 ぐったりとするウーヴェを難なく支え、階段の手すりに寄り掛かってしっかりと抱き寄せたリオンは、小さなくぐもった声が総てを任せると教えてくれた事に目を瞠る。
 「オーヴェ?」
 「・・・・・・俺、が覚えていることは・・・・・・総て、話す」
 「うん」
 「だ、から・・・・・・」
 くぐもる声は小さくて聞き取りにくかったが、ウーヴェの口から初めての言葉が流れ出し、さすがに驚きを抑えることが出来なかったリオンだが、言葉の真意を消化すると同時に腹の奥底に職場でも感じた熱を再度感じ、その熱が衝動へと変化をして体内を駆け巡る。
 「・・・・・・助け、て・・・く、れ・・・リ・・・オン」
 お前が思ってくれたように、俺ももう過去を夢に見て飛び起きたくない、事件に関係するものを見て苦しみたくない、助けてくれと囁くウーヴェを更に強く抱きしめたリオンは、小さな子どものように身体を預けてくるウーヴェの頬にキスをし、安心させるように手を組んで右手薬指で光るリングにもキスをする。
 「約束する。お前の約束ほどの価値はねぇけど、でも約束する」
 お前を苦しめる悪夢からもうすぐ解放してやる、護ってやるからお前も一緒に頑張ってくれと告げてウーヴェが頷いたのを確かめたリオンは、力が抜けた身体を横抱きにし、閉ざされた瞼にキスをする。
 「オーヴェ、愛してる。だから一緒に頑張ろうな」
 「・・・・・・・・・うん」
 その言葉に籠もる万感の思いをしっかりと受け止めたリオンが玄関のドアを開けようとするが、ウーヴェを横抱きにしているためにそれが出来ず、だからといって下ろす訳にも行かなかった為にどうすべきか一瞬悩んだ時、玄関のドアが静かに開いていく。
 ドアを開けてくれたのはレオポルドで、さすがにそれにはリオンも驚いてしまうが、無言で早く中に入れと促されて中に入ると、レオポルドが黙ったまま階段を登っていく。
 ウーヴェの部屋に連れて行くつもりだと察して後についていくリオンだが、腕の中のウーヴェの顔を見下ろせば、確かに色は悪かったが薄く掛かっていた靄が晴れたような爽やかさも見え隠れしていたため胸を撫で下ろしていると、日中ならば日当たりは良好と思われる部屋に通される。
 この部屋でウーヴェが寝起きをし、事件の後はただ一日中ベッドで横になって天井を見上げていたのだと知ったリオンは、ぐったりするウーヴェをベッドに静かに下ろして眼鏡を外してやりコンフォーターを掛けると、ウーヴェの手がリオンのシャツの裾を握りしめる。
 「オーヴェ、大丈夫だ」
 「・・・・・・リーオ・・・・・・っ」
 「大丈夫だって。ほら、レオもいるだろ?」
 今日はさっきも言ったように家に帰るが、明後日の休みにはこちらに来るし、今はレオがいるだろうと笑ってテディベアの巨体を引き寄せたリオンは、枕に顔を押しつけるウーヴェの手をテディベアの足に載せるが、もぞもぞと動いた手がテディベアを遠くに押しやろうとする。
 「あー、子どもみてぇなことするー」
 まったく俺の陛下はと笑ったリオンは、テディベアを床に下ろしてそこに腰を下ろすと、ウーヴェの髪を撫でてキスをし、見えている頬にもキスをする。
 「お前が寝るまでここにいるから安心しろ」
 「・・・・・・う、ん・・・・・・」
 「ちょっと疲れただろ?だから寝ろよ、オーヴェ」
 一時の眠りに落ちて目が覚めたとき、確かに俺は傍にいないかも知れないが、すぐに会えるし電話をすれば声も聞けると囁き、眠りに落ちる寸前にワガママを言う子どもを宥めるようにキスをしたリオンは、ウーヴェの肩を撫でて髪を撫でて顔を上げろと促すと、ようやく枕から顔を上げたウーヴェの赤く染まる目尻と唇にキスをする。
 「お休み、オーヴェ」
 「・・・・・・明後日・・・・・・」
 「仕事終わったら連絡する。だから迎えに来て欲しいな」
 明後日の休みは何があってもこっちに来ると頷き、ようやく安心したのか目を閉じるウーヴェの瞼にもう一度キスをしたリオンは、ドアの横の壁にもたれ掛かってじっと見つめて来るレオポルドに気付いて肩を竦め、ウーヴェの口から穏やかな寝息が流れ出したのを確かめると、恋人の父に合図を送って部屋を出る。
 「久しぶりだな、リオン」
 「そーですね、久しぶりです」
 元気そうで良かったと頷くリオンにレオポルドも素っ気なく頷いたかと思うと、己の目の前で小さな子どもの頃のように我が儘を言うウーヴェの様子を思い出している様に目を伏せる。
 「・・・あの子のあんな顔を見るのは何年ぶりだろうな」
 「・・・・・・親父、昨日オーヴェから事件について少し聞いた」
 「そうか」
 ベルトランでさえも知らない事実を教えられたことを伝え、顔を上げたレオポルドに頷いたリオンは、今日は帰るが明後日仕事が休みなのでこちらに来るつもりだとも伝えると、レオポルドがたった今出てきた部屋のドアを振り返る。
 二十年以上もまともに顔を合わせることも話をする事もなかったウーヴェが、ここ何年かは少しずつ態度が軟化していることに気付いていたレオポルドだが、今目撃した光景からその理由がリオンであることを確信する。
 さっきのウーヴェの様子は幼い頃に毎日遊びに来ていたベルトランだけに見せていた態度であることも思い出すと、リオンの存在がウーヴェの中でどれ程の大きさを占めているのかも察することが出来てしまう。
 「・・・・・・リオン」
 「ん?」
 「あの子から聞いたと言ったな?」
 「言った。────兄貴が親父で、親父が本当はおじいちゃんでオーヴェに激甘だってのも聞いた」
 冗談めかした一言にレオポルドが溜息を吐いてリオンを見ると、見られた方も苦笑しつつ頷くが、大切なことに気付いたと呟いて目を瞠る。
 「どうした?」
 「帰りの車がねぇ・・・・・・!」
 いつもならばウーヴェが車を出してくれるが今夜は迎えに来た車に乗って来たため、家に帰る手段がないと情けない顔になる。
 つい今し方ウーヴェを宥めた横顔や玄関先でウーヴェを抱きしめていた時の真剣な顔と比べれば遙かに情けない顔にレオポルドが吹き出してしまい、仕方のないヤツだと太い笑みを浮かべる。
 「スパイダーは何度も貸して貰ってるけど、スペアキーくれねぇかな」
 こんな時にスペアキーがあれば便利なのにと呟くリオンに意外そうな顔を見せたレオポルドは、今まで何度もスパイダーを借りたのかと問いかけ、何でもない事のように頷かれて目に強い光を浮かべ、明後日の休みは何があっても来いと告げてリオンを驚かせてしまう。
 「親父?」
 「・・・・・・お前に聞いて欲しい話がある。良いな、必ず来い。もしも事件が入ればすぐに連絡をしてこい」
 多少の無理を言ってでも休みを取らせると強く告げるレオポルドに呆気に取られるリオンだが、話したいことを何となく察してそっと頷くと、ウーヴェに少しでも穏やかな眠りが訪れますようにと短く祈り、帰りは何とかするかーと宣って頭の後ろで手を組む。
 「だからいざというときに出せる金を持っていろと言っただろうが」
 「うぅ・・・ちくしょー、親父のくそったれ」
 いつだったか二人で飲みに行ったことがあったが、その時に男のプライドを護りたいのであればすぐに出せる現金を常に持ち歩いていろと笑われた事を思い出し、そんな金なんか無いと肩を落とすリオンにレオポルドが、馬鹿な子ほど可愛いと歌うように呟きながら財布から紙幣を取り出す。
 「タクシーを呼んでやる」
 「あ、親父がくそったれじゃなくてちょっと腹の立ついい男に見える・・・・・・!」
 その変わりようにレオポルドが呆れて何も言えなくなるが、二人の背後のドアが開き、眠そうに目を瞬かせながらウーヴェが姿を見せた為、ほぼ同時に振り返ってどうしたと声を掛ける。
 「・・・・・・帰り、は・・・AMG・・・」
 すぐ傍で話を聞いていたのかと疑いたくなる様なタイミングの良さと、まるで夢遊病者のように呟くウーヴェの肩を抱いて頬にキスをし、AMGを使っても良いのかとリオンが問えば、白っぽい髪が上下に揺れてあの車を好きに使えとも囁くと、一夜の別れを惜しむようにリオンを抱き寄せてキスをする。
 「・・・ダンケ、オーヴェ」
 「・・・気をつけて・・・帰れ、よ、リーオ」
 「うん。じゃあ明後日に来る。あ、AMG乗って帰って良いんだったら、迎えは大丈夫かな」
 仕事が終わればこっちに来ることを伝えて背中を撫でたリオンは、レオポルドを見て一瞬視線を泳がせたウーヴェが小さな声でお休みと呟いた事に気付き、嬉しそうに顔を綻ばせる。
 「ああ、お休み、ウーヴェ」
 子どもには夢を見る時間が必要だと笑う父に息子は納得のいかない顔をするが、その言葉はマザー・カタリーナにも未だに言われるとリオンが笑うと、親にとって子どもはいつまで経ってもどれ程大きくなっても子どもなんだとレオポルドが腕を組む。
 「親父、AMGのキーを貸して欲しい」
 「分かった」
 ウーヴェを部屋に連れて行き、再度ベッドに寝かせてまたテディベアをベッドに置くと、今度はその巨体を受け入れたようで、ウーヴェの手がしっかりと金色の毛並みに載せられる。
 それを見届けたリオンが静かに部屋を出てレオポルドに帰ることを伝え、恋人が実家に預けっぱなしにしていたもう一台の愛車に乗り込んで屋敷を出るのだった。

 

 それは小さな変化だったが、その小さな変化と大きな決意がやがてウーヴェを中心とした人達の関係に三度の変化をもたらすことになるが、その時が近づいていることをウーヴェはテディベアをハグしながら、レオポルドはイングリッドに今見た光景をある種の感慨と共に伝えながら、リオンはAMGの運転席でカーラジオから流れてくる陽気な曲に合わせて歌いながら密かに実感するのだった。

 

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2014/05/10


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