Clap90

-Lion&Uwe-

 

  今日最後の患者の診察を終え、やけに疲労感がある事に気づいたウーヴェは、お気に入りのチェアに足を引きずりながら歩いて行くと、膝から崩れ落ちるように座り込んでしまう。
 何が一体ここまで疲労感をもたらしたのかが分からず、さっきの患者の話に引き摺られたのかと振り返るが、振り返ることすら本能が拒否するのか、最後の患者の話が思い出せなくなってしまう。
  ここまで疲労するのも本当に珍しいと自嘲し、肘置きに腕を載せて二重窓の外へと視線を向けた時、ドアがノックされて条件反射でどうぞと返す。
  「お疲れ様でした、ドクター。明日の予定はこちらになります」
  「ああ、ありがとう」
  最後の患者の手続きを終え、明日の予定を持って来た優秀な秘書に上の空で返事をしたウーヴェは、甘いものでも食べますかと問われて上空から意識を下界へと引きずり落とす。
  「・・・少し疲れた、な」
  「そうですね・・・お茶の用意をして来ますね」
  「ありがとう」
  本当に感謝していると告げたものの、あっという間に意識が上空へと戻ってしまい、この浮ついた気持ちは一体何なんだと自問するものの、返ってくるのは誰のものかも分からない、意味すらわからない嘲笑で、ああ、非常に危険な状態だと自己診断を下したウーヴェは、右手の薬指でキラリと光るリングを触り、危険水域からの脱出を図ろうとする。
  指先に触れる感触は冷たい金属のものだが、物をそれ以上のものとして捉える節のあるウーヴェにとっては何よりも熱いものに感じ、一見すればシンプルなデザインのプラチナのリングをくるりと回転させると、軽く力を込めて定位置の薬指から抜き取り、二重窓から差し込む陽光に煌めかせるように顔の前で掲げると、互いのイニシャルのUとLの間に嵌められたロイヤルブルーの小さな石が微かに陽光を浴びてキラリと光り、ウーヴェの疲労感が漂っていた双眸に柔らかさが滲み出す。
  このリングは、リオンの友人であり自分たちにとっても思い出深いピアスやトゥリングを作ってくれたベラとリッシーの二人が自分達のためにとデザインを考えてくれた結婚指輪で、派手なものがあまり好きではないウーヴェの嗜好も十分理解している為か、シンプル過ぎるデザインになっていた。
  ただ、見えない所にあなた達らしさを刻みたいと、デザイナーとしての矜恃か何かは不明だが、結婚式の日付と互いのイニシャルを刻む際、ウーヴェのリングにはリオンの双眸を連想させる石を、リオンのリングにはウーヴェの瞳の色に良く似た石を肌に触れても不快にならないように嵌め込むデザインに仕立ててくれたのだ。
  どうしてそれぞれの瞳の色じゃないのかと、ウーヴェが聞きたかったことをリオンが察して素直に聞いた時、あなた達の事だから自分よりも相手を思っているでしょうと笑われ、その一言が二人の関係を一番言い表している言葉だとも笑われて思わず赤面したのだが、確かに自分のことを考えるよりもお互いのことを思っている方が多いと改めて気づき、そのデザインでいいと二人問答無用で頷いたことを思い出し、青い石がキラリと光る角度に指輪を傾ける。
  式を挙げた日付は流暢な文字だったが、互いのイニシャルはどんな思いが込められているのか対照的なブロック体で、その意味も聞いてみたいと思ったことも思い出すが、二人のイニシャルの間で光る蒼い石を見ているだけで疲労感が薄れていった事に気づいたウーヴェは、再度ノックされた事に気づいてどうぞと声を掛けつつ指輪を定位置にそっと戻す。
  「────甘いものも良いけれど、診察は終わったし今日はこれにしたわ」
  リアが少しの茶目っ気を込めてトレイで運んで来たのは、レモネードの瓶とビール瓶、そして二人分のグラスで、それを見たウーヴェの目が一瞬で疲れを吹き飛ばしたような色になる。
  「ラドラー?」
  「ええ。これだとリオンに怒られないでしょ?」
  いつもいつも、お前は未成年の子供を叱る母親かと皮肉りたくなる程、ウーヴェが酒を飲む際には何かを食べろとウルサいリオンを思い描き、確かにラドラーだったら怒られないと片目を閉じるウーヴェにリアも小さく舌を出す。
  「でも、確かに何も食べないのはあまり賛成出来ないから、今日はこれを食べて」
  トレイに一緒に運ばれて来たのは、オレンジやレモンの皮にチョコをコーティングしたもので、柑橘系特有の酸味と苦味がチョコに包まれて口の中で程良く甘くなるものだった。
  ラドラーも爽やかだがビール特有の苦味よりも甘みや飲みやすさを覚えるもので、己の疲労具合からリアが用意してくれたのだろうと気付き、いつもありがとうと若干の照れを浮かべつつ礼を言うと、リアの顔に嬉しそうな満足そうな笑みが浮かぶ。
  人の笑顔というのはやはりいつ見ても気持ちが良いものだと思った瞬間、リアには申し訳ないものの、本当に見たいと願うのはただ一人の笑顔だと唐突に気付き、右手薬指のリングを親指でなぞる。
  「ウーヴェ?」
  「・・・リア、リオンが来る前に飲んでしまわないか?」
  あいつは恐るべき事にここで何かを食べている事に関する体内センサーを持っているからと、いつものウーヴェからすれば考えられないほどの軽口で肩を竦めると、一瞬それに驚いたリアが目を見張るものの、確かに体内センサーを持っていると楽しそうに笑う。
  笑うリアにウーヴェもつられて笑い、ラドラーを満たしたグラスを彼女に差し出し、己もそれを手にとる。
  「今日も一日お疲れ様でした、ドクター」
  「きみもお疲れ様、明日もよろしく頼む、フラウ」
  二人だけの、ある種の儀式のようなそれをラドラー片手に厳かに交わした二人は、今日の診察は気疲れが酷かったと、互いに同じ感想を抱いたことを告げながらラドラーを飲み、明日の患者が今日のような心身の疲労を与えて来る人が少なければ良いと苦笑し合うのだった。

 

  いつもと比べて静かにドアをノックしたリオンは、返事がない事に首を傾げつつそっとドアを開けると、窓際のチェアで頬杖をついたウーヴェを発見し、呼びかけながら部屋に入る。
  「ハロ、オーヴェ。遅くなった」
  待たせて悪かった、機嫌を損ねているのなら許してくれと、全くそのつもりがない顔で笑いながらウーヴェの背後に回り込むが、いつもならば笑顔でお疲れと労ってくれる言葉がなく、後ろから端正な顔を覗き込めば、本当に珍しい事に穏やかな寝息が聞こえて来る。
  ここでうたた寝をしているウーヴェなど今まで見たことがなく、珍しいと苦笑したリオンは、さてどうするべきかと腕を組んで思案する。
  ここまで気持ち良さそうに寝ているウーヴェを起こすのも気の毒だし、正直な話、ウーヴェの寝顔をじっと観察できる機会などなかなかあるものではなかった。
  その機会を逃すかどうかをリオンなりに真剣に考えたが、腹の虫が空腹を訴えて騒ぎ出した為、気持ち良さそうに寝ている所悪いと断りつつウーヴェの横に回り込んで頬を手の甲で軽く叩く。
  「オーヴェ、そろそろ帰ろうぜ」
  「・・・・・・ん・・・」
  「Grüß Gott、オーヴェ」
  ウーヴェの額、鼻の頭、寝息を零す唇にキスをしたリオンは、睡魔の残滓が揺蕩う双眸が半ば姿を見せた事に苦笑し、そろそろ帰ろうぜと再び声を掛けるが、明らかに寝惚けている顔でウーヴェが腕を伸ばしてリオンの頭を抱き寄せる。
  「・・・・・・リーオ・・・」
  「どうした?」
  ちゃんと俺が迎えに来ましたよー帰りますよー甘えん坊オーヴェと、戯けた風に呼び掛け、冬や乾燥している時には痛みや痒みを訴える背中をそっと抱いたリオンの耳に、お前の笑っている顔が見たいとの言葉が流れ込み、流石にそれにはリオンも言葉をなくしてしまう。
  「・・・リオン・・・・・・、笑って、欲しい・・・」
  それが、今すぐここで笑えと言っているのではない事を察したリオンは、しがみつくように力を込めるウーヴェの身体を子供のように抱き上げ、見上げる端正な顔についつい自然と浮かぶ笑顔で囁き掛ける。
  「・・・お前が笑ってくれたら俺も笑える。────だからオーヴェ、お前も笑ってくれ」
  二人でお互いを笑わせあって生きて行こうとも囁くと、ウーヴェの寝惚け眼が姿を隠し、次に見えた時にはすっかり目が覚めていたらしく、目尻のホクロが赤く染まっていた。
  「・・・お疲れ、リーオ」
  寝惚けた己は何を言った、どんな醜態を晒したんだと赤くなったり青くなったりする永遠にして最後の恋人であり生涯をともにする伴侶でもあるウーヴェの小さな小さな声にリオンが目を丸くするものの、ニヤリと笑みを浮かべて見下ろして来る双眸にキスをする。
  「いつも以上に素直に甘えて来るなーって思っただけ」
  「~~っ!」
  「腹も減ったしさ、そろそろ帰ろうぜ、オーヴェ」
  「・・・ああ」
  分かったから降ろしてくれと咳払いを一つしてリオンに申し出たウーヴェだったが、却下の一言でにべもなく断られてしまい、メガネの下で目を丸くする。
  「リーオ」
  「・・・本当は車までこのまま連れて行きてぇけどなぁ」
  ただ、それをして誰かに見られると明日から出勤するのが辛いだろうとリオンが笑うが、尻尾と呼ぶ首筋の上で一つに束ねた髪をウーヴェに引っ張られて大げさに悲鳴を上げる。
  「いて!」
  「うるさいっ」
  早く降ろしてくれとウーヴェに半目になって睨まれて渋々降ろしたりオンだったが、小さな咳払いの後に己の腰に腕を回されて一瞬にして機嫌を直す。
  「今日の晩飯何にするんだ、ダーリン?」
  「昨日バートがくれたラザニアがまだ残っていたから、それにしようか」
  「賛成。チーズ追加して欲しいなぁ」
  クリニックはもう戸締り寸前まで片付けが終わっていて、リオンの腰にしっかりと腕を回しながらウーヴェがその肩に軽く寄りかかると、リオンもそんなウーヴェを支えるように腕を回し、今日は何だか飲みたい気分だと笑う。
  「ビールでもワインでも好きなものを飲めば良い」
  「んー、あ、そうだ。美味いバーボン飲んでみてぇな」
  「バーボン?ああ、この間ノルが置いて帰ったのがあるからそれを飲もうか」
  ただし、ラザニアを食べる時にはビールかワインの方が美味しいから、食後のデザートの時に飲もうと笑うウーヴェにリオンも賛成と笑ってその頬にキスをする。
  「帰ろうぜ、オーヴェ」
  「ああ」
  クリニックの両開きの扉を閉め、エレベーターに向けて二人肩を並べて歩き、食べた後にバニラアイスとバーボンを楽しもうと笑い合いながら地下の駐車場へと向かい、リオンがご機嫌の証の鼻歌を車内に小さく響かせながら帰路につくのだった。

 

  その後、リオンは希望通りにバーボンを飲み、アイスにもそれを掛けてウーヴェと一緒に食べ、寝惚けていたウーヴェはマジで可愛い、もう我慢できねぇと笑いながら顔を赤くするウーヴェをソファに押し倒し、望み通りとは少しだけ違う意味合いながらも、楽しそうに二人一緒にくすくすと笑いあうのだった。


2019.10.13まで公開。
(  Д ) ゚ ゚どうした、ウーヴェ・・・(゚ロ゚; 三 ;゚ロ゚)


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