秋の色に街中が染まりだした日の午後、ご機嫌な証の鼻歌を歌いながらガラスで出来たチェスの駒を手に取ったのは、たった今ギュンター・ノルベルトに奇跡の勝利を果たしたリオンだった。
その横顔に呆れたように溜息を吐いたレオポルドは、そんなにギュンター・ノルベルトに勝てたことが嬉しいのかと問いかけ、連戦連敗中の兄貴に勝てたのだから喜んでもいいだろうと言い返されて口を閉ざす。
「なー、オーヴェ、そうだよなぁ」
「まあ、そうだな」
何度やっても勝てなかった相手に勝てた感動は声を大にしても良いだろうと頷くウーヴェにリオンが更に勝ち誇った顔で頷き、ハニーの言うとおりだと拳を握ると、途端に聞こえてきた言葉に表情が一変する。
「1ユーロ」
「・・・ぅ」
「何だ、ハニーと呼んだら1ユーロ払わせているのか、フェリクス?」
二人の間では久しぶりに当然のように交わされるその言葉に反応したのは、リオンに負けたことで内心かなり落ち込んでいたギュンター・ノルベルトで、どうしてそんな決まり事が出来たんだと気持ちを切り替えるように問いかける。
「・・・なぁんで今でも呼んだら1ユーロとか言うんだよー」
オーヴェのケチ。結婚もしたし今更なのにどうしてハニーと呼ばせてくれないんだと、憤慨のあまりハニーを連呼するリオンに対し、ウーヴェは特に何も言わなかったが、感情の爆発が一段落ついた頃、カフェオレ-もちろんリオンが淹れたもの-のマグカップを片手に上目遣いにリオンを見つめる。
「10回言ったから10ユーロだな。暖炉の上で豚が10ユーロを食べるのを楽しみにしているようだぞ」
「だー!くそー!!」
オーヴェのくそったれ、トイフェル、悪魔と、おきまりの罵詈雑言を吐き捨てたリオンは、ウーヴェのターコイズ色の双眸にじろりと睨まれて首を竦め、タバコを買うためにポケットに突っ込んでいた小銭を泣く泣く豚の貯金箱に投入する。
その背中にさすがに気の毒に感じたらしいギュンター・ノルベルトが、それぐらい許してやればどうだとリオンを助けるための船を出すと、ハニーと呼ばれるぐらい構わないだろうと、レオポルドがその船のエンジンを始動させる。
だが、その二人の助け船もウーヴェがダメなものはだめだの一言で沈没してしまいそうで、リオンが悲哀を煽るように鼻を啜りつつウーヴェをソファの背もたれ越しに抱きしめる。
「なぁんでダメなんだよ?」
「・・・・・・ダーリンで良いだろう?」
ハニーは嫌だがダーリンは良いのかと言うギュンター・ノルベルトの小さな突っ込みは無視をされてしまい、そもそも何故そんな決まりを作ったとレオポルドが些か呆れた顔で呟くと、いつだったかアリーセ・エリザベスがそう言っていたのだと教えられ、ウーヴェを除く三人の男の視線が一点に集中する。
視線の集中砲火を浴びたのは、そこにいるのかいないのか分からないほど物静かに微笑ましそうに義理の兄弟達の騒動を見守っていたミカだった。
「え?僕かい?」
「・・・エリーと付き合いだした頃にハニーと呼んだら5ユーロ支払わされると言ってた」
「あ、ああ、そう言えばそんなこともあったなぁ・・・」
「ミカも!?」
しかも5ユーロもと盛大に驚きの声を上げたリオンは、今はイングリッドと買い物に出かけていて不在のアリーセ・エリザベスの顔を脳裏に浮かべて脳内でその言葉を吐き出させると、問答無用で支払ってしまうと項垂れる。
「うん、払っていたなぁ。まあ、アリーセの照れた可愛い顔を見るための代償だと思えば安いものだったけどな」
ミカののろけにも聞こえる言葉にさすがに今度ばかりはウーヴェも驚き、他の三人と同じ表情になってしまう。
「エリーの照れた顔・・・?」
そんなもの、数えるほども見たことがないと驚くウーヴェに鷹揚に頷いたミカは、それはそれは可愛いと何度も頷き、きっとリオンもそうじゃないのかと首を傾げると、リオンのまた伸びてきたくすんだ金髪が激しく左右に揺れる。
「ハニーと言っても照れてくれねぇし、可愛い顔なんて見せてくれねぇ!」
「・・・いっそのこと50ユーロでも先払いをして50回言い続ければどうだ?」
懲りないリオンの様子に呆れたギュンター・ノルベルトが頬杖をつきチェスの駒を矯めつ眇めつしながら呟くと、ウーヴェの頭も上下する。
「・・・リーオ」
「んだよ」
ギュンター・ノルベルトの言葉にがっくりと肩を落とすリオンだったが、ウーヴェだけが感じ取れる不機嫌さを見せ始めたため、口調を変えて名を呼ぶと、先程と同じようにソファの背もたれ越しに抱きしめられる。
「────Du bist mein Ein und Alles,リーオ」
ピアスが填まる耳に口を寄せて囁かれてしまえばいつまでも不機嫌でいられるはずもなく、リオンが一つ溜息を零した後、ウーヴェの頬にキスをする。
「ダーリン、チョコ食いてぇ」
「ああ、パントリーにあるから取ってくれば良い」
その一言で機嫌を直したことを確かめ合い、互いの頭に手を回して撫でた二人は、三人が今度こそ本当に呆れた顔で見てきていることに気付き、ウーヴェが照れ隠しに咳払いをする。
「仲が良いのは良いことだけどね、少しだけ気をつけなさい、フェリクス」
「・・・気を、つける」
お前達が仲良くしているのは良いことだが、度が過ぎると快くないと肩を竦める兄に頷き、同意するように頷く父にも肩を竦めると、買い物に行った二人はまだ戻ってこないのかと窓の外を見る。
「もうすぐ帰ってくるんじゃないか?」
ウーヴェの様子に目を細め、ギュンター・ノルベルトとレオポルドに苦笑一つで頷いたミカは、今日はフィンランドでよく食べるミートボールを作ってくれる筈だと笑うと、チョコを片手に戻って来たリオンの顔に満面の笑みが浮かび上がる。
「楽しみ!オーヴェ、レシピ聞いてさ、作ってくれよ」
「ああ、そうだな、今日教えて貰おうか」
だからアリーセ・エリザベスが帰ってきたら料理の手伝いをして覚えようと笑いかけるウーヴェに俺は食う人宣言をいつものようにリオンがする。
「・・・まったく」
美味いメシを食いたいのならば手伝えとレオポルドがリオンを睨むが、そんな事を言う親父は手伝ったことがあるのかと反撃されて口を閉ざしてしまい、ギュンター・ノルベルトがやれやれと溜息を吐くものの、兄貴もいつも外食をしているだろうと指摘されて視線を逸らしてしまう。
「ミカは料理はするのか?」
「料理をしたいとは思うけど、アリーセが許してくれなくてね」
あなたはレースのことだけを考えていなさい、家の事は私が総てするからと、結婚後も口を酸っぱくして言われていることを告白するミカに、愛されてるなぁとリオンがにやにや笑う。
「否定はしないよ」
アリーセ・エリザベスの愛情のかけ方に思い当たる節のある兄と弟はそれについては何も言わずにただ苦笑するが、彼女の手料理が美味しいことも知っている為、楽しみだとこちらに関しては他意もなく頷く。
「二人が帰ってくるまでもう一戦するぞ、リオン」
「イイぜ、兄貴」
さっきのリベンジだと息巻くギュンター・ノルベルトに不敵な笑みを見せつけたリオンは、ウーヴェに何事かを囁きかけて苦笑交じりに了承を得、今度は二人がかりだから絶対に負けないと、二人でチェス盤の前に腰を下ろして腕まくりをし、ギュンター・ノルベルトを呆然とさせることに成功するのだった。
2018.11.18
バルツァー一家(男子のみ)のある日のできごとでした(笑)


