Webclap72

 春から夏に季節が着実に変わりつつあるある日の夜、仕事が奇跡的に定時で終わったことから早々に帰宅し、最後にして最愛の恋人との食事を終えてリビングでくつろぎながら欧州選手権を録画したものを見ていたリオンは、ドイツが勝ったことに安堵し、歴史的な勝利を果たしたハンガリーの選手へのインタビューを興味深げに見つめていた。
 その横ではウーヴェがいつものように、知識を得るためと言うよりは知見を広めるための情報収集も兼ねた読書をしていた。
 リオンはソファの前の床にクッションを置いて座っていたが、座って本を読んでいることに疲れたらしいウーヴェがソファに寝そべったため、リオンの肩辺りにウーヴェの顔が来る。
 二人でいることが当然のようになり、こうしていられることが何よりもかけがえのないものであることを時折二人は忘れてしまうことがあった。
 先日も些細なことから口論となり、拗ねたリオンが定番になっている己の部屋のパイプベッドに潜り込み、腹を立てたウーヴェが広いベッドに一人で寝ることになったのだが、先日海を越えた遠い街で、愛する人達と共にいられることが、ある日突然喪われてしまうはかなく脆いものである事を思い出させるような悲痛な事件が起きたことを知り、拗ねている場合では無いと気付いたリオンが謝罪をし、一人で広々と使えるはずのベッドで肩身の狭い思いをしていたウーヴェが同じく謝罪をしてリオンのそれを受け入れた結果、今こうしてリビングのソファで仲良く並んで好きなことをしながらリラックス出来るようになっていた。
 応援する選手が笑顔でインタビューを受けているのをぼんやりと見ていたリオンは、肩の間近で穏やかな呼気が響いたことに気付いて視線だけで振り返ると、心底リラックスしている顔でウーヴェが本を読んでいた。
 その横顔は大小様々な事件を乗り越えてきた自分たちだけに共有されるものだったため、つい嬉しくなって今度は身体ごと振り返る。
 「オーヴェ」
 「・・・どうした?」
 「うん。何でもねぇ」
 「・・・・・・」
 振り返り名を呼び、眼鏡の下のターコイズ色の瞳を向けられるだけでも嬉しくなり、実際には何かを伝えたかったわけでは無い為に何でも無いと返すと、呆れたような色が双眸に浮かぶ。
 ただ、その後決まって唇の両端が持ち上がり、何でも無いのなら呼ぶなと憎まれ口を叩くのだが、今もまたその予想通りの言葉を聞かされるだけでは無く、指先で額を軽く突かれて条件反射のように口を尖らせる。
 「・・・むぅ」
 「サッカーはどうなったんだ?ドイツは勝ったのか?」
 「へ?ああ、うん、勝った勝った。ただ、ハンガリーが初戦勝利したってことが大きく取り上げられてたなぁ」
 「ふぅん。初戦の勝利は嬉しいんだろうな」
 己が問いかけておきながらあまり気のない返事をしたウーヴェだったが、ウーヴェがサッカーの話題に触れたことが嬉しいリオンにとってはどうでも良いことで、ハンガリーが初戦勝利をしたのは今から30年や40年前だったと答えてウーヴェの目を見開かせる。
 「それだけ勝ってなけりゃ嬉しいよなぁ」
 「そうだな」
 リオンが足首を掴んで身体を前後に揺さぶろうとするが、背後にあるソファの座面にぶつかって身動きが取れなくなり、それに気付いたウーヴェが微苦笑しつつくすんだ金髪に手を差し入れて撫でると嬉しそうに目が細められる。
 その様はどこからどう見ても大型の猫科の動物のようで、思わずリオンののど元に手を当ててしまったウーヴェだったが、当の本人は何故急に喉を触られたのかが理解出来ずに身体全体を傾げて疑問を呈する。
 「オーヴェ?」
 「何でもない」
 まさか名の通りの動物に思えたとも言えず、微苦笑しつつもう一度何でも無いと答えたウーヴェにリオンが瞼を平らにして不満を表明するが、何かを思い出したように目を瞠った後、ソファの座面に顎を乗せて前屈みになる。
 「・・・オーヴェ、キスしよ」
 「・・・・・」
 子どもにしては裏がありそうな、大人にしては素直すぎる笑顔で告げられたそれに絶句したウーヴェだったが、その言葉の裏に秘められた思いを探ろうとするが、裏など無くたった今思いついた言葉を並べただけだとリオンの表情や身体の動きから察すると、眼鏡を外して似たような笑みを浮かべる。
 そして、期待を込めて待ち構えているリオンに顔を突き出して小さな音を立ててキスをする。
 「これでいいか?」
 「うん。でももっと。もっとキスしようぜ、オーヴェ」
 どれほど望もうがもうそれが出来なくなってしまった人達の分も、と、小さく掠れた声で呟くリオンの言葉尻を己の口の中に封じ込めたウーヴェは、くすんだ金髪に再度手を宛がってやんわりと動きも封じると、リオンの手がウーヴェの頬に宛がわれる。
 「・・・ダンケ、オーヴェ」
 ウーヴェの口の中に封じられた思いとキスで伝わるそれに納得したように頷いたリオンは、ターコイズ色の双眸が貴石の煌めきを秘めて見つめてくることに眩しそうに目を細めるが、それも嬉しいことだと言うように口の端を持ち上げる。
 「ああ」
 「サッカーさ、一緒に見ねぇ?」
 「そうだな、それも良いな」
 リオンの誘いに珍しく素直に頷いたウーヴェは、床のクッションからソファへと移動してくる恋人のために身体をずらそうとするが、横に座ったリオンがウーヴェの腰に腕を回して身体を密着させてくる。
 それがキスを強請ってきた理由と同じ場所から発生していることをしっかりと見抜いている為に、逆にリオンの身体にもたれかかるように身体を傾げると、満足そうな吐息が一つ、肩に触れてこぼれ落ちる。
 大丈夫だ、その不安を少しでも解消してくれと声に出さずに心でのみ願いながら、少し興奮しつつサッカーの中継に見入りだしたリオンに寄りかかりながらウーヴェもテレビの中の光景に夢中になってしまうのだった。  

 

2016.08.31まで公開
少し前にあった痛ましい事件を知ってのお話でした


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