まるで映画のセットかモデルルームのように整頓され磨き上げられた広いキッチンに、キッチン全体の広さを考えれば情けないほどの小さなテーブルをドアの近くの壁に一辺を接するように置いてあり、そのテーブルは荷物置きにも食べる為のテーブルにもなる事を示す様に今は荷物と積み重ねられた食器が控えめに置かれていた。
掃除の手間を考えたタイル張りの床は壁やシンクと同様に、窓から入る冬の低い太陽の煌めきを受けて光っていて、真夏に素足で歩けばさぞかし気持ちが良いだろうと思わせてくれるが、真冬の今は分厚いボア付きのブーツで歩いても寒いと思える程だった。
だがそんな底冷えのするようなキッチンであってもアパート全体を循環している暖房のお陰で寒さを感じる事は無く、コンロ下の大きなオーブンのドアを開けると熱気と少量の蒸気がオーブンから逃げ出し、キッチンの中を更に暖かくしてくれる。
「暖かい…!」
「火傷をしても知らないぞ、リオン」
湯気に顔を寄せて温かさを実感しているリオンに呆れ混じりにウーヴェが呼びかけ、そこにいれば邪魔だからテーブルの上を片付けて食べられるようにしてくれと苦笑しつつ命じれば、新兵さながらの不器用な敬礼をしたリオンがテーブル前に駆け寄り、上に乗っていた荷物を足下に下ろそうとする。
「リーオ。そこに置けば埃が付いてしまうだろう?ちゃんとパントリーに入れてきてくれ」
「これだけキレイに磨かれてて埃も何もあるかよ」
「何か言ったか?」
「何でもアリマセーン」
二人で出掛けたスーパーで買い求めた食料品や調味料をちゃんと定位置に入れてこいと告げるウーヴェにリオンが舌を出しつつ面倒くさそうに答えるが、笑顔で振り向かれてそそくさと荷物を抱えてキッチンからも入る事の出来るパントリーのドアを開けて姿を隠す。
掃除を筆頭に家事全般が苦手というよりは家事は誰かがするものと思い込んでいる節のある恋人のその言動にただ呆れたような溜息を零したウーヴェは、本当に仕方がないと呟きながらオーブンから取りだしたラザニアをテーブルに置き、冷蔵庫横の棚からビールとグラスを取り出した頃にリオンがパントリーから戻ってくる。
「美味そう…!!」
「スープを入れるから先に座っていてくれ」
「ダン、オーヴェ」
いつも美味いメシを本当にありがとうと胸の前で手を組んで眼をきらきらと光らせる大げさな謝意を溜息一つで躱したウーヴェは、それでも恋人が心底喜んでくれていることが嬉しいと同時に密かな自慢にもなり、温め直したスープを鍋ごとテーブルに運んで椅子を引くと、大きめの耐熱皿のラザニアが二人分だけ無くなっていて、積み重ねていた食器がそれぞれの椅子の前にセッティングされ、その上に分量が微妙に違うラザニアが載っていた。
掃除炊事は面倒だからやらないと宣う癖に、食べる事に関しては誰よりも素早いリオンに最早何も言えなかったウーヴェは、スープを別の器に取り分ける間にリオンがビールを注いでグラスを差し出してくる。
「ほら、オーヴェ」
「ああ、ありがとう」
リオンが料理に目がないのと同じようにウーヴェも酒には目がないが、二人で壁に向かって並んで腰を下ろし、ウーヴェの一言をリオンが今か今かと待ち構える。
真横で伝わってくるそわそわ感に自然と小さく吹き出したウーヴェだが、コホンと咳払いをした後でリオンに掌を向け、どうぞ召し上がれと片目を閉じる。
「ダン、オーヴェ!」
「ああ」
食べる事に掛けては行儀すら良くなるリオンにもう一度溜息をついたウーヴェは、隣で勢いよく食べ始めるその姿に刺激を受けたようで、珍しく今日はビールよりもラザニアへと手を伸ばしていた。
「なぁ、オーヴェ、メシ食ったら録画したサッカーを見ないか?」
「ああ、そうだな…じゃあ俺は本を読んでいるかな」
お前がサッカーを見るのならばその横で本を読んでいると告げ、リオンの口の端に付いているミートソースに気付いてごく自然な動作でそれを指で拭き取り、何も考えることなくその指をぺろりと舐めると、リオンが呆気に取られたような表情を一瞬だけ浮かべるが、ウーヴェがそれに気付くよりも先に笑みを浮かべてランチの後の予定を語り始める。
サッカーを一緒に見、それが終わればウーヴェの義兄が出ていたレースの放送を見ようと笑い、テレビのお守りをするのだからデザートはチョコとアイスが必須だと納得の声を挙げるが、デザートはひとつだけだとにべもなく言い放たれて喉の奥で声を籠もらせる。
「オーヴェのイジワル、トイフェル…」
「ふぅん?そんなことを言うんだな?」
ちらりと横目で視線を重ね合わせた二人だったが、程なくして蒼い瞳が左右に泳いだかと思うと、ごめんなさいと小さな声が謝罪をし、悔しさを晴らすかのようにラザニアの皿にフォークを突き刺す。
「リーオ」
「ん?どうした、オーヴェ?」
ほんの僅かの時間で悔しさを晴らすことが出来たのか、リオンが何でもない顔でウーヴェの呼びかけに答えると、ビールグラスを片手ににこりと微笑まれて呼吸を止める。
「ビールのお代わりを許してくれればデザートも許そうかな」
「むー、そう来たか」
本当に酒が好きなんだからと、今度はリオンが呆れた声を挙げるが、目の前で綺麗な顔で笑うウーヴェにはどんな言葉を持ってしても勝てるはずがなかった。
だから認めましょうと掌を上に向けて肩を竦めると、キレイな笑みが更にキレイなものへと昇華する。
「早く食べて片付けをして、サッカーを見ようか」
「賛成。早く食えよ、オーヴェ!」
お待ちかねが食事の後にもある、その歓喜を隠さないで嬉しそうな声を挙げるリオンに自然と小さな笑い声を上げたウーヴェは、つられたわけじゃないと言い訳しながらラザニアを取り分け、スープを食べて楽しいランチを終えるのだった。
その後、リビングに移動した二人は、ランチを食べながら決めたようにリオンはサッカーの録画に釘付けになり、ウーヴェはそんなリオンの横でテディベアの身体に少し寄り掛かりながら本の世界に半分だけ意識を旅立たせていた。
二人の前のテーブルには正方形のチョコが数種類とほとんど残っていないビールグラス、湯気を立てていたであろうマグカップが並んでいたが、リオンは己の宣言とは違ってサッカーに熱中するあまりデザートを食べることを失念し、ウーヴェは本の世界に飛び込む前にビールを飲み干していたが、不意に腿に重さと温もりを感じて視線を落とせば、リオンがごく当然の顔で腿に頭を乗せていた。
その重さにもいずれ耐えられなくなるだろうが、限界が来るまではそのままにしてやりたいと内心でのみ囁いたウーヴェは、払い落とされることなど毛頭考えていないリオンの柔らかな髪を読書の合間に撫で続けるのだった。
そんなごく有り触れた何気ない休日の午後が今日もまたゆっくりと二人の上を通り過ぎ、真冬の冷たい風もアパートの中に入ることは出来ずにただ上を吹き抜けていくだけだった。
2012.01.07-02.13


