WebClap 27

 朝食の支度を終えたキッチンを後にし、いつまでも眠り続けていたいしまた眠り続けられると豪語する恋人をその職業に恥じない男に変身させようと、彼はすっかり習慣付いてしまったことをする為にベッドルームのドアを開け、朝の気配の中でも意に介することなく眠っている恋人の傍に歩み寄る。
 「……リオン、朝食の支度が出来たぞ」
 そろそろ夢の園を卒業しろと苦笑しながらベッドに膝をつき、人型に盛り上がっているコンフォーターを軽く揺さぶれば、卒業したくないと不満の声が返ってくる。
 「遅刻しても知らないぞ」
 普段どれほどふざけていようが仕事に対する情熱だけは誰からも認められているんだろうと、自尊心を擽る作戦に出た彼は、それでも何やらもごもごと言い募る恋人に目を細め、コンフォーターを勢いよく引っ剥がす。
 「リーオ」
 「~~~~~~んー…っ!…ゴッ…っ…オーヴェ」
 「ああ」
 欠伸混じりの挨拶に苦笑を深めて頷いたウーヴェは、まるで映画に出てくるゾンビのように腕をだらりとさせた後で己の両肩に乗せてもたれ掛かってくるリオンに小さな溜息を零し、朝から強請られているものを与える為に額に掛かる前髪を掻き上げて姿を見せた肌にキスをする。
 「おはよう、リオン」
 ウーヴェが与えたキスがリオンの身体に力を与えたのか、拳を突き上げて一つ伸びをしたかと思うと、勢いよく飛び上がってベッドから降り立つ。
 「朝飯、出来てる?」
 「ああ。後は卵を焼くだけだな」
 「じゃあすぐにシャワー浴びて来る」
 だから今日も絶品の朝飯をお願いハニーと呟きながらウーヴェの額にキスを返すリオンに溜息を一つ送り、ブタの貯金箱にも朝食を食べさせるのは偉いなと肩を竦めてバスルームに飛び込む背中を見送ると、頼まれた絶品の朝食の仕上げに取り掛かる為にキッチンに戻るのだった。

 今日も元気に働いてくると笑顔でウーヴェの頬にキスを残し、絶品の朝食をありがとうといつもの言葉と笑顔で礼も残したリオンは、家を出る直前に呼び止められて玄関先で振り返る。
 「どうした?」
 その顔は、今まで見ていた子供っぽさと、職業に自負を抱いている男が相半ばする絶妙なもので、そのどちらをも見ていたいと願っているウーヴェは、不思議そうに見つめてくるリオンに目を細めて襟元の乱れを整え、一対の青い石のピアスが填っている耳に口を寄せて胸の裡に溢れている思いを流し込めば、間近にあるピアスと似たような色合いの双眸に驚きの色が浮かび上がるが、次の瞬間歓喜と自信に満ちたロイヤルブルーの瞳に見つめられて軽く息を飲む。
 「────ああ」
 「…気をつけて行ってこい」
 お前が信じてやってきた道を今日も堂々と歩んでこいとも囁き、腰に腕を回した後でそっとキスをされて目を閉じると、片手で顎を固定されてコツンと額に額がぶつけられる。
 「行って来る。オーヴェも頑張って来いよ」
 「ああ」
 お互いの仕事が人の命に関わるものだからこそ、己の身を守りつつ接する相手の身も守ろうと互いに確認し合うと、一転して子どもの顔で笑みを浮かべる。
 「今日は何も無ければ早いから、クリニックに顔を出すな」
 「分かった」
 じゃあ行って来ると手を挙げ小さな音を立てて名残惜しそうにキスをしたリオンは、ウーヴェが眼鏡を指で押し上げる動作を認めると、自分と同じ思いを抱いていることを確認しその嬉しさを胸に閉じ込めて見送ってくれる恋人に男の貌で頷いて玄関を出る。
 その背中を見送ったウーヴェは、己が密かに惚れて止まない男の貌で出勤していく恋人を脳裏に焼き付け、自らの支度をする為にベッドルームに戻って若き精神科医の顔になると、恋人と確認し合ったように今日も一日持てるだけの力を出そうと誓った穏やかな顔で家を出るのだった。

 午前の診察を終えたウーヴェは、クリニックの事務全般を一手に引き受けてくれている有能な秘書でありプライベートでは友人でもあるリアと一緒に、クリニックから少し離れた川沿いに出来た店に昼食を取る為に出掛けていた。
 愛車の幌を全開にすれば風が少し冷たく感じる程だったが、街から少し郊外に出ただけと言う事実を忘れさせてくれるような自然に囲まれた小さな店で、店の雰囲気に相応しい素朴な田舎料理を二人で満喫した後、スパイダーの運転席に乗り込んで愛車を走らせた時、前方にパトカーが二台とシルバーのBMWが路肩駐車していて、そのBMWのボンネットに尻を乗せて制服警官と何やら話し合うサングラス姿の青年を発見し、思わず目を瞠ってしまう。
 ティアドロップ型の濃い色のサングラスをし、肩を竦めたり手振りを交えて何やら制服警官と話しているのは、今朝も元気に送り出したリオンだったのだ。
 恋人の仕事中の姿を殆ど見ることのないウーヴェは、信号がちょうど赤になった為にブレーキを踏み、ごく自然に少し離れた場所にいるリオンの横顔を見つめてしまう。
 ウーヴェと二人きりの時には目にする機会が少ない働く男そのものの横顔は、サングラスに覆われている青い瞳には力強い光が浮かんでいる事を簡単に思い起こさせるものでもあり、制服警官とは質の違う精悍さを感じさせるものでもあった。
 己の恋人の特性を言い表せと言われれば、彼を知る人の大半は子供っぽさと陽気さと言うだろうが、そんな子供っぽさを微塵も感じさせない顔につい目を奪われてしまい、信号が変わった事を後続車のクラクションと助手席のリアの言葉で教えられるほどだった。
 背中に直接響くクラクションに我に返り、訝るように見つめてくるリアの視線から顔を逸らすように正面を見たウーヴェは、少し先にいてつい今し方まで見つめていたリオンがクラクションの音に顔を振り向けたことに気付いてサングラスの下で目を細める。
 ゆっくりと車を走らせ、スパイダーの動きにあわせて顔を動かすリオンの横を走り抜ける直前、リオンの唇が小さくすぼめられたかと思うと、己の左手薬指にキスをする姿が見えて瞬きを繰り返す。
 その行為が意味することを察した直後のウーヴェの耳にリアの驚きの声が流れ込み、ちらりと視線を流せばリオンがいた事にようやく気付いたリアが窓から身体を乗り出すように振り返る。
 「リオンだったのね」
 「……ああ」
 サングラスをしているからか分からなかった事をリアが感心したような声で告げ、目の保養になる警察官がいたと思ったのにと小さく笑う。
 「黙って立っていれば男前よね」
 「………本当にな」
 リオンが決まってお茶の時間になればクリニックに飛び込んでくる姿を良く知っている二人からすれば、たった今仕事中の彼を目の当たりにしても己が目にしたリオンが日頃の子供っぽさの欠片もない横顔だった為になかなか信じられないでいた。
 だが例え横顔が子どもじみていようが男のものであろうが、彼の本質は何一つ変わっていない事を誰よりも理解しているウーヴェは、驚きの溜息を零すリアに苦笑し、今日のお茶の時間にやって来るだろうから用意を頼むと告げて小さな笑いを貰ってしまう。
 「もうケーキなど出すなと言ったのに?」
 「………大騒ぎをされると困るだろう?」
 いつだったか、羞恥のあまりリオンにはお茶を出す必要はないとリアに言い放った事があり、己の前言を撤回するのではなく、好きなケーキを食べられないで大騒ぎをするリオンがうるさいと言い訳じみたことを呟いたウーヴェだったが、その言い訳が通じなかったことを助手席から漂ってくる気配で察し、咳払いをして話題を切り替えるのだった。

 クリニックのドアが軽快なリズムをつけて殴られる音に小さく溜息を零し、デスクの端に尻を乗せて窓の外を見ていたウーヴェは、どうぞとノックの主を招き入れる声を発して肩越しに振り返る。
 「ハロ、オーヴェ!」
 ドアが開く音と同時に響く元気いっぱいな陽気な声に振り向いたまま目を細め、日中に目撃した精悍な刑事の貌を見出そうとしてみるが、鼻歌を歌いながら大股にデスク前に寄ってくるリオンの顔には一緒にいられる時間が楽しくて仕方がないと言い出しかねない明るい色しか見つけることが出来なかった。
 「どうしたんだ?」
 「うん?」
 「外に何かあるのか?」
 デスクに尻を乗せて窮屈な姿勢で振り返ってくるウーヴェに首を傾げ、何があるんだと二重窓の前に立って外の世界を見下ろしたリオンは、己がここにやってくるまで見ていた平和な世界が広がっているだけだと呟いて肩を竦め、窓枠に寄り掛かって軽く上体を屈める。
 「オーヴェ」
 「どうした?」
 「何か忘れてねぇか?」
 大切な何かを忘れているだろうと、悪戯っ子の顔で囁いて上目遣いにウーヴェを見たリオンに苦笑を届け、サングラスを掛けているんだなと呟きを発して青い目を丸くさせてしまう。
 「あー、うん、あんまり顔を見られたくないなぁって」
 「そうなのか?」
 「うん。今日の現場はちょっと、な」
 刑事の守秘義務に反することは出来ないのだろうが、珍しく口籠もるリオンに理解している事を伝えるように目を細めて頷いたウーヴェは、忘れ物を思い出したと呟いてデスクから降り立ち、リオンの肩にするりと腕回して首筋の後ろで手を組んで輪を作る。
 「今日も一日お疲れさま、リーオ」
 刑事の貌で何人もの人の命や財産を守ってきたのだろうと囁き、照れと自負が入り混じる顔に笑みが浮かんだかと思うと強い光が瞳を彩り、思わず息を飲んでしまう。ウーヴェの手を取ったリオンは、あの時己の薬指にしたのと同じようにウーヴェの左手薬指の付け根にしっかりとキスをし、右手にもキスをする。
 右手薬指へのキスの意味を読み取り、いつかここに同じデザインの指輪を填めることが出来ればいいと本音を声に出せば嬉しそうな溜息が一つ手の甲にこぼれ落ちた為、ウーヴェがその顔を見つめれば、大人とも子どもともつかない表情で笑みを浮かべてリオンが見つめ返してくる。
 一体幾つの貌を持っているのか教えてくれと皮肉を込めて囁けば、お前に見せた顔が総てだと返されてしまい、鼻先を擦り合わせてくるリオンの後ろ髪を手で握って軽く引っ張る。
 「いてっ」
 「うるさい」
 「暴力はんたーい!」
 「うるさいっ」
 鼻の頭をくっつけあってくすくすと笑いながら痛いだのうるさいだのと一頻り言い合うが、ごく自然な動作で間近にあった互いの唇が触れて重なり、一日の疲れを吹き飛ばすようなキスへと変化をしていく。
 ひとまず満足するまでキスで互いの温もりや存在を確かめ合った二人は、不満と満足が入り混じる吐息を二人の間に零して離れると、もう一度お疲れさまと労いあう。
 「今日はどうする?」
 「パスタ食いてぇ」
 「分かった。買って帰ろうか」
 「うん」
 二人で食べる食事も既に数えることが困難な程の回数になっていて、今夜もまたどうすると問い掛けると食べたいもののリクエストがあり、行きつけの店でテイクアウトしようと笑って帰り支度をし始める。
 「あ、そうだ。オーヴェ」
 「どうした?」
 診察室の隣にある小部屋から出て来たウーヴェにリオンが呼びかけ、眼鏡も好きだがサングラスも好きだと囁いてウーヴェの顔に疑問を浮かべさせる。
 「いつもは眼鏡だろ?」
 「……ああ」
 何のことを言われているのかに気付き、今日は日差しがきつかったと肩を竦めるウーヴェの顔から眼鏡を奪い取ったリオンは、本当は眼鏡がない顔が一番好きだと夜の色香を連想させる声で囁いてウーヴェの碧の瞳を覗き込む。
 「……仕方がないだろう?」
 「うん、分かってる」
 眼鏡がない顔はベッドの中だけで俺だけのものだと笑うリオンに溜息を一つ零して早まってしまった鼓動を何とか鎮めようとしたウーヴェだが、無駄な足掻きだと気付いてもう一度溜息を零し、眼鏡を奪い取って素早く掛けるとリオンの腰に拳を押しつける。
 「帰るぞ」
 「ぃてて…早く帰ろうぜ、オーヴェ」
 「ああ」
 幾つもの顔を見せながらもその本質を変えることのないリオンに呆れたり感心したりしながらも、そんなリオンがやはり好きだと改めて思ったウーヴェは、その思いを口に出すことはせずに胸に秘めたまま、地下駐車場で眠っている愛車を起こしてエンジンの響きを身体中で受け止め、お気に入りのイタリアンレストランにスパイダーを走らせるのだった。


2011.10.20-11.19


Page Top