WebClap 23

 ふと何かに気付いたリオンが顔を上げて気になる気配が漂ってくる方へと視線を向けると、滅多に使うことのない来客用のソファベッドでウーヴェがうたた寝をしている姿が目に入る。
 珍しい事もあると苦笑し、眼鏡が窮屈そうだった為に外そうと手を伸ばすが、己の手が自転車の油まみれであることに気付いて慌てて手を引っ込め、端布で丁寧に油を拭き取った後そっと眼鏡を外してやる。
 その動きにも目が覚めることが無くて本当に珍しいと再度苦笑したリオンは、自転車のチェーンを装着し、ペダルを握ってタイヤを回してギアとチェーンが滑らかに動くかどうかを確認して満足の溜息を零す。
 今日は一日の休暇だったが、昨夜いつかの様に自転車でウーヴェのアパートの向かっていたリオンは、自転車の異変に気付いて念のために朝食を食べた後から手入れに掛かっていたのだ。
 油に汚れたままの手で顔を触ったりする為に顔中に油が付いてしまい、ウーヴェが呆れたような顔で濡れたタオルを差し出してはそのたびに拭いていたが、いつしか作業に集中していてウーヴェの存在が意識野から消えていたのだ。
 ソファベッドでうたた寝をするウーヴェに目を細め、自転車の修理が完全に終わった事を伝えてお茶でも飲もうと大きく伸びをしたその時、ウーヴェがもぞもぞと身動きして白い髪をまるで小さな子どもがイヤイヤをするように左右に振ったのだ。
 「オーヴェ?」
 その声に反応したのか、ウーヴェが動きを止めた為にリオンが瞬きを繰り返すと、薄く開いていた唇からリオンの名前が流れ出してどきりと鼓動を早めてしまう。
 「……ダメ、だ、リ…オン…」
 今日は朝から珍しい事尽くめだとリオンが苦笑し、今夢の中にいる恋人はどんな世界を堪能しているのかを寝言から推測する為にしっかりと聞き届けようと耳を寄せ、微かにつやつやとしている唇が紡ぎ出す次の言葉を待ち構えるが、聞こえてきた言葉に目と口を丸くしてしまう。
 「……ん…、…だから…ダメだ……」
 ベッドの中でしか聞くことが出来ないような艶のある声にリオンが呼吸を止めそうになり、お前の夢の世界で俺は一体何をしているんだと首を傾げたくなったその直後、思わずリオンが首を竦めてしまう声が耳元で弾ける。
 「ダ…メだと…言っているだろうが、このバカたれ!!」
 「ひーっ!!」
 ソファベッドに上体を倒してうたた寝をしている恋人の口から起きているときと全く変わらない厳しい声が飛び、怒られ慣れてしまっているリオンが条件反射のように耳を押さえてその場に蹲ってしまう。
 「ちょ、ごめっ、ごめん、オーヴェっ!!」
 お前の夢で俺は本当に何をしているのかは分からないが、とにかくお願い許して耳を引っ張らないでと小さな子どものように頭を抱え込んで悲鳴を上げたリオンは、いつまで経っても訪れない痛みに恐る恐る顔を上げ、目線の高さで穏やかな顔で眠るウーヴェを発見して青い眼を瞬かせる。
 「寝言…!?」
 茫然自失から立ち直ったリオンが顔を赤くしてウーヴェを見つめるが、寝言とは思えない明瞭快活な声でリオンに恐怖を与えたウーヴェの口から聞こえるのは、これまたベッドで一緒に寝ている時にいつも聞いている穏やかな寝息だった。
 こんな風にウーヴェが穏やかに眠ってくれる姿を目の当たりに出来るのは本当に嬉しい事だったが、だが夢の中でも現実と同じように恋人に怒鳴られて耳を引っ張られているのかと思えば些か情けなくなってしまい、ウーヴェの胸の前に額を押しつけて鼻を啜る。
 本当にウーヴェの夢の中で俺は何をしたんだと呟き、教えてくれよとも呟きながら顎を座面に押しつけると、ターコイズ色の虹彩がゆっくりと姿を見せる。
 「……ハロ、オーヴェ」
 力なく挨拶の言葉を投げ掛けたリオンに意味が分かっていない顔でウーヴェが一度瞬きをし、そっと手を持ち上げて何かを確認するように拳を作ったかと思うと、夢の中でもきっと実行していただろう耳朶を引っ張る為にかリオンの顔に手を宛がう。
 その動きに身体が自然と竦んでしまい、ウーヴェが驚きに目を丸くする前、リオンが胡座を掻いた足首を掴んで身体を前後に揺さぶり始める。
 「────リーオ」
 「………うん」
 その呼びかけにリオンが恐る恐る顔を上げて視線を重ねたその時、何度も目にしたがそのたびに呼吸を忘れてしまいそうな程の穏やかさと柔らかさ、そして互いに感じる情愛を主成分にした笑顔を目の当たりにし、今日もまた呼吸を止めてしまう。
 「────俺の太陽……愛している」
 「う、ん……俺も」
 どうすればこんなにも穏やかで優しい笑顔を浮かべられるのか教えてくれと、リオンが人として一生頭が上がらないと思う笑みを湛えてリオンを見つめ、今度はしっかりと頬に手を宛がったウーヴェは、手に手が重ねられた感触にうっとりと目を閉じてリオンの頬の感触を確かめるように撫でる。
 己の頬を撫でて嬉しそうに微笑む恋人に目を細めてじわりと沸き上がった歓喜を胸に閉じ込めたリオンは、俺も愛していると囁いてキスをしようと顔を寄せるが、その時にはまた穏やかな寝息が二人の間に目に見えない障害物のようにこぼれ落ちていた。
 「…………………」
 さっきの笑顔と告白も寝言の延長かとがっくりと肩を落として悲しそうに鼻を啜るが、自転車の修理も終わった事だし、穏やかに眠るウーヴェを見ていれば自然と眠気を覚えた為、ウーヴェの身体をソファベッドの奥に押しやって空いたスペースに横臥する。
 窮屈そうに身を捩ろうとするウーヴェの白い髪に口を寄せて静かに眠れるように囁きかけたリオンは、無意識に腰に手が回された事にやっと満足そうな笑みを浮かべ、笑顔の残滓がたゆたう端正な横顔にキスをし、そのまま目を閉じて眠りに落ちるのだった。

 その後、穏やかな昼前の眠りから目覚めたウーヴェは、怖い目に遭って身体が浮かび上がるほど舞い上がった後突き落とされて地面にのめり込んだ俺を慰めろと、最大限の恨みが籠もった青い眼に睨まれてしまい、何故そんな目で睨まれた上にそのような愚痴を聞かされるのかは全く分からなかったが、とにかく慰めろと言われて困惑に眉尻を下げてしまいながらもランチと食後のデザートにマグカップに山盛り入れたバニラアイスで機嫌を取り、ようやく沈みゆく太陽を連れ戻したような笑みを見せられて胸を撫で下ろすのだった。


2011.07.25-08.23


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