WebClap 20

(カイン×千暁)

  待ち合わせは広場の噴水前。
 定番中の定番とも言えるそこに、大きなキャンバス地のトートバッグを肩から半ばズリ落としながらもしっかりと抱えて石畳の上を飛ぶように軽やかに駆け抜ける、少年とも青年とも付かない男がいた。
 噴水前で待ち合わせをしている相手は、時間に遅れる自分のことをどう思っているだろうかと考えた瞬間、走っていることで流れ落ちる汗に別の種類の汗が混ざり出す。
 彼の恋人は約束の時間に遅れると途轍もなく不機嫌になるのだ。
 やばい、まずい、怒られると言った単語が脳味噌の中で手に手を取って踊り始め、そのステップに身体が突き動かされて心肺機能が限界を訴える程走り続けると、ようやく前方の人混みの向こうに噴水の影が見え隠れし始める。
 人が作り出す壁を乗り越えれば愛する恋人の前に駆け寄れる、その幸福感と走ってきた苦しさに息を弾ませ信号が変わった直後に駆けだし、早く早くと急かす心のままに背が低い為に狭い歩幅で必死に走ると、噴水の端に腰を下ろして彼とは違う長い足を組んで濃い色のサングラスを掛けている青年を発見し、ラストスパートを決めようとしたその時、すぐ前を行く女性二人組に阻まれて進めなくなってしまう。
 どうして邪魔をするんだよと内心で膨れるが、このまま息を切らして駆け寄るよりも少しは落ち着いた方が良いかもしれないと気付き、彼よりも背の高い女性達の後ろで深呼吸を繰り返すと前方の少し高い位置から歓声が上がる。
 「ちょっと…あのサングラスの彼、どう?」
 「サングラスを外して欲しいけど…そうね、90点かしら?」
 そのサングラスの彼が自分と待ち合わせをしている恋人だと気付き、瞬間的に頭に血が上りそうになった彼は、人の恋人に点数を付けるんじゃないと怒鳴りたくなるのを堪え、早くこの二人を抜いてしまいたいと思うが、悲しい事に二人の前にも人の壁があり、愛する恋人の元に駆けつけるにはそんな壁の合間をすり抜けるしかなかった。
 もっと小さければ擦り抜けられるし大きければ身体の大きさを利用して割り込めるのにそのどちらでもない中途半端な小ささの己に舌打ちをし、無意識のうちに頬を膨らませた彼は、それでも前から聞こえてくる声につい耳をそばだててしまう。
 「…声を掛けてみない?」
 「良いわね…さっきの男は最悪だったもんね」
 ダサイし話題も古いし貧乏くさいと、同じ男としては肩身の狭くなるような言葉を聞かされるが、自分の恋人は服装のセンスなどは一流だし話題も最新情報を常に身近に置いているし、何よりもサングラスなどの小物一つを取っても金が掛かっているのだ。
 見た目で判断するような女性ならば一度は遊んでみたいと思える、そんな事を以前友人が経営するクリニックで働く女性が囁いていた事を思い出すと、前の二人の女性の顔を拝みたくなってくる。
 後ろ姿はまるでモデルのようなすらりとした体型で、伸びたブロンドも自然な艶やかさで輝き、身に纏う衣服などもオシャレなものだった。
 彼女たちと比べれば己の身形はどうだと思わず足を止めて足下を見下ろした彼は、履き古したデッキにヨレヨレではないが経年の変化が出ているコットンパンツ、同じく大きめのざっくりとしたシャツを見つめて切なげに溜息を零すが、自分の武器はこんな身形ではなく、肩から提げているトートバッグの中身が醸し出すものだと顔を上げ、眩しさに片目を閉じる。
 「声掛けてみようって」
 「…良いわよ、好きにしなさい」
 あなたが行くなら私も行くわと笑う二人の声を拳の中に閉じ込めた彼は、深呼吸をしてちょっと失礼と声を挙げようとするが、サングラスの青年がこちらに気付いて顔を振り向けた為、女性二人が足を止めて思わず彼がその背中にぶつかりそうになる。
 女性の身体を挟んで顔を合わせた恋人達だが、サングラスの青年の身体から明らかに怒りと思しき気配が立ち上っている事に彼が気付いて首を竦め、ここは一つ謝り倒すしかないと腹を括って再度女性達の前に出ようとするが、そんな彼の存在に気付いていない二人が声を掛ける。
 「ハイ、一人かしら?」
 「……ああ」
 一人ならば遊ばないかと誘われ、サングラスの下で微かに見える切れ長の瞳を細めた青年が足を組み替え、どこで遊ぶんだと唇の片端を持ち上げた瞬間、彼が文字通りに飛び上がる。
 自分がここにいるのにナンパをしてきた女性と遊びに行くかどうかを決めるだなどと、当然ながら許せるはずもなかった。
 思わず青年の名前を叫んで駆け寄ろうとした彼だが、女性達の間から恋人がサングラスを外した目で見つめている事に気付き、瞬間湯沸かし器の様に真っ赤になってしまう。
 切れ長の灰色の目は真っ直ぐにこちらを見つめ、視線を逸らすことも逃げ出すことも出来ない強さを持っていて、夏直前の日差しに照らされたマルーンと呼ばれる色合いの赤い髪は光り輝き、透き通るような白い肌が見えるシャツの胸元では彼がプレゼントした安物のペンダントが貴石のように煌めいていて、まともに見つめてしまう事も出来なくなってくる。
 そんな彼の前では女性達がサングラスを外した青年の顔に息を飲み興奮し始めているが、ただ一人冷静だった青年は立ち上がると同時に目を細め、早く決めなければ遊びに行くぞと女性達と彼のどちらに呼びかけているのかが分からない言葉を囁き、決断を待つように腕を組む。
 「どこに遊びに行きたいのかしら?」
 微かに震える声で問いかける女性に小首を傾げ、喉が渇いたから酒が飲みたいと嘯くと、視線だけは彼女たちを通り越した後ろへと投げ掛ける。
 「────喉が渇いたな」
 いつまで経っても彼女たちの背後にいて前に出てこない彼に痺れを切らしたのかどうなのか、青年が念を押すように囁いて目を細めた刹那、彼女たちを押しのけるように彼が前に飛び出してくる。
 「失礼!」
 「何よ、あなた!」
 せっかくの出会いを邪魔をしないでと彼女たちが目を吊り上げるが、こほんと一つ咳払いをし、トートバッグをぽんと叩いて青年が愛して止まない笑みを一つ零す。
 「喉が渇いたのなら自家製の果実酒のソーダ割りなんてどう?ピアノの生演奏つきで」
 呆気に取られる女性の前で大きな目を覆っている瞼を片方だけ持ち上げ、お好みならば白ワインを炭酸で割ったものも作れるよと囁けば、サングラスを再度掛けた青年が唇の両端を持ち上げる。
 「ワンドリンク制か?」
 「うーん、どちらかと言えば一曲制?」
 「それぐらいなら安いものだな」
 一杯飲むのならば絶対に一曲は聴いて貰うよと目を細め、唖然と見つめてくる女性達を振り返って全く悪意を感じることのない笑顔で見上げれば綺麗な顔を真っ赤に染める。
 「信じられないわね!」
 「…最低ね」
 「……人を見掛けだけで判断するお前らに最低と言われてもな」
 彼女らの言葉に青年が冷笑混じりに辛辣な言葉を投げ掛け、さすがにそれは言い過ぎではないのかと慌て始めた彼の肩に腕を回して黒い髪にキスをする。
 「!!」
 「お前のピアノなら一曲でも十曲でも聴いている」
 「…カインっ!!」
 人前で手を繋ぐ以上の行為はまだ恥ずかしいからダメだといつも言っているだろうと、40センチ以上も背の高い恋人を見上げて睨んだ彼は、唇の片端を持ち上げながら許せと言われても許せるはずが無く、絶対に許さないと頬を膨らませた後、恋人に背中を向けて腕を組み、見下ろしてくる彼女たちに片目を閉じてじゃあねと手を挙げつつも片手では肩に回されている手をはね除けた彼は、ただ顔を赤くして睨んでくる彼女たちに背を向け、しつこく腕を回してくる恋人の脇腹に肘を押しつけながら歩き出す。
 「…カインの意地悪っ!ぼくがいるのに気付いていたのにあんな事を言ったんだろ!」
 どうして一人だなどと言ったと、肩を震わせる彼女たちから程良く離れた頃、千暁がカインを睨み上げるが、逆に時間に遅れてきたお前が悪いと睨み下ろされてぐうの音も出なくなる。
 「……ぅ」
 「一曲とワンドリンクに────キス、一つ」
 「…っ!!」
 今日の遅刻時間ではキス一つ分だと片目を閉じたカインに顔を赤くした千暁だったが、今すぐそれを求めてくる恋人を最後の抵抗で封じ込める代わりに小さく名を呼んで端正な顔を近づけさせると、ピアスが光る耳朶に口を寄せて家に帰るまで待って欲しいと可愛くお願いをしてみる。
 「────キス三つだな」
 「……じゃあぼくの為にきみが一曲弾いてくれる?」
 「考えようか」
 曲と呼ぶには辿々しい音の羅列であっても千暁の耳はそれをまるでオーケストラで演奏されているもののように感じるのか、是非それを弾いてくれと強請れば、考えようと言いながらもカインの口元に淡い笑みが浮かび上がる。
 その笑みは先程の彼女たちに見せていたものとは掛け離れた優しげなもので、それを見ただけでも千暁の心が浮かれてくる程のものだった。
 「早く帰ろう、カイン」
 「…ああ」
 白ワインの炭酸水割りも良いが、やはりお前が作ってくれた果実酒のソーダ割りを飲みたいと片目を閉じられて小さく頷くと、今日は遅くなってごめんとようやく素直に謝罪をし、二人楽しく肩を並べて太陽の下を歩くのだった。


2011.06.21-07.25


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