WebClap 19

 ちりんちりんと、軽やかなベルの音が高く澄んで晴れ渡る青空の下で響く。
 「イーヤッハーッ!!」
 楽しそうな掛け声が空へと上がるが、その声に負けず劣らずの声が何やら不明瞭な言葉を捲し立てている。
 「ん?何か言ったか、オーヴェ?」
 自転車のグリップをしっかりと握り、坂道を下る勢いに任せるためにフレームに両足を乗せて勢いを楽しんでいたリオンは、背後から聞こえる声に顔を振り向けようとするが、前を見てくれと悲鳴じみた声に叫ばれて前方へと顔を向ける。
 「大丈夫だってーの」
 「そんな問題じゃ…!」
 ない、そう言いかけたウーヴェが目の前に迫ってくる街路樹に碧の目を瞠り、次いできつく瞼を閉ざすが、耳元で風を切るような音が響いて恐る恐る目を開ければ、古びていても愛情だけはふんだんに掛けられている青い自転車が軽快に道路を走っていく。
 「な、オーヴェ!」
 「……なんだ?」
 リオンの自転車の荷台に座るのではなく、荷台とフレームを繋ぐ箇所に付けられたステップにしっかりと足を乗せてリオンの肩に手を乗せて風を受けていたウーヴェだが、内心の恐怖を感じさせるなど矜持が許さず、平静さを装って何だと問えば、気持ちいいだろうと問われて瞬きをする。
 自分たちを乗せた青い自転車とそれに負けないような青空、そしてそこにぷかりと浮かぶ白い雲を交互に見つめ、白い髪を擦り抜けていく風の心地良さに目を細めれば、恋人が浮かれている証明でもある鼻歌が聞こえてきて、つい先程の恐怖も忘れて気持ちが和んでくる。
 「何を歌ってるんだ?」
 「んー?何だっけ、有名な歌」
 「?」
 鼻歌が何であるかが分からずに曲名を聞けば、有名だとは知っているがタイトルは知らないと返されてしまうと気になって仕方がなかった。
 だから鼻歌ではなく歌ってくれと告げて肩に乗せていた手を前に垂らして寄り掛かれば重いよぅと情けない声が挙がるが、目的地である公園へと向かう自転車の速さには全く変化は表れてこなかった。
 斜め前に見える白い雲と身体を撫でるように吹き抜けていく春の風が心地よくて、風に揺れるくすんだ金髪に鼻先を押しつけて鼻腔に満ちる匂いに気付いて一人で苦笑してしまう。
 昨日は仕事を終えた後ウーヴェの家にリオンが帰宅し、二人なのに賑やかな食事の時間を終えてその後意識が吹っ飛びそうな快感に二人で沈み込んでいたのだが、朝起きてから一緒にシャワーを浴び、その時に同じシャンプーを使って洗いあいをしたのだ。
 だから今彼の鼻腔を擽る匂いは自らの髪と同じだった。
 だが、同じシャンプーを使って同じ匂いを身に纏っている筈なのに何かが違う事にも気付き、その違いを探るように更に背中に胸を押しつけると、胸があればもっと最高なのにと歌うように呟かれてしまい、くすんだ金髪に隠れる耳朶を思い切り引っ張る。
 「ぃててててて!抵抗できないのに何をするんだよっ!」
 「う・る・さ・い!」
 「ごめーん!」
 己の言葉の結果を身をもって経験したリオンが悲鳴を上げてごめんと謝り、後でキスするから許してと言い放ってウーヴェを呆れさせてしまう。
 「どうしてそれが謝罪になるんだ?」
 「ん?だってさ、オーヴェ、キスしてるときすげー気持ちよさそうな顔してるもん」
 「!!」
 朗らかに言い放たれて絶句し、そのままでいるのも悔しいために何か言い返そうと脳味噌の中身をひっくり返してみてみるが、上空に広がる青空とふわりふわりと浮く雲があまりにも心地良さ気で、つまらない意地の張り合いも見栄もプライドもどうでも良いとさえ思えてくる。
 そうしてふと気付いたのは、こんな気持ちにさせてくれたのは今までウーヴェと交流を持った男女の中でもリオンだけだという事実だった。
 「オーヴェ?」
 訝りながら視線だけで振り向くリオンに苦笑しつつ素早く周囲を見回したウーヴェは、人の視線が自分たちへと向いていない事を確認すると、目の前にあるピアスが填った耳朶と頬にキスをする。
 「!!」
 「………後少しで公園に着く。頑張ってくれ、リオン」
 「このままオーヴェの実家まで走ってやる!」
 「バカっ!」
 車で小一時間かかる小さな町にある屋敷にまで走ると鼻息荒く宣言されてバカと一言返したウーヴェが背負ったリュックを軽く揺らして持ち上げれば、再度ご機嫌な証の鼻歌が聞こえてくる。
 メロディを聴いているうちに思い浮かんだ歌詞があり、そっと試すように口ずさめば、風に負けない声が同じように歌ってくる。
それが楽しくて、わざと早く歌えば付き従うように早く歌い、ゆっくりと口ずさめば同じようにゆっくりのテンポで、それでも遅れることなくついてくる。
 晴れ渡る青空、安息日に静まる街を吹き渡る風は春よりも夏を感じさせてくれるもので、地上を照らす太陽も心なしか張り切っているように感じてしまう。
 こんなにも気持ちの良い休日を、愛する人とともに過ごせる事が幸せだと気付いたのはいつ頃だっただろうか。
 長いとも短いとも言える時間を二人で過ごし、時には背中合わせで朝を迎えたこともあるが、それでも今はこうして一緒にいられるのだ。
 ただ傍にいる事の出来る幸せにウーヴェが目を伏せ、リオンが歌っている歌詞に耳を澄ませれば、歌詞のように輝く太陽が己の両腕の中にあるように感じてしまう。
 地上の生きとし生けるもの総てを照らすのではなく、自分のためだけに光り輝く太陽を手に入れた事を密かに自慢する思いすら浮かび、何を考えているんだと自嘲するが、第三者の視線がある中でもついキスをしてしまった心が嗾けてきて、それに負けたのだと言い訳をすると、ピアスが填っている耳に口を寄せてそっと囁く。
 「リーオ─────俺の太陽」
 どうかその歌のように光り輝くお前でいてくれと背後からそっと囁き、思いを伝えるために耳朶にキスをしたウーヴェは、公園の入口についた為に自転車を降りて歩き出すが、ウーヴェの横を自転車を押しながら歩くリオンの様子がおかしいことに気付いて首を傾げる。
 「リオン?」
 「………ごめんな、オーヴェ」
 後でいくらでも謝るし何でも言われたとおりにするから許してくれと、ぼそぼそと聞き取りにくい声で告げられたかと思うと、自転車を手放したリオンに抱き竦められて目を白黒させるが、抵抗する暇も無く頬を両手で挟まれてしまい、条件反射のように目を閉じる。
 「……ん…っ」
 「オーヴェ……好き」
 そっと離れる唇の感触が残念だったが、ここは外だと思い出して一度目を閉じたウーヴェは、耳に心地よい告白を心の裡にまで滑り込ませて閉じこめる。
 「天気も良いし、のんびりしてさ、持ってきた弁当を食べようぜ、オーヴェ!」
 「ああ」
 互いの目の中にだけ名残惜しさを残して離れた二人は、自転車を間に挟んで左右で進み、木々の合間から降り注ぐ太陽の日差しを潜り抜け、鮮やかな緑が光る公園の木陰を探して行く。
 上空で輝く太陽と地上で己を照らし出す熱と光に包まれ、穏やかな気持ちでリュックを背負い直したウーヴェは、この後の予定を楽しげに語り始めたリオンに一々相槌を打ち、持参したワインを飲むのが楽しみだと笑う。
 持参したライ麦パンやバゲット、それに載せるためのチーズやサーモン、ハムの薫製などを明日洗濯するつもりのシーツの上で広げ、リオンは食べる事を中心に、ウーヴェは持ってきたワインをゆっくりと堪能する事を中心に、光と緑が溢れる世界で時間を過ごすのだった。

 何でもないが、何よりも大切な休日を過ごす二人の頭上には、白い雲が微かな風に乗って流れていき、太陽がリオンが歌っていた歌詞のように青空で光り輝いているのだった。


2011.05.20-06.20


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