「……ぃてー。オーヴェがイジワルするから涙が出ちゃうだろ?」
「人聞きの悪い事を言うな。俺がイジワルをしようとなかろうと涙は出る」
「ちょっと言ってみただけだろ?マジになるなよ、オーヴェ」
「────さっきから聞いてりゃお前ら…」
ペティナイフを左手に持ち、右手で押さえた玉ねぎを刻んでいるウーヴェの前、くすんくすんと鼻を鳴らしながらそれでも手早く玉ねぎの皮を剥くリオンのとんでも無い言葉に眼鏡の下の瞼を真っ平らにしたウーヴェがぼそりと返し、更にリオンが返す。
二人にとってはいつものやりとりなのだが、今日に限って言えばそれはそれは鬱陶しいことこの上ない遣り取りに成り果てていた。
その鬱陶しさを体験する羽目に陥ったベルトランがぼそりと呟くと同時に二人が涙の滲んだ青と碧の双眸を向けて何か言ったかと呟く。
「犬も食わない何とかをしたいのなら外でやって来い」
「あー、ベルトラン、それは酷いぜっ。犬も喜んで食うって」
「食あたりを起こして寝込むのがオチだ」
だからさっさと手を動かして玉ねぎをみじん切りにしろ。
ベルトランが包丁の切っ先を口の減らないリオンに向けた時、ウーヴェは己のノルマをしっかりと終えて凝り固まった肩を解すようにぐるぐると回していた。
「オーヴェぇ、これも」
「………仕方ないな」
「甘い、お前はキングに甘すぎるぞ、ウーヴェ!!」
そっと差し出される玉ねぎに深々と溜息を吐きながらも決して拒まないウーヴェにベルトランが吼え、リオンが勝ち誇ったようにふふんと鼻で笑う。
「そもそもの発端はキングじゃないのか?」
「……うるさい」
「都合が悪くなりゃすぐにうるさいと言うんだからな」
せっかくの休日の朝も早くに何故ゲートルートの厨房でせっせと玉ねぎを剥いているのかを思い出せと言われたウーヴェだが、図星を指された事が悔しくていつものようにうるさいと返して手荒く玉ねぎを刻んでいく。
「オーヴェってすぐにうるさいって言うよなぁ。昔からそうなのか?」
「そーだな…。こいつの口癖だな」
「ヤな口癖だな」
「俺の知る限り最も俺にうるさいと言わせている前達にだけは言われたくない」
口を動かす暇があるのならばさっさと手を動かして終わらせてしまえ。
自分の口癖をネタに盛り上がろうとする二人をペティナイフの切っ先で抑え込んだウーヴェは、咳払いをした後軽快なリズムで玉ねぎを切っていく。
「オーヴェぇ、今日の晩飯さ、クリームチーズとサーモンとスライスオニオンのサンドが食いたい」
「そうだな…それも良いな」
「うん、それが良い。それにしよう」
「昼飯も食ってないのに晩飯の相談かよ、お前ら」
呆れ返った声で呟くベルトランに昼飯はチーズフォンデュが良いと満面の笑みで答えたリオンは、その辺のスーパーで買ってきて作ってもらえと素っ気なく返されてがっくりと肩を落とす。
「ベルトランがいじめるっ」
「こんなのいじめたうちに入るかよっ」
「日頃いじめてるんだ、少しぐらいガマンしろ」
リオンの嘆きにベルトランがきっぱりと言い返し、ウーヴェまでもが諦めろと呟いた為、がるるるると獣の呻き声のような声が流れ出す。
「オーヴェのイジワル、変態っ!」
「誰が変態だ!」
この間も話したと思うが、お前にだけは言われたくないぞ。
玉ねぎを刻みつつもぎゃいのぎゃいのと言い合いを始めた二人は、いつものようにヒートアップしかけて今自分達がいる場所を思い出して口を閉ざし、恐る恐るカウンターの前の少しだけ腹回りが心配になっている青年を見遣る。
「お前らな…確かに雨降って地固まるってのも結構だがな…」
一体何度雨を降らせて地面を固めるつもりだ、コンクリでも練るのか、それともアスファルトでも敷き詰めるつもりか、はたまた集中豪雨でも降らせていっその事地盤毎流し去って新しい大地を築き上げるつもりか。
包丁を持つ腕がふるふると震えたことに気付いたウーヴェは、悪かったと素直に謝罪をして刻み終えた玉ねぎを山盛りにしたボウルを差し出す。
「えーと…ごめんっ」
「キング、剥いた玉ねぎの皮をこっちに寄越せ」
「う、うん」
ベルトランの地を這うような低い声に素直に従ったリオンは次々に出される指示に従って厨房の中を所狭しと駆け回り、本来ならば従業員がするべき作業の粗方を終えてしまう。
「さすがは働き者のキングだ、粗方の下準備が終わったな」
「お疲れ様、リオン」
「ふー。これだけ働けばビールが美味いだろうなぁ」
丸椅子に腰掛けて満足げな溜息を吐いたリオンの傍に立ち、愛おしそうに目を細めて髪をくしゃりと撫でたウーヴェを見上げて笑みを浮かべたリオンの前、グラスとボトルを持ったベルトランが片目を閉じる。
「頑張ってくれたご褒美だ。シードラ・デ・アストゥリアスでガマンしな、キング」
「へ?」
高い位置に掲げたボトルから独特のつぎ方をするそれを見事に再現し、肌理の細かい泡が立ち上っては弾けるグラスを受け取ったリオンは、一息に飲み干して喉を通るシードルを目を閉じてじっくりと味わう。
「美味い!」
「気に入ったか?」
「お代わり欲しい」
子供のように顔を輝かせるリオンとは対照的にウーヴェの表情が徐々に消えていき、二杯目を飲み干した時には完全に無表情になっていた。
「オーヴェ、どうした?」
「────俺にも飲ませろ、ぽよっ腹」
「だからまだぽよっ腹じゃないと言っただろうが!お前にはリンゴのタルトを用意してあるからそれでガマンしろよ」
「……それを飲ませろ」
「あーもう!仕方ねえなぁ…ほら、飲めよ」
好物に関して言えば一度言い出せば絶対に諦めないんだからと、諦めの溜息を吐いたベルトランがウーヴェにグラスを差し出すと、僅かに喜色を浮かべてそれをゆっくり味わいながら飲んで行く。
「美味しいな」
「美味いよな、オーヴェ」
「ああ」
美味しいものを素直に美味しいと言い、また二人で同じものについて同じ感想を持てる、それがやけに嬉しくて、ウーヴェの細い身体に腕を回してハグしたリオンだったが、腹の虫が盛大に鳴き出した事に気付いて二人の目を丸くさせる。
「………ぁ」
「もう腹減ったってのか?」
「ベルトラン、リンゴのタルトがあるんだったな?」
さすがに恥ずかしいのか顔を赤くするリオンに呆気に取られたベルトランが小さく叫び、そんな彼にウーヴェが苦笑混じりに呼びかけると、どうぞとリンゴのタルトが差し出される。
「食べるか?」
「え、食って良いのか!?」
「お前がリンゴのタルトを譲るなんて、槍でも降るんじゃないのか!?」
「うるさい、ぽよっ腹」
「またそれを言う!!」
腹を空かせた恋人が気の毒で、大好物のリンゴのタルトを差し出したウーヴェにリオンが顔を輝かせ、その傍ではベルトランが灰色の目を落としてしまいそうな程見開いて驚きを表現する。
「ほら」
召し上がれと差し出したそれを美味そうに食べるリオンを見れた事が嬉しいと内心で呟くと、ベルトランがそれすらも読み取ったような顔で天を仰いで嘆息する。
「甘い、本当にお前はキングに甘い、ウーヴェ」
「うるさい」
幼馴染みが横目で睨み合いながら舌戦を繰り広げる前、タルトを一切れ食べて満足そうに頷いたリオンは、出勤してきた従業員の声に振り向いて笑顔で挨拶をする。
「おはようございます。あれ、ウーヴェさん、リオンも来てたんですか?」
「おはよう、チーフ。玉ねぎの下処理をしたんだが…不都合があれば教えて欲しい」
「ああ、大丈夫ですよ」
ロッカーに荷物を放り込んでエプロンを巻きながらやって来たチーフに笑顔で頷き、リオンは涙が涸れるまで頑張って玉ねぎを刻んだと胸を張るが、大半を刻んだのはウーヴェさんだろうと見抜かれて絶句する。
「みんなにもばれてるな、キング」
「ちくしょー!」
泣き真似をしながらウーヴェの腰にしがみつき、ベルトランのくそったれと叫んだリオンだが、コツンと言う軽い衝撃とゴツンと言う遠慮容赦のない衝撃を後ろ頭に食らって悲鳴を上げる。
「黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって」
「リオン、言葉には気をつけろ」
4つ年上の恋人とその恋人の幼馴染みから食らった拳の痛みに鼻を鳴らしたが、勢い良く椅子から立ち上がると、驚きに目を瞠るウーヴェに素早くキスをしてその唇をぺろりと舐める。
「ごちそうさま」
「っ!!」
「……今すぐ二人を叩き出せ。二度と店に入れさせるな」
驚きと羞恥に顔を赤くするウーヴェと、ふふんと勝ち誇った子供の顔で笑みを浮かべるリオンの前、呆気に取られているチーフに肩を振るわせながらベルトランがドアを指さして命令する。
その親友の顔を見た後、チーフに目で合図を送り、まだ勝ち誇った顔のままのリオンの襟首を掴んで引きずり出す。
「オーヴェ!?くるし…っぐぇ!!」
「邪魔をしたな、チーフ。バートによろしく」
「とっとと帰れ、傍迷惑カップル!!」
肩で息をしつつ裏口から出ていったウーヴェの背中に向けて一声吼えたベルトランの横、チーフが何食わぬ顔で、明日の夜の予約はそのままにしておきますねと大きく手を振り、明日はチーズフォンデュを用意しておいてやると、ベルトランが背中を向けて怒鳴るように告げるのだった。
2010.07.28 - 08.23


