リビングの窓の下に置いた、この部屋には似つかわしいがきっとおそらくリオンの部屋では置かせて頂いていると、思わず謙ってしまいそうな大きさの画面いっぱいに、目にも鮮やかなブルーのボディにメーカーやスポンサーのペインティングを施されたラリーカーが画面奥から走って-いや、文字通り飛んでくる。
その迫力に思わず仰け反ってカウチソファの背もたれにしがみついたリオンは、ちらりと見える端正な横顔に珍しく緊張の色が浮かんでいることに気付き、マイスターシャーレ形をしたクッションを抱えて胡座を掻いて身体を揺らす。
「なぁ、オーヴェ」
「何だ?」
珍しくテレビに集中している恋人の横、いつもと違って退屈そうに問いかけたリオンは、テーブルに置いたお気に入りのマグカップから湯気が上がっていない事に気付き、コーヒーを入れ直そうかと問いかけ、白くて長い指がそっと口元に宛われたことに瞬きを繰り返す。
「オーヴェ?」
「しぃ」
「……ごめん」
テレビに集中しているのだから邪魔をするなと言いたいのか、小さな子供に告げるように囁かれてしまい、素直に謝ってクッションを放り投げてぽふっと受け止める。
はっきり言って退屈だったが、ふと気付いてみれば、自分がサッカーの中継や録画を見ているとき、今画面に齧り付きそうな勢いで見つめている恋人は同じように退屈ではなかったのか。
もしもそうならば悪いと今更ながらに気付き、クッションを上空に投げつつ問いかけてみるようと口を開いた瞬間、さっきは己の口元に宛われていた白い手が伸ばされると同時、少し体温の低い掌に口元を覆われてしまう。
「もがっ!!」
もがもがと藻掻きつつ白い手に手を掛けて引き剥がそうとするが、こんな時に限って見かけとは裏腹に力の強さを見せつけてくれる。
「少しぐらい静かに出来ないのか?」
「─────ぶはっ!!」
藻掻くリオンを、この時初めてテレビ画面から視線を逸らして冷めた目つきで見つめたウーヴェだったが、肩で息をするリオンの様子に小首を傾げてどうしたと問いかける。
「どうしたもこうしたもねぇ!口を鼻を同時に押さえられたら息が出来ないだろ!?」
「……そうか?」
「この野郎!」
ウーヴェがテレビを見ながらリオンの口を塞ぐために伸ばした手は、口だけではなく鼻の穴まで塞いでしまったようで、首を傾げたまま上の空を見つめるウーヴェに一声吼えたリオンがのし掛かる。
「こらっ!!」
せっかくラリーを見ているのにと、のし掛かってくる大型の獣の顔をした恋人の金のたてがみを思い切り引っ張れば、首がぐきっと奇妙な音を立てる。
「ぁがっ!!」
「────あ!!」
リオンが不可抗力でウーヴェの上に突っ伏した時、テレビの中では先程のブルーのラリーカーが砂利を撒き散らしながら見事なスピンターンを決め、観客から盛大な拍手を貰っていた。
「リオン、下りろっ!!」
重い暑苦しい、ミカのレースを最後まで見届けさせろと、珍しく切羽詰まった声で叫んだウーヴェの上から全く下りる気の無かったリオンだったが、聞こえてきた名前に目を瞠り、のし掛かられながらもテレビを見るウーヴェの顔の傍に肘をついてその顔を覗き込む。
「オーヴェ、質問」
「何だ?」
「ミカって…お姉さんのダンナさん?」
「そうだ」
分かったら下りろともう一度口早に告げられて降り立ったリオンは、何を思ったのか肩にもたれ掛かるように身を寄せてきたウーヴェに内心かなり驚くが、それを表には出さずに腕をソファの背もたれに回してさり気なく寄り掛かりやすくしてやる。
「…ダンケ」
「どういたしましてー」
その気遣いに気付いたウーヴェの小さな感謝に陽気に返したリオンは、ウーヴェと同じようにテレビに集中するように見つめ、デコボコとした斜面を駆け下りる青い車体の動きにハラハラしてしまう。
「…ラリーは詳しくないけど、これって速い車が一位って事か?」
「タイムの速さと正確さで決められるが、今ミカが走ってる区間はタイムの速さで決まるな」
そしてそのままゴールすれば、文字通り一位でのゴールになると、ラリーのルールについてはほとんど知らないリオンの問いに丁寧に答えてくれるウーヴェのこめかみに口を寄せ、一緒になってラリーの観戦をする。
急斜面だったりヘアピンカーブの連続だったりする道を土埃を舞い上がらせながら疾走するラリーカーを見つめる恋人の顔は真剣そのもので、勝利して欲しいと言う心底の思いが伝わってくる。
その思いを邪魔しないように静かに画面を見守っていると、テレビの奥、フィニッシュと描かれた横断幕が見えてくる。
「…行けっ」
「─────あ!!」
二人同時に声を挙げた直後、青い車が陽光を弾いて飛び跳ねるように横断幕を潜り抜けて少し離れた場所で停車し、ヘルメットとインカムを投げ捨てて運転席と助手席から出て来た二人がゴールした安堵の表情で抱き合う。
「もしかして…」
「……ああ、決まったな」
ほぅと盛大な溜息を吐いたウーヴェの顔を覗き込み、もしかして優勝したのかとリオンが問いかけ、その様から己の問いが間違っていない事に気付いてクッションを放り投げる。
「ィヤッホー!!」
「…良かった」
優勝した喜びをリオンが素直に表し、その横ではウーヴェが若干複雑な表情で喜びを表現した為、嬉しくないのかと首を傾げれば、優勝も嬉しいが怪我もなく無事にゴールを迎えたことが嬉しいと返され、青い目をぱちぱちと瞬きさせる。
「シーズンを怪我で棒に振ったことがあったんだっけ」
「ああ」
それを思えば、優勝したことも嬉しいが怪我らしい怪我もせずにゴールを迎えたことの方が遙かに嬉しいと、少しはにかんだように笑うウーヴェを思い切りハグし、どうしたと問われて明るく返す。
「なんでもなーい」
「そうか?」
「そう」
恋人のことを深く知らない人間からは冷たいだの、感情表現が豊かではない為に何を考えているのか分からないと言われる事がままあるが、それは知られていないだけだと再認識し、それを間近で見る事の出来る幸せについ顔がにやけてしまう。
「次の車はアレも良いな」
「へ?スパイダーを売るのか?」
聞こえてきた声に素っ頓狂な声と表情で返したリオンだったが、スパイダーは売らないと苦笑され、新たに車を買うつもりかと思わず瞼を平らにしてしまう。
ウーヴェの収入や実家から、彼曰く乗り気ではなかったが受け継いだ資産、そして母方の祖父母の遺産などを合わせれば、確かに所有する車がスパイダーとベンツだけというのは控え目すぎる程だが、乗る人間が一人しかいないのに三台も車を持ってどうすると、少しばかりの皮肉を込めて問い掛けてしまい、内心しまったと舌打ちをする。
生まれ育った環境の違いからくる醜い嫉妬など、ウーヴェにだけは見せたくなかったが、ついそれを見せてしまったことを悔やんで唇を軽く噛みしめる。
それに気付いたのかどうなのか、少しだけ寂しそうな表情を浮かべたウーヴェが首を左右に振り、あまり乗ることのないAMGと買い換えるつもりだと返されてもう一度細身の身体に腕を回す。
「…ごめん、オーヴェ」
お前のことをまた甘く見てしまったと素直に反省すれば、言葉ではなく背中をぽんと叩く事で許してくれる。
「正直、AMGはあまり乗らないし処分しようかと思っていた」
「そうなんだ?」
「ああ」
確かに毎日通勤にも使っているスパイダーに比べれば乗る回数が圧倒的に少ないベンツだが、あれば何かと便利ではないのかと苦笑すれば、少しばかり図体が大きすぎると返される。
「確かに…」
何度か見た事のあるAMGの車体を思い出し、確かに大きいなぁと暢気な声を挙げれば、やや躊躇ったような声が聞こえてくる。
「日本車は嫌いか?」
「へ?嫌いと言うか…今まで乗ったことねぇから何とも言えないけど?」
「…そうか」
「どうした?」
少し考え込むような声にもう一度身を離して顔を覗き込めば、メガネの奥の双眸が思案げに細められていて、まさかと思いつつ問い掛ける。
「な、オーヴェ」
「何だ?」
「日本車って乗りやすいか?」
「そうだな…俺は嫌いじゃないな」
一度義兄が運転する車に乗せて貰ったことがあったが、乗り心地は悪くなかったと笑われ、テレビの中央に写し出されている青い車を親指で指さす。
「あれ?」
「そう。中々良い感じだったな」
「へー。良いなぁ…。俺も乗ってみたい」
子供のように素直に好奇心を現せば、見守るターコイズに優しい色が浮かび、今度機会があれば乗せて貰えと笑った為に頷いて嬉しさを表現すれば、端正な顔に僅かに赤みが差してくる。
「次に車を買い換える時さ、一緒に行きたい」
「ああ」
その返事から先程思い浮かんだ事が間違いではないと確信し、その優しさにじわりと心が温まる。
咄嗟にでた皮肉を許すだけではなく、新車の買い換えもこちらの意見を酌み取ってくれる自分にだけ見せる優しさに浮かれそうになる。
「……あ、表彰式始まるみたいだな」
ふと視界の端に入り込んできた光景に気付いて顔を向ければ、いつの間にか画面が変わっていて、綺麗に洗車された青いボディを照明だのフラッシュだのの光に煌めかせた車と、ボンネットに腰掛けた二人のドライバーが大きく映し出されていた。
「次のレースも勝てば良いな」
「ああ」
このまま全戦全勝などとは行かないだろうが、義兄が持てるだけの力を出した結果が最高のものであればいいと願い、嬉しそうな顔で表彰される姿を見つめるウーヴェに腕を回してしっかりと抱き寄せれば、僅かに躊躇った気配が伝わってくるが、それを無視して更に抱き寄せると大人しくもたれ掛かってくる。
冷たく見える貌の下にはこんなにも甘くて優しい顔を隠し持っている恋人だが、他の人には見せないでくれと願いつつ、祝福の雨を浴びる彼らの姿を二人並んで静かに見守るのだった。
2010.0627-0727


