「────っ!!」
音がしそうな程勢いよく目を開けたリオンは、自分がベッドにもたれ掛かりながら床で眠ってしまっていた事に気付いて頭を振る。
ここのところ仕事が忙しく、家に帰ってこれる時間も深夜近くだった。
その為、本当は死ぬほど嫌だが、一人きりの夜を何日も過ごしているだけではなく、キスから先の関係に進めるようになった恋人の綺麗な顔もろくに見ることも出来ないでいた。
それが精神的にきているのだろうか、思い出したくない夢を見ていた様に感じ、もう一度頭を振って凝り固まった身体を解すように伸びをし、ぼんやりしながらシャワーを浴びに行く。
おざなりにシャワーを浴びた後、腰にタオルを巻いてバスルームを出たリオンは、冷蔵庫からミルクのボトルを取り出して口を付けるが、夢の中の光景をまざまざと思い出してしまい、ボトルをシンクに投げ捨てる。
「くそっ」
ベッドに飛び乗って何度か寝返りを打った時、枕に半ば隠れていた携帯に指が触れる。
日付が変わって1時間ほど経ったが、自分とは違って規則正しい生活を送っている恋人は当然ながら寝入っている時刻だった。
だが、今どうしても声が聞きたいと、まるで子供の我が侭のような思いが溢れだし、見なくても操作できるようになったボタンを押してコールを数える。
『────Ja』
コールが5つを数える直前、少しだけ眠そうな声がそれでもはっきりと返事をしてくれる。
「寝てたよな、オーヴェ」
ごめんと謝りつつごろりと寝返りを打ち、サイドテーブルの煙草を咥えたリオンは、気にするなと返されジッポオイルの匂いを嗅ぎながら火を付けて細く長く息を吐く。
『リオン?どうした?』
「いや…うん……」
優しい声でどうしたと問われ、紫煙を吐きながらはっきりとした声で返せずにいれば、少しだけ沈黙が流れた後、先ほどよりも優しい声が名を呼んでくれる。
『リーオ』
「…うん」
『今から行こうか?』
その言葉を聞くだけで胸の裡に暖かな思いが芽生え、名を呼ばれることでそれが全身へと伝播していく。
暖まった心のまま腕に頬を押し当てて首を傾げれば、すぐ傍にいる時のように髪を撫でられる錯覚すら感じてしまう。
「な、オーヴェ」
『なんだ?』
「うん。声が聞きたい」
煙草を灰皿に押しつけて頬杖を吐いて囁けば小さな笑い声が流れ出し、突然そんな事を言われても困ると、あまり困っていない声で笑われる。
「オーヴェ」
何かしゃべってくれと更に強請れば、今日あった-正確には昨日の-出来事を掻い摘んで話してくれる。
それを聞いていると脳内に居座っていたモヤモヤが次第に薄れていき、フラウ・オルガが作ってくれたタルトは美味しいと小さく笑われた時には雨上がりの青空のような顔でリオンが寝返りを打つ。
「良いなぁ、俺も食いたい」
『明日頼んでやろうか?』
「絶対頼んでてくれよな、オーヴェ」
思わず声を上げて念押しをすれば、クスクスと堪えきれない楽しそうな笑い声が流れ出し、何か変な事を言ったかと首を傾げる。
『リーオ』
「なに?」
『もう大丈夫か?』
「……うん、平気だ」
電話だけでもしっかりと見抜かれている精神状態。それを見抜くだけの力を持つ恋人に目を閉じて短く感謝し、背中を反らして伸びをする。
『まだ忙しいのか?』
「いや、今日ぐらいで落ち着くんじゃないかな?」
『そうか』
密やかな吐息が言葉尻に重なり、どうしたと逆に問い返してみるが、返ってきたのは沈黙だけだった。
「オーヴェ?」
『…どうした?』
「うん…明日、そっち行っても良いか?」
本当は今すぐにでも飛んでいきたいと低く囁けば、息を飲むような気配が伝わった後、お前だけじゃないと小さく答えられる。
「うん」
『…お前だけじゃない、リーオ』
だからクリポとして精一杯働いた後、わざわざ伺いを立てる事などせずに帰ってこい。
その言葉の真意を読み取れないリオンではない為、ダンケと囁いて目を閉じる。
いつも自分が欲している言葉を的確に与えてくれる恋人の存在にどれほど救われただろうか。
職業柄ではないと思いたいそれに内心でもう一度ダンケと呟き、明日仕事が終われば連絡をすると言えば素っ気ないが暖かな声が頷いてくれる。
「オーヴェ…好きだ」
『ああ』
不意に沸き上がる思いを堪えられずに言葉に出せば、短いがそれでも同じ思いを返してくれる。
それだけで明日も乗り切れそうだった。
「ダンケ、オーヴェ。そろそろ寝る」
『ああ』
こちらの我が侭に付き合ってくれてありがとうと殊勝にも礼を述べると、僅かな沈黙の後、そんな礼も言えるようになったんだなと返されて瞬間的に頬を膨らませる。
「ガキじゃねぇって」
『そうだったな』
クスクスと止まる事のない笑いにぶーと文句を垂れれば、更に笑い声が大きくなる。
「オーヴェのイジワルっ」
『ははは。────リーオ』
「うん」
『お休み、リオン』
「うん。お休み、オーヴェ」
お休みの挨拶の後、携帯にキスを送って通話を終えたリオンは、枕を抱え込むように腕を回して頬を押しつけるが、さすがに濡れた髪で真っ裸のまま寝るわけにはいかない為、幸せな気持ちを閉じ込めて起き上がり、髪をおざなりに乾かしてパジャマ代わりのハーフパンツを履いてベッドに戻る。
もぞもぞと毛布を重ねた布団の間に潜り込んで落ち着く体勢になった時、飛び起きる前まで脳裏を占めていたモヤモヤや何やらは一掃されていた。
気持ちよく眠りに落ちていける、そんな気持ちにしてくれた恋人にもう一度ダンケと呟いて目を閉じる。
今度は夢も見ない眠りに落ちて行けそうだった。
2010.2.23-2010.03.22


