099:夜行バス

Garden of Southern Cross.ーテッドとノアー

 クライストチャーチの空港に到着し、自宅に帰る最短の方法に頭を悩ませていたのは、十日間の撮影旅行を終えてオーストラリアから帰国したばかりのノア・クルーガーだった。
 今回の撮影はエアーズロック-今は先住民に敬意を払いウルルと呼ばれている巨大な一枚岩-をどうしても撮影したいとの理由で現地に駆り出されたノアだったが、現地では言えることや言えない事が色々とあり、自然を相手にしている撮影でこれだが、人間のモデルを相手にする人でも色々あるのかと、同業種でありながらもある意味異種のフォトグラファーの仕事に思いを馳せつつ、今やるべきことをやるだけだと仕事をこなした結果、クライアントも満足してくれる仕事になったのだ。
 巨大な赤茶色の一枚岩を見ながら、仕事の目途が立った、後は家での作業になるから明日には帰ると、今回の仕事に出かける前に快く送り出してくれた恋人、テッド・ハリスにメッセージを送った-勿論、今回撮影した大量の写真の中から一番印象に残ったものを添付した-ノアは、その言葉に対する返事が分かったの一言で物足りなさを感じてもいた。
 だが、そのすぐ後に帰国の空港はどこだと問われ、二人が暮らす家に最も近い空港ではなく、南島の空の玄関ともいえる今ノアが降り立った空港だと説明をした後、オーストラリアを出発する便の名前と時間を教えろと、恋人同士のやり取りとも思えない素っ気ない事務連絡のようなやり取りを繰り返した結果、十日間離れていて俺は淋しかったとノアが送り、それに対しても短い返事が来るだけで、離れていた間の寂寥感が倍増されたような気持になっていた。
 空港から自宅-ニュージーランドに移住して一年が経過したため、二人で暮らすあの家が今のノアにとっては自宅だった-に向かうには約1時間の国内線か約6時間の長距離バスでの移動だったが、クライストチャーチに到着の便で帰るのが最も早く帰国できる便だった為にそれを利用したのだ。
 一日でも早く帰国し、口数も少なくぶっきらぼうな態度ながらも、己の言動を見守ってくれている事を見つめることで伝えてくれる恋人の傍に向かいたかった。
 だから最速で帰国できる方法を選んだが、帰国先の事まで考えていなかったと荷物を背負いながら今更ながらに己の短落さ加減に呆れていたノアは、とにかく空港を出て長距離路線バスに乗らなければと、タクシー乗り場に向かう為に急に重さが増した気がする荷物を担いで歩き出す。
 バス乗り場に向かうには空港から市内へと向かわなければならず、タクシーを使うのならいっその事レンタカーを借りてもと頭を様々な案が過る。
 そんなノアのジーンズの尻ポケットに突っ込んでいたスマホが着信を伝えた為、慌てて取り出して画面をロクに見もしないで耳にあてがう。
 「ハロー」
 最近慣れてきた英語での一言を少し疲れた声で言ったノアだったが、耳に流れてきたのが疲れているなと言う事実を的確に指摘する恋人の声で、思わず膝から力が抜けそうになるのをグッとこらえ、今から路線バスで帰る、夜行バスというにはまだ早いが最終便になるかなと返し、当初の予定通りタクシーに乗ろうと乗り場へと歩き出すが、ついで聞こえてきた声に足を止めるだけではなく呼吸も止めそうになる。
 『今空港に着いた─────駐車場にいる』
 「…は?」
 『ノア?』
 聞こえてきた言葉に咄嗟に返事が出来ずに間抜けな声で問い返すノアに微苦笑交じりの声が名を呼び、我に返ってもう一度言ってくれと思わずドイツ語で返してしまう。
 『…もう一度言えと言ったのか?』
 「あ!ああ、うん、今何処にいるって?」
 この一年一緒に暮らし、意思の疎通などはノアが英語も母国語であるドイツ並みに話せるために不自由なく行えていたが、感情の起伏が激しい時にはやはり咄嗟に出てくるのはドイツ語で、今もそれが出てしまったことを恋人の申し訳なさそうな声で気付いて見えないのに何度も首を縦に振ってしまう。
 『今、空港の駐車場にいる、そちらに向かうからそこを動くな』
 空港の駐車場にいるというがその空港とは何処なのか。
 疲労がなくこの後の行動が確定している時ならばすぐに理解できそうなことで混乱してしまい、えーだのうーだのと意味のない言葉を溢したノアの耳に次いで聞こえてきた声は、ノアの混乱っぷりを楽しんでいるかのような潜められた笑い声で、それに瞬間的に耳まで真っ赤になってしまう。
 『───いた』
 その声がスマホ越しと直接ノアの耳に届き、くるりと振り返ったノアの視線の先でスマホをポケットに戻しつつ微苦笑する恋人が立っていた。
 どうしてそこにいる、空港というのはダニーデンではなくクライストチャーチなのかという疑問が脳裏を巡るが、十日ぶりに再会した恋人を目前にしたノアの口から流れ出したのは、恋人が思わず目と口を丸くしてしまうようなものだった。
 「────頑張った!」
 「は?」
 仕事で色々あったがやるべきことをこなし、家に帰ってもまだやらなければならない、疲れたという子どもの我儘のような言葉を吐き出し睨むように恋人を見つめると、深い海の色のような双眸が細められ、呆れたような吐息が零れ落ちてノアに己の言動を振り返る切っ掛けを与えてしまう。
 いくら疲れているからと言って長距離ドライブをしてきてくれた恋人に何を言ったと顔面から血の気が引いていく音を聞いたノアだったが、不意に視界が陰ったかと思うと、背中の荷物ごと逞しい腕に抱きしめられたことに気付く。
 「よく頑張ってきたな、ノア」
 十日の予定で仕事に出向いたが予定通りに終えて帰国した、お前は自然から愛されているなと耳元で囁かれ、そんなお前を迎えに来たと小さく告白されてしまい、子供じみた言動と告白から首筋まで真っ赤に染めてしまう。
 その赤くなった頬に一つキスを落とされてそこから冷静さと再会できた嬉しさがじわじわと広がっていくのを感じ取ったノアは、ドラゴンが海と空の境界で翼を広げているタトゥーを服の上から広げた手で撫で、広い肩に額を押し当てる。
 「…迎えに来てくれたのか?」
 「路線バスの最終便で帰ると言っていただろう?」
 最終便の時間がはっきりと分からなかったが仕事に出てしまえば迎えに行けないからと小さく笑われるが、そうなれば顔を見るのは明日になる、それは耐えられなかったと、付き合いだした学生のような素直さで迎えに来た理由を告白され、うんと頷いてシングレット-タンクトップをそう言うそうだ-の背中をぎゅっと握りしめる。
 己の好意を滅多に口に出したりしない恋人だったが、思っている強さは己よりも強く深いもののはずで、いくらメッセージが素っ気なかったとしてもそこから寂寥感を覚える必要などない事だった。
 以前付き合っていた彼女たちに対し、どちらかと言えばノアの方が言葉数が少なかったはずで、その彼女たちが抱いていたであろう感情の一端を図らずも知ってしまい、情けないと思うと同時に同じ男だから理解できることだと己の中で納得の声を上げる。
 「…テディ」
 「ん?」
 「うん…夜行バスで帰るのは、本当は俺も嫌だった」
 だから飛行機で帰ろうかと思ったが、正直な話、オーストラリアを発つのを少し我慢してダニーデンに帰ってくる便にすればよかったと素直に反省の言葉を告げる。
 「帰ってきたからそれでいい」
 家に帰るにはここから350キロ近く走らなければならないが、二人だから退屈しないだろうと笑って大きな手をノアのくすんだ金髪にぽんと乗せたテッドが帰ろうかと当たり前の顔でノアの背中の荷物を奪い取る。
 荷物が無くなったことだけではない体の軽さにノアが安堵の息を吐き、駐車場に止めてある古いピックアップに向けて歩き出したテッドの隣に追いつくように大きく踏み出す。
 「夜行バスって言っても深夜に走るようなバスじゃないからまだマシだけどさ、やっぱり家の車が良いよなぁ」
 「そうだな」
 あまり夜行バスなどは乗らないが乗り心地は良くないのかと愛車の後部席にノアがノアであるために必要なカメラを丁重な手つきで載せたテッドは、助手席に乗り込んで心の底から安心したように息を吐くノアに目を細め、同じように運転席に乗り込んでエンジンを掛けるが、シートベルトを引っ張る横顔に呼び掛けて至近距離で向き合うと、驚く蒼い目に一つ頷いて薄く開く唇にキスをする。
 「家に帰るまでもう少し時間がかかる、眠くなれば寝ていいからな」
 お帰りのキスの後に告げられる言葉のどれもがノアを慮るもので、その言葉に己が感じた思いが本当に見当違いのものだと改めて認識すると、シートベルトを着けたままで限定される動きの中抱き着いてしまう。
 「俺は、大丈夫。…テディこそ疲れたら休憩してくれ」
 そして、もしも本当にお前さえよければだけど、気の良いバリスタの彼が働くカフェでコーヒーを買って帰ろうと笑うと、背中を大きな掌がつるりと撫でて賛成と同意をしてくれる。
 そのささやかな一言でさえも嬉しくて。
 「ダンケ、テディ」
 家までもう少し時間がかかるが、お前の言うように二人だから退屈もしないだろうし、オーストラリアで経験した色々な事を聞いてほしいと、ノアがシートに踵を引っかけて立てた膝に顎を載せて小さく笑う。
 「彼、元気かな」
 「元気じゃないか?」
 これから立ち寄るから確認できるなと笑ってシートベルトを引っ張ったテッドに安全運転で頼むとノアが欠伸交じりに告げ、シフトレバーを操作する大きな誰よりも頼りになる手を邪魔にならないように気をつけつつ撫でる。
 「どうした?」
 「…リオンが運転するとき、いつもウーヴェが手を載せてたなぁって」
 あの二人は本当に仲が良いと、兄であり友人でもあるリオンとその伴侶のウーヴェの仲の良さを思い出したノアだったが、今回の仕事の件で連絡-という名の愚痴-を聞いて貰ったと笑うと、運転席から伝わる気配が少しだけ変化する。
 「テディ?」
 「…毎日、楽しく仕事をしたとしか言ってなかったな?」
 「へ?」
 聞こえてきた声が低くて掠れていた為に何だってと聞き返したノアだったが、空港からカフェへと向かう道にピックアップを進めたテッドが不満そうな声でオーストラリアでの仕事中は楽しかったとしか言わなかったと再度呟き、ノアの蒼い目が丸くなる。
 「え、それは…」
 「二人には愚痴を言ってたのか?」
 その声の根底にあるものが何なのかに気付き、まさかそんなことでと思いながら運転席でパイロットサングラスを掛ける恋人の横顔をまじまじと見つめたノアだったが、一度唇を噛んだ後、うんと頷き照れたように視線を逸らす。
 「ふぅん」
 「テディ…?」
 その一言に首を傾げたノアだったが、カフェに到着する頃にはその疑問も消えていて、久しぶりの再会にバリスタの彼も顔中に笑みを浮かべてノアの元に駆け寄り、ダニーデンに帰るまでの車内で食べてくれと言ってサンドイッチやビスケットを袋に詰めてくれるのだった。

 

 クライストチャーチから350キロを運転しても疲れた顔一つ見せないテッドが荷物を持ち、ノアは何となく手ぶらで玄関のドアを開ける。
 ドアを開けたノアの鼻腔が感じ取ったのは自宅の匂いとしか言いようのないもので、荷物をノアの部屋に置いたテッドの広い背中に向けて手を広げる。
 「テディ」
 「ん?」
 空港の駐車場を出る直前の不可解な雰囲気など一切なく、いつもと変わらない顔で振り返る恋人を抱きしめたノアは、うん、帰ってきたと独り言のように呟き、そうだな、帰ってきたなと素っ気なさと歓喜が綯い交ぜになった言葉を返されて目を閉じる。
 鼻腔を擽る潮の香りと少しの汗の匂いとそれを消そうとしたらしい香水の匂いに気付き、潮の香りが一番好きだなと笑って恋人の顔を見上げるが、そこに何故か太い笑みを浮かべる褐色の男前の顔を発見し、本能が危険を訴えるた為に半歩下がって距離を取る。
 「テディ…?」
 「どうして季節も時間も違うドイツにいる兄貴には愚痴を言うのに、俺には毎日楽しいとしか言ってこないんだ?」
 腰に手を当てて上体を屈めるように視線を合わせるテッドの言葉にノアの本能だけではなく理性も危機を訴え始め、あれは、その、だからと、意味を成さない言い訳の常套句を並べ始める。
 「詳しい話を聞かせてもらおうか」
 「ちょ、ちょっと待った、テディ!」
 玄関を入ってすぐの廊下である意味必死に攻防戦を繰り広げたノアだったが、色々な意味でテッドに勝てるはずもなく、あっという間に魚か何かのように肩に担がれ、己の作業部屋の向かい側にあるベッドルームに連行されてしまう。
 「テディ!シャワー!疲れてるし汗臭いからシャワーを使いたい!!」
 「気にするな」
 「気にするよ!!」
 この先間違いなく訪れる時間を少しでも先延ばしにしようと肩の上で藻掻くものの、そんなノアの抵抗をものともしないテッドは、二人が寝ても狭さを感じない大きさに買い替えたベッドに、肩の上の荷物を下ろす勢いでノアを投げ出す。
 「ぶっ!!」
 「素直に聞かせてもらおうか」
 「わー!言うから!言う、から…っ!!」
 だからやめてくれと覆い被さってくる巨体に手をついて何とか押し返そうとするが、脇腹を撫でられてくすぐったいと悲鳴じみた声を上げてテッドの首に腕を回す。
 「くすぐったい…っ!」
 「そうか?」
 何故ノアが仕事中に己に対しては楽しく充実した時間を過ごしていると言ったのに、兄であるリオン達に対しては不満を訴えていたのかと理由を問いただしたテッドだったが、お前が仕事の大変さを愚痴らないのに自分だけ愚痴を言えば情けないと思ったと、くすぐったさに涙目になりながらノアがその時の気持ちを口にすると、何だそんなことかと呆気に取られてしまう。
 そしてつまらない嫉妬心を見せてしまったことに気付いたテッドがそっとノアの顔を覗き込んで悪かったと呟くと、首の後ろで交差していた手が離れ、片手が鼻をぎゅっと摘まむ。
 「…後でめちゃくちゃ美味い肉を食いたい!」
 「何の肉だ?」
 「オーストラリアでは牛肉ばかりだったからラムが良い」
 ここで生活をするようになってから美味しさを知ったラム肉が良いと、見下ろしてくる深い海のような双眸を真っ直ぐに見つめ、それを食わせてくれるのならこの先に進むことを許すと余裕のあるフリで囁くが、足を割るようにテッドの体が押し込まれ、両足で逆に腰を挟んで褐色の頬を両手で挟む。
 「ちょうど良い肉がある」
 「…じゃあ、良いよ」
 本当はシャワーを使いたいけど後で使うことにすると笑ったノアは、夜行バスで帰ることにしていれば、今頃乗り心地があまりよくないバスに揺られて沿岸部を走っているんだろうなぁと苦笑し、乗り心地で言えば遥かに悪いはずなのに、自分にとっては快適この上ない古いピックアップで帰って来られて良かったと本心を溢す。
 ノアの口から零れ落ちた本心をキスで受け止めたテッドは、己の嫉妬心の根幹があまりにも下らないものだったと自覚し、謝罪の代わりに後で食べたいとリクエストをされた料理を頑張ろうと秘かに決め、今は眼下の白い喉を惜しげもなく晒してくれる恋人に感謝の思いとお帰りの思いを込めてキスをするのだった。

 

 バスローブ姿でキッチンにやって来たノアは、ダイニングテーブルに準備が整っている料理に気付いて顔を綻ばせ、腹を押さえて腹が減ったと笑う。
 「ああ、もうすぐ出来る」
 ダイニングテーブルに並べたが、もし外で食べたいのなら庭のベンチテーブルに並べてもいいとフライパンを振りながら笑うテッドの横に立ち、己がつけてしまった薄い爪の跡を撫でて頬にキスをする。
 「外が良い」
 「じゃあ着替えてこい」
 さすがにバスローブ姿で庭に出ると虫に刺されるぞと笑ってお返しのキスをノアの頬に落としたテッドは、ワインとビールだとどちらが良いと問いかけ、ベッドルームに着替えに向かったノアがビールと嬉しそうに返事をする。
 ダイニングテーブルに並べた料理を庭のベンチテーブルへと運び、リクエストのビールも冷蔵庫から取り出した時、ハーフパンツとシングレット姿で戻ってきたノアに準備ができたと笑いかける。
 「ダンケ、テディ」
 「ああ」
 庭に出た時には既に空は闇色だったが、今日は月が大きくて星々が霞んでしまうほどだった。
 月の明かりもきれいだなと、ここで食事をするときには必ず撮影をするノアが慌ただしく部屋に戻ってカメラ片手に戻ってくるのを職業病かと肩を竦めて受け入れたテッドは、二人揃っての食事が十日ぶりだと小さく笑い、栓を抜いたビールのボトルで乾杯をする。
 大きな月と目の前には愛する人がいる、それが不意に幸せに感じられ、夜行バスで帰ってきていればこの時間を持つことが出来なかったと気付いたノアは、仕事が終わった後車を飛ばして空港まで迎えに来てくれたのだと気付いてテッドに顔を寄せ、迎えに来てくれてありがとうと素直な、だけど決して軽んじてはいけない言葉を告げると、ノアの気持ちをしっかりと受け止めたように頷かれ、口の端に小さな音を立てたキスをされる。
 「食べようか。…どうぞ召し上がれ」
 「サンクス」
 その夜、少しでも早く会いたい思いから友人達に話をすれば、付き合いだしたばかりの学生かと笑われそうな行動を取った二人だったが、馬鹿でもいいと大きな月を見上げて笑いあい、十日ぶりの再会の時間を満喫するのだった。


2021.11.29
お題はお題の通り、夜の街へと走り去っていきましたwww←おい。
ノアがどんどんおバカになっていくような・・・(゚ロ゚; 三 ;゚ロ゚)


Page Top